――もういないはずの姉の面影を、今でも夢に見る。
暗闇に閉ざされた瞳に映る、顔のぼやけた姉の背姿。それが遠ざかるのを目の当たりにしては、幾度もなく涙を流しながら腕を伸ばしてきた日々。
あの時があったから今の私がいる。


行かなくちゃ。一番の花騎士になるために――
昔、そう言って私は家を出て、騎士学校の門を叩き、主席で卒業した。
親身になって面倒を見てくれるスズランノキや妹分のニシキギにもいっぱい褒められるほど、私は強い花騎士になった。
それでも。私の求めた『一番の花騎士』には程遠い。
カエデお姉ちゃんの強さに、届いていないことぐらい、すぐにわかった。
だから、ただひたすらに努力を行なった。
やれることから積んで重ねて、ただひたすらに剣の腕を磨き上げて来た。
そして……ついに、その努力が実った時が来た。
己に宿った世界花の加護……『進化』で止まっていた加護の強さが目覚め、世界花から授かった魔力のすべての力を発揮できる『開花』の加護へと至ることができた。
友が、騎士団の職員が……そして大勢の民が私の『開花』を祝ってくれた。
ねえ、お姉ちゃん。
私はお姉ちゃんの背中に少しでも近づけたかな。
『開花』は本当に守りたいものを見つけた花騎士だけがなれるという話を、前に、団長から聞いたんだよ。
私が見つけたモノ――それは、『誰もが認める一番の花騎士になること』。
かつて、お姉ちゃんに焦がれた自分のように、花騎士を目指す少女たちの目標になれるような花騎士に、なりたい。
それって、お姉ちゃんも夢見た目標だったりしたのかな。
お姉ちゃんも、私のように『一番』を夢見て、最後まで害虫に立ち向かっていったのかな――……



「……う」
目蓋を焼くような光に照らされたことに気付いた私は、意識が引き戻される感覚に襲われる。
硬い木のテーブルに頬を当てていた私は目をこすりながら顔を上げた。
時刻はすでに夕方だった。
赤く染まった太陽が窓の間から差し込み、己の顔を焼いていたのだ。
ここは騎士団の城の待機室だった。
今日の任務を終えた私は、団長に任務の報告を終えたあと、急に眠気に襲われて待機室に転がり込んだのだ。そのままテーブルに突っ伏してしまったらしい。
開花したばかりの力。己の物にした無双の一振りの力を、強敵と恐れられた害虫に存分に発揮してきた今日。害虫との戦いの日々に慣れてから、ここまでの疲れを感じたことは一度もない。
だが、心当たりがあった。
まだ騎士学校にいた頃、初めて経験した実戦において、未熟だった私は己の持てる限りの力を小さいアリ型害虫にぶつけて倒した後、今日のように疲れがのしかかってくる感覚を覚えたことがある。
「まだ、体が『開花』に馴染んでない……ということかな……」
力を求めて、ただ闇雲に剣を振るってきた日々。
他の花騎士が次々と『開花』していくという、辛酸を嘗めさせられるような地獄の日々を。あがき、もがき、そして立ち上がってきた自分。
姉に追いつくために。先に『開花』に目覚めた戦友においていかれないために。剣を手放さなかった。
害虫によって失われてはならない無辜の命を守るため、これまで血反吐を何度吐いたかなんて、覚えていない。
その全てが、今の自分に繋がったことを思うと、嬉しくて仕方がなかった。子供のように一日中はしゃぎまわりたいほどの喜びが身体を貫いた。
そして……何より――民も友も大事だけど、一番守りたい人を守れる力を得られたことが嬉しかった。その力を存分に振るえる事のできる今が、幸せだった。
