PHASE- 13 雨に濡れるあやかし 前編


太陽の光が差し込んでくる。
さっきまで雨風が自分に吹いていたはずなのに、不思議なほど空は輝きを増していた。
私は、気がついていたら仰向けに倒れていた。
それどころか、意識さえも有していた。
自らの体を持った感覚。それを確かめるために、頭を動かして、辺りを見回す。
そして、自分の目で視認して見る。
木、木、木。
木がたくさんあった。
上を見上げると、蒼い空と光源の太陽がある。
下を見下ろすと、黄土色の地面が広がっている。
自分を見てみると、人間と同じような健康的な肌がある。脚がある。手がある。
よく見てみると、自分は服を着ていることが分かった。
水色のミニスカートとベスト。白い上着を私は纏っている。
ふと、右手の方を見る。
紫の唐傘。
例えるなら、葡萄、茄子。深い紫で彩られた唐傘。
傘の傘布は畳まれ、棒の様に細い。
私は、傘の柄にある摘みを触り、傘を開いてみる。
―――バッ。
勢いよく紫の傘布が開き、布の表面に仕込まれていたらしい、一つ目の装飾と真っ赤な舌が伸びる。
まさに絵に表したような一つ目は、紫の傘布と相まって、不気味な雰囲気を辺りに撒き散らしている。
私は無意識に、右手にある唐傘を回してみる。
―――くるり、くるり。
紫の傘が回る。
真っ赤な舌が、円の描くように回っていく。
―――くるり、くるり。
傘を回すたびに、自分を包んでいた曖昧な意識が鮮明になっていく。
傘を回すたびに、自分が何でここにいるかを思い出す。
―――そうか、私は。
傘を回すたびに、自らに芽生えた“心”の底から怒りと寂しさの情が湧き出てくる。
―――人間に、捨てられちゃったんだ。
回していた傘を止める。
ピタッ。と、回転が止まった傘の舌は、重力に従って下にだらしなく垂れる。
―――私は、人間に捨てられた。
―――粗末に扱われて、捨てられてしまった。
気付いてしまった絶望に、私は目から液体を零す。
自らが傘の時だった曖昧な記憶から思い出せば、この液体は、『涙』というものだとか。
私は捨てられた悲しさで、涙を流していた。
数分後。
私は、涙を上着の袖でふき取る。
そこで、自らが空腹だということに気付いてしまった。
お腹の辺りから、音が鳴る。
人間ならば、肉だの魚だの腹に入れれば、解決するだろう。
しかし、私は本能的に自らの欲する物の正体がわかってしまった。
―――人間の“心”。
脳裏に過ぎたその単語を認識した途端、私は人間を探すために動いた。
自らの足で、ひたすらに。只ひたすらに。
そして、森の中に人がいるのを見つけた。
私は迫りくる空腹感から人間に襲いかかろうと、勢いよく人間の目の前に飛びだした。
その時の私はどんな表情をしていたのだろうか。
その人間は私を見るなり、大声を上げて驚愕し、その場から立ち去って行った。
途端に、自らを充たしていく満腹感。
人間を襲いかかる前には無かった、充実した感覚。
自分は、人間を取って食おうかと思っていたのに、とんだ誤算から生じたことで、自らの空腹を埋められる物の正体を私は知った。
―――心。自らが欲する食い物。
―――なるほど、心とはこういうことか。
私は、そこで自らの腹を充たす物がなんたるかを知った。
そして同時に、自分は人間ではないことにも。
ならば、私は何なのか。
人間に捨てられた、道具。しかし、その道具―――“私”―――は自らの手足を、意思を持ってしまった。
―――人間と同じように、この世に生を受けてしまったのだ。
人間ならば、自らを示すために“名前”がある。
―――ならば、私も自らの名前を得よう。
私は右手にある傘を広げて、柄を肩に乗せる。
数刻、考えた挙句。自らの名前を私は思いついた。
―――私が、この傘の生まれ変わりだとするならば。
―――私の名前は……小傘。
―――人々から忘れられてしまった、愉快に生きるから傘妖怪。
―――多々良小傘だ。
私は、自らの存在を、今日手に入れた。

「シン、早苗!」
里の道路の奥から、水色の服を纏った少女がこちらに走ってくる。
河城にとりだ。
シンと早苗は、にとりの手伝いのために、里で買い物をしていた。
先程、霊夢と別れて買い物を全て済ましたシンと早苗のもとに、にとりが駆けよって来たのだ。
軽快な足音が、二人に近づいてくる。
彼女は軽く息を荒げて、シンの前で足を止める。
「買い物は、済んだかい?」
にとりがシンに問う。
走って来たせいか、ほんのり顔が赤くなっている。
「ああ、色々あったから大変だったけどな」
「中々楽しかったですしね」
シンが応答し、早苗も彼に続いて言う。
手に下げた買い物袋の一つを、にとりに渡す。
「おおっ。シンと早苗のお陰で、シンのスーツが直せそうだよ。これだけあれば、何か作れるかもしれないし」
水面の様な瞳を輝かせてにとりが微笑む。
シンはもう一つの袋をにとりに渡す。中身は先程の物とは異なり、食料品が入っている物だ。
「こっちがほら、きゅうりとかご飯とか。すんなりと見つかったよ」
