PHASE- 17 すれ違う思惑


「船の外に出たわね。成程、確かにこれは変だわ」
「そうですね、霊夢さん。この向こうに法界が…」
シンと別れ、異変の船の外に飛翔する二人。
そこで目に入った景色。それは紅に染まる空の下に広がる、現界と法界を隔てる結界だった。
表面には青みがかった雲と無数に重なる幾何学模様があり、内部を窺おうとしても何重にも張り巡らされた結界で出来ない。
早苗と霊夢はそれを上空から見下ろす。
「この向こうに、封印されし者が………」
早苗が呟く。
その直後に、霊夢がその広大な結界に向かって対妖怪用御札を投げつけた。
勢いよく向かった紙片が命中する。
そして、轟音を立てて爆発した。
だが、
「やっぱり、質量が違いすぎるわね。この封印の結界は」
肝心の結界には、傷一つ通っていない。
霊夢の技が弱いのでは無く、単純にこの結界が大きいのだ。
加えて、人の身ではこれ程の大掛かりな“設備”に与えうるダメージなど底がしれている。
霊夢は大してがっかりする訳でもなく、当然の様に肩をすくめる。
「このままじゃお手上げね。それ程に驚異的なのかしら、その聖とやらは」
「幾らなんでも大き過ぎますね、コイツは……!」
早苗も試しに、右手から光弾を発射する。
だが、やはり無駄。
眩く輝く光弾はそれに当たった途端に、粒子を散らして消え去ってしまう。
「無駄ね」
霊夢が目を瞑って腕を組む。
的を射た発言だ。霊夢と早苗が本気を出したとしても、この結界を破壊するには至らないだろう。早苗には彼女の態度からそれを悟った。
結界に手を出すのをやめて数分。
突破法をを思案していた早苗に、一つの飛行物体が近づいてきた。
霊夢はそれにいち早く気付き、彼女に当たるよりも先にそれを手を伸ばす。
青色の小さな円盤。
鍋のふたの様に上部が球状に膨らんでいて、スカート状の外縁の下には三つの小さい下半球がある。
幸いにもその飛行物体の速度はそれ程でもなかった。
手で遮って進行を止めた後、外縁を持って早苗に話しかける。
「あんたにこれが当たりそうだったわ。なんなの、これ?」
早苗はそれを見て目を丸くする。
「これは…UFO!?」
「ゆーふぉー?」
「私達の世界で言う未確認飛行物体ですよ、霊夢さん。しかもアダムスキー場のいかにもな見た目…いったいこれは?」
「私に聞かないでよ。早苗に当たりそうだったから取ってみただけなんだけど、この玩具みたいな奴」
霊夢が離れ、早苗はそのUFOを手にとってあらゆる角度から凝視する。
その最中、今度は光る弾が二人の間を通り抜けた。
警戒の意を表しつつ、飛んできた弾の方に顔を向ける。
そこには、二つの人影が見えた。
まず目についたのが右手に槍を持ち、虎柄のスカートと赤い装束に身を包んだ、金髪の女。
頭には花と見間違える様な赤い髪飾りは、金髪の中で際立っている。
自信に満ちた金の瞳は飛翔する中、こちらを真芯で捉えている。自分達を狙っていることぐらい、すぐに察知できた。
もう一人は小柄で、自分達と変わらない程度の背丈。
小柄な方は、薄い灰色のショートヘアを靡かせ、水色のケープを羽織っている。
その下には黒いセミロングスカートがある。だが、そのスカートは先端が長方形状に切り取られてあり、奥の白い肢体が覗く奇妙なデザインだ。
首には八面体の青いクリスタルをさげていて、両腕には鉤状の棒を其々手に有している。
中でも特徴的なのが、その頭と腰から垂れているモノ。
彼女の赤い両目の上にある頭には、大きく丸い動物の様な耳が生えている。
上着とスカートの間からは、長い尻尾が垂れてある。
それは人間というより獣。それもその耳や尻尾の存在から連想した動物は、
「ネズミ…!?」
早苗が呟くその名は、人間の文化に密接でありながら害をもたらす動物の名称だった。
ネズミと呼ばれた灰色の少女は酷く不機嫌な表情を出して、
「出会い頭でネズミ呼ばわりとは心外だ。私にはナズーリンとしっかりした名前があるんだから、人間にそのような無礼をされる覚えなんて無いね」
小柄な少女が落ち着いた口調で呟いてくる。
「ま、行き成り光弾を撃ったのは早計だったけど」
どうやら目の前にいるナズーリンとやらが先程の弾の原因らしい。
彼女は完全にこちらを見下している表情を浮かべて、その赤い目をギラリと輝かせている。
「それよりその飛倉。返しなよ、こちらに」
「飛倉?そんなものどこに…」
早苗はナズーリンの言葉の後に辺りを見回す。
彼女の言う飛倉なるものは“どこにも”見当たらない。
上下左右。ついでに両手を見てもそのようなものは思い当たらない。
あるのは、手に納まっているUFOだけだ。
「申し遅れましたね」
ナズーリンとは別の、もう一人の女が口を挟む。
「私は寅丸星。この娘…ナズの上司ですよ。名前もそうですが、私が申し遅れたのはその飛倉の事について」
「だから飛倉とはなんだと―――」
「―――?貴方達にはそれが飛倉に見えていない?」
星が名乗り出て飛倉の事について語ろうとするも、霊夢も早苗も意に介してない。
だが、確かに星が指しているのは早苗の手に納まっている物体の事だ。
二人の巫女にはそれがUFOに見えている。
しかしナズーリンと星には彼女達とは違って見えていた。
“飛倉”という名の木片。
それは聖に仕える二人にとって、最重要物体の一つ。
正確には一つでは無い。
飛倉は遥か過去に破損を起こし、幻想郷中に散らばっていた。
二人が求める理由はある。その木片は、霊力を内封している。
それも並の量では無い、全ての霊力を束ねたら、単純に強いな霊力を物にすることだって出来る。
だが、それが星達の目的ではない。
彼女達の目的は、師である聖の封印を解く事だった。
