PHASE- 37 紅魔館


「よし。この部屋はもういいわ。次は応接間よ、駆け足!」
「はいっ!」
着慣れない漆黒の執事服を纏い、メイド長である十六夜咲夜からの指示で、シンは紅魔館の廊下を早足で駆け抜ける。
シンの両手には、今朝方乾き終えた汚れ一つ無い厚手の雑巾の束が抱えられており、咲夜と共に館の至る所にある部屋の掃除に取り掛かっていた。
「次が終わったらその次は二階、三階の客室ね。あまり一つの作業に時間をかけていられないわ。手早く、確実、完璧に仕上げる。忙しいからって手抜きなんかは許されないわよ」
「わかりました!」
「もうすぐしたら、お嬢様の朝食の時間になります。それまでには朝のお掃除を仕上げて、台所に向かうわ。いいわね、シン」
「了解!」
快活さを意識しつつ、息も荒げにシンは返事をする。朝一番に召集を掛けられ、咲夜と共に手つかずだった紅魔館の各部屋の掃除に取り掛かる。紅魔館は外見からも大きく広がった屋敷の体【てい】を成していたが、いざ内部を回ってみると思いもよらない程の長い廊下と無数の部屋の存在に、シンの心身は圧迫される。動き始めてからそう長く時間は立っていない筈なのに、休む間が無いほどの連続した行動と咲夜の指示によって肩は上下に動き、荒い息を吐いてしまう。
手と足を酷使させながら、たった二人で手早く雑用を片づける。淡々と作業をこなしていく咲夜を尻目に、シンは汗を流しながら慣れない仕事を必死で行なう。客間の寝室で起きた時に感じていた肌寒さは当の前に吹き飛び、前髪の裏側では徐々に汗によって湿り気を帯び始めている。力の入った両手の方も例外ではなく、水滴が零れない程固く絞った雑巾を持つ手は温まっていた。
―――さっさと終わらせないと!
心の内でそう一喝して、あらゆる部屋の掃除をこなして行く。部屋に着いたらまず、窓を開けて空気の入れ替えをする。テーブルの上に埃が被っていたら水拭きを。窓の桟が汚れていたら汚れが無くなるように根気良く磨く。飾られている花瓶の花が萎【しお】れていたら近くで水を汲んで補充する。一人で暮らしていた経験のある身としては、まず家庭で体感する事がないぐらい量の仕事だ。
「…よし、こっちの部屋はもう良いわ。道具は私一人で片づけておくから、先に皆がいる台所の方に向かっておきなさい、シン」
シンが夢中で掃除を行なっていると、不意に咲夜が呼びかけてくる。どうやらこの部屋の点検を済ませたらしく、部屋の各所を眺めつつ、シンの元へと近づいて来た。咲夜の手には、今朝からこれまでに済ませた清掃の点検を確認するメモ帳が握られており、鉛筆を走らせている。
「メニューは既にメモをキッチンに貼ってあるから、よく読んで下ごしらえをしておくこと。料理の方は出来るわね?」
「はい!」
「いい返事ね。ここでのやり方は一通り教えた筈だけど、どうしても分からない所があればまず私の方に聞く事。それとエプロンは必ずしておきなさい。料理を作る時に誤って服を汚したりは絶対にしない事。お嬢様の前で無様な恰好は出来ませんからね」
「分かりました、咲夜さん!」
「じゃあ行きなさい。焦って失敗しないようにね」
咲夜の最後の念押しに頷きつつ返事をして、次の働きに向かって廊下を駆ける。ただでさえ広い紅魔館内を移動するには、速めの動きでないと指定の時間には遅れるのだ。通る者が自分以外いない真紅の廊下を進みながら、シンは昨日の出来事を頭の中で再生していた。


事の大元は昨日の夕方だ。
『ようこそ、紅魔館に。この紅魔館館主、レミリア・スカーレットが貴方を歓迎するわ。シン・アスカ』
レミリアの気品さが漂う一声で、シンは紅魔館への入館を許された。これで何の障害もなくすんなりと目的の書物を探せる、そう確信した直後だった。
『但し、貴方達二人は駄目よ。東風谷早苗、霧雨魔理沙』
『えっ…何でですか?』
『なんでそこで口出ししてくるんだよ、咲夜?お前が決めたことじゃないだろ!』
咲夜が、手を結んでいるシンとレミリアを背にして早苗と魔理沙の前に立ちはだかる。その突然の対応に二人は疑問を隠さない。魔理沙にいたってはあからさまに不平を口にしていた。
『確かに私が決めたことじゃないわ。でも、お嬢様が入館を許したのは彼だけよ。門に着く前からお嬢様が私に仰ったのよ』
『それって、どういうことだよ?』
咲夜の発言を耳にしたシンが、レミリアの手を放して咲夜に詰め寄る。
『俺達はこの紅魔館に用があってきたんだ、なのに俺一人だけ贔屓【ひいき】されるなんて納得いかない。レミリア、これはどういう事なんだ?』
『言葉どおりの意味よ、シン。私が気に入ったのはシン・アスカ、貴方だけ。それ以外の無用の者は、あまり私の領域に入れたくない主義なの』
『だからって、折角俺と一緒に来てくれたみんなをここで追い返さなくても……』
この反論の理由は、自分一人だけで紅魔館を探索することに不安を抱えているのもある。しかし自分以外の物を不当に扱うレミリアの体勢にシンは仄かな苛立ちを覚えた。
『なにも、何の理由もなしにお嬢様が口にしているわけではないわ、シン』
反論に対して返さないレミリアの代わりに、咲夜がシンに向かって口を開いた。
『以前に魔理沙は、お嬢様のご友人であるパチュリー様の気分を害しているの。図書館の本を無断で持ち出したりするからよ』
『げっ、そこを突かれると何も言い返せないぜ…有名人は辛いね』
『早苗はあまり紅魔館に干渉したことは無いけれど…先ほどお嬢様が仰ったとおり、部外者がむやみに紅魔館を踏み荒すことを好しとしないからよ』
『そんな……!それではシンに負担が掛かってしまいます。どうにかならないのですか、咲夜さん?』
咲夜の無機質な言葉を受けて魔理沙は自嘲し、早苗は表情を曇らせる。中でも早苗の方は対応を改善できないものかと咲夜に問いつめる。が、咲夜は特に付け足しをしなかった。これ以上いう事はないと言いたげに。
『だけどレミリア、早苗と魔理沙さんを館に入れさせてくれないか?俺だけ特別扱いされたって全然嬉しくないし、ってかむしろ嫌だ。早苗と魔理沙さんがダメって言うんなら、俺だって―――』
『分かったわ』
『入りたくない!』そう言って受けた歓迎を撥ね退けようとした途端、それまで黙っていたレミリアは妖しげな笑みを浮かべながら良く通る一声でシンの言葉に割り入った。
『私が認める客人の頼みだもの、無下には出来ないわ。いつも好き勝手やる魔理沙はともかく、早苗の入館は認めてあげる』
『それは、本当なのですか!?』
早苗がそれまで俯かせていた顔を挙げて、質問する。その喜色が入り混じった表情は教学という名の感情に支配されていた。
『ええ。貴方は魔理沙みたいに暴れたりしないみたいだし、シンがどうしてもと言うのなら許すわ。けれども……ふふっ』
『な、何その笑い?どういう意味?』
レミリアは小さく笑ったままシンを見つめる。シンによく似た澄み切った真紅の瞳は、まるで宝石のルビーの様にも例えられる。小さい体躯から漂う高貴な雰囲気があれば尚更だ。触れがたい、近寄りがたい。そんな言葉が彼女には相応しい。
『いいえ。笑ったことに対しては特に他意はないわ。だけど、生憎この館は人手が足りなくてね……館の外の変化に妖精メイドたちが不調をきたした様で、他の人員に負担を強いられているの。だからそう、貴方の提案を飲む代わりに私からも一つ頼みごとをさせてもらうわよ』
レミリアが口にしたのは、命蓮寺で霊夢も口にしていた妖精達の現象の事を指しているのだろうか。空の妖精は度重なる幻想郷の“異変”に影響されて狂暴化していると聞く。だからシン達も敢えて徒歩で紅魔館まで進んできた。レミリアが言うには紅魔館の維持には妖精を利用しているらしく、この度妖精に起きた異変によって辛苦していると聞く。
『頼みって…なんだよ、それ』
疑問からシンが問うと同時に、レミリアは僅かに釣り上げた両目をシンへと据えて、初めて会った時から変わらない含み笑いを欠片も崩さずに言葉を放ってきた。
『シン、貴方は紅魔館の執事となって足りない分のメイド達の代わりにここで働きなさい。咲夜と一緒にね』
『えっ、ええ!?』


―――まさか、こんな事をする羽目になるなんて。
小さくため息を吐いて、館の台所で数人の使用人と共に朝食の準備に―――実際には、“朝食”に値するのは賄い飯を頂く咲夜を含めた使用人達であり、夜行性の妖怪、“吸血鬼”であるレミリアの生活にとっては夕食、夜食になるのだが―――取り掛かるシン。想像できなかった言葉だった。思うような反応が出来ないまま、レミリアの前で狼狽してしまった。
しかし、これ以外の方法があの場では思いつかなかった。目的を果たすために紅魔館に侵入することは必要不可欠であり、ここで門前払いを受ける事は論外だった。結果として客人として迎え入れられたのは事実上早苗だけとなり、咲夜の危惧から魔理沙は入ることを許されなかった。
『そう心配すんなって、シン。私は私のやり方で紅魔館に入って見せるからさ。ま、今日は出直すとするぜ』
魔理沙は最後にそう言って、夕暮れの中箒に跨って元来た道を戻っていった。結果としてシンと早苗は別室で一夜を明かしたのだが、シンの方はレミリアとの契約もあって執事業を行なっているという事だ。
現在、紅魔館は少々の賃金を条件にして、急遽里で雇い入れた人間を労働力として雑用等を済ませている。その中には当然、働きなれていないものや家事の経験が少ないものもいた為、咲夜が正確な指示を入れることで辛うじて体裁を整えている。咲夜曰く、元から働いている妖精メイド達はそれほど正確な仕事が出来る者では無い為大差は無いと言う。それでも働きなれていないものが多い人間を相手にするのは一苦労するだろう。シンは鍋をかき混ぜながら想像した。


「お嬢様、朝食が出来そうにありません。自分は、死に場所を見つけました!」
「なーにやってんだよ!下手くそ!」

「ほら、ちゃんとめんどくさがらずに手を動かして。スイーパー・グループ出身なんだから掃除は得意でしょ。ちゃんと食器を磨かなきゃ」
「お前にしちゃさえないジョークだぜ……ロクな資金が無いとはいえ、なんで俺達がこんな所で働かなきゃいけないんだ…」
「ニンジン、いらないよ」
「お前が食うわけじゃねえだろ!?」

「お嬢様の指示で僕が皆を纏める役回りになったけど……なんで女装しなきゃいけないんだろう。ドレスじゃ料理をするのに邪魔で仕方がありませんよ」
「その恰好…やはり趣味か?」
「任務…じゃなくて、お嬢様のご指示です!」

「なぜだ……なぜあの少年と一緒に僕まで女装しなきゃならないんだ……誰が好き好んでこんな事を…」
「ドンマイ。僕は憂鬱だよ…人選ミスじゃないかな?」
「呆れて物も言えないね…」
「可愛いよなぁ…ま、上出来じゃないか?」
「ああ…俺もそう思う」
「これが…人間か」
「っはは、冗談だよ、お嬢さん方」

