PHASE- 45 真実は誰が為に


闇よりも深い、深淵の世界。
星一つ見えない孤独の世界で、シンは只立っている。目の前には無数に広がる死体の山。死体の群は体躯の差はあれ、着ている衣服の判別すらつかないほど凄惨で、視界に入れた途端に急激なめまいと吐き気を催すものだ。
目を見開き狼狽して、何故これらが目の前にあるかとシンは少し考える。正気を妨げ狂気を誘うそのグロテスクな光景に、嫌な汗と震えが出てくるが、その死体よりも気になることは別にある。
―――何故、俺はここにいるのか。
「なぜ、君はそこにいるの?」
羽毛のように柔らかく、優しい響きを含んだ男の声が耳を貫いた。声が聞こえてきた方に顔を向けると、光を背負った細い人影が見える。その声は、どこかで聞いたことがあって、ここ最近は全く聞いていなかった声だ。
誰だ?と思い、口にするよりも先に細身の男は更に言葉を紡いだ。その姿は見えているのだが、背にしている光が暗闇に慣れたシンの両目を焼き、輪郭以外の外見的特徴が捉えられない。けれども、声と同じくその姿はどこかで見た覚えがあった気がした。
「アンタこそ一体何なんだ」
気丈に問い返すが、細身の男はシンの質問に一切応えない。代わりに細身の男はシンの背後にある死体の山を指差して。
「それは、なんだか分かる?」
質問の真意がわからない。人間の中身という醜悪な本質を晒している夥しい遺体の事など、何も知らない自分にはわかるわけがない。
異世界にとばされて、死人の事を知る手段など持たない自分には。
「君が殺したんだ」
「―――!」
「君がいなくなってから、救えなかった命だ」
声の響きは優しい筈なのだ。だが、その口から響くにはあまりにも無情な言葉が連なっている。急に湧きあがった激情から、何か言い返そうとしたシンが言葉に詰まっている僅かな間に、男は懐から短い筒を引き抜いてシンの方へ向けていた。
―――アレは、拳銃だ。
「彼らを殺したのは、君なんだ」
―――そんなこと!
「君という力が無くなったせいで、沢山の人が死んでいく」
―――俺はこんなの望んでなんか…!
「君のせいだ」
男の拳銃から銃爪が絞られた。銃の先端から迸るマズルフラッシュが、唯一の光源であった光よりも遥かに眩しく闇の空間を照らす。たった一発、たった一瞬であったが影となっていた男の顔を照らす。そこにあったのは己の盟友であり、コズミック・イラを守っていくと言う同じ志を持つ戦士の顔。
「キラさ―――!」
シンはその男の名を叫ぼうとして、銃の先が自分でない事に気付いた。彼は自分を狙っていたわけではない。代わりに狙われていたのは、自分の背後にいたもう一つの存在だった。
胸に銃弾を撃ち込まれ、血液のしぶきと共に頽【くずお】れるのは、長い金髪の持ち主である少年だった。シンはそれが誰か知っている。少なくとも、凶弾を討った男よりずっと前から。
「レ………イ」
倒れた親友の元に駆け寄ろうとして躍り出た途端、背中に鋭いものが当たった気がした。胸を貫くそれを実感して、金髪の少年の前に同じように倒れてしまう。
不思議と痛みは無い。だが、奈落の様な暗い恐怖がじっくりと湧き上がってきた。目の前には前髪で隠れている親友の弛緩した顔。それら全てがあり得て欲しくの無い未来だった。
泣きたくても、既に自分の顔は苦痛以外の表情を生めない。奥歯が砕け、顎を固く締めて親友の元へ身体を寄せる。命の輝きを失った彼の目からは血の涙があふれ、その血がシンの手元に溜まる。
シンは押し寄せる感情の嵐で暗闇の中で吠えた。涙と血で滑りそうになりながらも自らの銃で親友を殺した男に対して撃ち返そうとした瞬間、再び彼の拳銃は炎を吹き、今度はシンの脳天を貫いた。
薄れゆく意識の中最後に写ったのは、再び男の顔。先程の初発の時は確かに見覚えのある顔、キラ・ヤマトの顔が照らされていたはずだった。だが今度は違った。どういった理屈かも分からないが、不可思議な事に二度目に見えた顔は全く異なっていた。その顔を見てシンは愕然とする。
シンを撃った顔は、死んでいたはずの親友、レイ・ザ・バレルだった。


例え世界が違おうとも育んできた環境に然程差がないのなら、目に飛び込んでくる景色も突飛な物では無い事を、シンはにとりの幻想郷に住んで数日で思い知らされている。
今のコズミック・イラでもうどれだけ残っているかも分からない天然の自然の中で見た景色と、妖精達の手解きで連れられた森の中の景色は、どちらも比較するのも下らなく思えるほどの美しさを誇っていた。晩春の暖かさが肌を撫で、木々の香りが鼻腔をくすぐる世界の中心でシンとにとりは目を覚ました。
昨日の決戦が身体に響いていたのだろう、寝起きの時に感じたのはまず『まだ起きたくない』という睡眠欲と、未だ鈍い痺れと共に身体を縛る疲労感だった。日が落ちてからあまり時間を置かずに寝ていたはずなので、ざっと数えても二桁に近い時間の間目を瞑っていたはずなのだが……コンディションが全快というわけにはいかなかったようだ。先程の悪夢もあって。
「おはよ…シン」
互いに茫洋とした面構えでありながら、先に開口したのはにとりだった。妖怪は人間の数倍の体力と強靭な肉体を備えているはずなのに、目の前の彼女は自分と何ら変わらない様子で暗い表情と、声のトーンをシンに向けている。
「ああ…」
そう返すのがやっと。身体的にも精神的にも死の淵にまで追い詰められたシンはたった一晩でここまで返すことが出来るのだから、それだけでも凡人とは一線を画している事は明白だ。しかし、どれだけ体力面を『常識』範囲内で調整されたコーディネイターでも、彼ほどの歴戦の戦いを経験していなければ真似出来ようもない。むしろ嘗てシンの置かれた環境からすれば、短い時間で前の戦いから気分を吹っ切ることが出来なければ、当の前に死に瀕していた事だろう。
世の中には戦闘用コーディネイターと呼ばれる、非人道的な目的で生み出された命も存在するとシンは噂に聞いていた。過酷な状況でも普通の人間と違い、苦にもせず戦うためだけに作られた兵士はこの程度の悪環境など問題にもならないらしい。地球連合軍は一時期、戦闘用コーディネイターを生み出して妥当ザフトに向けたプランを掲げていた時期があったようだが、結局メインプランに上がったのは薬物投与によって強化されたナチュラル、“生体CPU”を育成していく方向にシフトした。今では大戦が終わったこともあり、実情を知った各国の圧力で、エクステンデッドを始めとする生体CPU育成機関は事実上凍結に追い込まれた。そのニュースを聞いたときは、シンも心から安堵したものだ。
故郷への想いから我に返り、倦怠感と疲労感を突っぱねてシンは目を軽くこすった。それでも目の前に膜が張ったような違和感は拭えなかったので澄んだ水が透き通っている湖――昨夜は日が落ちていた為視界も悪く距離感が分からなかったが、妖精達の樹から湖へは歩いてすぐだった――へ向かい、手にすくった水で思いっきり顔に当てた。
「っ~~~~!」
冷たい、寒い。痛いぐらいに感じるその鋭い刺激でシンは覚醒する。晩から何も食べていないせいで万全というわけにもいかないが、とりあえず目が覚めて行動が出来る点については十分だ。動かなければ現状は変わらない。
「くぅ~!」
いつの間にか後ろについてきていたにとりも――あるいは、彼女の存在を感じ取れないほど今の己の感覚が鈍っていたか――シンと同じ、あるいはそれ以上に水を顔に被せていた。
彼女は日本古来より伝わる伝説の妖怪、河童だ。オカルトに疎いシンは小耳程度に知識は有していたが、彼女曰く頭に皿なんか乗せていなくとも身体に水を与えるだけである程度は元気を取り戻せるらしい。最もなのが、彼女たちが好むきゅうりもその大半の成分は水で出来ているので、河童にとっての水分摂取は人間以上に死活問題なのだろう。疲労を引きずってるのかその可憐な童顔はまだ弱々しいが、にとりが笑みを取り戻したのを見てひとまず安心する。
「おーい!二人とも!」
水辺から戻ってみると、そこに待ち構えていたのはサニーだった。彼女は自分達とは違って、太陽の如く穢れの無い喜色満面な顔を振りまいて、大声で自分達を呼ぶ。そして彼女は間髪入れず一夜を過ごした木の上の小屋から飛び立ち、彼らの前で着地する。
「おはようございます!んー!今日も眩しくていい朝日ですね!シンさん、にとりさん!」
全身で伸びをしながら、元気いっぱいに眩しい笑顔を振りまくサニーミルク。子供さながらの純真無垢なその様子に――実際の妖精は自然の現象が人の形をとったものなので単純に生きた年数は二人を超えているらしい――見ている側も心が安らぐ。
「ああ、おはよう。サニー」
「おはよ。はは…聞いてはいたが、妖精はホント子供っぽくて元気いっぱいだね」
「えっへへ。私は日の光の妖精で、人呼んで太陽の子ですよ?希望のシンボルはいつも眩しい笑顔からですっ!ほら、お二人も!」
天井知らずの調子ににとりがやれやれと肩をすくめてるが、そう言いつつもにとりの表情ははしゃぐサニーに対して微笑みながら柔らかい視線を向けている。シンがにとりの笑みを見るのは何度もあったが、あの激戦と極度の緊張状態の後で前と同じように彼女が笑えていることがとても嬉しく思った。
自分の様に、既に死線を潜った身は以前のような笑顔を作れるかどうか、だんだん分からなくなってくるからだ。笑顔を生めなかった時を過ごしてきたが故に。
「ほら、シンさんも笑ってください!」
「うわっ!」
僅かに思案に暮れている間に、いつのまにかサニーが目の前相対数センチまで迫って顔を近づけていた。思わずシンは仰け反ってしまい素っ頓狂な声を上げるが、かろうじて転倒するのは避けられた。
「そんなに難しい顔していたって、なにも面白い事は無いですよ。朝なんですから、笑顔で太陽を迎えましょう!」
シンとにとりは顔を見合わせ、サニーに対して「「あっはは…」」としばし苦笑する。だが、確かに暗い顔している自分に対して彼女の言葉にも一理あるとシンは納得した。
「……うん、そうだね…サンキュ」
苦し紛れだが、出来る限りの笑顔を取り繕うシン。サニーの様に笑顔満面とまではいかないが、一晩休んだ甲斐があったのか、心に余裕が持てる事に安心する。こんな自分でも、まだ笑えるのだと。
「「サニー!」」
続いて急に甲高い二つの声が耳に入ったかと思えば、小屋から妖精が飛び出すのが見えた。ルナチャイルドとスターサファイアだ。スターは青色のドレスを翻しながら、空中から軽くこちらへと手を振りつつ幽雅にゆっくり降りてくる。
それに対して、ルナはサニーと対照的に眠たそうに目をこすりながら木の枝から足を離す。
「わ…っ!」
だが、ルナの意識が散漫していたのがまずかったのか、つま先を枝にひっかけてしまった。
「ルナッ!」
衝動が沸いたと同時に身体が動いた。意思よりも早く、脊髄反射だけで。普段の何倍をも早さが出そうなほどの鋭い動きで、シンは木の下にまで駆ける。早苗やにとりの様に飛翔が出来たならば、墜ち行く彼女をこの手で受け止める事が出来ただろう。
だが二足走行という原始的で常識的な移動手段しか持ち合わせていなかったため、落ちて来るルナを決して取りこぼさない様、細心の注意を払って待ち構えているしかない。
最大限の集中力を頭上に向けた上で―――ぽふっ、という重みと共にルナの小躯を両腕で受け止めた。その勢いを殺しきれず、たまらずシンも地面に背中から叩き付けられる。
「つってて………!」
受け身は取っている。後頭部をぶつけもせず、背中を擦ったぐらいで済んだのは幸いだ。だが、胸の中にいるルナはどうなのか。
「おい、大丈夫か!?ルナ!」
「うっ……いたたっ……!」
その表情は苦しく、眉間にシワがよっている。どこを怪我したのか問おうとしたが、目に入った彼女の腕を見た途端、その苦悶に歪んだ顔の原因が分かった。
「ああっ…皮剥けてる…血が…」
人間と同じ真紅の雫が、破れたドレスの袖の内側にあるルナの素肌からにじみ出ている。シンの必死なカバーで頭から地面に突っ込む事は避けたが、叩きつけられた勢いで擦ってしまったのだろう。
「ルナ!大丈夫!?」
「ルナ!」
仲間の危機に、あれほど明るかったサニーも焦りを隠さずルナの元へ駆け寄る。スターもだ。彼女はサニーのように慌てふためいてなどはしてないが、心配そうに両手を胸に抱え、おろおろとした様子で立ちすくんでいる。
「大丈夫さ、二人共。大した怪我じゃないみたい。……にとり、君が持っているメディカルキット、まだ余ってたよな?」
「余ってるどころか、十分すぎるくらいに沢山あるぞ。流石はお前んとこの世界の救急箱だな。スプレーだけじゃなくて貼り薬に塗り薬、何でもありだ」
にとりは寝ている時に傍に置いたメディカルボックスを掴み、ルナに近づいてから中身を開く。湖から上がった時に既に幾分か使用したが、長期の使用も想定されているそれは、擦り傷程度の軽症ならばすぐに処置出来るだけの道具がしっかりと詰まっていた。
「よし。ちょっと染みるかもしれないけど、我慢しろよルナ」
「痛っ…!」
消毒液を染み込ませたガーゼで傷口を拭い、手短に済むスプレー式傷薬をルナの腕の傷に吹き当てる。時間にして一分立たず。処置を終えたシンは薬を箱に戻した後で、大きく息を吐いた。
「…よし、こんなもんだろ。もう大丈夫だよ、ルナ」
「えっ…あ…ありがとうございます…シン、さん」
傷を軽く包帯で縛って、『もう安心していいよ』と優しくルナに言い聞かす。ルナはそれを受けて照れたのか、ほんのりと顔を赤らめながらシンから目を逸らし消え入りそうなか細い声でお礼を言った。
「えっ、もう終わったのですか?あっという間でしたよ?」
この過程の短さに、普段おとなしめのスターも驚いているらしかった。彼女達この世界の住人からすれば、たったこれだけの事に用いるこの薬も、オーバーテクノロジーの産物なのだろう。
「ああ、もうだいじょうぶだ。あれくらいの擦り傷なら別に大したことじゃないから安心しなよ」
既に使用して薬の効果を知り得ているにとりが、二人に説明しながらメディカルキットの留め金を止める。それを聞いて緊張状態から開放されたのか、二人共その場に力が抜けたように座り込んでしまった。
「あ、ありがとうございます……シンさん。すいません、急に転んだりして…私、朝に弱いから、眠たくてとっさの事で……飛ぶことも忘れちゃったせいでこんな…」
「気にするなよ、ルナ。あれくらい大したことじゃないさ。…うん、その様子だと別に傷跡が残ったりしないだろうし、よかったよかった」
「ふうん、珍しいな。シンが女の傷のことを気にかけるなんて。お前がそこまで気にする気の利く奴とは思わなかったよ」
シンの言葉に、にとりはやけに感心したように腕を組みながら首を縦に振る。
「いや、元の世界の知り合いに言われたんだよ。『女の傷は一生モンなのよ』って。それ思い出しただけさ」
「ふーん。女、ね…なんていう名前なんだよ」
『女』という単語が出た時点で、一瞬にとりの顔が曇ったような気がしたが、シンは求められるままアカデミーからの知り合いである彼女の名を告げる。
「ルナ。ルナマリア・ホーク、っていうんだ。俺と一緒にあの戦争を戦ってきた仲間で……大切な友達だ」
元の世界にいる友人でもあり、共に駆ける女戦士である彼女の姿を思い出した。さっき思い出した彼女の言葉を聞いたのは、クレタ沖での戦いの後だったか。彼女のガナーザクウォーリアが大破したと聞いたときはシンもただならぬ思いで焦ったが、骨折した腕をぶら提げながら格納庫を歩く彼女を見て安心したことは今でも鮮明に覚えている。ルナマリアは今、どうしているだろうか。この一連の邂逅を終えた時にはこの世界での体験談を彼女に話してもいいかもしれない。……十中八九、信じてもらえそうにないが。
「私と、同じ愛称なんですね」
「あっはは……君どころか、あいつの妹と同じ名前でそっくりな人とも会ったからね、大した偶然だよ」
メイリン・ホークと、紅美鈴の姿を脳内で照らし合わせながら、苦笑しつつ答える。この世界とコズミック・イラは、全く接点のない異世界同士の筈だが、面白い事もあるものだとシンは感じた。
「シンさん、ルナを助けていただいて誠にありがとうございますわ」
座り込んでいたはずのスターは目を離していた間にすっかり元気を取り戻したのか、ルナの横に座るシンの前にまで歩むと、ドレスを軽く横に広げながらお辞儀をしてきた。シンは大したことをした覚えなど無いのに、正面から丁寧なお礼を受けてむず痒くなる様な気持ちになりながら、「あはは…」と言いながら頭を掻く。
「お返し…という程のものではありませんが。よければ今日の朝ご飯、ご一緒しませんか?器なら余りがありますし、今朝は知り合いの妖精と一緒に朝を過ごそうと思ったのです。ぜひ、シンさんとにとりさんも」
言われてみれば、シンもにとりも朝から何も食べていない。腹をすかしている中でこの誘いを断る理由は何一つ無い。二人は目を見合わせた後、スターの誘いに甘える事にした。