「民に目されている花騎士が、何こんなところで寝てるんだ?」
「団長……」
「うちの騎士団の人気ナンバーワンが、こんなところで風邪でも引いたら、笑い話。だろ?」
突如聞こえてきた青年の呆れ声に対し、私は反射的に入り口の方を振り向いた。
開けっ放しだった待機室の扉には、見慣れた礼服を身に着けている青年……自分たちを花騎士を従える、団長がそこにいた。少年のように明るい表情でありながら、歴戦の戦士としてふさわしい落ち着きを宿した佇まい。
私がただ一人、花騎士としても女としても認められたいと心から感じた男の姿だった。
「……みてくれや、戦いの派手さで得られた民の人気など、私は求めてません。私の目標は最初から、『一番強い花騎士』。『開花』を経た今、スプリングガーデンの誰よりも追いつける力に、私は今、届きつつあるはずなんです。この力を極めていけば……」
「そんな高尚な目的を掲げるフリして、下手な誤魔化しをするな。……そろそろ肌寒くなってきたんだから、少しは自分の体も大切にしてくれ。加護があるとは言え、『開花』の服になってもただでさえ肩とか足とか丸出しなんだから……ほら」
「これ……団長の服……」
彼のぬくもりを秘めた白い上着。団長はその下のカッターシャツ姿で、私の方を向いて言う。
「副団長のモミジに貸すくらい、造作も無いよ。なんてったって、いっつも俺の執務室に入り浸っている身だしな、モミジは」
「それが副団長の勤め。騎士団における一番の花騎士が行うべき勤めです。私は、剣も机も、どちらでも一番になれます」
「わかってるよ、モミジの頑張りは俺が一番知っている。保証する……だからそんなムキにならないでって。……さて、一休みできたんだし、上に上がらないか?あったかいもの、用意してるんだ」
「命令とあらば」
「だから、そういう人形みたいな返し文句はやめてくれよ……って、これも言ったの、何度めだろうな」
「うふふっ」
冗談ですよ――と付け加えた私は、彼の誘いに頷いた。ちょうど上の階にある団長の執務室に二人で足を運んでみると、テーブルの上にすでに入れられていた血のように赤い液体から、甘い香りが漂っていた。私と団長は部屋の壁際にあるソファにテーブルを挟んで向かい合って座った。
「さっき入れたばかりのアッサムだよ、はい」
「いただきます」
執務室には誰もいなかった。
秘書業務を日頃から務めるナズナも、日頃から執務室に出入りする他の花騎士の姿もいない。とっくに時刻は課業時間をゆうに超えているのだから、他に人がいないことは当たり前の光景だ。
むしろ、団長がここにいるほうが本来はおかしい。
彼も定時には大抵仕事を終らせる人間だと言うのに。私はそれを彼に問い詰める。
「目くじら立てるなよ。ちょっとやり残したことがあって、それ消化してたんだ。さっき終わったばかりだから帰ろうとしたらお前が下で寝てたもんだから、お茶淹れて、また待機室に行ったんだよ」
「……わざわざ私の寝顔見て、執務室まで往復してたんですか?そんなことしなくても、起こしてくれればすぐ帰るか、こちらに参りましたのに……どうしてそんなことをしたんです」
「……そしたら、お茶できあがるまでお前を待たせるだろ。好きな女の子を退屈させる真似なんて、かっこ悪すぎだって」
平然とそんなふうなことを言われて、私は続く言葉を失ってしまう。そんな正面から、『好きな女の子』って。
「あ……」とか、「う……」とか、曖昧な言葉……いや、言葉以下の音しか発することができない。
きっと今の自分の顔は他の人には見せられないくらい、真っ赤――!
