PHASE- 41 運命を紡ぐ者


太陽が西の彼方に沈みゆき、黄昏時が終わりを告げる頃。
空には仄かに輝く月が昇り、宵の地面をおぼろげに照らしつける。一日の終わりとも言える、夜が舞い降りたのだ。
その月下。紅魔館内最端の聖堂で、一人の少女が佇んでいる。隣には聖堂の装飾である十字架が聳えており、その先端に銀の鎖で縛りつけられた妹の姿が在った。彼女に空けられた胸の風穴は既に塞がっている。吸血鬼の治癒力だ。人間の何十倍もの速さをほこり、どんなに深手であろうとも絶命に至らせる損傷は限られている種族であるが故の能力だ。しかし、フランに巻き付かれた銀の鎖をもってすれば、たとえ傷は治せても身体能力は人間の赤子同然にまで低下する。今のフランはレミリアの召喚した銀鎖によって、無抵抗であらずにいられないのだ。その裏付けともいえるのが、あれ程怒り狂っていた彼女の顔が、力無く項垂れている事からも窺える。
さらに付け加えるのならば、何故悪魔とも評される吸血鬼の所有する館に、神を崇拝する聖堂が存在するのか。外の世界の宗教に対して知識を持つ者は少なからず口をそろえて言う。それは、主であるレミリア自身が神の力、及び神を象徴する十字架など、恐れもしない絶対なる自信の象徴であるからだ。悪魔の住む塒【ねぐら】に在る聖堂。即ち悪魔の下に神がある位置づけになる事を意味し、自分は全能たる神よりも上位の存在であるとレミリアは敢えて口にしない方法で世界に示しているのだ。
その空間に、三人の少女がレミリアの前に立ちはだかる。逸早く彼女の元へ向かった魔法使い。霧雨魔理沙、アリス・マーガトロイド、パチュリー・ノーレッジだ。
「吸血鬼の癖してこんな所に逃げ込んで、随分変わった吸血鬼じゃないかレミリア。神様にでも許しを請うのか?」
魔理沙が大仰に両手を広げ、この空間がどれだけ吸血鬼に不釣り合いかと訴える。
「逃げたんじゃない、誘い込んだんだ。私を追う彼をここに招き入れる為にね」
「私らはおよびじゃない、ってか。悪いが今回のお前の暴走は立派な異変だぜ。私、霧雨魔理沙がお前を止めてやるぜ。今日は強力なオプションが二つも付いて来てるからな」
「誰がオプションよ。武器みたいに言わないで」
魔理沙の横柄な物言いに、低い声で否定するパチュリー。実はアリスも、パチュリーも、かつての異変で共に協力した仲であり、当時の事情で魔理沙に力を貸した過去がある。それ以前にもこの三人は何かしらの縁で行動を共にする事があり、今回もその縁の一つかとパチュリーは自問した。
「見つけたわよレミリア。貴方のせいで要らない用事が増えちゃったじゃない。別に貴方達の事情なんて知らないけど面倒を生む芽は摘ませてもらうわ」
アリスも口ではそう言いながら、その実かなりのお人よしだ。シンを治療したのも、目の前で苦しんでいる人間を放ってはおけなかったから。今の彼があの怪我である以上、自らが助けなければならないとアリスは自分に使命感を賭していた。
「悪いけどレミィ、今日はこっちに付かせて貰うわよ。前々から貴方のフランに対する対応には疑問があったし、何より今回は勝手が過ぎるわ。友人として貴方を止める」
「フン、所詮人間の身体に付け焼刃を施した魔法使い風情が。古来より伝説となって恐れられてきた私の血筋の力に叶うものか。悪いが今夜は本気で殺すわよ。今の私の興味は、あの子だけなのだから」
傲岸不遜のレミリアは、その身体から高圧的な気と態度を放出し眼前の小娘に言い放つ。口調ですらも少女らしい柔和なものから変貌を遂げ、目の前に立つ吸血鬼がどれ程の度量であるかを存分に見せつけてくる。それは決してハッタリの類ではない。何故この娘がこれほどの館を持ち、沢山の部下を連れているのかも彼女の先天性のカリスマが大きな影響を持つからだ。それに見合った彼女の力も、決して矮小なものではない。それは過去の“紅霧異変”。魔理沙が理解できるのはその当事者であったからだ。相方の博麗霊夢と共に異変を解決した人間として。
レミリアが右手を天へと構える。そこに光に包まれて顕現するのは北欧神話に記された、手にする者に勝利を齎すと伝えられる神槍を模したレミリアの武器、“グングニル”だった。
無論、伝説に出てくる槍その物ではない。レミリアがその存在を知って持ちうる知識から想像し、霊力で象った贋物であり、装飾と槍身は自分好みの真紅に染め上げられている。言うなれば、レミリアのイメージする『最強』を視覚的に表す象徴がこの“スピア・ザ・グングニル”なのだ。よりにもよって神話の神であるオーディンの武器を自らの贋物に名付けているのも、神に対する侮辱の表れともいえるだろう。
「さあ、行くわよ“グングニル”!我に相なす魔女を穿て!!」
「やるぜ、八卦炉!“マスタースパーク”!!」
「前方に向けて一斉攻撃よ!“ドールズウォー”!!」
「攻撃開始!攻撃開始!」
「水よ木よ。レミィの動きを止めなさい、“ウォーターエルフ”!」
眼前の敵に対して、自らの全力を叩きつける少女達。その極限まで高められたエネルギーが一箇所に集中したと同時に大きな振動と衝撃が聖堂を包み込んだ。