「それじゃ!今日も元気にーっ、かんぱーい!」
「「「「「「「乾杯!」」」」」」」
大木の上で、サニーの勢いよく放つ号令に合わせてシン、にとり、ルナ、スター、そして新たにスターが招いたチルノ、大妖精という二人の妖精を加えて勢いよく木製のカップを打ち鳴らした。
カップの中身はスターが作ったキノコスープだ。淡白で、濃い味付けはされてないが、舌に広がる味わいと喉の奥にまで伝わる暖かさが、シンとにとりを包む。湖から流れてくる涼しい風と合わせて最高の気分だ。
「へえ、なかなかいい味付けじゃない。昨日は水被ったから、ちょうど温かいのが欲しかったんだ」
「うん、おいしいよこれ。サンキュな、スター。スープおいしいよ」
「い、いえいえ!とんでもありませんよ!私達の仲間を助けてくれたお礼なんですから……これぐらいで喜んでいただけるならこちらとしてもありがたいです」
「ふふっ、スターちゃん照れちゃってる。妖精達の中じゃスターちゃんってお料理上手だもんね、いいお嫁さんになれるよ」
「そ、そんなっ。大ちゃんほどじゃないよ、手持無沙汰に練習している程度ですから、この程度大したこと……けどありがとっ、うふふっ」
大ちゃんと愛称で呼ばれた妖精に褒められて、スターは満更でもないのか顔を両手で隠しながら喜んでいる。確かにスターの様に料理が上手く、甲斐甲斐しい性格ならば――幼い外見ばかりの妖精が人間と同じように結婚をする種族かどうかは分からないが――男性からの受けはよいだろう。
「そういやルナ!今日は朝から寝ぼけて木から落っこちちゃったんだって?あははっ、ルナったらどんくさ~い!」
「むっ……湖の上で巫女と弾幕ごっこして勢い余って湖に突っ込んじゃって、挙句の果てに自分の力で自分ごと湖を凍らせてしまったチルノにそんなこと言われたくないわよ」
「なにをーっ!決めたわ、これ終わったら後であたいと勝負よルナ!あたいが思い付いた新しい技、あんたにぶつけてやるんだから!」
「自分の力すらまともに制御できないくせに何言ってるのよ……はいはい、またあとでね」
「うん!絶対だからね!逃げたら許さないんだからっ!」
大妖精とは対照的に、ずっと大声を出しながらはしゃいでいるのはチルノという名の水色のワンピースを着た妖精だった。虫のそれに似た羽をもつ他の妖精とは異なり、氷の結晶そのままを象ったかの様な一対の翼を生やしている。にとり曰く、チルノは妖精達の中では規格外の力を持っているらしく、背中の羽も制御できていない力の現れらしい。喧嘩っ早いのも、有り余る力を発散したいのだろうか。
「おやおや、ここにおられたのですかお二人とも」
「うええっ!?文かぁ!?」
「なんでお前がここにいるんだよ、文!」
いきなり背後から話しかけられて、シンとにとりは飛び上がる。その拍子でシンは木の枝から落ちそうになってしまうが、ここに運んでもらった時の様ににとりがシンの身体を支えたおかげで何とか落ちずに済んだ。後ろにいたのは背中の翼を広げて宙に浮く射命丸文。彼女とは椛が妖怪の山に残った際に別れていたのだが、なぜこのような場所にいるのか。
「あらあら、そんなに邪険にしなくてもいいじゃないですかにとりさん。私はただ紅魔館に新聞配達をしていたら、レミリアさんが一ヵ月間私の“文々。新聞”の宣伝をしてくれるという約束の代わりにシンさんを探せっていうものですから……湖のほとりを片っ端から探していた所です。まさかこんな所で妖精とだべっていたとは……あの時の必死そうなレミリアさんが聞いたら頭カンカンになるかもしれませんよ?」
そうだ、結果的に助かってはいるが自分達は遭難した身なのだ。ここで無駄な時間を過ごしている間にも、自分達を心配してくれている者はいる。緊張の解れから、すっかりそれを失念してしまった。
「あ、あわわ…天狗様だ……どうしてこんなところに天狗様が!?」
天狗は強大な力を持つ一族だとシンは早苗から聞いている。それに比べたら妖精の力など矮小なものだとも。だからサニー達からすれば、畏怖の対象が目の前にやってきたことに対して狼狽えているしかないのだろう。
「ああ、今すぐ取材したいところですが今の私にとって妖精など眼中にありませんから。…さっ、シンさん、にとりさん。私の手を掴んで今すぐ紅魔館の方に戻りますよ。私の新聞読者……もとい、貴方を心配する人達を待たせているんですからね!」
「お前絶対、私利私欲で動いてるだろ!?」
文の洩らした言葉に付いて糾弾するにとりだが、わざとらしくよそ見をして口笛を吹く文。…どうやら、否定する気はないらしい。
「もう、行っちゃうんですか?シンさん」
溜息を吐いて腰を上げるシンに対し、サニーが上目でこちらを覗きながら名残惜しそうにシンの腕を軽く引いてくる。朝を楽しく過ごした仲だけに、唐突にここを後にするのは負い目を感じる。だが。
「ありがとう、サニー。君達のおかげで俺もにとりも助かったよ。でも、俺達は急いでるからあんまり長くはいられないんだ」
そんなサニーにシンは軽く頭を撫でる。彼女たちの遊び相手になれないのは残念だが、全てを終わらせるまでは、時間を無駄に出来ないのが現状だ。ここで立ち止まるわけにはいかない。
「また、会えますか?シンさん?」
ルナもサニーと同じように名残惜しいのか、残念そうに顔を俯かせる。
「ああ、また何度だって会えるさ。その時はいっぱい遊ぼう。いっぱい楽しく、な」
「…そうですよ、またいつでも会えるんですから。笑顔でシンさん達を送らないと!サニー、ルナ!」
「……うん!そうだね、スター!」
別れを惜しむ二人に、スターが明るく元気づける。これが永遠の別れではない。この世界にいる限りは、何時でも彼女達に会う事は出来るのだ。
「さーて、話がついた所でそろそろ行きますよ!二人共私の腕ににつかまってください!」
文が、両腕をシンとにとりに伸ばして二人はその手をしっかりと掴む。文は深い深呼吸をして豊かな胸を上下させた後、気合を込めた大声を言い放ち、サニー達が座っている大木の幹を蹴った。
「さあ、無限の彼方へひとっとび!私の新聞の貰い手が待ってまっすッ!アヤンザムバースト!」
「「うわああああああああっ!」」
最早どれくらいのスピードが出ているかもわからないほどの急加速。
疾風を超えて彗星の如く空中を流れる中、離れ行く妖精の大木からサニー達の別れの声が聞こえてくる。
「また遊ぼうねー!」
「ありがとう、シンさん!」
「また私のお料理、食べて行ってくださいねー!」
「ちょっと!ルナの次はあたいが勝負したいと思ってたのにーっ!」
「さようならー!お元気で!」
風に打たれ、シンとにとりは空を泳がされながら空いた手を懸命に妖精達へ降る。
「ああ、みんな!またなーッ!!」
「ありがとな!お前達ーっ!」
声が風で消え入りそうになりながらもあらんばかりの感謝を妖精たちに投げ続ける。
疾風怒濤の文の飛翔に掴まりながら、紅魔館へ向けて三人は湖の上空を切り裂いていった。


この幻想郷に住み着いてからの日々は決して短くない。この世界で妖怪退治を続け、諏訪子と神奈子と共に退屈とは無縁の生活を送り続けて幾十日、早苗はありとあらゆる場所へ飛んできた。
しかし、土地勘の恩恵で最短距離で向かう事は出来ても、自分の全速力はそう簡単に上がる事は無い。幻想郷は博麗大結界で包まれた一つの箱庭だが、それでも一つの世界を形成できるほどの広さを有している事に変わりはない。命蓮寺の早朝から出て紅魔館に暮れ頃に着いた様に、再び“妖怪の山”の麓にあるにとりの作業場に戻るまで、焦がれるような苛立ちを募らせながら神風に乗って早苗は向かう。
もっと強く、もっと先へ、もっと早く。
そう心の中で念じながら、目の前に見える巨大な山が徐々に大きくなっていくのが分かる。紅魔館に向かう直前で霊夢から聞いた通り、途中異変の影響で暴走した妖精達に何度も遭遇してしまったが、今の早苗には相手にする時間すら惜しい。服の下に備えておいた“対妖怪用御札”と、手にある御幣で、適度にあしらう。それでもしつこく付き纏ってきた忍耐強い相手には一瞬でしばらく眠ってもらった。神奈子と諏訪子、二柱より授かった力を用いて。
「くっ……!」
まだ遅い、と感じた。世界がスローに見え、身体を包む暴風でさえ気にも留めない。
早苗が作業場に戻るのは行き当たりばったりではなく、シンとにとりの死を機体の修理の手助けに打ち込んでいる霊夢に伝えたかった事と、その後で霊夢に頼み込んで、あの灰色のガンダムの居場所を突き止めようと考えていたからだ。八百万の神々の声を聴ける霊夢ならば氏神【うじがみ】にでも、地主神【じぬしの】にでも、幻想郷中にいるとされる神々から情報を集めることが出来る。それが出来たなら、あとは―――
―――絶対に……絶対に許したりなどしませんっ…!
自分はその敵を見つけ次第、手に掛けれるのだろうか。己の憎悪の矛先であり、愛する者の仇である人間を、己の正義の信条の下に討つ事など出来るのだろうか。法の下に統制された世界で育った彼女には、他者を殺める事に抵抗がある。人道的に悪とされたその行動は、心優しい早苗にはあまりにも残酷すぎる。
こんな事をした所で、シンは決して喜んだりする事など無いと。わかっている筈なのに。
「シ…ンっ……!」
駄目だ。あの瞬間を思い出す度、目尻が熱くなる。視界が歪む。これは、今まで平和な世界で過ごしてきた自分のままだったら決して出てくる事は無かった。だが、もう流せない。己の弱さを、これから向かう敵を討つまではもう露にする事は出来ない。心から流れる悲しみという名の雫を、無表情と言う氷塊で閉ざす。
流しかけた涙も暴風で乾いてしまい、何時しか山の麓に広がる森林の上空にまで近づいていた早苗は、歯を固く食いしばったまま、麓の河原へと高度を下げる。
外から作業場の風景が目に入ると同時に、楽しかった彼との時間が頭の中でループする。シンとにとりと共に格納庫で機体の整備をした時、作業で腹を空かした彼らと共に昼食や夕食を共にした時、退屈そうな小傘がいたずらで驚かし、尻餅をつくシンとそれを咎める自分。それらがもうやってこない事を突き付けられた気分になり、溜まらず目を背けた。
―――懐かしんでいる場合ではない。早く…早く霊夢さんを見つけないと…!
早くここから飛び立ちたいと思いながら。荒い足取りで河原の石を蹴り、ハンガー内に続く勝手口を開く。
「え…っ!?」
しかし、機体の前に居ると思っていた霊夢の姿はどこにもなかった。それどころか、作業工程に必要な人手を確保するためににとりが招集をかけていた河童達も、未だ癒えていない損傷から収められていた“デスティニー”も、忽然と姿を消していた。代わりに辺りを占めているのは、修理の際に用いられた部品、ケーブル等が散乱している事と、河原から聞こえてくる水音以外の静寂だった。
「“デスティニー”が……シンの機体が、無い…?」
早苗の憧れであり、シンの愛機が無い現実に眩暈が引き起こされる。だが、踏みとどまり無様に地面へ伏せる事を堪えながら早苗は周りを見渡した。誰もいないのかと思ったが、唯一人、修理とは無関係にここへ住み着いている者がいる。霊夢の姿が無く、にとり達河童が離れた今、早苗が知っている中でこの場所に留まっている筈の存在は“彼女”を置いて他にない。
ハンガーから伸びる扉を進んで、にとりやシンが住まいにしていた居住スペースへ入り込む。ここからはにとりの私室や、シンがこの場所にいる間暮らしていた空き部屋へと続いている。推理が正しければ、“彼女”はこのどこかにいる筈―――!
「小傘さんっ!」
見つけた。予想通り、“彼女”多々良小傘はスペースの奥にある居間で、両腕で自らの身体にしがみ付いて震えている。その眼は虚ろで、何かに酷く怯えるかのように見開かれていた。
「さ…な、え?……戻ってた、の?」
「しっかりしなさいっ、小傘さん!一体何があったんですか?霊夢さんは!?河童の皆さんは!?」
「きゃあっ!」
正常じゃない彼女に行き成り質問攻めをしてしまったことに罪悪を覚えるが、早苗の方にも余裕は無かった。感情を殺していたはずの顔は焦りで歪み、つい小傘を掴む両腕にも力が入ってしまう。
「っ……申し訳ありません、小傘さん。けど、私は……!」
痛がる小傘に対して頭を下げて謝るが、小傘は早苗の過失などに怒りもせず、力無く項垂れている。酷い有様だった。やがて、震えが止まるまで早苗が小傘の身体を優しく包んでいると、小傘はか細い声でゆっくりと、この場所で起きた不和について語りだしてくれた。
「…ぐすっ……早苗っ……怖かった……シンがいない時にっ……突然、外が…!」
「何があったのです…?霊夢さんは?シンの“デスティニーガンダム”は一体……!?」
「うん……っ……」
小傘が語り出した作業場で起こった顛末を耳にして、只々早苗が愕然とするしか無かった。何者かによる突然の襲撃、投げ込まれたガスによって昏倒する河童達、迎撃に向かった霊夢の失踪。そして……“デスティニー”の強奪。予想だにしないそれらは小傘の心を深く傷つけると同時に、言い知れぬ恐怖を刻み込んだのだった。
大粒の涙を流しながら訴える彼女の言葉に、早苗は爪が食い込んで血が出てしまうのではないかと思えるほど、強く両手を握りしめた。傷心、憤慨、悲哀。ネガティブな感情が押し寄せ、自分達はそれを止めることも、ましてや気付く事も出来なかった。最悪の状況だ。自分達でさえも、シンの撃墜によって落ち着いている暇など無いというのに―――!
「一体何でこんな事……誰がこんな事望んだっていうの…?どうしてっ…!」
そう言い、小傘は両手を自らの落涙で染める。最早早苗は突き上げてくる怒りを抑えることすらも苦しかった。恐らくは“デスティニー”が消えたことも、あの灰色のガンダムが襲撃したことと関係がある筈だと感じた。この場所ならば機体を整備するだけの部品も人材も幾らでもある。それを奪うことが相手の動機だとしたら、卑劣で悍【おぞ】ましい、とも思った。
―――どこまでやれば…こんな事っ、平然と出来るの!?
「えっ………!?早苗、どこに行くの!?」
知らぬ間に、足取りは外の方へと動き出していた。怒りという純粋な感情に支配された早苗には、最早何も付け入るものがない。それは、目の前で泣いている小傘の悲しみでさえも。
いや、早苗ももう他者を気遣えるだけの余裕が無いのだ。人への気遣いは人一倍に持つ彼女ではあるが、己に振りかかる未知の衝動に早苗は只身体を突き動かされるだけなのだ。
「………少し、外へ」
「待ってよ!ね、にとりは!?にとりだって“フリーダム”に乗り込んだっきり、こっちに帰ってこないのよ!?早苗は知らないの!?」
「――――――“フリーダム”は――――――墜とされました」
「えっ……!?」
早苗には、彼女に嘘を貫くことも出来なかった。その言葉に、息の詰まる音が小傘から発せられる。過呼吸から危うく唾が詰まったのか、必死にむせながら顔を滅茶苦茶にして小傘は涙する。
「そ……そんな筈ない。シンがっ、にとりが…っ、そんな筈ないもの!」
「わたしだって!!!!信じたくないッッッッ!!!!!!」
ついに感情がひとしきりの絶叫となって現れた。早苗にも、前髪に隠れた自分の顔がどれだけの形相になっているかも分からない。ただ、怒りで染まった心を身にしみて覚える度、絶対に自分はポーカーフェイスとは無縁だろうな、と痛感した。
「…………しばらく離れます、ごめんなさい…」
「早苗っ!待ってよ!わたしをっ…………一人にしないでっ!さなえええっ!」
地面を蹴って空に踊り出る。地上から小傘の叫びが聞こえてくるが、気にかけることも、振り向くことすらも出来なかった。空を飛ぶだけの気力はまだ残されていたが、既に早苗も小傘と同じか、それ以上にボロボロだった。凄惨な光景と小傘の悲痛を聞いて、さらに胸を抉る様な心の痛みは広がっていた。不意に集中が切れて、地面に墜落してしまうかもしれないとも、思った。
だが、確かめるべきことが在る。それを成すまでは、決してシンと同じように命を落とす事など、望めなかった。
神風を起こして、空を再び滑る。早苗の向かう先は、嘗て彼と共に向かった幻想郷の綻びだった。


霧雨魔理沙は、永遠亭の廊下に座り込みながら、庭にある小石を怒りのまま蹴った。その理由は、先程目覚めたばかりの例の少年からシンを墜とした動機を聞いたからだ。
ケジメだと?死んだ他者の代行だと?下らない。
過去の清算に他人の命など付き合わせるものでは無い。己だって、気に入らない過去は山ほどあるが、そのどれにも他人を使って消したい、あるいは今更どうにかしたいなどと思ったことは無い。忘れて欲しいと思ったことはあるが。
失った過去は超えるべき壁だ。それに負けてしまえば、人間の心は成長することなど出来ないのだ。
金髪の少年から情報を引き出した後で、痛く後悔した。何故シンが死ななければならないのか、何故にとりがシンと共に命を落とされなきゃいけないのか。何故全てを受け入れるこの世界で、怒りと憎しみが跋扈【ばっこ】しなければいけないのか。
耐えがたい苦痛を晴らそうと、石を蹴ったのも間違いだった。靴の下の親指を打ってしまったのか、鈍い痛みが響く。この時ばかりは、流石の魔理沙でも笑い飛ばせる事は出来なかった。
「随分と興奮しているわね、魔理沙」
背後から艶めかしく落ち着いた声が耳朶を打つ。最小限で振り向いて見やると、そこには相変わらず紺と紅の配色が目立つ奇抜な看護服に身を包んだ銀髪の女性の姿がある。八意永琳だ。彼女とは過去、蓬莱山輝夜が筆頭となって起こした異変、“永夜異変”の折に知り合っている。
今では、この永遠亭の一角を開いて診療所を営んでいる事もよく知っていた。香霖堂で居候していた頃、傷薬が無くなっていた時に、霖之助と共にここに訪れて薬を分けてもらった覚えもある。
「どうしても落ち着かないんだったら、私の薬を格安で売ってあげましょうか?そうね…あなたの様子だと、神経系に効く錠剤でも処方しましょうか。つい先日、完成したばかりの新薬が出来たからぜひとも貴方にモニターしてもらいたくて―――」
「あーあー、いらんそんなもの。碌に安全も証明されてないような物なんか、口に入れる趣味はない。例えタダでも謝礼があってもだ。命が惜しい」
「あらそう?悪いけど、私はこれまで薬の開発で事故を起こした経歴は無いわよ。今度のだって、彼の治療に必要な情報を集めた際に閃いたんだけど、普通の人にも効果はテキメンの筈よ?今ならぐっすり眠れる睡眠を助ける効果もおまけつき」
「いらないって言ってるだろ…ったく」
正直、魔理沙は永琳のことは人柄と職業を除いてあまり好きではない。その理由としているのも、八意永琳があまりにも“天才”過ぎてしまう故だ。
嘗て二つ名を『月の頭脳』とまでされた彼女は、“蓬莱の薬”を始めとするそれまでの薬の常識を覆す秘薬の開発を可能にしたり、惑星間の移動に要する時間と方法、又は自転公転の周期遅延の証明等の、天文学を応用とした一般人からすれば途方も無い域の理論の確立、その人格から月の住民達のから絶大な支持を得ていた過去、果てには輝夜と同じ蓬莱人としての無限の命を持つ等、つまるところ永琳は何でもありの超人に等しい存在だからだ。
努力という泥臭い二文字を信条とする魔理沙には、正直彼女の培ってきた軌跡は羨ましいの一言に尽きる。その力、その知識、どれだけ傍から学べるかを狙っている魔理沙には永琳の姿が、知識そのものが足を生やして歩いている宝の山のようにも見える。最も、魔理沙は鈴仙の様に永琳を尊敬して薬師になりたいなど思ったことはないし、偉大なる功績を幻想郷に打ち立てたいと思ったこともあまりない。ましてや、彼女のように永遠の命を得たいと思ったことも一度もない。
永遠に生きることはこの世の苦しみに際限なく晒される事と同義だからだ。それを分かっているつもりでいる魔理沙には、そこまでの度胸は持ち合わせていなかった。
「それよか、私が持ってきた資料は役に立ったのかよ。これでも結構、苦労して取ってきたんだぜ?約二名を置き去りにしてくる必要があるまでな……」
「ええ、最高の一冊だったわ。人間の遺伝子に関する資料がこれでもかというくらいに記載されている。やはり、外の世界の資料は幻想郷より進んでいるわね……いくら私が様々な方法を思いついても、実現可能な機材の水準があるとないとでは医学の捗りが違いすぎるわ。私も機会があれば外の世界で学べるといいんだけど、そういう訳にはいかないものね…」
紅魔館に収められていた蔵書は、確かに永琳の力にはなったようだ。聞く所に寄ると、あの永琳でも流石に人間の遺伝子の欠損に対する対処法は殆ど思いつかず、開発したばかりの薬品でごまかし続けてきたらしい。その限界も訪れて、あの金髪の少年は“レジェンド”と呼ばれる――名称は天子から聞き出した――モビルスーツの中で、気を抜いた際に押し寄せる苦痛と疲労感から気を失ってしまったようだ。
今あの少年は魔理沙が聞き終えたきり、寝室で安静にしている。とりあえず、シンに関する情報が無くならないことに安堵する魔理沙だが、その一方でやりきれない思いもあった。なぜシンでなく、彼が生きているのか。
「私がここに来た意味、あったのかよ………」
「十分あるわ。貴方のお陰でまたひとつ、救える命を救えたんだもの」
「お前らがあのデカブツの存在を知らなかったことがありがたかったぜ。もし、お前らが全てをわかっててあいつとグルになっていたら、絶対にシンから預かったあの本、破り捨てていたからな」
無論、自分の目の届く範囲で人が死にゆくのは胸糞悪い。だが、自分の弟分の相手に回った男となるならば、即ち彼は自分達の敵なのだ。自分の手で敵を助けてしまったことにやりきれない思いを抱くが、それでも同じ人間を見殺しにする事は魔理沙には出来なかった。だから、永琳に渡した資料に対して『返せ』という必要もない。
魔理沙は、優しかったのだ。
「あー、なんかじっとしてなんか居らんない。私はもう一度あいつの所で見張っててやる。まだまだ聞きたいことあるし、妙な動きをしたらとっちめてやらないとな」
傍においていた愛用の箒を手にして、魔理沙は再び彼―――レイ・ザ・バレルと名乗る少年が療養している寝室へ伸びる外廊下を歩いていく。残された永琳は、広がるエプロン姿を着た小柄な少女の背中を、複雑な面持ちで眺めていた。


