提督さん、いつもおつかれじゃね―――
まどろんでいた意識の中。不意の声が耳朶を打ち、青年は思わずハッと声を漏らす。
どのくらい寝ていただろうか。昼休みの時間にさしかかり、時間を惜しんでいた提督は四、五分でにぎりを喉に詰め込んだあと、泊地に所属している艦娘達の情報に目を通していた最中だった。
「寝ていたね?この泊地のボスともあろうお方がのんきにうたた寝と洒落込むなんて、大層ごりっぱな様子じゃて」
「浦風」
笑顔の皮肉を耳にして、青年は無表情のまま少女の名を呼ぶ。
露出の多い水兵服の合間から除く白い肌が、陽の光に反射して提督の目を焦がす。スタイルのいい彼女の肢体は、目覚めの着付けには幾分効果ある。提督と呼ばれた青年はこの秘書を務める少女の前で寝てしまったことを内心で戒め、甘んじて皮肉を受けながら自らの頬を軽く叩いた。
提督。それはこの“艦娘”と呼ばれる特異な存在を率いる、この国に在る海軍の将官の敬称を指す。
青年はこの泊地―――艦娘を運用する施設の中で比較的小規模の港湾施設だ―――に務める、大本営から任命された男であり、彼女達“艦娘”を従えるに相応しいとされた存在だった。
その男を『提督さん』と、呼ぶ少女。空色の髪が眩しいこの浦風も、その“艦娘”の中の一人。
駆逐艦娘“浦風”。かつてあった戦争の兵器の名を冠するこの少女は、地方の方言を振りまきながら誰に対しても人懐っこく接してくる艦娘の中でも一際フランクな性格だ。だからこうして、提督などと大層な階級を持ってしまった男に対しても飄々と彼女は馴れ馴れしく話しかけてくる。
だが彼女は唯の“艦娘”ではない。駆逐艦娘の中でも後期改良型とされる分類に入り、その過程で装備する少女の総数が少ないとされている“陽炎型駆逐艦”艤装の数少ない適合者だ。
提督と彼女が所属するこの泊地の規模は、他のそれと比べて比較的小さい。この泊地が、希少性の高い艦娘適合者を実験的に運用することを目的に設立されているからである。いわばこの泊地は艦娘の実験施設とも言える位置付けとされているのだ。
そこに属する人々はいずれにしても変わり者が多いと他部隊からの噂だと、提督は改めて思い返す。浦風のような方言の目立つ飄々とした性格も、幼さの残る適合者が多いという駆逐艦の中で比較的歳上というのも、風変わりと評されるに十分だった。
「……別に、いつもと変わんないさ。ちょっと夜通しのしわ寄せが眠気になって現れていたんだろ」
癖のある髪を掻き上げながら“提督”は寝ぼけ眼をこすりつつ、浦風に返した。彼女の一声は効果覿面だ。後数瞬で机の中にダイブしそうになった青年の意識を無事、現実へと引き戻したのだから。
だが、少しだけ不機嫌そうな提督の顔を目にしてしまったからか浦風は半目で微笑を浮かべていた。
この少女は、俺を玩具のようにいじくり回す気か?
そう口にせず毒づき、提督はゲンナリとした顔で彼女の顔を迎えた。
「………何がおかしいんだよ、浦風」
「べぇ~つにぃ~。たいしたことないんよ、提督さん。ただなっ、提督さんのふらふらとした頭の動きとその寝ぼけ顔が大層可愛らしゅう見えただけじゃけ」
「っ………仕方ないだろ…ったく」
「身内人事で任された大役とはいえ、きっちり仕事をこなすあたり、提督さんは生真面目ものだと、この浦風はわかっとるけぇな~ホント。昨日も夜中まで書類の山に目を通すとは、まったくもって大したことしよってからに。少なくともうちの手にはあまくりかえっておえれんわ」
本日の秘書艦―――秘書艦とは日替わりで変わる提督の秘書係を指す―――は、浦風。秘書官ならぬ秘書“艦”とは名の通り提督の補佐をする艦娘の代表者であり、日替わりで交代する役回り。いわば当直勤務の一種だ。
深夜の正子から務める勤務故決して楽ではないのだが、そこは艦娘、鍛えているのだろう。数時間の仮眠しか取っていないはずなのだが、浦風はにんまりとしながら提督を眺めている。提督は思う。絶対こいつ楽しんでいるだろ、と。浦風にもそれは十分に伝わっていたらしい。
「昨晩は提督さんがうちを寝かせてくれなかったからな。うちとしても提督さんをいじらんと眠気がいつ襲ってくるか、分からないからねっ」
「誰かが聞いて誤解を招くようなこと言うな。あいにく、俺は同意もなしに夜中に女を襲うような真似はしない。浦風が眠れなかったのは仕事の一環で、俺も同じように起きていた。別に、勤務内容を聞いたぐらいでそんなふうに言われては困るさ。この泊地が所在してる本部基地の青葉あたりに聞かれてみろ。明日には俺とお前のゴシップ記事が泊地にとどまらずこの界隈を覆う。実名付きでな」
「ほう~?提督さんはこの浦風とお熱いような記事が流れたら困ることがあるん?うちは別に困らんよ?提督ともなればある程度の生活は保証されるだろうし、提督の女と認知されれば、泊地の外に家を建てれることも出来そうじゃけ。それはそれで面白そうじゃね」
「詐称による軍法違反はご法度だ。いくら艦娘が特例で曹長相当にあろうとも、罰を犯せばペナルティはある」
「そんときは提督さんが何とかしてくれるんね。なにせ、天下の少将様じゃけえ」
「だから身内人事だ………お前たちを従わせるためにお偉いさんが決めた人身御供だよ、俺は」
減らない浦風の朗らかな言葉に辟易するように吐き捨てる提督。
本当に、なんでこの少女には敵わないのか。自分が押し付けられたとはいえ本当に人の上に立つ身分として、今のやりとりはありえないだろうと思う。
だが、不思議と苛立ちはない。これも彼女のその飄々さに嫌味も含みもないからだろう。
提督は小さくため息を付き、諦観の眼差しで彼女の顔を見つめ上げた。
彼女との馴れ初めは他部隊との沖ノ島沖合同攻略の際、先遣隊として当泊地の艦隊が大本営より抜擢され、その折に海域を哨戒していた時のことだった。当時旗艦だった時津風からの連絡により島周辺海域を漂っていた彼女は救出された。
浦風は艦娘全体の中でも特に適合者が少ないとされている陽炎型の一人。その特異性と、練度もままならない彼女では大規模部隊での運用に支障が出ると踏んだ司令部の判断により、押し付けられるようにそのままの流れでこの泊地に所属することとなったのだ。