―――なんで私はこんなところにいるんだろう。
暗い部屋の中、沢山の人形と玩具に包まれながら私は何度も考える。
アイツの館の地下に閉じ籠ってから何秒、何分、何時間、何日、何年と、私の時間は過ぎていく。
薄明りこそ在るけれども、私の部屋はとっても暗い。すぐそこにある人形でさえも、目を凝らさなければ見えない程。これでは明かりの意味がまるでない。私は目だけに頼る人間ではないから、目を瞑っていても物の位置は分かるし、その気になればこの部屋を粉々にして外に出る事も出来るけど……そんな事はしたくなかった。
私がこの部屋にいるのは私の意思であり、意地。馬鹿みたいに高みで威張っているアイツに対して、私はずっとここでいるの。じゃなきゃアイツに屈してしまったようで、とても腹が立つから。
けど―――なんで私はここに籠るようになったんだろう。もう数えきれないほどの沢山の時間が過ぎて、私の動機が思い出せない。何故ここにいるのか、自分でも思いつかない。
けど、こんな狭い所に何時までもいるのは嫌。でもアイツ―――レミリアお姉様に負けるのはもっと嫌。こんな闇の中でいるより、月明かりが夜空の中を自由に飛んでみたい。もっと私の翼を、大空の下にはためかせたい。
そう思いながら過ごしていた私は、永い間ピクリとも動かずにベッドの上に身を投げていた。考えるのを止めて、嫌なことはすべて忘れて。時々食べ物を持ってくるメイドを無視し続けて。そうしていたら、いつの間にか一人の人間が私の部屋に入り込んでいた。
シン。私の記憶の中に存在しない名前の響きは、とても心地よい物だった。お姉様よりも大人っぽくて、お姉様よりも優しいあの人は、こんな所にいる私と沢山の時間を共にしてくれた。
大好きなシン。私の大切なシン。ずっと傍でその優しい笑顔を私に向け続けていて欲しい。
―――――――けど、その笑顔を奪うお姉様はユルセナイ。
嫌な予感がした。最初にシンが私の部屋に来た時、私は彼に細工をしていた。
私は吸血鬼であり、吸血鬼は魔法を操れる。私がシンに抱き着いた時に、絶対にシンが自分の部屋に来るように催眠術と彼の行動が知れる魔法を施した。お姉様が他人の運命を知れるのも、莫大な魔術によるもの。私にはお姉様ほど器用な真似は出来ないから、精々一人の行動を操れるぐらいだけど。
執事の姿をして紅魔館で働くシン。沢山の人間達の中でお皿を持ったり、メイドと一緒に働くシン。部屋の中から見える景色が増えた事に、私はとても嬉しかった。本を必死で探している姿、夜ベッドに入り込んで寝ている姿、朝起きて眠たそうにしている姿、全部私は見ていたの。…流石に女の子にいっぱい囲まれている所を見ていたら少しは嫌な気分になったけど。
でも一番私が腹を立てたのは、お姉様に仕えているシンを見た事。
何よ、あんなに得意げになって。私のシンにつまらない事ばかりさせて本当に気に入らない。アイツの偉そうな顔を見る度に、何度その顔を潰してやろうと思った事か。私の能力は目視程度の範囲でならば有効だけれど、この地下と地上まではかなりの距離がある。この部屋から出たくは無かったし、シンがここに来てくれなかったら私は気が狂いそうだった。
ううん、違う。事実狂ってしまった。あの傷だらけのシンを見た時に。
あんな自分の意思を持てないメイド如きが、シンを殺そうだなんて思うはずが無い。あいつを手駒の様に操れるのは私のお姉様だけだ。我慢の限界から私は部屋を破って、すぐにシンのいる所に向かった。幻視した時と同じ光景が、私の目の前にあった。せめてメイドだけでも吹き飛ばしてやろうと右手を力いっぱい押し付けようとしたら、私のおなかに鋭い槍が刺さっていた。こんな派手な武器を持つ奴は、憎き姉以外にいない。悔しかったけど、急に襲ってきた気怠さには勝てず、私は気を失った。
そして、私は再び目を開ける。
そこで広げられていたのは、私を貫いた槍を持つアイツと、三人の女達が戦い合う光景。寝ている間に私は館の聖堂まで運ばれ、そこに立つ十字架に括り付けられていた。
見てみれば、細い鎖だった。この程度私の力ならすぐに壊せる。そう思って腕に力を込めたが、鎖はビクともしない。腕だけではない。体のどこにも力が入らず、精々視線を動かすことぐらいしか出来なかった。吸血鬼に対してこれほどの封印力を持つ物質は銀以外に存在しなかった。自らも取り扱う事が難しい銀を、アイツは私に魔法で縛ったのだ。その事実が、ますます私の心を滾【たぎ】らせた。
三人の女達は、いずれも見覚えがある。魔理沙、アリス、パチュリー。魔理沙とアリスは以前一度だけ、私が外に出た時に知った奴だ。その時外に雨を降らせて私の自由を奪ったのはあのネグリジェの女、パチュリー。いずれも忘れもしない、私と同じ魔法を使える奴らだ。
けれど吸血鬼の力に比べたら、人が開発した魔力など微々たるもの。それを仮に光で例えるのならば、夜でこっそりと暮らす蛍とうっとおしいぐらいに輝き続ける太陽ぐらいの差がある。どんなに微弱な存在が必死に沽券を示しても、それをはるかに超える力を持つ者は片手間で塗りつぶしてしまうものだ。
「貫け、“グングニル”!」
「ぐっ……があああ!!」
「「魔理沙!!!」」
幻想郷では妖怪の持つ力に制約が施されるが、それでも本気を出した吸血鬼に適う奴はまずいない。事実目の前の女達は体勢を崩され、あの博麗の巫女に匹敵する実力を持つ魔理沙でも、容易く聖堂の壁に叩きつけられている。
苛つく。今すぐにでもこの鎖を壊して、お姉様を黙らせた後でシンの下に行きたい。けど、私の自由をお姉様が握っていると認識させられると、悲しくて涙が出た。
館で好き放題しているお姉様が羨ましくて、嫌になる。シンに会いたい。私の涙を拭ってくれるあの人に、私は無性に会いたくて仕方が無い。
「フラーーーーーン!!!!」
必死の力を振り絞って、私は垂れていた顔を反射的に上げた。ああ、この愛しい声。聖堂の外から聞こえるこの心地い響きはあの人以外にあり得るものか。元より紅い服に、自らの血でさらに赤黒く染め上げられた身体を引きずりながら、私のシンは確かに私の名を呼んだ。
「馬鹿!何故来たシン!?」
血反吐を吐き、傷だらけの箒を杖代わりにして立ち上がった魔理沙が、この場に駆け付けたシンに対して慟哭する。
傷が塞がったとはいえ、体力の消耗で殆ど動く事すらままならないシンが、この場に現れた事が彼女らにとっては予想外この上ない。
「そうよ、下がってなさいシン君。貴方の手に負えるほど、レミリアは物分かりのいい妖怪じゃない!」
「足手纏いよ…!」
「そうね、彼女達の言う通り、部下に後れを取るこのレミリア・スカーレットじゃないわ」
自分以外の全ての少女達から、盛大な批判を受ける。確かに自分はこの世界の人間の様な力も無ければ、妖怪に対する対処も出来ない。しかし、それでも―――!
「変えられない…これでは何も!」
仕来りに捕らわれている女の子が不幸を被る事なんてあっていいはずが無い。それを力で抑えつけている事も、それを覆す事を拒むことも、あってはならない。だが自分ならば、力では及ばなくとも言葉でこの館の間違いを正せれる可能性がある筈。咲夜を、フランを、全てを歪めさせたレミリアと言う哀れな少女を、シンは正す。
「俺は…戦わなくちゃならないんだ。邪魔するというのなら…!」
誰かを守りたいという気持ちは、誰にも負けないつもりだった。その矛先の向く者が人であろうと、妖怪であろうとも。
血まみれのサバイバルナイフを引き抜き、“グングニル”を構えたレミリアと対峙する。そして、勢いのまま無策でレミリアに向かって全力で床を蹴る。
「フ―――」
当然レミリアの槍がシンに向かって振るわれる。だが、槍の軌道が単調な一直線であったことが有難い。シンはレミリアの手元の挙動から逸早く察したコースを見切り、身体を捻って最小限の動きで回避した。
大きな得物はその取り回しの劣悪さ故、手元に戻すまでに大きなラグが発生する。小柄な体躯のレミリアならば尚更だ。しかしそれでも、シンの振りかぶったナイフが肌に刺さるよりも早く槍のグリップ部で刃を受け止めたのは吸血鬼の人外な身体速度の恩恵だろう。
「やめろ!自分が何をしているのか分かってるのか!?」
「しているもなにも、これは必要な事よ。紅魔館の主たる、レミリア・スカーレットのね!」
「そんなに偉いのかよ!お前は!」
「夜を統べる吸血鬼に勝る者などいるものか!誰も私に指図は出来ない。お前も!」
「そんな事が理由になるか!!」
短く、だが苛烈な意思の激突が二人の間で火花を散らす。しかしそれもすぐに終末を迎えた。レミリアの強大な腕力に負け、振りかぶった槍を叩きつけられてシンは地面を転がされる。聖堂の瓦礫や散らばった硝子の破片が軍服の上から刺さる。既に限界だったシンは抵抗する力も出せずなす術なく無様に這いつくばった。
「滑稽ね。妖怪と人間の差ぐらい、既にこの世界に来て幾日も過ごした貴方なら分かるでしょうに」
悔しいが、レミリアの言う通りだ。真正面からたったナイフ一本で立ち向かった所で手が届く距離に至る前に迎撃される。生物としての性能が違いすぎており、歯が立たないのだ。疲弊しきり、頼れる武器もない今の彼は言うなれば、丸腰以上に危険な立ち位置に在る。
「うるさい!どけぇッ!!」
だが彼の芯となる意思はまだ折れていない。目も希望と言う名の光を未だ宿し、レミリアへの反抗を絶えず示している。ナイフを握りしめ、シンは向かう。それをレミリアは槍の風圧だけで薙ぎ払った。霊力で強化された一閃は巻き起こる風ですらも十分な武器となる。シンの身体はそれをまともに受けて、地面を転がる。
「煩わしい。これ以上私に手を焼かせない事ね」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…くそっ、負けるか!」
繰り返す。只繰り返す。愚かと知りながら、無駄と言われながら、少女たちが見守る中でシンはレミリアに向かう。結果は同じだった。届く前に払われ、その度に地面を舐める。血反吐が口の奥からこみ上げ、それを必死に呑み込みながら攻めてレミリアに一撃与えようと向かう。
「うわあああっ!」
激痛からの悲鳴が聖堂内でこだまする。何度もレミリアの元へと手を伸ばしたが、ついにそれも限界を迎える。
そのまま傷だらけの身体で、荒い息を床に吐くシン。
「もうよせ、シン!お前じゃ無理だ、下がれ!」
「そうよシン君!幾らあなたが咲夜に言われたからって、妖怪に立ち向かえるほど…!」
「まだ終わって無い!俺はまだ戦える!」
威勢だけはまだ出せた。どれだけ無様で愚かだろうと、為すべきことがシンにはある。フランを救う事。この紅魔館の歪んだ在り方を正す事。それが、ここの知情を得たシンの使命だ。
「ふふっ、貴方のその強い心。誠に素敵よ。傷を負うだけさらに光る貴方の意思……その内側で生の渇望を素に胎動する心臓……そして、貴方の中に眠る“種”……こうして眺めるだけでも素晴らしい。貴方から血を吸えばさぞや美味な事間違いなし」
「俺は負けない…!お前になんか負けてたまるか!」
「…ハッ。その自身もここまでだ。お前には決定的な勘違いをしている」
既に勝者の余裕を表情に宿したレミリアは倒れる身体の傍へと歩みより、シンの顎に細い指をそっと巡らせてこう呟く。
「フランはね、自分であの部屋に入ったのよ」
「ッ―――!?」
出来る事なら、もっと大きな声で驚愕を表したかった。それほどシンに囁かれた言葉に対する愕然は絶大だ。が、全身の痛みと痺れがそのリアクションを封じてしまった。
「ふふっ、今まで勘違いしてた?これはパチェにも教えていない事だからね」
「何ですって……どういう事なのレミィ?話が違うじゃない!」
決してシンに向けられた言葉を周りが聞き流している訳では無い。レミリアの突然の告白にショックを隠し切れないのは、親友のパチュリーも同じだった。
「いいえ、パチェ。貴方には本当の事を言ってないだけよ。貴方が勝手に想像していた、『私がフランを幽閉している』と言うのは真っ赤な嘘。私は昔貴方に『妹は地下に居る』としか言っていないわ」
「どういうことなの…!?」
図書館で聞かされた、フランの軟禁の経緯がパチュリーの勘違いから生まれた偽話だと?では、あのフランの有様は何だというのだ。
「私達妖怪はね、六十年周期で一つの世代を終えて、あらかたの記憶をリセットする。けれども、私の様に永く生きた妖怪や、存在の保持と精神の維持に莫大な霊力を以って操作できる妖怪はある程度、記憶の喪失を抑える事が出来るの」
幻想郷における六十年周期は、妖怪にとって一つの終わりと始まりを表す。精神的概念が殆どで閉められている妖怪は、人間以上にその精神の振幅が激しい。人間よりも何十倍も生きる妖怪は例外なく、自らの存在を確固たるものとする為に精神のケアを行う必要があるのだ。
「そこの愚妹は嘗て自らの力が異常である事を気付き、自ら心を閉ざして館の地下に自分から閉じ籠ったのよ。パチュリーも、私が妹の事を話したことは既に曖昧な記憶でしかないでしょう?今はもう、フランは当時の事を忘れているけれど、昔の私はむしろフランを外に導かそうとした方なのよ?結局何かと理由を付けて、部屋の外には出ようともしなかったけど」
「それが……フランの真相…?」
「でもそんな生活をしている内に、自然とフランは歪んだのね。私を憎み、シンの事を部屋から連れ出してくれる希望同然に勘違いして……でもそのおかげで、シンの“種”を垣間見る事が出来た。感謝しても足りないぐらいよ」
「そんなアンタのエゴの為に、俺とフランは……!」
拳に今一度力を込め、床に手を付けて立ち上がろうと懸命になる。それでも立つ事はおろか、上半身を起こす事すらも出来ない。
「いいえ。これだけの事をする価値は十分にあったわ。だって私は、貴方が持つ様な珍しい力を自分の物にする事が、何よりも嬉しいのだから」
レミリアはシンの顎に這わせていた指に少しだけ力を加えて、自らの顔を彼の顔に極めて近い距離まで近づけて言った。
「シン、私は貴方がとても大好き。外の世界の事など忘れて、一生私の下で仕えなさい。全身全霊で私は貴方を可愛がって……大切にして……愛して……快楽と愉悦に満ち溢れた人生を過ごし続けていくのよ!」
その高圧的なプロポーズに、魔理沙は赤面し、アリスは驚く。そしてフランは静かに歯軋りをし、パチュリーはそのシチュエーションに既視感を覚えた。
その様子は、レミリアが咲夜を専属のメイドに任命した時と寸分も変わらない流れであったからだ。圧倒的な力で組み伏せ、服従させる。しかし反抗の兆しなど微塵も見せない程のカリスマを発揮して、身も心も全て主一筋に支配させる。珍品、高級品を集める事が趣味なレミリアはさらに人間の心を支配する事に興味を示した結果が、紅魔館唯一の人間“十六夜咲夜”なのだ。
レミリアが咲夜を目に付けた理由も、類稀な“時間を操る程度の能力”の存在があったから。レミリアは己の持つ度量と実力のままにあらゆるものを手に入れた、独善的な妖怪なのだ。
「………お前にそんな言葉を…言える権利があるもんか…!」
しかしパチュリーの目に移る彼の態度は幼い咲夜が選んだ態度ではない。あの眼は、決して光を失っていない折れない意志を秘めた眼だ。
「俺―――お前の物になんかならないよ」
「……何だと…?」
シンは傷だらけのまま、レミリアの態度を恐れもしないで続ける。
「お前は自分の気持ちばっかり考えて、俺に押しつける。…可愛がってやる、大切にしてやるなんて言って…どんどん俺を傷付けてるんだよ!」
「それがどうした?私の決定をお前が選ぶ権利なんかない。お前は私に従うしか道が無いんだよ」
「だから…!俺のこと好きだっていうなら!どうしてあんなひどい事ができたんだよ…」
シンは十字架に繋がれたフランを見やり、傷だらけの咲夜を想起する。自らの目的の為に、近しい物を傷つけ、犠牲にし、食い物にするレミリアに対して、怒りを超過して憐れみと悲しみが心に湧きあがった。
「やさしくするだの、大事にするだの…幾らお前が言ったって意味無いんだよ!」
「違う……違う……それ以上生意気な口を続けるというのなら……!」
そんな虚勢を張った言葉遣いも、レミリアの様な少女に相応しい物ではない。シンは既にレミリアの本質を見破っていた。
「俺だって、独りは寂しい。でもだからって、あの娘はお前のもんじゃないだろ!」
「違う!違う違う違う!!!!この館も!シンも!咲夜もフランも!!全て私の―――!」
レミリアが、それまでの冷静な態度を取り乱し、金切り声をあげる。それを自分の言葉が効いていることを実感したシンはさらに続けた。
「違うと思っているのはアンタだけなんだよ!」
昔の事にしがみ付き、記憶を無くさずにしてまで尚自らの愉しみの為だけに他者を傷つける。そんな事でしか生を楽しめないこの妖怪の少女を想うと、シンは涙を流すほど辛い気持ちに襲われた。
対するレミリアは既にシンの説得を受けて“グングニル”を床に手放し、力無く地面に項垂れている。精神の振れ幅がレミリアの戦意を削ぎ取り、傲慢な彼女の意思を打ち砕いたのだ。
「だったら何?……私を退け、あの哀れな妹であるフランを助けるというの?ひ弱な存在である人間の貴方が!?それだけを成し遂げる程の力が、想いが、お前にはあるというのか!?」
「あるさ…!」
その決意と共に、流した涙が伝う頬を一拭く。
「だから俺は戦う!戦って…今度こそ、大切な全てを守って見せる!」
彼の“種”は戦闘における極限までの集中力だけに呼応するだけではない。守りたい者がいる時、守りたい世界がある時。その想いを高め、実現へと近づかせる形として“種”は少年に応えてくれる。今彼の中で弾けた“S.E.E.D”は、フランとレミリアを救いたい気持ちが表れているだけなのだ。
「魔理沙さん、アリスさん、パチュリーさん。フランのあの鎖を壊します、手伝ってください」
シンは極めて穏やかな口調で、部屋の端で倒れている魔法使い達に助けを仰ぐ。
「へっ…へへ。レミリアの告白には度肝を抜かれたが、ようやく私の出番か。付き合ってやるぜ!」
「ったく、仕方ないわね!やるわよ、みんな!」
「力を貸すわ」
レミリアとの戦いで、もうこれが最後の力だ。身体は傷だらけで、立っているのもやっとだろうに、三人は不敵な笑みを浮かべてシンに頷いた。
「行かせるか…フランが助かると、私のしてきたことの意味が……!」
レミリアの真紅の槍が、今一度シンに向けられようとして―――形を無くし、霧散した。パチュリーだ。彼女は自らの霊力を干渉させ、レミリアの霊力で出来た“グングニル”を拡散させ、形を失わせたのだ。
「もういいでしょ。レミィ……」
「パチェ…」
「結局、くだらない事をしていたのよ。貴方も、フランも。そして、正しく理解できていなかった私も……みんな馬鹿だったの……」
パチュリーはレミリアに対して力無く訴える。もうこれ以上の戦う必要は無いのだと、レミリアもとっくにわかっていたのに。パチュリーの言葉を聞いた直後、妨害すら起こせない程に戦意を失ってしまった。
「シン、八卦炉の出力で鎖を熱してやる。後はお前のそのナイフで、あいつの鎖をぶっ壊せ」
「銀の融解温度はそう高くないわ。私の人形で貴方を十字架まで運んであげるから、後はシン君がやりなさい」
「はい」
魔理沙が熱量を調整した極細の光線をフランに繋がれた鎖の結び目に照射し、アリスが無数の人形を使ってフランの元へと続く階段を作る。シンは静かにその人形の上を歩み、十字架の目の前で足を止めた。
銀の効力で弱っていた彼女は、呼吸すらまともにしていない様子だった。目は虚ろな方を向き、シンが聖堂を訪れた時の叫び以来殆どの力を使い果たしてしまったのか、その四肢には微塵も力が籠っていない。
「二度と悲劇を繰り返させやしない!運命を切り開いてみせる!俺の手で!!」
照射された銀が赤熱化し、蒸気をあげる。金属の蒸気は有毒だ。それを吸わないようにしながら、シンは無言でナイフを振りかぶる。その際フランを謝って傷つけないよう、出来る限り鎖を握って彼女の身体から離してあげた。
―――俺は……もう誰にも!
銀の鎖が砕ける音が鳴り響き、フランの身体がシンの胸に抱かれる。
その無垢な表情を覗くと、心なしか揺りかごに揺られた赤ん坊の様な安堵の表情を浮かべるフランに、逆にシンの方が救われた気分になった。