「それで?あんたの体調は大丈夫なの?」
魔理沙がレイの部屋のふすまを開けようとした時、中から女の声がした。言葉の節々にに刺が混じった、つっけんどんな物言い。この声を魔理沙は知っていた。過去の異変の時、嘗て自らの前に対峙した比那名居天子とか言う天人くずれだ。
―――そういや、あいつ。レイが永遠亭についてから程なくして、ここに来ていたよな……
魔理沙は、扉の前にしゃがみ込み、ふすまに耳を立ててじっとする。勿論、悟られずに盗み聞きをするためだ。見た様子、二人は既に顔見知りであることが分かったから、自分では聞き出せないことを口にするかもしれない、と。
「………問題ない。既に峠は越したと永琳は宣告してくれたからには、恐らく大丈夫だろう。体調ぐらい、自分で分かる」
「よかった……!もう、心配させるんじゃないわよ、ラウ!私…ずっと心配してたんだからっ!」
魔理沙が見たその天子の表情は常日頃の彼女からは想像出来ない代物だった。思わず、開いた口が塞がらない。
あの仏頂面の天子が、笑っている。仄かに頬を紅に染め、目に涙をためて今にも泣き出しそうな表情で笑っている彼女に、驚愕を禁じ得ない。魔理沙が知っているのは、天界という豪勢な土地で、不機嫌な顔して親の七光りを形にしたかのような武器を振るいながら不遜な態度をとっている、目に付くだけで腹が立つ様な少女だった。その彼女がいま、心から笑っていることに驚かず要られるものか。
しかし、“ラウ”という名前は一体?魔理沙が聞き出した彼の名前は“レイ”だ。これが何を意味するのか、魔理沙は頭を巡らせてみるが、すぐに部屋の奥から言葉が聞こえてきたので思考を停止し、聞き漏らさまいとした。
「ええ……本当に良かったです。……しかし、貴方の動きで、沢山の人に迷惑がかかってしまったことも、また事実です…」
中にいるのは天子だけではない。普段は天界で過ごしている妖怪の天女、永江衣玖の姿も部屋の中にあった。衣玖とは天子が起こした異変の時に出会い、異変の犯人と疑ったが結局は人違いに終わったっきりだ。あの身にまとっている羽衣は、いつか自分が死ぬまで『借りたい』と考えているが、中々取りに迎えないことが心残りだったが。
「そんなの、ラウだってわかってるわよ衣玖!衣玖にはラウが好き勝手でこんなことをしてたって思ってるの!?」
「そんなことを決めつけたりはっ……只、私は他者を傷つけたことは悔いるべきで、それを償っていくことを告げようと……!」
「だけど!もうあの“フリーダム”はいなくなったのよ!ならさ、もう誰も傷つけずに生きて行けるじゃない!そうよ、天界で私達と過ごすのよ。だってラウは自由じゃない…!」
「………俺は………」
そうだ。奴【レイ】のせいで、どれだけの被害が出たと思っているんだ。紅魔館の一部は焼け落ち、恐らく、話からしてシンが無事である望みは薄い。これだけでも、過去の異変と比べても凄惨すぎる結果だ。博麗神社は結果的に天子によって修復されたが、人間の命までは戻ってこない。
それをあの天子は本当にわかっているのか。握る右手へさらに力が入る。魔理沙は今すぐにでも踏み込んで頬をひっぱたいてやりたい、とさえ思った。
「俺はまだ……銃を捨てるわけには行かない…」
「ラウさん…?」
レイは布団に包まれていた上半身を起こし病衣姿を二人に晒す。長い金の前髪から覗くその碧眼は俯き、力なく空虚を見つめている。
「衣玖、八雲紫とか言う女を覚えているな。雛がいた樹海に現れたあの傘の女だ」
「それは存じておりますが……また、彼女が貴方に何かをけしかけたのですか?そうだとしても、もうラウさんがあの機体に乗り込む必要は―――」
「いや、まだ終わっていない。俺の…“俺達”の戦いは」
「ラウ…?」
布団を固く握ると同時に鋭い表情になったレイの様子を見て、天子が心配そうに彼の名を呟く。衣玖も、天子の横で緊張したまま彼を見やる。
「紫と会った。奴の力か、寝ている間の夢の中でだ……奴はこの世界の何処かで俺を待っているらしい」
「そんな口約束……!ラウさんが乗る必要はありません!もう戦いは終わったんですよ!?後は………後はこの永遠亭でしっかり怪我と病気を治されて、平和に過ごしていけばいいじゃないですか!」
「いや。俺は行かなくてはいけないんだ、衣玖。あの女を野放しには出来ない……俺の身体にしても完治をただ寝て待つより、不安要素を消してからでいい。何よりも………奴は俺の敵で、俺の知る……友の敵だ」
「友達……?しかし、ラウさん…!」
………敵?たしかに妖怪は人間に害し、果てには食すとまで聞いて入るが、必要以上の殺人など、賢者とまで謳われた八雲紫がするはずがない。しかし、今回の事件も紫が絡んでいたのかと、魔理沙はレイの言葉を聞いてあの小憎たらしい薄笑みの妖女の姿を思い浮かべる。
「…ラウ。その場所、一体どこなのよ」
「総領娘様?しかし、もうラウさんは……!」
「この子が終わらせたいことがあるっていうのよ。もうこれで打ち止めにしてやりましょうよ!賢者の……八雲紫は前々から気に入らなかったし、地上の神社で私の邪魔までしたというのに、まだ私達の前に立つなんて……」
紫の飄々とした性格と一見いい加減なまでの行動からして、恨みを買いやすい人物だとは思っていたが。天子は怒りの感情に委ねて背を震わせ、二人へ怒声を放った。
「上等よ!あいつのわけ分かんない企みも、私とラウが受けて立つわっ!もう、これで全部終わらせてやるんだから……もう、私のラウが傷つかなくていいようにしてやるんだからッ!」
天子の心からの憤慨だった。大切な存在を傷付けられることは、彼女にとっても傷心に値する。レイの戦いの最期に向けて踏む、超えるべき一線だった。
「………心配するな、衣玖」
「ラウさん…」
「生きているという事は、それだけで価値がある………前に言ったな。俺は命を投げ出したりはしない。それが一番無意味だと知っているからだ」
「しかし…そのお身体では…」
「ここまで来たなら後には退けない……終わらせる。世界を、人を正しき姿に戻すために」
「ラウ……」
「咎は…その後で受ける。奴によって歪められたこの世界を、正すために…俺は、戦う」
固い意志と信念を含んだ言葉で、レイは訴えた。明確な理由は未だ知る由もないが、紫の策略でレイを含む多くの運命が歪められた。その望まれない歯車に歯止めをかけなければ、今以上に世界は狂う。
最期の決着を、紫と着けるのだ。
「天子、衣玖、聞いてくれ」
レイは、続けて二人に訴える。その身の事を。呪われし己の運命を。
「俺は作られた人間……人より早く老化し、もうそう遠くなく、死に至るだろう」
魔理沙も、天子も、レイの言葉に耳を疑わずにはいられなかった。驚きの連続ではあるが、彼の口から発せられるのはそれだけの重みが在る。そして、衣玖だけは唯一彼の言葉を聞いて肩を震わせていた。
「俺は思い出した。“ラウ”は俺の本当の名じゃない。ラウは俺の……かけがえの無い友で、俺自身とも言えた者の名だ」
「う…そ……!じゃあ、あんたの本当の名前って…」
「……レイ・ザ・バレル。これが俺の本当の名だ」
「ラウさん…」
「………お前は知っていたんだな、衣玖。このどうしようもない身体の事を」
「はい……永琳さんの口から、貴方様の身体における詳細を聞かせて頂きました…」
「衣玖…知っているならどうして、これをもっと早く私にも…!」
心から傷ついたような痛々しい面持ちで衣玖に迫る天子。眉間にシワが入り、釣り上がる目で睨みつけているのは信用されていなかったことの憤慨か。
「総領娘様に伝えた所で、事態は変わらないからですっ…!貴方が動揺している姿など、ラウさんは望まない…そうですよね?」
「ああ……俺と“フリーダム”……シンのようなすれ違いから憎しみ合う人間を作り出してはいけないんだ。俺のせいで、鈴仙にも迷惑をかけた………俺が銃を捨てるのはその後だ」
「ラウ……いや、レイ………っ、うん…」
「だが、その前に俺は、この世界を変える。俺達のような存在を二度と誕生させないためにも…!」
その言葉を聞いて、ついに魔理沙は扉を開いた。聞くべきことならもう既に十分すぎるくらいに聞いたし、あとの情報はもうどうでもいい。レイが狂気の沙汰で殺人を犯していないことだけでもハッキリ分かったのなら、それだけで少しは信頼に足るだけの人間だ。シンを傷つけたことに関しては、まだ割り切れていないが、本人の言う通り、咎は受けてもらう。全てが済んだ後に。
「霧雨魔理沙!?どうして、ここに!?」
天子が度肝を抜かれた様子で身構えるが、魔理沙の狙いはレイだけだった。魔理沙はレイだけを見て問う。
「また会ったな、お前」
「お前は、先ほどの女……」
「さっきと同じように、もう一度聞くぜ。お前がシンを倒した事を、お前は悔やんでいるんだろうな」
「言ったはずだ……どのような形であれ、俺は友の命を奪ってしまった。それは、許されるべきでないこともわかっている」
それを聞いて安心できた。
「ならいい……話は聞かせてもらったぜ。お前の言う仕返しとやらに、私も付いて行ってやる。その後でお前にはシンの墓前とシンの仲間にしっかりと謝らせてやる!『ごめん』ってなッ……!」
鋭い視線と憤慨のままに、魔理沙はレイに言い放つ。レイがシンの友人だということも、シンを倒すまで記憶喪失だったことも既に聞いている。だが、どうしても真意だけは確かめたかった。再三何度聞き直しても。その上で紫の暴走を止めるのならば、例の監視という意味も込めて自分がついて回ったほうがいいだろうと魔理沙は判断したのだ。
「…………ああ」
「さあ、教えなよ。その紫が言ったとか言う場所を。思いつく限り何処へだって連れて行ってやる。この幻想郷の異変解決で右に出るものはたった一人しかいない、霧雨魔理沙がなッ!」
魔理沙は、心の中でシンの敵を取れないことに頭を打ち付けたくなる程酷く悔しく想いながら、レイの勝手に付き合う事を心に決めた。
レイにシンの死を、必ず償わせるために。


「「シーン!!」」
「うわぁっ!?フラン、こいし!?」
文に運ばれて来たシン達を紅魔館内で待つのは、二人の妹だった。古明地こいしとフランドール・スカーレットが、輝くばかりの満面の笑顔で、シンの身体へ抱き着いて来る。その二人の勢いに思わず、背中を床へ叩きつけてしまう程だ。文はそんな彼らを、手持ちのカメラに収めてシャッターボタンを連打し、にとりは顔に手を当てて呆れている。
「フランは分かるけど…こいしっ、何で!?」
「シン、また会えた!フランね、ずっと心配してたんだからっ!!」
「久しぶりっ!シン!お姉ちゃんと一緒にね、地上【こっち】に上がって来ちゃったんだよ!私も、お姉ちゃんも……ずっと会いたくってしょうがなかったんだからっ!!」
目の前で手を繋いで訴えてくる、フランとこいし。シンも生きてここへ戻ってこれたのが嬉しい。二人だけじゃなく、控えているアリスやレミリア達もシンの帰りを心から喜んでいるらしかった。戻る場所で迎えてくれる人々がいることに、シンの胸は熱くなった。
「よかったです……シンくんが無事戻ってきてくれて私も嬉しくてたまりませんよっ……!」
「美鈴さんそんなっ、号泣しなくても………でも、ありがとうございます」
美鈴に至っては意外と涙脆いのか、大粒の涙で顔を濡らしていた。咲夜に「はいはい、無事もわかったんだからそれくらいにして貴方は門に戻りなさい」と言われると、背中を軽く叩かれるまま玄関の外へ向かった。
そして。しばらくぶりに目にした、皆の端の方でこちらを眺めている地底で会った妖怪の少女であり、こいしの姉である彼女の前にまでシンは歩み寄って口を開く。相変わらずの薄い表情の前で、シンは傷だらけではあるが、痛みなど悟られないように柔らかい顔と声で語りかける。
「ただいま。そして………また会いましたね、さとりさん」
「………ええ、アスカさん…!」
ステンドグラスに包まれた館で見た、あの顔が明るくなる。目に溜めた透き通る涙が、一粒彼女の頬を伝うと同時にさとりは可憐な微笑みをシンに向けた。


「随分とモテモテじゃない、彼」
「ええ……そうね、ずいぶんとまあ、節操ない」
パチュリーの横で、アリスが女性陣に振り回されている様子を見て軽く溜息を吐いて安堵する。一時期はシンが命を落としたと思い、パチュリーもアリスも焦るレミリア達をどうしようものかと悩みあぐねていたというのに。取り越し苦労に終わりそうだ。
「パチュリーだって、嬉しいんでしょ?」
「……わざわざ私に聞く必要がある?私が妖怪だろうが人間だろうが、誰かが死ぬなんて事、望むわけ無いでしょうに」
「それもそうね………後味が悪い結末より、終わりよければすべてよしって方が私は好きよ、パチュリー」
パチュリー自身も小説は嗜むが、数ある終わり方の中でも圧倒的にハッピーエンドを占める割合が多いのは、その終わり自体が大衆にとって最も人気があり、また書く側としても難易度が比較的優しい。つまり敷居が低い事が挙げられる。
生憎パチュリーは本を『消化』する側であって、あまり自作の物語を書こうと筆を執ることはないが、文章が生む数ある夢や知識に思いを馳せた経験からして、人が望まない話は現実に起きるべきではないと考えている。人間は思いを文という形にして、希望や絶望が入り混じるフィクションを無数に生み出すが、その実自分たちの周りでは常に最善の結果を願う我儘な生き物だ。
今回の結末は、自分達の願いが形になった。それに喜びを感じないものが何処にいようか。パチュリーは顔にこそ出さないものの、シンの無事が叶って嬉しくて堪らなかった。きっと、自分だけでなくレミリアも咲夜もこの場での喜び方が分からないだけであって、本当はフラン達の様に飛び付きたいのだろう。レミリアに至っては、身体がうずうずと落ち着かず、咲夜はレミリアを両手で収めるように、と促しながら顔はずっとシンの方に向いて笑っている。最低の戦いがあったが、最高の結末がこの場を満たしていた。


