「そこ!はよぅ立たんかァッ!」
歴戦の戦士の風格を持ったしゃがれた一喝が艦娘達の耳朶と心に突き刺さる。脊髄反射で背筋を緊張させつつ、両手で砲を構えているのは、この特設艦娘運用施設、通称“特艦実験泊地”に所属する駆逐艦娘達だ。
彼女達は皆訓練用の連装砲を構えながら来るべき深海棲艦との戦いに備えて、このこの泊地の最南端に位置する港湾の一端、艦娘総合訓練場と名付けられた敷地内で艦娘訓練係、坂中重一中尉の激が飛ぶ。
齢四十も半ばといった男の外見には、歴戦の戦士を想起させる厳格な面持ちと蓄えられた皺があり、艦娘達の一部は怯えながら彼の形相を恐れ、震える手足を必死に押さえつけながら次弾の装填に励んでいた。
「秋津洲!なんじゃそのへっぴり腰は!!」
艦娘の込める弾より坂中の次弾は次の標的に飛ぶ。水上機母艦艦娘、秋津洲が細い手足で必死に保持していた連装砲を落としてしまっていたのだ。それを見逃す坂中ではなく、秋津洲も怯えた瞳を坂中に向けていた。
「まるで気合が足らんッ!お前はそんな非力さで、敵を殺せると思うことが出来るのかッ!?」
坂中の喝を受けている秋津洲は肌を伝う汗に塗れながら、彼の言葉に首を横に振る。
周りにいる駆逐艦娘の少女に比べて秋津洲は背丈が高く、胸も豊かな方で。他の駆逐艦娘一目で場違いなほどに目立つ。彼女は、緑の制服に身を包み、薄い髪色のサイドテールを潮風に靡かせながら、必死の形相で耐えていた。
「め、滅相もないかも…!私はまだ、やれます…!」
「なら立てッ!立ってその落とした砲塔を構えてみせろ!目標は500メートルの唯の木偶の坊。英霊たちが積み上げた軍艦の力を持つお前たちなら、その程度撃ってみせろ!!」
はい、中尉――
辺りに響く坂中の声に負けじと漲らせた叫びを放つ艦娘達。その中の秋津洲は汗を垂らし歯を食いしばりながら、他の少女達と共にもう一度海上に立ち上がる。
「第7斉射、構えッ!」
坂中の呼称に応じて艦娘達が右手を水上に立つ固定された円形の標的に連装砲を構える。右足を基準に軽く開き、砲弾の反動に耐える姿勢をとった艦娘達が、教程通りの動きを再現しようと並び立つ。
しかしその中で一人、坂中の予想通りの動きをしたものがいた。秋津洲だった。
彼女はふらつく手足で必死に連装砲を支えてはいたが、疲れに負けているのか、暑さに耐えかねているのか、はたまたその両方か。駆逐艦娘と共用の主砲も構えることも出来ずに今にも崩れ落ちそうな体勢でいた。
「秋津洲、貴様!」
船の上の坂中が激昂し、再び彼女の身体を艤装の上から蹴りつける。勢いを殺すことも出来ない疲弊した彼女はされるがままに水上に投げ出され、その身体が海の上で横たわる。艤装に備わる自動浮揚機能が備わっていなければ今頃、悲鳴も上げることが出来ずに肩で息をしているばかりの秋津洲は水底に引きずり込まれていただろう。
「敵前で倒れている暇などあるものかぁッ!艦娘ご自慢の砲塔すら構えられんお前はなんじゃ、その有り様は!」
坂中の言葉にざわめく艦娘。秋津洲の名を口々に呟く彼女達は、砲を眼前に構えながらも目だけは倒れる秋津洲に注いでいる。
「い、痛いです…!」
「敵に痛いと喚けば襲うのを止めてくれるのか!?敵に恐れを抱いて砲を構えられるのか!?そんなわけがなかろう!」
秋津洲の悲鳴をかき消し、もう一度艤装をブーツで蹴りつけた。艤装に固定された細い肢体が揺れる。秋津洲に振りかかる痛みはないが、恐れの色が秋津洲の顔を覆い尽くしていた
「ひっ…!」
「お前達もコイツを見てよく考えろッ!お前達は何のために敵に砲を向けれる?そうだ、この国を守る存在だからだ!人間だろうと艦娘だろうと儂の指揮下には関係ない!銃を構え、敵を退けられぬ軍人は自分だけが死ぬと思うな。その手で討てん敵が、次に誰を狙うかを第一に考えろ!この秋津洲のように倒れていたら誰がどうなるかを頭に思い描け!」