「うん。シン、ありがとう」
シンが渡して、彼女が礼をする。
にとりの笑顔を見ていると、彼の心も嬉しくなった。
「これで、用は済みましたね。そろそろ戻りますか?」
早苗が言う。
人里でこれ以上の用件は、三人とも持ってはいなかった。
じゃあ、帰ろう。にとりがそういって村の外に歩みを進めようとした瞬間、
「えっと、そこに居るのは風祝さん……?」
三人の背後から囁くような声が聞こえた。
済んだ、優しい少女の声。
シンが振り向く、そこには。
見た目は10歳ほどだろうか。その少女は、緑色の着物に、花柄の黄色い上着を羽織っている。
だいだい色の大きな結び目の下には、赤い袴を履いており、紫色のショートヘアには、花をあしらったリボンを付けている。
柔和なその表情は、幼い見た目とはかけ離れている、落ちついた雰囲気を出していた。
両手に持っているのは外出用の唐傘だろうか。日に差している傘の影から、彼女の双眸がこちらを覗いていた。
「阿求さんですか?お久しぶりです」
「…阿求?」
早苗が彼女を見て言う。
シンは彼女の名前と察しながらも、早苗に質問の意を示す。
「あちらの彼女は、稗田の阿求さんです。私は依然彼女に会ったことがあるのですよ。…それっきりでしたが」
「稗田阿求…へぇ」
「私は初めて見るな…たしか噂だと、“幻想郷縁起”なるものを作っている人物だっけ」
シンの問いに、二人が返答する。
その間に、阿求と呼ばれた少女が早苗の前に立つ。
「しばらくでしたね、東風谷早苗さん。えーと、そこの河童さんは分かりますが、そちらの少年さんは?」
優しい口調で疑問を示す。
その仕草は、上品で優雅だ。どこかの有名所の生まれなのだろうかと、彼は察する。
彼女の興味がこちらに向いたことを悟り、シンは自己紹介をする。
「えーと、稗田阿求……さんでしたっけ?俺の名前はシン・アスカと言います。早苗によると、外来人らしいです…俺」
「あらあら、珍しいこと客人ですね…私は稗田阿求。宜しくお願いしますね、アスカさん」
会釈をして、上品な態度を取る。
可愛らしいというより、美しいといった表現が似合うくらいに。
「そうそう、早苗さん。貴方に頼みたい事が丁度あるのです」
「はい?何でしょう?」
「今日、私は珍しく休みを取ることが出来て、里を散歩していたのですが、村の子供たちから良からぬ噂を聞いたのです」
「良からぬ噂?」
早苗が問い、彼女が続ける。
「ええ、小耳にはさんだ事なのですが、この里の夜中に、傘を持った妖怪が出没するそうなのです」
「妖怪…だって?」
「悪さをするのか…?そいつは」
阿求の言葉に、他の全員が疑問の表情を出す。
早苗はそれを聞きながら、真剣な表情になる。
「いえ、悪さをするというより…どうもその妖怪は、出て来た途端に“おどろけ”と、言いまわっているそうなのです。しかし、その妖怪によって驚いた人は一人もいないそうで…子供達は今度懲らしめてやろう!…と言っていたのですが、私としては無用なトラブルが里で起きて欲しくありませんからね。霊夢さんに頼もうかとも思ったのですが、そんなに脅威で無い妖怪に彼女を送るといのも、やり過ぎな感じもしますので…」
「つまり…どうしてほしいの?」
にとりが結論を聞く。彼女に言われて、阿求が依頼の内容の結論を言いだす。
「私としても、珍しい妖怪なら直に眼で見たいので、早苗さんに捉えていただきたいのですよ。それを」
阿求が屈託のない笑顔を浮かべて告げる。
見ている方も笑顔になりそうな、明るい表情だ。
「わかりました、阿求さん。この風祝の東風谷早苗。霊夢さんに負けない様にその妖怪を捕まえてみます!」
早苗がガッツポーズをとって、元気に阿求に告げる。
シンも早苗の横に並び、
「俺も手伝うよ、早苗」
「シン…!」
「どんな奴か知らないけど…得体のしれない奴だったら俺だって許せないし。早苗にはまだまだ借りがあるしな」
シンは純粋に早苗の手助けをしたいという思いから言った。
それに、里に出没する妖怪を見てみたいという好奇心もシンの中には少なからずあったゆえにだ。
シンはそう告げた後、にとりの方に向いて、
「にとりも来るのか?」
と彼女に言う。しかし、
「私もみたいんだが…生憎お前のスーツを直しておきたいし、研究してる物もあるからなぁ…残念だけど、私は行けないよ」
「ああ…ごめん、にとり」
「気にするなって。シンは里の子供を護りたいからそう言ったんだろ?私は大丈夫だから、行っておいで」
口調は強気だが、優しい表情と声でシンに接する。
「にとり…サンキュ」
「そのかわり、今度一緒にいてもらうよ。私だって、シンの機体をもっと見てみたいし…な」
ほんのり上気しながら、シンに囁くにとり。
シンはそれを聞いて、
「ああ、まかせろ。これが終わったら、また戻るからな」
にとりの頭を優しく撫でながら、再会の約束をした。

―――深夜。
里の活気は静まり、人の姿も無くなってしまった空間。
人がいると示す手掛かりは、各地の民家から漏れる光だけだ。
そして、阿求の依頼を受けて、二つの人影が、里を歩いている。
