PHASE- 27 新たなる剣 後編


「シン!急いで機体に!」
二人は人々が行き交う往来を全力で駆け抜ける。
目指す先は巨体がそびえる広場だ。
「急いで“フリーダム”と“非想天則”を里から離さないと……」
息を切らしてシンはひたすらに足を前へ出す。
水蜜の言葉通りに大きな揺れが起こった場合、支柱も無しに佇む二つの巨体は転倒し、集まる人々に被害を及ぼす可能性がある。
急な揺れの対応も視野に入れているモビルスーツならまだしも、只見た目だけを模った急造品の“非想天則”では地震による損壊は免れないだろう。
場合によっては怪我人、最悪機体の下敷きになる人も出るかもしれないのだ。
―――広場のみんなが!
広場に向かうには、民家の合間にある近道を使うのが効果的だ。
「こっちです、シン!」
「ああ!」
シン自身は里の地理には疎かったが、幸い早苗がいてくれた。彼女のナビゲートで迷うこともなく、時に人通りの少ない路地をも活用して目的地へ向かう。
早苗によれば、地震の発生には心当たりがあるという。
シンが幻想郷に迷い込む以前に“似たような事例”が発生していたらしく、その際の揺れで霊夢の神社が倒壊した事があるらしい。
通常、大地震が発生した場合広範囲に渡って被害が及ぶのが当たり前だ。
シンの世界でも過去に世界各地で地震は存在していて、数日、数年に渡って余震等によって現地の住民を恐怖に陥れているケースもある。
しかし幻想郷で起きた地震は極めて最近の出来事であり、『局所的』な地震と同時に異常気象も発生していた。
そう、災害にしては範囲が小さすぎた。
人里には被害は殆ど無く、住民たちは今日も平和に過ごしているのだ。
そしてその“異変”には首謀者がいた。自らの快楽を得るために幻想郷の各地を混乱に陥れた愉快犯が。
「それが、前の地震での出来事!?」
早苗の心当たりを一通り耳にし、息を荒げながら問う。
肯きつつ、彼女は。
「もしかしたら、また地震が起きたという事は……」
小さく呟き、それっきり足の動きだけに集中する。
シンも口を噤んで同様に駆けた。
巨体の影は、徐々に近づいていた。
空に舞う、蒼の流麗な線が風に靡く。
大気の色と同化しそうなほど眩しく、きめ細かな輝きは陽の光を受けて艶を演出する。
それはこの世に二つとないほどに秀麗な長髪だ。
彼女は堕落した日々に辟易していた。
平民の様に働かなくとも文字通り遊んで暮らせる毎日。金銭にも病にも困らず酒や御馳走に毎日ありつける富んだ環境。
天に一番近く自らの誇りを実感できる土地にいる事すらも、傍からしたら羨望の的。そこで彼女は育った。何の努力も無く、そこへ成りあがる事の出来た親の娘というそれだけの理由で。
満たされてしまえば、後は堕ちてゆくしかない。
極めて早い段階で、彼女は全ての頂点に在った。
変化の無い日常に、彼女は囚われていた。
それは例えるのなら鳥籠だ。
外敵の襲撃も無く、与えられた餌を、唯々啄む平和で愚かな日々。
病があれば何もしなくとも介抱され、特別困る事が起きれば頼れる物が傍にある。
始めは幸福に感じる事が出来ても、徐々にそれは不変の物と化し、嘗て持っていた日々を生きていた頃の、悦楽も、苦痛も失われていく。
重ねて、自身は“人間”から“天人”へと成った時から、生きていることすらも実感が沸かない。
死にたい、とは思わないが生きていても箱庭の様な世界で生を過ごしているだけだ。
何時しか、その日々は彼女の中で憎悪の対象に変化し、程無くしてそれはこの世界の至る所に傷跡が残る『異変』と化した。
父の持つ“緋想の剣”を用いての、『異変』から得られる悦び。
それは彼女にとって至高の頂点だ。変わらない日々をいとも簡単に打ち砕き、頂きにある自らの力に立ち向かう相手が生まれる。
堕落した日々からは得られない、緊張と興奮。その最中こそ、彼女の求める日々だった。
しかしそれも長くは続かない。
『異変』は解決して再び枠の中に入る毎日に戻され、彼女は不満を心の中に孕んでいた。
―――毎日が壊れたらいいのに。
そう内心で何度呟いた事か。彼女にとっての敵は形では無い。故に不満の捌け口となるものがあらず、見つけても自らの家系―――名居一族に仕える小間使い達に八つ当たりするぐらいだ。
その黒々とする程の怒りと不満の最中に、転機が訪れた。
自らの唯一の拠り所とする、お気に入りの場所。
夜には美麗な極光が見え、昼には雲の下にある下界の様子が一目出来る地に倒れていた、少年の存在。
不変の毎日に、変化が起きた。
―――日常が変わる。
彼女は“彼”を視界に入れた途端、そう確信した。
ここから始まる新たな日常。
自らの願いが叶い、再び自らを中心とした時の幕開け。
“彼”を保護して、再び彼女は“緋想の剣”を取って下界に降りる。
目指すは、過去の頂。再びあの時の興奮を味わう為に、彼女―――比那名居天子は広大な幻想郷の地にその体躯を降ろす。
下界を向く瞳には、人里に聳える二つの巨体を捉えていた。

民家の合間を通り、人々が混む道路へ抜ける。
何度も住民にぶつかり、転倒しそうになりながらも彼らは目的地である広場に足を踏み入れた。
「着いた!」
聳え立つ巨体を目にして安堵と達成感がシンの中で沸く。
未だ揺れが起こっていない為に、広場の様子は離れる以前とまるで変わっていない。
だがそれも、早苗によればいつ崩れてしまうか分からない状況だと言う。
直感的に首を振って、神奈子の姿を探す。
程無く彼女は見つかった。神奈子の見張っている場所も変わっていないからだ。
すぐさま駆け寄り、早苗の手を取って神奈子に詰め寄った。
「神奈子さん!」
「うん?…ああ、シンじゃないか。どうしたんだ、そんなに血相変えて」
自らの置かれている感情とは対照的に、神奈子は安穏とした様子だ。
―――そんなことを言っている場合じゃないのに!