「……ふーん、ベルガモットバレーの木みたいになってるぞ、モミジ。モミジはわかりやすいよなッ」
「ちゃ、茶化さないでください!これは……ッ、そう!紅茶を飲んで血行が良くなったからその現れです!お茶は健康に良いといいますし、花騎士ならきっと魔力の効果もあって効果てきめんですともッ」
「あははっ!本当にモミジは嘘冗談のたぐいが下手だな……!ありのまま、思ったままを口にしただけで、そんなわかりやすい反応が出るなんて……はは……!」
「も、もう~!団長ったら!」
「でも、嘘は言ってないつもりだよ」
笑い終えて満足そうにしている彼がお茶を飲み終え、カップをテーブルに置いたあとでそう言う。
彼の好意の言葉を胸の内で繰り返すたび、胸の奥が熱くなるのを感じる。
「……『開花』おめでとう、モミジ」
「……何を突然。数日前に、騎士団総出で祝ってくれたじゃないですか」
「俺が言いたいと思ったんだよ、今……騎士団を始めてからずっと、お前は未熟な俺の横で、『一番』の強さを奮ってくれた……それらの努力がやっと実ってくれたんだから、俺は何度だって、モミジを褒めたり、祝ってあげたいって、思ってる」
感謝を伝えたいのは、自分も同じだった。
姉の背中を追うことにしか見えていなかった自分独りでは、届かなかった境地。
対抗心を燃やしてばかりで、使命感に縛られながら剣を握ってきた日々。
それを間違いだと正したのは彼だ。
そして彼の横で、剣を真なる意味で握り、本当に持つべき戦う理由を見出した。
それが開花へと至る、一番のキッカケとなってくれたのだから。
「……貴方のおかげです」
だから、私も彼に負けないくらい正面から感謝の言葉を続けた。
「貴方が、私を戦士にしてくれた。この世界に住む、沢山の人々を守れる花騎士に、してくれた。だから私は、自ら人々の笑顔を照らせる太陽になれたんです。閉じた瞳の暗闇の中にとらわれていた私に、光を宿してくれたのは、貴方なのですから……もう私、何度目を閉じても、苦しい思いをしません。だっていつもすぐそばに、貴方という光があるのですから」
私は、あえて『団長』という言葉を使わずにそう告げた。
自分という一人の人間を支えてくれた、彼という一人の人間に対する感謝の言葉から来たものだった。
彼がいなければ、自分は太陽になれなかった。
だから私は、自分を救ってくれた彼のことを、大切に想っている。
「俺だって同じだよ」
「え――!」
「お前が太陽なら、俺は月だ。俺は戦えない人間だ。だから、花騎士という輝く存在がいなければ、何もできない力のない人間。……モミジがいたからこそ、俺、お前をもっと輝かせてあげることができたんだと思う。……俺だって、お前を照らしてあげたいよ。お前から受けた輝きで」
それはモミジとこれからも戦乱の世界を共にする誓いの言葉だ。
モミジだってこれからも、彼とともにいたい。戦って行きたい。
彼と一緒なら誰よりも一番強くなれる。誰よりも。誰かの命を守れる。
きっとそれは、お姉ちゃんよりも、もっとできる。そう信じてる。
「……あ、そうだ。それにしても団長。このお茶、少し冷めてませんか」
「えっ……ああ、お前を起こすために部屋を空けたの、まずかったかな……分かった。淹れ直すからそこで待ってて」
私は団長に出任せを言って彼を団長席の方へ促した。
手元にあったアッサムは温くなってなどいない。
しかし自分の演技力も案外捨てたものじゃないらしい。自然に聞こえるように努めて平然にそう言うと、彼は思い通りの行動を起こしてくれた。茶具にばかり意識が行って、自分のことなど気にも留めていない。
「えっ……!」
故に、彼の体に背中から抱きつくことはあまりにも容易かった。
潜入任務の実践でも一番の結果を得てきた自分だからこそできる行為だった。さらに私は彼の耳元で続けた。
「……さっき、貴方は私のことを褒めてくれましたよね……そして、何度でも褒めてくれるって言いました」
「……ああ、嘘じゃないよ」
「私、それだけじゃ足りないんです。ずっと団長の横で、欲しかった言葉ばかり頂いてきましたから……図々しくなってしまったんだと思います。……言葉よりも嬉しくなるものを、私にください」
口にした後で、自分でも大胆になりすぎたかな、とも思った。
しかし、私は自分の気持ちに素直になることを決めている。
凝り固まった己をほぐして、女としても戦士としても生まれ変わらせてくれた彼を求めて、何が悪いのだろうか。
自分をこんなにしてくれた男を、好きで何が悪いのか。
好きな人から大好きなご褒美を欲することが、間違いなわけない。
彼は無言で私の求めに応じてくれた。
少しだけ身体を離した後で、振り向いた彼の赤い顔が自分の顔に近づく。
彼に触れた唇からは、どんな紅茶よりも甘い味を感じた。

 



彼と一緒なら、ずっと戦える。この『開花』の力で、害虫との戦い、最後まで戦い抜いてみせる。
だから……安心して。
何も心配せず、空の向こうから、私を見守っててね。お姉ちゃん――