依然、セーラー服を身に纏っている東風谷早苗と、私服を来ているシン・アスカだ。
早苗は、妖怪の襲来に備えて、御幣を片手に歩いている。
いつでも、反撃に移れるように。
シンも、右手にフラッシュエッジを構えている。
にとりから託された力を、シンはいつの間にか当てにするほどに信頼性がある代物だ。
二人は里の路地裏を進んでいく。
阿求によると、出没の場所は出鱈目らしい。
だから、二人は警戒しながら里を手当たり次第に見回っているのだ。
「まだ…出てきませんね…」
早苗がシンの耳元で囁く。
「向こうはどうだか知らないけど、もうこっちを捉えてるかもしれない…油断するなよ」
辺りに視線を散らしながらシンが言い返す。
暗い闇の静寂の中、シンと早苗は静かに歩く。
足音以外の音が聞こえない。
このまま何も出ないのかと疑うばかりに、静かだ。
「―――!?」
そこで、一つの足音がシンの耳に聞こえた。
―――カラン。コロン。
「何でしょう?シン!?」
早苗にも聞こえたらしく、シンに問う。
シンは答えずに、眼の前から聞こえる足音に注目する。
下駄の音。シンは近づく足音の正体を察した。
妖怪と思わしき影が近づき、里の照明がそれをうつし出す。
両足には、察した通りの下駄を履いている。
健康的な脚の上には、水色のミニスカートとベストが見えた。どうやら、女性の妖怪らしい。
肝心の上半身の全てはまだ見えない。だが、顔があると思われる位置からは、一つ目の妖しく光る赤い瞳が二人を捉えていた。
「そこのお二人、こんな夜更けに出歩きかな?」
暗闇の奥に居る妖怪から声が聞こえた。
想像していたのとはまるで違う、高くて明るい声は、口調と見事にミスマッチしている。
微塵も、恐ろしく感じなかった。
「なんですか?貴方は?」
早苗は目の前にいる妖怪に言葉を投げかける。
しかし、妖怪は。
「なんと、わちきをみても恐れをなさないのか?うらめしや~」
赤い一つ目が喋る。シンが喋るより先に、続けて早苗が。
「ええ、そんな明るい声で言われても怖くありません。ちっとも。想像していたのとは大違いです。シン、やりましょう?」
「あ、ああ・・・」
強気な表情で、早苗が告げる。
確かに、眼の前の妖怪は、怖いと思える要素が殆ど無い。
最初こそ疑問に思った暗闇から覗く赤い一つ目も、所詮は疑問が限界だ。
シン自身も怖いとは思わなかった。
「シン!右から回り込みますので、前へ!」
早苗が妖怪のもとに駆けだす。
「えっ…!えっ!?」
突然の彼女の行動に、妖怪も面を食らったらしい。
早苗が札で牽制を掛けながら、妖怪の後ろに御幣を叩きつける。
続けて、シンも眼の前の妖怪に駆ける。
「前に出るぞ!」
シンは目の前にふら付く妖怪に飛びかかる。
両手で妖怪の腰に手を回し、完全に身動きが出来ない様にシンは掴む。
「やぁん!離してよ!」
シンが捕まえた途端妖怪が声を上げて、手にある長物を振って暴れ出す。
紛れもなく、少女の声だった。
「観念なさい!そこの妖怪!」
早苗がシンに駆けより、妖怪の長物を蹴り飛ばす。
里の照明が、転がった得物を照らしあげる。
「これって…傘?」
シンがそれをみて呟く。
妖怪の持っていた物は紫色の唐傘だった。
「離してっ!返してよ、私のっ!」
シンの腕の中で妖怪が抵抗する。
「大人しくしなさい…ッ!」
早苗がシンの抱える妖怪を照明の方に押し倒す。
激しい衝撃で、妖怪の下駄が脱げ、辺りに転がってしまう。
そして地面に倒れたことで、妖怪の全貌が明らかになった。
暗闇で見えなかった、妖怪の彼女の整った綺麗な顔は幼い。シン達より2,3年下に見える。
明るい水色の髪から覗く瞳は、左目だけが赤い。
所謂オッドアイと呼ばれるものだ。
慌てて、彼女は落ちている傘を拾う。
そして、こちらに鋭い視線を向けながら、舌を出す。
二人が鬼のような形相を想像していたのとはまるで違う、華奢な細い体の美少女。
シンと早苗はその姿に驚いていた。
「…女…の子?」
「そうですね…こんな年端もいかない姿の子が…正体だったなんて」
二人は涙目になっている少女を見下ろす。
少女の方も逃げることを諦めたらしく、
「なによ~お腹が減っているから人を脅かしてたのに、あんた達は私を退治しに来たってわけ?」
「お腹が減っている…?」
シンはその妖怪の言葉に注目して問う。
「君はお腹が減っているのか?」
「そうよ!だけど、私は人間の驚いた心からのエネルギーを食べないと生きていけないの…このままじゃ私死んじゃうよ……」
強気な口調がどんどん弱気になって行くのが分かる。
妖怪の少女は徐々に瞳に涙を浮かべながら喋っていた。
「それでも、里で妖怪が人を襲うのはいけないことです」
「でも、私だって死にたくないんだもん…」
早苗が厳しい口調で問い詰める。
そこで、シンが遮る。
「早苗、そこでストップ」
「え…シン」
「この娘もなんか限界みたいだしさ…とりあえず、この妖怪を動けるようにしよう」
シンは早苗をたしなめ、妖怪の少女の前に出る。