「早苗が、いない!?」
「ええ、そうよシン。私が、早苗を寝室へ寝かせておいたんだけど、今朝見たら扉が開いてて……ドレスが畳まれてて荷物の類も無くなっていたから、きっと貴方が死んだと思ってショックから飛び出したんだと思う。彼女、貴方が墜とされてからずっと不安定で、泣いていたから……」
この場にいない早苗のことを問うと、咲夜が前に出て事情を説明する。曰く、早苗はシンの撃墜を目にしてから冷静さを失い、咲夜に館へ寝かされてからもずっと元気を取り戻せる様子ではなかったという。その彼女が紅魔館を飛び出してしまうとは。彼女だけが、再会の喜びを分かち合えずにここを離れてしまうとは予想の範疇に無かった。
「何処に行ったか、心当たりはありませんか?そうだ、レミリアなら確か、『他人の運命を覗ける』だろ?それなら、彼女の足取りを掴むなんて事も―――!」
「悪いけど、シン。私の能力はそう便利なものじゃないわ。言ったでしょ、私に親【ちか】しい者しか私は能力を使えないって。私は貴方を目当てに執事として迎え入れたけど、彼女は貴方をここに縫い止めるための得物だからここに泊めていたの。私が早苗をメイドとして雇っていたら可能性もゼロじゃないけど、今となっては後の祭りね」
結局、レミリアにとってシン以外の者などもののついででしか無かったのだ。シンの価値に目をつけたレミリアは、不用意に人払いしたのならば、シンに警戒されて離れていくと考えたのだろう。それが仇となった。今では早苗の行方など、追う手段がない。
「私のしたことに、まだ恨んでるの?シン……」
レミリアの目に付く限りの傲慢な態度は消え失せ、今は歳相応な不安の表情が表れている。シンは複雑な気持ちでは会ったが、レミリアに向けて静かに伝える。
「っ…いいよ、もう。過ぎた事だろ?」
「ええそうね。お嬢様もや私がやったことも、今はもう過去。だけどシン、そう深く考えた所で早苗は追えないわよ。今は貴方の身体の方が大事でしょ?」
「俺の事は大丈夫です、咲夜さん。けど、もし……もし早苗が、追い詰められて。自分の無力さから俺の後を追おうと自殺なんて事に走れば、俺は……!」
「それは絶対にあり得ないわ」
「咲夜さん……」
咲夜はシンの両肩をしっかりと握って言う。肉体上は自分より年上である平静さを秘めた彼女の瞳が、シンを貫いた。
「私は言ったの、シンが死んでしまったとしても、生きる事が大事だと。シンがそんな事望むわけ無い、って……ね。それ言ったら彼女、泣き続けて寝ちゃったけど」
咲夜が見た、早苗の笑顔の裏に会った弱さは痛感している。自分の言葉が届いているのならばと、早苗が早まった行動を犯さない事を信じていた。だから咲夜はシンに言うのだ。
「今はそれより、貴方が大事。貴方が乗ってた機体が墜とされて、貴方もただじゃ済んでないはずよ。しばらくは戦いをやめて、私達のもとで傷を治しなさい」
「それは………出来ません…」
咲夜が必死に訴え続ける中、シンは顔を小さく横に振り、否定を示す。
「俺は止めなきゃいけないんだ。あの機体は絶対にレイ………!俺の、友達が乗っているんだ。アイツを止めるまで、俺はじっとしてなんていられない……!」
「けど、シン。私とお前の“フリーダム”も、“デスティニー”も……!」
「わかってる。わかってるさ、にとり。けど、じっとしてなんかいられない。お前が作ってくれた武器も、整備してくれた機体も全て無くなったけど、俺はレイを止めたいんだ。かけがえの無い友達だから。その為にはまずここを離れないと」
シンは地面に横になっていた時に土が付いた手を力の限り握る。自分が生きていることを彼に告げ、彼の戦いを止めさせなければと、親友としてユニウス戦役を生きた戦友として、使命感があった。
「なら、向かう所は大方一つね」
そう言い出したのはアリス・マーガトロイドだった。彼女はショートカットのプラチナブロンドを揺らしながら、人形のように端正な顔を穏やかにしてシンに告げる。
「無縁塚には行ったことある?シン君」
「ええ………俺の機体が使えない間に、あそこで“フリーダム”を見つけたんです。けど、もうあそこには俺の力になるものなんか……」
「いいえ、まだ手立てがない訳じゃないわ。幻想郷は全てを受け入れるけど、この世界は常に均衡を保っている。それが何故だか分かる?」
この世界の住人でないシンにそれを求めることは不可能だ。アリスもそれをわかっているのか、続ける。
「絶対に立ち向かえる方法があるのよ。あれだけの力が現れたのなら、必ず同じだけの存在も幻想郷は引き入れる。信じられないかもしれないけど、これが幻想郷なのよ。そして、外の世界が一番に流れ着くのが、無縁塚」
「俺の………新しい力が、無縁塚にあるのですか?」
「確証はない…けど、私の見立てではその筈よ」
アリスは魔導書を抱えていない左手で自らの胸の上に手を置き、堂々と宣言する。
「シン君。この私、アリス・マーガトロイドが貴方達と共に行き、あの機械人形を止める力になるわ」
「アリス、お前…」
にとりがアリスの宣言に身長な面持ちになる。
「勘違いしないで、にとり。私は好奇心だけで向かうんじゃないわ。確かに、あの機械人形の仕組みには見惚れてしまうけど、紅魔館がこうなった以上、修繕に必要な人達を除けば動けるのは私だけ。そして、魔理沙が頑張っているんだもの。私が動かないわけには行かないわ」
「そうね…私の所の者達は誰一人として外に出せるほど人員に富んでいるわけじゃないし、古明地さとりには悪いけど、あの巨体を操ってもらって紅魔館を手助け願うわ。私の前で執事であるシンの事をこれみよがしに語ったんだもの。是非、その続きも聞かせて貰いたいしね」
「……わかりました。彼の事ならば少々お話の内容にも自信がありますし、そのお誘い、受けざるを得ませんね。私が見ていない間、アスカさんがこちらでどのような生活を送っていたのかも、気になりますし」
「利害一致ね。よろしく頼むわ、古明地さとり」
「こちらこそ、レミリア・スカーレットさん。同じ彼の知り合い同士として、仲良くしましょうか」
今回のことで、シンとにとり以外の者達は自分達の力が“ガンダム”に抗えないことを知らされた。ならば、贋作であるさとりの“フリーダム”には、モビルスーツ元来の利用法である建築物の作業に充てるしか無いだろう。さとりもそれを了承した。
「けど、その前に」
レミリアはシンの方へ向きなおして、その翼で目の前にまで飛んで近付く。そして、人差し指をシンに向けて不機嫌そうに注意してきた。
「そんなにボロボロだもの。そこの河童も一緒に、せめてお風呂に入って傷に薬も塗ったあとで向かいなさい。じゃないと、私の認めた執事の主として、薄汚い従者の姿を他人に見られるの恥ずかしいんだから!」
シンは苦笑しつつ「わかった」と応え、昨日から傷ついている身体を思い出して最もな意見だと従うことにした。


「シン………もういっちゃうの?早すぎるよ…」
「フラン……」
濡れた髪と体をしっかりと乾かし、玄関の先で洗濯されたばかりの服の着心地を確かめながらにとりとアリスと集まる中、いつの間にか背後からシンの軍服を軽く引くフランの姿があった。シンは軽く屈み込み、彼女の目線まで落とした後、頭を軽く撫でて諭す。
「ゴメンな、いつまでもここにいれなくて。でも、レミリアはもう二度と、君をあんな目に合わせたりしない。俺と約束したんだ、もうさせないって。だから……」
「うん…私だってわかってる。子供じゃないもの。だけど、また顔を見せに来て。じゃないと私………泣いちゃうから」
「ああ、約束する」
分かってもらえたみたいだ。最期にポンポンと、頭を二回はたいた後でシンは立ち上がる。玄関まで進み、にとりと進言したアリスが隣に立つと、シンは出迎えに集まったレミリア達紅魔館の皆に対し、気合を込めて元気に言い放つ。
「それじゃあ行ってくる、みんな!今までありがと!」
「ええ………またね、シン」
軽く手を振り、彼女達の声援を受けながら庭を横断する。美鈴が開く正門を潜り、彼女にも挨拶をしたあと、三人は青空の下で再びあの灰色の世界へ向けて足を進めた。


既に世界が暗く見えるほど追い詰められている早苗には、ここへ来た所で大して心地は変わらなかった。
再思の道を抜けて、生の世界から離れた無機質な世界が己を包む。早苗は、無縁塚に広がる灰色の世界の中を、一人飛び続けていた。
なんてことはない。早苗はシンの死の確認がしたかったのだ。“幻想郷縁起”によれば、無縁塚は幻想郷の空間の綻びとも言われ、そこから三途の川、冥界、現世、その他にもつながると言われている。冥界に向かうには、遥か上空の桜花結界を突破して向かうよりも、こちらから回り道をしたほうが早く、安全なのだ。前回ここに来たときは、無縁塚から流れ込んだのか三途の川に“フリーダム”が見つかり、小町との一悶着もあったが無事収拾がついた。
もしかしたら、と思い。再び三途の川近くにまで向かう。多少の時間では、シンの生死の判断に変わりない。むしろ、知りたくなかった早苗は目を背けるように冥界へ続く方向を後回しにした。もし小町がいるならば、シンについての情報が得られるかもしれないし、この暗い気持ちを慰めてくれるかもしれない、とも思った。
しかし、そこで見たものは早苗の心を大きく揺さぶった。
「あれは………!?そんなっ、何故!」
嘗て“フリーダム”が流れ着いていた死の河原に、再び巨大な“何か”が流れ着いている。外の世界の風化と言う名の流れに乗せられてきたその巨体は、早苗が見惚れたあの鋭角的な装甲と翼を同じように持っていた。
人型のロボット。頭部に二本のブレードアンテナが伸びる様は正しく“ガンダム”そして、そのガンダムは既に奪われた筈の機体と同じ形をしていた。
―――まさか、シンの機体がここに運ばれたの!?
高度を落とし、向かい風を起こして急制動をかけて着地する。半身を三途の川に浸けたその巨体は、“デスティニー”。その方の上に、人影が一つ見える。
朝と夜の概念は在るのだろうが、太陽の光が届きにくいほど異質な空間であるこの無縁塚で、初めはその人影が誰なのか分からなかった。だが、その影からキラリと一つの輝きが早苗の足元に放たれて、早苗の額から冷や汗が伝った。
放たれた物は、真紅の針だった。それも、ただの針ではない。“妖怪”退治に使う、霊力が秘められた退魔針。この使い手を、早苗は朧げに知っていた―――!
「そんな………そんなことって…!」
「どうしたの早苗。何をそんなに怯えているのかしら」
あり得ない。姿を消したとしても、何者かに襲われたとしても、彼女が自分の敵になる道理など何一つ無いからだ。赤と白の巫女服に身を包んだそれは、両の瞳から確かな敵意と身体からあらんばかりの殺気を放ちながら、早苗の前に立ちふさがる。
「勝負よ、早苗」
「貴方が、どうしてこんなっ………………霊夢さんッ!!!!」
霊夢は立っていた機体の装甲を力強く蹴り、手にある退魔針を早苗へ向けて冷徹に振るった。早苗には目の前のことを含む世界全てが、信じられなかった。
闇よりも深い、深淵の世界。
星一つ見えない孤独の世界で、シンは只立っている。目の前には無数に広がる死体の山。死体の群は体躯の差はあれ、着ている衣服の判別すらつかないほど凄惨で、視界に入れた途端に急激なめまいと吐き気を催すものだ。
目を見開き狼狽して、何故これらが目の前にあるかとシンは少し考える。正気を妨げ狂気を誘うそのグロテスクな光景に、嫌な汗と震えが出てくるが、その死体よりも気になることは別にある。
―――何故、俺はここにいるのか。
「なぜ、君はそこにいるの?」
羽毛のように柔らかく、優しい響きを含んだ男の声が耳を貫いた。声が聞こえてきた方に顔を向けると、光を背負った細い人影が見える。その声は、どこかで聞いたことがあって、ここ最近は全く聞いていなかった声だ。
誰だ?と思い、口にするよりも先に細身の男は更に言葉を紡いだ。その姿は見えているのだが、背にしている光が暗闇に慣れたシンの両目を焼き、輪郭以外の外見的特徴が捉えられない。けれども、声と同じくその姿はどこかで見た覚えがあった気がした。
「アンタこそ一体何なんだ」
気丈に問い返すが、細身の男はシンの質問に一切応えない。代わりに細身の男はシンの背後にある死体の山を指差して。
「それは、なんだか分かる?」
質問の真意がわからない。人間の中身という醜悪な本質を晒している夥しい遺体の事など、何も知らない自分にはわかるわけがない。
異世界にとばされて、死人の事を知る手段など持たない自分には。
「君が殺したんだ」
「―――!」
「君がいなくなってから、救えなかった命だ」
声の響きは優しい筈なのだ。だが、その口から響くにはあまりにも無情な言葉が連なっている。急に湧きあがった激情から、何か言い返そうとしたシンが言葉に詰まっている僅かな間に、男は懐から短い筒を引き抜いてシンの方へ向けていた。
―――アレは、拳銃だ。
「彼らを殺したのは、君なんだ」
―――そんなこと!
「君という力が無くなったせいで、沢山の人が死んでいく」
―――俺はこんなの望んでなんか…!
「君のせいだ」
男の拳銃から銃爪が絞られた。銃の先端から迸るマズルフラッシュが、唯一の光源であった光よりも遥かに眩しく闇の空間を照らす。たった一発、たった一瞬であったが影となっていた男の顔を照らす。そこにあったのは己の盟友であり、コズミック・イラを守っていくと言う同じ志を持つ戦士の顔。
「キラさ―――!」
シンはその男の名を叫ぼうとして、銃の先が自分でない事に気付いた。彼は自分を狙っていたわけではない。代わりに狙われていたのは、自分の背後にいたもう一つの存在だった。
胸に銃弾を撃ち込まれ、血液のしぶきと共に頽【くずお】れるのは、長い金髪の持ち主である少年だった。シンはそれが誰か知っている。少なくとも、凶弾を討った男よりずっと前から。
「レ………イ」
倒れた親友の元に駆け寄ろうとして躍り出た途端、背中に鋭いものが当たった気がした。胸を貫くそれを実感して、金髪の少年の前に同じように倒れてしまう。
不思議と痛みは無い。だが、奈落の様な暗い恐怖がじっくりと湧き上がってきた。目の前には前髪で隠れている親友の弛緩した顔。それら全てがあり得て欲しくの無い未来だった。
泣きたくても、既に自分の顔は苦痛以外の表情を生めない。奥歯が砕け、顎を固く締めて親友の元へ身体を寄せる。命の輝きを失った彼の目からは血の涙があふれ、その血がシンの手元に溜まる。
シンは押し寄せる感情の嵐で暗闇の中で吠えた。涙と血で滑りそうになりながらも自らの銃で親友を殺した男に対して撃ち返そうとした瞬間、再び彼の拳銃は炎を吹き、今度はシンの脳天を貫いた。
薄れゆく意識の中最後に写ったのは、再び男の顔。先程の初発の時は確かに見覚えのある顔、キラ・ヤマトの顔が照らされていたはずだった。だが今度は違った。どういった理屈かも分からないが、不可思議な事に二度目に見えた顔は全く異なっていた。その顔を見てシンは愕然とする。
シンを撃った顔は、死んでいたはずの親友、レイ・ザ・バレルだった。