故に彼女の実戦経験はまだ浅い。だが、経験は浅くとも。しっかりと実戦だろうと机上だろうと仕事はこなすのが浦風だった。戦いならば駆逐艦である自分を十分に理解した上での立ち回りを意識し、最小限の被害に止めたまま敵機を翻弄する姿。泊地の実務ならば泊地勤務の隊員と各種の調整をしっかりと行う姿。働き以外では泊地の内務班でその性格の幼い駆逐艦娘を纏め上げて、面倒を見るといった姿。それらが提督の中の浦風だった。
しかしこの浦風、何かと他人の世話を焼きたがる。提督に対してもそうだ。別に彼女が秘書艦であることはこれまでにも何度かあるのだが、提督の生活が乱れる時期に彼女が来るのがなかなかどうして運が無い。
決まって彼女は口酸っぱく提督の生活の乱れを指摘し、時には力づくでも提督を休ませようとするのだ。具体的には、書類を隠してしまったり、机で寝ているところを起こされて既に毛布を用意した仮眠室にで仮眠させようと提言したり。
浦風の行為が迷惑とは思わない。むしろ感謝しているぐらいだ。仕事を奪いに来る時も正直、やらなくても致命的なものにはならない内容のタイミングで襲来し、彼女に任せる時があってもそれは書類の把握や各種承認の押印ぐらいのものだ。その程度なら寝る間際にメモでも渡しておけば浦風でも難なく出来るような物。
だが何時までも浦風にペースを押されっぱなしというのも癪に障る。仮にも提督だ。この泊地のボスだ。男児たるものか弱い女の子に主導権を握られていてはむず痒い思いでしょうがない。………実際にか弱いのはただの指揮者でしか無い提督自身であることは明白なのだが。
「なあにブツブツいっとるんね、提督さん」
「口に出してたか………」
「聞こえてへんよ。ただ怪しいつぶやきは見過ごせんね」
「聞こえていないなら何よりだよ。端から聞こえてたら怪しさ全開なのが独り言だ。そういった意味では浦風だけに見られたことは幸いだ」
それを聞いて聞かずにいられると、提督さんは想うんか?わざとらしく語尾を伸ばし、意地悪な顔でにじりよる浦風。
判断を誤った、と提督は想う。こういう奴だったのだ、浦風は。彼女の前でうかつに中途半端なことは言えない。なぜならその全てを暴かれるまで追求されるからだ。曰く、隠し事はしてほしくない、と。
「さあ、その呟き。この耳に一語一句聞かせてもらうまでこの浦風、引く気はないけんね」
「機密事項だ。口にしない」
「おいそれとつぶやけるものが、そんな大層なものなわけないやん」
「バレたか」
「提督という立場を盾にしようたって無駄じゃよ。この浦風にはお見通し」
面倒くさい事態になった、とはおもう。なにせ秘書艦は一日中執務室にこもれるのだ。付きっきりで提督の傍に居座ることも出来る。自分が散歩にでも外に出ようものなら、執務の監督役も兼ねて彼女もひっついてくることも出来る。提督の執務をサボタージュ監視するのも、秘書艦の役割の一つだ。
つい最近のことだが、時津風―――浦風と同じく陽炎型駆逐艦の一人で、浦風以上に人懐っこく甘えたがる少女だ―――なんかは執務室で遊ぼうとかいうのたまった。ちょうど時期も梅雨で、挙句提督の腕に身を預けてサボりをねだる始末。あの時なんかは逆に提督が彼女のうわつきを抑える役回りだった。
艦娘の調整された身体能力は人間のそれを優に超える。時津風に心身ともに翻弄される一日は、職務すらままならない日だったが。気分転換と捉えれば案外悪くないものだったと、そう考えるようにしている。毎回あっては困るのだが。
さて。とどのつまり秘書艦となった浦風は、次の当直交代となる深夜まで提督を問い詰めることが可能だ。無論、黙っていることも出来るのだが。頑固なのだ、彼女は。その気丈さを前にしてしまえば、言わずに浦風にふくれっ面で引っ付かれる方が気が悪いし申し訳ない。
なれば活路は唯一。
「白状しよう。俺は提督だ、お前らのボスだ、白露じゃないが、一番だ。だのに一端の駆逐艦の女の子にいいように弄ばれてあげく公務まで取り仕切られている。それが堪らなく悔しいんだ」
「はあ」
淡々とわざと抑揚も付けずに並び立てる。別に怒っているわけじゃなかった。ただ浦風の前では下手の嘘も無用。
「そうは言うてもなあ。提督さんの仕事を助けるのがうちら秘書艦の役割じゃし、そんなふうに言う提督さんのほうが普通に見ておかしいよ。おとなしく、うちの助けに身をまかしね」
「それが悔しいと言っているんだ………考えても見ろ、女の子に好きなままにされるのが今の俺だぞ?お前からしても迷惑だろ。お前だけじゃない、陽炎型の皆。陽炎型だけじゃなく駆逐艦の皆。はたまた艦娘全体の皆に、だ。おかげで噂のとどまりは収まりを知らない。訓練係の坂中中尉にもからかわれる始末だ」
「別に、訓練係のおじいちゃんのことじゃけん若いやつの反応が面白いのじゃろう?…って。うちが誰かを若い奴と呼ぶのはおかしいなぁ………あっはは。まあ提督さんもうちからすればあまり歳の離れていない家族みたいなもんじゃし」
平然と言ってのける。ついでにこの女はもはやこの施設のトップである俺のことをまず敬うつもりで接する気はないようだ。そうも親しげに話しかけられては、示しがつかないのだが。
「艦娘を従えるのに既存の軍人では手に負えないとされたから俺が来たんだ。無茶な人事をされた身の上でな。今更年齢なんか気にするな」
こと浦風には親しげに接されるのは個人的には悪くない。だが、それではダメなのだとこれまでの教えから、提督は一線を彼女との間に引いているつもりだ。
「うちは誰かの世話を焼くんがとっても大好きなんよ。提督さんのように重荷を背負わされている人なんか、ぜひとも助けたくてしょうがないんよ。今更うちと提督さんの仲じゃろ?だから提督さん。そんなこと言わずにやることも終わればうちと仲良く今日は過ごそうに」
「嫌だ」
「なんでさ」
だが彼女との距離を置く本当の理由は極めて個人的なもの。
「恥ずかしい、悔しい、照れくさい」
これに尽きる。
「急な三連発の反論にはさしものうちもとっさの返しが思いつかんわ………提督さん、結構隠さずにいうんやね…普通そこら辺恥の一環として躊躇するじゃろ」
「お前の前では隠し事できないなら、言うしか無いだろ。隠して暴かれるのは負けた気がする」
「素直じゃないね」
「素直じゃないし、強情だ。ついでに言えばこの泊地の人間は皆変人だ、俺含めてな」