「えーと、君、名前は?」
「ううっ…ぐすっ。こがさ。多々良小傘っていうわ」
「小傘…ちゃんか。お腹が減っているんだったよな」
「うん…でも、人間の食べ物じゃダメなの…」
「どうすればいいんだ?」
シンは解決の方法を彼女に聞く。
「私に驚いて欲しい…ぐすっ、人間の驚きに生じる心のエネルギーが私の栄養になるから…」
涙声で小傘は言う。
しかし、驚けといわれても、彼女のどこを見たら驚くのかシンは見当がつかなかった。
スカートから覗く健康な脚。綺麗で幼気な顔。怖いというより、可愛らしいという言葉が非常に似合う。
「わかった。試しに脅かしてみて」
シンが優しく小傘に言う。
小傘は赤く腫らした目を向けて、
「うん…わかった。え~と、うらめしや~」
「ぷっ…ふふふ…可愛いすぎる…!」
涙を流しながら、小傘がシンに両手を垂らして言う。
しかし、涙で濡れた顔に、震えた声は、一切恐怖を覚える代物ではなかった。
早苗に至っては、忍び笑いを漏らしながら必死に堪えていた。
「これじゃ無理だよ…」
小傘が俯く。
「ああ…ゴメン。だけど、これじゃあ…」
驚けないよ―――
シンは小傘に言う。
「ううっ…そんなぁ」
お腹からグウと音を鳴らしながら小傘が倒れ込む。
シンは倒れかける小傘を受け止める。
「大丈夫か!?小傘ちゃん!」
「う~ん…」
その様子に早苗も近づき、解決の思案をする。
「どうしましょう…」
「人の驚きか…早苗、なにかアイデアは?」
「そうですね…驚くようなこと…ですか。例えば―――」
言いつつ、早苗が小傘の後ろに回って立ち上がらせる。
ぐったりとした様子で立った小傘は、今にも倒れてしまいそうだ。
「シンさん?」
「え、なんだよ」
「……行きますよ」
早苗が一瞬暗い笑みを浮かべる。
その途端、小傘を背中から押して、シンの方に倒れ込ませる。
「「うわあああぁ!?」」
突然の出来事にシンは驚く。
それと同時に、倒された小傘もシンの胸の中で同様に声を上げて驚く。
仰向けに倒され、視界が夜空の方に向く。
シンの上に小傘が重なるように、二人は倒れていた。
その様子を横から見ていた早苗は、
「ふふっ…これなら、小傘さんも驚くでしょ?」
「俺まで驚いたよ!!」
早苗が笑いながら問いかける。
シンは小傘の方を向き、
「大丈夫か?怪我は無い?」
「う…ん。あれ?お腹ももう空いてない…?」
きょとんとした様子で、小傘がお腹のあたりを注視する。
さっきまでぐったりしていた彼女は、一瞬にして元気な表情を浮かべていた。
「やったぁ!なんか実感ないけど、人を驚かした!」
「うわぁ!?痛ッ!?」
小傘が眼の前のシンを強く抱きしめる。
恐らく、興奮の余りからだろう。
「なんか、見ていて嫉妬しますね…私のお陰なのに」
早苗は二人を目を細めて見ていた。
シンは急に態度が変わった小傘を見ながら、
「何でこんなことになるんだ…?」
里の路地で押し倒されながら、呟いた。


PHASE- 14  雨に濡れるあやかし 後編


「なるほど…これが、から傘おばけという物なのですね」
夜が明けて、朝になった人里。
シンと早苗は小傘を捕まえた後、―――捕まえたといっても、一晩中逃げない様に早苗が手を掴んでいたのだが―――阿求の依頼通りに里の広場に連れて来たのだ。
阿求は小傘の容姿を隅々まで眺めながら、手元の書物に彼女の特徴に関する事を書き記している。
後で“幻想郷縁起”とやらに書き込むためのメモを取っているのだろう。
一方の小傘は自身を視てくる阿求の視線に照れながら、大人しく立っている。
時々、阿求に指示されて傘を開いたり、ポーズを取ったりしているが抵抗はしていない。
阿求から生け捕りにしろと聞いたときは、多少物々しい想像をシンはしていたが、どうやら純粋に彼女は観察をしているようだった。
シンはその様子を見て少し安心した。
「な、なんかこうまで人間に見られると恥ずかしいな…えへへ」
「おっと、傘を揺らさないでください。今描きとめているので」
小傘はまんざらでもない様子で阿求の観察に付き合っている。
シンと早苗はそこから少し離れて二人を眺めていた。
そして、数十分が経過した後。
「ええ、これで大体の事は書けました。これだけあれば、縁起のページも更に埋まっていきそうです。小傘さん、シンさん、早苗さん、有難う御座いました」
「ちょっと恥ずかしかったけど…この程度で済むなら別にいいかな」
「ふふっ♪これで私の妖怪退治の腕も上がりました!」
「俺はあんまり役に立ててないけど…阿求…さんの助けになれて良かったよ」
阿求を除いた三人が口々に返事をする。
早苗は阿求に褒められて得意気になっているようだった。彼女にとっては霊夢みたいに妖怪退治が出来ることが嬉しいのだろう。
シンも礼を言われて、固い態度で阿求に接する。
彼女はそんなシンを見て、
「そんなに御固くならずに、アスカさん。年齢だけでいえば私の方が年下ですし、同じ人間なのですからフレンドリーに、阿求。ってお呼びくださいね」