聖堂が荒れ果て、一連の事件が終わりを迎えた頃。
時は既に夜通しで夜明けを迎える中、シンは彼女らと共に紅魔館のロビーへと場所を移していた。
目の前に立つのは、誰もが例外なく傷を宿した彼女達。紅魔館の住民だ。その中には、今まで存在を認められていなかったフランドール・スカーレットの姿も加えられている。勿論、シンの横に立つ皆も魔法使いによる治癒で抑えられているとはいえ満身創痍の有様だった。
「シン!」
「おっと!」
その対峙する人妖の中から、もういてもたってもいられないのかフランがシンに飛び込む。幾度も重ねられた抱擁に、シンは不意を突かれる事も無くその体躯をしっかりと両腕で包み込む。フランも先程までの環境とレミリアによる一撃で消耗していたというのに、人並み外れた回復力でもうここまでの事が出来るほどまでに回復している。恐らくはレミリアも同様だ。彼女の性格からして誰かに抱き着くなどと言った安易な真似はしないだろうが。
「これが、貴方が求めていた資料でしょ」
二人の微笑ましい光景に笑い合う彼女達の中、レミリアはなおも仏頂面のまま静かにシンの方へと歩んで、両手で抱えている一冊の本をシンに差し出す。
表紙に描かれているのは、アルファベットで記された本の題名だった。コズミック・イラでの公用語は英語と日本語が主である為、シンにも理解できる。確認も兼ねて試しに紙をめくってみると、医学に関する無数の羅列がシンの目の前に広がる。紛れもなく本物だろう。
「やっぱり、レミリアが隠していたのね」
「そうよ、パチェ。私は、いずれこの本を探そうとする子がこの紅魔館に訪れる運命を見た。それが外の人間で、この世界の住民にない力を宿している事も。だから私はその客人、シンの全てが見たくて咲夜以来の正式な使いとして執事に任命したのよ。わざわざ図書館の本を抜き取って、出来る限り長くシンがここにいるようにね」
「小悪魔がこの本を知らなかったのは何故なの?」
「私の力であいつから記憶を抜き取っておいたの。といってもなかなか手こずったけど」
一週間にわたる経緯の裏に隠された本意を、皆の前に晒すレミリア。
その表情は落ち込んでも、舞い上がってもおらず、ただ淡々とした発音を響かせている。
「私の目に狂いは無かった。事実シンは咲夜と同じように使い物になる下働きとして有用だったし、咲夜との信頼関係も出来ていた。私好みの能力も宿していて、手放す程の非の打ち所も無かった。最高の人間だったわ」
「だからと言って、シンを玩具の様に扱って好き勝手を許す事なんてできません!シンも一人の人間としての自由があります。貴方のエゴイストでそれを縛りあげるなんて許される事じゃありませんよ!」
レミリアに対して必死で反論する早苗。権力を、暴力を尽くして自らの物にしようとしたレミリアの独善は許しがたいものだ。シンに対して思いを寄せる彼女としては、それを看過させる事などとても出来ない。正に許されざる悪行そのものだった。
「けど、私はシンに負けた。気持ちでも、個人としての力でも。私の敷いた運命を打ち破ったのは、まさしくシン、貴方よ。この世界では勝った方の言い分が正しい。貴方に免じてフランの待遇も、他者に対する価値観も見直す事にするわ」
「まだお前の事、認めた訳じゃないからな」
レミリアの態度は軟化しきっていた。今までの高圧的な態度が見間違いであったかと錯覚するまでに。だがそれだけで、シンは彼女に対する評価を返す材料にはしない。
「俺はそんな事をしてもらいたいが為にレミリアと戦ったわけじゃない。……ただ、フランが可哀そうにみえたから。俺だって自分の言い分を通したかったから、お前と戦ったんだ」
「……よく覚えておくわ、少しは他者の言い分を聞けるほどの余裕が、皆を纏める主には必要だと今日の経験で知った訳だしね」
だが少なくとも、今後の紅魔館は変革が促されるだろう。変わりゆくのは人の世代だけじゃない。妖怪の錆び付いた心にも、新たな在り方が必要なのだ。今、レミリアは確かに新たな方へと目を向けた。それはより良い未来を招くものとなるだろう。レミリアの様な運命を見通す力はシンに無い物のそうなると分かる確信を、シンは持っていた。何よりレミリアに言葉を届けたのは彼なのだから。
「咲夜さんは、レミリアに対して何も無いのですか?あんな風に貴方を扱っていたのに…」
「どんな過去があろうとも、私はお嬢様の忠実なしもべとして生を受けているわ。今日を踏まえた上で、これからもこの紅魔館で働き続けていくつもりよ。……貴方が執事を止めるのは少し残念だけれど」
「すみません。でも、俺にもやるべき事があるんです。何時までもここにはいれません」
「そう、残念ね……貴方には謝る事が沢山あるわ。今まで、私は貴方を…」
「もういいですよ、過ぎた事なんだから。それに貴方と一緒に居れた時間は楽しかったです。またここに寄る事も在るかもしれませんし、貴方とはこれからも良い関係でいたいですから」
「……そんな風に言ってくれるだけで助かるわ。貴方には適わないわね」
主と決めた存在に対して、忠誠を貫くことを示す咲夜。彼女とレミリアの出会いに、些か不鮮明はぬぐえないものの、その絆は今日程度で壊れるやわなものでは無かったのだ。それもまた、一つの絆に値する関係という事だ。
「そんじゃま、私達はそろそろ戻らなきゃいかんのだが……アリス、お前はどうするよ?」
「私はもともと研究目的で図書館にいるのよ?まだまだ見足りない物があるし、しばらくはここに通い詰めね。次に会った時には私の人形が一番だという事を想い知らせてあげる。貴方にも、そしてパチュリーにもね」
「へへっ、そいつは楽しみだぜ。最も、一番は私とミニ八卦炉の魔法だがな」
「それは聞き捨てならない。私の精霊魔法よ」
「口で言うなら簡単だぜ。私もお前達もな。あははははっ!」
魔法使いたちは面をそろえて笑い合う。同業者同士の競合も、一つの繋がりだ。お互いに高め合い、好敵手として認め合う間柄は清々しく爽やかなものだ。憎しみ合う天敵の間柄よりかは余程いい。
「シン、来なさい」
明るい雰囲気の中、フランと共に笑顔を浮かべるシンに向けてレミリアは小さくて招く。それに対して一抹の不安を感じた彼は、手に抱くフランを床におろし、単独でフランの目の前にまで歩む。
「まだ……なにかあるのか?」
「いいからかがんで、私に耳を貸しなさい」
生きてきた時代の長さは雲泥の差だけれども、シンとレミリアの身長差は明白だった。言われるままにシンはしゃがみ込んでレミリアの顔に耳を近づける。その間にレミリアの顔は、ほんのりと赤みを増した―――様にシンには窺えた。
「聖堂で貴方に言った事。アレは本当だから」
「……えっ―――!?」
「貴方が好きって事よ」
そのこそばゆい告白を聞き、シンは反射的に飛び上がる。言葉自体は聖堂で聞いたあの言葉と同じだというのに、こうも態度の違いで聞く側は緊張するというものなのか。今一度レミリアの方を向くと、真っ赤に染まりきって顔を伏せた幼い女の子の姿が在った。
「こ、答えは貴方が生きてるうちに返しなさい!それまで誰にも言っちゃダメなんだから!」
レミリア・スカーレットの化けの皮の奥に在る彼女の素。その本質をさらけ出した言葉と態度は、シンの感情を揺らす恰好の材料だった。
「ど、どうしたのですかシン?また何かレミリアさんにされましたか?」
「シン、さっきの言葉を言ったら殺すわ!絶対殺す!全身全霊で貴方を殺す!」
早苗の疑問とレミリアの殺人予告の板挟みに苛まれながら、シンはあたふたとする。その様子の中、さらにフランがシンに抱き着いてこう宣言する。
「この人は誰にも渡さないわ!だってシンは、私のフィアンセなのだから!」
「ちょ、ちょっとフランさん!??」
フランの言葉でますます不安に駆られる早苗はシンに詰め寄る。受動的立場に置かれている彼は、どう答えていいかもわからず、周りの少女たちに振り回され続けていた。その様子を遠目に見ていた魔法使い達もシンの受難で笑い合う。
そんな幸せな雰囲気に包まれたこの空間の中に、外から侵入者が現れる。
「お嬢様!大変です!」
紅美鈴だった。紅魔館の門番であり、外の守りの要である彼女が、何故この場に現れたのか。それは誰よりもレミリアが真っ先に疑問を向けた。
「何故ここにいるの、美鈴。貴方は門の持ち場を離れてはいけないと何度も―――」
「ちがうんですお嬢様!外に―――!」
美鈴が叫ぶ中、シンの懐からけたたましい雑音が鳴り響く。これは―――かつてにとりに渡しておいた通信機の片割れだ。それが着信を示したという事は、にとりの方からシンに通信を入れた事になる。あまりの空いた間にシンの認識が些か遅れたがこれを要するほどの緊急性に気付くと、シンの感情はそれまでの安心から不安へとシフトした。
『ようや…繋がった!……シン!………おま………今……こにいる!?』
しかし通信機から聞こえてくるにとりの声は、ノイズだらけでとてもまともに聞こえたものではない。Nジャマー環境下でも繋がるレーザー回線を応用した通信機の弱点は、通信可能領域に限定される事だ。しかし、この澄み切った環境である幻想郷でこれほどのノイズがあるという事は、なにか特殊な電波が干渉していることになる。
「にとりか!?一体どうしたんだ!」
『先…場所を………いえ!』
辛うじて聞こえるにとりの言葉のニュアンスを必死にくみ取り、シンはかろうじて答える。
「紅魔館だ。それよりもにとり、一体何が―――!」
『デスティ……が…まれて、……夢が…………た!今からお前の……へ、……ダムを!!』
耳を澄まして通信機を聞いてみると、ノイズとにとりの声に混じって聞こえる大きな音がこもっている。これは、モビルスーツの発進の際コクピットで響く、莫大な衝撃からなる振動音だ。
つまり彼女は、モビルスーツの内部からシンに話しかけている事になる。
「皆様、外の湖を!」
「何なんだよ!?何が近づいてるってんだ!」
美鈴が誘導して、皆を外に連れる。レミリアとフランは入口に備えられている傘を手に持ち、シンも通信機を耳から離さずにして外へ出る。
そこに広がる景色の一片。“霧の湖”の上にある一つの異常にシンは気付いた。
暗灰色の装甲。後光を表すかのようなバックパックのシルエット。人間で言う腕には一丁のビームライフルを携え、確かにこちらへと向いているデュアルアイは宝石の様にギラリと光り輝いている。
しかし、天子と共にいたあの機体、“プロヴィデンス”ではない。非情に似通ってはいるが、より黒味を増した装甲色。外見的にも機構的にも洗練され、完成された武装。各部最適化が施されたフレーム。その機体の基本機構は最新鋭の機体のそれであり、武装の一部は“デスティニー”と共通している。
さらに、シンはその機体に覚えがあった。暗雲の空、自らの親友が乗り込み、共に討つべき戦場を駆け抜けていった究極の機体―――
“デスティニー”と同時期に製造された兄弟機であり、伝説の機体“プロヴィデンス”の流れを受け継いだ大戦末期の兵器、“ZGMF-X666S レジェンド”それに乗りうる人間は一人しかおらず、シンの親友である彼以外に存在しない―――!
「レイ………!?」
自然とその名前が出た。やはり、宇宙の“プロヴィデンス”にも彼が乗っていたのか。確信はあった。だが、既に死んだと思っていた彼の存在を認めたくなかった。それが今まで、“プロヴィデンス”に対するパイロットへの疑問を避け続けていたシンの理由だった。