「な、何……この空間…!?」

周りからは、慣れない調理に手を付けながら雑談を交えている里の者の喧騒が響く。そちらにばかり神経を傾けていては作業がままならない。頭に入れないように心掛けるが、聞きたくない音や声ほど却って頭に残りやすくなってしまうのは何故なのだろうか。結局、無心を装って料理を作っている間に周りの者の会話を一語一句丁寧に聞き取ってしまった。
ブランチメニューに記されている中で、シンが担当しているのはボルシチだった。じっくり煮込まれたテーブルビートの根から染み出したスープの赤い色が特徴的なこの料理は、切り刻んだ脂身の少ない鶏肉と野菜を使用したもので、シンも料理の知識として頭の片隅で覚えていた。が、実際に作った経験はあまりなく、地方の郷土料理という事もあって余り作り慣れていなかった。曰く、咲夜によるとスープの色がレミリアのお気に召したらしく以前に出した時から気に入っていると言う。
この館の色が紅いのも、レミリアが単に気に入っているというのが最大の理由らしい。ただの“赤”ではなく、人間の血と同じ色の“紅”。レミリアが吸血鬼と呼ばれる種族という事は、ここに来るまでに魔理沙から知らされていた。近年は直接人間から血を摂取していないと聞いてシンは安心していたが、この様に紅い料理を摂取するのは血の代わりにしているという事なのだろうか。人間の観点からすれば悪趣味とも取れるこだわりではあるが、シン自身には彼女の意図が読めない。だからこそ不可解に思った。
「みんな、朝食の方は進んでいるかしら?」
台所を仕切る扉の向こうから、紺のエプロンドレスを纏った銀髪の女が姿を出す。咲夜だ。ここに来たという事は、既に掃除を終わらせてきたという事か。しかし、彼女の体には埃一つすら付いていない。先程共に掃除活動に勤しんでいなければ、彼女の行動など察することも出来なかっただろう。
料理を担当している者の一人が咲夜の前に出て説明する。どうやら、メニューに記されている料理の内、完成が遅れている物があるらしい。顔を動かして目的の方向を覗いてみると、向こう側で作っていたのはローストポテトだった。火の掛かり具合にトラブルが起きたらしく、思うように作れないという声が向こうから聞こえてくる。
「わかったわ、そっちは私がやるから少し離れていなさい。料理の邪魔になるから貴方達は他の人の手伝いにまわって」
咲夜は特に嫌味もなく淡々とそう言って、キッチンの前に立つ。いつまでも目の前のスープから目を離すわけにもいかないので、シンは視線を鍋に戻す。その直後、後ろから歓声が沸きあがる。シンがすぐに振り向いてみると、さっきまで生のジャガイモがあった咲夜のキッチンには、調理済みのローストポテトが出来上がっていた。
―――嘘だろ!?
あり得なかった。殆ど刻んだだけの材料が一瞬で手の込んだ料理に生まれ変わっていることが。満足に火が通っていないのではないかと思ったが、その考えも即座に却下された。ポテトからは焼きあがった証拠を示すように湯気が立ちあがっており、美味しそうな香ばしいにおいが立ち込めてくる。
「驚くのはそれぐらいでいいわ、みんな。もうすぐお嬢様がお目覚めになりますわ。ほら、手を動かす」
『『『は、はい!』』』
周りが返事をして急ぎ早で仕上げに取り掛かる。10秒も経っていない間で咲夜は何をしたのだろうか。そういえば以前にも咲夜はレミリアと共にシンの目の前から消えたことがあったが、あの時と同じ力を使ったのだろうか。この幻想郷に住む者である以上、彼女も何かしらの能力を持っていることは想像には難くない。しかし今はそれを考える事は許されなかった。
シンは出来上がったスープの鍋から杓子で救い上げて器に流し込む。自分達の賄いの分も作った後で、シンはレミリアに出す料理の数々を他の人間と一緒に運び始めた。


「ふぁぁ……っ」
朝日がカーテン越しに差し込む洋部屋の中で、早苗はあくびを漏らしつつ目蓋を開く。
寝癖がついた長髪を揺らしながら、揺らぐ意識のまま体を起こす。
―――もう、朝……でしたか。
声にせずに独り言を呟き、軽く眼を擦る。ベッドのそばに備えられてある時計に目を移してみると、思ったよりも長く寝てしまい、遅く起きたことを悟る。
―――最近は、満足に眠れる事が出来ませんでしたから……
聞く相手もいない個室で、言い訳を自分に言い聞かせる。ここ最近は常に危険が迫っていた日々が多かったのもあって、心底から眠り込む事が出来なかった。特に、危険の最前線に立つシンの事を心配するあまりに寝付けない夜も少なくなかった。
とりあえず、着替えて外に出ようと早苗はベッドから身体を下ろした。昨日部屋に入る前に咲夜から渡された、彼女の肌が透ける程の薄い生地で出来た白のネグリジェを脱ぎ、部屋にあるシャワールームの中に入る。ぬるま湯を勢いよく出して、寝汗と眠気を洗い流す。髪をよく乾かした後に髪を梳【と】いて、畳んでおいた風祝の服に体を通す。その後で今まで使っていたベッドとネグリジェを畳んでおいておく。今まで世話になったせめてもの礼のつもりだ。
最後に洗面所の鏡を使って身支度を整える。小さく「よし」と、自信を含んだ声を零して、早苗は部屋を背にして外へ出ようと扉を開く。
「あ、起きたんだ。早苗」
「シン…!」
扉の向こう側に出た途端、耳に聞き覚えのある声が響き込む。そこにいたのは黒い礼服に身を包んだシンだった。黒のネクタイを閉め、白のポケットチーフを胸ポケットに差し込んだ洒落た姿。それは紛れもなく早苗の世界で言う、洋館の執事が着る衣装だった。
「どうしたのですか!?その恰好は……?」
普段見慣れない姿に早苗は驚きを隠せない。対するシンはこの反応が予想が出来ていたのか、苦笑いをしながら口を開いた。
「あっはは、咲夜さんの指示で今日から館で働くときはコレを着ろって言われたからさ……昨日の夕方頃にわざわざサイズまで計られたもんだから。……もしかして似合ってない?」
「いえ!そんなことありません!……むしろ、見とれてしまうくらいに似合ってますよ…」
「そ、そっか。ありがとな」
赤面しつつも早苗の言葉に喜びを示すシン。
「でも、俺なんかより似合う人はいっぱいいると思うけどな……アスランとか、キラさんとか。レイとかも似合いそうだし……ザフトの先輩だって…」

『そろそろ起きよっか。ほら、つかまって』
『ほら、起きろ!俺と夜明けのコーヒー、するんじゃなかったのか?』
『気にするな、俺は気にしていない』
『俺に命令するな、フン!よかろう、付き合ってやる!』
『ヒュ~♪グゥレイト!キッチリキメてやるぜ!』

シンの中で自分と同じ服を着た仲間の姿と言いそうな台詞を思い浮かべてみる。キラやアスランは勿論、レイや先輩も難なく着こなせそうで、特に普段とはギャップの強い者に対しては吹き出しそうになってしまう。
「どうしました、シン?」
「いや、俺の仲間をちょっと想像したらクスってきただけ。まあ、俺じゃあ執事なんて役不足かもしれないけどさ」
「そんなことありませんよ……私なら、シンが私の執事だったら言って欲しい言葉だってありますし…!」

『おーい、さっさと起きてくれよ。マユよりねぼすけだな~』

―――今朝にこんな感じで起こされてたら、私は喜んで起きていたんだろうな……
枕元で執事服の彼が囁いてくる場面を想像してみる。そこで早苗は喜んで返事をして、呆れながら言うシンの言葉を聞くのだ。
『全く、お寝坊さんのお嬢様ったら。誰かにイタズラされてもしらないぞ……?目の前にいる執事に…ねっ』
もしも自分が絵本に出てくるような洋館に住むお嬢様ならば、一度はこんな風に言われてみたい。残念ながら現実の日本育ちの早苗にはそんな文字通りの絵空事は今まで叶わなかったが、この幻想郷ならばもしかするとあり得るかもしれない。しかしそれを、シンに強要する訳にもいかない。自分の我が儘で多忙な身に負担を掛けさせることは出来ない。小さく芽生えた想いを潜めて、浮ついていた顔を引き締める。
「それより、シンは何故コチラに?私に用でもあるのですか?」
「ううん、こっちは偶然。朝の仕事が終わったから小休憩が入ったんだよ。だから、部屋で休もうと思ってね。もう少ししたらまた昼に動くから、手が離せそうにないかもしれないけど……」
シンは執事業に縛られて自由な行動が出来ない。ならば唯一自由な行動が許されている自分がやるべきことは決まっている。元々、彼のこの姿が見たいが為にこの館に来たわけではない。ならば、彼に伝えるべき言葉は決まっていた。
「なら、私が図書館の方に向かって本を探してきます?」
「一人で?咲夜さんに聞いてみたら結構広いみたいだけど、大丈夫なのか?」
「心配無用ですよ。これでも私、私の世界の学校に通っていた時は図書委員を務めたことがあるんですから!」
「そういう問題じゃないと思うんだけどな……読めない本だってあるかもしれないだろ?」
「学校を抜きにしていても、私達のやるべきことは決まっています。私だけがのうのうとしているわけにもいかないし、あまりここに長居する理由もないでしょう?魔理沙さんもいない今、早めに行動に移す他に永遠亭に戻る術はありませんよ」
―――もうすこし、シンのこの姿も見たいんだけどな……
「…わかった。けど、迷い込んだり危ないことはするなよ?この館って見た目より大きいから自分がどこにいるのか分かりにくいし。俺がいない時に無茶な事なんか絶対ダメだからな」
「ふふ、少なくともいっつもケガばかりするシンに言われたくないですよ。異世界の人間同士と言っても、この世界に住んだ時間の長さでいえば私の方が上なのですから」
「言ったな~こいつ。まあ、俺がいない分まで探してくれると助かるよ」
冗談交じりの早苗の言葉に、シンは頬を緩めて笑う。彼と共に目的の為に動けない事は悔しいが、今は自分たちに課せられた永琳の指示を優先する。人の命が関わっている依頼なのだ。少しでも時間を縮める義務がある。
「それじゃあ、私はそろそろ図書館の方に行きます。シンの方も無理のない様にお気をつけて」
「ああ、早苗もな」
シンの返答を最後に、二人は正反対の方向へ歩き始める。早苗は数歩進んだ後にシンの背中を数瞬眺め、微笑を浮かべてから目的の図書館の方向へ進みだした。