訓練場に響き渡る声が艦娘達の緊張をより一層際立たせる。戦慄に満ち足りた彼女達は、水面に倒れる秋津洲のようになりたくないと言わんばかりに視線を一点に集めていた。
「第7斉射、撃てッ!」
直後に響き渡る轟音。
その何度も響き渡る砲撃音をバックにして、秋津洲は歯を食いしばり涙を溜めながら水面に横たわっていることしか出来なかった。



「疲れたかも…」
夕暮れに独り。いや、本人からすれば二人のつもりで屋外の休憩所に座り込む秋津洲。彼女の横に居座るシルエットは、かの旧軍の大型飛行艇“二式大艇”の姿を模した自立機械人形、通称大艇ちゃんだ。
昼に坂中中尉の熱血指導に満身創痍となり(あくまで、坂中は手加減したうえでの指導を行っており、身体に傷が入るような苛烈な内容は行っていない)同期の艦娘や、遠目に見られていたであろう基地の勤務者、別部隊の隊員にも自分の失態は目立っていたはずだ。
坂中の指導はとにかく声が大きいのだ。それはもう、別の部隊を指導している様子をオフの日、私服で隊舎に戻ってきた時にも海の方から聞こえるほどに。あれを自分が主役となって受けた日には、同期の皆からも様々な視線で注目の的となってしまい、悔しくて仕方がない。時にはわざわざ、船に乗って出てまで艤装装備状態で水上にいる自分に近づき、中帽と呼ばれるヘルメットをかぶせた上で全力の鉄拳を頭上にお見舞いしてくるときは、弾みで涙が滲んでしまう。
最も、反抗心と悲壮感のまっただ中に叩き落とされるが理不尽ではないのがより一層悔しさを加速させる。
人を守る。それは即ち人命に関わる大事だ。自分が不甲斐ないことで、深海棲艦と呼ばれる訳の分からない異種生命体なんかに、自分の名前の由来元でもある、水上機母艦“秋津洲”の乗員が守ろうとした国民の命を、奪われることとなる。
自分はそれが嫌だから、艦娘の適正が発覚した後で艦娘として、そして軍人としての籍を置き、訓練を今日も受けていたわけだ。その度に自分の中にある自信を教官役を務めている坂中に粉砕されるのでは堪ったものではないが。
下手な無根拠な自信を持って、油断して痛い目を見るよりかはよほどマシなのだろう。実務で油断して、骨を折ったなどはまだいい。事故による身体の欠損や、日々の任務の遂行に支障が出るほどの重篤な健康上の問題が出れば最悪だ。それを防ぐために教官役は鬼の形相で部下の気付けを行うのは至極当然なのだ。
しかし、頭で理解していても嫌なものは嫌で仕方がない。秋津洲は課業時間中こそは黙って自身のミスを甘んじて受け、極めて平常心を保ったつもりでいるが、課業が終わってどうしようもなく涙が抑えられない時なんかは、週一の朝礼以外では誰も来ない、本部庁舎の屋上で一人きりでいることが多かった。
今日もここに来てしまうぐらい、今の秋津洲は傷心だった。
本音としては声を荒げておもいっきり一人部屋で暴れたい気分だが、残念なことに軍は共同生活だ。共同生活自体は、普通の人間とは異なる育ち方をしたために抵抗はあまりないが、営内のルームメイトに迷惑をかけるのだけは嫌だった。
艦娘は待遇自体は士官相当だが、実質軍の最下層である下士官とほとんど変わらない。階級が上だからいって偉そうな顔をするほど艦娘に横柄な人物はまず存在していない上、自分がその筆頭になるわけにもいかないし、いわゆるベテランと呼ばれる、40代、50代の下士官の曹に至っては、艤装の整備や補給物資に関わる最重要人物までいる。保険担当の人間なんか怒らせては堪ったものではない。確実に売店でのお気に入りのおやつの取り寄せができなくなってしまうだろう。
それに、階級が上な分、より階級が高い人間が訓練係となれば下手をすると新兵の訓練より厳しいと噂だ。親しい下士官の人間から、秋津洲はそう聞いたことがある。実際、加減はされていると分かっていても男の怒声とゲンコツは痛み以上にショックが大きい。