「終わらせる……全てを!」


PHASE- 42 天使の落命


『終わらせる…全てを!』
「レイ………!?」
認めたくないものだった。今そこにある、湖の上空に聳える暗灰色の鉄の塊。それが視界に入り認識した途端、彼以外の皆がわかる筈もない正体にどよめいている中で、シンは無意識に一人の男の名を口にしていた。
旧式の機体である“ZGMF-X13A プロヴィデンス”よりも鋭角的、又は均整の取れた外観。最大の特徴であった後光にも見える背部“ドラグーン・プラットフォーム”はより大型化し、同時に大気圏でも“デスティニー”と同等の機動力を誇る大型スラスターを得ている。その近くにマウントされているのは新たに新造したのか、“ソードインパルス”の標準装備である“MMI-710 エクスカリバーレーザー対艦刀”の剛胆なシルエットもある。
当時譲渡される予定であったアスラン・ザラが脱走したことを機に、次いで適性が高かった少年が駆った目の前のそれは、数々の戦場を共にかけた盟友と呼ぶべき機体だった。
その名を、“ZGMF-X666S レジェンド”。“デスティニー”の兄弟機とも呼ぶべき機体であり、核動力と従来型デュートリオンのハイブリッド機関であるハイパーデュートリオンを実装し、背部に集中搭載された“ドラグーン・システム”の運用をメインに据えたオールレンジ攻撃を本領とした最新鋭の機体だ。“レジェンド”は第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦で実戦投入された“プロヴィデンス”の後継発展型に当たり、前大戦犯ラウ・ル・クルーゼがそのたった一度きりの出撃で残した、正しく伝説的な活躍を見せた機体の流れを汲んでいることが、名の由来だ。
しかし、“プロヴィデンス”の存在は公には秘匿された存在であり、シンも先日の宇宙で初めて“プロヴィデンス”の存在を初めて知った。機体OS内の熱紋照合データベースの中にも、“プロヴィデンス”に関する情報の一切が記録されていなかったのだ。
だが目の前の機体だけはシンが良く知り得ていた。味方としてこの上ない信頼を置いた機体であり、搭乗者もアカデミー時代から戦艦“ミネルバ”に配属されての激闘の毎日を送る中で互いに背中を任せあった相棒とも呼ぶべき人物。
その男の名は、レイ・ザ・バレル。
シンがプラントに移住し、アカデミーに進学して間もない頃からいつでも自分の近くに存在していた親友だ。しかし、彼が生きていることはあり得ない。
何故なら彼はメサイア攻防戦の折りにMIAとなり、事実上の戦死扱いを受けているのだから。
だが彼は生きていた。その想いが“レジェンド”を目にした途端体の中で湧きあがった。それと同時にものすごい不安をも覚えてしまう。生きていたとして、何故この世界にいるのか。撃墜報告を受けた“レジェンド”が何故文字通りの復活を遂げているのか。
そして、何故。自らの方向に向けて重厚なプレッシャーを絶えず与え続けているのか。その予感は直後に当たった。
レジェンドの右手にあたるマニピュレーターが持つ大型のライフル―――“MA-M221 ユーディキウム”の誇る荷電粒子の威力をそのままに最新の技術で小型化した、“MA-BAR78F 高エネルギービームライフル”の先端の砲口から眩い炎が吐き出された。
その先にあるのは、シン達が立つ場から後方に存在する深紅の建築物。即ち紅魔館の一角だった。“レジェンド”は一発、たった一発の狙撃で紅魔館の誇る巨大なレンガの塊を塵芥へと変えてしまった。
爆風がシンとその周りにいる早苗達を襲う。反射的にシンは隣にいた早苗に覆いかぶさった。轟音を大気中にばら撒き、短くも激しい衝撃が過ぎた後には、成す術もなく地面に倒れる者ばかりが二人の目に映る。
―――皆、大丈夫か!
そう叫ぼうともしたが、直後湖から猛スピードで向かった後に、紅魔館の庭に悠然と上陸したレジェンドから響き渡る広域スピーカーからの肉声で、シンの意図は遮られた。
「生体反応が一番薄い所を狙った、だが次はこうもいかない。今のは警告だ。これから俺の問う質問に答えなければ、次にお前達を討つ」
やはり、よく知った声が聞こえてきた。想像通り、記憶の中に留まっているレイの声が聞こえてきたところで安心と不安が猛烈に襲い掛かってくる。しかし、その両方が湧き上がるということは尋常な事ではない。事実今のシンはこの現状に混乱するばかりであった。
「男の人の……声!?」
胸の中にいる早苗が“レジェンド”を方へ弱弱しい視線を送りながら呟いた。彼を知っているのは同じ世界の住人であるシンだけだ。だから早苗にも、レミリア達にとっても突然の襲撃に目を疑う他にない。無論、シンにとっても。
「シン!あの時の機体によく似たあれは一体……!?」
赤服を固く握りしめながら早苗が問いかけてくる。だが、今のシンにはそれに答えるだけの余裕が存在していなかった。今もシンの頭の中では信じられないという言葉ばかりが埋め尽くされ、すぐ隣の大声も認識には到底届いていない。
―――あいつは……何を言っているんだ!?
「レイ……どうして!?」
胸に抱いた想いのままに早苗を振り切って立ち上がり、レジェンドに浴びせかける。だが、あの巨体はシンの言葉に何の反応を示していなかった。最早目の前にいるのはシンのよく知った親友の駆る友軍機ではない。闇のように暗い装甲に包まれた、自分たちを攻撃してきた敵。血の通っていない鉄のように冷徹な障害でしかないと、シンは認識を改めさせられた。
「何なんだよこれは!?一体どういうことだ!」
「シン、前!!」
その言葉に返って来たのは、とても無慈悲な行為だった。シンの言葉が投げられた数瞬後、それまで地面に向けて携えられていたライフルが、シンの方へと向けられる。確信するしかなかった。どのような理由かは知る由はなくても、彼は目の前にいるような非道な男ではない。だから今目の前にいるのは、自分のよく知る声の持ち主であるだけの、他人にしか感じられなかった。
そのビームライフルの先端が僅かに光る。その次の直後には自分は既に燃え尽きて無くなるのだろうと、シンが恐れから両目を瞑った時だった。
鉄と鉄の擦れ合う耳をつんざくばかりの激しい衝撃と音がレジェンドから発せられた。自分を襲うと思っていたレジェンドのライフルは宙を舞い、レジェンド自身も庭にその巨体を預けて転倒する。
一体何が起きたのかと、シンは衝撃から生まれる暴風の中必死に両目を開いた。そこには。
「“フリーダム”!!」
キラの剣であり、今はシンの剣でもある蒼翼のモビルスーツが紅魔館の上空から急降下し、レジェンドに重い蹴りの一撃を与えたのだ。直ぐに“フリーダム”はその頭部のメインカメラでこちらを確認し、シンの目の前で膝を着くように着地した。そのコクピットの中から出てきたのは―――
「シン!早苗!」
「にとり!?」
河城にとりが血相を変えてせり上がった胸部コクピットから飛び出してきた。真っ直ぐに向かって来た彼女の小さな体を、シンがクッション代わりとなるように受け止める。幾ら彼女の体が小柄とはいえ全力の飛翔で飛んできた質量は、かなりの痛みを生んだ。
「にとり、お前どうして“フリーダム”を!?スーツもつけずに!」
「整備の時に点検作業の一環として操作は覚えていたんだ!それよりもあの機体こそなんだよ!?なんで私が紅魔館に向かったら、あれがお前たちを襲っているんだ!」
互いに驚いているばかりで、まともな会話にもなっていなかった。だが、彼女のおかげで少なくともあの悪魔の機体に抵抗する術が見つかったことは確かだ。
「話は後だ!にとり、俺を連れてコクピットまで飛ばしてくれ!早苗、君はこの資料を魔理沙さんに渡して永遠亭の方にと伝えてくれ!あの人のスピードなら、例の患者に直ぐ届けられるはずだ!」
「シン、貴方は!?まさか、あの機体と戦うのでは…!?」
「向かってくるからには、他に方法がないだろ!?」
その言葉を最後に、にとりの細い手を掴んでシンは地面を勢いよく蹴った。にとりも全力のスピードを出しているおかげで、レジェンドが倒れている内に“フリーダム”のコクピットに到達する事が叶った。
「にとり、君は早く早苗達と一緒に逃げ―――」
「馬鹿言うな!この機体は以前の損傷からまだ完全に修復できていないんだ、私も乗る!」
「けどお前、この機体のどこに乗るっていうんだ!危険だし、かえって邪魔だ!」
「そんなことはない、いいから私を連れて機体に乗れ!」
にとりが怒声を叩き付けながら機体胸部に備わっている緊急操作パネルを押し込まれたことで、シンは彼女を抱える形になりながらコクピットへと格納される。しかしそこは見慣れた景色と確実に違う一点が存在していた。
シンが乗り込むべきシートの背後に、新たに設けられたスペースが存在している。そこにはもう一つの座席が設置されている事が窺えた。いつもの狭いコクピットに慣れている為に若干の戸惑いがシンを襲う。
「私が修理の際に有事に備えて作っておいたサブシートだ。私は火器管制が出来ないからこの機体の武器を扱えなかったが、お前なら私よりいい操作も機体の武器だって扱える。けどこれはお前の“デスティニー”よりも性能が下だ。だからこそ、私がこの機体のサポートでお前の力になってやるんだ!」
言いつつにとりはシートのベルトに身を包み、各種コンソールを叩き始める。その言葉を産んだ彼女の真意に微塵も偽りはあり得ないだろう。だが、この世界でモビルスーツに乗せた女はあれど、危険に晒したいと考えたことは一つもない。そして、この戦いで相手にする敵はシンの知る中でも最も危険と言わざるを得なかった。
だが、今更にとりを降ろす猶予も無かった。既に周囲の様子を写している半ドラム状の全天周囲モニターの一角で倒れていたレジェンドが全身のスラスターを駆使して再び立ち上がる。その光景が見えた途端、既にシンは操縦桿を握りしめていた。フリーダムの背中から伸びる能動空力弾性翼を展開し、今再び澄んだ青空へとその巨体を移す。それを逃さまいと、“フリーダム”を追う“レジェンド”。
シンはこの場ににとりを連れてきてしまったことを酷く恥じた。そして、攻撃を受けて地面に倒れている皆の姿をモニターで目にして、激しい怒りを露わにした。
「レイッ!」
異世界で本来あり得るはずのない、あり得てはならない、コズミック・イラの産んだモビルスーツ同士の戦いが今、始まろうとしていた。