例え世界が違おうとも育んできた環境に然程差がないのなら、目に飛び込んでくる景色も突飛な物では無い事を、シンはにとりの幻想郷に住んで数日で思い知らされている。
今のコズミック・イラでもうどれだけ残っているかも分からない天然の自然の中で見た景色と、妖精達の手解きで連れられた森の中の景色は、どちらも比較するのも下らなく思えるほどの美しさを誇っていた。晩春の暖かさが肌を撫で、木々の香りが鼻腔をくすぐる世界の中心でシンとにとりは目を覚ました。
昨日の決戦が身体に響いていたのだろう、寝起きの時に感じたのはまず『まだ起きたくない』という睡眠欲と、未だ鈍い痺れと共に身体を縛る疲労感だった。日が落ちてからあまり時間を置かずに寝ていたはずなので、ざっと数えても二桁に近い時間の間目を瞑っていたはずなのだが……コンディションが全快というわけにはいかなかったようだ。先程の悪夢もあって。
「おはよ…シン」
互いに茫洋とした面構えでありながら、先に開口したのはにとりだった。妖怪は人間の数倍の体力と強靭な肉体を備えているはずなのに、目の前の彼女は自分と何ら変わらない様子で暗い表情と、声のトーンをシンに向けている。
「ああ…」
そう返すのがやっと。身体的にも精神的にも死の淵にまで追い詰められたシンはたった一晩でここまで返すことが出来るのだから、それだけでも凡人とは一線を画している事は明白だ。しかし、どれだけ体力面を『常識』範囲内で調整されたコーディネイターでも、彼ほどの歴戦の戦いを経験していなければ真似出来ようもない。むしろ嘗てシンの置かれた環境からすれば、短い時間で前の戦いから気分を吹っ切ることが出来なければ、当の前に死に瀕していた事だろう。
世の中には戦闘用コーディネイターと呼ばれる、非人道的な目的で生み出された命も存在するとシンは噂に聞いていた。過酷な状況でも普通の人間と違い、苦にもせず戦うためだけに作られた兵士はこの程度の悪環境など問題にもならないらしい。地球連合軍は一時期、戦闘用コーディネイターを生み出して妥当ザフトに向けたプランを掲げていた時期があったようだが、結局メインプランに上がったのは薬物投与によって強化されたナチュラル、“生体CPU”を育成していく方向にシフトした。今では大戦が終わったこともあり、実情を知った各国の圧力で、エクステンデッドを始めとする生体CPU育成機関は事実上凍結に追い込まれた。そのニュースを聞いたときは、シンも心から安堵したものだ。
故郷への想いから我に返り、倦怠感と疲労感を突っぱねてシンは目を軽くこすった。それでも目の前に膜が張ったような違和感は拭えなかったので澄んだ水が透き通っている湖――昨夜は日が落ちていた為視界も悪く距離感が分からなかったが、妖精達の樹から湖へは歩いてすぐだった――へ向かい、手にすくった水で思いっきり顔に当てた。
「っ~~~~!」
冷たい、寒い。痛いぐらいに感じるその鋭い刺激でシンは覚醒する。晩から何も食べていないせいで万全というわけにもいかないが、とりあえず目が覚めて行動が出来る点については十分だ。動かなければ現状は変わらない。
「くぅ~!」
いつの間にか後ろについてきていたにとりも――あるいは、彼女の存在を感じ取れないほど今の己の感覚が鈍っていたか――シンと同じ、あるいはそれ以上に水を顔に被せていた。
彼女は日本古来より伝わる伝説の妖怪、河童だ。オカルトに疎いシンは小耳程度に知識は有していたが、彼女曰く頭に皿なんか乗せていなくとも身体に水を与えるだけである程度は元気を取り戻せるらしい。最もなのが、彼女たちが好むきゅうりもその大半の成分は水で出来ているので、河童にとっての水分摂取は人間以上に死活問題なのだろう。疲労を引きずってるのかその可憐な童顔はまだ弱々しいが、にとりが笑みを取り戻したのを見てひとまず安心する。
「おーい!二人とも!」
水辺から戻ってみると、そこに待ち構えていたのはサニーだった。彼女は自分達とは違って、太陽の如く穢れの無い喜色満面な顔を振りまいて、大声で自分達を呼ぶ。そして彼女は間髪入れず一夜を過ごした木の上の小屋から飛び立ち、彼らの前で着地する。
「おはようございます!んー!今日も眩しくていい朝日ですね!シンさん、にとりさん!」
全身で伸びをしながら、元気いっぱいに眩しい笑顔を振りまくサニーミルク。子供さながらの純真無垢なその様子に――実際の妖精は自然の現象が人の形をとったものなので単純に生きた年数は二人を超えているらしい――見ている側も心が安らぐ。
「ああ、おはよう。サニー」
「おはよ。はは…聞いてはいたが、妖精はホント子供っぽくて元気いっぱいだね」
「えっへへ。私は日の光の妖精で、人呼んで太陽の子ですよ?希望のシンボルはいつも眩しい笑顔からですっ!ほら、お二人も!」
天井知らずの調子ににとりがやれやれと肩をすくめてるが、そう言いつつもにとりの表情ははしゃぐサニーに対して微笑みながら柔らかい視線を向けている。シンがにとりの笑みを見るのは何度もあったが、あの激戦と極度の緊張状態の後で前と同じように彼女が笑えていることがとても嬉しく思った。
自分の様に、既に死線を潜った身は以前のような笑顔を作れるかどうか、だんだん分からなくなってくるからだ。笑顔を生めなかった時を過ごしてきたが故に。
「ほら、シンさんも笑ってください!」
「うわっ!」
僅かに思案に暮れている間に、いつのまにかサニーが目の前相対数センチまで迫って顔を近づけていた。思わずシンは仰け反ってしまい素っ頓狂な声を上げるが、かろうじて転倒するのは避けられた。
「そんなに難しい顔していたって、なにも面白い事は無いですよ。朝なんですから、笑顔で太陽を迎えましょう!」
シンとにとりは顔を見合わせ、サニーに対して「「あっはは…」」としばし苦笑する。だが、確かに暗い顔している自分に対して彼女の言葉にも一理あるとシンは納得した。
「……うん、そうだね…サンキュ」
苦し紛れだが、出来る限りの笑顔を取り繕うシン。サニーの様に笑顔満面とまではいかないが、一晩休んだ甲斐があったのか、心に余裕が持てる事に安心する。こんな自分でも、まだ笑えるのだと。
「「サニー!」」
続いて急に甲高い二つの声が耳に入ったかと思えば、小屋から妖精が飛び出すのが見えた。ルナチャイルドとスターサファイアだ。スターは青色のドレスを翻しながら、空中から軽くこちらへと手を振りつつ幽雅にゆっくり降りてくる。
それに対して、ルナはサニーと対照的に眠たそうに目をこすりながら木の枝から足を離す。
「わ…っ!」
だが、ルナの意識が散漫していたのがまずかったのか、つま先を枝にひっかけてしまった。
「ルナッ!」
衝動が沸いたと同時に身体が動いた。意思よりも早く、脊髄反射だけで。普段の何倍をも早さが出そうなほどの鋭い動きで、シンは木の下にまで駆ける。早苗やにとりの様に飛翔が出来たならば、墜ち行く彼女をこの手で受け止める事が出来ただろう。
だが二足走行という原始的で常識的な移動手段しか持ち合わせていなかったため、落ちて来るルナを決して取りこぼさない様、細心の注意を払って待ち構えているしかない。
最大限の集中力を頭上に向けた上で―――ぽふっ、という重みと共にルナの小躯を両腕で受け止めた。その勢いを殺しきれず、たまらずシンも地面に背中から叩き付けられる。
「つってて………!」
受け身は取っている。後頭部をぶつけもせず、背中を擦ったぐらいで済んだのは幸いだ。だが、胸の中にいるルナはどうなのか。
「おい、大丈夫か!?ルナ!」
「うっ……いたたっ……!」
その表情は苦しく、眉間にシワがよっている。どこを怪我したのか問おうとしたが、目に入った彼女の腕を見た途端、その苦悶に歪んだ顔の原因が分かった。
「ああっ…皮剥けてる…血が…」
人間と同じ真紅の雫が、破れたドレスの袖の内側にあるルナの素肌からにじみ出ている。シンの必死なカバーで頭から地面に突っ込む事は避けたが、叩きつけられた勢いで擦ってしまったのだろう。
「ルナ!大丈夫!?」
「ルナ!」
仲間の危機に、あれほど明るかったサニーも焦りを隠さずルナの元へ駆け寄る。スターもだ。彼女はサニーのように慌てふためいてなどはしてないが、心配そうに両手を胸に抱え、おろおろとした様子で立ちすくんでいる。
「大丈夫さ、二人共。大した怪我じゃないみたい。……にとり、君が持っているメディカルキット、まだ余ってたよな?」
「余ってるどころか、十分すぎるくらいに沢山あるぞ。流石はお前んとこの世界の救急箱だな。スプレーだけじゃなくて貼り薬に塗り薬、何でもありだ」
にとりは寝ている時に傍に置いたメディカルボックスを掴み、ルナに近づいてから中身を開く。湖から上がった時に既に幾分か使用したが、長期の使用も想定されているそれは、擦り傷程度の軽症ならばすぐに処置出来るだけの道具がしっかりと詰まっていた。
「よし。ちょっと染みるかもしれないけど、我慢しろよルナ」
「痛っ…!」
消毒液を染み込ませたガーゼで傷口を拭い、手短に済むスプレー式傷薬をルナの腕の傷に吹き当てる。時間にして一分立たず。処置を終えたシンは薬を箱に戻した後で、大きく息を吐いた。
「…よし、こんなもんだろ。もう大丈夫だよ、ルナ」
「えっ…あ…ありがとうございます…シン、さん」
傷を軽く包帯で縛って、『もう安心していいよ』と優しくルナに言い聞かす。ルナはそれを受けて照れたのか、ほんのりと顔を赤らめながらシンから目を逸らし消え入りそうなか細い声でお礼を言った。
「えっ、もう終わったのですか?あっという間でしたよ?」
この過程の短さに、普段おとなしめのスターも驚いているらしかった。彼女達この世界の住人からすれば、たったこれだけの事に用いるこの薬も、オーバーテクノロジーの産物なのだろう。
「ああ、もうだいじょうぶだ。あれくらいの擦り傷なら別に大したことじゃないから安心しなよ」
既に使用して薬の効果を知り得ているにとりが、二人に説明しながらメディカルキットの留め金を止める。それを聞いて緊張状態から開放されたのか、二人共その場に力が抜けたように座り込んでしまった。
「あ、ありがとうございます……シンさん。すいません、急に転んだりして…私、朝に弱いから、眠たくてとっさの事で……飛ぶことも忘れちゃったせいでこんな…」
「気にするなよ、ルナ。あれくらい大したことじゃないさ。…うん、その様子だと別に傷跡が残ったりしないだろうし、よかったよかった」
「ふうん、珍しいな。シンが女の傷のことを気にかけるなんて。お前がそこまで気にする気の利く奴とは思わなかったよ」
シンの言葉に、にとりはやけに感心したように腕を組みながら首を縦に振る。
「いや、元の世界の知り合いに言われたんだよ。『女の傷は一生モンなのよ』って。それ思い出しただけさ」
「ふーん。女、ね…なんていう名前なんだよ」
『女』という単語が出た時点で、一瞬にとりの顔が曇ったような気がしたが、シンは求められるままアカデミーからの知り合いである彼女の名を告げる。
「ルナ。ルナマリア・ホーク、っていうんだ。俺と一緒にあの戦争を戦ってきた仲間で……大切な友達だ」
元の世界にいる友人でもあり、共に駆ける女戦士である彼女の姿を思い出した。さっき思い出した彼女の言葉を聞いたのは、クレタ沖での戦いの後だったか。彼女のガナーザクウォーリアが大破したと聞いたときはシンもただならぬ思いで焦ったが、骨折した腕をぶら提げながら格納庫を歩く彼女を見て安心したことは今でも鮮明に覚えている。ルナマリアは今、どうしているだろうか。この一連の邂逅を終えた時にはこの世界での体験談を彼女に話してもいいかもしれない。……十中八九、信じてもらえそうにないが。
「私と、同じ愛称なんですね」
「あっはは……君どころか、あいつの妹と同じ名前でそっくりな人とも会ったからね、大した偶然だよ」
メイリン・ホークと、紅美鈴の姿を脳内で照らし合わせながら、苦笑しつつ答える。この世界とコズミック・イラは、全く接点のない異世界同士の筈だが、面白い事もあるものだとシンは感じた。
「シンさん、ルナを助けていただいて誠にありがとうございますわ」
座り込んでいたはずのスターは目を離していた間にすっかり元気を取り戻したのか、ルナの横に座るシンの前にまで歩むと、ドレスを軽く横に広げながらお辞儀をしてきた。シンは大したことをした覚えなど無いのに、正面から丁寧なお礼を受けてむず痒くなる様な気持ちになりながら、「あはは…」と言いながら頭を掻く。
「お返し…という程のものではありませんが。よければ今日の朝ご飯、ご一緒しませんか?器なら余りがありますし、今朝は知り合いの妖精と一緒に朝を過ごそうと思ったのです。ぜひ、シンさんとにとりさんも」
言われてみれば、シンもにとりも朝から何も食べていない。腹をすかしている中でこの誘いを断る理由は何一つ無い。二人は目を見合わせた後、スターの誘いに甘える事にした。


「それじゃ!今日も元気にーっ、かんぱーい!」
「「「「「「「乾杯!」」」」」」」
大木の上で、サニーの勢いよく放つ号令に合わせてシン、にとり、ルナ、スター、そして新たにスターが招いたチルノ、大妖精という二人の妖精を加えて勢いよく木製のカップを打ち鳴らした。
カップの中身はスターが作ったキノコスープだ。淡白で、濃い味付けはされてないが、舌に広がる味わいと喉の奥にまで伝わる暖かさが、シンとにとりを包む。湖から流れてくる涼しい風と合わせて最高の気分だ。
「へえ、なかなかいい味付けじゃない。昨日は水被ったから、ちょうど温かいのが欲しかったんだ」
「うん、おいしいよこれ。サンキュな、スター。スープおいしいよ」
「い、いえいえ!とんでもありませんよ!私達の仲間を助けてくれたお礼なんですから……これぐらいで喜んでいただけるならこちらとしてもありがたいです」
「ふふっ、スターちゃん照れちゃってる。妖精達の中じゃスターちゃんってお料理上手だもんね、いいお嫁さんになれるよ」
「そ、そんなっ。大ちゃんほどじゃないよ、手持無沙汰に練習している程度ですから、この程度大したこと……けどありがとっ、うふふっ」
大ちゃんと愛称で呼ばれた妖精に褒められて、スターは満更でもないのか顔を両手で隠しながら喜んでいる。確かにスターの様に料理が上手く、甲斐甲斐しい性格ならば――幼い外見ばかりの妖精が人間と同じように結婚をする種族かどうかは分からないが――男性からの受けはよいだろう。
「そういやルナ!今日は朝から寝ぼけて木から落っこちちゃったんだって?あははっ、ルナったらどんくさ~い!」
「むっ……湖の上で巫女と弾幕ごっこして勢い余って湖に突っ込んじゃって、挙句の果てに自分の力で自分ごと湖を凍らせてしまったチルノにそんなこと言われたくないわよ」
「なにをーっ!決めたわ、これ終わったら後であたいと勝負よルナ!あたいが思い付いた新しい技、あんたにぶつけてやるんだから!」
「自分の力すらまともに制御できないくせに何言ってるのよ……はいはい、またあとでね」
「うん!絶対だからね!逃げたら許さないんだからっ!」
大妖精とは対照的に、ずっと大声を出しながらはしゃいでいるのはチルノという名の水色のワンピースを着た妖精だった。虫のそれに似た羽をもつ他の妖精とは異なり、氷の結晶そのままを象ったかの様な一対の翼を生やしている。にとり曰く、チルノは妖精達の中では規格外の力を持っているらしく、背中の羽も制御できていない力の現れらしい。喧嘩っ早いのも、有り余る力を発散したいのだろうか。
「おやおや、ここにおられたのですかお二人とも」
「うええっ!?文かぁ!?」
「なんでお前がここにいるんだよ、文!」
いきなり背後から話しかけられて、シンとにとりは飛び上がる。その拍子でシンは木の枝から落ちそうになってしまうが、ここに運んでもらった時の様ににとりがシンの身体を支えたおかげで何とか落ちずに済んだ。後ろにいたのは背中の翼を広げて宙に浮く射命丸文。彼女とは椛が妖怪の山に残った際に別れていたのだが、なぜこのような場所にいるのか。
「あらあら、そんなに邪険にしなくてもいいじゃないですかにとりさん。私はただ紅魔館に新聞配達をしていたら、レミリアさんが一ヵ月間私の“文々。新聞”の宣伝をしてくれるという約束の代わりにシンさんを探せっていうものですから……湖のほとりを片っ端から探していた所です。まさかこんな所で妖精とだべっていたとは……あの時の必死そうなレミリアさんが聞いたら頭カンカンになるかもしれませんよ?」
そうだ、結果的に助かってはいるが自分達は遭難した身なのだ。ここで無駄な時間を過ごしている間にも、自分達を心配してくれている者はいる。緊張の解れから、すっかりそれを失念してしまった。
「あ、あわわ…天狗様だ……どうしてこんなところに天狗様が!?」
天狗は強大な力を持つ一族だとシンは早苗から聞いている。それに比べたら妖精の力など矮小なものだとも。だからサニー達からすれば、畏怖の対象が目の前にやってきたことに対して狼狽えているしかないのだろう。
「ああ、今すぐ取材したいところですが今の私にとって妖精など眼中にありませんから。…さっ、シンさん、にとりさん。私の手を掴んで今すぐ紅魔館の方に戻りますよ。私の新聞読者……もとい、貴方を心配する人達を待たせているんですからね!」
「お前絶対、私利私欲で動いてるだろ!?」
文の洩らした言葉に付いて糾弾するにとりだが、わざとらしくよそ見をして口笛を吹く文。…どうやら、否定する気はないらしい。
「もう、行っちゃうんですか?シンさん」
溜息を吐いて腰を上げるシンに対し、サニーが上目でこちらを覗きながら名残惜しそうにシンの腕を軽く引いてくる。朝を楽しく過ごした仲だけに、唐突にここを後にするのは負い目を感じる。だが。
「ありがとう、サニー。君達のおかげで俺もにとりも助かったよ。でも、俺達は急いでるからあんまり長くはいられないんだ」
そんなサニーにシンは軽く頭を撫でる。彼女たちの遊び相手になれないのは残念だが、全てを終わらせるまでは、時間を無駄に出来ないのが現状だ。ここで立ち止まるわけにはいかない。
「また、会えますか?シンさん?」
ルナもサニーと同じように名残惜しいのか、残念そうに顔を俯かせる。
「ああ、また何度だって会えるさ。その時はいっぱい遊ぼう。いっぱい楽しく、な」
「…そうですよ、またいつでも会えるんですから。笑顔でシンさん達を送らないと!サニー、ルナ!」
「……うん!そうだね、スター!」
別れを惜しむ二人に、スターが明るく元気づける。これが永遠の別れではない。この世界にいる限りは、何時でも彼女達に会う事は出来るのだ。
「さーて、話がついた所でそろそろ行きますよ!二人共私の腕ににつかまってください!」
文が、両腕をシンとにとりに伸ばして二人はその手をしっかりと掴む。文は深い深呼吸をして豊かな胸を上下させた後、気合を込めた大声を言い放ち、サニー達が座っている大木の幹を蹴った。
「さあ、無限の彼方へひとっとび!私の新聞の貰い手が待ってまっすッ!アヤンザムバースト!」
「「うわああああああああっ!」」
最早どれくらいのスピードが出ているかもわからないほどの急加速。
疾風を超えて彗星の如く空中を流れる中、離れ行く妖精の大木からサニー達の別れの声が聞こえてくる。
「また遊ぼうねー!」
「ありがとう、シンさん!」
「また私のお料理、食べて行ってくださいねー!」
「ちょっと!ルナの次はあたいが勝負したいと思ってたのにーっ!」
「さようならー!お元気で!」
風に打たれ、シンとにとりは空を泳がされながら空いた手を懸命に妖精達へ降る。
「ああ、みんな!またなーッ!!」
「ありがとな!お前達ーっ!」
声が風で消え入りそうになりながらもあらんばかりの感謝を妖精たちに投げ続ける。
疾風怒濤の文の飛翔に掴まりながら、紅魔館へ向けて三人は湖の上空を切り裂いていった。