壁を背にして体育座りで塞ぎ込んでいる中、就寝時間まで夜空のもとでじっとしておく。家族もいない秋津洲には、普通の女の子にくどくとなりがちの愚痴を言うような相手も満足におらず、こうやって一人でいることが思いつく限りの最良な手段だった。
「っ……」

「どうしたんだ、また凹まされたか」
「提督……」
ここに来てしまう理由は、もう一つあった。
この場所に来れば、基地の中では天の上の存在とされている彼に会えることがあるのだと、秋津洲は何回かここで涙をながすうちに知ってしまっていた。
彼は隊員たちから提督と呼ばれる、ここのボスだった。
秋津洲は彼に、初めて今日と同じように泣いている姿を気にかけられた時から、彼のことを好きになっていた。
この思いは未だ伝えてはいないし、面と向かって彼の目の前に立てるような立場でもない。彼の側にいることができるのは、秘書艦と呼ばれる艦娘の中でも最高の評価を与えられるものだけ。全国各地で見てみれば、中には完全に提督が一人の男としての好みでお気に入りの艦娘を横に侍らせている…という黒い噂もあるのだが、少なくともここの提督はそのようなことは感じられない実直な青年だと同僚の女子からの噂だ。
その羨望の的ともいうべき存在と二人きりで居れる過ごす貴重な一時。利己的な考えかもしれないが、そんなラッキーがあるからこそ、「艦娘なんかやめてやるかもぉっ!」と一思いに基地から脱走しない、秋津洲の心の支えでもあった。
「また……坂中にひどい目に合わされたかも……」
彼の前だと極力上司の前では控えてある口癖の「かも」も、自然に出てしまう。はじめのうちはそれこそ口を抑えて自分の素を控えようとしていたが、提督は「オフの時ぐらい、気楽でいい」と言ってくれたのでその言葉に甘えるように惜しげも無く出している。「軍では個癖を失くすべき」とは、艦娘訓練係である坂中中尉の口癖ではあるが、自分を象徴するものをはっきりと認めてくれる上司は、この人だと思うとすごく嬉しかった。
「こら、本人がいないからって、上司の事を他の人間の前で呼び捨てで言うんじゃない。こんな狭い世の中だ、誰かが告げ口しないとも言えないだろ」
「いいもん…!提督はそんなことしない人だってわかってるし、あんなオジサンの言うことぐらい、実戦になったら嫌でもしなきゃいけないかも。耳にタコができるぐらいしつこいぐらいに基本を言わされた上、ちょっと焦って武器を落としたぐらいでぶん殴ってくるなんて、ひどいかも!!」
「うん、それは秋津洲が悪いな。艤装の兵装は思考による完全な制御が可能とはいえ、衝撃とかの暴発が全く無いとは言い切れないよな。その場にはいないから坂中中尉の対応がどうだったかは分からないけれど、今言ったことに関しては完全に秋津洲が悪い」
「でっ、でも殴ってくることはないかも……」
「それで味方に当たったり、ましてや無関係の人間を巻き込んだらお前は責任を取れるようなヤツではないだろ」
「かもっ……」
秋津洲なりの反論を躱された上に、全くの正論を言われながらおでこをちょん、と小突かれる。これを言った相手が、訓練中のあの坂中だと「歯を食いしばらんかぁっ!」で、直上からの鉄拳制裁だろう。
別に秋津洲も訓練中の彼が嫌いなだけで。坂中の人となりまで嫌っているわけではない。課業時間外であった時には普通に挨拶も行いはするし、部隊で催事がある際に、お酒を呑んだりする時なんかにも、別に訓練中のしこりをお互いに持ち出すようなこともない。上司と部下、それだけの淡白な間柄だ。
必要な上司としての躾とはいえ、苛立ちを持ってしまうのは秋津洲も人間であるが故であって、こうして提督に汲み取ってもらうとき以外は泣いてしまうことぐらい許して欲しいとも思う。酒を飲んで紛らわす艦娘もいるだろうが、生憎秋津洲は悲しみを酒で紛らわせるという手段をとっても無意味なくらい酔に強かった。