だから浦風、今日の俺は極力お前に頼らないぞ。そう伝え、再び席の書類に目を通す。実は別段多いわけでもない。昨日の夜中のうちに既に浦風と粗方の書類の処理を終わらせていたのだ。後は一人でもできる作業量。
その書類というのが、明日からの大規模作戦に参加予定の艦娘達のデータをまとめた身体とその各種兵装の情報だった。
この泊地では単独での大規模作戦の参加は難しい事情がある。大規模の整備施設を持たず、自衛程度の戦艦、重巡、軽空母適合者を除けばこの泊地所属の艦娘は多くが駆逐艦で占められている。よって艦隊司令部との調整により十全な練度を積んだ艦娘を運用する本部艦隊の作戦補助が、当泊地の存在意義だ。
艦娘の数も多く見積もっても高々三桁未満。元より大規模部隊での運用に練度にしても艤装の能力にしても他の艦娘との調整で不安要素がある艦娘の溜まり場だ。音読してても今日中の任務は完遂できる。
何分普段からこんな規模の小さい施設の提督なんてものは、艦隊指揮を除けば日々の業務など上の空でも終わるようなものだ。書類に目を通すついでに艦娘各員のスリーサイズを暗記してもいいくらい暇な時もある。………生憎、無駄な徒労はしたくないのと青葉あたりに勘付かれても困るから無用なことにも頭を使わない方針だが。
そんな内容を浦風と仲良く捌くだと?提督以前に、一人の男として気恥ずかしいったらありゃしない。
「そんな肩肘張ってないで、うちにもっとたよりぃよ。提督さん、うちが寝ている間にもずっと仕事を明け方まで続けてたでしょ?だったら仮眠兼ねて執務の交代をうちとすればええ。なんなら、茶菓子でも食べながらそこでくつろいでてもええで。お気に入りのお茶。急須と部屋から持ってきたんよ?」
―――お前は何か!駄菓子屋でも営んでいる近所の世話焼きおばあちゃんか!?
いいかけてしまい、突っ込む直前に冷静になるが明らかに不機嫌そうな浦風が頬をふくらませる。まずい、察したか。
「提督さん、そこは近所の美人なお姉ちゃんと呼んでほしいものじゃね。ついでに言うなら嫁いだばかりの嫁でもええ。うちが提督さんの嫁なら、提督さんの疲れ、とれるだけうちが労っちゃうし?」
「そんな絶滅危惧種は二世代前の世界でもごく一部だろうに………お前の言う甲斐甲斐しさを持つ女がそうそういるものか」
「ここにおるやん。つっけんどんやな、提督さんは………それはそうと、現に提督さんはさっきも眠たそうにまどろんでいたじゃない?」
わざと刺々しく浦風には応じたのをよそに、彼女は提督の疲労を看破する。その通りだった。今の提督は連日の勤務で疲れている。秘書艦に生活の乱れによる不注意を咎められるのは筋通りだ。だが、どうも浦風に言われるのはあまり好きになれない。彼女の言葉を聞いてしまってはいけないという意地が、提督の態度を変えずにいた。
だから退けない。
「頼らない。俺は残りの仕事を片付けたらいくらでも仮眠する。だがそれまでにお前には頼りたくない。他の艦娘や部隊員に知れてみろ。メンツが丸つぶれという話では収まらない。女の子に窘めながら仕事を緩めるなど、人の上に立つものとして相応しく無い」
提督は意地を口にする。だが、その意地を聞いて浦風は目を丸くしてきょとんとした顔になる。
「なんじゃなんじゃ?結局は提督さん生真面目とかそんなん以前に、誰かに知られるのが恥ずかしいからうちの親切に照れておるん?さっきの三連発はそういう意味だったのけぇ?」
「………」
嘘は言えない。まさしく提督は何も言うことが出来なかった。必死になって否定する、その行為は彼女には自らの墓穴を掘る事だ。そんな口先で作り上げた付け焼き刃で彼女のセンスは誤魔化せない。
「ははん。提督さんもかわいいとこあるんね。元からあんまりうちと歳変わらんからカッコ良いというには経験値が色々と足りんけれど、そんなふうに反応されちゃあ、うちも提督さんを弄ったかいはあったね」
「うるさい」
苦し紛れの提督の一手も、にゃはは、と笑う浦風には一切通じていないようだった。
ああ、こうだから彼女が苦手なのだ。浦風はどうしてこう、提督の痛いところを的確についてくるのか。
彼女のおせっかいと心を暴いてくるその話術は、隠したいことも暴かれてしまうので提督の天敵だった。
「ええんよ」
「おい」
気恥ずかしさから目を背けていたが、まずかった。浦風はいつの間にか目の前にまで迫り、その華奢な体で提督を包んできた。
胸元の豊満さと漂う甘い香りが、鼻孔を打ち唯でさえ強いまどろみが加速するようだった。
それでもと、抵抗の示しを突き立ててはおいたが。やはり無意味に通じていない。
「心配いらんよ。誰も提督さんのことをバカにしたりしよらんし、うちもバカにせん。誰にも言わんし、誰にも提督さんをバカにさせへん。だからさ、うちをもっとたよりね?提督さんの執務、これまでに何度手伝ったとおもうてるん?桁数だってとっくに二つも過ぎとるんよ。提督さんの考えだってある程度わかるし、今は休んでくれへん?」
引き離そうかと思ったが、駄目だ。案外艦娘の力というものは強いもので、簡単には振り払えそうにない。それでも本気で抵抗すれば流石の浦風も手放してくれるだろうが………厄介に、その抵抗する気力さえも彼女の甘い声と身体で奪われる。
「………今回っきりだぞ……」
「今回でも何回でもええ。うちに頼るのに遠慮はなくていい。ゆっくりお休み。執務のメモは、いつもどおり机の中にあるん?」
「………夏季の作戦に向けた戦力の確認だ。書類に書かれている艦娘の身体と
装備兵装の確認ぐらい、だ。………お前が見て不足あれば起こした時に言ってくれればいい」
「そんな簡単な事ぐらい。トップがやることじゃないよ。うちみたいに下っ端有効活用すればええ。ほら、仮眠ベッドまで運んたげるから、目ぇ瞑り」
「………ありがと」
「お礼、嬉しいよ」
つい先程までの高ぶっていた意識が闇に誘われる。浦風の柔らかさ、声の温かさに包まれながら、揺れる自身の身体がとても心地よくて。提督の視界は瞬く間に浦風に奪われてしまっていた。



気付けば3時間以上も寝てしまっていた。空は朱に染まり始め夕焼けが眩しくカーテンの間から差し込む。仮眠室のドアを避けて入り込んだ光線に提督は肌を照らされながら、目を覚ました。
浦風は………?