星から命じられ、ナズーリンが宝塔をある商店から回収に勤しんでいる間、星は幻想郷中を飛び回り、飛倉の回収を進めていた。
ナズーリンに宝塔の回収を命じたのは、この強大な結界を破るのに、飛倉の霊力だけでは足りないからだ。
宝塔と呼ばれるこの球体に屋根を付けた様な代物は、一時的に霊力を数倍の強さに引き上げる。
それぐらいの力を持ってしないと、聖を救うことなど出来ない。
ナズーリン曰く向かった先の商店の主には随分とふっかけられ、おまけに随伴していた白黒の装束の少女に追撃を喰らったらしい。だがそれも、振り切ることの出来た今となっては無用の心配だった。
そして、残る飛倉の破片は星の目の前にあった。
―――あれさえあれば、聖を救う事が出来る。
星は手を差し伸べて告げる。
「緑の巫女、その手にある物を渡しなさい。貴方にどんな風に見えているかどうかは気にしないけど、聖を出す為にもそれが必要なのですよ、さあ…!」
淡々と述べて彼女に近づこうとする。その途端、前方から赤い札が飛んできた。
それを紙一重でかわす。早苗が放ったのではない。
星が飛んできた方向に視線を向ける。
霊夢だ。彼女は対妖怪用御札を星に放っていた。誰が見てもそれは明らかな事だった。
「勝手に話を進めるな」
「くっ、君は!私達に抵抗をするのか」
「貴方達が蘇らせようとしている奴はまだ、どんなのかはわからないわ。それがこの世界にとって異分子となる可能性があるのなら阻止するのがこの私、博麗の巫女の務め」
「…つまり、飛倉を渡さないと?」
「冗談はよしなよ、君。博麗だか何だか知らないけど、私達を軽く見ていると死ぬよ?」
「なんとでも。早苗、シンが戻るまでここで応戦するわよ!こいつら、あの舟幽霊たちの一味だわ!」
「……分かりました、聖という人の脅威が分からない以上は」
早苗達が得物を構えると、星は溜息を吐く。隣のネズミの妖怪も同様だった。
―――この世界の人間は、何時だって自分達の事しか考えていない。“あの頃”と変わっていない。
―――聖の言う通りだ。
仕方ないといった様な面持ちで星は腰を低く構え、迎撃の体勢をとる。
「こっちには宝塔の力がある。星の力もあるし君たちなんてイチコロさ」
ナズーリンも鉤状の二振りのロッドを構えて対峙する。
空中で睨みを向け合う四人。
霊夢が先制して札を投げると一斉に其々はその場から散る。
霊夢は星を、早苗はナズーリンを。
互いに光弾を撃って牽制しながら、空というステージで舞う。
「乱れ撃つ!」
早苗は手から青白い光弾を放つ。
霊力で固めたビームは、真っ直ぐにナズーリンに向かう。
「甘いね」
しかし、直線に向かった筈の光弾は、相手の直前で突然屈折してしまった。
気付くと、ナズーリンの周りに五つの大きい水晶状の物体が浮遊していた。あれが自身のビームを曲げた原因なのだろう。
「守符『ペンヂュラムガード』。君の攻撃など効かないよ」
静かに技の名を告げると、ネズミの妖怪はそれまで以上に口元を歪めた。
霊夢の方も、既に接戦だった。
互いに早く動くと、札も針も当たらない。
霊夢と星は互いに接近して組みついたかと思えば、即座に至近距離で放たれた弾幕をかわす事を繰り返していた。
時に当たらない事を前提として互いに弾を撃ち合うが、攻撃手段の無駄な浪費にしかならない。
御幣を前に構えて星の持つ槍と正面から力で押しあう。
「大人しくしてればいいですのに、毘沙門天の弟子である私に勝てる事などあるものか!」
「試してみる?私だって博麗の巫女よ!」
その言葉を皮切りに霊夢が空中で彼女の頭目掛けて蹴りを放つ。だがそれは虚しく空を切る。
其々が互いに距離を取り、赤に染まってゆく世界の中で鮮やかに舞う。
―――早く戻りなさいよ、シン。でないと、私達は私達で聖を倒さなきゃいけない。
―――こいつらが信用できるかどうか、早く教えてきなさいよ!
―――シン…!
二人の巫女は対話に向かった彼の姿を脳裏に過らせる。
しかし、その直後に向かって来た相手の姿を視認した途端、その想いも何処かに吹き飛んでしまった。

船を駆ける。
元来た路は何処なのだろうと頭を巡らせながら、単調な景色が続く船の内部をシンは全力で走る。
直前に船の内部で話を交わした少女の姿を思い出す。
『彼女にもう一度私達といて欲しいから、もう一度平和に暮らしたいから、私達は!』
彼女の訴え。
それを思い出すと、胸の奥が苦しくなる。
家族同然に暮らしてきた人と会えなくなる気持ち。
何百年の封印を施され、自分達も人間達に目の敵にされた。
差別、迫害、追放。
それは、コーディネイターとナチュラルの間で、未だに解消していない問題。
自分達とは違うから、自分達より優れているから、自分達と生きていてほしくない。
シンにとっては“その”認識は極めて下らない。
同じように生きている生き物なのに。偏見で一方的に決めつけてその存在を潰そうとする。
そのような考えを持ってしまった故に、C.Eはどれだけの犠牲を生んでしまったのか。
どれだけの血を流してしまったのか。
そして、どれだけの家族をもう戻ってこない存在に変えてしまったのか。
シンには大切な人達を失う痛みを何度も味わっている。
友人、家族、親友。自分と関わりを持つ人間が、逝った時の悲しさを最も近い距離で知っている。
「俺がやらなきゃ、誰がやるんだよ!」
自身に一喝を入れて、更に強く床を蹴る。
大きくなった足音を刻みながら、機体の下へ駆けよろうとする。
だが、いつまで走っても暗闇の奥からの機体の姿は見えてこない。
行きは徒歩の分、もう既に機体の場所に着いてもいい筈だった。距離的にも、時間的にも。
だが、いつの間にか元来た通路は、永い、永い空間と化していた。
単調な景色も加わって、進んでいるという実感がしなくなってゆく。
―――なんだ、これ!?