シンが口を開くより先に、早苗は前に出て神奈子に伝える。
「神奈子様、大変なのです!間もなく地震が起きます!」
「何?」
「悠長なこと言ってる暇なんかないんです、広場の人達の避難を!」
二人の剣幕に神奈子が息をのむ。
危機感からか、いつものお淑やかな彼女はなりを潜め、神奈子に捲くし立てる。
無論早苗の態度の変化は、“非想天則”の存在が焦燥を駆りたてているからだ。
“フリーダム”は安全性を考慮されて多少の揺れなら問題にもなりはしないが、“デスティニー”に似せられた“非想天則”は突貫作業で出来上がった、半ば欠陥品だらけの模造品だ。
満足に歩行も出来ない巨体が、揺れを受けて起こる事は想像に難くない。転倒、もしくは部品を撒き散らしながら倒壊してしまうだろう。広場でそれが起きれば、足を運んできた住人にも被害が及ぶ。
「先程、リュウグウノツカイの言葉を聞いた住民が知らせてくれたのです!」
「リュウグウノツカイ?となると、もしやまたあの天人か……分かった。早苗は広場の人々を如何にかして散らしてくれ。私は諏訪子達の下へ向かって麓に戻る様に伝える。シンは“非想天則”を広場から離す為にも“フリーダム”に乗り込んでくれ」
「はい!」
「分かりました、神奈子さん!」
神奈子の指示を受けて二人は其々の行動を取る。
早苗は神奈子と共に“非想天則”の披露を中止する旨を伝え、シンは即座に“フリーダム”の胸部コクピットに乗り込む。
起動手順を可能な限り省略して、直ぐにOSを立ち上げる。
ZAFT製モビルスーツの操作系はほぼ統一されている為、勝手は“デスティニー”と変わらない。
だが旧式であるのに加えて、OSが調整中である為に最新鋭の機体と比べると、若干“フリーダム”の起動に時間を要してしまうのは避けれなかった。他人が設定したOSはお荷物であり、障害以外の何物でもない。愛機の不在に焦りを感じずにはいられなかった。
「チイッ!」
未だモニターが機能せず、コクピットが暗闇の空間と化している事に舌打ちをする。
外からの音も聞こえない為、彼女達の誘引が順調かどうかも把握できない。
漸くディスプレイが発光して“フリーダム”に搭載されているOSによる調整が行われる。
暗闇の中にあるのはコンソールの淡い光と鳴り響く電子音。その最中に“フリーダム”の起動までの時間を示すプログレスバーがあるだけ。
只管待つしかない。苛立ちを込めた眼差しでシンはディスプレイを睨みつける。その直後だった。
「なんだ!?」
突如コクピットが上下に揺れ、目の前にある光が点から線になる。
地震だ。それもかなりの大きい揺れ。
急変した事態に思考が追いつかず、シンの思考は凍りつく。
そして、一層大きな揺れがシンの全身を揺らし、コクピットの壁に頭頂が激突する。
痛みと共に、喉の奥からくぐもった声が漏れる。同時にシンの視界からコンソールの光は消えていった。
大きな響きが耳の中に入り、闇から意識が引きずり出されていく。
地震の衝撃によって気絶したシンに、目の前の全天周囲モニターに移る景色が目に入る。
「皆……は?」
一言呟き、既に全アクティブを示していたOSを無造作に操作し、機体各部をチェックする。“フリーダム”の頭頂部に位置するメインカメラと各所に設置されているサブカメラによれば、幸い“フリーダム”は転倒せずに済んだようだ。
だがサブカメラの視界の一つに無残と化した景色が映り込んだ。先程まで“非想天則”が立っていた場所には、“デスティニー”の装甲を模したトリコロールのパーツが崩れ、広場に散り散りとなっている。地震の揺れに耐えられず自壊したのだ。
「“非想天則”が…!早苗達は!?」
瓦礫の山を見回して、シンは彼女達の姿を探す。しかしモニターには早苗や神奈子どころか、広場にいた住民も見当たらない。
不安に苛まれながらもカメラを操作するシン。そこに外部スピーカーからの声が入る。
「早苗か?皆は大丈夫なのか!?」
聞こえてきた声は間違いなく早苗の声だった。彼女は広場の入り口を塞ぐ瓦礫の上を、広場の外から飛び越えて来たのだ。
「ええ、ですがおかしいのです!先程の地震で広場の“非想天則”は壊れたのですが、広場の外側には揺れ一つありませんでした!」
「何だって!?」
その言葉に愕然とした。
早苗の言葉を信じるのなら、シンが体験した先程の地震は極めて限定的な範囲で起きた事象だということになる。
それは極めて通常では起こる筈も無い、非常識な出来事だ。
「住民の移動は神奈子様が行っております!シンは大丈夫なのですか?」
「なんとかな…」
短く答えてシンは操縦桿を握り、体勢を立て直そうとする。
まだ操作系の調整が不完全な為に反応は鈍く、動きもキラに比べれば緩慢だ。
必死に繊細なコントロールを意識して、揺れで傾いた“フリーダム”を直立させる。
「……!!シン、危ない!」
手元に集中していた意識に早苗の叫びが介入する。
それと同時に、モニター内に緋の閃光が飛び込み、コクピットに凄まじい振動をもたらす。シートベルトに繋がれた身体が喰い込み、呻き声がシンの口から漏れた。
「くそう!なんなんだよ!」
不慮の事態が連続で続き、思考が混乱しそうになる。先程の赤い光の正体が何なのかも、今の彼には見当もつかない。
だが、それは直ぐに知ることが出来た。モニターの一角に、巨大な岩の上に仁王立ちしている、蒼い髪の少女の姿が映った。
「久々に降りてみれば…随分と面白そうな事をしてるじゃない」
少女はこちらへ向けた瞳を欠片も動かさず、静かに。だが確かに聞き取れる声量で呟く。その手に有する炎の煌めきにシンは数瞬、圧倒される。
先程の光と同じ色である、緋の意匠。少女の得物は持ち主の双眸と共に“フリーダム”へ向けられていた。
シンの直感が告げる。
先程の光は、目の前の少女が原因だと。
「あ、貴方は」
先程の光の衝撃の余波を受けて地面に倒れていた早苗が立ちあがり、岩に立つ少女の姿を捉えて驚く。
「比那名居、天子……さん!?」
早苗の呟きを耳にしたのか、天子と呼ばれた少女が再び口を開く。
「あんたは確か、前に見た風祝……こんな所で会うなんて奇遇ね。東風谷早苗」
よく通る、凛とした声が二人の鼓膜に届く。
天子は視線だけを早苗に移し。
「随分と派手な物を作ってたらしいじゃない。ま、それも今片方は私が壊しちゃったんだけどね」
「貴方は……!」
早苗の声に怒気が籠る。
その様子を見ていたシンも外部スピーカーをオンラインにして、天子に言う。
「アンタは…何でこんなことを!」
「へえ、そっちはまだ壊れてなかったんだ。河童の技術ってのも侮れない物なのね」
天子にとって、本物の兵器である“フリーダム”の耐久は予想外だったらしい。
眉を細め、僅かに難色を示していた。
「ただ、面白そうだったから。だから私はここへ来たのよ」
平然とした天子の言葉に、シンは怒りを覚える。
―――興味本位で、“非想天則”を壊したのか!?この娘は!
「もう一つも、私が壊してあげるわ。風祝!」
高らかに言い放ち、天子は岩から跳ぶ。そして一直線に“フリーダム”に向けて剣を掲げて来た。
「…ッ、シールド!」
反射的に腕を動かし、“フリーダム”は左手にある防盾を構える。
衝撃。人間とほぼ変わらない体躯からは想像する事も敵わない絶大な力が、機体を仰け反らせ、シンに衝撃をもたらす。
「何するんだよ!?」
「さっきのと違って結構硬いわね……」
シンの叫びとは反対に、天子は平然としている。
少しも自らの行動に悪意を抱いていない様だ。
「シン、いけません!“フリーダム”は!!」
「……“フリーダム”?」
咄嗟に発した早苗の叫びを聞き、天子の脳裏に一つの記憶が浮かぶ。
自らが助け出し、今は天界の一角で休ませている“彼”の言葉。
『“フリーダム”を……討つことだ』
あの時理解できなかった言葉が、天子の目の前にいる蒼の翼と結びつく。
「“フリーダム”…」
天子は再度その名前を呼び、盾から身体を離す。その隙にシンは機体を立て直し、OSを戦闘機動に移行させる。
「あんたが“あの子”の……」
天子の眼の色が変わり、両手で剣を構える。
「“あの子”の敵なら…主人である私の敵じゃない!」
一喝して、天子は“フリーダム”に突進する。
「クッ!」
―――こんなところで戦いなんか!
これ以上激しい戦いをすれば、近隣の里に被害が出る。
シンはスラスターの出力を急激に上げると同時に、機体背部のウイングバインダーを展開させる。
“フリーダム”は蒼の翼を広げ、推進剤の尾を引きながら青空に飛び立った。
「シン…」
地上に一人残された早苗は、天に飛翔した二つの影を眼で追う。
天子の放ったビームの衝撃で足場に敷き詰めてある石は砕け、辺りには“非想天則”の残骸が至る所に転がっている。
瓦礫の中に人々がいなかった事は何よりも幸いなことだ。だがいくら幻想郷とはいえ、これほどの事を突如引き起こすとは正気の沙汰ではない。
「天子さんは何で……こんなことを?」
答える者が誰もいない広場で一言呟く。
自分達の努力の結晶が一瞬のうちに消えた事に対し、怒りや悲しみよりも疑問が勝る。
「おい!早苗!」
自分とは異なる少女の声が聞こえ、空を向く早苗の瞳は地へ向けられる。
数秒反応が遅れて、それがようやくにとりの声だと理解出来た。
にとりは真っ直ぐに瓦礫の山を飛び越え、後からは神奈子や諏訪子の姿が続く。
彼女らも無事だったのだ。
「お前、怪我はないのか?…シンは!?」
「あっ……にとりさん…大丈夫です、私もシンも。ですが…」
「“非想天則”が壊れたか…」
語るより先に神奈子が残骸を見て静かに囁く。
「申し訳ありません。私と言うものがありながら―――」
「いいさ、物は作ればどうにかなる。お前とシンさえ無事だったらな」
「早苗は何も悪くないよ、ね?」
「神奈子様、諏訪子様……」
自らを責める早苗に、諏訪子と神奈子が優しい声を掛ける。
「だけど、問題は―――あの天人」
にとりが早苗の見ていた景色に目を向ける。
空では緋色の一閃が“フリーダム”に襲いかかり、シンはそれを慣れない動作でかわす。
シンの駆る“フリーダム”のOSは、未だ調整不十分なのだ。共に整備をしていたにとりにはそれが良く分かっていた。
人の身体で例えるならば、脳からの指示を身体が正確に反映しない事と一緒だ。勝手も何も異なる機体で彼は天子の得物から逃れている。
「クッ…!」
にとりも早苗と同様に多少なりとも弾幕を操って戦闘は出来る身だ。だが、他の妖怪程機敏に動けるわけでもなければ、早苗や霊夢の様に劇的な力を有している訳でもない。
今彼の下へ飛んだ所で、足手纏い。もしくは不安定な“フリーダム”の邪魔になるだけだろう。
「おい、そういえばあの娘は?」
神奈子が辺りを見回し、諏訪子に問う。
「どうしたの、神奈子?」
「どうしたも何もないだろう諏訪子。小傘は何処に行ったんだ?」
その言葉を聞いて、殆ど同時に早苗とにとりは再び空を見上げる。
“フリーダム”の巨体と天子の体躯。そこから離れたところに傘を持つ影が近づいている。
―――まさか、あいつ!