意識を失う間際に触れられた頭に自らの手を重ねつつ、眠気を振り払う提督。時間オーバーもいいところだ。一時間を予定していたというのにこの体たらく。どうも浦風といると自分のペースを乱されて、彼女の言葉のままになる。
それは癒やしで、ある意味麻薬だ。一度覚えれば、なかなかどうして悪くなく感じる。
だがそれを悟られるのは避けたい。それが提督の中にある意地だった。
まともな家族を知らない提督には、彼女の暖かさは身に過ぎるから。
家族というものが、戦争によって奪われたものでしかないと捉える自分自身には。
「うらか―――」
仮眠室の扉を開けて執務室へと入る。そこには我が物顔で自信たっぷりの彼女が書類を前に事務作業に励んでいる―――はずだった。
執務室の提督席に彼女、浦風はいた。だが、その面持ちはどこか陰りがあった。別に夕日の照りが彼女の顔を照らしたからじゃない。その視線は落ち、積まれていた書類は全て処理が済んでいたことを示すように確認済みを示す押印がされていた。
彼女が見ていたのは、作戦参加予定の艦娘の書類。それを見て浦風が固まっているのを見た提督はそこで彼女の心を察することができた。
なんとなく、の域ではあるが。彼女が今強く噤んでいる唇の理由を提督は知っているのだから。
「てい、とくさん」
一動作遅れたかのような彼女らしからぬ緩慢な響きに、提督はただ不変の視線を彼女に向けていた。
そう。気づいてしまったところで浦風のこの反応はとっさに織り込み済みだ。
「なんでうち………この中におらへんの?」
浦風が向くは押印済みの作戦参加要員のリスト。
その空色の髪は窓からのそよ風に揺れ、水面のように深く蒼い宝石のような瞳は、揺れる感情を表すかのように迷いの眼差し。
浦風が知った提督の判断。それは次作戦における浦風の戦力除外だった。
「なんでじゃ提督さん!うち…!うちらは艦娘なんよ!?軍艦の負を寄せ集めたかの存在、“深海棲艦”との戦いこそがうちらの誉れ!うちに………うちの中にある“浦風”の戦いをさせてえよ!」
「浦風にはこの勤務が終わり次第直々に伝えるつもりだった。淀んだ感情で職務をされても差し障る。陽炎型駆逐艦、“浦風”の作戦行動中の任務は、当泊地における待機及び演練だ。………お前にはまだ、あの海は遠い」
「提督さんッ!」
なんと言われようとも、この考えは変えるつもりなどない。それが提督の答えだ。
だがままならない思いは、なおも浦風を炊きつけているのだろう。蒼い瞳が燃えるような怒りを宿し、提督に刺さる。
「同じ陽炎……!時津風や雪風はうちとそう変わらない練度や性能のはず………同型艦の浜風や谷風だって今回の作戦には参加しとる!なぜにうちだけ仲間はずれなんじゃ。うちの戦いは、人を助けるためとアイツらを斃すこと。そこにうちの意義がなければ、うちが砲を構える理由を奪われることじゃけえ!」
浦風の訴え。艦娘の存在意義は戦いにある。外的要素によりこの世界に生み出された彼女たちは多様な信念の元に深海棲艦との戦いを繰り広げている。浦風とてその例外ではない。
曰く、彼女の戦う理由は―――
「うちに、金剛姉さんの無念をあいつらにぶつけさせてぇなッ!!」
普段の彼女からは想像もできない怒気。
浦風が力とともに宿した記憶。それは駆逐艦“浦風”の船員の残滓が象った残留思念の果てだった。
その身に纏う“浦風”の艤装。艦娘の艤装はかつてあったとされている戦争の中で生み出された、艦を元に設計図が創りだされる。設計図通りに建造された艤装には、元となった艦の残留思念が宿っているのだ。この残留思念という精神にに作用する程の霊的概念が、艦娘を唯の少女から超人的な力を宿す歪な存在へと変貌させる。
艦娘として艤装に適合する、それそのものが少女に課せられた呪いだ。そしてその呪いを無にすることは出来ない。艤装から霊的概念を取り払うことは、設計書の中の一部の情報を省くことで可能とはされているが、それを施した艤装は唯の鉄の固まりでしかなく、深海棲艦がもつ“穢れ”と称される瘴気への対抗力を失う。
英霊の無念と呪いと呼ばれる加護を武器に戦う艦娘は、この世界の異物。同じく異物とされている人類の敵、深海棲艦に立ち向かう事こそが、唯一無二の艦娘の誇り。
“金剛”を沈めたのは、紛れも無い人間だ。だがそれは戦争故の結果から生まれたこと。
浦風は金剛を沈めた国の人間を恨んでいるのではなかった。
深海棲艦を憎む理由は、深海棲艦が争いそのものがカタチを持ったものとされているからだ。
勿論これは世界各国の艦娘を運用する機関が広めた見解であり、その正体は誰も知り得ていない。
だが浦風は“浦風”の無念の理由をそれと結びつけていた。
だからこそ、戦う理由を奪われることを艦娘としての彼女が拒絶するに十分なもの。
あまつさえそれを提督から放たれれば、浦風とて納得行かず感情を乱すのも無理はない。
「うちは戦って、戦って、戦って誰かを助けて、そして海の向こうの金剛姉さんに会わんと行けないんよッ!この世界のどこかにいるはずの、金剛姉さんにッ!」
「戦艦“金剛”………」
その名はかつての戦争で名を馳せた高速巡洋戦艦、金剛型のネームシップの名だった。
この“浦風”は未だ彼女の姿を目にしたことはない。艦としての記憶、それは船員の思念。“浦風”が持つ強い意思が、浦風の怒りを焚きつかせ、その矛先を躊躇いもせず提督へと向けている。
それも当然だろう。幾十年も経った英霊の意思の集合からなる激情を、たった一人の青年が。それもロクに世界を知らぬ若造一人が鎮められるわけがない。今の浦風は、ただの少女にとどまっていない。