「よう…来たぜ」
紅魔館の門の前で、昂然とした口ぶりで魔理沙は言う。
他の誰でもない、門の守り手である妖怪に向けて。
「……性懲りもなく来ましたか、魔理沙さん。昨日入れなかったことに対してのリベンジですか?」
相変わらずの中国衣装と赤毛の長髪を翻しながら、美鈴は魔理沙に相対した。誰に対しても変わらない丁寧口調ではあるが、それに秘められたニュアンスはどこか呆れ気味だ。当たり前だろう。入館を許されなかった人間が、翌日の朝という短い期間にまた姿を現したのだ。しかも、堂々と門の前に来たという事は魔理沙の行なおうとしていることは思案を巡らせずとも理解できる。彼女の素性を知っている美鈴だからこそだ。敵でもなく、かといって味方でもなく、戦う事に幻想郷での決闘に楽しみを見出す者同士、言葉にせずとも通じるものがあった。魔理沙の少々捻くれた性格からすれば、館に忍び込もうとせずにこうして門の真正面から侵入しようとする度胸は賞賛に値する。
「まあ、そんなところだな。生憎、入るなと言われたら入りたくなるのが私の性でね。いくらレミリアとパチュリーがダメだと言った所で縛られないのが私だぜ?」
「随分と小さく見られたものですね、私も。仮にも私は妖怪なんですよ?人の体とは比べるまでもなく優劣がハッキリしていますし、本気で人を危めない戦いだからこそ今まで“遊べた”のですから。ましてや私も、何度も館に不法侵入を許す訳にはいかないのですよ」
「ハッ」
魔理沙は美鈴の言葉を嘲笑するように肩をすくめた。
「よく言うぜ、私が正面から突破したのは一回や二回だけじゃないぜ。それに、昨日はミニ八卦炉の細かな調整が済んでいなかったからな。新しい技をぶっつけ本番で試して、万が一失敗したとなりゃそいつは愚の骨頂だ。最近は店の手伝いで弾幕を使うのにもブランクがあったからな……別に昨日一暴れしたって良かったんだぜ?」
「どうですかね、それは。私だって、貴方の様な不届き者が居ない間に修行を積んできたんです。昨日の早朝、ようやくそれが終わりましてね……あの時戦っていれば簡単に勝負が終わっていたかもしれませんよ?」
魔理沙の挑発に、挑発で返す。風に靡く前髪の奥にある整った顔は、自身に満ち溢れていた。
「修行?おいおい、いつも門の前で突っ立ってるだけのお前がか?詰まらん冗談とハッタリは願い下げだぜ」
「それ、貴方が言いますか?」
「おっと、そうだったな。だが、私は自分の事を棚に上げるのが得意でね。お前の様な真面目な奴をからかうにはうってつけなんだぜ。可愛くないと自覚ぐらいしてるが」
普通の女らしくない口調が出始めたのは何時だろうかと、魔理沙は内心で想起する。多分、実家を見限った時だったか。家のやり方に不満が現れて、父親に勘当され、自らもまた帰るべき場所を捨てた。その頃だったか、自身を虚勢で覆い隠すようになったのは。初めはロクな生活術も持ち合わせておらず、憧れの星魔術を行使するのにも何年をも歳月を費やした。その辺りから嘘の態度が徐々に当たり前となって、誰に対しても強気な口調が自然と出てしまう人間になった。
それを偶に。いや、稀に苦悩する事がある。世話になった相手に対して素直に感情を伝える事が出来なかったり、相手に対して誤解を植え付けたり。今さら改めるつもりはないが、得たものと同じ数だけ得たくない物まで付き纏ってしまった。
「自覚していると自分で言う時点で、貴方はきっと誰かに言われたい“自分”を持っているんですよ。華やかな女らしい自分をね」
「うるせぇ。お前だって、妖怪らしくも女らしくもない体術を持っているじゃないか。そんなもん振りかざしているお前の方が、私から言わせてもらえばよっぽど野蛮だぜ」
「いいえ、そんなことありません。身体を動かす事は活き活きとした人生の充実感を絶えず己にもたらしてくれるのです」
「妖怪のくせに“人”の字を使うとは、随分な言い草だぜ」
「私は、自身を“妖怪”という枠にあてはめませんから」
「そいつは結構。その方が好感が持てるからな」
「ええ。では……そろそろ始めますか?美しくも力強い、私達の遊びを―――」
美鈴は関節が曲がる程度の余裕を持たせて右腕を伸ばし、姿勢を偏らせない為に左足を退ける。相手がどの方向から来ても即時に対応できる構えである、太極拳の中間姿勢だ。紅美鈴は伊達や酔狂で中国衣装を着ているわけではなく、その実、中国の拳法である“太極拳”を好んでいる事が理由になっている。飛び道具が大半を占める幻想郷の戦いでは些か不利な戦法であることは否めないが、接近戦では無類の強さを発揮する。妖怪だけが持ちえる身体能力と超反応も合わさり、人間と変わらない外見でありながら人間以上の戦いが出来る事も、これまで戦法を一貫している理由だ。
対する魔理沙は懐から八卦炉を取出し、肩に担いでいた洋箒に跨る。魔術で行う空中での姿勢制御に、特に道具は必要としない。しかし、魔理沙は数々の道具を好んで用いて、移動や戦いで行使している。その理由はどこにあるのか。
単純な事だった。八卦炉は自らの魔力の増幅、生活に用い、箒は小回りや微々たる制御が出来ない“飛翔”の補助に充てているのだ。元より生粋の魔法使いではなく、魔法や魔力を“後付け”として得てきた人間の魔理沙にとっては、攻撃、破壊に限定しているとはいえ、魔法自体を扱えていることがあり得ない現実だ。
人間でありながら、人間らしくない奇跡の力を扱う魔理沙。妖怪でありながら、人が生み出した平凡な文化を好む美鈴。一見対極に見えながら、その本質は好みという根源でそれぞれの道を極めている。
「行くぜ!全力全壊、突撃あるのみ!」
魔理沙の威勢と共に、箒の先から青白い光が噴き出す。魔力を用いた推進力の塊だ。自慢の黒帽子が後ろへ飛び去りそうになるほどの速度で、魔理沙は美鈴に向かって突進した。
「スゥ……」
だが美鈴は動じない。小さく息を吸って、豊かな胸を上下させる。川を流れる水の様に。静かに構えていた手足に力を込めて、距離が縮まる相手に対して気合を込める。
「……!」
一瞬、二人は静止した。魔理沙の箒の柄の先を美鈴は右手で止め、対する左手は魔理沙の鳩尾に添えられている。
それと同時に魔理沙の手に在る八卦炉が美鈴の胸を捉えていた。どちらも勝利を目の前に得ながら、敗北を突き付けられているという、刹那の攻防が繰り広げられていた。
「前より強くなったんじゃありません?魔理沙さん。キレが上がってますよ」
「そういうお前も、拳が速いじゃないか。間違えば一撃食らって、箒から叩き落とされ大怪我だぜ、冗談でも貰いたくないね」
「師匠が教えてくださった極意のおかげですね」
「師匠?」
変わらぬ姿勢でありながら、美鈴は雄弁と語る。
「あの方は突然現れました。最後まで私の事を名前で呼ばず、女が拳法を扱う事に嫌悪を示していましたが……」
『女。お前は女にしておくには勿体無い程だ。だが慢心するな。力を扱う以上、決して己の正義を見誤るな。それを貫く心がある限り貴様は負けない。負ける事は許されない。浅薄【さんぱく】な意思しか持たない紛い物の戦士に負けてはならんのだ!』
師匠と呼んだ、少年の言葉が美鈴の戦意を研ぎ澄まし、高揚させる。右手に力を込め、受け止めていた箒を前方に吹き飛ばし、魔理沙との距離を強引に離した。
「なんのっ!」
しかし箒から降ろされた魔理沙は無様に地面へ這いつくばる事も無く、空へと身体を浮かして痛みを避ける。その一瞬を美鈴は見逃さなかった。美鈴の空【くう】を蹴る鋭い足先から、虹色が生み出される。美鈴の持つ“気”で練り上げた、極光の塊だ。
光を向けられたが、魔理沙は最小限の体の捻りで難なく避けた。が、服の広がりまでは考慮できない。焼けるような痛みが魔理沙の肌の表面を通り過ぎ、その上を覆っていた衣服の布は吹いていた風に流された。
同時に魔力による浮遊を解いて、重力のままに美鈴の頭へと踵を向ける。相手が人間ならば圧倒できる動きだが、やはり妖怪だった。美鈴は軽やかに身体を巡らせて、魔理沙の先にある自身の頭を即座に移動させた。そのまま漆黒のスカートの中にある足を掴んで、力のまま地面へと叩きつけた。
「グぅっ……!」
上半身から固い土へと叩きつけられ、地面を転がされる。それでも唯一であり誇りもである武器の八卦炉は手離さない。帽子は門の切っ先に引っかかり、箒は自身と同じく力なく横たわっているものの、魔理沙は大切な人間が渡してくれた道具を確かに掴んでいた。
「私なりに改良を加えてみた一撃はどうです?魔理沙さん。これを本気でやれば、貴方の体の骨はバラバラに壊れちゃいますよ?今だって、気持ち悪いぐらいに頭がクラクラしちゃうのでは?」
口の中から甘酸っぱい物を堪えながら、自慢げな美鈴の説明を聞かされる。成程、確かに歯牙にかけるだけの威力だった。身体は痺れ、視界は揺れる。手加減込みでこれなのだから本気の戦いであれば体に深刻な損傷をきたしても可笑しくなかった。
「東方が赤く燃えていますね……今日はこれぐらいにして、お休みになったらどうですか?ギブアップするのなら、手当ぐらい私がしてあげますし、ご無理をなさらない方がいいのでは?」
「冗談……キツいぜ…」
誇らしげな美鈴に、身体を襲う痛みに、両方に対してお馴染みの虚勢を張る魔理沙。口先は美鈴に向けておきながら、魔理沙はその実、視線を周りに巡らせていた。離れた箒の位置、帽子が掛かっている門の位置。美鈴の態度。そのどれもが魔理沙の頭の中に入り、逆転の道を探す材料とする。
「…今日のお遊びはここまでです。さあ、怪我の治療をしますよ。何時までもそうやって苦しそうにされては、まるで私が貴方に一方的ではないですか。もっとも、単純な勝ち負けでいえば今まで私が負けた確率の方が高いのですが」
「ああ、そうだな美鈴。確かに今日の私はドジ踏んじまった」
「でしょう?さ、私の手を持って立って下さい」
美鈴が微笑んで、白い手を倒れた魔理沙の眼前に運ぶ。それを捉えた魔理沙は、ありったけの笑みを顔に表して、一言発した。
「けど、私は別に“こいつ”が目当てじゃない」
魔理沙は箒が横たわっている方へ腕を伸ばして、その手へと箒を引き寄せる。例えるなら磁石の様に。自らの魔力を注ぎ込んだ箒は魔理沙の思いのままの動きを実現する。得物を捉えて、魔理沙は自らの機転に惚れ惚れとした。
そのまま箒を天へと掲げ、推進力で身体を無理矢理に運ばせる。場所を空へと移した魔理沙は、箒に跨って、門の上を通り抜けた。その際、自らの帽子も忘れずに回収して被りなおす。
「あばよ!お前との“ごっこ”は、また今度にするぜ!」
事態を把握した美鈴はハッとした表情で、門の中へと入った魔理沙を眺める。が、既に遅かった。自らが追いかける速度よりも、魔理沙の速さは数段上だった。彼女の機転に出し抜かれた美鈴は、特に呼び戻そうとする事も無く、ただ一言だけ呟いた。
「……あーあ。また咲夜さんとパチュリー様に怒られちゃいますね、私」


日が東の空に沈み込み、季節の移り変わりと共に虫が鳴きだす頃。涼しげな夜風が木々の間をすり抜けて永遠亭の庭へと吹き込んでくる。
俺は衣玖の帰りを心待ちにしながら、暇あれば永遠亭の庭に足を運んでいた。適切な治療の甲斐あって、表面上の怪我は治り、体調も激しい運動を控えている限りは良好となった。俺の着ている服も永琳が『いつまでも同じ服じゃ味気無い』と、気を利かせてくれて、ゆったりとした肌触りの良い着物を用意してくれた。俺が着込んでいたパイロットスーツは既に手入れも済み、いつでも使える様に俺が借りている部屋に置いてある。
後は、準備を整えるだけだった。敵の情報を手に入れ、俺が新たに搭乗する機体を確保する事。この前時代的な世界では一からモビルスーツを開発することは不可能同然だ。ならば、残された選択肢は強奪か、修理しかない。“プロヴィデンス”は相当なダメージを受けているが、基本的な構造に外見ほど甚大な損傷は見受けられなかった。これも機体システムに記述されてあった特殊装甲、“フェイズシフト”による恩恵なのか。何の変哲もないただの装甲ならば、不時着の際フレームは歪み、衝撃から動力源に火花を許し、爆発や大破は免れなかったと見る。作業用ワークローダーとは比べ物にならない、機体と搭乗者を守る実践的な構造が、驚異の防御力を発揮したのだ。
おかげで、まだ俺に希望はある。この状況を返せるだけのミドルゲームの結果を、俺は手にする事が出来る―――!
「あら、貴方も夜風に当たりに来たのですか?」
脳内で考える事に没入している俺に、優しげな女の声が不意を突いてきた。声が発された方、即ち永遠亭の外廊下に視線を移すと、月の光を受けて淡く光る長髪を揺らした少女、鈴仙が裸足の足を地面の草に付けないように遊ばせながら座っていた。
「患者が大人しくしなきゃダメじゃないですか、ラウさん。退屈なのはお察ししますけど、退院まで休むのが怪我人の務めですよ」
文面は堅苦しいが、鈴仙は穏やかに語りかけてきた。
「ああ、お前の言う事は正しい」
「ですよね。だから部屋までお戻りになってください。怪我が治るのはそう遠くありませんし、このタイミングで病気でも起こされたらかないませんから。貴方だって、苦しい生活など嫌でしょう?」
苦しい生活……か。俺としては、今ここで地団駄を踏む生活を強制されていることが一番の苦しみだ。
「ならば、お前に頼みたいことがある」
「頼みごと?なにか、入院生活にお困りなのですか?」
「それとは別だ。だが、俺の個人的な頼みだ。お前の能力を頼りにしたい」
因幡てゐを捉える際、竹藪で目にした鈴仙の特殊な力。彼女は“狂気を操る程度の能力”と自称したが、俺の考えでは単に対象を狂気に陥らせるだけに留まらない力の筈だ。あの力を使えば、少数で行なえる範囲を度外視した行動が出来る。
そう、機体の強奪に。
「お前の部屋で話そう。出来れば、余り大勢に聞かせる話ではないからな」