「頭、痛むのか」
スッ、と手を出してきた提督の細い指が秋津洲の髪に触れてくる。触れられているのは、色素の薄い自分の髪の真ん中辺り。丁度つむじの部分だろうか。坂中にやられるときは、いつもそこに拳を落とされており、生々しく感触が残るところだった。
たんこぶができるような代物ではないが、そこを触れられると殴られた時のことを思い出して涙を自然とためてしまうのは、自分の悪い癖なんだろうかと思ってしまう。
時には、堪らず提督の前で子供のように泣きじゃくってしまうこともあった。その胸を借りてしまうこともある。提督には「身体は戦艦の娘達と変わらないのに、泣き方と顔つきは子供なんだな」と茶化され、「ひどいかも!」と泣き続けることもあった。
こうやって自分を受け止めてくれる提督は、家族の存在が無い秋津洲にとっては兄とも父とも言えるような存在でもあって、お互いに砕けた態度で話し合えるこの一時が秋津洲にとって幸せだ。
「提督が私を秘書にしてくれれば、訓練ともあの訓練オヤジともおさらばできるかもなのに……」
「それは無理な相談だな。俺はまだ、艦娘の秘書がいるほど切羽詰まったことはないし、お前はまだまだ艦娘に着任したばかりの素人だ。戦力外通告も当然なお前が、何の実績もなしにお前を指名してみろ。絶対俺は提督という立場から後ろ指を指される」
「それでもいいのかも!!世の中には、完全に稚児趣味で駆逐艦を置いている変態提督がいるって、友達から聞いたことがあるかも!!そういうのって、人の上に立つべきじゃない最低な奴っかもっ!」
「まあ、ありえてほしくないよな……うん、多分、現実にいないで欲しい…俺もそう信じたいが。ま、だからといってお前だけを特別扱いして、俺がそんな奴らの仲間入りをして欲しいのか?」
「そ、それは嫌かも。提督は皆の頼れる存在が一番かも」
「だろ」
「で、でもう。私って、見た目は大人だし、身長も高いし?提督と並んでいたら少なくとも、できるOL!ッて感じでみられるかも」
「ありえないな。お前みたいな童顔は、せいぜい近所の学生が相場だ。こうやって三日に一回俺の隣で泣きに来る子が、デキる秘書艦だなんて。夢見すぎにも程があるぞ」
「それいうなかも!!」
「ほらその口癖。だからお前は正に笑いのネタの鴨にされるんだ。どうせ仕事の間の時にも、ついつい素の口調を出して厳しい人とかに怒られてるんだろ」
秋津洲は堪えるように歯を食いしばり、子犬のような唸り声を漏らしながら提督の指摘に受け身でいる。もちろん、本気の反発心というわけではないのだが、提督にとっては例え心底本気の怒りだとしても、秋津洲程度の怒りなど精々可愛らしいの域を出ない代物だという。そう言われてしまい、秋津洲に燻ぶる激情は、段々張り詰めを失くしてゆく。
「お前が本気で切れる相手なんて、職場の上司にはしないだろ?そりゃお前が個人的な嫌がらせを受けたら話は別だろうが……訓練もお金を貰っての仕事だ。考えても見ろ、艦娘という勤めはなりたくてもなれるもんじゃ無い」
「別に。なりたくてなったわけじゃないかも。私みたいに、戦うのが得意じゃなければ、速吸とかの特種艦艇適合者みたいに、特務が与えられる程の能力があるわけじゃないし」
「そんなことはないさ。その手に砲を構え、背に在る人々の命を守る。それは、お前たちにしか出来ない無二の使命だ。……けど、やっぱりお前達だって人間だ。日々の訓練に嫌気が差す奴がいれば、戦うことへの怖さを知って、自ら己を殺すのも居たっておかしくはないと思う。艦娘のみんなは真面目で、純粋だからな」
「やっぱり、提督と言う立場ともなると、女子供を命令で使うことに関して他人から糾弾されたりもするかも?」
「無いとはいえないさ。はっきりと耳に聞こえるところから言われたことだってある。艦娘には俺の目の前で堂々と非難する肝の据わった度胸の塊もいるけど、あんなのとは全然違うな。例えば、民間人が基地の門に集まって、『艦娘を開放しろ』と訴えるデモ隊とかからは、目の敵のように見られているだろうね」