脳が理解するより先に、にとりは地を蹴って身体を空へ押し上げる。
「にとりさん!」
追って、早苗も霊力を纏って上へ跳ぶ。
二人は迫る不安を拭いつつ、“フリーダム”の下へ向かった。
里の上空で、緋の一閃が“フリーダム”を捉える。
得物の炎の様な揺らめきとは正反対に、天子の剣閃は正確だ。
「クッ!」
シンは遅い機体の動作を見越し、予知的に盾を動かし剣閃を防ぐ。
防御には成功するが、一撃が重い。不安定になる機体の姿勢を必死でスラスターで安定域に持ち込む。
「いい加減にしろよ!あんたは!」
怒号を放ち、機体の盾を勢いよく払ってシンは天子と距離を開ける。
「なんでこんなこと…“非想天則”を!」
彼女達の努力の結晶を踏みにじった。目の前にいる彼女の非道は許せない事だ。
だが、何故天子は突然あのような事を行なったのか?その疑問がシンにとって真っ先に知りたかった。
「決まってるじゃない、面白そうだったからよ」
「なんだって!?」
「だけど、気が変わったわ。貴方だけは私が……討つ!」
天子は緋の刃を再度“フリーダム”へ構える。
「この私の力と、“緋想の剣”でね!!」
当然の様に宣言した後に、天子の目前に巨大な石が現れて無数の光を一斉に“フリーダム”に撃ち出す。
『緋想の威光』。
“天人”が扱える特殊な浮遊石―――要石から放たれる無数の光線は、大気の気質を極限まで縮退化した非常に強い破壊力を持つ。
天子のもつ莫大な霊力を加えた気質の緋光は空を切り裂き、“フリーダム”の盾に直撃する。
里で受けた天子の一撃より遥かに強い攻撃だ。盾の表面から黒い煙を上げて不安定な体制と化して、機体が後方に吹き飛ばされる。
―――このままじゃ、やられる!
シンは機体の操作と同時に“フリーダム”に残された武器を探る。
OSに表示される各部機能の一覧が、瞬時にシンの視界に入った。
「武器は!?」

[MMI-GAU2 ピクウス Deactivation]
[MA-M20 ルプス Deactivation]
[M100 バラエーナ Deactivation]
[MMI-M15 クスィフィアス Deactivation]

ディスプレイに表示された武器―――近接機関銃、ビームライフル、プラズマ収束ビーム砲、レールガン全てが使用不能を示す。OSの調整不足は武器の使用さえ困難にしていたのだ。
「…!」
だが、一つだけ残された武器があった。
武器の形式番号の中に一か所だけ、使用可能を示すランプが点灯している。
武器形式は[MA-M01 ラケルタ]。モビルスーツ用の白兵戦武器、“ビームサーベル”の旧式モデルだ。“フリーダム”の“ルプス・ビームサーベル”は、シンの愛機“インパルス”が装備している“ヴァジュラ・ビームサーベル”の先代に当たる。
しかし先代といえども威力は別格だ。“フリーダム”の動力源である核エネルギーは、従来のバッテリー機、それどころか“インパルス”等のセカンドステージシリーズを軽く凌駕する。高出力の核動力から精製された光の刃は最新鋭の武器と同等の性能を有している。
―――これなら!
シンの最も得意とするのは白兵戦だ。“インパルス”と同等の武器であれば、目の前の脅威を払う事さえ不可能ではない。
唯一の武器である、“ラケルタ・ビームサーベル”を“フリーダム”は勢いよく引き抜いた。
「やる気になったわね?行けっ!カナメファンネル!」
天子の言葉に応じるが如く、要石が“フリーダム”に接近しつつ、緋光を浴びせかける。
網目の様に張り巡らされるビームはまるで迷路のように入り組み、こちろを逃さまいと一斉に降りかかる。
ここで過去の経験が頭をよぎる。シンは過去にも類似した攻撃を幾つも経験していた。ネオ・ロアノークの駆る“エグザス”。セカンドステージシリーズのモビルスーツ、“カオス”の“EQFU-5X 機動兵装ポッド”。“デストロイ”の両腕部飛行砲“シュトゥルムファウスト”等の分離式独立高速武装攻撃、通称『オールレンジ攻撃』を幾度も受けている。
要石を用いた攻撃はサイズこそ違えど、『オールレンジ攻撃』に酷似している。シンは直感的に機体を巡らせ、緋光をかわしつつ手近な要石に急接近する。
「そこっ!」
一喝と共に“ラケルタ・ビームサーベル”を袈裟掛けに一閃させる。あらゆる物を超高熱で切り裂く剣閃は容易く要石の表面に傷を入れ、岩塊に変えた。
そのまま機体の勢いを殺さず、背後に回った他の要石にもビームサーベルを見舞う。
「このお!!」
不利な状況が一変し、“フリーダム”に脅威を脅かしていた存在を次々と墜とす。
それは天子にとって憤懣やるかたない。
―――こんなもの、あの時の戦いに比べたら!
どうということはない!
今より劣る、生死の境の中でシンはあの悪夢の中を己の力の身で生きて来たのだ。それまでに味わったことの無い核の違いを思い知らされた相手、キラ・ヤマトとの幾度も繰り広げられた死闘といま目の前にある脅威は、差が開き過ぎていた。
「私の石が通じない!?」
一つ、二つ、三つ。“フリーダム”がサーベルを振う度に、石の欠片は虚空に舞う。
キラに劣らない為にも、終戦後シンは戦闘の技術を磨き続けたのも自身の実力の向上を促した。越えるべき存在がいるからこそ、シンは限りない努力を積み重ね、コズミック・イラから争いを無くそうと奮闘していたのだ。
機体のハンデを負った所で、矢先の敵に遅れを取るわけにはいかない。
空に飛び交う要石の攻撃を避け、時には最小限の被害にとどめる様に防御する。次第に天子へ機体を巡らせて徐々に距離を縮めていく。
「なんなのコイツ!急に動きが!?」
明らかな焦りの表情を露呈して天子はうろたえる。
洗練された動きで光の刃を巧みに操る蒼の翼。その雄姿に天子の中で苛立ちと好奇が生まれ、動揺の波を呼びよせる。
「でも!」
だがこの程度の事で臆する器ではない。いや、そうでなければならない。自らのもつ矜持がそれを許さない。
逃げに徹するどころか、天子は要石の掃討に奮戦している“フリーダム”の死角に回り込む。
そして、その手に携える“緋想の剣”を“フリーダム”の装甲に振り下ろそうとした。
「クッ!やらせるか!」
接近を察知した警告音が鳴り響き、シンは操縦桿を強く持つ手に力を込める。
剣の一撃と“フリーダム”が転換したのは殆ど同時だった。
衝撃、コクピットを揺るがす振動がシンを襲いかかる。が、そこで予想外の事態が起きた。
“緋想の剣”が一瞬眩く輝いて、通さない筈の剣が装甲に突き刺さる。そのまま力任せに振り払った途端、金属が曲がる歪な音と共に“フリーダム”の腰部装甲の表面を抉りとった。
「そんな!」
起こりえた事が頭の中で理解できず、混乱してしまう。だが、それは確かに起こった。
目を疑う光景を認めたくない想いが理解を許さない。
「“緋想の剣”は伊達じゃないのよ!」
機体に明確な損傷を入れた事に喜び、天子が高らかに告げる。“緋想の剣”は通常の剣としての役目に加えて、『気質を見極める程度の能力』を有していた。
物体、生物の持つ気質を支配下に置く事により意のままに出来ると言う事は、“緋想の剣”の障害となるものに対して最大の損害を与えるという事だ。
“フェイズシフト”は確かに物理、衝撃性ダメージには非常に強い防御力を誇っているが、非物質的、高エネルギーで与えられる攻撃には耐えきれない。“緋想の剣”を天子が振るった際、大気中の気質で形成されたエネルギーを“フリーダム”に叩きつけたのだ。
「このままじゃ……」
討たれる。現在の“フリーダム”の不十分な性能では要石を相手に出来ても天子の一撃を受け流す事は出来ない。幾ら騒動の犯人とは言え“フリーダム”の力で命を奪う訳にもいかない。いくらシンの実力と技量をもってしても、強大な力を持った“妖怪”の少女を止めるだけの状況に持ち込めないのだ。
「何かきっかけが……あいつを止めるきっかけがあれば!」
サーベル払いながら天子から後退するが、次第に距離を詰められ装甲にダメージが蓄積しつつある。ある程度はそれでもフェイズシフトが防いでくれるが機体の機能低下は除々に無視できない状況に近づきつつある。隙を突かれて致命的な一撃を受けたら最後だ。“フリーダム”は人里のど真ん中に擱座し、大惨事を引き起こしてしまう。
―――こうまでして、好き勝手したいのかよ!