「そんな事の為に、私に協力してほしいのですか?」
飾りっ気のない、薬品が詰まった棚ばかりがある部屋の中で、机を間にして俺と鈴仙は相対している。
河童からもたらされた技術で得た電球を光源として、俺は衣玖に話した時と同じように作戦を伝えた。最も、彼女に伝えているのはその時とは内容が異なるのだが。
しかし、俺が考えた策を“そんな事”呼ばわりとは。だが、この反応は予測済みだ。他の誰でもない怪我を治療する立場にいる人間……もとい妖怪に、能力を使っての援護を頼んでいるのだから。
「お前にしか頼めない。俺が目星をつけている河童の持つ格納庫を制圧する為には、幾ら天子や衣玖の力を持った所で、迎撃される危険性がある。何の変哲もない俺ならば尚更だ。だから、お前の能力で攪乱させて、敵味方共に最小限の被害で事を済ませるつもりだ」
「だからと言って、貴方と私だけで忍び込もうだなんて無理、無茶、無謀の極みです!私が遠くから援護して、認識を狂わされた相手の中に貴方が突入するなんて…下手すれば河童達の反撃で痛い目を見かねませんよ?それに、殆ど犯罪じゃないですか。閻魔様に断罪されても文句は言えませんよ?」
そんな非現実的な言葉など真に受けている場合ではない。俺に必要なのは確かな戦力だ。その為ならば手段は問わない。相手モビルスーツを墜とすのに、こちらもモビルスーツを得る以外に手は無いのだ。
「……あそこには、俺の大切な物がある」
だからこそ、ありもしない嘘も平気でつける。
「この世界に迷い込んだ時、俺の大切な情報が河童達の手に渡ってしまったんだ。天子と衣玖には心配を掛けさせないと思って話していなかったんだが……あいつらを危ない目に遭わせたくない為にも、こうしてお前と話している」
我ながら目も当てられない作り話だ。情をこちらに傾かせる為にこんな下衆な手を思いつく俺も、どうかしている。
「俺は衣玖と天子を守りたいんだ。その為には、どうしても欲しい物がある。だから危険を承知で俺は行きたいんだ」
連続した芝居をなるべく自然に見える様、努めながら鈴仙に語る。だが熱が入りすぎてもいけない。見え見えの小芝居は無様極まりない。信頼を失う事にもなりかねないからだ。
「……それは、本心からなのですか?あの二人を大切に想っている事は」
「―――そうだな、とてもではないが面と向かっては言えないが」
鈴仙はそれを聞いて、どこか納得したように溜息を吐いて、
「わかりました。貴方の言う作戦とやらに協力しましょう」
と、事解を得てくれた。
「感謝する」
「そんな堅物みたいないい方ばかりして……もっと柔らかい言い方をすることは出来ないのですか?」
「……もっと真摯な態度を取れという事か?」
「そういう意味じゃなくて。貴方みたいに仏頂面で言われると、ホントに感謝している様には見えませんよ?場合によっては失礼にも値する事です。記憶喪失だとは聞いていますけど、誰もが理解を示してくれるわけではないんですよ?」
「………それについては謝る。では、どんな風に言えばいいんだ」
「決まってます。もうちょっと顔を柔らかくして、“ありがとう”って、素直に言えばいいんです。そっちの方がよっぽど、受け取る側にしても嬉しいです」
鈴仙から思わぬ説教を受けるとは。だが、今までの俺は相手に対して無粋な態度ばかりを取ってきたことも明白だ。この世界を渡り歩く事も考慮して、ここは彼女の教えに従うのが望ましい事だろうか。
「―――あ…ありがとう、鈴仙」
絞り出す様に、鈴仙から告げられた言葉を小さい声で復唱する。余りの慣れない態度に顔から火が出そうな程恥ずかしかった。常日頃とは違う態度を取るだけでなぜこんなにも、羞恥を覚えなければならないのか。人間の心理は複雑で、難解だ。俺の心も例外ではないだろう。
「まあ良いでしょう。じゃあ、話はもうおしまいみたいですね。夜も更けてますし、ラウさんもお休みになってください。それから……」
やれやれと肩をすくめながら、鈴仙は腰を上げる。その後で険しい顔を作り、共に立ち上がった俺に向けて忠告した。
「昨日の夜に告げた、“薬”について。早くお決めになった方がよろしいかもしれませんよ。師匠が私に言ったんです、貴方に釘を刺しておくようにと」
「てゐの持っていた、あの薬の事か」
限りある一瞬の命を、永遠へと変貌させる“蓬莱の薬”。その効力を調整するために試作した物が、今永琳の元へとある。
俺にその決断を勧めるというのは、単に危険な場所へ行く俺を憐れんでの言葉か?それとも、検査の段階で何か問題が発覚したのか?後者の可能性は高い、が―――
「原因は俺に教えてくれないんだな、お前は」
「原因らしい原因を教えてくれなかったんです、師匠が。だから、貴方には告げないようにとしていたのですが……薬の存在を知ってしまった以上、これから服用させるのにも説明はする義務がありますので…」
「当たり前だ。知らず知らずのうちに薬を飲まされて人間でなくなるのは、笑えない冗談だ」
人間をやめさせられて、薬で化け物にでも変えられる狂った未来など、あっていいはずが無い。俺の生まれだって、まともな物では無いがゆえに―――
―――何故、俺は自分の出生について知っているんだ…!?
忘れていた記憶の一部。“プロヴィデンス”で戦っている内に仇の対象がキラ・ヤマトだと知った時と同じだ。俺は、少しずつではあるが記憶を取り戻し始めている。
ではそこに、俺が“薬”を飲むべき原因もあるのか―――?
「気に留めておく。あの薬について聞きたい事もあるからな。あの時は騒動の後もあってお前達に満足に聞く事が出来なかったが―――」
「勿論、てゐが台無しにした分は埋め合わせます。師匠も姫も、貴方の問いに答える義務がおありでしょうから」
鈴仙の応えの後に、俺は了承してそのまま背を向ける。部屋の外へと続く障子に手をかけて、俺はなるべく物音を立てないようにと静かに開けて、閉める。再び月夜の下に出た俺は、自室に戻ろうと一歩進みだした途端。
「衣玖…」
廊下の角の奥から、帽子の奥に表情を隠した永江衣玖が佇んでいた。


夕暮れが沈みきるまで、執事としての業務を淡々と済ませた後。シンは軍服に着替えなおして館の外が広がる自室の窓を眺めていた。
夜になれば、鮮やかな紅魔館の色も自己主張を顰【ひそ】める。美鈴が取り仕切る正門は施錠され、幻想郷の静寂が否応なしに現れる。
早苗と昼過ぎ辺りで分かれて以降、未だ彼女からの連絡はない。早苗ににとりと同じように通信機の類を持たせていないが、早苗の部屋のドアを叩いても無反応という事は今も彼女は、図書館の方で本を探し求めているのだと思う。
今日の仕事は既に終わったと、シンは咲夜から聞かされている。一眠りした後で体力も戻った分、そろそろ自らも早苗の手助けに向かおうかと、シンは部屋のドアを開いた。


紅魔館の内部は極めて複雑だ。目的の場所を正確に把握していない限りは、手元に地図が欲しくなる程であり、シンも昼に散々動き回る羽目になりながら、未だ全容を把握する事が出来ていない。
とはいえ、外からも見える様に紅魔館の東に図書館はある筈なので、先が長い廊下をシンは歩く。廊下には辺りを照らすランプが規則正しく並んでおり、少なくとも闇の中を歩かされる心配はない。
けれども、流石の咲夜率いる使用人達も注意を怠っている部分があったのであろうか。
廊下を歩き続けていく内に、下へと伸びる階段を発見した。いまいる階がシンの記憶通りに正しいのであらば一階に位置するのだが、この様に地下へと伸びる階段は昼に見たことがない。
良く周りを見回してみると、ここは今朝何度も咲夜と共に通りかかった通路であると悟る。その時は部屋の掃除にばかり気がいって廊下を通る時は気にも留めなかったが……ランプが故障しているのか、暗いばかりのその階段は逆にシンの興味を惹き付けた。
―――もしかしたら、こっちに…!
この階段が倉庫へと続くならば、普段図書館で使われない書籍も運ばれているかもしれない。早苗が見つけていないのも、そもそも図書館に無いと考えるならば都合がいく。
暗闇の中に入る事は流石のシンでも躊躇したが、決心をして階段の奥へと歩を進み始めた。
やがて、暗闇の奥に一つの扉を見つけた。紅魔館の他の部屋にも使われてある木製の洋扉ではあるが、一箇所だけ仕様が異なる。鍵が掛かっているのだ。幸いにも、こちらから開ける際は摘みを回すタイプのもので鍵は必要としない。入ろうと思えばすぐにでも入れる、不用心な代物だった。
しかし、シンはその光景の不気味さに息をのんだ。こちらから簡単に開けれるという事は、裏を返せば反対側はドアの開閉が出来ないのではないのか。両方から開けられるとするならば、そもそも鍵など必要ない。中からは開けさせたくないという、意図が踏まれての設計ではないのか。
「………」
ドアノブに手を掛ける。知りたかったからだ、中に何があるのだと。照らされていないランプの光といい、わざと誰もが気付かないように意識を誘導されたといい、渦巻く好奇心がシンの背中を突き動かす。
そしてゆっくりと、金属の留め具が擦れる音を響かせながら扉を開いた。
中は部屋の様だ。『様だ』と予測でしか例えれないのは、その部屋には小さいランプがか細く光っているだけという、極めて全容を把握することが難しい空間だったからだ。
それでも闇に慣れた目を凝らすと、うっすらと部屋の輪郭が見えてくる。同時に、部屋の床に転がっている物も判明した。
熊、鳥、兎。様々な動物を可愛らしくデフォルメしたぬいぐるみがところ狭しに転がっていた。小さい女の子が好みそうな、ファンシーなデザインが部屋を埋め尽くして愛らしい雰囲気を作っている。
但し、その四肢が無残にも引きちぎられていなければ、だが。
中からは綿という名の臓物が飛び散り、雲の様に床を覆っている。その異常性にシンは心臓を鷲掴みにされたような恐怖感を覚え、絶えず奔る悪寒から息が荒くなった。
その部屋の奥に、綿の上に広がる一つのベッドがあった。
そこには白い四肢を広げる少女の姿があった。まだ新品同然のクマのぬいぐるみを隣に横たえて、紅い両目でただ天井を凝視している。
あの色には見覚えがあった。この紅魔館の主、レミリア・スカーレットと同じ瞳。鋭利な刃の反射光の様に、危うげな煌きを持った光を宿す瞳だ。
「―――――――――あっ」
少女の瞳が初めて動いた。ようやくこちらの存在に気づいたらしく、少女は倒していた仰向けの体を起こしてシンの方へと向く。ランプの残光越しに照らされる少女の背中には、木の枝の様な細い骨が左右に伸びており、そこからは葉の如く沢山の水晶が吊り下げられている。装飾にしては異質以外の何物でもないが、虹色の水晶が広がるその“翼”は、どんな生物にも当てはまらない、異形の塊だった。
「アナタ――――――誰?」
少女が問う。見た目通り、世間の事を何も知らない幼い少女特有の無垢と純粋さが、短い言葉の中に詰め込まれている。ただ知りたいから。他意のない少女の質問の矛先が、外から部屋を訪れた少年に向けられた。
「俺は………シン、シンだよ。君は、なんて言うの?」
「わたし?」
問いの答えを言い、今度はこちらの番だとばかりにシンが返す。この孤独で、不気味な空間に独りでいる目の前の少女の名を、シンは本心から知りたかった。
「わたしはね」
彼女の茫洋とした瞳と僅かな光を受けて輝く金髪を眺めていると、かつて戦場で出会ってしまった少女が思い起こされる。望まない戦場に駆り出され、薬によって自由を奪われて、最後は無残にも非情の刃によって葬られた女の子を。
―――ステラ。
目の前の少女と、記憶の中で微笑む少女の姿が、重なった。
「フラン。フランドールよ、シン」