多分、初めて他人の前で涙を流した。生まれてこの方、他者の為に本気で尽くした事がない自分が。
永江衣玖は他に誰もいない永遠亭の廊下を走る中、ラウと話したあの数日前、満月の夜を思い出していた。鈴仙・優曇華院・イナバを戦力の一つとして取り込み、また自身をも野望の達成の道具の一つとして利用されていた事に悲しみを覚えて、衣玖の胸は締め付けられていた。
どうしてあの方は闘いから離れられないのだろうか。と、何度も答えの無い問いを自問する。衣玖はラウの身の上を知らない。知ろうと踏み込もうともしなかった。衣玖からすればラウは異世界からの迷い人であり、あの我儘天人崩れである天子と仲のいい数少ない人間だ。ラウと出会って間もない頃は彼の存在のおかげで、天人総領から直々に任命されたお守り役という面倒な事この上ない義務に手を焼かされずに済むのだろうと、そうとしか思っていなかった。彼に対しての印象も、物静かで冷めた性格という、自分に似たものを感じていた。
けれど、実際の彼は思った以上に自分とは異なるタイプだった。
この幻想郷【せかい】では到底味わうことのない、どのような体験を受ければ、そんなにも冷徹な瞳を向けれることが出来るのだろうか。彼の発した一つのワード“フリーダム”と呼ばれた、まるで天使を模したような外観の鉄の巨人が現れた途端、それまでただ静かなだけだった彼が一変してしまった。ラウは“フリーダム”を討つ為だけに天界の辺境に存在していた異世界の建造物“プロヴィデンス”を駆り、死闘を繰り広げた。その場に衣玖は立ち会うことが出来なかったが、永遠亭で天子からそれらの話を耳にしたときに衣玖は悲しい思いしか抱く事しかできなかった。
もう気づいていた。己があの少年に恋心を抱いていることを。だから悲しくて仕方がないのだ。何故に自分の愛しい少年が命の奪い合いを異世界にわたってまで続けなくてはならないのか。衣玖には理解できなかった。機械の鎧に身を包んで尚、やっている事は太古に存在していた人間同士の戦争と同じ、殺し合いではないか。
今や幻想郷は同じ種族内ではもちろん、人妖同士でも表立った争いは決して行わない。無駄でしかないと知らず知らずに気づいているからこそだ。しかし、動物としての闘争本能が争いで物事を解決することを望むから、スペルカードルールなる取り決めが生まれてしまった。それは遊びとしてそれぞれの主張を押し通す為の手段として設けられたものだ。
だが、ラウが身を投じているそれは決して遊びなんかではない。ビームという名の殺害手段を手にして、己の決着の為だけに相手を殺す。衣玖は雲海で“フリーダム”のパイロットの存在を知った時、口にはしていないが相手が人間だということを知ってしまった。誰にも打ち明ける事の出来ない彼への悲しみを、留めておくことはもう限界だった。
衣玖が想起している中、記憶の中の自分が向かっている先は天空の果てから“プロヴィデンス”が墜落した地、“妖怪の樹海”だ。ラウが衣玖の渡した情報から予想通りに襲撃を終えたとなれば、続いて向かう地はそこ以外にない。樹海は“妖怪の山”の麓近くに存在し、そこならば川の近くに住み着いている技術師達、“河童”を招くことも容易だ。
想像通りならば、既にあの機体は―――
あり得て欲しくのない、したくもない想像を胸に秘めながら衣玖は飛んだ。樹海の闇に身を投じるには、さして時間はかからなかった。以前のように鍵山雛の姿は見当たらなかったが、機体の隠し場所に最適だと判断すると、ここ以外に彼が向かう場所はない。
記憶を頼りにして“プロヴィデンス”が横たわっていたあの場所にたどり着いてみると、そこには。
「これ……は……!?」
目を見開いてその機体を網膜に焼き付けてしまった。機械の知識に疎くても、目の前にある巨人は一見してより強く、より向上した性能が見て取れた。それほどまでに“プロヴィデンス”とは似て非なる目の前の機体に、衣玖は恐れてしまった。その機体の傍らには、全身の部品をバラバラに分解された鉄の塊が転がっている。“フリーダム”ではない。衣玖が河城にとりの所有する作業場の中に隠されていたもう一つのモビルスーツの成れの果てだった。
「衣玖」
「!」
平常の顔を取り繕う暇もなく。振り向くとそこには白のパイロットスーツに身を包んだ少年の姿があった。衣玖は彼の姿を見て感情のままに叫んだ。
「ラウさん!これは一体何ですか…!?」
「もう分かっているだろう、お前にも」
訴えに対して、ラウは眉ひとつ動かすこともなく言い放った。“フリーダム”を相手にする時はいつもこうだ。彼は血の通っていない人形のように、ただ冷たい言葉を口にする。衣玖はそれが嫌だった。
「鈴仙と強奪したあの機体―――“デスティニー”から回収したデータと部品から河童の力を借りて“プロヴィデンス”を再設計した。コードネームは“レジェンド”。鈴仙には能力で河童を元の川に戻すよう、先程樹海を抜けてもらった」
「そういうことを聞いているのではありません!!」
彼を止めるには今しかなかった。彼の手を戦いで血に染めるよりも前に、自らが止めなくては。危機感とラウに向ける憂いから、衣玖は喉を震わせた。
「もうこういうことをやめてください!私は貴方が……貴方がしようとしていることをもう、ただ見ているわけにはいきません!!」
自分でもここまでの大声を出せるとは思わなかった。衣玖はラウが自分と天子と共に過ごしたあの時を取り戻したい。決して長くはないが、天界に三人で穏やかに過ごせるあの時を、何時までも過ごしていたい。
「いいじゃないですか、もう“フリーダム”に固執しなくても!永琳さんから薬を頂いて、戦いから……モビルスーツから離れた生活を送りましょう!そうすれば、貴方がそうまで憎んでいる事もない筈ですから!」
「その訳にもいかない。俺は………奴を倒してこそ、個人としての本当の価値を得ることが出来る。人間以下の俺にはな…」
「貴方はどこから、誰からみても貴方という人間じゃないですか!?」
「違う」
衣玖にはラウの言葉の意味が今一つ分からない。が、ラウの続く言葉でその真意へ確かに近づいたと、感じた。
「この世界で過ごす内に、俺の中では失っていた記憶が戻りつつある。“フリーダム”、キラ・ヤマト、そして……俺の命。何れも俺が元の世界で持っていた記憶なのは確かだ。自分の知らない記憶が徐々に戻ってくるというのは気味が悪いものだが」
「キラ…ヤマト?」
「俺……いや、“俺達”を生んだ者達の夢であり、英知の結晶だ。そして…“俺達”の敵だ」
彼の言う“俺達”が自分と天子を含んだ三人ではないと、衣玖は悟った。彼の目は自分を見てなどいない。もっと遠く、まるで自分のいた世界でも眺めるかのように朧げな瞳を宿していた。
彼はずっと自分達など見ていなかったのだろうか。この世界で居着いても尚、仮に“フリーダム”がいなかったとしても、彼は死ぬまであの蒼翼に取りつかれているのだろうか。そうだとすれば、ラウはとても可哀そうだと思うしかなかった。それだけの思いを抱くに値するのだ、彼は。
「そして……貴方の敵は今、この世界にいる。吸血鬼の館に」
声が響いた。とても艶やかで、それでいてどこか胡散臭く、危険だと思わせられる緊張感に触れる声が。
ラウは無言で銃を抜いていた。それの指し示す先は衣玖の背後。衣玖は振り向いた。
「敵じゃないわ、少年。私は単なる通りすがり。君の狙う敵を知っている、単なる通りすがり」
その声には覚えがあった。過去に天子が地震の異変を起こした時に現れた妖怪。紫色のドレスを纏い、日傘を差しながら自らの前を通り過ぎて行った、賢者と呼ばれる大妖怪。その者の名前を衣玖ほどの知識人が知らない訳がない。
―――八雲 紫。
「その通りすがりが、他人の会話を盗み聞きとは趣味が悪いな」
銃を向けつつ、ラウが紫に問いかける。直ちに振り向いてこの女に武器を向けることがが如何に危ういかを伝えようとしたが、衣玖の体は振り向くどころか、紫の方に向いたまま身体のいずれも動かすことが出来なかった。
「…!?衣玖、どうした?」
「大したことじゃないわよ、少年。彼女にはちょっと私と貴方の会話に口を挟んでほしくないだけ。私の力で彼女にちょっと境界を敷いただけだから」
「何?」
「仮に貴方がその手に持っている玩具を使ったとしても、私には通じないわ。無論、その掛けてある指を弾いた時点で、貴方の両腕から先は迷子になっちゃうかもしれないけれど」
「試してみるか?」
―――いけません、ラウ!
不敵に言う彼を眺めながら大声を上げて叫びたかったが、口すらも動かなかった。ラウが気づいたように、衣玖の羽衣に包まれたそのしなやかな身体は、まるで野に転がる石のように硬く動かなかった。この時既に彼女、八雲紫の持つ力である“境界を操る程度の能力”で衣玖の行動が制限されていたことは既に本人が知り得ていた。紫の力は、衣玖が過去に会った時に思い知らされているのだから。
「俺達に何の用だ。まさか何も無くてわざわざ俺たちの前に現れたわけじゃないだろう?衣玖をそうまでして、だ」
「当然の推理ね」
紫の言葉、その一語一句に触れてはならないような何かを感じる。それは、不安、恐怖、戦慄、いずれの言葉だけでは表現できない、もっと根本的な面で覚える心理だ。その気になれば妖怪である紫の力で、自分も、彼も文字通り消すことは容易い。だが、彼女が行動することはそれ自体がこの世界の異変にも相当する事柄だ。
「単刀直入に言うわ、少年。貴方の敵は今、吸血鬼の館にいる。霧の湖の畔に在る、紅い館よ」
「何故、それを俺に言う?貴様は俺に戦えとでも言いに来たのか?」
「私には貴方の気持ちが読めているわ。今こうして私が情報を言っただけでも、貴方の心の奥では、敵【かたき】を見つけたことに浮き足立っている。貴方の心に線を引いてみれば分かる事。そうやって銃を向けて威嚇している間でも、貴方の奥では幾重もの想いが渦巻いていることに」
「質問に答えろ」
「貴方は私がたった今零した言葉に従って自らの赴くままに戦うでしょう。それが如何なる結果を招くかを知りたい………というのが私の理由かしら?」
「薄気味悪い物言いだな」
「それが私なりのやり方ですからね」
まずい、と思った。彼女はその口でラウを刺激していることに。あの八雲紫は、ラウの敵の位置を知らせて彼が戦うことを誘発している。それがどんな結果を生もうが、今よりもっと恐ろしい事になることを衣玖は危惧した。
「その機械人形で少年、貴方は貴方の敵を討つのでしょう。私は大いにそれを歓迎します。この世界にあってはならない異物は速やかに排除しなければならない。私は今、それを望んでいる」
「貴様の言う異物とは、モビルスーツか?それとも……俺と“フリーダム”のパイロットか?」
「さあ、どちらなのでしょう?貴方ならば、直ぐに答えを得ることが出来ると思いますよ。再び私と相見えるときには」
「何だと?」
「今日はこの場で退くとしましょう。今この時貴方は貴方の敵を討ちたくて仕方ないようですからね。それに、そこの妖怪の掛けた細工も解いてほしくて仕方がない―――」
八雲紫の声が聞こえなくなった時点で、衣玖の身体の自由が戻った。その際、全身の力が抜けて地面に転倒してしまう。幸い、勢いよく転んだわけではないので怪我を生まずには済んだが、目だけで紫の立っていた場所を再び見てみるとそこには影も形も存在しない。紫の力は自身の姿を消すこともできる。だが、今は彼女を追う事が重要ではない。それよりも衣玖の思慮は全てラウの方に向いていた。
「ラウさん!」
彼の方へ叫んだ。紫の言葉を聞いてはならないと、今すぐ飛びついて言い聞かせたかった。だが、紫の能力を受けた後遺症なのか、身体に力が入らない。恐らく彼女は自分が彼を止めないようにこのような処置を施したのだろう。衣玖は激しい憤りを感じていた。
ラウが彼女から耳にした情報はつまり、戦いへの扇動だ。ラウが敵の居場所を知ってしまったが最後、動かずにはいる訳にはいかない。彼は紫が去った後、虚ろな瞳を地面に向けたまま無言で佇む。そして―――生まれ変わった“プロヴィデンス”、“レジェンド”のコクピットへと身を運んだ。
衣玖は何度も叫んだ。が、その言葉は今の彼には届いていなかった。相手の聴覚が麻痺してしまったのではないかと錯覚するまでに。
レジェンドの噴出口が青白く光る。周りに生えている木々が大きく揺れ、暴風が倒れている衣玖を襲う。鉄の戦士がその重たい身を空へ浮き上がらせるのを無力のまま眺めて数分後、ようやく衣玖の身体は動いた。だが、追いかけようにもすでに姿を消した彼の後に付いていくことは出来なかった。
だが、紫が発した場所に彼が向かうことは明白だった。