怒りがシンの中で膨れ上がるが、機体は彼の感情の昂りに反して思い通りの反応を示さなかった。
「さあ、終わりね。“フリーダム”!!」
天子が叫び、剣を天に掲げて大気中の緋光を集める。雰囲気で察した。気質を一点に集め、強力な一撃で“フリーダム”を墜とす魂胆なのだろう。
が、今の“フリーダム”はもはや先程の奇跡的な動きは出来そうにも無い。機体のフレームの至る所が痛み、修復しきっていないパーツが悲鳴を上げる。もう限界同然なのだ。
「あの子には悪いけど、ここでさよならよ!」
「あの子!?」
妙な口ぶりにシンは一瞬違和感を覚える。だが目の前の状況が思考を許さない。
既に相手は“フリーダム”を捉えてエネルギーを片手に集めていた。
天子の切り札である『全人類の緋想天』。集めた気質をビーム状に縮退させて相手を吹き飛ばす大技だ。威力だけならモビルスーツのビーム砲に匹敵するほどであり、天人の持つ莫大な霊力の加減次第ではあらゆる物を破壊する事が出来る。
「墜ちなさい!全人類の―――」
極限の緊迫が天子の宣言を緩慢にし、一語一句が鼓膜に響いてくる。
―――やられる!
緋色の剣から発せられる圧迫感にシンは息をのんだ。次に身体を襲う衝撃を覚悟して。
「やらせない!!!!」
突如、悲鳴同然の大声が辺りに鳴り響く。
「パラソルスターメモリーズ!!」
レーダーに視線を移すと第三の反応が九時の方向から接近して来る。声の方向から紫の傘が風を切り、天子の剣へと直撃した。あの傘の色には見覚えがある。広場で飴を指し出し、人里へ紛れた少女の傘―――
「何よ!邪魔が!?」
剣が宙に弾き飛ばされるが、咄嗟に天子は霊力を用いて空に舞う得物を再び手元へ納める。
が、剣の気質が先の一撃によって大気に霧散し攻撃は不発に終わる。天子は憤怒の視線を介入者に向け、剣を持つ掌に力を込めた。
「大丈夫、シン!」
「小傘ちゃん!」
声の持ち主は小傘だった。彼女は愛用の傘を天子に投げつけてシンの危機を救ったのだ。
射線から退避したシンは予期せぬ行動に驚愕しつつも、反射的に彼女の名を叫ぶ。
「小傘ちゃん!?どうして!」
「いきなり盛り上がっていた所を邪魔したんでしょ!?あいつが!」
怒号を上げて小傘は鋭い目を天子に浴びせかける。
「持っていた飴は何処かに人の入り乱れで落としちゃうし、私の大切なシンまでいじめるなんて…いてもたってもいられないわよ!」
「いきなり出しゃばって来て…なによ、お仲間って奴?」
小傘の介入に天子は気に入らなそうに吐き捨てた。
妨害でなければ天子の勝ちだった。それだけに彼女の苛立ちは当然ともいえる。
「だったら、纏めて片付けてあげるわ!!」
再び天子は剣を構えて気質を集め始める。
「させない!」
それを見て、もう一度小傘は傘を天子に投げつける。しかし小傘の周りに要石が現れ、放った傘を弾き返した。“フリーダム”も斬りかかろうとしたが、損傷の影響でスラスターが機能しない。ダメージチェックの報告がディスプレイに表示される。ウイングバインダーが限界に達し出力系に問題が起きていた。もはや戦うだけの力は残されていない。
「きゃあっ!」
悲鳴と同時に小傘の小さい体躯が機体に叩きつけられる。放たれた要石が小傘を傷つけ、その体躯を宙に吹き飛ばす。シンは辛うじて機体のマニピュレーターで受け止め、安堵するが、さらに剣には光が集い、迫りくる強大な一撃を示し続けていた。
小傘は無関係だ。理不尽な脅威に晒すわけにはいかない。
「シ…シン…」
「俺が守る!」
小傘のか細い声をかき消すように、願望にも似た叫びを放ってシンは小傘を受け止めて盾を構える。
機体が墜とされたとしても、小傘は守りたい。その想いしか今のシンには無かった。例え自らを犠牲にしてもだ。
「終わりよ!」
天子の手から放たれた衝撃。辺りを眩い閃光が迸り、明るい筈の青空は暗転し、モニターに大きなノイズが奔る。
ダメか―――シンが諦めを認めようとしたその瞬間。天子と“フリーダム”にさらに大きな衝撃が襲いかかる。天を切り裂いたのは巨大な雷だった。強大な電撃が天子の技を掻き消し、シンの危機を救ったのだ。突然の事態が続いて思考が追いつかなくなるが、乱れたモニターを睨みつけて状況を確かめる。すると雷が落ちた場所、そこに見慣れないもう一つの人影が宙に浮いていた。
水に揺れるヒレを連想させる優雅な緋の羽衣。頭には赤のリボンをあしらった漆黒の帽子を被っており、同色のロングスカートを風に靡かせている。緋の中に浮かぶ黒色はまるで暗雲の様にも見え、先程の雷を連想させる。
人影は、膨み広がる羽衣に殆ど身体を覆われてはいるが、下にある身体の曲線は隠し切れていなかった。あれを持つのは女しかいない。
「アンタは……」
無意識にシンは羽衣の女に向かって呟く。その問いに応えるかの様に、羽衣の女は振り返り帽子の影に隠れた顔を露にした。白い肌に包まれた端正な顔立ちは美しい。
「い……く…?」
だが羽衣の女に対して動揺していたのは彼だけでは無かった。天子は眼を見開いて、構えていた剣をおろしている。あの自信を前面に押し出していた彼女がだ。
「何で…衣玖が、ここに」
天子は自失して、視線だけを彼女へ向ける。
そして、ゆっくりと衣玖と呼ばれた羽衣の女が静かに告げた。
「各々方。この争いはここまでです」
女の言葉が静寂とした空間に鳴り響き、その場にいる彼らの行動を縛り付ける。
息苦しさに似た圧迫感だけが、辺りに満ちていた。


PHASE- 28 天と地


「あんたは……」
「い……く…?」
「各々方。この争いはここまでです」
電磁波と衝撃波を辺りに撒き散らし、雷光と同時に現れた緋の衣の女。
“フリーダム”と天子の間に立つ彼女は静かに、そして優雅な響きをもってこの場を制する。
「なんで…衣玖が…!?」
「総領娘(そうりょうむすめ)様、此の頃その剣を用いてから御勝手が過ぎていると総領様からお聞きしました。この永江衣玖、総領様からの特命により総領娘様の臨時召使(りんじしょうし)を務める事となりました」
「!?…父上が、あんたを?」
女―――永江衣玖は天子の方を向き、淡々とした調子で告げる。その言葉に天子は眼を見開き、息を呑んだ。
「何でリュウグウノツカイ如きが、私に!私の邪魔を!」
激高し、大声と共に天子は剣を衣玖に向ける。
「あともう少しで!“あの子”の敵を―――」
「総領様は私の能力と性分を知った上で私を貴方の臨時召使へと選んで下さったのです。私共としても能力上、天界とある程度の関わりがある故、総領様に幾分か縁がある身。それに僭越ながら―――総領娘様と私は今日に限った関係では無いでしょう?」
「妖怪風情が生意気に。あんたなんか“緋想の剣”で!」
「力を収める気が無いのでしたら、私も総領様から力の行使の許可を頂いています。……この場で貴方にお灸を据える事も私には出来るのですよ?少なくとも、その剣を弾いて貴方を拘束出来るぐらいには」
声を張り上げる彼女に衣玖は冷やかに口を動かした。
「チッ…わかったわよ!」
頭に血が昇っている―――天子からすれば今の“フリーダム”を討つには絶好の機会だっただけにその苛立ちも最高点に達しているのだろう。
吐き捨てるかの如く衣玖に向けていた剣を勢いよく降ろし、天子は自由な方の左手を固く握りしめた。
「なんだ…なんなんだよ、あんたたち…」
シンにとっては突然過ぎた光景だ。
衣玖の介入により撃墜を免れた彼は、モニター越しに二人の様子を眺めていた。
もちろん、機体の外部集音機器によって二人の会話の内容は漏らさずに聞きとる事が出来た。だが衣玖と天子の関係を知らない彼にとっては理解が追いつかない。
「あんた達は一体何なんだ…!」
シンの怒りは外部スピーカーで彼女達に伝えられる。
「何処までいい加減で身勝手なんだ!あんたたちは!」
シンは声は辺りの空気を震わせ、怒気を撒き散らす。増幅された音は確かに相手に伝わっている筈だ。しかし、
「そこの貴方達にはご迷惑をおかけしましたね。私達は用がありますので勝手ながらこの場を失礼させて頂きます」
あくまで淡々とした対応で、衣玖はシンに告げた。
―――どうしてそんなに平然と出来るんだ!?