足は動いている、疲労は溜っていく。だが機体の元へたどり着けない。
疑問に思いながら、床を蹴る。
走っても、走っても、目に見える壁の模様が後ろに通り過ぎてゆくだけ。
迷ったか、と頭の中で不安が過る。だがそれはまずあり得なかった。
何故なら廊下自体がほぼ一直線であったからだ。時に横に通路が伸びていた箇所が存在していたが、今となっては見かける事がない以上既にそのような箇所は通り過ぎている筈なのだ。
シンは疲れから一旦足を休める。
荒げた息が口から湧き出る。
肩で呼吸しながら辺りを見回す。
「まさか、船長が俺を出さない様に……いや」
それはありえない。
彼女とは約束したのだ。白蓮を救うために、争いをやめさせるために自分はあそこに向かおうとしているのだから。
それを阻害する理由が、水蜜にある訳がない。
なら、一体何が?やはりこれは、
「船長とは別の……妖怪の仕業か?」
頭の中に浮かんだ予想を口に出す。
こんな不可思議な現象。通常起こる筈がない。
ならば、悪意を持つ妖怪が自分を陥れようとしているのか。
シンは当たりに警戒の眼差しを振りまく。
船内の薄闇で視界が悪い。
明かり代わりに懐から“フラッシュエッジ”を取り出して起動させる。
桃色の光線が伸びて、当たりをほんのりと桃色で上書きする。
何処から来るかわからない敵に対し、シンは静かに憤りの感情を抱く。
「急いでるってのに!」
その言葉が起点となったのか、突然背後から赤いナイフの様な刃が弧を描く様に迫って来た。
シンは警戒から直ぐに察知して、当たるより先に前転する。
間一髪。薄闇から伸びて来たそれは、シンのもといた位置を切り裂く。
「何なんだよ!今度は!」
赤い刃にエッジを向ける。
「あら残念、私の挨拶がかわされちゃった……ククッ」
桃色の光で照らした先に、人影が見える。少女の姿だ。
闇に溶ける様な色合いの、漆黒のワンピース。ショートヘアの色も履いている二―ソックスの色も同じ漆黒だ。
その中で一際輝く白い肌が桃色の光に反射する。日焼けの跡が一切感じられない透ける様な肌は、薄闇の中で彼の瞳にハッキリと見てとれた。
だが、彼女の姿の中で最も異端なのが、それではなく、背中から生えているものだ。
赤と青の翼の様な何か。
赤い羽からは先程自分を切り裂こうとしていたナイフの様な刃が三つ在り、青の羽は矢じりの形をしている。触れば人の皮膚も容易く引き裂く事が可能だろう。
異形の姿。その言葉が似合うくらい、目の前の少女は醜さと美しさを同時に兼ね備えていた。
「出口の正体を隠して正解だわ。折角のこの余興、楽しまなければ損よね」
「あんたか!俺の邪魔をしているのは!?」
「そうよ、いじらしい少年クン。私の名は封獣ぬえ。君にちょっと興味があるからね」
目の前の少女は名前を名乗り、歩みをこちらに進めてくる。
「君の名前は知っているよ、シン・アスカ」
「……俺の名前を、何で?」
「ずっとつけてたもの、君達人間三人を。船に入った時からね」
「目的はなんだよ」
「単純に貴方達の邪魔がしたいだけかな」
「何?」
「今貴方のお仲間は外で、妖怪と戦っているわ。この船の妖怪とね。何でだと思う?」
「それは、誤解からじゃないのか?」
ぬえに思いついた返答をする。
「いや、違うよ。原因はこのあたし」
そう告げて、ぬえはシンの目の前に立つ。
「あたしの能力で君をここに閉じ込めて、巫女二人には妖怪達と戦わせる様に促したのよ。態々幻覚を見せることまでしてね」
それを聞いて、シンは頭の中の思考が一瞬停止する。
彼女の言っている意味が分からないからだ。
「あたしを差し置いて随分と楽しそうな事やっているからね、どうせならもっと盛り上げなきゃ」
言葉を理解した途端、シンの奥底から炎の様な怒りがこみ上げてくる。
その小さな火種は、彼の心をどんどん燃やし尽くそうと大きくなる。
「そんな単純な理由で、俺達の邪魔をするのかよ!」
拍子でエッジを彼女の首元に向ける。
「ええ、久しぶりの地上だもの。やりたいようにやる。この状況も、そして目の前の貴方も」
「何!」
「やめろといわれてやめる程、あたしはいい子じゃないの。君を私の玩具にしてからでも、もっとこの状況を掻き回せるわ」
「何を言ってるんだ!あんたは!」
彼女の思惑が読み取れない。シンは何処か不安の情を抱いて大声を出す。
それを愉快にしているのか、ぬえは口元を歪めて半歩後ろに下がる。
「私の正体に気付いた以上貴方を只では済まさない。鵺と呼ばれた私の力、正体不明の飛行物体(だんまく)に怯えて死ね!!」
彼女から青白い光弾が連射される。
シンはそれを視認した後、直ぐに横っ跳びをする。
近くに身を隠す物は存在しない。在るのはただ、前後に無限に伸びる正体不明の廊下だけだ。
前方から放たれる攻撃から体を逸らす。
碌に理由も知らぬまま、シンは彼女から攻撃を仕掛けられる。
「チッ……!」
飛んでくる光弾から身を守ろうと、シンはエッジを投げつける。
大元を断てば、弾はこちらに来ない。
シンは咄嗟に判断して、彼女の気を逸らそうとした。
「ふーん」
エッジが彼女の服を薙ぐより先に、ぬえ自身がエッジを片手で捉えてしまった。
奪われたフラッシュエッジを物珍しそうに眺める。
「へえ、人間の癖に面白いもの持ってるわね~」
目を細めてぬえは舐める様な視線を送っている。
「返せよ、それ!」
シンはもう一つのエッジを取り出して、ぬえに駆ける。
エッジを勢いのままに振り下ろす。
彼女の脳天目掛けて、桃色の光を叩きつけようとした。
だが、
「ちょいと扱いづらいけど!あとはどうにかね!」
シンのエッジの剣閃に、ぬえの奪ったエッジをあてがう。