世の中には、自分達の状況と考えが結びつかない人達なんて、幾らでもいるんだから。
提督はそう付け加えて、苦笑しながら呟いた。
「中には議員なんて、『艦娘と結婚する将校は、立場を利用した女性への差別』とまあ、一回聞いたらインパクトの有るような、過激な発言をする奴も居るんだ。この国に艦娘の差別なんて、本来あるわけ無いはずなのにな。同じ人の血が通った、同じ同志だ」
提督が言うような噂は聞いたことがある。しかしそれも、秋津洲にとっては目に見えるところで絶対に起きてほしくない現実だとは思った。少女漫画のように、自分の好きな相手にそう命じられたらどんなロマンだろうとも考えたことが無いわけではないのだが、それらはフィクションの中だからありえることで。この提督に無理やり命令で従わされることとなったら、それはそれで嫌な思いをするんだろう。
中には物好きな女もいるかもしれないが絶対的に常識の範疇にはないだろうと、秋津洲は一人首を縦に振った。
「それで?お前はやっぱり、艦娘なんてやめて普通に暮らして生きていきたいと思うか?」
それは……と、言いよどんでしまう。正直、こんな民間人のような気の抜く暇もない空間に四六時中閉じ込められる毎日にうんざりする。外出中に見かける民間人の女の子たちが羨ましく見えて仕方ない。
それに、いつも自分が嫌な想いをするのは、訓練で惨めな自分を実感するときなのだ。
自分より年下に見える、駆逐艦の子供達にも負ける砲戦能力。適性の違いから秋津洲の水母艤装は甲標的の搭載が出来ず、雷撃能力すら無いため、総合的な攻撃力では雲泥の違いがある。
訓練では自分達のような特種艦艇は、駆逐艦が主に装備する比較的小口径の砲塔を用いて行う。中でも、“12.7mm連装砲”と名付けられたそれは、艦娘にとって最も扱いやすい装備であり生産性から数も揃えられるからだ。人間の銃で例えるなら、撃つ時の感覚と扱い方はアサルトライフルに近いだろう。
秋津洲はその基本中の基本とされる武器の扱いでさえ苦手だった。通常、艦娘の兵装は艤装側がその衝撃や発射の補正を行うのだが、艤装の中にはそのアシストが著しく低いものがある。それらは主に前線での戦闘が考慮されていない艦種であり、艦娘のように六人一班で隊列を組み、あらゆる艦種を並べて戦闘を行うという運用に最適されたものではないからだ。
艦娘には、作戦上やむを得ず、工作艦、補給艦なども前線の隊に組み込んで運用を行う場合もあり、それらに備えて日々の訓練に例外なく、特種艦艇も含まれている。中でも秋津洲は艤装の性能が低いのに加え、本人の射撃センスすらお世辞にも高いとはいえず、苦汁をなめている。
こんな自分は、要らないんじゃないかと。提督のような人間が率いる精鋭の中に自分がいちゃいけないんじゃないかって。
お気に入りの翠の艤装も、艦娘としての人生を始めた時に与えられた大艇ちゃんも手放してでも。自分のような人間は、ここにいる資格なんかと、思えるくらいに。
きっとその時は、この秋津洲という名前すら捨ててしまって何にもなれない女として、生きていくしか無いのだろう。
そんな自分の未来を考えてしまうと、また涙が出てきた。
「……お前は、真面目だな。だから、自分の精一杯が散々で、お前の考える誰かの理想に敵わない自分が、許せないんだ」
そう宥めるように言い、提督は秋津洲にハンカチを差し出した。それを涙に塗れた右手で受け取ると、目頭にかぶせる。彼と同じ匂いをほのかに感じる。
「私は、坂中中尉にも……!同じ艦娘の仲間にも、目の前でドジやる度に自分が要らないって思われているように思えて……!だからっ、私は提督の隣に立てるような艦娘になりたいのに、絶対になれないって事を突きつけられてるみたいでっ…!」