追憶の海から我を取り戻し、“レジェンド”の出撃を目の当たりにしたばかりである衣玖は、戻るや否や永遠亭の廊下を走って比那名居天子が過ごしている部屋を勢いよく開け広げた。そこには永遠亭にいる間天子と共に過ごしていたラウの姿はない。あるのは俯いている天子の座り込んだ姿だけだ。
「総領娘様!」
「っ!?……衣玖、どうしたのよ…?そんなに大声出して。私は今、ラウが帰ってくるのを待って―――」
「それどころではありません、彼は……ラウさんは…“フリーダム”を斃しに―――!」
衣玖は彼がこれから行なうことを全て告げた。それまで大人しくしていた天子でさえも、衣玖の言葉には驚かずにはいられない。二人は程無くして飛翔し、ラウの後を追い始めた。紫の指した、“霧の湖”に向かって。


「そんな……こんなこと……!?」
早苗には目の前で起こっている事に深く、戸惑いを感じた。巨大なロボット同士の戦闘。それは早苗が幼い頃に憧れていた、女の子らしさとは少々縁のない絵空事だった。
それを今、目の前の上空で行われている現実が早苗にとって喜ばしいものでないことが戸惑いの大元だった。目の前のロボット二体から繰り出されているのは、必殺技でも格好良い演出でもなく、無慈悲な炎の矢であり、乗り込んで戦っているのは物語の中に存在している架空の登場人物ではなく、片方は自分のよく知った一人の少年だ。その彼が命を懸けて自分たちを守ろうとしていることに喜んでなどいられるはずもない。
以前にも、シンは天子の起こした地震を止めるために空へ飛んだ。その時は永江衣玖の妨害によって自らがシンの戦いを見守ることは叶わなかったものの、あの時自分の見る事の出来なかった光景を目にして、思わず早苗は全てから目をそらして塞ぎ込みたくなる気分だった。
今まで得意気になって彼の雄姿を眺めることが出来たのは、シンの駆る“デスティニー”や“フリーダム”の相手があくまでも直接的に人間と対峙することがなかったからだ。さとりの生み出した幻である“ストライクフリーダム”、聖輦船の雲山、里に現れた比那名居天子、これらは全てシンが対峙する時、シンの命の保証があり、かつシンが相手の命を奪うことをしない事を早苗が確信できていたからだ。
だが、これは違う。シンが今相手にしている敵は、一見してもシンの“フリーダム”よりも格上だということが分かる。暗灰色のその機体に装備されている背部のバックパックから吐き出される無数の光条は、揺ぎ無い殺意を秘めてシンを追い詰めている。その様子に、早苗だけでなく他の少女達も目を逸らせずにいた。
「嘘だろ……?あれが本当にあいつらの戦いなのか!?」
まず先に魔理沙が開口した。今まで“弾幕ごっこ”と言う名の戦いを遊びと捉えてばかりであった彼女にとっては、まず目の前の本気の戦いに心打たれた。相手の命を奪わず、個々の弾幕の美しさを競う精神的な戦いばかりをしていた彼女たちにとって、モビルスーツによる命の取り合いは新鮮で、現実離れしていた。
勿論、魔理沙だけではない。その隣にいるパチュリーも、アリスも。吸血鬼の弱点である日光を避けるために傘を差して佇んでいるレミリアもフランも、その従者である咲夜も美鈴も。見た事の無い戦いから目を逸らせずにはいられなかった。
やはりその根源たる理由は、単純にその光景が凄いからという感嘆句しか出ない為だろう。人ならざる者の戦いは想像はできても、現実には起こり得ない。しかしそれは一度起こってしまうと、人間でなく妖怪たちもそれに夢中になってしまう。それがどんなに最悪な現実でもだ。そしてそれを見たものは、絶句するほかにない。出せる言葉が頭の中に見当たらないからだ。出せたとしても、魔理沙のように『信じられない』としか口にできないのだ。
「咲夜、あれは一体何なの……!?どうして、シンがあそこまで不利なのよ?このままじゃ…!」
「妹様……!」
精神年齢が幼い彼女達には、シンの戦いに対して勝敗に関する疑問を浮かべることが精一杯なのか。レミリアは傘の陰から眉を細め、フランは咲夜のスカートを握りしめながら問いかける。その純粋な疑問に対して、主達吸血鬼の扱いに長けている咲夜でさえも、返答できない。彼女もまた、シンが無事戻ってくる事に確信を持てないからだ。
「こうしていられるかってんだよ!!」
「「魔理沙!?」」
二人の魔法使いによる驚きの声を聞き取った時には、魔理沙の身体は既に手持ちの箒にまたがりながら宙に浮き始めていた。間違いなく彼女はシンの加勢に向かおうとしたのだろう。その気持ちには同意できる。しかし―――
「ダメです!!!!」
魔理沙の前にまで全力で跳躍し、早苗は宙で両手両足を広げて止めに入る。流石に轢く訳にもいかないと判断したのか、魔理沙も空中で急制動をかけてその場で止まる。止まってくれなければ。
「そこをどけ、早苗!アイツをみてみろよ、わかんないのか!?どう見ても放っておいたらシンがやられてしまうじゃないか!!」
「だからと言って、貴方が行ってどうなるんです!貴方がシンの力になれるとでも!?」
普段誰もが目にする筈もない早苗の怒声を向けられても、魔理沙は一歩も食い下がらなかった。それどころか、懐から霖之助から受け取った道具“ミニ八卦炉”を早苗に向けて続けた。
「当たり前だろ!どんなに相手がデカくたって、私の力だったらあれぐらい吹き飛ばせる。不意打ちの一発でも食らわせてやれば、あんなデカブツ一匹墜とすこともできるだろ!!」
「それで貴方が相手の命を奪った所で、シンが喜ぶものですかっ!!」
「何だと!?」
「彼らが今やっているのは遊びじゃなくて、殺し合いなんです!私達の世界でもあった、人間同士の戦いなんです!それをシンは今、この世界でやっているんです。それに参加することがいかに残酷なことか、魔理沙さんはお分かりなのですか!?」
反論に怯みもせず、汗が滲むほどの力を込めて訴えた。その必死な遮りに、さすがの魔理沙も苛烈な視線を背ける。魔理沙だってもう現実を呑み込めない年齢ではない。その早苗の言葉が理解できないほど、身勝手ではなかった。
「けど」
魔理沙の構えていた八卦炉を持つ手を軽く引きつつ、続いて地面から飛翔したパチュリーが早苗に問う。
「じゃあ私達は誰一人、シンの手助けをせずにここで黙ってみていろと?そしてシンが墜ちる様をみすみす悲しんでみていろと、風祝は残酷な言葉をレミィ達に、私達に言うのかしら?」
さらには、アリスでさえも早苗に訴えかける
「そうよ!魔理沙じゃないけど、私達の本気の力ならあの機械人形にだって一矢報いることが出来るかもしれないでしょ?それをしてはダメって、早苗、貴方シン君を見捨てるの!?」
見捨てる。そんな訳があるものか。自分だって今すぐシンのもとに飛び出していって助けてあげたい。だが、早苗には自分達の力があの“ガンダム”に通じない事を理解していた。さとりの“ストライクフリーダム”と対峙した時によって。
「詳しい事はシンからお聞きしましたが、彼らの“ガンダム”には、“フェイズシフト装甲”という防御手段が組み込まれています」
「フェイズシフト?」
聞きなれない言葉に魔理沙が語彙を上げて疑問符を出す。
「その特殊な装甲によって、私達の物理的攻撃手段は全て“ガンダム”には通じません。霊夢さんや私の御札も、アリスさんの人形も、レミリアさんや美鈴さん達の体術を生かした攻撃も」
「私のナイフ術も無意味だって言うの……!?」
「そんな…!」
この情報にはあくまで『ナイフで相手を刺す』という常識的な攻撃手段しか持ちえない咲夜や、自慢の拳が売りである美鈴も絶句しかできない。
「体術が効かないって言うけれど、じゃあ私、魔理沙やパチュリーの様な魔法ならどうなのよ?物理的って早苗は言ったけど、こっちなら高エネルギーの塊になるからその装甲を突破できるんじゃ?」
博識らしく、アリスが早苗の説明に理論を添えて反論する。
「それもダメなんです。特殊な金属に相転移反応を用いた“フェイズシフト”はある程度のエネルギー体も許容して無効化します。それを突破するには、モビルスーツの動力源が生み出す強力なパワーがない事には、傷一つさえつけられないんです。ましてや、仮にそれが得られたとしてもあれだけの速さで動く機体に当てる手段さえも、私たちは持ち合わせていません」
「私の“マスタースパーク”でも駄目だってのか!?それこそ、何もできないじゃんか!」
「そんな事ぐらい、私だってわかりきっています!!でも、仕方ないじゃないですか!彼らは現に、あの空で殺し合っているのですから、そこに私達の出る幕など無いんですッ!」
尋常では出せない気迫のままに、声が裏返りそうになりながら彼女達の主張を断ち切った。彼らの邪魔は自分達には出来ない。その現実を知らない者があの場に向かったところで、ビームの熱に焼かれてシンが悲しんでしまう。その時に隙でも出来さえすれば、シンの敗北は揺ぎ無いものとなる。
自分達では、“ガンダム”に勝てないのだ。
「皆さんにあの場に割って入ることは一切許しません。例え私を押しのけて通るつもりであったとしても、私はシンに悲しい思いを絶対にさせません!その為ならば、私は貴方たちの敵になってでも、相手をしてでもここを通すわけにはいかないんです!」
実際に魔理沙達が一斉に早苗に向かって来たのならば、早苗に勝算などある筈もない。だがこれだけの意思を示した意味は大いにあった。彼女達はその言葉を聞いた後で誰一人として早苗に牙を向けては来なかった。険しい顔をしているレミリアも、シンの危険に対して怯えを示すフランも、無言で部下の心配をする咲夜も、ただ拳を握りしめていることでしかない美鈴も、弟分の為に燃えている魔理沙も、友人の知人を助けたい思いを抱えているアリスも、レミリアが可愛がっていた少年を守りたいとしているパチュリーも、その誰もが早苗を倒してまで命を捨てようなどと馬鹿な考えは起こさなかった。
「魔理沙さん、貴方には先程受け取ったこの書類を永遠亭の方へ届けてください。シンがあなたに望んでいる事は、殺し合いに参加することではありません。私達が紅魔館に向かった理由を思い出してください」
「理由………医療に必要な書物を、患者に届ける事……」
香霖堂で聞かせた自分達の目的を今一度思い起こさせる。ここで目的を達成できなければ、命蓮寺で訴えてきた永琳の頼みも、自分達に協力してくれた椛や水蜜の想いも全てが泡沫と化す。
「お願いします、魔理沙さん。一刻も早くこれを永遠亭に届けて下さい。こちらの心配は無用です。決して、シンは負けたりなどしませんから」
「………っ、ちくしょう!」
投げやりな返答を浴びせつつ、早苗の手に有る資料を勢いよく両手でしゃくり取りながら空の彼方へと魔理沙は加速する。その後姿を見た後で、再び早苗は両手を胸に抱えながらシンの戦いの行く末を見守り始める。
―――ええ、シンは絶対に斃れはしません。私達の“ガンダム”が負けることなんて、絶対に……!
自分達の希望の象徴である“ガンダム”は、決して負ける事はない。愛する少年が操る鋼の英雄がどんなに傷つこうとも、最後は自分の目の前に笑顔を浮かべて少年が戻ってくるのを、早苗は信じていた。