感情的な天子とは打って変わり、衣玖は静かに淡々とした態度を貫いている。
それは今のシンにとって理解しがたい事だ。
「非想天則を壊して…小傘ちゃんに怪我を負わせておきながら!」
「妖怪ならば“緋想の剣”から出来た傷とはいえ、その程度で死にはしません。里にいる医者にでも見せればすぐに全快するでしょう。私達は急いでおります故、失礼させて頂きます。総領娘様、参りますよ」
「あとちょっとだったのに…覚えてなさい!」
その言葉を皮切りに、天子は天に浮かぶ雲に向かって身体を飛ばせる。衣玖はシンに向かって一礼をした後で、緋の衣を靡かせながら天子の跡を追う。
「待て!待てよ、好き勝手しておいて!」
大声で呼びかけるが、彼女達の進路に変化は無い。天子と衣玖はシンの声を無視して空へ姿を消した。
「シ…シン……」
微かに聞こえた少女の声。
シンは反射的に“フリーダム”のカメラを掌部マニピュレーターへ向けた。
「小傘ちゃん!」
小傘は天子の剣の一撃を受け、肩で息をしながらシンを呼んだ。何時も笑顔を振りまいていた可愛らしい顔は、苦悶に歪み、汗にまみれながら“フリーダム”を見上げている。
その表情の原因は彼女の受けた傷。彼女が両手で必死に抑えている脇腹からは深紅の液体が染み出していた。
あれは―――血だ。
水色のベストと白のシャツを切り裂いた剣は、その下にある柔肌に容赦なく損傷を与え、人と同じく流れる血液を外界に晒していた。
「大丈夫か、小傘ちゃん!」
―――あの娘の剣のせいなのか!?
先程まで自らを滾らせていた怒りを上回る恐怖が、シンの背筋を凍りつかせた。衣玖が告げた言葉を余所にシンは小傘に呼びかける。シンの知っている小傘は純粋な女の子だ。妖怪でありながら人に依存し、人並みの力しか有していない健気な少女。
その小傘が苦しげに呻いている。それだけで心臓が握りつぶされそうな不安にシンは苛まれていた。
「「シン!」」
外部から新たな少女の声が聞こえる。早苗とにとりだ。
「早苗、にとり!小傘が……!」
焦りを隠す余裕も無く、シンは機体を駆け付けた二人の方に向きなおす。
「そんな……小傘さん…!?」
「っ……!」
その“掌”に収まる少女の姿を二人は眼にし、にとりは驚き、早苗は思わず両手を口元に当てた。
「シン……大丈夫?」
小傘が苦しそうに小さく呟く。
「俺は何ともないから!早く手当てをしないと!」
「えへへ、よかっ…た」
呼びかけと同時に小傘は“フリーダム”の上で仰向けに倒れる。
陽の光に照らされた肌からは血の気が引いているようで、見ている者を焦燥で満たした。
「小傘ちゃん!!!!」シン
「小傘さん!」早苗
「小傘!」にとり
力無く倒れた小傘に向かってこれ以上に無い叫びを発する。
“掌”の上で倒れている少女から零れる深紅の液体は、その小柄な体躯を容赦なく濡らしていた。

「小傘ちゃん!」
血相を変えてシンは“フリーダム”を荒れた広場に戻して、小傘と共に降りる。
早苗とにとりもその後を追って、小傘の周りに座り込む。
傷はそこまで深く無い。改めて確認すると剣によって血が流れてはいるが、一般的な人間に比べたら出血量も大したものでは無かった。
だが彼女は妖怪以前に、一人の女の子だ。自発的に戦闘に介入してきたとはいえ、非力な彼女に傷を負わせた事がシンにとっての負い目だ。
「人を、医者を呼ばないと…!」
早苗が血相を変えて言う。元の世界が戦争とはあまり関係の無かった彼女にとって、他人の血を見るのには慣れていないのだろう。戦場の中で過ごしていない者にとって、他人の血は恐怖の対象だ。シンは幼い頃の経験と大戦時に多くの惨い光景を目にした事があるが、慣れたと思った事は殆ど無い。少年兵が数多く所属しているザフト軍だが、彼の様に純粋な人間は少なくないのだ。
さらに、小傘の傷を目にした途端シンの中で燻ぶっていた記憶が再度想起される。
燃え盛る灰色の街。暗い空から降り注ぐ無機質なまでに白い雪。傍で横たわる破壊された巨大殺戮兵器。
そして、自らの腕の中で消えてしまった命―――
―――ダメだ!