激しい閃光と火花をちらしながら、ぬえは片手間でシンの体を突き飛ばす。
苦悶の表情と嗚咽を漏らしながら床に叩きつけられる。
ぬえは彼の床に這う姿を見て、満足げな表情を浮かべた。
「うふふ…あたしのあいてをしてくれる男の子は初めてね。思わず怖がらせて苛めたくなっちゃった」
シンは片手にあるエッジを握りしめて無言で立ち上がる。
彼女の思惑も、目的もまともに分からなかったが、只一つシンに明確に分かった事があった。
この娘は、強い。
単純な強さで、自分は圧倒されている事に、シンは気付いてしまった。
そしてこの場には、いつも手助けをしてくれる早苗や、頼れる霊夢もいない。
にとりに連絡を入れられる通信機はあるが、この状況じゃ壊されてしまう可能性もある。壊されなくとも、助けを仰ぐ事すら難しいだろう。
ぬえはこちらに睨みをきかせながら、その手に持っていたエッジをこちらに投げてくる。
「そんなの要らないわ、貴方なんか私の力をあんまり出さなくとも勝てそうね」
完全に勝ち誇った様な表情を浮かべて、再び歩みを進めてくる。
シンは立ちあがり、投げられたエッジともう一つのエッジを構える。
そして、身体を大きく捻って片方のエッジを投げつけた。
ぬえは苦も無くひらりとエッジをかわす。だが、それは想定の範囲内だった。
「捉えた!」
回避運動の直後を狙って、シンはエッジをぬえの足元に振る。
「へぇ、そうくるんだ」
だが、それも回避されてしまう。
「まだだ、逃がすか!」
シンがそう言うと同時に、最初に投げたエッジが方向転換をしてぬえの体に向かう。
それに合わせて彼女の逃げ場を塞ぐように、シンはエッジを突きだす。
―――これで!
ぬえは珍しく前後を見回す。
これなら、倒せる!シンはそう確信した。己の勝利を。
「 残 念 で し た 」
突然、冷やかな声を掛けられた。
ザクッ。
自身に冷たく深いものを突きたてられた様な錯覚に陥る。
いや、錯覚では無かった。
自分の腹に目をやると、そこには。
「私の自慢のこれ、大きくて痛いでしょ?」
彼女の背中から伸びる、赤いナイフ状の羽。
それが今、シンの腹部に突き刺さっている。
見た途端に、忘れていた痛みが全身を駆け廻る。
口の奥から鉄の様な匂い。それで血が出ているのが直ぐに分かった。
「ぐあぁっ!」
痛い。痛い。だけど何で、かわされたのか。
「妖怪の身体能力、なめない方がいいよ。君達の数段上だから」
ぬえが腹に刺した羽を抜き取る。
幸い深くまで刺さっておらず、命に別条になる事にも無さそうだ。
だが、身を降りかかる痛みにシンは襲われていた。
堪らずその場に崩れ落ちてしまう。
そしてぬえがシンの正面に立った後、彼の顎に手を触れさせながら、囁く。
「無理よ。私の力にかなう筈無いし、ここで玩具にしてあげるもの」
「なにするんだよ、あんたはッ……」
「いいわ、その態度。久々に人間を襲ったのもあるしやりすぎちゃったけど、貴方みたいな奴ほど怖がらせたくなる」
ぬえは倒れているシンを両手で押さえつける。勝ち誇った表情は崩さずに。
このままでは、早苗達の争いを止めれない。
痛む体を動かそうとする中、シンの心の中で弱気が生まれる。
妖怪に邪魔されて、果たす目的も出来ないままに後悔だけしてしまうのか。
白蓮を助けることも出来ないのか。
シンは彼女を振り払おうと闇雲に体を動かす。しかし、梃子の様に動かないぬえ。
―――ちくしょう。
打つ手無しかと諦めかけたその時。
「『沈没アンカー』!」
張り上げられた声と共に、大きい錨が自身に圧し掛かっていたぬえを突き飛ばす。
痛みからの悲鳴を上げてぬえが壁に叩きつけられた隙に、エッジを握りしめて体を起こす。
錨の飛んできた方を見る。そこには。
「君は……?」
「………ッ!!」
息をのみ込んで射出した錨を再び手に持つ少女。その格好からしても間違いなかった。
「村紗船長……」
そこには、シンの危機を救った人影。先に会った船の幽霊、村紗水蜜が得物を手に持って力強く立っていた。


PHASE- 18 アンノウン


―――ああ……退屈ね。
私は封獣ぬえ。
私の種族、“鵺”は人間を驚かして自らの糧を得る生き物。
今の人間達が知る由も無い昔の頃は、道行く数多もの人間達を驚かしてばかりだった。
それはとても充実していたわ。
相手の視界を闇に閉ざして背後から突っついた時や、正体が気付かれない程度に声色を変えて奇声を発して驚かした時は堪んない。
毎日似たような事をしていたけど、そのたびに得られる興奮と快感に身を震わせる事が出来るもの。
飽きもせず良くやっていたと自分でも思う。
“あの時”が来るまでは。
「ああん!」
些細なミスを出してしまった。
ある日驚かそうとしていた人間。それは妖怪退治の専門家だったのだ。
調子に乗っていた私は、成す術も無く掴まってしまって屈辱な思いをした。
全身を封印の術式で縛られて、地底に堕とされて。
死にはしなかったけどそこで待っていたのは底無しの退屈な日々だった。
だって、地底界にはマトモな人間がいないに等しいんだもの。
人間自体がいないって訳じゃ無いけど、地底界に住む奴らは肝が据わってるし、感性が地上の奴とは違う。
とどのつまり、驚いてくれないのよ。それどころか、妖怪を恐れる奴なんかまずいやしなかった。
地上で沢山人を驚かせていた分、空腹とかにはならなかった。だけど精神的には地獄に等しかった。
そんな時に転機が私に訪れた。
ある日、地底からの間欠泉が原因で地底の空……というより地上への道が開いたの。
すかさず私はそこから地上に出た。
もう幾年経ったかも分からない。いちいち覚えてられないから。
だけど、地上に出て空を漂っていると、面白いものを見つけたのよ?