人と変わらぬその心に、艦の記憶という重荷を背負わされている。
使命や記憶などと名をつけて、“浦風”が持つ、過去の争いの残り火に心を苛まれている。
故の情緒不安定だ。
「艦隊司令部からの金剛の情報は来ていない。よしんば上がったとしてもこの泊地では最低限の運用能力からここでの実戦配備はまず考えられない。認めるんだ浦風。彼女を追うことが今のお前じゃない」
「それでも……!うちはあの人に自らの言葉を伝えたくて…!」
「お前が彼女を守れなかったという自責の念からその想いが来るのなら、それもまた見当違いだ。今のお前は軍隊の道具としてただ金剛とともに沈んだ鉄の塊じゃない。自らで考え、動き、その手に砲を構えれる一人の存在だ。お前の艦娘としての存在は、無闇矢鱈と軍を困らせるためのものじゃない。お前たち艦娘は誰もが戦う理由を持つことを俺は熟知している。だが道具ではなくなっても、一人の貴重な戦力として計上できることには変わりない。その身を我が軍においている以上は、お前の独断はありえない」
「軍の道具じゃとッ!そうやってうちの想いさえ憚るのはどこの誰じゃ!提督さんじゃろ!確かに戦力として他の陽炎型…ひいては同練度の駆逐艦勢から外れを伝えられたのは堪えとる!けど!このうちのわがままはそんな理由だけに収まらん!うちがなにも出来ずに、この海の戦いを眺めているのは耐えられん!そして、また金剛姉さんが討たれる世界などうちは認めん!うちは………うちは駆逐艦“浦風”なんじゃからッ!」
その瞳はいつから涙を流していただろうか。ひとしずくの煌きの軌跡が、頬を伝い落ちるよりも先に浦風は顔を背けて執務室を飛び出した。名前を呼び手を伸ばして止めようとするが、提督にはそれがかなわなかった。包まれた白手の下には不快な汗が滲み、不変の表情を意識していたつもりだったのだが。思わず唇を引き締めてしまう。
一人の艦娘でさえ、納得させることも出来ないのか。自らの未熟さ、そして艦娘の心を把握できずにうかつに重要書類を明かしてしまった迂闊さに腹を立てる。
「浦風………」
だが、まだだ。彼女は何もわかってはいない。彼女がわかったつもりでいることを、提督は何も彼女に伝えてはいない。
「………」
浦風がドアを勢い良く開けた時の風で乱れた机の書類。浦風が見てしまった、艦娘“浦風”の記述。
提督はそれを何も言わずに拾い上げる。彼女の写真が載せられているそれに、先程の浦風の涙を重ねあわせてしまう。
じっとなんかしていられなかった。提督はそれを強く握りしめて執務室を後にする。机に『留守中』と最低限の書き置きを残しておいて、走りにくい士官服のシワも厭わずに持ち前の体力を活用させて走り抜ける。
浦風の行く場所に、心当たりはあった。



「っ………」
流れ出る涙が収まらない。こんな自分は嫌になる。惨めで惨めで仕方がない。
日が落ち始めて暗くなる浜辺の中を、浦風は俯いたまま歩いていた。
ああ、最低だ。自分は秘書艦だというのにこんなところで何をしているのだろうか。仕事を放って、ヒステリックに喚いて。あまつさえ上司の彼にあんな暴言まで吐いてしまって。
浦風は巻いた髪を解いて長い髪を潮風に晒しながら力無く歩き続けていた。今の自分の顔は誰にも見られたくない。
艦娘にも泊地勤務の隊員にも提督にも。誰にも知られたくない、笑顔じゃない私。
そんなものなど、見られるくらいならどんな世界からも消えてしまいたいくらいだ。
押さえつけられない衝動。艦娘としての自分の意味。助けられず、自らの船員の命も落としてしまった艦としての記憶。
その全てに押しつぶされそうになる。浦風は、“浦風”という存在以前の自分など知らない。あの日、提督預かりの身となった時点から自分の命は始まった。
なのに、“浦風”としての記憶が、自らを縛り付ける。自らを苦しめる。
戦う事こそが艦娘の意義。だが、女としての自分は―――浦風を名乗る自分の意思は、この心の衝動に沿っていることが本当に正しいことなのだろうか。
提督さんは私のことをここまで考えて…?
言葉なき問いが夜空へと投げられる。答えはない。だが、浦風の思いはそこに向けられていた。
本当に自分のしたいことは一体何なのだろうかと。この生命を厭わずに誰かの盾とすることが、自身の本懐なのだろうかと。
「いや、そんなことだってうちがやったことを思えばどうでもええ」
敢えて口に出し、自らの沈んでいた気持ちを少しでも立てなおそうと上げていた濡れた瞳を正面に戻す。
「うちはただ、謝りたい。あんなことをしてしまった自分を………提督さんに責めてほしい。そして、深海棲艦との争いにうちが足手まといというのなら従うのが道理やね………うちは、うちが思っている以上に小さい存在でしか無いのだから、うちがこんな気持ちじゃ、ただ死ににいくようなものやと、あの人は気づいていたのじゃけぇ………」
溢れる涙が砂浜へと消える。瞳に映る輝きは月夜に照らされる水面と同じで、輝いている。浦風はこみ上げる自責から思わず声を上げて崩れ落ちてしまった。子供のように大声で泣くなんて、自分らしくもない。幼い駆逐艦娘の中でも大口叩いて誰かを率いる自分が何たる様か。このまま、海に消えてしまいたい。そんな気持ちだけが、今の彼女を覆い尽くす。
「!!!!」
急に浦風は顔を上げて、目の前に広がる海に対して対峙する。言い知れぬ悪寒、近づいてくる殺気。
―――そして、艦娘としての第六感が浦風を悲しみという心の海から無理やり引きずりあげる。
見える。闇夜に溶ける海の中、見まごうはずもない黒の影………!