勢いよく頭を振り払い、今は目の前の小傘にだけに集中する。幸い人間だろうとこの程度の傷なら大事には至らない。
焦らずに、早く手当てをしないと。シンはにとりの方に向いて問う。
「にとり、リュックの中に何か無いか?」
里に来る際、にとりはいつも緑色のリュックを背負って来ている。いつもは買い物袋の代わりにしたり、作業の際に使う器具が入っているのだが―――
「ハンカチならある!」
「それを近くの所でいい!水でよく洗って傷に当てるんだ。早苗!君は医者を―――」
「その必要は無い」
早苗に指示を掛けようとした時、別の方向から声が掛かった。神奈子達だ。
だが、幾つかの新顔も後ろについていた。
「すでに医者は呼んである、シン」
「患者はどこですか?」
声を張り上げて駆け寄ってきたのはロングヘアに白いシャツと桃色のスカートが特徴的な少女だ。シャツにはネクタイを付けており、毅然(きぜん)とした印象を受ける。
だが普通の人間とは異なり、彼女の外見で取分け異質なのが頭頂部から生えている“耳”だ。
上に向かって伸びている細長い耳は明らかにヒトの物ではない。シンの記憶の中でその耳に近い形の物を絞る。そうだ、これは兎の耳だ。彼女の頭からは文字通り“兎の耳”が生えているのだ。この医者の少女も恐らく妖怪なのだろう。
「この娘ね!…大丈夫、少し血が出過ぎているだけ。妖怪なら処置さえすれば輸血なんか無くてもすぐ治るわ」
兎耳の少女は小傘の傍に駆け寄り、手に持ったメディカルキットから包帯を取りだした。
「消毒した包帯よ。これを巻くからみんな離れて」
少女の指示に従い、彼らは小傘から離れる。
「特に君!」
「俺か!?」
不意に兎の少女に呼ばれ、シンは目を丸くした。
「いまから処置をする為にこの娘の服を脱がせるわ。男はあっち行ってなさい!」
「な、そんな突然―――」
「いいからいってなさい!」
少女の剣幕を浴びせられ、シンは圧倒された。
「シン、後の事は彼女に任せればいい。私達は一旦広場から離れよう。しばらくは広場にも人は来ない。彼女らのおかげでな」
隣に近づき、神奈子がシンの方に静かに手を置く。神奈子の傍には胸元が開いている青い服を着た長髪の女と、衣服の至る所に札を付けた奇妙な格好の女が立っている。恐らく、この二人が里の人間の避難を誘導してくれたのだろう。
「…シン、行きましょう」
早苗が静かに囁く。シンは焦りの顔を隠しきれずにはいたが素直にその言葉に従う。
小傘の治療に居合わせる事が出来ない。それが彼にとっての一番の悔しさだった。
「自己紹介が遅れたな。私は上白沢慧音(かみしらさわ けいね)。この人里の寺子屋で教師を務めている。そしてこちらは私の友人である―――」
「藤原妹紅(ふじわらの もこう)だ。竹林の案内人を務めているが、今日は偶々里にいたんだ。突然の地震には流石の私も驚いたよ」
「シン…アスカです」
里の往来にまで出て、互いに自己紹介をかわす。未だ心境が晴れやかでないシンは俯きながら二人に会釈をする。
上白沢慧音と藤原妹紅は対照的な人物だ。慧音は見た目十代の後半あたりだというのに、落ち着いた振る舞いと見ている者を安堵させる柔らかい表情は、どことなく“大人”を印象付ける。学び舎の教師をしているというのは嘘ではないのだろう。素人目でもそれが分かるほど慧音から発せられる雰囲気はある意味異質なのだ。
妹紅は外見を見る限り、慧音と年齢に大差は見られない。だがこちらは深紅の瞳、炎を連想させる白のシャツにサスペンダーで釣っている赤のズボン。慧音に比べると幾分か攻撃的な印象を与えている。だがこちらは慧音より慣れたように落ち着いている―――寧ろ、老成しているかのような錯覚を帯びた冷たい視線をこちらに向けている。見たところ人間の様だが、永く生きている妖怪より古くから生きている―――そんな気がしてならない。どちらにしろ、この二人も一般的な人間とは違う人物なのだろう。
「その様子だと外来人の君も知っているかもしれないが、幻想郷では平和と異変が途端に入れ換わるからな…君も大変だっただろう?」
「慧音さん…いや……その」
「……シンだったな。さっきの少女なら心配いらない。彼女も見た目は君と大差ない様に見えるが、腕は確かだ。あの程度なら直ぐに治るさ」
歯切れの悪さから察したのか、慧音が優しく声を掛ける。
今のシンの思考は全て小傘の安否に持っていかれていた。自分の力の無さを悔やんでも悔やみきれない。“デスティニー”が無いとは言え、怪我を負わせたのは事実なのだから。
「山の神様に会うより先に私達も空の戦いを目にしたのだが…君は異変を起こした天人を追い返したのだろう?あの翼の機械人形で」
「私と慧音も出来ればお前の戦いに手を貸したかったんだけど…生憎、里の人間が下手をすればパニック寸前だったから。神様達と手分けをしなければ怪我人の恐れもあったわ」
「だから、“君はよくやった”とでも…いいたいのですか?」
慧音と妹紅の言葉にシンは反論する。
「でも、あれは君の力だ。あの傘の娘があの程度で済んだのも里がこの程度で済んだのも、君の力のおかげだ。おかげで私達の“非想天則”が崩れても怪我人の知らせは来ていない」
「そうですよ!シンは何も悪く無いです!」
神奈子と早苗も、自らを責める彼を案じて言う。
「でも俺は!」
シンは俯き、彼女達の言葉を払い除けて声を張り上げた。
「“フリーダム”の力を使いこなせずに…あの衣玖って人が来なけりゃ俺もどうなってたか分からなかった!あの娘だって何でこんな事をしたのか分からないけど……俺がキラさんの様に戦えていればっ…!」
悔しさの根源は改めて突き付けられた自らの非力さ、そしてキラの動きに遠く及ばなかった事だ。
『戦争はヒーローごっこじゃない!!』
アスランの言葉が今一度シンの脳裏で再生される。
―――ああそうさ。アスラン、あんたの言うとおりだ!
これだけ腕を上げても自分は誰ひとり守れない。それが現実だ。状況や相手なんて関係無い。俺は皆を守るヒーローにだってなれやしない!
シンの悔しさが増幅し、両手には爪が喰い込む程の力が入る。強く引き結んだ瞳の奥では怒りと悔しさが渦巻いていた。
「なら―――私から君に命令しようか」
聞こえて来た声に気付き、瞼をひらいて神奈子の方へ顔を向ける。
「神奈子様…一体…?」
「シン、君がこの異変の解決に力を貸したいと願うのなら……早苗とにとりと共に作業場へ戻り、天界に向かう準備をしておくんだ」
「神奈子さん…それって…」
「ああ、君もこのままじゃ納得できないだろう?ならば私達側が討って出るまで。広場の補修は私と諏訪子、そして里の人間達と共に行なう事にする。だからシン、あの天人―――比那名居天子を止めるんだ」
「傘の娘は医者が手当てしたらシンと一緒にもどればいいからね、広場の方は私と神奈子に任せて!」
「神様、私と妹紅も広場の補修に参加しよう。子供達も利用する広場だ。貴方達だけに手をわずわらせるつもりはない」
「慧音がその気なら私も異存は無い。医者の方が里に出向く事が多くなって、最近竹林の案内の仕事も減っていてね。待機も飽きて来た頃合いだよ」
「皆さん…!」
神奈子の一言にその場にいる全員が賛同する。
「シン…」
「にとり…」
「お前もやられっ放しは悔しいだろ…?」
「ああ」
「なら、今度は私達の番だ」
にとりはシンの顔と真っ直ぐに向かい合い、言った。
「お前と…私達の“フリーダム”で、あの天人を止めようよ!」
異変の元凶である天人。あの驚異の力にシンは敗北を喫した。
だが、今のシンは一人では無い。
「だから…」
シンの両手をしっかりと握って、目の前の河童の少女は祈る様に囁く。
『あの時―――力があったなら』
―――アスラン…
『大切な人を守れたと?』
―――だけど、力があっても…及ばないものがある。俺はあの戦争でそれを知ったんだ。
過去。アスランが上司だった頃の言葉が次々に思い起こされる。
あの時はただ、偉そうなことを言う気に入らない上司としか思っていなかった。先の大戦で、現実から眼を背けた臆病な人間にしか思っていなかった。だけど。
『このっ!馬鹿野郎!!』
シンの想像以上に、アスランは強く、自らの非力さを感じ取っていた人間だった。
『何故本気で戦おうとしない!アスラン!!』
アスランは軍を抜けてからも、シンを気掛かりにしていた。ダイダロス基地での最後の決戦。オーブが滅ぶ瀬戸際の状況に追い詰められながらも、アスランは敵となった部下に本気の刃を振り下ろす事が出来なかった。