何だと思う?
銀の粒子を散らして飛翔している、赤い翼を有した巨体。
人間とも妖怪とも違う見たこと無いソレに私は心底驚いた。
それと同時に私の中で好奇心も生まれた。
驚かす立場の私が、それに驚かされたんだもの。
霊力で自分の“正体”を隠して後を追う私。
空飛ぶ船にソレは降りて行って、一悶着あった所でソレから出た三人の人間は中に入っていったのを見た。
そこに一人だけいる男の子。
その子を見て、私は興味の対象をあの巨体から彼に移した。
黒い髪に赤い瞳。
整った顔立ちに優しそうな表情。
取分け、顔立ち…というより髪と瞳の色は私に良く似ていて興味を加速してくれたわ。
彼らを着けているとね、面白そうな事をやっていたわ。
さっきも言った一悶着では、技を出し合いながらのドンパチ。
中に入ったらその男の子が船幽霊と会話していたわ。
その様子を見ていると、私の心の奥が熱くなっていった。
退屈な生活を先程まで送っていた私にとって、あの子たちの行動がすごく楽しそうに見えて。
羨ましく、見えて。
私は辺りに正体不明の蛇を放って、彼らを困らせようと考えた。
船の妖怪達が探している“飛倉”にそれを植え付けて、人間の女二人と“虎”と“ネズミ”をわざと争わせて。
残り一人の男の子を孤立させたのは、私の手で彼を思う存分怖がらせたいからだ。
彼の恐怖で歪む顔を見れば、この苛立ちも退屈も全て満たされると思って。
ある意味、勝手な独占欲を抱いちゃったのかもしれない。
私の力をもってすれば彼―――ご丁寧に名前を名乗ってくれたわ―――シンなんか一捻りだった。
面白いそうな武器を奪って、彼にぶつけて。
私の相手にしては驚く様子や、涙を流している様子は無かったけど、
倒れた彼を見ると加虐欲からついつい口元が綻んじゃった。
でも、元々は楽しそうな事をやってる彼らが悪いのよ。
私を差し置いて、羨ましい事をしているから。
私は彼に手を伸ばして、引き寄せて驚かせようとした。彼の心を私の怖さで釘付けにする為に。
その時だった。
私と彼の間に錨が飛び込んで―――
私の身体に直撃した。
激痛から思わず声が出て、足取りがふらついてしまう。
視線を向け直すと、この船の妖怪の一人が私と彼の間に入っていた。
気にくわない。とても、気にくわなかった。
“それ”は既に私の得物なのに。
舟幽霊が迫ってくる。上等だ。ここまでくれば意地でも彼を驚かせてみたくなった。
状況が悪くなろうが関係ない。もはや退屈をしのげれば私にとってどうでもいいから。
舟幽霊の接近に合わせて、自分も跳躍する。
激しく輝く自身の弾幕と共に、私は目の前の幽霊に向かって行った。

「村紗船長…!?何で貴方が!」
突如乱入してきた水蜜の姿。
ぬえによって危機に陥っていたシンにとって嬉しい誤算ではあるものの、何故彼女が自らを味方するのか、疑問に思う。
その思案と同時に、水蜜が振り向かずに言い放つ。
「この子は…やらせない。私達の目的の為にも。そして、船の皆の為にも!」
ぬえの身体を得物で突き飛ばし、追い打ちとばかりに回し蹴りを喰らわせる。
ぬえはそれを難なく捌いて、一旦距離を取る。
「なんなのよ!あんた!私の楽しみの種を!」
指さしながら、ぬえが水蜜に不満をぶつける。
「その男の子の心は私が喰らう!幽霊如きに横取りなんかさせないのよ!」
光弾を放ちながら、猛攻をしかけるぬえ。
水蜜は錨で弾き、受け止めながらしのいでゆく。
ぬえの注意は、完全に水蜜の方へ向いていた。
―――今なら…にとりに!
静かに懐から連絡用の通信機を点ける。
若干のノイズが走った後、にとりとの通信が出来る状態になる。
河原にいる少女の声が、通信機を通してシンの鼓膜に届いて来た。
「どうしたの?行き成り通信なんか―――」
「にとり!緊急事態なんだ!」
「ど、どうしたんだよ!?」
シンはにとりに通信を仰ぐ時に考えていた事があった。
妖怪との戦いで起こる、人の身である故の必然的な力不足。
それを補える力をシンは以前使用した。
“エクスカリバー”
河童のにとりの技術と機体のデータから作られた、椛との戦いで勝利をもたらした剣。
それを再び手にする為に、にとりに連絡を入れたのだ。
「“エクスカリバー”をこの通信機の座標に向けて発射してくれ!」
「ええ!?そんな無茶な?」
「無茶でもやってくれ!」
怒声と取られても仕方ないぐらいの大声をあげる。
にとりは戸惑いながらも了承の意を示した所で、シンは通信機の電源を切る。
目の前では水蜜とぬえが戦っている。
宙に弧を描く様に飛びながら、互いの光弾が交差する。
「あんたがここの船長ね!どうやってあたしの領域にはいったのかなぁ!」
ぬえが質問と同時に円盤を撃ち出す。
「ここは私の船よ!自分の船で行けない所などないから!」
水蜜はその円盤に軽々と錨を投げつける。自分の身丈より大きい錨を。
衝撃。
シンが弾くだけで精一杯だった円盤は、水蜜の錨によって粉々に砕かれた。
「すげぇ…なんだよあの人は…」
シンは水蜜の外見から察することが出来なかった戦法に驚愕し、
ぬえは自身の円盤の様子を見て一瞬たじろぐ。
「舟幽霊……元人間の分際で!」
ぬえは突然割り込んで状況を一変させた水蜜に対して歯軋りをする。
―――これからが面白くなる所だったのに!