「深海棲艦………ッ!」
浦風はかの人類の敵の総称を口にして、砂にまみれた身体を力の限りに起こす。
なぜ敵がここに。そんなことはどうでもいい。恥ずかしい自分をよりにもよって敵に見られた。そんな下らないことすら関係ない。
この泊地に。ここの人達に、あの提督に。傷を付ける存在は許さない。そう思ったと同時に、浦風は全速前進で水面へと駆けた。
あらん限りの叫びとともに、艦娘“浦風”の力が今顕現する。
「うあああああッ!!!!抜錨、“浦風”ッ!!」
砂浜を跳び。一瞬にして泊地の工廠に保管されている艦娘の携帯兵装、通称“艤装”が彼女の意思に応じて全身に転送・装着され、感情のままに浦風はその手にある拳銃型の連装高角砲を深海棲艦へと放つ。
海上を貫く高角砲の一発。その砲火からほんの一瞬だけ敵の姿が照らしだされる。着弾。黒煙が舞い、その奥から漆黒の無機質なボディがゆらりと水面に浮かんでいた。そして浦風は着水と同時に把握する。一瞬だけ見えた敵は脳にある知識と一致した。
座学で受けた深海棲艦の艦種を思い出す。あの深海棲艦についた仮称は“軽巡ツ級”。これまで以上に人型に近く、また近年存在が確認されたという新種の深海棲艦の一つだ。艦娘全体で控えめに見て“浦風”が新型とは評されても、駆逐艦であり練度も低い自分とは、あらゆるスペックで浦風が劣っていると認めざるをえない。
今、ここには現場の指揮をする提督はいない。自らとともに戦ってくれる旗艦も随伴艦もいない。ちっぽけな自分と、自分の身体に纏う“浦風”の力のみ。
ここは撤退するか?いや、退けない。ここまで接近を本来泊地が許すはずがない。艦娘でしか気付けない、何らかの隠密装備をもった実験体なのかもしれない。ならば尚更アレを野放しにしたまま退けるわけがない。あのツ級を皮切りに後続艦隊が近づいてくるならば、初動対処が命取りだ。ここでヤツを潰す。人々の命を守るためにも自らの命を惜しんでいる暇はない。
―――戦う、この力で…!
取るべき行動は、唯一。
「うちが………うちがアンタを沈める!!」
果敢に叫びその手の砲口を深海棲艦に撃ち続ける。
浦風の一人きりの戦いが、夜空に響いた。



「しれぇ、どこかいくの?」
泊地本部から外に出て、いざ海辺へ向かおうとした時、すれ違った時津風が提督を呼び止める。
彼女は今日、資材確保の遠征から帰ってきたばかりのはずだ。さしずめ、今すれ違ったのは彼女がちょうど自室へ戻ろうとしていたのか。
「ああ、時津風。ちょっと些事でな。いまから怒りん坊をちょっくら呼び止めないといけなくなったんだ」
「………?そんな焦り顔で、いう言葉には思えないけどね」
そうか?と返しつつ、提督は自分がいまどれだけ今焦りに満ちていたのか、時津風に指摘されるまでわからなかった。
この急ぎ足も、この心臓の早鐘も。提督として秘書艦の彼女を呼び戻すだけの行動になぜ言い知れぬ不安を覚えているのか。
時津風に言われて、自分でも原因がわからない戸惑いに。
より早く彼女の元へ駆けなければいけないと提督は胸の衝動に急き立てられた。
「悪い、時津風。司令はいま探し“者”で急いでいるんだ。他愛ない話なら、また今度な」
「しれぇ!夜にそっち…海辺は危ないよ、これ持って行って!」
いざ海辺へ駆けようとした直後、時津風の懐から投げられたそれを確かに掌へ受け取る提督。
それは、時津風がいつも海へ出るときに肌身離さず持ち歩いていた代物だった。
「お守り代わり!雪風直伝のね!本当は艦娘が使うものなんだけど短時間なら誰でも使えるし、これで提督のお目当てを探しちゃって!」
「ああ、任せとけ」
短い会話を終えて、提督は砂浜を駆けてゆく。波で足跡は消えているが、ここを彼女は通ったに違いない。その確信を、浦風をよく知る提督は持っていた。
過去に浦風と浜辺を歩いた時に、その海色に溶けてしまいそうな彼女の後ろ姿のまま浦風は言ったのだ。
うちは、海が大好きじゃから。どんなときも変わらず陽に煌めく、海みたいにうちも笑える人間でいたい―――と。
早く、浦風を見つけたい。
提督は濡れた砂浜を踏みつけながら、月夜の下を走り続けた。



最初に浦風が撃ってから既に数十分は過ぎただろうか。
「おどりゃあッッ!!」
陽炎型持ち前の高機動で、ツ級を翻弄しつつ、そのアンバランスな黒のシルエットに砲火を叩き込んでゆく。
突き上がる黒鉛が月夜を遮る。その奥から帰ってくる深海棲艦の攻撃を、浦風は最低限の動きで躱し続けた。
改良型駆逐艦陽炎型の肩書きは伊達じゃない。技術革新による洗練された性能と艤装のレスポンスに加え、同駆逐艦種の吹雪型、初春型、白露型からの建造、運用情報のフィードバックを受けた集大成とも言える陽炎型は、単体であろうと極めて高いスペックを誇っている。
だがそれは艦娘全体の定規で測った時の場合だ。深海棲艦という敵の前では、例え対立する艦数が同じであろうとでも基本的に不利を強いられる。だが幸い、この深海棲艦には別段高い能力を持った個体というわけではないらしい。
こちらの機動性、運動性に対する敵の反応が鈍い。撃ち続けることの出来る限り勝機は十分にある。浦風はそう信じ、果敢に両手の携帯式連装高角砲を敵に構えた。
それでも、深海棲艦と違い生きた人の身である艦娘は、全力機動を続けてしまった結果、疲労と焦りが著しく表れる。決め手のない戦いに唯でさえ敵より劣る性能の浦風に襲いかかる敵の砲弾。回避行動もいつまでも続くわけではなかった。敵の装備の機能不全を狙い、本体ではなく装備を中心に浦風は撃つが、一向にその兆しがなかったのが命取りだった。
敵の砲塔がこちらの機動を把握した上での偏差射撃を今行なおうとしている事に、気付くのが遅れてしまったのだ。
「あああッ!!」
判断ミスの結果として浦風は重厚な一撃を食らうという焦りを生み出し、その衝撃で浦風は海面に膝をついてしまう。
「くっ………!」
艤装各部損傷。兵装一部損失。両手の主砲は無事だが、二基装備していた四連装魚雷発射管の一基が潰れた。
装備の喪失も構わずにその場で武装解除し、不要な重しを海へと沈める。
強い。大規模作戦に参加する艦隊はこんな敵とも戦わなくちゃいけないのか。
高をくくっていた自分は恥だ。駆逐艦を纏めれるからと、提督を包んであげられるからと。少しでも誰かに得意げになっていた自分を殴り飛ばしたい。この高角砲の一撃を、目覚ましにぶち込んでやりたい。
だが、それに気付けなかった自分に待つものはこのツ級による死の火線―――!