お淑やかな態度で、彼女は告げる。
どうやら、シンが阿求に対する接し方についての迷いもお見通しの様だ。
シンは彼女に深呼吸を促され、息を吸い、吐く。
少しリラックスして、シンは。
「うん、分かったよ。えーと、阿求」
「それでいいのですよ、知り合いになったのですからね。私達は」
柔らかい笑みを浮かべる阿求。
これで、彼女の依頼は達成した。
しかし、ここで一つの問題が起こった。
連れて来た彼女、多々良小傘の処遇についてだ。
阿求は、書物を書き終えたあと“もう自由でいいですよ。”と告げた。
しかし小傘は逃げる様子も無く、シンの近くに居る。
それに早苗も疑問を抱いたのだろう、近づいて小傘に問う。
「どうしたのですか、小傘さん?もう貴方は自由の身ですよ。人里で変なことしなければ」
小傘はシンの後ろに隠れる。昨夜、早苗に撃たれた時の事を意識しているのだろう。
「私…もう死ぬ様な状態じゃないけれど…また、いつああなるかどうかも分からないし……だから!」
「ん…?」
小傘はシンの手を持つ。
そして、
「ここに丁度いい“心”の食料があるもの。帰る所も無いし、私はシンについて行く!」
「はぁ…って、ええ!?」
「俺は食い物かよ!?」
小傘はシンの手を繋ぎながら、胸を張っている。
早苗は驚愕し、シンはその言葉に戸惑う。
―――はぁ。また女の子が増えるのか。
内心、肩身が狭くなる様なプレッシャーを感じながら、シンは顔に手を当てる。
さらには、小傘に非常食扱いまでされる羽目。
阿求と別れ、再び作業場に帰る為に歩く。
シンは先の不安を考えながら、彼女達と共に妖怪の山の麓へ足を動かした。

河城にとりは、“デスティニー”の内部データを参照していた。
もちろん、先にシンには許可を得ている。
変な風には使うなよ。と、釘を刺されてはいたが。
シンに渡した武器は、河童の技術とこのデータを組み合わせて制作している。
非殺傷のレーザーやエネルギーを利用することは、河童にとって容易いことだ。
シンに渡した“フラッシュエッジ”も動力源は河童製の物であるため、生物に致命的な危害を加えない、極めて『幻想郷らしい武器』に仕上がっている。
「ふむ…これはダメだ。転用出来ないなぁ」
にとりがMS用大型ビーム砲のデータを見て呟く。
様々なザフトMSのビーム砲、“ケルベロス”“オルトロス”“バラエーナ”“カリドゥス”等のデータはあるが、どれも非殺傷、人間サイズにしようとしても叶わない物ばかりだ。
例え携帯化できても、有り余るエネルギーは暴走や、思わぬ威力によって対象を殺しかねない恐れがある。
にとりはシンの事を念頭に置きながら思案する。
―――あいつは、誰かを傷つけたくないだろうな。
内心呟きながら、目を通してゆく。
一通り見終わった所で、機体から外に出ようと体を動かす。
太陽の光がまぶしく照らしつけてくる。
機体の足元に降りて、先程まで座っていたにとりは体を伸ばしながら独り言を言う。
「うっ……しょ。シンが帰ってきたらどうしようかな…」
「夜になったらやってしまうとか」
「う~ん。あいつにいきなりそんなこと……ん!??」
独り言をつぶやいた筈なのに、近くから返事が聞こえた。
慌てて周りを見回す。
しかし、辺りを見回していても声の主は見当たらない。
「こっちですよ!にとりさん!」
その声は頭上から聞こえて来た。動揺を隠さずに声の方の木に顔を向ける。
射命丸文。
以前、この作業場に椛、はたてと共に襲撃してきた天狗の一人。
今となっては友人同然だが、彼女の自由奔放な性格にはにとりも例外なく振り回されていた。
しかし、今は椛、はたての姿は見当たらない。
「おい、射命丸。あの二人はどうしたんだよ?」
「あのって、椛とはたてですか?椛なら彼に負けて以降、任務と特訓にこれまで以上に勤しんでいますし、はたてなら『文に負けてたまるかぁ!』と、活き込みながら地底の方に向かっていますよ。今頃誰かを写そうとしているのではないでしょうか?」
にとりの質問に、笑みを浮かべながら簡単な説明をする。
どうやら、今ここに居るのは彼女と自分だけらしい。
なら、当然さっきの独り言も聞かれてしまったのだろう。よりにもよってこの女に。
「それにしても、にとりさんも結構お熱なのですね、彼に。将来の私の新聞の号外が幻想郷に飛びかうの様子が目に浮かんできますよ。あれから私もそれに備えて記事を書いていますからね」
「だっ!?だれがあいつと結婚するなんていったよ?」
文はその言葉を聞いて、更に深く口元を歪める。
得物を見つけた、猛禽類の様に。
「あやややや?私は貴方が“結婚する”なんて一つも言っていませんよ?あははっ、にとりさんったら積極的ですねぇ~」
文は彼女を挑発するようににとりの近くを飛びまわる。
にとりは恥辱と怒りから、文に水を模った光弾を手から放つ。
しかし、流石は天狗の力ということなのか。
文は最小限の動き、光弾の射線を読み切って腕や手を動かしただけでかわしていく。
「そんなに怒らないでくださいよ、にとりさん」