「レイ!レイ!聞こえてたら返事をしてくれェッ!レイッ!!」
「シン、次が来るぞ!」
にとりの怒声とコクピット内のアラートが大音量でシンの耳にがなり立てる。モニターに映るのはこちらを正確に射とめようと向ける鋼鉄のビームライフルと、ドラグーン・プラットフォームから伸びる八つの小型独立機動砲塔。宇宙で“プロヴィデンス”と戦った時のように“ドラグーン”を射出こそしないものの、―――“プロヴィデンス”、及び“レジェンド”に搭載されている小型機動端末、通称“ドラグーン”は、1G以上の重力化における単体での大気圏内飛行能力をその形状とスラスターキャパシティ上持ち合わせていない為、本来行使することは出来ない。これを解決するために“レジェンド”の“ドラグーン”には改良が加えられ、端末がプラットフォームに接続されている状態でも単体のビーム砲塔として運用が可能になる様に可動域が設けられている―――その無数の光線は不完全なコンディションである“フリーダム”には脅威だった。
「あの攻撃力…計算以上だ!」
単純に火力でも機動力でも優っている“レジェンド”の性能は、レイと思わしきパイロットの技量もあってシンを圧倒する。特に“フリーダム”のハイマットフルバーストを参考にしたとも言われている“レジェンド”の一斉射撃による面制圧力は、完全に自機の逃げ場を無くしつつあった。当然、改良を加えられた荷電粒子の奔流は、“フリーダム”が装備するラミネート装甲製アンチビームシールドでも、到底受け止めきれるものでは無い。それどころか、これまでの天子の攻撃と以前までの全開戦闘によって、換えの利かない“フリーダム”の各部パーツに軋みが入り始めていた。それはつまり、いくらにとりの整備でごまかしが一時的に利いたとしても、シンの反応に徐々に追いつけなくなってしまっていることを意味していた。
「ちっきしょオッ!」
「敵機、右舷より急速接近!シン、迎え撃て!」
シン自身の敵に対する心意も相まって防戦一方の状況が続く中、にとりの必死なサポートが今の二人の命をつなぎとめている。当然のことだが、目の前に反応するしかないパイロットのシンよりも、自機の状況、敵機の動きなど、それら全てを正確に把握できるのはサブシートに座っている第三者のにとりだ。作業場での改修、それまでの戦闘で消耗していたこの機体をとりあえず戦える状態に戻すまでににとりは沢山の苦労を強いられた。謎の襲撃で霊夢の姿は消え、小傘は完全に泣きじゃくってしまって頼りにもならない今、呼ぶ仲間もいないにとりは一人でシンの剣を直していくしか無かった。
この世界でいらないとされた“Nジャマーキャンセラー”を筆頭に、修復が容易ではない最低限の戦闘機動に必要な部品以外全てを取り外したのが今の“フリーダム”だ。言うなれば、“フリーダム改”とでも“フリーダムリペア”ともなるか。その工程でコクピット周りに大きくスペースが生じたために、にとりが増設したのが今座っているシートだった。このサブシートには簡易的に操縦が可能な権利を有しており、さらには戦闘中気にしてられないような各種状況を一度に表示できるディスプレイを設置してある。サブカメラ類、機体の各部チェック、残りの推進剤、核分裂エンジンのジェネレーター出力、活動限界諸々が今にとりの目の前で激しく数値を上下させながら表示している。
彼女の役割はそれらの制御だった。ビームが向かってくるならばシールドを装備する左腕の出力を上げ、上空からシールドでも受けきれない炎の雨が来るならば、スラスターと反撃用の火器以外のエネルギーを全て回して、高機動力を維持する。それらの制御はそれまでシンが単独で動かしていた時に機体OSがフルオートで行っていた事なのだが、今の“フリーダム”ではもう一人の正確なサポートがなければ、シンの鋭敏すぎる感覚に合わせて正確に追いつくことは無理なのだ。
「前!シン、回避して“バラエーナ”!」
「くそう、やらせるかッッ!」
翼が生む安定性と空力を用いつつ空中で側転しつつ、背部に設置された大型砲塔“バラエーナ”から牽制にプラズマ収束ビームを連射する。対する“レジェンド”はそれを容易く回避してみせ、断続的に不規則な動きを混ぜながら大気中で灼熱のイオンを生む鋭いビームが再び降りかかってくる。
「くっ…!スピードが違いすぎる!!」
このままではこちらが負ける事は明白だ。これを打開するにはどうすればよいのか。操縦桿が砕けてしまいそうな程の力で握りしめながらシンは模索する。そしてある一つの解が突発的に浮かんだ途端、シンはにとりに命じた。
「にとり!!全ての通信機器をすべてオンラインにしろ!」
「はぁっ!?こんな時に何を言っているんだよ、シン!」
「いいから言うとおりに!外部スピーカー、あらゆる周波数、全てだ!俺はあの機体に呼びかける!!」
口早に捲くし立てた後、シンは全速力で“レジェンド”との相対距離を引き離す。決して優らない性能があるわけじゃない。“フリーダム”はその翼の構造上、大気圏内では現在の最新鋭のモビルスーツと比較しても遜色無い。ましてや爆発的な急加速、急制動は“フリーダム”の方に若干のアドバンテージがあるといっても過言ではない。
「レイ、俺だ!シンだ!シン・アスカだっ!」
その言葉に返ってくるのは言葉ではない。後退しながら呼びかける“フリーダム”に冷徹な光の細剣が襲い掛かってくる。“インパルス”の携帯武器の発展後継武器、“MA-M80S デファイアント改 ビームジャベリン”。その出力は“フリーダム”の“ラケルタ・ビームサーベル”以上の出力を誇り、防御手段として打ち合ったと同時に激しいプラズマの閃光がシンとにとりの目を焦がす。
「レイ…!」
「シン!機体のダメージが上がっている!一旦距離をとれ!」
シンの真骨頂は白兵戦における近接戦闘だった。だが殆どの面で相手が格上で、かつ接近するたびに被害が増えるようでは彼にしてもどうしようもない。
「通信も入ったはずだ!お前と戦いたくなんかない!」
しかし、何度問おうとも反応はない。それを背後から見かねるにとりがシンの意識を叩き付けた。
「ああも相手のペースが続くようじゃ、あんまり余裕がないぞシン!多分遠くから呼びかけても、アイツは外からの通信を切っている可能性だってある!説得するなら、もっと確実な方法じゃないと!」
「確実な通信……だったら、接触回線!」
シンが思い付く限りの手段の中で、にとりのアドバイスに対応した手段が閃かれた。アカデミーでも習った、モビルスーツ同士の連絡手段その中に、強制的に相手の認識に割り込める接触回線を思い起こし、シンは息を飲んだ。本来接触回線というものは、Nジャマー界内における短距離内での通信手段の一つとして採用された手段であり、友軍機に機体同士が接触することで行われる通信の事だった。これを採用することにより通信の傍受や妨害を防ぐ事に有用な事が証明され、今やコズミック・イラにおけるモビルスーツのほぼ全てに搭載されているのだ。最も、これを用いてキラやアスランの様に戦闘中に敵機との会話を繰り広げることはイレギュラーも甚だしいのだが。
「お前なら、モビルスーツの格闘戦は得意だったな。以前早苗から聞いたぞ!やれるんだろうな!」


そのにとりの思慮に応じるまでもない。“フリーダム”はビームサーベルを勢いよく抜き放ち敵機との距離を今一度縮める。途中あのビーム砲塔が全身を狙ってくるが、構うものか。にとりのサポートを信じて、機体の限界ギリギリの速度と最小限のマニューバで躱し続ける。
「っ!脚部小破!シン、長続きはしないぞ!」
「掠り傷程度だ!まだいける!」
加速を緩めはしない。ビームライフルをセミオートで連射しながら“レジェンド”の攻撃を必死に掻い潜る。推進剤の爆発から生まれる光を散らし、シンはビームサーベルを振り下ろす。それを避ける相手の技量も大したものだ。ただ避けるだけではなく、洗練された技量で“フリーダム”の隙を突いて来る。
しかし今のシンはみすみす墜とされるぐらいの覚悟は持っていない。相手が友だという確かな想いを抱き、今一度接触に持ち込もうと試みる。燃え上がる彼の瞳にはかつての友の姿が浮かびあがり、また彼を救いたいという願いだけがシンの中には秘められていた。
「クソッ!諦めてたまるかアァッ!!!!」