「うちは……!うちはなぁッ!」
そんなのは認められない。認めたくない。
立ち上がって、この身で誰かを守る。人を、艦娘を、深海棲艦に奪われたこの世界を。
敵を恐れずに勇み。蘇った“浦風”としての使命を全うするのが、自分の果たすべき事。
だが、そのために自らの命を投げ出すことを自分は許容できるだろうか………?
「うち…は……っ!」
ここで死にたくない。守るべき誰かの傍で、自らの屍を横たわらせるなど許せない。
刺し違えても、この敵をこの泊地から排除する!
声にならない叫びを上げながら、脚に力を込める。半壊した艤装の推進力を爆発的に解放して一瞬にして接敵しようという試みだ。
ツ級の重武装。その内側は人間の女の体躯とそう変わらない。だが、その武装が展開する装甲―――艦娘も戦闘時に展開する敵からの攻撃を弾く力場である。艦娘は艤装から不可視の力場を展開し、深海棲艦のものは自らの産む周囲に撒いた瘴気が瞬時に固体化寸前まで圧縮されて迫る攻撃に応じて展開する―――の内側から連装高角砲を撃ちこめば確実に討てる。
―――やはり、敵の装甲は生半可な一撃じゃ突破できん…!
深海棲艦の装甲には艦娘と違い通常兵器は通用しない。艦娘がもつ対抗力、即ち艤装から放たれる先の大戦の英霊の加護を込めた一撃こそが、深海棲艦への唯一にして最大の対抗手段だ。
そして今の浦風でツ級を討つには、その装甲の内側から直に主砲を叩きこまねばならないという、ツ級からの反撃を躱すことも出来ない場面になるということだ。砲雷撃に深海棲艦の装甲が発動するなら、その至近距離からバリアの内側に叩きこむと踏んだのだ。
だが躊躇は自分を殺すものだと、浦風はこの戦慄の空間で十分に知り得ている。
躊躇いはない、全力で行く―――!
「うち、はッ!」
浦風はそう胸に秘めた矢先、全力加速でツ級へ向かう。水上を斬り裂く敵の火線を潜り抜け、瞬く間に距離を詰める浦風。
近づくのは出来た。後はこの手の砲を、ツ級の腹に突き立てるだけ………!
「!」
まだだ、まだ。深海棲艦の反撃は終わっていない。浦風の頭に向けてツ級の両腕の載せられた暗灰色の砲塔をハンマーのようにこちらへと叩きつけようとしていた。この距離では、互いに装甲は張れない。
死ぬのか。
その想いが脳裏によぎった。しかし、せめてものと。浦風も突き出した連装高角砲で、ツ級の振り下ろされた右腕の軌跡に重ねあわせて防御した。軽量化のために耐久性を犠牲とした浦風の連装高角砲がいとも簡単に潰される。
「きゃああッ!くうッ……砲塔へしゃげてもォッ!」
もう一丁を合わせれば!
右手の兵装が潰れたが、左手の連装高角砲はまだ健在。この至近では魚雷の有効性も見いだせない今、この一撃が全て。
そしてツ級ももう片方の左腕で浦風を潰そうと振り上げていた。それを頭に喰らえば、脳漿をまき散らしながら自分は死んでしまう。直感的に浦風は察した。
―――提督さん、うちはな………!
脳裏に浮かぶのはこの泊地の人々の顔。彼らを守るための戦いならば、どんな敵だろうと。恐れも、躊躇いもない。
たとえ艦の一つに数えられなくても、自分がどんなことが出来るかをあの青年に魅せつけてやりたい。だから。
浦風は、振り下ろされる左腕を防ぐこともせず、その手のトリガーに指を伸ばし―――
「浦風ッッ!!!!」
突如世界が白に染まった。ツ級の死の一撃が視界を奪われたことで浦風の頭部を逸れ、そのまま何もない水面に勢い余って突っ伏してしまう。
この機を逃す手はない。
浦風は気迫のままに連装高角砲をツ級の首元に連続で弾が尽きるまで撃ち続けた。頭部がもがれ、身体だけとなったその黒のシルエットから直ぐ様離脱し、健在である最後の兵装、四連装魚雷発射管を起動させた。
「邪魔じゃあッ!!」
脳裏に描く魚雷の軌跡が、敵との間に道を開く。
狙いは合った―――!
水中に僅かな軌跡を描き、ツ級の身体は至近距離からの爆発で瞬く間に炎に包まれる。その兵装に魚雷の一撃を受けて誘爆を起こしたのだ。
ツ級の身体が力無く倒れた時、暗灰色のシルエットは闇夜に消える。
浦風はその炎を瞳に映しながら、損傷から機能不全に陥った全ての艤装を解除し、ツ級と同じように身体を水面に投げた。
光源は浜辺から伸ばされていた。気づかぬ間に駆けつけた提督は、陸から携帯式の探照灯を掲げてツ級の視界を奪ったのだ。敵を沈め、痛みを堪えながら立つ浦風に、彼は大声で自分の名を呼んでいるのがわかった。
「て……い、とく……さっ」
彼の叫びが遠ざかった。
薄れる意識の向こうに見えたのは、艦娘用携帯兵装“探照灯”を投げ捨てて。
濡れることも厭わずこちらへと泳いで近づいてくる提督の姿だった。



「起きたか、浦風」
提督がそう呼びかかけると、ソファに横たわる浦風はまぶたを震わせてゆっくりと瞳を開いた。
「ここは…執務室じゃないの……」
意識を取り戻し、全身に駆け巡る鈍痛を意識し始めたのか、苦悶を顔ににじませながら発した言葉がそれだった。
提督はあの場の後、倒れた浦風に対して最低限の応援を呼び、医療班の下へと運んで応急処置を命じていた。
よって今の浦風は全身に痣を残し、最初のツ級の右腕に対して防御に使った浦風の右腕には固く包帯が巻かれていた。軍医いわく、艤装の装甲が働いていなければ今頃複雑骨折で。ともすれば切断もあり得ていたかもしれないとの事だった。
「あっ……はは。あははっ、提督さんにはえろう心配かけてしもうたな………」
「心配で済まされるかよッ!お前はッ!」
引きつった浦風の笑いに、怒気を露わにする提督。
浦風には覚えのない光景なのか、常の飄々さもその一括の前には消え去った。
「大切な人間を……一人の仲間を……!失う思いをさせたんだぞ、お前は!