文はにとりに急接近して背後に回る。
そして、にとりが振り返るより前に、耳元で囁く。
「私は……貴方を応援していますからねっ」
「―――ひゅいっ?」
思いがけない言葉を聞いてにとりは困惑する。
極めて一瞬だったが、それを告げた時の文の表情は何時ものふざけた笑顔ではなく、真剣な面持ちだった。
数秒の沈黙。
脳裏で起こる疑問の大波に流されるにとり。
そして、文は再び妙に明るい表情に切り替えて、
「じゃ早速、今夜シンさんに“夜のお遊戯”でもやっちゃいますか―――」
「するわけないだろ!?馬鹿野郎!」
「私は野郎ではありません。清く正しく美しい新聞記者、射命丸文です!」
「どうでもいい!」
先程の真剣な表情が幻かと錯覚するぐらい、文は態度を一変させる。
にとりは彼女の性格を嫌悪しながらも、
どこか、憎みきれなかった。
「着きましたね、シン。」
「そうだな。遅くなったけど、怒ってないよな…」
「ここが、あんた達の家なの?」
里から移動して数時間。
三人は作業場近くの川に到着する。
近くには、灰色の“デスティニー”が聳え立っている。
どうやら、機体に関しては何事も無い様だ。
「あのでっかいのは何なのよ?やけに物騒ねぇ」
「あれは、“デスティニーガンダム”よ。シンと同じくらいカッコいいのですから!」
「やめろよ…」
小傘が質問し、早苗が返す。
シンはそれを聞いて赤面しながら否定する。もちろん、恥ずかしさの意も含めてだ。
「あ、顔赤くなってる。せっかくだから驚いてよ?」
「シンったら、可愛いですね」
「あ~もうっ!!調子が狂う!」
シン二人から逃げるように河原で早歩きをする。
女の子と接することが多くなっているシンは、肩身の狭さから口調を荒げてしまったのだ。
小傘と早苗が制止の声を掛けるが、意に介さず機体の元へ歩く。
そこで、見覚えのある影を発見する。
片方は、すっかり顔馴染みの河城にとり。
そして前に交戦した覚えのある、天狗の少女。確か名を射命丸文と、言っていたか。
シンは二人の下へ歩みを向ける。
向こうもこちらの足音に気付いたらしく、視線をこちらに注視してくる。
「あっ!シン!」
「あや?主役の御登場ですねぇ…!」
にとりが明るい表情を浮かべながら、こちらに走ってくる。
シンはにとりの様子を見ながら、背後の文に警戒を向ける。
「あら?やけに怖い視線を感じます」
「なんだよ、また“デスティニー”を壊しに来たのか?」
「ああ、あれ嘘です。本当は椛の相手が私のネタになるかどうかの好奇心から行動したことですから。実際、進行中で狙っていますけどね。」
「なんだよ…それ。」
「ネタを見つけたからいいのですけどね!」
相変わらずの明るい表情を振りまきながら、文は胸を張っている。
少なくとも悪意はなさそうだが、彼女の予想できない思惑から、シンは疑問を拭い去ることが出来なかった。
「ならいいけど……前みたいな手荒な真似はよせよ」
「はいは~い♪」
こちらの注意を聞いているかどうかも疑わしい。
文はよそ見をしながら返答し、カメラをあちこちに向けていた。
そこで、離れていた早苗と小傘がこちらに追い付いてくる。
にとりと文は二人を見て目を細める。
「おおっ!?新たなスクープの予感がしますね!しゃあっ!」
文は張り切って小傘と早苗の写真を撮る。
一方のにとりは小傘のほうを見ながら、
「なぁ、シン……」
こちらに問いかけてくる。すかさず応答するシン。
「え?なんだよ、にとり」
怒気を孕みながらにとりはしずかに呟く。
「おまえの周りには、いつも女がいるんだな。…もう」
にとり鋭い視線をこちらに向けてくる。シンはそれに気圧されてしまった。
「な、なんで怒って―――」
「もう知らない!」
にとりは頬を膨らませて、そっぽを向く。
突然向けられた怒りの矛先に、シンは驚くしかなかった。
にとりは歯を強く噛み締めながら機体の方へ向かう。
「……俺、あやまらなきゃいけないのかな」
シンはにとりの荒々しい足取りで歩く小柄なシルエットを、呆然とした様子で見送っていた。
彼女の内心を察する事も出来ずに。

日が暮れ、辺りが暗くなったころ。
文はご機嫌な様子で山の方に飛び去り、にとりは未だ怒りの矛先をシンにちらつかせていた。
そのせいで、機体の傍にも寄ることが出来ない。当然、にとりが機体の近くに居るからだ。
早苗は嬉々とした様子で機体の方を眺めているらしい。
シンは数日間で溜った疲労を紛らわすために、夜の河原で一人横になっていたのだ。
何も、河原の小石の上そのままに寝ているわけでもなく、気まずく思いながらもにとりにビニールシートを貸してもらうために出向いたら、彼女は無言で貸してくれたのだ。
その時にシンは、彼女が本気で怒っているわけではないと推測した。
「最近は疲れるな…やっぱり、世界が違うのもあるのか。」
一人呟く。
皆といる時間は楽しいが、活動的な場面に多く当たるためにシンは度々一人で居たくなる時がある。
ふと、そこで脳裏に過ぎったものがあった。
―――仲間がいると、帰ってじゃまだ!!