この幻想郷に住み着いてからの日々は決して短くない。この世界で妖怪退治を続け、諏訪子と神奈子と共に退屈とは無縁の生活を送り続けて幾十日、早苗はありとあらゆる場所へ飛んできた。
しかし、土地勘の恩恵で最短距離で向かう事は出来ても、自分の全速力はそう簡単に上がる事は無い。幻想郷は博麗大結界で包まれた一つの箱庭だが、それでも一つの世界を形成できるほどの広さを有している事に変わりはない。命蓮寺の早朝から出て紅魔館に暮れ頃に着いた様に、再び“妖怪の山”の麓にあるにとりの作業場に戻るまで、焦がれるような苛立ちを募らせながら神風に乗って早苗は向かう。
もっと強く、もっと先へ、もっと早く。
そう心の中で念じながら、目の前に見える巨大な山が徐々に大きくなっていくのが分かる。紅魔館に向かう直前で霊夢から聞いた通り、途中異変の影響で暴走した妖精達に何度も遭遇してしまったが、今の早苗には相手にする時間すら惜しい。服の下に備えておいた“対妖怪用御札”と、手にある御幣で、適度にあしらう。それでもしつこく付き纏ってきた忍耐強い相手には一瞬でしばらく眠ってもらった。神奈子と諏訪子、二柱より授かった力を用いて。
「くっ……!」
まだ遅い、と感じた。世界がスローに見え、身体を包む暴風でさえ気にも留めない。
早苗が作業場に戻るのは行き当たりばったりではなく、シンとにとりの死を機体の修理の手助けに打ち込んでいる霊夢に伝えたかった事と、その後で霊夢に頼み込んで、あの灰色のガンダムの居場所を突き止めようと考えていたからだ。八百万の神々の声を聴ける霊夢ならば氏神【うじがみ】にでも、地主神【じぬしの】にでも、幻想郷中にいるとされる神々から情報を集めることが出来る。それが出来たなら、あとは―――
―――絶対に……絶対に許したりなどしませんっ…!
自分はその敵を見つけ次第、手に掛けれるのだろうか。己の憎悪の矛先であり、愛する者の仇である人間を、己の正義の信条の下に討つ事など出来るのだろうか。法の下に統制された世界で育った彼女には、他者を殺める事に抵抗がある。人道的に悪とされたその行動は、心優しい早苗にはあまりにも残酷すぎる。
こんな事をした所で、シンは決して喜んだりする事など無いと。わかっている筈なのに。
「シ…ンっ……!」
駄目だ。あの瞬間を思い出す度、目尻が熱くなる。視界が歪む。これは、今まで平和な世界で過ごしてきた自分のままだったら決して出てくる事は無かった。だが、もう流せない。己の弱さを、これから向かう敵を討つまではもう露にする事は出来ない。心から流れる悲しみという名の雫を、無表情と言う氷塊で閉ざす。
流しかけた涙も暴風で乾いてしまい、何時しか山の麓に広がる森林の上空にまで近づいていた早苗は、歯を固く食いしばったまま、麓の河原へと高度を下げる。
外から作業場の風景が目に入ると同時に、楽しかった彼との時間が頭の中でループする。シンとにとりと共に格納庫で機体の整備をした時、作業で腹を空かした彼らと共に昼食や夕食を共にした時、退屈そうな小傘がいたずらで驚かし、尻餅をつくシンとそれを咎める自分。それらがもうやってこない事を突き付けられた気分になり、溜まらず目を背けた。
―――懐かしんでいる場合ではない。早く…早く霊夢さんを見つけないと…!
早くここから飛び立ちたいと思いながら。荒い足取りで河原の石を蹴り、ハンガー内に続く勝手口を開く。
「え…っ!?」
しかし、機体の前に居ると思っていた霊夢の姿はどこにもなかった。それどころか、作業工程に必要な人手を確保するためににとりが招集をかけていた河童達も、未だ癒えていない損傷から収められていた“デスティニー”も、忽然と姿を消していた。代わりに辺りを占めているのは、修理の際に用いられた部品、ケーブル等が散乱している事と、河原から聞こえてくる水音以外の静寂だった。
「“デスティニー”が……シンの機体が、無い…?」
早苗の憧れであり、シンの愛機が無い現実に眩暈が引き起こされる。だが、踏みとどまり無様に地面へ伏せる事を堪えながら早苗は周りを見渡した。誰もいないのかと思ったが、唯一人、修理とは無関係にここへ住み着いている者がいる。霊夢の姿が無く、にとり達河童が離れた今、早苗が知っている中でこの場所に留まっている筈の存在は“彼女”を置いて他にない。
ハンガーから伸びる扉を進んで、にとりやシンが住まいにしていた居住スペースへ入り込む。ここからはにとりの私室や、シンがこの場所にいる間暮らしていた空き部屋へと続いている。推理が正しければ、“彼女”はこのどこかにいる筈―――!
「小傘さんっ!」
見つけた。予想通り、“彼女”多々良小傘はスペースの奥にある居間で、両腕で自らの身体にしがみ付いて震えている。その眼は虚ろで、何かに酷く怯えるかのように見開かれていた。
「さ…な、え?……戻ってた、の?」
「しっかりしなさいっ、小傘さん!一体何があったんですか?霊夢さんは!?河童の皆さんは!?」
「きゃあっ!」
正常じゃない彼女に行き成り質問攻めをしてしまったことに罪悪を覚えるが、早苗の方にも余裕は無かった。感情を殺していたはずの顔は焦りで歪み、つい小傘を掴む両腕にも力が入ってしまう。
「っ……申し訳ありません、小傘さん。けど、私は……!」
痛がる小傘に対して頭を下げて謝るが、小傘は早苗の過失などに怒りもせず、力無く項垂れている。酷い有様だった。やがて、震えが止まるまで早苗が小傘の身体を優しく包んでいると、小傘はか細い声でゆっくりと、この場所で起きた不和について語りだしてくれた。
「…ぐすっ……早苗っ……怖かった……シンがいない時にっ……突然、外が…!」
「何があったのです…?霊夢さんは?シンの“デスティニーガンダム”は一体……!?」
「うん……っ……」
小傘が語り出した作業場で起こった顛末を耳にして、只々早苗が愕然とするしか無かった。何者かによる突然の襲撃、投げ込まれたガスによって昏倒する河童達、迎撃に向かった霊夢の失踪。そして……“デスティニー”の強奪。予想だにしないそれらは小傘の心を深く傷つけると同時に、言い知れぬ恐怖を刻み込んだのだった。
大粒の涙を流しながら訴える彼女の言葉に、早苗は爪が食い込んで血が出てしまうのではないかと思えるほど、強く両手を握りしめた。傷心、憤慨、悲哀。ネガティブな感情が押し寄せ、自分達はそれを止めることも、ましてや気付く事も出来なかった。最悪の状況だ。自分達でさえも、シンの撃墜によって落ち着いている暇など無いというのに―――!
「一体何でこんな事……誰がこんな事望んだっていうの…?どうしてっ…!」
そう言い、小傘は両手を自らの落涙で染める。最早早苗は突き上げてくる怒りを抑えることすらも苦しかった。恐らくは“デスティニー”が消えたことも、あの灰色のガンダムが襲撃したことと関係がある筈だと感じた。この場所ならば機体を整備するだけの部品も人材も幾らでもある。それを奪うことが相手の動機だとしたら、卑劣で悍【おぞ】ましい、とも思った。
―――どこまでやれば…こんな事っ、平然と出来るの!?
「えっ………!?早苗、どこに行くの!?」
知らぬ間に、足取りは外の方へと動き出していた。怒りという純粋な感情に支配された早苗には、最早何も付け入るものがない。それは、目の前で泣いている小傘の悲しみでさえも。
いや、早苗ももう他者を気遣えるだけの余裕が無いのだ。人への気遣いは人一倍に持つ彼女ではあるが、己に振りかかる未知の衝動に早苗は只身体を突き動かされるだけなのだ。
「………少し、外へ」
「待ってよ!ね、にとりは!?にとりだって“フリーダム”に乗り込んだっきり、こっちに帰ってこないのよ!?早苗は知らないの!?」
「――――――“フリーダム”は――――――墜とされました」
「えっ……!?」
早苗には、彼女に嘘を貫くことも出来なかった。その言葉に、息の詰まる音が小傘から発せられる。過呼吸から危うく唾が詰まったのか、必死にむせながら顔を滅茶苦茶にして小傘は涙する。
「そ……そんな筈ない。シンがっ、にとりが…っ、そんな筈ないもの!」
「わたしだって!!!!信じたくないッッッッ!!!!!!」
ついに感情がひとしきりの絶叫となって現れた。早苗にも、前髪に隠れた自分の顔がどれだけの形相になっているかも分からない。ただ、怒りで染まった心を身にしみて覚える度、絶対に自分はポーカーフェイスとは無縁だろうな、と痛感した。
「…………しばらく離れます、ごめんなさい…」
「早苗っ!待ってよ!わたしをっ…………一人にしないでっ!さなえええっ!」
地面を蹴って空に踊り出る。地上から小傘の叫びが聞こえてくるが、気にかけることも、振り向くことすらも出来なかった。空を飛ぶだけの気力はまだ残されていたが、既に早苗も小傘と同じか、それ以上にボロボロだった。凄惨な光景と小傘の悲痛を聞いて、さらに胸を抉る様な心の痛みは広がっていた。不意に集中が切れて、地面に墜落してしまうかもしれないとも、思った。
だが、確かめるべきことが在る。それを成すまでは、決してシンと同じように命を落とす事など、望めなかった。
神風を起こして、空を再び滑る。早苗の向かう先は、嘗て彼と共に向かった幻想郷の綻びだった。


霧雨魔理沙は、永遠亭の廊下に座り込みながら、庭にある小石を怒りのまま蹴った。その理由は、先程目覚めたばかりの例の少年からシンを墜とした動機を聞いたからだ。
ケジメだと?死んだ他者の代行だと?下らない。
過去の清算に他人の命など付き合わせるものでは無い。己だって、気に入らない過去は山ほどあるが、そのどれにも他人を使って消したい、あるいは今更どうにかしたいなどと思ったことは無い。忘れて欲しいと思ったことはあるが。
失った過去は超えるべき壁だ。それに負けてしまえば、人間の心は成長することなど出来ないのだ。
金髪の少年から情報を引き出した後で、痛く後悔した。何故シンが死ななければならないのか、何故にとりがシンと共に命を落とされなきゃいけないのか。何故全てを受け入れるこの世界で、怒りと憎しみが跋扈【ばっこ】しなければいけないのか。
耐えがたい苦痛を晴らそうと、石を蹴ったのも間違いだった。靴の下の親指を打ってしまったのか、鈍い痛みが響く。この時ばかりは、流石の魔理沙でも笑い飛ばせる事は出来なかった。
「随分と興奮しているわね、魔理沙」
背後から艶めかしく落ち着いた声が耳朶を打つ。最小限で振り向いて見やると、そこには相変わらず紺と紅の配色が目立つ奇抜な看護服に身を包んだ銀髪の女性の姿がある。八意永琳だ。彼女とは過去、蓬莱山輝夜が筆頭となって起こした異変、“永夜異変”の折に知り合っている。
今では、この永遠亭の一角を開いて診療所を営んでいる事もよく知っていた。香霖堂で居候していた頃、傷薬が無くなっていた時に、霖之助と共にここに訪れて薬を分けてもらった覚えもある。
「どうしても落ち着かないんだったら、私の薬を格安で売ってあげましょうか?そうね…あなたの様子だと、神経系に効く錠剤でも処方しましょうか。つい先日、完成したばかりの新薬が出来たからぜひとも貴方にモニターしてもらいたくて―――」
「あーあー、いらんそんなもの。碌に安全も証明されてないような物なんか、口に入れる趣味はない。例えタダでも謝礼があってもだ。命が惜しい」
「あらそう?悪いけど、私はこれまで薬の開発で事故を起こした経歴は無いわよ。今度のだって、彼の治療に必要な情報を集めた際に閃いたんだけど、普通の人にも効果はテキメンの筈よ?今ならぐっすり眠れる睡眠を助ける効果もおまけつき」
「いらないって言ってるだろ…ったく」
正直、魔理沙は永琳のことは人柄と職業を除いてあまり好きではない。その理由としているのも、八意永琳があまりにも“天才”過ぎてしまう故だ。
嘗て二つ名を『月の頭脳』とまでされた彼女は、“蓬莱の薬”を始めとするそれまでの薬の常識を覆す秘薬の開発を可能にしたり、惑星間の移動に要する時間と方法、又は自転公転の周期遅延の証明等の、天文学を応用とした一般人からすれば途方も無い域の理論の確立、その人格から月の住民達のから絶大な支持を得ていた過去、果てには輝夜と同じ蓬莱人としての無限の命を持つ等、つまるところ永琳は何でもありの超人に等しい存在だからだ。
努力という泥臭い二文字を信条とする魔理沙には、正直彼女の培ってきた軌跡は羨ましいの一言に尽きる。その力、その知識、どれだけ傍から学べるかを狙っている魔理沙には永琳の姿が、知識そのものが足を生やして歩いている宝の山のようにも見える。最も、魔理沙は鈴仙の様に永琳を尊敬して薬師になりたいなど思ったことはないし、偉大なる功績を幻想郷に打ち立てたいと思ったこともあまりない。ましてや、彼女のように永遠の命を得たいと思ったことも一度もない。
永遠に生きることはこの世の苦しみに際限なく晒される事と同義だからだ。それを分かっているつもりでいる魔理沙には、そこまでの度胸は持ち合わせていなかった。
「それよか、私が持ってきた資料は役に立ったのかよ。これでも結構、苦労して取ってきたんだぜ?約二名を置き去りにしてくる必要があるまでな……」
「ええ、最高の一冊だったわ。人間の遺伝子に関する資料がこれでもかというくらいに記載されている。やはり、外の世界の資料は幻想郷より進んでいるわね……いくら私が様々な方法を思いついても、実現可能な機材の水準があるとないとでは医学の捗りが違いすぎるわ。私も機会があれば外の世界で学べるといいんだけど、そういう訳にはいかないものね…」
紅魔館に収められていた蔵書は、確かに永琳の力にはなったようだ。聞く所に寄ると、あの永琳でも流石に人間の遺伝子の欠損に対する対処法は殆ど思いつかず、開発したばかりの薬品でごまかし続けてきたらしい。その限界も訪れて、あの金髪の少年は“レジェンド”と呼ばれる――名称は天子から聞き出した――モビルスーツの中で、気を抜いた際に押し寄せる苦痛と疲労感から気を失ってしまったようだ。
今あの少年は魔理沙が聞き終えたきり、寝室で安静にしている。とりあえず、シンに関する情報が無くならないことに安堵する魔理沙だが、その一方でやりきれない思いもあった。なぜシンでなく、彼が生きているのか。
「私がここに来た意味、あったのかよ………」
「十分あるわ。貴方のお陰でまたひとつ、救える命を救えたんだもの」
「お前らがあのデカブツの存在を知らなかったことがありがたかったぜ。もし、お前らが全てをわかっててあいつとグルになっていたら、絶対にシンから預かったあの本、破り捨てていたからな」
無論、自分の目の届く範囲で人が死にゆくのは胸糞悪い。だが、自分の弟分の相手に回った男となるならば、即ち彼は自分達の敵なのだ。自分の手で敵を助けてしまったことにやりきれない思いを抱くが、それでも同じ人間を見殺しにする事は魔理沙には出来なかった。だから、永琳に渡した資料に対して『返せ』という必要もない。
魔理沙は、優しかったのだ。
「あー、なんかじっとしてなんか居らんない。私はもう一度あいつの所で見張っててやる。まだまだ聞きたいことあるし、妙な動きをしたらとっちめてやらないとな」
傍においていた愛用の箒を手にして、魔理沙は再び彼―――レイ・ザ・バレルと名乗る少年が療養している寝室へ伸びる外廊下を歩いていく。残された永琳は、広がるエプロン姿を着た小柄な少女の背中を、複雑な面持ちで眺めていた。


「それで?あんたの体調は大丈夫なの?」
魔理沙がレイの部屋のふすまを開けようとした時、中から女の声がした。言葉の節々にに刺が混じった、つっけんどんな物言い。この声を魔理沙は知っていた。過去の異変の時、嘗て自らの前に対峙した比那名居天子とか言う天人くずれだ。
―――そういや、あいつ。レイが永遠亭についてから程なくして、ここに来ていたよな……
魔理沙は、扉の前にしゃがみ込み、ふすまに耳を立ててじっとする。勿論、悟られずに盗み聞きをするためだ。見た様子、二人は既に顔見知りであることが分かったから、自分では聞き出せないことを口にするかもしれない、と。
「………問題ない。既に峠は越したと永琳は宣告してくれたからには、恐らく大丈夫だろう。体調ぐらい、自分で分かる」
「よかった……!もう、心配させるんじゃないわよ、ラウ!私…ずっと心配してたんだからっ!」
魔理沙が見たその天子の表情は常日頃の彼女からは想像出来ない代物だった。思わず、開いた口が塞がらない。
あの仏頂面の天子が、笑っている。仄かに頬を紅に染め、目に涙をためて今にも泣き出しそうな表情で笑っている彼女に、驚愕を禁じ得ない。魔理沙が知っているのは、天界という豪勢な土地で、不機嫌な顔して親の七光りを形にしたかのような武器を振るいながら不遜な態度をとっている、目に付くだけで腹が立つ様な少女だった。その彼女がいま、心から笑っていることに驚かず要られるものか。
しかし、“ラウ”という名前は一体?魔理沙が聞き出した彼の名前は“レイ”だ。これが何を意味するのか、魔理沙は頭を巡らせてみるが、すぐに部屋の奥から言葉が聞こえてきたので思考を停止し、聞き漏らさまいとした。
「ええ……本当に良かったです。……しかし、貴方の動きで、沢山の人に迷惑がかかってしまったことも、また事実です…」
中にいるのは天子だけではない。普段は天界で過ごしている妖怪の天女、永江衣玖の姿も部屋の中にあった。衣玖とは天子が起こした異変の時に出会い、異変の犯人と疑ったが結局は人違いに終わったっきりだ。あの身にまとっている羽衣は、いつか自分が死ぬまで『借りたい』と考えているが、中々取りに迎えないことが心残りだったが。
「そんなの、ラウだってわかってるわよ衣玖!衣玖にはラウが好き勝手でこんなことをしてたって思ってるの!?」
「そんなことを決めつけたりはっ……只、私は他者を傷つけたことは悔いるべきで、それを償っていくことを告げようと……!」
「だけど!もうあの“フリーダム”はいなくなったのよ!ならさ、もう誰も傷つけずに生きて行けるじゃない!そうよ、天界で私達と過ごすのよ。だってラウは自由じゃない…!」
「………俺は………」
そうだ。奴【レイ】のせいで、どれだけの被害が出たと思っているんだ。紅魔館の一部は焼け落ち、恐らく、話からしてシンが無事である望みは薄い。これだけでも、過去の異変と比べても凄惨すぎる結果だ。博麗神社は結果的に天子によって修復されたが、人間の命までは戻ってこない。
それをあの天子は本当にわかっているのか。握る右手へさらに力が入る。魔理沙は今すぐにでも踏み込んで頬をひっぱたいてやりたい、とさえ思った。
「俺はまだ……銃を捨てるわけには行かない…」
「ラウさん…?」
レイは布団に包まれていた上半身を起こし病衣姿を二人に晒す。長い金の前髪から覗くその碧眼は俯き、力なく空虚を見つめている。
「衣玖、八雲紫とか言う女を覚えているな。雛がいた樹海に現れたあの傘の女だ」
「それは存じておりますが……また、彼女が貴方に何かをけしかけたのですか?そうだとしても、もうラウさんがあの機体に乗り込む必要は―――」
「いや、まだ終わっていない。俺の…“俺達”の戦いは」
「ラウ…?」
布団を固く握ると同時に鋭い表情になったレイの様子を見て、天子が心配そうに彼の名を呟く。衣玖も、天子の横で緊張したまま彼を見やる。
「紫と会った。奴の力か、寝ている間の夢の中でだ……奴はこの世界の何処かで俺を待っているらしい」
「そんな口約束……!ラウさんが乗る必要はありません!もう戦いは終わったんですよ!?後は………後はこの永遠亭でしっかり怪我と病気を治されて、平和に過ごしていけばいいじゃないですか!」
「いや。俺は行かなくてはいけないんだ、衣玖。あの女を野放しには出来ない……俺の身体にしても完治をただ寝て待つより、不安要素を消してからでいい。何よりも………奴は俺の敵で、俺の知る……友の敵だ」
「友達……?しかし、ラウさん…!」
………敵?たしかに妖怪は人間に害し、果てには食すとまで聞いて入るが、必要以上の殺人など、賢者とまで謳われた八雲紫がするはずがない。しかし、今回の事件も紫が絡んでいたのかと、魔理沙はレイの言葉を聞いてあの小憎たらしい薄笑みの妖女の姿を思い浮かべる。
「…ラウ。その場所、一体どこなのよ」
「総領娘様?しかし、もうラウさんは……!」
「この子が終わらせたいことがあるっていうのよ。もうこれで打ち止めにしてやりましょうよ!賢者の……八雲紫は前々から気に入らなかったし、地上の神社で私の邪魔までしたというのに、まだ私達の前に立つなんて……」
紫の飄々とした性格と一見いい加減なまでの行動からして、恨みを買いやすい人物だとは思っていたが。天子は怒りの感情に委ねて背を震わせ、二人へ怒声を放った。
「上等よ!あいつのわけ分かんない企みも、私とラウが受けて立つわっ!もう、これで全部終わらせてやるんだから……もう、私のラウが傷つかなくていいようにしてやるんだからッ!」
天子の心からの憤慨だった。大切な存在を傷付けられることは、彼女にとっても傷心に値する。レイの戦いの最期に向けて踏む、超えるべき一線だった。
「………心配するな、衣玖」
「ラウさん…」
「生きているという事は、それだけで価値がある………前に言ったな。俺は命を投げ出したりはしない。それが一番無意味だと知っているからだ」
「しかし…そのお身体では…」
「ここまで来たなら後には退けない……終わらせる。世界を、人を正しき姿に戻すために」
「ラウ……」
「咎は…その後で受ける。奴によって歪められたこの世界を、正すために…俺は、戦う」
固い意志と信念を含んだ言葉で、レイは訴えた。明確な理由は未だ知る由もないが、紫の策略でレイを含む多くの運命が歪められた。その望まれない歯車に歯止めをかけなければ、今以上に世界は狂う。
最期の決着を、紫と着けるのだ。
「天子、衣玖、聞いてくれ」
レイは、続けて二人に訴える。その身の事を。呪われし己の運命を。
「俺は作られた人間……人より早く老化し、もうそう遠くなく、死に至るだろう」
魔理沙も、天子も、レイの言葉に耳を疑わずにはいられなかった。驚きの連続ではあるが、彼の口から発せられるのはそれだけの重みが在る。そして、衣玖だけは唯一彼の言葉を聞いて肩を震わせていた。
「俺は思い出した。“ラウ”は俺の本当の名じゃない。ラウは俺の……かけがえの無い友で、俺自身とも言えた者の名だ」
「う…そ……!じゃあ、あんたの本当の名前って…」
「……レイ・ザ・バレル。これが俺の本当の名だ」
「ラウさん…」
「………お前は知っていたんだな、衣玖。このどうしようもない身体の事を」
「はい……永琳さんの口から、貴方様の身体における詳細を聞かせて頂きました…」
「衣玖…知っているならどうして、これをもっと早く私にも…!」
心から傷ついたような痛々しい面持ちで衣玖に迫る天子。眉間にシワが入り、釣り上がる目で睨みつけているのは信用されていなかったことの憤慨か。
「総領娘様に伝えた所で、事態は変わらないからですっ…!貴方が動揺している姿など、ラウさんは望まない…そうですよね?」
「ああ……俺と“フリーダム”……シンのようなすれ違いから憎しみ合う人間を作り出してはいけないんだ。俺のせいで、鈴仙にも迷惑をかけた………俺が銃を捨てるのはその後だ」
「ラウ……いや、レイ………っ、うん…」
「だが、その前に俺は、この世界を変える。俺達のような存在を二度と誕生させないためにも…!」
その言葉を聞いて、ついに魔理沙は扉を開いた。聞くべきことならもう既に十分すぎるくらいに聞いたし、あとの情報はもうどうでもいい。レイが狂気の沙汰で殺人を犯していないことだけでもハッキリ分かったのなら、それだけで少しは信頼に足るだけの人間だ。シンを傷つけたことに関しては、まだ割り切れていないが、本人の言う通り、咎は受けてもらう。全てが済んだ後に。
「霧雨魔理沙!?どうして、ここに!?」
天子が度肝を抜かれた様子で身構えるが、魔理沙の狙いはレイだけだった。魔理沙はレイだけを見て問う。
「また会ったな、お前」
「お前は、先ほどの女……」
「さっきと同じように、もう一度聞くぜ。お前がシンを倒した事を、お前は悔やんでいるんだろうな」
「言ったはずだ……どのような形であれ、俺は友の命を奪ってしまった。それは、許されるべきでないこともわかっている」
それを聞いて安心できた。
「ならいい……話は聞かせてもらったぜ。お前の言う仕返しとやらに、私も付いて行ってやる。その後でお前にはシンの墓前とシンの仲間にしっかりと謝らせてやる!『ごめん』ってなッ……!」
鋭い視線と憤慨のままに、魔理沙はレイに言い放つ。レイがシンの友人だということも、シンを倒すまで記憶喪失だったことも既に聞いている。だが、どうしても真意だけは確かめたかった。再三何度聞き直しても。その上で紫の暴走を止めるのならば、例の監視という意味も込めて自分がついて回ったほうがいいだろうと魔理沙は判断したのだ。
「…………ああ」
「さあ、教えなよ。その紫が言ったとか言う場所を。思いつく限り何処へだって連れて行ってやる。この幻想郷の異変解決で右に出るものはたった一人しかいない、霧雨魔理沙がなッ!」
魔理沙は、心の中でシンの敵を取れないことに頭を打ち付けたくなる程酷く悔しく想いながら、レイの勝手に付き合う事を心に決めた。
レイにシンの死を、必ず償わせるために。