『それは…今のお前の姿が昔の俺と似ているからだ』
そう、アスランは過去の自分にシンを重ねていた。自らの無力を呪い、闇雲に力を求めていた愚かな自分に。
しかしアスランはキラやカガリとの出会いで知った。その先に迎えているのは“破滅”だと。殺しては殺されて、殺されては殺して。そこから行きつく先は共倒れしかないのだと。
『だからもう、過去に囚われるのはやめろ!明日に、未来に目を向けるんだ!』
天子がどのような思惑をもって里に危害を加えたのかは、今のシンにとって知る由は無い。
しかし、憎しみで撃ち合っても争いは止まらない。力は新たな力を呼び、世界を破滅に誘う。
「ああ、もちろんだ」
「シン…!」
にとりが持つ自らの手に、今一度力を込める。
すでに、決心はついていた。
「運命を切り拓く…そのためには」
討つのではなく、止める。目的なしに暴れまわる者などいる筈がない。
天子がどのような考えをもって異変を起こしたか。それを知った上で彼女の暴挙を止めたい。
―――なら、天子達と。
「今度こそ、ちゃんと話し合わなきゃ…!」
それがシンの、覚悟だった。

「戻っていたのか」
負っていた怪我の大半も治り、一人でも身の回りの事が出来る様になった頃。この女は時にこの場所から離れている。
どうもこの世界は“霊力”と呼ばれる特殊な力を有する者ならば誰でも飛行能力を持っているらしく、この空の上を自由に行き来しているらしい。生憎、俺はそんな非現実的な力を持っておらず、移動が必要になる時は彼女達の助けが必要になる。
この場所―――天子の言うお気に入りの場所にしばらくいる間、次々と信じがたい事を目にしてきたものだ。怪我したときに痛んだ俺の服は今、天子の小間使いが持っていき修繕していると聞く。今の俺が着ている物は、レース付きの白いスカーフに紺の上着。礼服用の茶のベルトを巻いている。これではまるでコンサートの奏者になった気分だ。
俺自身、あまり服には頓着しないものだから特に気にはならない。天子曰く、『あんたに似合いそうだからこれをもってきた』らしいが、着れる服があるだけマシと捉えるべきか。
「地上に行ってきたのか?」
「ええ、中々にスリリングな体験をしてきたわ。あれだけやれば恐らくあいつらはこの天界にやって来る…私の目論見通りね」
“スリリング”だと?。暇があれば退屈だの暇だの、ぼやいている天子がその様な感想を漏らすとは。
「ほう」
「しかし、幾ら剣をお持ちとはいえ地上で暴れてもらうのは非常に悩ましい事です」
「お前は……」
この場所に俺と天子以外の人物が来るのを見たのは初めてだ。緋の羽衣を纏った女。天子と同じく空を飛びこの地にやってきたという事はこの女もまた俺の知っているヒトとは異なる生物なのだろう。
「うっさいわよ、衣玖。お父様は特別何も言ってこないし、他の天人は馬鹿みたいに毎日食って遊んでいるだけでしょ?あんな奴らには必要ないわ」
「しかし…」
見た様子、天子とは面識があるらしく羽衣の女がこの場に来ていても当の天子は言葉とは裏腹に邪険にしているようには見えない。うっとおしげに女―――衣玖の忠告を無視しつつ、あいつは俺の目の前にまで近づいて来た。
「何だ」
「…ふーん、大分治ってきたのね。死にかけていたあの時とは大違いだわ」
「お陰さまでな」
「相変わらず可愛くないわね。もっと素直な態度だったら、この私が可愛がってあげるのに」
「生憎そのつもりはないな」
「ところで、総領娘様。この金髪の少年は…」
衣玖が初めて俺の方に身体を向けた。俺と衣玖は初対面だ。彼女が疑問に思うのは当然だが、今まで俺の存在を無視していた事に少し頭にくるものがあった。それほどまでに衣玖にとって天子は公私問わず目を離せない少女という事か。
「ああ、彼?この外来人は…」
天子は俺の名乗った名前を衣玖に伝えた。その直後に衣玖が俺の方に向き、
「貴方に自己紹介をするのが遅れてしまいましたね。私は永江衣玖。この度総領娘様こと比那名居天子の臨時召使を務める事になりました。宜しくお願いします」
「臨時召使?」
「ええ、総領娘様の御父上からの命令で…私共としても幾分か天界とは縁がある身なので引き受ける事にしたのです」
体の良さそうな物言いだが、要するに貧乏くじを引かされたという事だろう。察するに、あの我儘娘を手懐ける者がいない為に天子の親は仕方なく、このお人好しそうな女を抜擢したという事だろう。
「そうか。それは大変だな」
「ええ、全く」
俺の言葉に素直に肯定する衣玖。こいつ、こう見えて結構天子に対してうんざりしているのではなかろうか?
「そうそう、あんた!私、大ニュースをもって来たのよ!」
俺と衣玖の間に割り込んで天子が笑みを向けてくる。こいつは俺と衣玖が話していた内容を知ったら怒鳴り散らしそうだな。
「何だ」
「あんた、願いがあったわよね」
願い―――か。確かに今の俺の目的は“フリーダム”、あの死の天使を墜とす事だけだ。それ以外には何も用は無い。
「それがどうした」
下らない事なら聞くつもりは無い。
しかし天子はもったいぶさそうに両腕を後ろで組んで、こちらに上目遣いをしている。一体何があるというんだ。
「“フリーダム”、見つけちゃった」
俺の時間が静止した。
今この女は何と口にした!?
俺の敵(かたき)―――“フリーダム”がこの世界にいるだと?
「なん…だと?」
気付けば俺は天子の両肩を掴み、眼前にまで彼女を勢いよく引き寄せていた。
「痛っ!なにすん―――」
「“フリーダム”…俺の敵が!?どこにいるんだ!!」
「落ち着いて下さい!貴方!」
回復した腕力で、天子の細腕をシャツ越しに握り締める。自分でも意図しなかった行動だ。衣玖に遮られて俺はようやく力を抜く。が、中々両腕の緊張が抜けない。思考より早く、俺の身体は天子の一言に反応していたのだ。やはり、俺が記憶を失おうが本来の『俺』は“フリーダム”を倒そうと躍起になっているのだ。
「…すまない」
しかし天子にやった事は暴力同然だ。恩人に不快な思いをさせたのは俺にとってもショックではある。
「あんたねぇ!いくらこの私が寛大だからって行き成り強引に…!恥を知りなさい!恥を!」
「……どうされたのです?急に、先程の貴方からは想像もできない行動でした」
「…身体が反応したんだ」
「なんですって?」
「上手く言葉に出来ないが……理解するより早く俺の手が天子を掴んでいた。恐らくは…身体が“フリーダム”の事を覚えているんだろう」
そうとしか説明できなかった。記憶を失って俺の頭の中は闇で満たされているが。それでも微かにあの“蒼の翼”のシルエットがちらついている。
この身体の奥から煮えたぎるような感情は、怒りか?それとも憎しみなのだろうか。もしくは………悲しみなのだろうか。
「兎に角…あんたなんかにまだ身体を許すほど私も安い女じゃ無いわ。それに、私の言葉にはまだ続きがあるのよ」
「続きだと?」
その言葉を受けて再度意識を集中する。今度は何があろうとも彼女に手を出さない様に拳に力を込めた。
「“フリーダム”を見たんだけどさ…私、あの姿によく似た機械人形を前に見た事があるのよ」
「何だと!?」
次から次へと、この女は俺を平常でいさせない気か。だが…興味深い内容だ。
「総領娘様、それは…!」
「衣玖も知っているでしょ。今より二年前、あの巨体が天界の果て…誰も寄り付かない場所に突然現れた機械人形の事を」
「勿論。当初は天界の人々も興味を表していましたが、場所が場所だけに直ぐに忘れ去られた同然の存在になり下がった、あの機械ですか?」
「動かそうとしても重すぎてダメだし、河童を呼ぶにはかなり難しい場所だしね。幸い外傷は殆ど無いみたいだけど、新品っていうよりかは使い古された感じだったわ」
それは、“フリーダム”と同格の存在なのだろうか。それを行使することが出来れば俺は“フリーダム”を―――
「ねえ、あんた」
呼ばれて、俺は思考から再度意識を天子に向ける。
「あんたは外来人よね。恐らくはさ、あの機械も別の世界から来たものだと思うのよ…私の言ってる意味、分かる?」
「…ハッキリといってくれないか」
「あんた、私の力になりなさい」
願ってもない言葉だ。
「あの外来物を動かして…ここへ来る“フリーダム”を討ち倒すのよ!」
それを断る理由がどこにあろうか。恐らく、天子の言う機械は“フリーダム”に対抗できる唯一の力。俺はそれをもって、念願の打倒を果たす事が出来るというものだ。
今度こそ、奴を葬り去ることが出来る!