―――俺一人でもやれる!
まだザフトのアカデミーに所属していた頃、仲間を作りたがらない過去の自分を思い出したのだ。
家族の敵を討つために、躍起になっていた頃。
だが、今はそう思うことはない。
経験してきた様々な出来事は、脳の中で鮮明に焼き付いている。
あれからもう幾月も経ったというのに、思い返せば昨日の様に思い出せる。
当然、悲しい事もその中には含まれている。
シンは夜空を見上げる。
―――でも俺は、忘れるわけにはいかない。
―――戦争を無くすためにも。
シンは“デスティニー”の立つ方に向く。すると、一人の少女がこちらに向かって来た。
その少女は、片手に畳んだ傘を持っている。
「小傘、ちゃん?」
小傘がこちらに向かって歩く。
表情は、昨日と同じように明るくて愉快そうだ。
「シン?こんなところで何やっているの?」
「ああ…少し落ちつこうと思って、ここで横になってたんだ」
小傘が隣に座る。
シンは彼女がこちらに来た理由を問うことにした。
「そういや、何で小傘ちゃんはこっちに?早苗と一緒に機体見ていたんじゃないのか?」
「それはそうなんだけど…」
小傘が顔を赤くしながら俯く。
彼女によると機体のすぐ近くで起きたことを彼に話す。
『ふふっ。小傘さんって胸が大きくて柔らかいですね、見た目の割に』
『ぁん!何処触ってるのよ!あんたは!』
『昨日シンに羨ましいことされたからです!ほらほら~』
『だからってあちこち触らないでよ!!』
『大きいですね~』
『私の話を聞いてよ!』
『お前らは何やってんだ!』
「…と、いうことなの。だからシンの所来たのよ。」
「……大変なんだな、君は。」
シンは小傘の語りに耳を傾ける。
女子というものは何処の世界でも、身体の触れ合いが多いということを理解したシンだった。
「それに、あんたは私の大切な食糧だもの。いざというときは驚かすんだから。」
「…そっか」
自信あり気に拳を握りしめる小傘。
シンはそれに肩をすくめながらも、小傘の意気込みに同意した。
「そうだ、あの時みたいに抱きつけばシンは驚いてくれる?」
「なんだって―――」
問答無用で小傘は二本の腕を伸ばしてくる。
シンは抵抗する暇も無く、眼の前で小傘の体が密着してくる。
彼がすでに横になっていた為、小傘はシンに覆いかぶさるようになる。
シンの心臓が早鐘を打つ。
再び身を襲う極度の緊張に、シンは平常心を保ってはいられなかった。
小傘はシンの胸に耳を当てながら、
「うふふ~シンのここは素直だよ?ほら…ドクンドクンって脈打ってるよ」
「よ、余計な御世話だよ!」
妖しく光る赤い片目を細めながら、うっとりとした表情を浮かべて小傘は囁く。
その表情は、子供が新しい玩具を手に入れたように、純粋で無邪気な笑顔だ。
「シンの心は美味しい…なんていうか、あったかいよぉ…
こんな御馳走にありつけるなんてついてるわ…」
眼を閉じて、体を圧しつけてくる。
柔らかい小傘の胸を圧し付けられ、一瞬理性に迷いが生じるが、シンは小傘を引き離そうと手を伸ばす。
「小傘ちゃん…その…」
「人は嫌…だけど…シンは……別…スゥ……」
しかし引き離そうとした時には、うわ言を呟きながら小傘はシンの腰に手を回したまま眠りについていた。
とても、幸せそうな表情で。
「小傘ちゃん…寝ちゃったのか」
水色の髪がシンの胸を擽る。
シンは彼女を持ち上げて、自分の横になっていたシートに小傘を寝かす。
力のこもった、彼女の細い指を優しく解かせる。
シンは小傘を見届け後、少し離れた所で岩にもたれる。
―――にとりは、まだ怒ってるのかな?