それに対してさも平然と…『心配かけた』で済まされるものかッ!」
「て、提督さん………それを言うたらうちだって一緒じゃ!艦娘は装甲を張れるから探照灯だって平気で使えるんよ。敵が光に向けて砲を放てば、むしろ提督さんのほうが木っ端微塵じゃったんよッ!」
艦娘用探照灯は再充電こそ艦娘の艤装でしか行えないのもあるが、それを平然と行使できるのは艦娘が人間より頑丈な存在であるからだ。懐中電灯の要領で敵を照らすそれは、敵からすれば格好の的になる諸刃の剣。今回のように他に敵艦がいなかったからこそ無事なものの、大多数入り乱れる戦場ではたとえ艦娘だろうと敵艦の反撃は免れないものだった。
「馬鹿な意地で、お前の命を失うなんて納得できるはずないだろ………!少なくとも俺はああする他になかった…!」
その提督の激情に、浦風は目を背けていなかった。その蒼の瞳は呆然と提督の顔を見つめていて、提督もまた肩で息をするほどの一喝を浦風に浴びせて彼女のその顔を見つめていた。
そして、提督は言う。
「無事でよかったんだ………浦風………」
極めて穏やかな声になるように努めて、浦風の無事を喜んだ。
「っ………!ごめん、なぁっ…!提督、さん…!うちは、ただ、うちは………!」
浦風は堪えていたのか、涙が堰を切ったように流し始めて。激戦からの傷だらけの身体を提督に預けた。彼女らしからぬ涙は提督の胸元で長く響き。提督もまた、その傷だらけの彼女をずっと受け止め続けていた。



「うちの怒りが、うちの勘違いじゃとッ!?」
「だから、お前自分の書類の特記事項を見ていなかったのか?たしかに連合艦隊への参加は見送るけど、なにも艦娘としての存在を否定するような采配は、俺はしたつもりないぞ」
素っ頓狂な声を上げて目を丸くする浦風に、提督は浦風が撒いた書類を突きつけながらあの時出来なかった残りの説明を済ませていた。
つまり、浦風は確かに泊地での待機を命じられる。
だがそれは提督すら不在になるこの泊地の、自衛を目的とした周辺警備任務の為の結論だということだ。
「艦隊指揮の際は、この泊地を預かる俺ですら現場での指揮をするようにと大本営から降りている。ならば、当然手薄となったこの泊地に攻めこまれた際、幾分かの戦力を残して運用させることは常套だ。浦風にはこれより警戒が続くこの泊地の艦娘の指揮と哨戒任務の代表をするものとして、大規模作戦から除外した………これで納得できたか?」
提督は辟易としながら浦風に伝えそこねた自らの趣旨を位置から説明していた。しかしこれほどの内容を限られた書類ですべて納得できるように伝えるには無理があった。だから提督は、書類を見た後にでも浦風に説明しようと夜中の執務から考えていたのだが―――
「浦風が寝ろ寝ろ言うから頭が散漫で言い損なった、というわけだ。ついでに言えばお前が急に怒るもんだから完全にタイミングを逃した………ふう、やっと言いたいことお前に言えたぞ」
「っ…!じゃあ、うちが提督さんに言った『うちの存在意義を否定する』ってことも、そもそも提督さんは考えていなくて………」
「ああ。まったくもって浦風の勘違いだ」
死にたい、と浦風は思った。
恥ずかしさ、情けなさ、そして自分のひとりよがりが彼をここまで傷つけてしまうとは思いもしなかった。
「じゃあ金剛姉さんに会うためにうちが怒ったのも?」
「軍は狭い。ここで一生過ごしていたとしても任務の一環で向こうから来ることもあり得る。お前がはやって泊地の外に飛び出したとしても、せいぜい金剛達の足手まといが関の山だ。お前も知っただろ?あんな敵が、ここから離れた海ではいくらでもいる。今のお前では威勢だけは一人前でも、艦娘としての力は遠く、遠く奴らには及ばない。そして俺は、お前たちをみすみす失うような真似もゴメンだ」
「うちが無茶したのは謝るよ………けど、そこまでうちが弱い弱いいわんでもえかろ?うち、恥ずかしくて死にそうじゃ、そんなふうに言われると………」
「事実だ」
「じゃ、じゃあなんで時津風や浜風、ほかの駆逐艦が連合艦隊に任命されているん?もしや………」
「それもさっき言った。ここの駆逐艦で兵装や練度でお前たちは横並びだが、浦風のその性格と戦闘時の指揮能力、判断力は代わりが効かない。あいつらはを指揮するのは向こうの慣れた艦娘だ。あいつらには、その下で役割をこなすのが最も適していると判断したからだ。お前を送るんじゃ、お前の才を持て余す結果になるからな」
「返す言葉もあらん……」
浦風の問は全て浦風のひとりよがりという結果に終わったことで、真っ赤になった顔を提督に見せることも出来ないでいた。
ああ、早く秘書艦終われと。先程から口にせず浦風は連呼している。早くベッドの中で何もかも忘れてしまいたいと。
「だがな、浦風。お前を泊地に残したいという考えはもう一つ、別にあるんだ」
悶える浦風に、提督は顔を執務室の窓に向けたまま告げる。
それを聞いた浦風は顔に当てていた両手から彼の顔を覗き、涙を流しながら彼の言葉を聞いた。
「お前には、俺の帰る場所で待っていてほしい。向こうでの仕事が終わった時に、お前には笑顔で俺たちを迎えて欲しいんだ。
いつもの明るさで、『よう、頑張ってきたね』とな」
声にならない声が浦風の口から漏れた。
空色の髪の間から覗く真っ赤な顔を隠しきれずに、提督の顔も言葉もこれ以上甘んじて受け切れない。
「サービスだ。俺達が帰ってくる日はお前を俺の秘書艦にしておいとく。嫌とは言わせない。お前が納得できるような武勇伝をその一日で語り明かしてやるつもりだからな」
もうどうして彼はそんなこと言うのだろうかと。
浦風はこれ以上にない嬉しさと恥ずかしさから、彼に対するどうしようもない想いが次から次へと湧き上がって仕方なかった。
「嫌か?」
提督は聞く。わかりきっている返答への問いを。
浦風は応える。決まりきっている彼への答えを。
「そんなわけないやん」
提督の言葉に面食らっていた浦風は、すぐにそう言っていつもの明るい笑みを浮かべた。
本当に嫌になる。この青年の意地の悪さを。
どうしようもなく嫌になる。自分が彼の考えを知る前にしてしまった浅はかな事を。
そして、浦風は満面の笑みで提督に言う。
そんな自分を信頼してくれる愛しい彼へ送る、自身の答えを。
「うちに任しとき」