PHASE- 38 狂気の胎動


彼女にとっての“朝”とは、およそ常人が迎えるそれとは全く違う。
天の色から青が薄れ行き次第に橙色に染まり始める頃、自らの好みの色に染め上げた館の中で主は目を覚ます。
館と同じ色で彩られた棚の中に趣味で集めた食器と、金の枠で囲まれた無数の絵画に囲まれたベッドの中で幼い吸血鬼、レミリア・スカーレットは身体を起こした。
背中から色素の薄い素肌が開いた、咲夜が縫った彼女専用のネグリジェを揺らし、成長を捨てた幼子同然の起伏の少ない身体を使役して伸びをする。両腕を天井に向けて小さく突き出し、人間とは外見上唯一の違いといってもいい、蝙蝠のそれと機能も形も同じ翼を広げる。寝ている時に翼を広げる生物は滅多にいない。小さく折りたたみ、最小限の面積へと変えた上で、ベッドと身体の間に干渉しないようにする。人と同じ姿を持つ妖怪達の中で、未だ原種の名残を身体に残しているレミリアならではの方法だ。
最も、特に意識して考案した話ではなく、今のベッドで寝ている内に無意識で行なっている事であるが。
「お目覚めですか、お嬢様」
十六夜咲夜が音もなくベッドの横に立っている。目覚めの紅茶を入れたトレイを持ったまま、ポーカーフェイスが常の彼女には珍しい微笑を浮かべて。視線を向けなくてもそこに誰がいるのか、レミリアには分かっていた。いや、もしも第三者に説明を求められたならば、自分は眠る前より彼女がそこに来ると分かっていたと答えた方が適切だろうか。その根拠となるべき力をレミリアは持っていた。
“運命を操る程度の能力”。幻想郷の住民が持つ数ある能力の中でも特に異質な力を彼女は持っていた。その本質は、『運命』と名を冠した人生のレールの先を見る事が出来る力。それは即ち未来を幻視する事と同義であり、幻想郷の外部から持ち込まれた紅魔館の富を誇示するかの如く飾られた絵画、家具、図書館ごと保有する書物の類は、全てレミリアの能力で得られた“先の情報”の恩恵によるものが大きい。いわば、紅魔館はレミリアの力の象徴だった。
「ええ、おはよう咲夜。今日もいい夕日ね」
トレイの上に載った、自らの力の一部であるティーカップを受け取り、その中に収まる血の様に紅いアッサムを口に近づけて喉を潤す。格別だ。湯気に混じった香りを味わい、仄かな甘みが口の中に広がる。ただ熱い液体を取り込む事とは全然違う。咲夜の正確な配分によって生み出された最高の逸品が、レミリアの中を埋め尽くす。
しかし、以前飲んだ時とは微かな違いが鼻腔と舌を刺激した。レミリアはカップから口を離して咲夜の方に向いた。
「また、味変えた?」
「ええ、お嬢様。今回は甘みを少し多めにしました。頭の回転に糖分は良い物です。健康に差し障りが無い程度に糖を多めにして、沸かしたばかりの天然水で淹れました」
違和感の正体はまさに咲夜の言葉通りだった。慣れ親しんだアッサムよりほんの少しだけ甘く、味覚に新鮮さを呼び込んだ咲夜のアレンジにレミリアは文字通り舌を巻いた。日頃から味わっている起床時のティータイムにはいつもアッサムを採用しているが、飽きが来ないのは咲夜の心遣いのおかげだった。何日かの周期で、またはレミリアの心情と気分をくみ取って、常に咲夜は最高の逸品を主に届けるのだ。茶に限らず、食事でも、紅魔館の働きでも。だからこそ唯一従えている人間の専属メイドなのだ。彼女の代わりは、たとえ外の世界をも含めた全ての世界を探し回ったところでいないだろう。妖精メイドや急遽働かせている代理の使用人達では話にもならない。それ以前に、咲夜自身が代わりようの無い力を有している事が最大の理由でもあるのだが。
「ご苦労様、咲夜」
この広大な館の整備が行き届いているのも、毎日の生活が怠惰にならないのも、咲夜がいるからこそ当たり前なのだ。彼女の様な者を引き連れる事が出来るのも、レミリアの力の表れともいえる。
「お嬢様」
不意に、咲夜がレミリアを敬称で呼んだ。普段ならば自分がアッサムを全て飲み終わるまで無言でそこに立っているのだが―――無駄口を叩かない彼女にしては珍しかった。
「なにかしら」
だがレミリアは寛大だ。信頼できる部下が起こしたその行動に対して無礼と捉えず、穏やかに咲夜の呼びに応じる。
「お召し上がりの中無礼を働いたことはお詫び申し上げます。ですが、一つお聞きしたい事があります」
「へえ」
目の前の咲夜の落ち着かない態度は日頃と比べれば斬新な事に変わりはない。が、レミリアはそれを先述の能力で察知していた。この能力の最大の汚点と言える点は、起こるべき事を知ってしまう為に、生活から新鮮さの殆どを奪ってしまう事だった。だが詳細を知れる訳ではないので、『咲夜がレミリアに問う』という事実は知れても、その内容までは流石に予知できない。アッサムも同様だ。自らがそれを飲むという動的な未来が分かっても、自らを満たす感覚までは把握できない。曖昧な未来しか映さない”運命を操る程度の能力”で得てきた恩恵と比べたら些細なリスクだった。
それとは別に、咲夜が質問を要する出来事と言えば持ち前の頭脳で容易に想像できた。
「“彼”の事?」
敢えて代名詞で言った。その矛先は咲夜が言おうとしていた人物と同じだったのであろう。咲夜はレミリアの言葉に頷いて、言葉を続けた。
「なぜ、あの少年を取引の材料にして館に招き入れたのです?ここの使用人達は賃金を引き換えにしていますが、彼にはそれが無い。入館にしても、いつもの貴方様ならば無償で許すことも出来た筈。魔理沙の対処に対しては異論はありませんが……」
「咲夜は、あの子が気になって仕方ないのね。今すぐにでも彼の全てを知りたい程に」
「文面通りでならば。他意はありません」
咲夜は語彙を変えずに言い切る。まさか、咲夜が自分以外の人間に対して直々に使用人に任命した事に嫉妬しているわけではないだろう。それは運命を見ずとも読み取れる。
「そうね、単なる気まぐれや好みでないのは明言できるわ。確かに容姿は興味をそそられる物である事は否めないけど」
「では他に?」
「私の予想だと彼の方も咲夜に興味を示しているはずけれど?」
レミリアが言う“予想”とは、“予知”に等しい。運命を知ることに時間は要らない。必要だと感じた時には、頭に閃く未来のビジョンが刹那よりも短い間にレミリアへ届けられる。今知ったことは咲夜の過去の運命――今朝の“夕食”の仕込みの時だ。運命は未来だけではなく、過去にも存在する。己より限定的ながら他人の運命も知れるレミリアは、咲夜の過去に関わる人間の運命を読み取り、頭に浮かんだ映像を見たのだ。そこで見たのは二人の言う“彼”、シン・アスカが咲夜の能力に驚愕を示し、懐疑を浮かべていた所だった。
「それは今朝見せたの私の力に驚いているだけでしょう。他の使用人達もそうですが、私の力を目にして平常でいられる者は存在しないと思われます」
「はたしてそうかしらね、割と彼みたいなタイプは頼れる人間を好む傾向が多いのよ。これは私の経験からだけど」
見た目は人の10代にも足りるかどうか疑わしいレミリアだが、内面は必ずしもその限りではない。少なくとも彼女は吸血鬼として500年は時を過ごしており、咲夜が生を受ける前から世界の在り方を直に目にしてきた。だが大人ではなく子供には違いない為単独では至らない所も多いが、少なくともその幼さの中には成熟した精神が窺えた。
「私が彼を招き入れたのは……そうね、敢えて言うならば他の人間には見えなかった物が見えたからかしら」
「他の人には無い物?」
確かめる様に復唱する。こればかりは主の言葉に疑問を表す他に無かった。
「……“翼”が、見えたのよ」
「翼…?」
「そう、翼よ。それも私の様な妖怪が持つ翼じゃない。彼の瞳の様に紅く、雄々しくて強大で……力を持つものにこそ相応しい風格が彼、シンから見えたの」
強調する様に話の対象である少年の名が告げられる。しかし、この二人の会話の中では最早無意味も同然だった。彼が代名詞で指されようが、既に分かり切っていたことだからだ。
「それがお嬢様がシンを選んだ理由……」
「私に見えたのはここまでよ。もっと深く眺めていれば彼の事も知る事が出来たと思うけど……生憎、私の力はそこまで便利じゃないの。咲夜の運命だってこうして付き合い始めて暫らく経ってからでしょう?何でもすぐに知る事が出来たら、生活の刺激もあったもんじゃないわ」
「ごもっともです」
レミリアが茶目っ気にそう言うと、来ていたネグリジェを脱ぎ始める。纏った霊力で徹底的に日光を防いでいる為、日焼けを知らない裸が咲夜の目の前で露わになる。そこにすでにクローゼットから引き出していたレミリアの薄桃色のドレスとナイトキャップが被せられた。
「さあ、私の夜の始まりよ。今宵は中々、面白い一日になりそうだわ」
夕日が射す紅魔館の廊下の上に、小躯の吸血鬼が現れる。咲夜は部屋の扉を閉めた後、常日頃と同じ様に平坦な表情で主の後を歩み始めた。


「フラン………か」
名乗りを告げられ、辛うじてシンは返答する。綿の広がる薄暗い部屋の中で出会った少女は、何処を捉えているかもしれない瞳でそっと呟いた。
美しい女の子だった。明かりが殆ど働いていないこの空間の中で、僅かな光を受けた金の髪からは光が振りまかれていて、幼いながらも整った顔立ちは美麗と可憐を両立している。目に強い印象を残す配色の赤いドレスとその合間から除く白い肢体は、この館の高級感と合わさって本当に存在するのかどうかも疑わしくなる程の完成度を誇っている。目の前の少女は生物である筈なのに、付け入る隙が無い完璧な容姿を誇る存在は“人間離れ”といった表現が当てはまる。
いや、事実人間ではないのかもしれない。というより、人間ではない確信をシンは持っていた。フランと名乗る少女の背中には人の身にはあり得ない存在があるからだ。
初見からずっと目が離すことのできない彼女の“翼”。それもおよそ生物学的に機能性を持った形ではないものだった。彼女の翼は背から伸びる枝の様な骨から、色取り取りの水晶状の物体が吊り下げられている。恐らく通常の感性を持つ人間ならば、とてもそれは翼には見える訳がないであろう。だが事実そうとしか例え様が無かった。羽が無いのに、用途に合わないあり得ない形状なのに、大よその輪郭が広がっているだけでそれは“翼”に見えるのだ。
「ねぇ……」
彼女の身体にあっけに取られていた傍から、目の前から呼びかけられた。この場には自らと相手しかいない。誰から呼ばれたのかは判断するまでもないだろう。
「貴方、どうしたの?さっきからわたしの事じーっと見て」
「えっ、いや……」
「この館の人間なの?おかしーな。私が知っている中じゃ一人しか居なかったはずだけど………」
独り言を呟く。確かにこのロンリネスな部屋では、つい昨日から働き出したばかりの存在を知りうることは出来ないだろう。この部屋にかけられていた鍵からも想像が容易だ。ならば、分かる様に説明する事が理にかなっているだろう。
「ああ…。俺はここで働き出した執事……でいいんだっけ。ちょっとした事でここに雇われて紅魔館にいるんだけど、まだ中のつくりが分からなくて、気が付いたら階段を見つけたから降りてみると君がいた訳で……鍵外して入って来たんだけど、邪魔だったか?」
「ううん、全然。むしろそうでなくちゃ困るもの」
フランは、口の合間から除く鋭い犬歯をちらつかせながら言う。その表情は、子供然とした容姿に似つかわしい程の艶があった。
「呼んだのよ、私が。貴方をね」
「えっ…?」
「退屈だったの。誰でもいいから扉を叩いてほしかった。別に鍵なんてあっても無くても良かったけど、その気になったら何時でも外すことだって出来たし。だからと言って、ちょっとしたおまじないを撒いてみたら貴方みたいな男の人が来るとは思わなかったわ」
彼女の言葉には引っ掛かる物があった。それを言及しようとシンは返す。
「それって、君が俺を呼んだって事?でも声なんか……」
全然聞こえなかった、という前にフランは、
「私のおまじない……いや、魔法みたいな物かな。といっても、誰か来ないかなって考えていただけなんだけど」
淡々と告げた後にシンの方へ口元を緩ませ、
「そうしてたら、貴方が来た!」
髪の輝き以上に眩しい顔でシンに抱き着いてきた。
「うええっ!?いっ、いきなりどうしたの!?」
その変貌にシンはショックを隠し切れない。先程まで表情をあまり変えず、切れ切れに呟くばかりであったというのに、いきなり外見相応の喜色満面と、――恐らくは妖怪特有の身体能力を使った――驚くばかりの瞬発力でシンの身体に密着してきた。背丈はフランの方が圧倒的に小さいので、彼女の飛び込みは後ろに転倒したシンの胸の中に包まれる結果となったが。
「やっぱり、ぬいぐるみなんかよりあったかい……」
抱き着いてきた彼女は顔を紅潮させて胸にすり寄りながら、その小さな手足を倒れるシンの身体へツタの様に絡める。彼女の抱擁は小柄な身体からは想像出来ないぐらいに力が籠り、全身の痛覚を軽く刺激された。
「あっ……ごめん、いたかった?」
流石に苦悶が表情に出ていたのか、フランも察した様で聞いてくる。シンは顔で「大丈夫」と笑って応えて、フランによって倒された上半身を起こして彼女の身体を離した。思ったよりもフランは軽かった。広がる翼に殆ど面積が存在しない事が大きいのかもしれない。
「ああ…まあ、割とキツかったね。でも怪我は無いよ」
服に着いた埃を軽く払い、立ち上がる。この見知らぬ少女と会話することは別に苦にならない。だが、好奇心から訪れたとはいえ、シンの望む部屋はここでないことは明確だ。
ならば、速やかに退いて真っ直ぐ図書館に向かう方がいい。考えている間明後日の方へ視線を巡らせていたシンはそれを伝えようとフランの方に直そうとした途端―――
ボフッ。といった擬音が似合う様に柔らかい布がシンの顔に直撃した。
これは、先程フランが横になっていたベッドの枕だった。薄暗い部屋の中なので認識に数瞬の間が開く。
「あははははっ。当たったー」
無邪気にフランは笑う。ベッドのふちに腰かけて自由となった両足をバタ足の様に激しく振りながらだ。
「ねえねえシンお兄様?いっしょにあそぼう!フラン、ずっと退屈だったの!」
「えっ!?あ、いや……あはっ……」
「夜になったというのに、誰も相手にならないんだもん!お兄様!」
お兄様と呼び、フランはシンに懐くように飛びつく。血縁関係でない以上、兄と慕われる所以は無いのであるが―――彼女には自分が頼れる存在にでも見えたのだろうか?外見通りの精神年齢ならばシンよりも幼い事に変わりはないだろう。
「うーんとあそびましょ!あっ……もしかして、お兄様にとって私はおじゃま?」
「えっ、そりゃまたどうしてそんなことを聞くの?」
「だってシンお兄様、なんだか暗いお顔。私が飛びついても変な方ばかりみているし。壁を見る人なんてみたことないわ」
幾らなんでも、面と向かって彼女のお願いを聞いていない事は看破されたか。早苗の事を考えるのならばここで道草を食う余裕は無いし、時間の無駄にしかならないのかもしれない。そもそもまともな玩具も無く残骸ばかりが散っているこの部屋でどんな遊びをすればいいのか、今のシンには困りかねない。
しかし、彼には彼女の行為を無下にも出来なかった。元より、彼女程ではないが幼い実妹がシンにはいた。戦時中にはシンに懐く純粋な少女とも接した覚えがある。きっと自分は、この様な女の子に押し切られるのが弱いのかもしれないと、シンは内心で自嘲した。
しばしの間考えた揚句、シンの出した答えは。
「えっとね…もちろん!」
―――はあ…今回だけは仕方ないか…
溜息を吐きたかったが、喜びで満ちたフランを前にしているのでやめておく。
シンは苦笑いに留め、手を引かれて共にベッドへ腰掛けながら、フランの言う遊びに付き合うことにした。