シンがそれを想像した時、後ろから石を踏む音が聞こえてくる。
早苗か、にとりか。
どちらにしろこの二人しか想像できないシンは、足音が自分の前に立つのを待った。
ジャリ、ジャリ―――
小柄な人影が、月の光に反射する。
「女の子をそこに寝かせて、自分は岩肌にもたれかかるのか?……お前はやさしいんだな」
「にとり……」
にとりがシンを横から覗き込んでいる。
その瞳には、先の鋭さは無くなっていて、優しさを帯びた視線をこちらに向けている。
「もう、怒ってないのか……」
「私がそんなに怖いか?別に今更お前を怒っても仕方ないだろう。…そっち座ってもいい?」
「あ、ああ…」
にとりはシンの横に座る。
その表情は、とても穏やかだ。
「あ、あのさ。早苗は―――」
「わざわざ今いない女の話をするのか?シンは。大丈夫、機体の傍で早苗は寝ているよ。」
シンが言い終わるより先に、にとりが推測して言う。
聞きたいことを即座に言われて、シンは言葉が思いつかなくなる。
「夜になったね…」
「ああ…」
「里で言った通り、私にちょっと付き合ってもらうぞ」
「出来る範囲で頼むよ」
「じゃあ、肩でももんでくれない?同じ姿勢が長く続いたから体中いたくってさ」
にとりがそう言うと、シンの伸ばした脚の上に座る。
彼女の小さい両肩に力を加える。
マッサージの心得など、シンは持ち合わせてはいない。
こればかりは自分の勘でやるしかない様だった。
リズムよく彼女の服越しに肌を揉む。
彼女が痛がらない様に、力を入れ方を念頭に置きながら手を動かした。
「ああぁぁ…ふぅ…シンは手先が器用だよな。お前さえ良ければ、私の手伝い係に任命してあげるよ」
「生憎、俺は軍人だからね。職なら間に合ってるよ、それ…」
力加減がちょうど良かったのか、ほんのり上気しながらにとりは感想を漏らす。
シンはにとりへの恩返しの一つと割り切りながら、言われたとおりにマッサージをしていく。
筋肉を解すだの、コツがどうとかは気にしていない。
事実それでも、彼女は気持ちよさそうだったから、シンは作業に集中することにした。
「うん…いい。こんな感じ…」
満足している様子だった。
彼女はいつの間にか彼に背中を預けながら、彼の手を肩で受け入れていた。
「はぁ……お前って本当にずるい奴だよなぁ」
「……はいはい。そりゃどうも」
雑談を交えながら、快感を受け入れる。
数十分が過ぎた後、にとりは制止の意を伝える。
「もういいのか?」
「これ以上やったら、…なんか私の納まりが効かないから…今日はこれでいいや。そのかわりっ」
笑みを浮かべ、にとりはもたれていた背中に体重を更に掛ける。
今夜は、お前が私の寝具だ―――
にとりは最後にそういって瞼を閉じる。
数分経つと、寝息が彼女から聞こえてきた。
シンは蒼い髪を少し撫でた後、自らも眼を瞑ることにした。
―――怒ってなくて、良かった。
最後の彼女の表情を思い浮かべて、シンは眠りにつき始める。
間もなく迫る、船が飛ぶ日。
シンはそれを一瞬、思い浮かべた後。
彼の意識は、眠りの闇へ引きずり込まれていった。

「さあ、霊夢さんとの約束の日が来ましたね」
「ああ、遂に…な」
早苗が呟く。
夜が明けて間もないころ。
今四人がいるのは“デスティニー”の下。人間に例えれば、足元に相当する箇所だ。
シンはザフトの赤い軍服に着替え直し、早苗はいつもの―――以前聞いたことだが本人曰く仕事着らしい―――青と白の装束を纏っている。
「そっか…シン行っちゃうんだ……」
「そんなに落ち込まなくてもいいだろ、小傘ちゃん。お腹は当分は大丈夫って君も言ってたじゃないか」
「うん……待ってるからね」
小傘が俯きいて弱気になる。
シンは彼女の肩に手を置いて励ますと、僅かに顔を上げて期待の眼差しをこちらに向けた。
そして、にとりがシンのもとに進んで、手元にある物を渡そうとする。
シンはそれに見覚えがあった、正確には見慣れている物と言うべきか。
「直ったんだ。俺のパイロットスーツ」
ザフトのエリートパイロットに支給される、MS用の深紅のパイロットスーツ。
先日の機体のダメージの影響で、ガラスや硝煙で見るも無残に傷ついていたそれは、新品同様に汚れ一つ見せない物へと仕上がっている。
「へへん、どうだい!私がこの短期間でこれだけ直したんだ。これならシンも怪我せずに済むだろ?」
「凄いな…にとり、サンキュ!」
「う、嬉しいと思うならさっさと行って戻ってこい……馬鹿」
褒めたらすぐこれだ。
にとりは顔を赤くしながら視線をそらす。
最も、そんな彼女の仕草もシンにとっては見慣れたものだが。
「さあ、シン!ガンダムで空に出ますよ。霊夢さんとは現地集合ですからね、遅れないように行きましょう!」
早苗が快活に告げると、コクピットに飛翔する。
シンは機体の影で素早くスーツに着替えると、昇降用ワイヤーで乗り込む。
昇っている間、下から小傘とにとりがこちらを見上げている。
シンはそれに気付くと、口元を柔らかく曲げて、二人に敬礼を送る。
コクピットに入り、システムを起動させる。
発信のためのシークエンスの確認がOSの中で進んでいく。
推進系、動力源、火器管制システムのチェックランプが全て緑に点灯する。どうやら、特に問題は起きていない様だった。
自分がいない間、簡単な整備をにとりがしてくれたんだな―――
内心彼女に感謝して、シンは発進シークエンスを進めていく。
ヴァリアブルフェイズシフトを起動させる為に、手元のスイッチを押す。
途端、機体は灰色から赤、白、青の派手なトリコロールへ姿を変えていく。VPS装甲も問題無いようだった。
「シン、飛びましょう!」
早苗が横で座席に掴まる。
シンはそれに応えるように操縦桿を動かす。
そして、出撃の決まり文句を宣言する。
「シン・アスカ!行きます!」
スラスターの出力を一気に上げる。
翼状のバインダーを展開し、機体は空へと飛びあがった。
地面との距離が離れ、青い空を眼の前のモニターが映し出していく。
早苗の指示で、人里近くにある空の船のコースに向く。
“デスティニー”の赤い翼が煌めく。
辺りに光の粒子を散らしながら、“デスティニー”は目標の船へと飛翔していった。