内心で湧き上がる憤りが、水蜜に対して加速していく。
水蜜は投げつけた錨を自らに手繰り寄せ、錨ごと身体を大きく真横に振りかぶる。そして、
「撃沈アンカーなら、妖怪だろうと!」
空気が震えるほどの力強さで、ぬえに鉄の塊を投擲する。
「………!」
それに対する危険をぬえは察知し、即座に射線から離れる。
直後、ぬえの横を錨が通り過ぎ、轟音を発して船内の壁に突き刺さる。
船自体に大した損傷を与える物では無いらしいが、それでも人間の、シンの視点で見れば十分すぎるほどの衝撃だった。
ぬえは外れた錨を横目で見やり、口元を歪ませて嘲笑する。
「あははっ!外れちゃったよ、船長さん!」
水蜜に対し挑発する口ぶりを見せるぬえ。
水蜜は無言で手元にある“錨を繋ぐ鎖”を引く。
それと同時に、水蜜は跳躍する。
ぬえの背後で壁に突き刺さっている錨が引き抜かれ、水蜜の方向に飛ぶ。
その延長線上に、ぬえは未だ浮いていた。
「しまっ―――」
言葉を言い終わるより先に、そこから回避運動を起こそうとする。
だが、遅かった。
錨の反動を利用して、水蜜が急加速してぬえに接近する。
極めて近い距離へ移り変わった後、その人間離れした身体でぬえに回し蹴りを放つ。
蹴りはぬえの背中に直撃し、嗚咽を漏らしながら壁へ叩きつけられる。
水蜜は引き寄せた錨を手に取ると、そのまま床に着地する。
「これで悪戯は終わりですよ、鵺の妖怪さん」
静寂と化した空間で、疲れを見せない素振りで呟く。
倒した妖怪に背を向けて、水蜜は弱々しく立っているシンの方へ歩みを向ける。
―――これが妖怪の、力。
シンはその少女に圧倒されていた。
空いていた口が塞がらないとは、まさにこの事だろう。大人しそうな印象を持っていただけに、船長に対する認識を改めた彼だった。
シンは恐怖に似た緊張をしながら、水蜜に問いかける。
「あ…あの!あの子は―――」
「あの程度で死んだりしませんよ、妖怪はね。それよりもどうやら、大きな怪我はしてない様ですね。安心しました」
「え、ええ…」
水蜜はシンの歯切れの悪さから、表情を曇らせる。
「もしかして……私が怖いですか?」
その問いかけは、何処か寂しげだった。
水蜜は服の裾を強く握りしめながら、戸惑う彼に言葉を投げかける。
実際、先程の戦いは容赦が微塵もなかった。
荒波の様な怒涛の攻撃は、普通の人間が抵抗できるものではなく、それに対する印象も凄まじいものがあった。
「い、いやっ、俺は―――」
シンは唾を飲み込んで口を動かそうとする。
だが、頭が麻痺したようになにも言葉が思いつかない。
水蜜は目元を伏せて身体を震わせる。
そして、震える声を喉の奥から出す。
「私だってっ……望んでこんな身体になったわけじゃ、ないもの。こんな化物みたいな力なんか…」
手に納まっている錨を手放す。
彼女の前髪の奥から涙が零れた―――様にシンには見えた。
―――俺のせいで。
―――俺が戸惑ったから、船長を傷つけたんだ。
自らの態度に後悔をする。
このままじゃいけない。この人を泣かしたくないと思った直後に、
意を決したシンは言葉を紡ぎ出す。
「俺は、大丈夫ですよ」
「―――えっ?」
水蜜は顔を上げてシンの方を注視する。
察した通り、彼女の瞳は濡れていた。
「確かに、船長の力は凄かったです。
だけど、俺はもっと怖いものを過去に見てきました。それこそ、この世界で味わうことの出来なぐらい、思い出したくもない恐怖です」
彼は僅かに、水蜜の瞳が輝きを増したように感じた。
「それに比べたら、貴方の力ぐらいどうってことないですよ。船長が心配している以上に俺は平気ですから……」
シンは彼女に近寄る。
彼女を安心させる為に、彼女の暗い雰囲気を振り払う為にシンは優しく微笑んだ。
水蜜はそれを見て影のある表情を崩す。
「えっ…あ、そんな風に言われたのは……初めて…です」
今までの様子で見せなかった、彼女の赤らめた顔。
シンはそれを見て少しだけ安心をする。
「でも、船長の力のお陰で。あの娘には悪いけど、俺は外に出なきゃいけないから…」
シンはそう言いつつ、廊下の奥に歩みを進めようとする。
その直後、
「そうなんだ。でもまだ通すわけにはいかないよ?」
静かになっていた空間の中、二人の背後から先程まで聞いた覚えのある声が聞こえて来た。
水蜜がぬえを蹴り飛ばした、壁の方向から。
そこからぬっ、と黒い靄が水蜜の方に向かってくる。
「まさか、さっきの声!?」
シンが驚愕すると同時に、水蜜が後方に跳ぼうとする。
だがそれを逃がさない様に、靄から金に輝く光線が飛んできた。
「うっ!?」
回避が遅れた水蜜は、右肩に光線を受けてくぐもった声を漏らす。
光線がもたらす衝撃で、水蜜の上着の肩の部分が破けている。
その奥から、薄い色の肌が赤く染まっていた。
「船長!」
シンは痛む身体を動かして、光線の射線から離れる。
今度は水蜜が、自由に体を動かす事が出来なくなった。
「だめじゃない。まだ、私との遊びが終わってないんだよ?特にそこの少年クン?」
芝居かかった口ぶりで、靄の中から黒いワンピースを着た影が歩みを進めてくる。
水蜜が退けた筈のぬえが、寒気がする様な声色で語りかけてきた。
「人間が地底へ追いやる程の力を持った私が、この程度でやられないわよ」