震える背中を手を添えられるが、秋津洲の震えと涙は収まらなかった。提督は小さく息をつくと、しばし何かを考えるように空を仰ぎ、数秒の後に秋津洲に提案した。
「俺の部屋に来るんだ」



基地司令室。基地の隊員達からは通称、執務室とも呼ばれるそこは、提督と呼ばれる彼が恒常的な業務を行う部屋だ。秋津洲は顔を僅かに伏せたまま大艇ちゃんを兵装ドックに送った後、そこまで通されて、室内のいかにも高級なソファを勧められて腰を落としていた。
部屋の中にある絵画などの装飾を目に入れているうちに、わざわざ提督が朱塗りのトレイに乗せた紅茶を秋津洲の前において来た。思わず遠慮の素振りをしてしまうが、「いいんだよ、この私物は俺の奢りだ」と、微笑みながらそう言い、部屋の奥にそびえる執務席に腰掛ける。
なんでも、彼は元々ちょっと外の空気を水に屋上に出てきたものなので、(これまでに彼と会う日も同じような理由がほとんどだった)デスクワークを半端な状態で放置してしまったという。すぐに終わると言い、再び彼はパソコンのキーボードを叩き始めた。
その姿を横目で伺いつつ、秋津洲はトレイの上のカップを手に取る。―――甘くて美味しかった。舌に広がる甘みと紅茶から広がる香りが、泣いていたことで震えていた身体を鎮めてくれる。
「そいつは俺の実家から送られたブランド物でな。昔から俺の母親が知り合いを通して受け取っていた奴の余り物なんだ。何分大量に家にあるらしくて、こうして俺の家にまで届いてくる」
「これ、ティーパックみたいな簡単なやつじゃないってこと?じゃあお茶が美味しいのも、まさか提督が……」
「ああ、母譲りだ。喜べ、基地トップ直々のお茶出しなんて、なかなか体験できないぞ……てね」
秋津洲が知る提督の性格は、どちらかと言うとフレンドリーなものだ。人の上に立つ分、はじめこそ遠目から見える厳しそうな顔から、お固い性格とも思っていたが、個人的によく話す間柄になってからは、茶目っ気も感じられる明るい性格だと分かった。
彼の年齢はまだ20代もそこそこらしく、士官学校の実績とその能力から近年この基地に配属されたのだという。それは秋津洲がこの基地に着任して数ヶ月の事だった。それまでは秋津洲が思う提督のイメージは、それこそ坂中みたいな男がふさわしい、声が大きく、体中筋肉がついた、エネルギッシュな中年か、ヒゲを蓄えて威厳という二文字を体現し、歴史の教科書にでも出てきてもおかしくなさそうな顔中にシワを刻んだ初老の男性だった。
目の前の提督は、一見優男にも見えるが、基地総出で行う年に一回の体力測定の時に、普段見られない長袖の下にあった引き締まった体躯から、本当に若くして優秀だと認められた存在なのだと思い知らされた。
基地の中での評判も、一般隊員や艦娘を問わず良い。自分のように、彼に思いを馳せている艦娘もいるという。しかし立場もあって、簡単にお近づきになれるような存在ではなく、秋津洲は自分が数少ない例外ということを思うと、優越感をも覚えてしまう。
「待たせてすまなかった。本部からの連絡があってなそれを済ませてきた所だ。紅茶、気に入ったか?」
「うん……すごく美味しかったかも!惚れ惚れしちゃうかも。大艇ちゃんにどれだけ練習をさせても、提督みたいに上手にお茶を淹れることは出来ないかも……」
紅茶の甘さに少し気持ちも落ち着いて、飲み干したカップを見つめながら応える。
「そいつは安心した。これでも、士官学校で候補生の頃はルームメイトの折り紙つきだ。簡単なセットなら、癖でいつも持ち込んでいたしな……ってか、自分のパートナーにそんなことさせちゃダメだろ」
分身とも言える艤装の一部を使役する秋津洲は、艦娘全体の中で見ても稀有な存在だった。戦闘能力の評価こそ彼女が認める通り皆無だが、意思を持った艤装を扱う艦娘は戦闘以外で活用されるケースも有るらしい。