「「シーン!!」」
「うわぁっ!?フラン、こいし!?」
文に運ばれて来たシン達を紅魔館内で待つのは、二人の妹だった。古明地こいしとフランドール・スカーレットが、輝くばかりの満面の笑顔で、シンの身体へ抱き着いて来る。その二人の勢いに思わず、背中を床へ叩きつけてしまう程だ。文はそんな彼らを、手持ちのカメラに収めてシャッターボタンを連打し、にとりは顔に手を当てて呆れている。
「フランは分かるけど…こいしっ、何で!?」
「シン、また会えた!フランね、ずっと心配してたんだからっ!!」
「久しぶりっ!シン!お姉ちゃんと一緒にね、地上【こっち】に上がって来ちゃったんだよ!私も、お姉ちゃんも……ずっと会いたくってしょうがなかったんだからっ!!」
目の前で手を繋いで訴えてくる、フランとこいし。シンも生きてここへ戻ってこれたのが嬉しい。二人だけじゃなく、控えているアリスやレミリア達もシンの帰りを心から喜んでいるらしかった。戻る場所で迎えてくれる人々がいることに、シンの胸は熱くなった。
「よかったです……シンくんが無事戻ってきてくれて私も嬉しくてたまりませんよっ……!」
「美鈴さんそんなっ、号泣しなくても………でも、ありがとうございます」
美鈴に至っては意外と涙脆いのか、大粒の涙で顔を濡らしていた。咲夜に「はいはい、無事もわかったんだからそれくらいにして貴方は門に戻りなさい」と言われると、背中を軽く叩かれるまま玄関の外へ向かった。
そして。しばらくぶりに目にした、皆の端の方でこちらを眺めている地底で会った妖怪の少女であり、こいしの姉である彼女の前にまでシンは歩み寄って口を開く。相変わらずの薄い表情の前で、シンは傷だらけではあるが、痛みなど悟られないように柔らかい顔と声で語りかける。
「ただいま。そして………また会いましたね、さとりさん」
「………ええ、アスカさん…!」
ステンドグラスに包まれた館で見た、あの顔が明るくなる。目に溜めた透き通る涙が、一粒彼女の頬を伝うと同時にさとりは可憐な微笑みをシンに向けた。


「随分とモテモテじゃない、彼」
「ええ……そうね、ずいぶんとまあ、節操ない」
パチュリーの横で、アリスが女性陣に振り回されている様子を見て軽く溜息を吐いて安堵する。一時期はシンが命を落としたと思い、パチュリーもアリスも焦るレミリア達をどうしようものかと悩みあぐねていたというのに。取り越し苦労に終わりそうだ。
「パチュリーだって、嬉しいんでしょ?」
「……わざわざ私に聞く必要がある?私が妖怪だろうが人間だろうが、誰かが死ぬなんて事、望むわけ無いでしょうに」
「それもそうね………後味が悪い結末より、終わりよければすべてよしって方が私は好きよ、パチュリー」
パチュリー自身も小説は嗜むが、数ある終わり方の中でも圧倒的にハッピーエンドを占める割合が多いのは、その終わり自体が大衆にとって最も人気があり、また書く側としても難易度が比較的優しい。つまり敷居が低い事が挙げられる。
生憎パチュリーは本を『消化』する側であって、あまり自作の物語を書こうと筆を執ることはないが、文章が生む数ある夢や知識に思いを馳せた経験からして、人が望まない話は現実に起きるべきではないと考えている。人間は思いを文という形にして、希望や絶望が入り混じるフィクションを無数に生み出すが、その実自分たちの周りでは常に最善の結果を願う我儘な生き物だ。
今回の結末は、自分達の願いが形になった。それに喜びを感じないものが何処にいようか。パチュリーは顔にこそ出さないものの、シンの無事が叶って嬉しくて堪らなかった。きっと、自分だけでなくレミリアも咲夜もこの場での喜び方が分からないだけであって、本当はフラン達の様に飛び付きたいのだろう。レミリアに至っては、身体がうずうずと落ち着かず、咲夜はレミリアを両手で収めるように、と促しながら顔はずっとシンの方に向いて笑っている。最低の戦いがあったが、最高の結末がこの場を満たしていた。


「早苗が、いない!?」
「ええ、そうよシン。私が、早苗を寝室へ寝かせておいたんだけど、今朝見たら扉が開いてて……ドレスが畳まれてて荷物の類も無くなっていたから、きっと貴方が死んだと思ってショックから飛び出したんだと思う。彼女、貴方が墜とされてからずっと不安定で、泣いていたから……」
この場にいない早苗のことを問うと、咲夜が前に出て事情を説明する。曰く、早苗はシンの撃墜を目にしてから冷静さを失い、咲夜に館へ寝かされてからもずっと元気を取り戻せる様子ではなかったという。その彼女が紅魔館を飛び出してしまうとは。彼女だけが、再会の喜びを分かち合えずにここを離れてしまうとは予想の範疇に無かった。
「何処に行ったか、心当たりはありませんか?そうだ、レミリアなら確か、『他人の運命を覗ける』だろ?それなら、彼女の足取りを掴むなんて事も―――!」
「悪いけど、シン。私の能力はそう便利なものじゃないわ。言ったでしょ、私に親【ちか】しい者しか私は能力を使えないって。私は貴方を目当てに執事として迎え入れたけど、彼女は貴方をここに縫い止めるための得物だからここに泊めていたの。私が早苗をメイドとして雇っていたら可能性もゼロじゃないけど、今となっては後の祭りね」
結局、レミリアにとってシン以外の者などもののついででしか無かったのだ。シンの価値に目をつけたレミリアは、不用意に人払いしたのならば、シンに警戒されて離れていくと考えたのだろう。それが仇となった。今では早苗の行方など、追う手段がない。
「私のしたことに、まだ恨んでるの?シン……」
レミリアの目に付く限りの傲慢な態度は消え失せ、今は歳相応な不安の表情が表れている。シンは複雑な気持ちでは会ったが、レミリアに向けて静かに伝える。
「っ…いいよ、もう。過ぎた事だろ?」
「ええそうね。お嬢様もや私がやったことも、今はもう過去。だけどシン、そう深く考えた所で早苗は追えないわよ。今は貴方の身体の方が大事でしょ?」
「俺の事は大丈夫です、咲夜さん。けど、もし……もし早苗が、追い詰められて。自分の無力さから俺の後を追おうと自殺なんて事に走れば、俺は……!」
「それは絶対にあり得ないわ」
「咲夜さん……」
咲夜はシンの両肩をしっかりと握って言う。肉体上は自分より年上である平静さを秘めた彼女の瞳が、シンを貫いた。
「私は言ったの、シンが死んでしまったとしても、生きる事が大事だと。シンがそんな事望むわけ無い、って……ね。それ言ったら彼女、泣き続けて寝ちゃったけど」
咲夜が見た、早苗の笑顔の裏に会った弱さは痛感している。自分の言葉が届いているのならばと、早苗が早まった行動を犯さない事を信じていた。だから咲夜はシンに言うのだ。
「今はそれより、貴方が大事。貴方が乗ってた機体が墜とされて、貴方もただじゃ済んでないはずよ。しばらくは戦いをやめて、私達のもとで傷を治しなさい」
「それは………出来ません…」
咲夜が必死に訴え続ける中、シンは顔を小さく横に振り、否定を示す。
「俺は止めなきゃいけないんだ。あの機体は絶対にレイ………!俺の、友達が乗っているんだ。アイツを止めるまで、俺はじっとしてなんていられない……!」
「けど、シン。私とお前の“フリーダム”も、“デスティニー”も……!」
「わかってる。わかってるさ、にとり。けど、じっとしてなんかいられない。お前が作ってくれた武器も、整備してくれた機体も全て無くなったけど、俺はレイを止めたいんだ。かけがえの無い友達だから。その為にはまずここを離れないと」
シンは地面に横になっていた時に土が付いた手を力の限り握る。自分が生きていることを彼に告げ、彼の戦いを止めさせなければと、親友としてユニウス戦役を生きた戦友として、使命感があった。
「なら、向かう所は大方一つね」
そう言い出したのはアリス・マーガトロイドだった。彼女はショートカットのプラチナブロンドを揺らしながら、人形のように端正な顔を穏やかにしてシンに告げる。
「無縁塚には行ったことある?シン君」
「ええ………俺の機体が使えない間に、あそこで“フリーダム”を見つけたんです。けど、もうあそこには俺の力になるものなんか……」
「いいえ、まだ手立てがない訳じゃないわ。幻想郷は全てを受け入れるけど、この世界は常に均衡を保っている。それが何故だか分かる?」
この世界の住人でないシンにそれを求めることは不可能だ。アリスもそれをわかっているのか、続ける。
「絶対に立ち向かえる方法があるのよ。あれだけの力が現れたのなら、必ず同じだけの存在も幻想郷は引き入れる。信じられないかもしれないけど、これが幻想郷なのよ。そして、外の世界が一番に流れ着くのが、無縁塚」
「俺の………新しい力が、無縁塚にあるのですか?」
「確証はない…けど、私の見立てではその筈よ」
アリスは魔導書を抱えていない左手で自らの胸の上に手を置き、堂々と宣言する。
「シン君。この私、アリス・マーガトロイドが貴方達と共に行き、あの機械人形を止める力になるわ」
「アリス、お前…」
にとりがアリスの宣言に身長な面持ちになる。
「勘違いしないで、にとり。私は好奇心だけで向かうんじゃないわ。確かに、あの機械人形の仕組みには見惚れてしまうけど、紅魔館がこうなった以上、修繕に必要な人達を除けば動けるのは私だけ。そして、魔理沙が頑張っているんだもの。私が動かないわけには行かないわ」
「そうね…私の所の者達は誰一人として外に出せるほど人員に富んでいるわけじゃないし、古明地さとりには悪いけど、あの巨体を操ってもらって紅魔館を手助け願うわ。私の前で執事であるシンの事をこれみよがしに語ったんだもの。是非、その続きも聞かせて貰いたいしね」
「……わかりました。彼の事ならば少々お話の内容にも自信がありますし、そのお誘い、受けざるを得ませんね。私が見ていない間、アスカさんがこちらでどのような生活を送っていたのかも、気になりますし」
「利害一致ね。よろしく頼むわ、古明地さとり」
「こちらこそ、レミリア・スカーレットさん。同じ彼の知り合い同士として、仲良くしましょうか」
今回のことで、シンとにとり以外の者達は自分達の力が“ガンダム”に抗えないことを知らされた。ならば、贋作であるさとりの“フリーダム”には、モビルスーツ元来の利用法である建築物の作業に充てるしか無いだろう。さとりもそれを了承した。
「けど、その前に」
レミリアはシンの方へ向きなおして、その翼で目の前にまで飛んで近付く。そして、人差し指をシンに向けて不機嫌そうに注意してきた。
「そんなにボロボロだもの。そこの河童も一緒に、せめてお風呂に入って傷に薬も塗ったあとで向かいなさい。じゃないと、私の認めた執事の主として、薄汚い従者の姿を他人に見られるの恥ずかしいんだから!」
シンは苦笑しつつ「わかった」と応え、昨日から傷ついている身体を思い出して最もな意見だと従うことにした。


「シン………もういっちゃうの?早すぎるよ…」
「フラン……」
濡れた髪と体をしっかりと乾かし、玄関の先で洗濯されたばかりの服の着心地を確かめながらにとりとアリスと集まる中、いつの間にか背後からシンの軍服を軽く引くフランの姿があった。シンは軽く屈み込み、彼女の目線まで落とした後、頭を軽く撫でて諭す。
「ゴメンな、いつまでもここにいれなくて。でも、レミリアはもう二度と、君をあんな目に合わせたりしない。俺と約束したんだ、もうさせないって。だから……」
「うん…私だってわかってる。子供じゃないもの。だけど、また顔を見せに来て。じゃないと私………泣いちゃうから」
「ああ、約束する」
分かってもらえたみたいだ。最期にポンポンと、頭を二回はたいた後でシンは立ち上がる。玄関まで進み、にとりと進言したアリスが隣に立つと、シンは出迎えに集まったレミリア達紅魔館の皆に対し、気合を込めて元気に言い放つ。
「それじゃあ行ってくる、みんな!今までありがと!」
「ええ………またね、シン」
軽く手を振り、彼女達の声援を受けながら庭を横断する。美鈴が開く正門を潜り、彼女にも挨拶をしたあと、三人は青空の下で再びあの灰色の世界へ向けて足を進めた。


既に世界が暗く見えるほど追い詰められている早苗には、ここへ来た所で大して心地は変わらなかった。
再思の道を抜けて、生の世界から離れた無機質な世界が己を包む。早苗は、無縁塚に広がる灰色の世界の中を、一人飛び続けていた。
なんてことはない。早苗はシンの死の確認がしたかったのだ。“幻想郷縁起”によれば、無縁塚は幻想郷の空間の綻びとも言われ、そこから三途の川、冥界、現世、その他にもつながると言われている。冥界に向かうには、遥か上空の桜花結界を突破して向かうよりも、こちらから回り道をしたほうが早く、安全なのだ。前回ここに来たときは、無縁塚から流れ込んだのか三途の川に“フリーダム”が見つかり、小町との一悶着もあったが無事収拾がついた。
もしかしたら、と思い。再び三途の川近くにまで向かう。多少の時間では、シンの生死の判断に変わりない。むしろ、知りたくなかった早苗は目を背けるように冥界へ続く方向を後回しにした。もし小町がいるならば、シンについての情報が得られるかもしれないし、この暗い気持ちを慰めてくれるかもしれない、とも思った。
しかし、そこで見たものは早苗の心を大きく揺さぶった。
「あれは………!?そんなっ、何故!」
嘗て“フリーダム”が流れ着いていた死の河原に、再び巨大な“何か”が流れ着いている。外の世界の風化と言う名の流れに乗せられてきたその巨体は、早苗が見惚れたあの鋭角的な装甲と翼を同じように持っていた。
人型のロボット。頭部に二本のブレードアンテナが伸びる様は正しく“ガンダム”そして、そのガンダムは既に奪われた筈の機体と同じ形をしていた。
―――まさか、シンの機体がここに運ばれたの!?
高度を落とし、向かい風を起こして急制動をかけて着地する。半身を三途の川に浸けたその巨体は、“デスティニー”。その方の上に、人影が一つ見える。
朝と夜の概念は在るのだろうが、太陽の光が届きにくいほど異質な空間であるこの無縁塚で、初めはその人影が誰なのか分からなかった。だが、その影からキラリと一つの輝きが早苗の足元に放たれて、早苗の額から冷や汗が伝った。
放たれた物は、真紅の針だった。それも、ただの針ではない。“妖怪”退治に使う、霊力が秘められた退魔針。この使い手を、早苗は朧げに知っていた―――!
「そんな………そんなことって…!」
「どうしたの早苗。何をそんなに怯えているのかしら」
あり得ない。姿を消したとしても、何者かに襲われたとしても、彼女が自分の敵になる道理など何一つ無いからだ。赤と白の巫女服に身を包んだそれは、両の瞳から確かな敵意と身体からあらんばかりの殺気を放ちながら、早苗の前に立ちふさがる。
「勝負よ、早苗」
「貴方が、どうしてこんなっ………………霊夢さんッ!!!!」
霊夢は立っていた機体の装甲を力強く蹴り、手にある退魔針を早苗へ向けて冷徹に振るった。早苗には目の前のことを含む世界全てが、信じられなかった。