「遊んでいる暇は無い、決めさせてもらう…!」
極限までの集中力を白の機体に向け、殺意を乗せてライフルを放つ。この戦いが俺の最後だ。俺と、天子と、衣玖。三人が笑って過ごせる為の、最後の通過儀礼だった。
こいつを討って全てに決着を付ける。“フリーダム”のパイロット、キラ・ヤマトによって俺やラウの様な不完全な命は、意義のある人生を送ることが出来ない。科学者達の勝手で生み出された俺達は、あの男を越えなければ生きる意味は得られない。
同じ作られた命でありながら、何故俺達とあの男はあんなにも差があるんだ!?分身同然のラウは討たれ、自分の目の前にいる“フリーダム”は決して最良の状態ではないというのに、未だに俺の攻撃を堪え忍んでさえいる。その突きつけられる現実が、腹立たしくて仕方がない!!
「ええい!こんな攻撃に!」
“レジェンド”―――再設計され、新たに対艦刀“エクスカリバー”を得たこの“レジェンドプラス”は、今の己の反応速度に追随出来ている。クラシックな操縦系統に苛立つこともなく、“デスティニー”の主要パーツと鈴仙がその能力で操った河童共が、“プロヴィデンス”を元に数十日で新造した本機のおかげで確実に俺は勝利へと近づいている。そのはずだ。
だが、外界、相手からの全て通信を遮断した上で機体のオペレートを行っているというのに、機体同士の銃と刃を交わす度に生まれるこの不快感はなんだ?自分の知らない何かが、自分の中に不用意に入って来る感覚。不愉快極まりない。
はっきりとした言葉は届いてこない。だが、眼前の“フリーダム”からはこの戦いに対して否定的な感情を俺に向けてぶつけてくるのが分かる。まるであたりを飛び交う虫の羽音の如く。
「そんな手は通じない!!」
奴の攻撃はこれまでのモーションから全て脳内にインプット済みだ。奴の狙いは俺のコクピットや動力源ではない。その動作一つ一つが、俺の命を刈り取ると見せかけて、メインカメラや武装を破壊しようと目論んでいる事は暴いている。さらには、奴のライフルや固定武装からの攻撃は“レジェンド”の両腕に装備されている“ソリドゥス・フルゴール”からのビームシールドの発振によって全て無効化出来る。
だが考えてみれば自分でも不思議なくらいだった。奴の動きが一挙一動全て読み切れる事に。俺は天子といる間、特に“フリーダム”打倒のためにシミュレーションを行った覚えがない。だとしてもこの世界で“ラウ”として過去一度戦ったきりの相手の動きがここまで読めるのは、あまりにも出来すぎていた。
俺は過去に、“フリーダム”を討つ為の訓練に打ち込んだことがあるのか……?
しかし、勝てる!俺は、ついに奴に勝つことが出来る!嘗て宇宙【そら】で交えたときとは違う確信がある!どんなに頭の中であの長髪の男が笑顔を向けようが、俺は奴を殺すことを決めている。それを覆すことは決して無い!
確実な止めを刺すためには、単なるビームライフルでは不都合だ。奴は亡霊だ。過去に撃墜の覚えがあるのにも関わらず、今尚俺の目の前に現れている。こいつに終止符を打つには、破壊力に長けた近接兵装が不可欠だった。
俺の“レジェンド”の背部にマウントされている長刀―――“デスティニー”のOS内に残されていた前身となる機体、“インパルス”のデータから河童に作らせた、“エクスカリバー”の片割れだ―――を遂に抜く。外見こそ原型機と同じものの、ジェネレーターの出力で破壊力は明らかにこちらの方が上回っている。こいつの威力ならば、例えフェイズシフトの装甲で守られようが、“フリーダム”はただでは済まないだろう。
「お前は邪魔だ!消えてもらう!」
“エクスカリバー”を“フリーダム”へ一閃させる。思った通りだ、相手は決して受けようとしない。こちらの攻撃力が、奴の許せる許容範囲を明らかに超えているのだ。こいつで奴を一突きさえすれば。殺せれば。俺は全てから解放される。
それまでは誰にどうと言われようが、俺は“ラウ”だ!俺という個人ではなく“ラウ”という彼だ!全てが終わってから、俺は名無しの記憶喪失でいられるんだ!この世界で、新しい命として生きていく為に!だから、だから俺は―――
「だからもう終わらせる!全てをッ!!」


天子を連れて駆けつけた時には、既に彼の戦いは終わっているかもしれないとも思った。
衣玖は永遠亭から天子を無理矢理連れたまま、強引に空を飛んだ。彼女に自分達の生んだものを見せるためには、必要な行為だと感じたからだ。そして、二人は今広大な霧の湖の上空、紅魔館の反対側にいる。
「総領娘様……あれを御覧なさい!」
「あれは……“プロヴィデンス”!?いや、細かい所が違う……?」
「あれは彼の新しい機体です。ですが、見るべきところはそこではありません。あの館を見てください」
衣玖が指し示す先を、天子は従順に眺めた。そこにはラウの駆る“レジェンド”のライフルが生んだ紅魔館と紅魔館の庭に広がる傷跡が視界に入りこむ。それを見てしまったことに天子はショックを隠すことが出来ない。自分の知るあの優しい少年が起こした事に、天子は胸を痛める事しか出来ない。
「……私達はどうしてもラウさんの戦いを止めさせるべきだったんです。モビルスーツから引きはがしてでも。ですが、私達の考えの甘さが、彼にこのような手段をさせてしまった……あの館の惨状は私達の責任でもあるのです」
「そんな……だって!あの子は私に言ってくれたのよ!?“フリーダム”を倒して……全てを終わらせるって!!」
半狂乱になりながらも天子は叫んだ。
自分達二人がラウの復讐を止めておかなかったから―――このような放火の交し合いが起きてしまい、幻想郷の景色が炎で焼き尽くされる。天子はそれを望みはしなかった。無論、衣玖も。
「止めなくちゃ……今からでも、私達があの子に呼びかけて!」
「無理です!彼はこうなった以上、例え出た所で私達の声に耳を貸しません!行ったところで巻き添えを食らうだけです!」
「じゃあ、どうすればいいってのよ!!」
天子に伸ばした手を振り払われ、数瞬、考えた挙句。
「……彼が……ラウさんが“フリーダム”を討つ瞬間を見守るのです。私達はあの人の意思を醸成させてしまった身です。私達には…それをする義務があります」
「ラウの……戦いを見守っていく……」
かけるべき答えを与えた後に、自らも“フリーダム”とラウの“レジェンド”の戦いを目に焼き付ける。暫くして、あれ程落ち着きのなかった天子も自分と同じように二体の攻防を見つめ始めた。
命の奪い合いである以上、ラウが戻ってくる保証はない。どんなに“フリーダム”が防戦に走った所でも、いつでも反撃出来ることは確かなのだ。だが、可能ならばラウには自分達の元に戻ってきてほしい。またあの時のように天界の端で穏やかな日々を共に過ごして行きたい。
それを想うと、目の前でラウが刃を振るう度に衣玖の心は張り裂けそうな気がした。


「ちっ、機体が重い!!」
「核エンジン稼働率60%まで低下!フレームも各部が中破を示してる!シン、もう“フリーダム”も限界だ!」
「駄目だ!これ以上はダメージを…ッ!」
“レジェンド”が“エクスカリバー”を抜いてから、それまでギリギリだった二人はさらに不利になった。長刀の存在によって接近は出来ない。遠距離戦では“レジェンド”が有利。戦いが長引くたびに生身の二人は疲弊し、“フリーダム”そのものにも不備が目立ち始めた。だが、相手の性能を考えればここまで保ったこと自体が奇跡にも等しいだろう。だが、生きて帰らない事にはその奇跡だろうと無意味になるのだ。
「出力が上がらない……振り切れないか!?」
「くそっ、今度こそ!」
そのような状況に置かれても尚、シンは接敵を諦めようとはしなかった。例え無理でも奇跡が起きる限り何度でも試す。自分の身が焼かれようが、彼の呪縛を解き放つために諦めはしない。絶対にレイという一人の親友を助け出すためにシンは“レジェンド”へ手を伸ばす。
「にとり、お前は脱出しろ!あとは俺がやる!」
「ふざけるな!!こんな時に何を言ってる!?」
だが、自分が無事早苗達の元へ戻れる事は保証できなかった。次に何時、あの長刀のレーザーが自分達を焼くかとも思えば恐れを抱かずにはいられない。そこににとりを居させるわけにはいかないのだ。
「下は湖だ!河童のにとりだったら、この場から落ちたって助かる!」
「お前はどうするんだよ!?奴と一緒に自爆でもするつもりか!そんなの絶対許さないぞっ!!」
「にとり!けどっ…!」
相手の攻撃を受け止めつつも、シンは情念のままに叫んだ。それをにとりは真っ向から否定した。
「私が単なる好奇心や、お前への心配で乗り込んだかと思うか!?お前がいなくちゃ、お前のいる時間を過ごした私に意味がないんだよ!私は、お前と一緒にいたいんだよっっ!!」
「にとり……!クゥッ!」
衝撃。エクスカリバーの一撃が自機の翼を抉り取る。そして、敵機がいよいよその得物を真っ直ぐへと構えながら、自分達に向けて最高速で突撃を始めた。今の機体ではもうまともな回避も防御も出来ない。シールドは健在だが、嘗てあの剣でこの機体を貫いたシンには、その威力がどれ程のものかを良く理解していた。
だが、これは裏返せば最高のチャンスでもあった。“レジェンド”が格闘をしてくるという事は同時に自機との距離がゼロになるという事だ。これがどのような結果になろうが最後のチャンスだ。シンは“エクスカリバー”からせめて身を守れるように、相手の剣の延長線上にビームサーベルを構える。そして、コクピットの直ぐ正面に、傷だらけのシールドを構えた。
強烈な殺気を孕んだ“レジェンド”のレーザー刃が振り下ろされ、“フリーダム”の防御で僅かに逸れた。
それだけだった。僅かな逸れは胸への直撃を防ぎ、代わりに動力源が存在する腹部へと移る。鋼鉄の一撃が“フリーダム”の装甲を確かに貫き、そのままの勢いで胴から下を切り捨てる。その時、コクピットを貫く轟音と震動がにとりとシンを襲った。モニター類とコクピットの精密機器が全て機能不全でブラックアウトする。そのすさまじい衝撃は、シン達だけでなく機体そのものにも大打撃を与えた。核分裂エンジンの安全装置が強制作動し、原子炉が完全に閉鎖される。それによって爆散は免れたものの、二人を包んだ“フリーダム”の上半身は力無く湖の水面に吸い込まれてしまった。


まさかと思った。
信じられなかった。
嘘だと誰かに言ってほしかった。
シンの乗る機体が、自分達と共に駆けた“フリーダム”が、暗灰色の悪魔の機体によって撃墜された。
その現実が早苗の目の前で起こってしまった。
こんな結末など認めたくない。信じたくない。今に世界が巻き戻って欲しい!そう願った。だが叶うはずがない。
これは“現実”なのだから。もう、彼は自分の前に彼はあの優しい笑顔を向けて来ることはないのだ―――!
「シイイイィィンン!!!!!!!!」
感じたことのない感情の波を振り払おうとあらん限りに叫んで、早苗は啼いた。失ってしまった最愛の少年を想いながら………