最も、そのことから高い金で装備を無駄にしている金食い虫と揶揄されることも秋津洲は聞いたこともある。全国にいる秋津洲の同型艦適合者も、そんな非難を受けているとも。
「さて、落ち着いたか?ここなら機密保持のため、防音性もバッチリだからな、屋上で泣くより、ここで泣いたほうが大声も出せるしすっきりできると思ったんだが……いらない心配だったか」
「むっ、そこまで子供じゃないかも!!」
ソファから立ち上がり、膨れた表情を隠しもせずにカップを執務席の横に置かれているトレイに戻しに置く。そして、秋津洲は迷いなく、椅子から立ち上がっていた提督の身体に正面から迷いなく身体を預けた。
「私は……子供じゃないよ……」
―――秋津洲。提督は彼女の名を呼び、その髪を一撫でする。秋津洲に家族の記憶はないが、彼にこうしてもらうと安心する。筋張ってばかりのこの生活で、数少ないリラックスできる瞬間。誰にもこんな自分の弱みを見せたくないが、提督だけには別だ。
「私は、貴方の横に立てるような艦娘で居たいかも……」
こんな風に、自分を受け止めてくれる人が欲しい。甘えられる人が欲しい。彼の隣に立てれば、気兼ねなくそれが出来てしまいそうで、自分が立場を投げ出さずにこの基地に残っている理由が、あまりにも自分の身勝手すぎる理由に腹が立ってしまう。
それすら、彼の胸の中だと消え失せてしまえるから不思議だ。
……彼を、誰にも渡したくない。
「そう言ってくれるのは嬉しいさ。だがな、艦娘だろ。最低限の勤めを果たさなきゃいけないのが、お前達の勤めだ。お前は子供っぽいが、子供じゃない。理解できるよな」
「うん……」
「だったら、気が済むまでこの部屋に来たら良いんだ。お前が潰れそうなときとか、泣いてしまいそうなときとか……どんな理由であれ、秋津洲がここに居たいって理由があるなら」
その言葉を耳にして、秋津洲は声を殺しながら提督にしがみついた。その顔は提督から見えないよう伏せていたが、提督はただ何をするわけでもなく。秋津洲の心が落ち着くまで、彼は胸の中の華奢な身体を受け止め続けていた。



「次!秋津洲!!」
「はいッ!」
水上機母艦艦娘、秋津洲が訓練係、坂中中尉から名を呼ばれて応える。
提督に自分の心を伝えた翌朝、気を引き締め直した彼女は再び港の沖に艤装を纏い、訓練用の連装砲を正面に構える。

昨日と同じ、海上に静止している円形の的。波の影響で照準がブレる中、秋津洲は集中し、昨日の夜中に部屋に戻り、常夜灯で何度も読み返した教本を読み返した内容を反芻させる。
小さく息を吸い、息を吐いて胸の上下を止める。片目を閉じ、撃ち貫いてやるという覚悟と意思を持って、重い鉄の塊である砲塔を、真っ直ぐに向ける。
照準―――発砲。反動を艤装が殺し、それでも無くせない衝撃を気合で乗り切る。次に気がつけば目の前の的には見事な大穴……ではなく、穴の空いた的ごと海上に吹き飛ばされていた。
やったぁ!と叫びたいが、厳格な坂中の前であるのと、その一発に全身のすべてを使い切った事による脱力感から声も出せず、かろうじて踏ん張って立っているのがやっとだった。周りからは、称賛の声が小声ではあるが聞こえてくる。嬉しさが、こみ上げる。
「……やれるならはじめから、やらんか。秋津洲」
「っ、はいかもッ!」
その場から離れた後、珍しく柔らかい声の坂中かと思えばまたすぐに厳しいそれへと変わり、後続の艦娘に怒声を浴びせる。次に指名された駆逐艦の少女が飛び上がって、慌てて自分の砲塔を構える。
そうだ、私はまだやれる。提督から勇気をもらえる限り、この基地で一番弱い艦娘と言われようと、潰れやしない。
秋津洲は砲塔をマウントし、陸の奥に見える、昨日の夜いた庁舎の一角を見つめあげる。その部屋で業務に追われる提督の姿を思い浮かべて、また彼の隣で過ごせる一時を想いながら秋津洲は蒼い海の上を駆けた。