「勿論だ」
俺は天子の言葉に肯定を表した。
「フリーダムは……俺が討つ」 

夕暮れの河原。
作業場の横に降ろした“フリーダム”の中で、シンは急ピッチでOSの再調整を施していた。
小傘の治療は済み、今は作業場の簡易ベッドに運んで横にさせている。にとりは他の河童と共に“デスティニー”の完全修復の為に全力を尽くしていた。
早苗の方は傷ついた小傘の服を修繕する事に手を回している。
“緋想の剣”が纏う気質の一閃に小傘は何とか軽傷ですんではいるが、威力は天子の言うとおり“伊達”では無かった。剣の纏う気質は、例え剣に触れなくても対象に損傷を齎(もたら)したのだ。
故に小傘の上着は傷だらけで、とても着れる様な代物ではない。今はベッドの布団を掛けて、肌を露にしない様にしているぐらいだ。
だからこうして、シンはコクピットに籠り次の出撃までに万全の態勢に出来る様、機体に手を加えていたのだ。
「ニューラルリンゲージ・ネットワーク再構成……全ウエポンブロックリセット、並びに最適化……マニューバセレクタはそのままに俺の反応速度と同期させる………エラー!?チッ、ならば……」
キラのカスタマイズOSとデフォルトOSの構成をメモ取りして、“デスティニー”から引っ張ってきた自らの操縦方法に最適化した数値をキーボードで次々と叩きこんで行く。
無機質なリズムがコクピットに設置されているエアコンの運転音と混ざり合い、シンの鼓膜に響いてくる。解放したコクピットの外側からは夕暮れの世界から聞こえる自然音が伝わり、それをバックミュージックにしながら作業を進めていった。
「俺の“インパルス”のデータと“デスティニー”のデータ。それにキラさんの構築したマニューバデータを組み合わせれば…!」
キラのOSには通常の設定に含まれていないデータが幾つか含まれていた。中でも、全砲門を展開して相手に集中砲火を浴びせる“フルバーストモード”と、シンも使用した高機動巡航形態“ハイマットモード”を組み合わせた、“ハイマット・フルバースト”は、キラ独自の運用形態だ。
高機動を維持しつつ数多くの敵を効率よく撃墜する、カタログスペック以上の動きを可能とした設定……一見した限りではキラの設定はある意味出鱈目な物ではあるが、要所を取り出すと確かに利用価値が高いデータが次々と見つかった。
そもそも、キラの設定自体が出鱈目同然なのである。“フェイズシフト装甲”に回す電力を出来る限り最低限にして、殆どのエネルギーを推力系、火器に回す……つまり、防御をシールドに全て依存させ、コクピットの保全を無視同然にしてあのような高機動を実現させていたのだ。
操作系も単純に言うならば、『反応が追いつければいい』という代物だ。操作系の多くはOSがオートにより、ある程度の機体の動きをサポートしてくれるのだが、キラはそれを全てマニュアルにしている。敵機のロックオンから、機体の一挙一動を操縦桿の絶妙な動作で再現するという、常人にはおよそ不可能な操作系にしているのだ。
こんな機体、他のパイロットに動かせるはずもない。呆れるほどの複雑な操作系を目にしてシンは一旦手を休める。これをデフォルトから自分用に調整するだけでも難しいのに、そこから応用を利かそうというものだから作業の量は増えるばかりだ。しかし、そうでもしないと天子の縦横無尽な動きと攻撃に後れを取ってしまう事になる。
「里の方は神奈子さん達がどうにかしてくれるけど…俺は、結局こんな事しか出来ないのか」
守る者も守れずに、何が軍人だ。
シンは小傘の傷を思い出すたびに、頭を掻き毟って恐れに駆られる。あの時の姿が、家族を亡くした時とステラの死と重なってしまい、中々忘れる事が叶わないのだ。
「俺の、せいだ」
動かしていた手を沈黙させ、座席に身体を寄りかかせる。こんな精神衛生では、捗(はかど)る作業も捗らない。せめて、小傘の元気な表情を目にするまでは、この心の靄(もや)は取れそうになかった。
「ゴメン…小傘ちゃん」
昔の自分なら涙を流し、泣いていただろう。自分を情けなく思い、何時も涙を流していた無力な自分が目に浮かぶ。大戦時も多くの物を失ってどれだけ涙を流した事か。
『シン…好き…』

ステラの最期。あの時の告白は今もシンの心に焼き付いている。
俺が愛していたステラ。可愛そうなステラ。何度それを内心で復唱して悔やんだか。何度世界を変える為に彼女の姿を思い起こしたか。
シンにとって、今の自分は最低に思えた。
「シン……泣いてるの?」
聞き覚えのある声が鼓膜を叩く。そうだ、コクピットは開けっぱなしだったのだ。
ゆっくりと俯かせていた頭を上げて、外の景色を視界に入れる。そこには。
「こ…がさ…ちゃん」
透けそうなほど薄く白い布一枚を纏った、多々良小傘がコクピットの中にいるシンを覗き込んでいた。
反射的に、怪我を負っていた彼女の脇腹の方に視線を向ける。そこにはもう、血の跡が存在せず嘗(かつ)ての怪我を微塵も感じさせない眩しく輝く白い肌があった。
「って、ちょっとまった…!」
だが、シンの目にしている彼女の姿は極めて扇情的だ。
布の奥には、当然女の子の身体が存在するわけであり、スカートと布を除けば殆ど裸同然であった。
もしこの場に、にとりと早苗が存在してたならば……目隠しされるか、ビンタを貰うかは覚悟せねばならなかっただろう。シンの本心としては、眺めていたい気持ちも存在するが。
「き、傷は大丈夫なのか!?っていうか、とりあえず服をっ!!」
「……なんでそんなに慌ててるの?私は元々傘だから服なんてどうでもいいじゃない。…それよりも、驚いた?」
「驚いたにきまってるだろ……」
人間とはかけ離れた小傘の感性に、シンはとうとう呆れてしまった。
―――どうしてこの娘は…
「わあ♪シンが驚いてくれたから嬉しい!」
小柄な体躯の割に、出ている所は出ている身体だから眼のやり場に困ってしまう。そんなシンの心境を知ってか知らずか、小傘はゆっくりとコクピットの中に入り込み、シンの隣に腰を降ろし始めた。
「おいしかったぁ……隣、すわっていい?」
小傘の問いかけに、シンは眼を逸らして無言で対応する。
「…やっぱり、怒ってる?」
―――違う。君に向ける顔が無いんだ…俺には。
「ねえ、シン…なんでそんなにかたくなってるの…?ねえってば…」
「…いいよ」
「え?」
「マジで嫌だったら、入れさせてなんかやんないっつーの!」
わざと乱暴気味に、小傘から視線を背けながらシンは答える。
もはや自分でもどんな態度を取ればいいのか見失っていた。
「ねえ、シン…」
「なあに?」
小傘と共にコクピットに入り込んで数分後。
流石の小傘も夕暮れの隙間風は肌に堪えたのか、シンはハッチを閉鎖して二人きりで籠っている。
小傘の格好は相変わらず布一枚。それを見かねたシンはウエポンラックから制服を取り出し、小傘の裸身に被せてあげる事にした。
「うわぁ…あったかぁい…服からシンの香りがしていて、なんか気持ちいいかも…」
「なっ…なに言ってるんだよ」
口とは裏腹に、シンは顔を紅潮させて視線を前にだけ向ける。
彼女の発育している部分を目にしていたら、思わず自らを抑えきれなくなりそうで仕方ないのだ。彼女の持つ可憐さと無垢な振る舞いがあるが故に。
「もしかして私……シンにとって迷惑?」
「いや!そんなことないから、全然!」
「うそ。やっぱりシン、どこかおかしいよ。もしかして私に意地悪してるの…?」
そんなつもりは微塵も無い。
「……シン」
「な、なに?」
「ホントはね、私怖かったんだ…あの天人の前に出た事……」
小傘が急に俯きながらシンに語りかける。
先の天子との一戦の事だろう。
「私、ずっとシンと天人が戦ってるところみてたよ」
「え…」
「私が出るより先に、私はシンが戦ってるところ見てたの。最初はシンが勝つと思って応援してたんだけど……だんだん追い詰められているシンを見ていたら、我慢できなくって…」
「俺と天子の間に割って入った……って訳か…」
「私、シンの事を食べ物としか思っていなかったのに……でも、あの時飛びださなかったらシンが何処か遠くに行ってしまいそうだったから…私の、大切なシンが」
小傘の告白が突き刺さる。
自分の不甲斐なさが小傘を傷つけた事が明確になったからだ。その一語一句がシンの心に深く突き刺さる。
「でもね…あの時、シンが私を守ってくれて嬉しかったわ」
「小傘……ちゃん」
「ちょっと痛かったけど、こうしているとシンの気持ちが知ることが出来たみたいだし…なにより驚かさなくてもシンの隣にいると、私の中が満たされてる感じがするの。だったら、こんな傷にも意味があるのかなって考えちゃった」
「俺と…?」
「驚かした味とは違う…こう、安心できるって感じなの。だから私はもう、シンから離れることが出来なくなっちゃった」
小傘の言葉に、震えが入り出す。決心をして小傘の方へ向くと。
「だから…」
「…!」
溢れんばかりの涙を両目に溜めて、震えながらシンに笑顔を向けていた。
「怖かった…私、死んじゃうんじゃないかって!怖かったよぉ……っ!」
突然、濡れた顔をシンの胸元に押し付けて泣きじゃくり始めた。
溜めていた涙が一気にあふれ出る様はまるで洪水の様で、彼女の恐れと悲しみが痛いほど伝わって来た。
「小傘ちゃん……」
名前を呼び、静かに抱きついて来た彼女の身体を受け止めてその小さな頭を静かに撫でる。
温かい涙をひたすらに流しながら嗚咽を漏らしている少女を、シンは柔らかく抱きよせて受け止め続けた。