水蜜とは別方向で影がある表情。
一番の違いはその胡散臭い笑みだ。カラカラと小馬鹿にするように嗤いながら、肩を抱えて姿勢を崩している水蜜を見下ろす。
「油断したね?船長さん?」
「くぅッ……」
「この子は私の玩具なの。横取りだろうと乱入だろうと、真っ先に叩かせてもらったわ。だって邪魔なんだもの」
シンにとってその言葉は聞き捨てならない。
彼女の下へ駆けつけて、反射的にエッジをぬえに振りかざす。
「だーめ」
抑揚のない声を出した後に、至近距離で光弾をシンに放つ。
「うわあッ!」
ぬえの攻撃を受けて身体が壁に叩きつけられる。
再び身を襲う激痛で床に倒れそうになるも、寸前で踏み止まる。
だが、彼の力を一層発揮出来なくするには十分すぎた。
疲労と痛みから過呼吸を繰り返す。
右手に持つエッジの重みが、まるでダンベル同然に感じられた。
「まずはこの邪魔する船長さんを再起不能にしてあげるよ。それからゆっくりとあんたの心を痛みと怖さで犯してやるわ…ふふっ」
怖気がする声で、冷やかに告げる鵺の妖怪。
見た目こそ人型だが、その本質には人間とはかけ離れた考えの一面がある。
“妖怪”というのはそういうものだ。
ぬえが水蜜に青白く光る手を伸ばす。
止めを刺そうとしていることぐらい、直ぐに分かった。
「そんな好き勝手…!」
動け、動けと身体に言い聞かせて身を起こすシン。
今動かなきゃどうしようもないから。水蜜がやられるのを黙って見ていられないから。
何より、自分の目的がここで潰されるわけにはいかないから。
「やめろおおおおおっ!」
感情が昂り、心を焦がす様な怒りで全身の痛みが一時的に機能しなくなる。
いつかの時の様に精神が極限にまで研ぎ澄まされ、目の前にあるぬえの動きが一挙一動手に取る様に分かる。いや、その先までもが見える錯覚さえする。
彼の中で、再び“種”が弾けた。
無我夢中で近づき、ぬえを蹴り飛ばす。
水蜜からぬえをひきはがして、水蜜の身体を受け止める。
それと同時に廊下の奥の黒い靄から、ぬえの円盤とは別の飛行物体が飛行してくる。
―――あれは、インパルスのデータから作ったのか?
こちらに飛んでくる戦闘機の様な小型機体。
それは嘗てのシンの愛機、インパルスガンダムのシルエットフライヤーに非常に酷似していた。
本物と違う所があるとすれば、サイズと細部の意匠ぐらいだろう。
にとりが指示通りに用意してくれたのか、フライヤーには予想通りに“エクスカリバー”が二振り納まっている。
予想より大幅に到着が遅れてはいるが、彼にとっては構わなかった。
―――これで、目の前の妖怪を倒せるのだから―――
シルエットから二振りの大剣がシンの頭上から振って来る。
両手で掴み、柄同士を連結させる。
“ソードインパルス”で多用していた形態、“アンビデクストラスフォーム”。
桃色の輝きが剣の両端に伸びていき、その意匠は相手に薙刀を連想させる。
役目を終えたシルエットがぬえの近くに落ちて爆発する。
恐らく試作である分、完璧な飛行を想定されていなかったのだろう。
だがその爆炎は、今のシンにとって都合が良すぎた。
「てえええやああっ!」
両手で大剣を持ち、怯んでいるぬえに駆ける。
「うっ……」
ぬえは不安定な姿勢で床擦れ擦れを飛ぶ。
その動きは、シンにとって酷く緩慢に見えた。
強く床を蹴り、ぬえに追いつく。
そのまま連結剣を床ごとぬえに叩きつける様に振り回す。
ぬえは先程までとはまるで違う彼の迫力に押されながらも、ギリギリでそれをかわす。
床を抉った際の破片がぬえに当たっていく。だが、ぬえの方は先刻の様に余裕を持つ事等出来なかった。
鬼神の様に絶え間なく、剣をぬえに振り下ろす。
シンの中で燃え上がる怒りに誘発された“SEED”は、目の前の妖怪に対して容赦を許さなかった。
「あ…あれが、さっきの彼なの……?」
水蜜が右肩を抑えながら、鬼気迫る彼の表情を見る。
繊細な印象を齎していたシンの表情は、今は鬼とも例える事が出来そうな怒りに満ちた表情だった。
―――このままじゃ、あの子はいけない。あの娘の方も。
水蜜は惨憺と化した服を気にせずに、蹌踉めく足取りでシンの方に向かう。
幽霊の身になったというのに、痛みは人の身と変わらずに走る。
今の水蜜には、それがかなり癪に障っていた。
「うおおおおおっ!」
声を張り上げて怒りのまま、鵺の妖怪に大剣を叩きつける。
流石にぬえの方もかわしきれなくなり、正面から両手で受け止める。
「ああん!なんなのよ、急に!」
ぬえのその問いは、今のシンには聞こえないも同然だった。
「私はただ、あんた達が楽しそうだったから……!」
力のままにシンが彼女の腕を弾くと、一本の連結剣は二振りの大剣へと姿を変える。
そのまま、身体を大きく逸らして、両腕を真正面に振り下ろす。
直撃。
本物の“エクスカリバー”とは違い、切れ味も破壊力も抑えられているが、ぬえに傷を入れるぐらいの物理的威力は有している。
ぬえの身体は床に埃を巻き上がらせながら突き飛ばされる。
身体は頑丈でも身につけている服はそうにもいかない。
事実ぬえの漆黒のワンピースは、彼からの度重なる損傷により、至る所が破け、内側の肌を部分的に露出していた。
シンは目の前の妖怪に対してしか意識を向けていなかった。