「………戻ってきていたのか」
鈴仙との対話を終えて自室に戻ろうと外へ出た直後、永江衣玖がそこにいた。
彼女が発ってかなりの時が経ってしまったわけだが、大方与えていた指示をこなして帰って来てくれたのだろう。俺が与えたのはとりわけ難しいものではないし、彼女の生真面目さならこなす以外の結末など想像できない。
「あったんだろう?彼らの機体の居場所が。記した紙はあるのか?」
「……ここに」
衣玖の羽衣の奥から紙片が取り出される。俺が渡しておいたものだ。遠目に見ても鉛筆の書かれた跡が小さい面積の中に所狭しと並べられている。どうやら、最低以上の収穫は確保できたとみていいだろう。
俺は受け取ろうと、彼女の元へ近づく。すると衣玖は今まで俯かせていた帽子の鍔を上げて、今まで露わになっていなかった視線を初めて俺と合わせた。
「失礼ながら、耳に挟ませて頂きました」
「……なにを」
「鈴仙さんと貴方の……お話です」
予想は出来ていた、不思議な事じゃない。衣玖は部屋の前に居ながら、決して入ってこようとはしなかったのだろう。しかし、盗み聞きをしていないという保証はない。そして彼女を視認した時からの予想は事実となった事が今明かされた。
「そうか。ならば話は早いだろう。お前が偵察に向かった場所の鎮圧は、俺と鈴仙でやる」
「………」
「お前の“役割”は終わった。後は休め」
言った後、紙の受け取りの為に俺は手を前に伸ばした。彼女は十分な任務を達成した、後は俺が強奪行動を行なうだけなのだから。
「貴方は……大切に考えてくださっているのですね…?私と……天子様を」
「…聞いておこうか。何処から聞いていた?俺達の会話を」
「――実は、ラウさんが鈴仙さんのお部屋に入る時から眺めておりました。その時に偶然立ち会わせていたもので…」
「そうか」
彼女の発言は、話の内容の全てを知っていることになる。説明の手間が省けると取ればプラスだが、自分の知らない所で聞かれる事に正直、いい気分はしない。
「嘘」
「?」
「嘘です。私が見てきたあの場所には貴方が大切にしていそうなものは何もありませんでした」
『……あそこには、俺の大切な物がある』
「鈴仙さんに貴方が言っていたのは嘘ばかりです。知らないから私を向かわせたというのに、見ず知らずの方に法螺を吹いて」
「――言い訳できないな」
「嘘をついて、騙して。彼女を自分の手段に加えるのですか?貴方は」
なんだ、なんだというんだ。
この彼女に対してこみ上げる罪悪感は。
「貴方が私や天子に向けてくれた信頼も、言葉も……嘘なのですか!?」
小さく叫ぶ。衣玖の帽子の陰に隠れた瞳が潤んでいた事に俺は今気づいた。常日頃から展開されているポーカーフェイスの面影はそこには微塵も無い。彼女のみせる過去最大の感情表現だ。
それを目にしていると、やるせない気分に陥った。返す言葉も出ないとはこの事を指し示すのだろう。
「………くっ…ぅ!」
嗚咽をかみ殺した声にならない音が、微かに俺の耳へ届いた。羽衣を揺らし、スカートを翻して、彼女は永遠亭の裏手へと駆け去った。
俺は、彼女に対する対応を間違えてしまったのか?少なくとも彼女が喜色満面で無い事は言うまでもない。俺が衣玖をああしたのだ。しかし、その原因が分からなかった。鈴仙にも指摘された俺の無愛想か?指示の内容との食い違いか?俺がそもそも他の女と会話していた事が気に入らないのか。
きっとどれでもない。ただ悪いと思えるのは、衣玖にしろ、鈴仙にしろ、俺は嘘をついてしまった事だ。結果が全て通ればどうとでもなるというのに、動機を偽ったことが彼女の不信を買ってしまったのか。だが俺の真の狙いを話した所でどうしろというんだ。正常な感性を持つ者なら、俺の真意を一つ残らず汲み取ってくれるのは困難以前に無理だ。誰が他人の復讐劇に付き合ってくれるというんだ。
「ラウ!」
声が聴覚を刺激し、俺はハッと顔を上げた。
この快活さを全ての状況において滲ませた声は奴しかいない。
「天子、起きていたのか。それに……」
「私も一緒よ」
蓬莱山輝夜。かの伝説な日本伝記に現れる登場人物と同じ名前を有した、長髪の女だ。最も俺の知っている昔話はさわり程度のものだが。俺の趣味では無いからだ。
「姫君がこんな夜更けまでどうしたというんだ。天子、説明しろ」
「説明も何も…退屈で夜更かししていたら、輝夜の方が私達の部屋に来てくれたのよ。どうもアンタに用があるみたいだから」
「用?」
仮にも高い“くらい”の存在が俺に何の用だというんだ。口までその言葉が出かかったところで止める。無礼を働くのは本心ではないし、この様な者の相手は何故だか苦手ではない。記憶を失う前は目上と接することが多い立場だったのだろうか、俺は。
「輝夜で良いわ、ラウ。貴方、外の世界の人間でしょう?折角だから天子と一緒にお話ししない?あまり屋敷の外の人間と接しないから楽しみだったのよ」
俺は、最善の対応を考えた結果、無言で首を振った。縦に。

「じゃあ、貴方には記憶が無いんだ。“外”で過ごした記憶も」
「全くだ。しかもそれに至っては鈴仙も永琳もどうしようもないときている」
「だから、私と衣玖でお世話してあげているのよ。血だらけだったコイツ一人だといずれ死んじゃうのは目に見えていたしね」
この世界で目覚めてからのあらすじを簡単に告げる。俺が来てからの生活の事も、天子は雄弁と語っている。
「そりゃ、私のお気に入りの場所で人間の死体があるなんてショッキング以外の何でもないわよ。だからこの寛大な総領娘である比那名居天子が、手塩にかけて怪我を治してあげたのよ」
「お前は目下の奴らに指示をしただけだ」
「なによ!一緒に“ガンダム”見つけて一緒に乗ってあげたのと言うのに!不満なの!?加勢だってしてあげたのに!」
「要らない。そもそもコクピットは狭いから入る方がどうかしてる。宇宙【そら】での戦いも、お前は積極的になるべきじゃなかった。“プロヴィデンス”に至っては応急修理の殆どを天人に伝手のある者がやってくれていた」
「へえ、ずいぶんとここに来るまでに聞いて事とちがうわね。捏造って奴?」
「ちがうわよ!私が居なきゃ、ラウはダメダメなんだから!」
「どっちがだ」
下手をしていれば、俺と“フリーダム”との戦闘で天子は消し炭になっていたかもしれない。奇しくもこの女のお節介によって俺は救われたからあまり面と向かっていえないが……それにしてもありもしない事をペラペラと。衣玖に非難された俺が思うべき腹づもりではないが。俺の態度がすべて裏目に出るとは思わなかった。
「ふふっ、貴方達きっと結ばれたら幸せになれると思うわよ。双方が持っていない所を埋めあう……きっとそこから産まれるのは理想の形なんでしょうね」
「何でコイツなんかと!」
「誰がこの女と!」
輝夜の世辞に、俺と天子が全く同じタイミングで反論する。不愉快だ。
「ほら、仲がいいじゃない。でも、人間と妖怪のコンビって珍しくないわよ。この幻想郷では」
「俺はまだこの世界で日が浅いからどうともいえないな」
「わっ…!私がなんでこんなひ弱な人間と過ごさなきゃいけないの!アンタ馬鹿ぁ!?」
「馬鹿じゃないわ、これでも月にいた時はそれなりの教養を得てきたから」
「そういう意味じゃない!」
手玉に取られているな。明らかに輝夜の方が上流階級としての振る舞いも、品格も上だ。こればかりは何年経とうとも簡単には覆りそうにないだろう。
「あははっ、ごめんあそばせ。けど、可哀そうね……そんな最高の殿方が、永琳から非道な結果を言い渡されるなんて………」
嫌な事を思い出させてくれる。てゐを捕まえた後で永琳から聞かされた最悪の診察結果。そして、それを覆す薬の存在。
「輝夜、お前は俺にあの薬を飲めと言いに来たのか?わざわざ」
「当たらずとも遠からずかしら?」
「なに…?」
「だって可哀そうじゃない。貴方の事を想ってくれている女の子を遺して死んでしまう男の子なんて」
「なっ…!?」
気が付けば、天子の白い顔は朱に染まり切ってきた。空色の髪が伸ばされている分、より目立つ。
「わっ、私はそんなんじゃ…!」
「あれ、ご本人は言われるまで気付いていなかったのかしら?伊達に何年生き続けたと思ってるの?私が」
「そんなのしらないわよ!」
「ま、きっとこれからも生き続けるでしょうけど。例え世界が滅びたって、永琳と共に」
薬―――“蓬莱の薬”の効力。いや、後遺症と捉えるべきか。永遠の命は羨望の存在であるとともに、忌むべきものであると昨日永琳が語っていた。生死の輪、むしろ廻から解き放たれ、いかなる運命をも享受するしかない生き方を強要される。それに、正常な人間の精神がどこまで耐えられるのか。“蓬莱の薬”は身体を化け物に変えるが、心までは適用範囲外だ。永琳から聞いたところによれば、薬の実験者となった者の内、長い時によって疲弊した人間が廃人同然となって“しかるべき場所”に隔離されているという。永琳は高度な技術を持つ“月”の人間であり、――ここで言う幻想郷の“月”は俺達の世界と異なり、月自体に人間が住める環境があると聞く。結界と呼ばれるバリア状の物質がコロニーでいう外壁を成しているらしい――住民の見えざる部分で暗い情事を行なっている様だ。いずれも俺からすれば半信半疑にしかならざるを得ない絵空事同然の話だが。
「天子自身はどうなのよ?貴方だって本当は、彼には永く生きて欲しいでしょ?永く、ね」
「っ……」
女性二人を目にして、俺は碌な言葉を持ち合わせていない。輝夜が言うには天子は俺の事を。
「た、たしかにっ、私だって下僕が死んじゃうのは嫌よ……貴重な労働力がなくなっちゃうじゃない」
「ふうん、照れちゃって……」
「アンタが耳年増過ぎんのよ!このおばさん!」
「天子、今のは聞かなかった事にしてあげるわ。昔の私なら容赦なく殴ってたかもしんないけど」
「黙りなさい!」
だが、俺は一人の女の好意を受けてはならないのではないか?俺の身体は人間として不完全な物だ。それは、永琳から詳細に聞かされた。それが直接的原因となって遠くない未来で死に至るのも。
そんな俺を、好意を抱くごと自体が間違いなんだ。
だから輝夜は俺に薬を飲めと?
そうすれば俺の命は永遠を約束されるが、こんどは天子の命が逆転する。幾ら天人でも不死ではない。じゃあ、天子も同じ薬を摂ればいいのではないのかという意見も生まれるだろうが―――俺はそれを許さない。
生物とは、死ぬからこそ今を必死に過ごせれるからだ。死の無い存在など、最早意思を持つだけの“何か”でしか無い。
「俺に薬は不要だ」
「ラウ!けどそれだと、あんた死んじゃうんじゃ…!」
「どんな命であろうと、生きている限りはその刹那の夢を楽しもうとする。俺もその一人だ。永遠の命を欲しいだなんて思わない」
欲しがった事が無いと言えば嘘となる。永琳から薬の存在を聞かされた時は、心が湧きあがった。だが、後々冷静に考えてみれば先述の通りだ。俺はまだ死ねないが、死なない体にはなりたくない。永遠の命と永久の苦痛を得るぐらいなら、志半ばで死んだ方がいい。
「あら残念。てっきり、同胞が増えると思ったのに」
「貴様には永琳がいるだろう」
「そう?結構さびしいのよ。死んでいく人達を見ていくのは。記憶も60年程度でほぼ忘れちゃうとはいえ、痛みが薄れる訳じゃないのよ?だったら、私の知る人を蓬莱に変えた方がよっぽど幸せじゃない。私にとってはね」
「お前の勝手な理想を押し付けるな。俺も天子も程度の差はあれ、限りある命だから今を楽しめる。お前達の尺度に俺達が合せる義理は無い」
「ラウ……!」
「俺に他人を気にする余裕は無い。だが、俺はやるべきことを終わらせる。それまでは誰にも俺という命をやることは出来ん。全てが終わってからだ……他を気にするのは」
「……そう」
あらん限りの想いを伝えた後、輝夜は懐に持っていた白い薬包紙――“蓬莱の薬”だ――を解いて、中の粉末を夜風に晒した。粉末の光沢が月からの光によって輝き、光の粒子が見えた途端消えていく。これで、俺に施されるべき薬は存在しなくなったという事か。
「貴方の道よ。後悔は無いでしょう?永久の苦しみより、刹那の快楽を貴方は選んだのだから」
「そうだ」
「中々いい話が出来たわ、今宵は。私はもう寝るから、あとは二人で仲良くしていらっしゃいな」
輝夜は急に俺達に背を向けて、廊下の奥へと歩みだす。が、数歩で立ち止まり―――
「そうそう、ラウ?」
「まだ何かあるのか」
「ええ。もう片方も大切にしてあげなさいよ?案外傷心のご様子みたいだから」
「えっ―――」
俺が返答する間もなく、輝夜は行った。天子と話しながらここへ来たんじゃなかったのか。それとも全て予想済みだったのか。幾ら考えたって仕方ない。今ここにいるのは、妙に顔を赤くしている比那名居天子ただ一人だけだ。
「ねえ、ラウ……」
「何だ?」
「あんたはこれで良かったの?私は…私が死ぬ時まであんたにいて欲しかったけど」
「過ぎた事だ。それよりも、俺からお前に伝えなきゃいけない事がある」
「えっ……!」
一層天子は照れ顔を露呈した。恐らくは別の事と勘違いしているのだろうから、俺は容赦なく現実に引き戻した。
今の俺達にはその様な感情は不要だからだ。
「明朝、俺は鈴仙と出る」
「……そう、なの?」
「ああ、それだけだ。そして俺は―――」
俺は天子に真正面から宣言した。一切の淀みない、固い意志を示した。
「“フリーダム”と、決別する」