クレタ沖海戦や対フリーダム戦の時と同じ、怒りの炎に包まれる様な感覚。
今のシンは“その時”と同じだった。
自身の不利を感じ取り、ぬえは足を後方に向けようとする。
だが、今の彼にはそれすらも無駄だった。
ぬえの不自然な足の動きと同時に、持ち換えた二つの“フラッシュエッジ”を投げつける。
彼女はそれによって完全に体勢を崩してしまう。
―――逃がさない……あんたは俺が。
転倒したぬえの先に“エクスカリバー”の片割れを投げつける。
完全に逃げ場を塞がれたぬえは、苦し紛れに光弾をシンに放つ。
だが無駄だった。
SEEDによって鋭敏になったシンの感覚には、彼女が発する光弾等抵抗にすら値しないモノ。
残った一本の大剣で、それを切り払う。
静かに、だが大きくぬえに無言で近づくシン。
ぬえは、その“怒りの瞳”に恐れをなし、涙を浮かべる。
完全に自分のペースに追い込んでいたのに、一変してしまったこの状況。
それに、ぬえの心は完全に折られてしまっていた。
―――こいつを、こいつを討てば。
シンは鬼気迫る表情をそのままに、縦一文字に振り下ろそうと得物を上げる。
ぬえは涙に濡れた表情を向けて、首を小さく横に振る。
やめて。私はこんなつもりじゃ―――
不敵な態度を完全に崩して、震える声を彼に投げかける。
そこで、シンはようやく我に返る。
自分が何をしていたという事より、目の前の妖怪に意識を向ける。
ぬえは、顔を真っ赤にして涙を流している。
自身が与える筈の恐怖より、シンの反撃から与えられた恐怖に苛まれたからだ。
力無く床に倒れ込み、言葉にならない泣き声をぬえは漏らしている。
―――俺は、なにをしていたんだ……?この娘を泣かせて…しまった…のか?
脳裏に一つの記憶が蘇る。
嘗ての上司であり、戦友。アスラン・ザラから受けた言葉の一つを。
『力を手にしたその時から、今度は自分が誰かを泣かせる者となる』
『その言葉、忘れるなよ』
「あっ…ああ……」
一瞬とはいえ、頭の中から抜けきっていた彼の教え。
泣かした。俺が、この少女を。
彼女の動機がどうであれ、彼女に危害を加えてしまった事に対して罪悪感を抱いてしまう。
そこに水蜜が近づき、ぬえに穏やかに声をかける。
「どうして、この様な事をしたのですか。貴方は?」
「ぐっ……くうっ…私はただあんた達が楽しそうに見えて……苛ついていたのよ…!あんた達に!」
涙声で怒声を張るぬえ。
「いいじゃない!あたしを混ぜてくれたって!私はこの子に興味をもって、いい様に遊んでやろうと思っただけなのに……私の方がこんな目に会うなんて思わなかった!許せなかった!
あんたたち妖怪が救おうとしている人のことだって、気に食わなかったんだもの!」
「聖を救う事が気に食わないですって……!」
「そうじゃないの!あんたの語りを密かに聞いていたけれど、とっても腹が立ったわ!僧侶の為に動くなんて、完全に人間の立場に着いたも同然じゃない!そんなの、あたしは許せない!」
ぐしゃぐしゃの顔を伏せて、床に大粒の涙を流し続けるぬえ。
静かに剣を手放したシンは、二人の少女を力無く眺めている。
「だから外の飛倉も弄ってやった!あんた達の邪魔がしたいから!ここでシンだって邪魔してやれば、あんた達みんなの望む事が叶えられない!それを私は楽しむ為に―――」
「言わせておけば……なんですか、貴方は!」
水蜜がぬえの胸倉を掴み上げて顔を露にさせる。
ぬえは赤く腫れた双眸を彼女から逸らした。
「自分が楽しみたいから!他人が気に入らないから!だから邪魔をする!だから…私達に危害を及ぼす!?貴方が望んでいたのは、本当にこんな事ですか!?そんな結果ですか!?」
「船長……」
シンが水蜜に気圧され、ぬえが涙をを驚愕から止めてしまう。
彼女を憐れんで、水蜜がぬえに叫びつける。
「私達が聖を助けるのは理由があります!大切な、大事な理由が!妖怪と人との共存の為というのもありますよ。それは貴方にとっても問題にはならない筈です、寧ろ有利に事が運ぶといってもいい!ですが……」
水蜜がその先を言おうとしたところで目線を床に向ける。
数秒間を空けた後、水蜜は伏せたままで再び大声で訴えた。
「一番大切なのは、私達の聖を救う為なのですよ……あそこに閉じ込められている聖を!!」
言葉と共に、水蜜から輝く涙が零れ落ちる。
ぬえはそれを聴きとった後、しゃくりあげるように泣いた。人間で言う、幼い子供の様に。
水蜜もぬえを離さずに静かに泣き声を漏らす。ぬえに語った時の拍子で、ため込んでいたものが堰を切った様に流れ出したからだ。シンはそれを脇から眺めていた。
―――ぬえも船長も、それぞれの思いがあったから。この様に通じ合わない事が起きてしまった。
―――俺は、俺が本当に今望んでいる事は。
シンはぬえの傍に落ちてあるエッジを拾い上げて、“エクスカリバー”も拾おうとしたところで、やめた。
ぬえに叩きつけた二振りの大剣は、いつの間にか破損していた。
剣を夢中で叩きつけた際に、酷使した影響で剣自体に大きな損傷を負わせてしまっていたらしい。
彼はその場所から静かに離れようと廊下の奥へ駆けだす。
すこし前へ走ったところで、元いた位置に顔を向ける。
そこには、涙をお互いに流しながら、身体を抱きあっている鵺と舟幽霊の姿が薄闇の中、そこに在った。