少々時は遡る。
昼にシンと別れた後、少々複雑な館の廊下に迷いこそしたものの、特に問題もなく早苗は図書館に向かう事が出来た。
紅魔館本館も広大であったが、図書館もやはり広かった。
吸血鬼の館であることを考慮されているのか、紅魔館全般は窓の数が少ない傾向だ。だが中でも図書館は群を抜いて少なく、数える程の天窓から日光が降り注ぐのみで日中だというのに薄暗く、入口から反対側の壁が闇で殆ど見えない。外と隔てているレンガの壁も分厚いのか、雑音は殆ど耳に入らず、唯一聞こえてくるのは図書館に飾られている大きな振り子時計の刻み音だけだ。
加えて、鼻で呼吸をすると独特の臭気が鼻を突いてきた。今までにもどこかで感じたような身近で嫌悪感を抱く臭い。
これは、黴【かび】だろう。生活上、人生一度以上は経験する臭い。湿度は高すぎてはいないと想像するが、この換気することに困難を極めかねない形状の図書館では空気の流れが殆ど発生しないことは容易に想像できる。
目的の本に黴や汚れが付いていなければいいのだが。早苗はこの空気に生理的嫌悪感を覚えながらも、薄暗い部屋の奥へ歩を進め始めた。
「本がいっぱい……」
遠くからでも視認できていたが、とにかく本だ。無数の本棚が部屋を覆い尽くしている。シンの言う通り早苗にも読める言語の本が置いてあれば、全くもって理解できない言語で記された本も見受けられる。
―――この中から目的の物を探し出せるのだろうか?私一人で。
一抹の不安を抱きながら、とりあえず適当に棚から一つの書物を取り出す。外の世界の教養のおかげで英語程度ならば何も考えずに黙読出来る自信がある。アルファベットの羅列が横一文字に流れる表紙をめくり、白い紙に記された中身を読み取ろうとした途端―――!
「本は知識を蓄えた貴重な物体」
「…えっ!?」
棚越し。部屋の奥から声が届いてきた。声量は大きくなく、囁くといった言葉が似合う代物だ。
「私の知識を盗む貴方は、そこで何をしているのかしら?」
棚を避けて覗き込む。机の上にあるガスランプの光が声の主をぼんやりと映し出している。床に着くか着かないぐらいの長髪をだらしなく垂らし、透けた紫色のネグリジェを纏った女。手には分厚い洋書が収まってあり、レミリアよりも色素が薄く、か細い手で一枚、また一枚と手持ちの本を捲っていく。表紙に描かれているのは早苗には読めない文字だ。女の周りには同じく用途が分からない本が無造作に縦積みされており、その一つ一つに幾つもの栞が挟まれていた。
「貴方はっ、確か…!」
早苗には聞き覚えがあった。紅魔館の図書館には広大な知識を備えた魔法使いがいると。それも魔理沙の様に魔法という名の特殊な力を外付けによって扱える者ではない。魔力で自身の生命力を生み出せる“捨食の魔法”、魔力が続く限り、事実上の不老不死になれる“捨虫の魔法”を身に着けた、種族として“魔法使い”の名を冠した『本物』。幻想郷の中でもこの女は先天性でその二つを有した特殊な存在。
それが目の前の女。前に読んだ縁起によると名は―――
「知識の魔女、パチュリー・ノーレッジ………この図書館の主であり、管理者…!」
「山の風祝……咲夜から聞いていたゲストってあんただったのね。今日はどうして、部外者の出入りが多いのかしら」
“知識”の名を冠する少女、パチュリーは早苗にかまわず本を読み続ける。視線も一時たりとも逸らさず、初めから早苗の存在が無かった様に右手を一定間隔で左右に往復させている。正に通称“動かない大図書館”その通りだった。
「仕方ないでしょ。幻想郷でここに勝る本の蔵は、どこを探しても存在しないもの」
もう一人。パチュリーの後ろに誰かがいる。
「アリス・マーガトロイド………図々しく常連でここにきているあんたが口出しできるの?」
青い洋風のドレスに白いケープを羽織った、ゴシックロリータ調の服装、。巻かれた赤のリボンが目立つ金髪のショートカット。人形に着せる服をそのままスケールアップした様な、シックな恰好が目立つこの少女はアリス・マーガトロイド。パチュリーとは異なり後天性であるが、同じく生粋の魔法使いである。
「パチュリー・ノーレッジ、私は初めに言ったはずよ、私は貴方の邪魔をしない。その代わり、ここの本を読ませて貰うって」
「今私と風祝の会話に介入したでしょう。それだけでも私の行動の邪魔になるわよ。それと、あんたは本の持ち出しをしないというから放っといてるだけ。じゃなきゃ、誰がここへ居る事を許すのかしら」
「どこぞの偽物と一緒にしないでよ、パチュリー。貴方に利が無くても、私にはある。その代わり最大限の配慮をしている分、私は優しいでしょ?」
「勘違いしている様だけど、あんたがどれだけ知識を得たところで、私の知識と精霊魔術には及ばない。あの娘もよ。そうやって努力したところで地を這う凡人は天賦の才を持つ者に追いつけないのが道理なのよ」
「へえ、言うじゃない。なら試してみる?久々になるけど、誰が一番の魔術師かを」
パチュリーの尊大な物言いに対して、アリスも気圧されずに言い放つ。魔法使い同士の会話に早苗は蚊帳の外でしかない。周りの空気が次第に重くなり、早苗は直感で確信した。これから、二人の戦いが始まる事を。
「ならば私は、努力の天才だな!パチュリー!アリス!」
緊迫したこの場に、明るすぎる大声が広げられた。この場にいる誰もがその声に覚えがあり、声の方に向く。早苗が入ってきた入口が思いっきり開け広げられ、木扉が壁を激しく叩く。奥からは扉を開けた証明に両腕を真っ直ぐに伸ばした女の姿。黒の三角帽に白のエプロン。古典的な服装をした女と言えば、あの女以外に他に無い―――!
「悪いな、その勝負に混ぜてくれないか。私も魔法少女の一人だぜ?仲間外れはナシだ!」
「霧雨魔理沙…!」
「魔理沙!!」
「魔理沙さん!」
図書館に閃光の如く現れた魔理沙は、帽子の鍔を親指で上げ、自信に溢れた満面の笑みを三人に見せつけた。(如月イラスト)


「あれ……勝っちゃった」
「負けたか。呑み込みが早いじゃない、フラン」
フランがシンの手元にあるカードを引き抜いて一言漏らす。彼女の部屋にはぬいぐるみばかりしか無いと思っていたが違った。ベッドの横にある少々大きめの棚には多数の遊具が収まっていた。
最も、いずれも一人では楽しむことに困難を極める代物ばかりだった。チェス、トランプ、リバーシなどなど……一人で閉じ込められていたフランに悪質な嫌がらせとも取れるラインナップが、シンの感情を小さく煮やした。
―――そりゃ、ぬいぐるみしか遊べる物が無いよな……
いつ、誰がフランをこの部屋に閉じ込めたのかは知る由もない。せめてもの情けで遊具を入れておいたのかどうかも分からない。本人以外に真意を読み取れる者は滅多にいないからだ。
「あれ、シンお兄様の指……」
「あ、これ?」
不意にフランがシンの左手の人差し指を見て呟いた。そこには一筋の浅い傷が刻まれている。今朝の調理の時に手を滑らせて切り傷を生んでしまったのだ。本格的な調理はこの世界に来てからというものの、久々になってしまった為だ。
「朝切っちゃったんだ。大したことないし大丈夫だよ」
「いけないわ。切り傷は見た目よりも痛いって聞くし、それにお兄様の血……」
フランが喋っている内に、シンの左手は彼女の両手によってしっかりと握られる。
そしてそのまま、傷がある指が彼女の小さい口の中に運び込まれた。
「うっ…っ!?」
「ちゅ……ん、……れろっ」
動揺なんてものじゃなかった。それほどまでにシンの心は跳ね上がり、表情は引きつった。
暖かい口の中でぬめりとした彼女の舌が、シンの指先を弄ぶ。舌で舐められ、口で吸われ、背筋に寒気が迸る。心臓も激しく早鐘を打ち、今まで感じた事のない背徳感が襲ってきた。
「指……暖かいね。汗、なのかな。ちょっと味がついてて、血の味が混じってて……おいしいかも。れろ……」
解説するように口を開いた後にまた舐め始めた。赤い舌がひらめき、先端から根本へとちろちろっと細かく滑らせる。
動揺とほんの少しの快感から思わずシンもうめき声にも似た小声を発する。あまりの感覚から反射的に手を引っ込めようとすると、
「ダメだよ」
艶のある響きが鼓膜を打つ。同時に強い眼差しを向けられたと共に左手を強く握られた。どうやら、そのままにしておけ、という事らしい。
「なんか人間から流れる血を見たの……久しぶりかも…ん…」
血小板で固まっていた傷の瘡蓋が、彼女の唾液によって溶かされる。次第に傷が出来た直後と同じ様に少しずつ血が指を伝う。そこを舌が覆い、唇が咥えてくる。
「ん…?もしかしてシンお兄様、こういう事…初めて?」
「うっ…!あぁ……されたことなんかっ、無いよ…」
「そうなんだ……それ聞いたら何故だかわかんないけど、なんかうれしいかも……」
一通り人差し指を舐めまわし終わると、傷の部分を集中して襲われた。傷から走る痛覚が、微かにシンを刺激するがそれに勝る物が絶えず自己主張をしていた。快感だ。フランの無邪気に攻めてくる小さい舌が流れると、快楽を生む確かな刺激彼の神経を巡っていった。
「あ、ああ……もうストップ!やめやめ!」
これ以上続けられたらどうにかなってしまいそうだった。小さい女の子相手にさせていることがとても背徳的な事だというのもあり、シンは大声を荒げて彼女の行動を止めさせた。
「えっ、なんで?これからが本番だったのに…」
「気持ちは十分に伝わったから!もう!」
フランがシンの言葉にあっけに取られている内にすかさずシンは指を抜いた。透明な唾液と自分の血が混ざって薄い赤色がぬめっている。シンは誤魔化すように苦笑しつつ、自前のハンカチでふき取る。不思議と彼女に舐められた時に気持ち悪いとは感じなかった。だが、こんなことはやはり続けるべきではない。シンの理性がそれを強く訴えていた。
「もう、意地悪。…けどわたし、シンお兄様と遊べて嬉しいわ」
「いきなり…どうしたの?」
「だって、ぬいぐるみは触っても、叩いても、引き裂いても何も言ってくれないんだもの。玩具を持たせても掴みもしないし、自分で動き出そうともしない。けどお兄様は違うわ。触ったら赤くなって、声をかけたら返してくれて、こうやって誰かとお話しするのも本当に久しぶり」
「えっ…!どういうことだ?」
フランの発言はどこか危険だ。触る事すら憚られる刃の様に。彼女の持っている普通の人間や妖怪が見せない何かが、シンに言葉を詰まらせた。
「……ううん、何でもない。今の話は無しにしましょ。それよりも、次は何して遊ぶ、お兄様!」
「そっか。じゃ、そうだな……」
フランが首を横に振って、聞かなかったことにしてくれと言う。シンはそれに内心戸惑いながらも承諾して、彼女の求める遊びを思いつこうとする。だが所詮ここは二人きりの空間だ。出来る事にも限度がある。この部屋に来てからもう数時間は経とうとしているが、そろそろテーブルゲームにも飽きてきた。
「そうだ。フラン、この部屋から出てみないか?」
「え―――――――――」
「外に居れば俺以外にも遊んでくれる人はいるし、何より退屈じゃなくなるしさ。ほら、一緒に――」
思いついてシンがベッドに座り込んでいるフランに手を伸ばす。対するフランはシンの言葉を聞いて一瞬硬直し、そして、
「嫌」
と、一言だけで反対を示した。
「ゴメン…私、ここから出られないの。……出ちゃいけないの」
「どうしてだよ?」
「出たら怒られるの。いろんな奴に。アイツに」
対して悲しそうにしている表情ではなく、ただそれが当たり前に決められた決め事の様に話す。それを破れないとフランは訴えた。
「だからお兄様……また、この部屋に来てくれる?」
「それは……」
「わたし、ここでまた待っているから。また“二人”で遊びましょ?今度は病み付きになるような……もっと楽しい遊びをしましょう?」
また、見せてくれたあの笑み。薄闇の中でもハッキリと読み取れるほどの眩しく、純粋な子供の笑み。心の底から彼女は自分と遊びたいと願っているのだろう。そこに第三者を入れる事はフランにとって幻滅する対応なのかもしれない。強調する様に言った『二人』という単語が、シンの心に突き刺さった。
「……もちろん。次も、その次だって、一緒に遊ぼう。けど、次からは俺の事はシンって呼んでくれ。お兄様って呼ばれるとなんかくすぐったい感じだから…ははっ」
「うん、シンおにいさ……シン!」
「それじゃ、そろそろ俺行くから。また今度ね」
出入り扉に歩きながら、シンはフランに小さく手を振る。対する彼女は元気に笑いながら去りゆくシンに手を振り続けて見送った。
そしてシンは元の廊下に戻ってきた。
―――フラン……か。
なぜ彼女があの部屋に住まわされているのかは分からない。フランは話そうともしないが、ここの関係者ならば真相を知っている者がいる筈だ。今夜はもう遅いし、今から咲夜に問い詰める訳にもいかない。
「……早苗の所に行こう」
自分のやるべきことを再確認して、シンは廊下を早足で駆ける。一刻も早く目的を澄ませるために、今は余計な考えを一切合切忘れる事に専念した。


「我が魔力に応えよ。偉大なる大地の精霊!聖なる水の精霊!我に相なす敵を討て!!」
魔術詠唱。驚異的な威力と効果を誇る精霊魔法を扱うパチュリー・ノーレッジは、他の二人と異なり全力の魔術の行使に詠唱を必要とする。精霊魔法に長けている彼女は自らが構築・改良した簡易的な詠唱を用いつつ、眼前の相手に向けて集中力を高める。
「土水符、ノエキアンデリュージュ!」
魔道書を持つ方とは反対側の自由な左手を相手へ向ける。即座にその指先から澄み切った透明の液体が高速で打ち出される。そのしぶきが近くにいた早苗の顔に降りかかった。水だ。精霊魔法で作り出した、いや、“作りかえた”と評するのが正しいか。パチュリーの持つ魔力を組み替えて水を生み出す。精霊魔法とは持ち主の魔力を別の物質に変換する魔術なのだ。
超高圧で固めた水はどんな物質よりも固く、重い。魔理沙とアリスは使う魔術に違いはあれど、パチュリーとは同業者の関係になる。折り合いが良好とは言えないが、付き合いは長い。だから、彼女の持つ魔術の危険性を良く分かっていた。二人は即座に空中で回避行動を起こし、撃ち出された水の両側に避ける。
「おいおい、また喘息か?当たらなきゃどうという事ないぜ!」
魔理沙に至ってはパチュリーに挑発さえ行っていた。だがパチュリーの方も、相手がこのような性格だと分かり切っている。最早真に受ける方が馬鹿馬鹿しい。生憎今のパチュリーは身体の調子が良好だ。余裕綽々の魔理沙をこの手で完全に倒す事が出来ると確信できるまでに。
「だから貴方は馬鹿なのよ魔理沙、そんな隙を見せるから!」
一瞬だが目を離した隙に、今度はアリスが魔理沙の方へ向いて魔法を放とうとしていた。アリスの魔法は人形を媒介とした遠隔攻撃を得意とする。これは戦術の柔軟性を主眼に置いてあり例えば、人形の放つレーザー状の魔力を束ねればあの魔理沙の魔法と同等の火力を誇る事も可能で、逆に人形自体を散開させ、相手を様々な角度から攻撃を行なう事も可能である。頭脳に自信があるアリスならではの特徴だ。最も、人形を友好的に扱う面で考案したのが、この戦法に落ち着いたわけだが。
「みんな、乱れ撃って!咒詛、蓬莱人形!!」
アリスの手前に円形に配置された人形の数々から、無数の光条が魔理沙を捉えた。光の速さとほぼ同義のレーザーを避けるためには撃たれる前に避けるしかない。魔理沙はアリスの宣言の直前に最小限の軌道で人形の延長線上から逃れる。光は図書館の天井に命中するが、決して壊れはしなかった。紅魔館も含め、この図書館がパチュリーの魔力によって材質が強化されているからだ。例え魔理沙の全力でも、パチュリーが意図して解かない限り破壊することは叶わない。本棚も同じく魔術防御が施されている為決して壊れない。ただ、本は振動で床にばら撒かれるが。
「なんで私ばかり狙うんだよ!?お前ら!」
「魔理沙がここにいるのが気に入らないからよ!」
「あんたが私の図書館にいるのが気に入らないのよ!」(同時)
「随分と嫌われたもんだな!!」
嫌悪感を惜しげもなく露わにして、魔法使いの二人は箒に乗った魔理沙を撃つ。
「魔理沙さん、加勢を!」
「邪魔すんじゃねぇ!」
劣勢に見えた戦況から早苗は告げて、飛翔しようとした。
しかし魔理沙はそれを断った。その理由は、
「この戦いに勝てば、私の魔法が一番だと証明できるからな!」
屈託ない笑みを崩さず、魔理沙は言い放った。そして、懐から一つの道具を取り出した。
「頼りにしているぜ、香霖」
ミニ八卦炉だった。魔理沙の持つ外付けの魔力を極限まで高めるマジックアイテム。それを右手で掴んでアリスに向け、空いた左手で床に立つパチュリーを捉える。霊力で空中に箒を固定させ、狙いを定めた。
―――魔力を最大限まで集めて………開放する!
暗唱して、集中。伸ばした両腕に光が集まり、塊が出来る。十八番である“恋符「マスタースパーク」”を昇華させた新たなる技。ミニ八卦炉の持つ魔力増幅を押し出した、複数の敵の対応に特化した“魔砲”―――!
「これが!“ダブルスパーク”だあっ!」
アリスの放ったレーザーより、もっと太く大きい。その見た目に違わず、強力な振動と衝撃が離れている早苗にも伝わってくる。この締め切った空間の中で暴風が起きる程の威力だ。
「魔理沙、貴方が言ったのよ!」
「あたらなければ!」
当然、黙って受けるつもりは毛頭ないのだろう。
アリスは横に避け、パチュリーもさすがに散らばる本への被害を危惧したのか飛翔して上へ躱す。そして、両者は反撃に転じようと、空中の魔理沙へ向かって飛ぶ。
「魔理沙さん!」
「まだ終わりじゃないぜ!」
そう、まだ魔理沙の攻撃は終わっていなかった。魔理沙は照射したレーザーが伸びる両腕を真横へと構える。そして、そのまま箒自体を回転させ、同高位へと昇ってきた二人を薙ぎ払う。
「“ローリングマスタースパーク”……流石にこれは安直すぎるか。捻りが無い」
照射を終えて即興で思いついた名前を言い、気恥ずかしそうに魔理沙がこめかみを掻く。その様子に対し、予期せぬ攻撃で床へと墜落した二人が見上げる。幸いにもアリスは人形で、パチュリーは魔力で集めた泡で受け身を取っていた。
「さらに出来る様になったわね……魔理沙」
「ゲホッゲホッ………埃が肺にっ……!」
「もうやめときなって、結局私が一番強いんだからな」
優位に立てたことが余程嬉しいのか、魔理沙は益々調子に乗る。見かねた早苗はそろそろ自嘲させるべきだと考え、魔理沙に言った。
「魔理沙さん、もうその程度にしていた方が……このままでは私達の本探しが出来なくなってしまいます」
「おいおい、盛り上がってるのにそりゃないぜ早苗」
「図書館の主を焚きつける事が、本探しになるものですか!」
「わ、わかったよ。そこまでマジで怒んなよ早苗、今降りるからさ」
これ以上は却って早苗とシンの目的の妨げになりかねない。早苗の逆鱗に触れた事を謝りながら、魔理沙は着地して倒れる魔法使い二人に駆け寄った。
「おい、大丈夫かアリス、パチュリー。悪いな、やりすぎちまった」
「油断した……私の人形が負ける筈ないのに」
「ケホッ……いけない、後で休まないと……」
満身創痍の二人を早苗と魔理沙は介抱する。そこに遅れて、もう一人が図書館に入り込んだ。
「はあっ……はあっ…ごめん早苗!遅れて……って!?」
「シン!」
ようやく現れたシンの目の前に映るのは、目も当てられない図書館の惨状だった。本は床に散らばり、服がボロボロのアリスとパチュリー。そこに立つ埃だらけの早苗。何が起きればこうなるのか、すぐには想像も出来ない。
「貴方は確か……レミィが言ってた執事かしら…ゲホッ」
「は、はい!シン・アスカです!」
咳き込みながら、本に埋もれたパチュリーがシンを呼ぶ。
「私はここの管理人のパチュリーよ……紅魔館の住人として命じるわ。あんた達三人で、この散らかった図書館と私達の服を元に戻しなさい!!」
「「「ええええええええっ!?」」」
シン達は揃いも揃って大声を上げて驚愕する。折角走ってまで図書館に来たというのに、本探しをする所か掃除をする羽目になるとは。これには驚く以外に何もない。
「魔理沙の……馬鹿…!まったくもう!」
それを見ていたアリスは、魔理沙のお調子づいた大暴れに対して呆れるしかなかった。