PHASE- 46 霊夢



「貴方には、この世界の巫女を辞めて頂きます!」
これ以上にないくらいの自信と自分でも気恥ずかしくなるほどの尊大な態度で私、東風谷早苗は目の前の少女に宣言する。元の世界からこの異世界に渡り、山の上に私達の守矢神社を構えた後、私は否応なく宣戦布告をぶつけた。
紅と白の配色が目立つ巫女は、私の言葉を聞いて「はあ?」と怪訝そうな面持ちになる。それも当然かもしれない。行き成り初対面の見知らぬ者が、不躾に自分の宅を訪れて一方的な言葉を投げかけたのだから。逆の立場で考えてみても、取る態度に違いはないだろう。
私は今から戦いを行う相手に対してインパクトが必要と思っていた。だから、転移してまもなく来ると思われる八坂様や洩矢様の到着よりも先に単身この地上の神社に乗り込んで、私は声高々に唯一無二の人々の信仰を賭けた争いの通告を直に言い渡しに来たのだ。神より授かりし、神風の飛翔を用いて。
しかし、私の威勢を前にしても目の前の巫女は驚くばかりか、気にも留めようとはしなかった。何一つリアクション一つ取らず、「あーはいはいそうですかー」とでも言いたげに、流し目でこちらを眺めつつ、手に収めている茶飲みを口に運んで和やかにすすっている。余裕あふれる…と表するより、単に興味が無いことは明らかだった。今になれば、彼女の態度にしても性格からして分かるのだが、あの時の私は余裕がなかったのか、はたまた己の力を過信して高飛車になっていたのか……彼女の姿に憤慨して、決闘の日時を指定したっきり、その場から飛翔して山の神社へと戻った。
その時は余りにも自分だけが怒って、自分だけが喋ってばかりで、あまつさえお互いの名を名乗りもしなかった事に対して思わず後悔したのだが、己が宣言した日、指定した正午。二柱に己の決闘を見守るように伝え、自分達の家である洩矢神社の境内にて立ったあの時。自分では彼女が己の言葉通りに現れてくれるかどうかは疑っていた。もっといい焚きつけ方はなかったかと、何日も考えてあの時やっておけばよかったと後悔していたからだ。
だが、それは紛れもなくやってきた。
紅白の巫女は、その優雅な飛翔で空を切り崖下の虚空から姿を表した。日時は自分の指定した正午から一分も遅れていない。驚くべきはそこだ。人間の里と呼ばれる集落に住む現地民から耳にしたのだが、私達の神社の転移先であったこの山は“妖怪の山”と呼ばれる魔境の一つであり、この周辺には幾匹もの凶暴な妖怪や、八百万の神々が様々な姿で住み着いている普通の人間なら近寄ることも出来ない危険地帯なのだ。
私は自分の力を信じており、またその力はこの世界で存分に発揮できるものだった。二柱から授かった力は世間体という厄介な存在もあって元の世界でこそ活躍の機会を与えられていなかったが、この世界では好きな様に振るうことが出来、また有象無象の妖怪に対しては無敵といっても良い程のアドバンテージを持っていた。だから、山の昇り降りくらい多少の困難にも成り得ない。しかしそれは自分程の類まれなる限られた人間のみが可能だと思っていた。
私の知る私以外の人間は、私の様に超常の能力を何一つ有していない。私の両親は私の物心付くよりも先に逝き、私だけが特別な人間だと思い込むのに十分すぎたのだ。神の居座る場所のない元の世界の、退屈で数少ない超常を好奇の的にする、狂おしい程なまでに嫌悪を催す私の元の世界は。だからこの異世界にやって来て、人々の信仰を一身に背負って、私の敬う神々を至高のものにしようと、私は決意してこの世界の巫女に勝とうと私は必死になった。私より強い人間など、いない。あの時の私はそう思っていた。
だが目の前の巫女は私の想像と違った。私の放つ攻撃を寸分狂わない流麗な弧を描きながら躱し、迫る巫女。一時は自分の実力と巫女の実力は互角。そうとも思った。けれども戦いが長引くに連れてその想像ですらも的外れな事に私は気づいた。
私は全力だった。あの戦いでは。しかし、巫女は顔色に必死さを伺わせず全くの無表情で―――地上の神社で見たあの茶を啜っている時と同じ、真っ白なキャンパスのような無表情のまま私との戦いに望んでいたのだ。
八坂様から授かりし神風を用いて、紅白の巫女に襲わせる。無数の鎌鼬が彼女を囲み、一斉に降りかかった。これは躱せないだろうと信じて、己は口元を強く結ぶ。直後、それすらも無意味だった事と気づいた時には、私は既に彼女の身体から迸る虹色の光に包まれて境内の地に伏していた。
何故だ、と私は思った。何故、人々の信仰すら受けていない寂れた神社の巫女に、明らかに能力の質では優っているはずの私が負けなければいけないのかと思った。傷だらけで破れた巫女服を引きずりながら、早苗は神社にある湖へ続く獣道に足を運ぶ彼女の後ろ姿を見て問う。
帰ってきたのは、たった一つのシンプルな答だった。
「信仰の有無なんて関係ない。自分自身の力を持たない人間に私は負けない。絶対に」
その数時間後。八坂様も地上の巫女に敗れ、私達の信仰の計画は瞬く間に頓挫してしまった。
しかし今では、それでよかったかもしれないと思っている。私は己の力を見つめ、精進し、今では二柱に頼らず一人でも妖怪退治も行える。心配だった人々の信仰も、分社の建築や宣伝活動によって、寺や神社というライバルこそあれど地道な行いですこしずつ増えている。あの巫女、博麗霊夢とも今では良好な関係になり、共に行動したり、同年代の少女同士ということで会話をしたりと、友達と言うには若干戸惑いのある関係だが、信頼を寄せ会える間柄になった。
ちょうどその頃に、私はシンと出会った。私と似た出で立ちで、異世界を渡った私の憧れの戦士。初めて目にした時から漂っていた庇護欲を掻き立てられる孤独な姿と、彼と共に地下へ行った時に感じた彼への好意に私は素直になった。彼は飛べないけれど、空を駆け、地へ潜り、共に日々を過ごしたことは私がこの世界にきてからの至上の思い出だ。
時には霊夢さんとも、背中を預け合った。阿求さんからの依頼を受けて異変の元凶とされる天空の船、聖輦船への調査にはシン、霊夢さんと三人で向かい、にとりさんが整備した鋼鉄の天使、“デスティニーガンダム”と共に目標の空へ飛翔した。
シンはそこで出会った妖怪の少女と力を合わせて異変を止めた。あの時も思ったけど、やはりシンは凄くて、より一層私は彼のことを好きになった。霊夢さんもシンに労いの言葉をかけて「ああ、この人はホントは良い人なんだな」って、私の中で霊夢さんに対する評価も変わった。
その、筈だったのだ。だから、目の前の。
無縁塚の灰色の地面に経っている私の目の前に憚【はばか】る巫女の存在が、私には信じられなかった。
無数の真紅の針を両手に据えて、消えた筈の“デスティニー”の肩の上から自分を見下ろす博麗霊夢。野生の猛禽類の如く鋭き視線を放ち、その手に持つ針に劣らない痛みを秘めていそうな殺気がピリピリと私へ伝わる。
私はこう言った。「貴方が、どうしてこんなっ………………霊夢さんッ!!!!」けれども、私の必死な叫びに霊夢さんは動じていないようだった。代わりに投げかけられたのは真紅の退魔針。今度は足元でなく、私の胸めがけて投げてきた。それに気づいて汗が吹き出るが、かろうじて私は避けた。
どうしてこんなことに。自問自答するが思い当たらない。彼女が敵対する理由が。しかし分かっているのは、このままでは自分はあの時と同じように負けてしまうことなのだ。自分が彼女に勝てる算段など関係ない。異変で背中を預けた彼女と、私は戦わなければならないのは明白だった。
だが、それでも。私はこの理不尽な争いに対して最後の抵抗を口にした。
「あんなに一緒だったのに!!」


「霊夢さんっ!」
次ぐ攻撃に対し早苗はいよいよ地面を蹴る。空中のほうが自身の神風の力もあって格段に動きやすくなり、立体的な三次元運動でかわしやすくなるからだ。ガンダムから飛び立った霊夢が付き出した針は早苗の胸先をかすめ、布先を通り過ぎる。直後、身体を捻り最小限の動作で霊夢の右腕はこちらへと横に薙いだ。
普通の人間ならばここで終いだ。空中では方向転換のしようがないのだから。早苗は霊力を意識で操り、手前へと豪風を巻き起こした。早苗の軽い身体が飛ばされ、霊夢との距離を取る。早苗の巻き起こす神風は早苗の意志で巻き込む対象を自由に操作できる。よって、早苗とともに霊夢までもこちらへと吹かれることはない。シンと飛んだ時も、早苗が風を起こす対象に彼を含んだだけのことだ。普通、人間妖怪が用いる霊力の飛翔よりも早苗の神風による飛行は圧倒的な高性能と汎用性を誇る。その点にかけてならば、早苗は霊夢より優っていた。
だが霊夢の強さは“空を飛ぶ程度の能力”にも“霊気を操る程度の能力”にも関わらない別の点だ。
霊夢が再び距離を詰め、その手にある退魔針を突き出してくる。そして開いた方の左手は巫女服の懐から“対妖怪用御札”を取り出しこちらへと放った。針と同じように最小限の動きで、精緻な狙いで。
放たれた札の群は一発も乱れずにこちらへと飛ばされる。焦ってはいたが早苗は直感的に身体を踊らせて、神風を用いて札から逃れようと後退する。だが、考えが甘かったのか。それとも直感的なことに関して彼女を上回ることはできず、こちらの動きを読まれたのか。霊夢の放った御札は早苗を追ってきたのだ。
これこそ、霊夢の特徴的な武器であり嘗ての早苗の出鼻をくじいた“ホーミングアミュレット”。霊夢の持つ容赦の無さを体現したかのような、その誘導性の高い飛び道具は、早苗の鋭角的な回避に応じて軌道を変え、彼女を追い詰める。
「―――くっ!」
対処の方法は唯一つ。反射的に早苗は唇を噛みながら、こちらも対妖怪用御札を取り出して迎撃する。一発、二発、三発。腕の振るった数に応じて目の前で互いの霊力が融け合って、霊力同士の拒絶反応から起きる爆発が早苗の双眸を焼く。対妖怪用御札は先程の現象を利用した武器だ。爆発の影響で起きた煙の膜が、唯でさえ薄気味悪いモヤで視界が効かないこの周辺を更に白く染め上げた。
上下左右が白一面。早苗はその宙に留まり、御幣と札を持って身構える。下手な動きは衣擦れなどの音で察知され、先手を打たれる。かと言って自身の風で晴らせば、相手にこちらの位置を知らせることになる。反撃に出るのも手だが、あの霊夢がそんなことを許すとは思えない。
ここは後手に回るべきだ。早苗は息を殺し、周囲に気を巡らせ、五芒星状結界を展開して身体を包む。霊夢からの接近に備えるためだ。早苗は、いかなる反応ができるよう背後や死角にも気を配り、気構えた。
一変する状況はすぐにやってきた。あるいは、霊夢の方からこの戦いをすぐに終わらせようとしているのか。切りそろえた前髪の奥から、無機質な瞳でこちらを眺める霊夢が、正面から針を早苗の結界に突き立てたのだ。
霊力の込められた紅い針先が、早苗の物質化寸前まで強化した結界に突き刺さり、激しい霊力干渉による火花が飛び散る。しかし、受けることはできた。ここから霊夢に対して反撃しようと、御幣の先を霊夢に向けようとした時だった。
霊夢は只々無言で、更に大量の御札を結界に押し付けた。誘爆性のある、危険な札をだ。そんな至近距離で放てば、自らも巻き込まれるのは明白だ。早苗はそれを呼びかけようとした途端耳鳴りに襲われ、目の前が見えなくなる。
「きゃああああああッッ!」
体制を崩し、回転する身体を神風の逆風で勢いを打ち消し、残像でチカチカする目を酷使させて何とか地面へ受け身をとる。
対する霊夢は、平然と“結界・警醒陣”を展開し、自らを爆風から防いだ上で地面に降り立つ。その巫女服には爆発の傷み一つ付いていない、まさに優雅なはためきを残しながら重力に従う。対する己は、それに比べてなんと無様なことか。決着の付く前から、すでに勝敗が明らかになったかのような形勢に早苗は歯噛みする。
―――なぜ霊夢さんが私を襲うのか。なぜこれまで人間と戦うときに用いなかった退魔針を用いて私を倒そうとするのか。
なぜ、そこまで感情のこもってない顔で平然と人間を手に掛けようとするのか。幻想郷の決闘ではない、本気で相手を殺めるその針先―――
早苗には全てが意味不明だった。
「なんで何ですか霊夢さんっ!なんで私を―――!」
「………“封魔亜空穴”」
呼びかけに対し、霊夢は動作で答えた。霊夢の姿が消えた瞬間、早苗の頭上へその体躯が現れる。答える口のない、無慈悲な針。それが早苗の目の前にまで振り下ろされ、止まる。見開かれた彼女の大きな瞳の先には、巫女の持つ真紅の針。少女の手が持つには少しばかり太く無骨な、戦いのための針。
「………“あいつ”と“あの子”の為よ」
「………!?」
「さよなら」
振りかぶりもせず、力を握り込めたりもせず、霊夢の切っ先が早苗に迫る。若葉色の早苗の瞳に映るのは、褐色で生気のない、考えることをやめた人形のような霊夢の瞳だった。


「さ、ここが冥界への入り口だぜ」
「…あそこか」
上空に漂う雲の隙間から見えるすみれ色の空が辺りを支配する。現実味を帯びていないその異常な光景の中を灰色の巨体が雲を切り裂きつつ、空を飛ぶ。案内のために先導する箒に乗った魔理沙が前を指差しながら言う言葉に対し、レイは機内から外部スピーカーを通じて答える。
レイは永遠亭の庭に降ろしていた“レジェンド”に再び乗り込み、魔理沙の勧めで幻想郷の遙か上空にいる。天子と衣玖はレイの隣だ。コクピットの両脇で二人して乗り込んでいる。幾ら飛べるといっても、鳥と戦闘機を比べるのじゃ訳が違う。それと同じだ。彼女たちの速さでは、“レジェンド”の巡航飛行の3割にも追いつけはしないのだから。
しかし、魔理沙は別格だった。彼女は人間としては規格外の量の霊力を保有し、それらを使って箒を媒介として、猛スピードでの霊力飛行を可能にしていた。そのスピードはさることながら、直線上の最大速度に限定するのならば“レジェンド”の通常飛行速度に匹敵するほどだ。
空は濃い瘴気の塊だった。展開に向かう空とは違う、別の方角の空。青々としていた壮大な空は、徐々に鬱屈としたすみれ色に経と変色し、下を見やれば人気などまるで無い、広大な森が広がりその向こうには地平線が見える。
その自分達のいる空より更に上に、宙に浮かぶ扉が建っていた。にわかには信じられない光景に、さすがのレイも圧巻される。
木目の目立つ、木造の両開きの扉が、何にも吊るされもせずただそこに浮いているのだ。厚い雲の上で。人間が使う扉であるはずのそれは、そのままモビルスーツクラスにまでスケールアップさせたかのような大きさを保ったまま、風以外の無音の世界で佇んでいる。一つ、大きさ以外で人間が使うものと決定的に違うのは、表面に幾何学模様の円が扉の前を覆っているということだ。
「ここがあの世とこの世を結ぶ世界の扉、幽明結界だ」
魔理沙が真顔のまま扉の名を口にする。
辺りの光景の異質さから察して、ここは衣玖の言っていた幻想郷の果てに近いのかもしれないと、レイは思った。幻想郷は狭い楽園だ。だからこそ、世界が凝縮されている。多種多様な妖怪が住める世界を一つに担うこの世界では、距離なくして景色の柄が全く異なる。現世に冥界に天界に地底界に。元の世界では自分達“命”の存在している世界一つしか存在しないのに、幻想郷は多数の世界を抱えている。恐らくそれが、人間以外の世代の移り変わりが少なく、さらには種族問わず死者生者が増えるばかりの幻想郷が破綻しない本質なのだ。
人は地に住む所を失えば、空へ逃げる。家屋を二階建てにし、やがてビルを建て、それまで住めないそこへ手を伸ばす。技術が進み、死の空間とされていた宇宙に移り住むものも現れた。当然、コーディネイターの存在を羨んだナチュラルの存在と年々肥大化していた人口の増加からだ。地球に住むものは母なる大地を自分達のものと勘違いし、コロニーに移り住んだスペースノイドを迫害するものまで現れた。
レイはナチュラルだ、それもラウの二次クローン体。既にテロメアを消耗していた身体は将来的に早期の老化を必然的なものにし、死の運命を決定づけられている。生まれながらにして、彼は人より劣っているのだ。
しかしレイがコーディネイターを疎んだことはなかった。確かにアカデミーに在籍していた時に運動能力に長けた者、情報処理に長けた者等、多種多様に優秀な生徒の存在はあったが、レイはいかなる分野においてもアカデミーのトップだった。これは、もうひとりの自分とも言えるラウの生き様から影響されたことが大きい。
ラウは自分と同じ短い生を運命づけられていようとも、彼の持つ力は他を圧倒していた。レイと同じく、アカデミー時代から。赤服を飾り、ザフトのエースと呼ばれてやがて白服を纏ったその勇姿は彼の磨け上げた努力の結晶なのだ。
戻った記憶が薄やかに思い浮かぶ。『自分もラウのようになりたい』子供心ながらに様々な努力をし、その一方でラウとは違った才能をピアノという形で発現させ、ラウと自分は同じだが、レイとしての凄さを養父、ギルバート・デュランダルに見せたかった。その結果が偶々学園トップという地位に上り詰めていただけで、彼自身にとっては当然の結果としか思っていなかった。
才能は自身のポテンシャルのスパイスでしか無い。自分と同じ同年代の少年少女の中で育ち、努力こそが己の本当の力を引き出せる鍵だと分かり得て結果を出したレイには、ナチュラルだろうがコーディネイターだろうがそんな些細な事など関係なかったのだ。己を戒める生まれながらの卓越した空間認識能力も、自分を個性付ける為のモノ。ラウを意識していない時のレイはいつだってそう考えていた。
この世界の人種の多様さに反して、種族間のいざこざが殆ど無い―――それでも、天子や衣玖が言うには過去に人間と妖怪との対立は少なくなかったと聞いた―――幻想郷とコズミック・イラと比べれば自分達の世界のほうがよほど恥ずべき事なのだと、レイは思う。
短い逡巡から頭を切り替えて、レイは今ある自分たちの状況へと意識を戻す。魔理沙は永遠亭でレイの前に現れたあと、レイの罪の償いまで自分達と坑道を共にすると宣言した。そして、レイとしても自分のしたことに対して償う意識はあったものの、それを行う道を見失っているからには、彼女と組まない限り自分の罪は精算できないと判断していた。
だから、なんの抵抗もなく魔理沙と共にすることにした。天子達も意見はなかった。
まず、八雲紫の居場所を特定しようとしたレイは嘗て夢の世界で出会った時のことを思い出した。さり際に彼女はこう言い残したのだ、『冥界に聳えし天帝の楼閣』と。
それを魔理沙に伝えればたちまちこう言った。
『そいつは外の世界に伝わる古代の伝説の一節だな。以前、パチュリーの図書館で読んだ。冥界は文字通りの場所でいいとして、天帝の由来は外の世界のとある国のお偉いさん、つまり神を指すんだ』
『私の“天子”っていう名の由来も外の世界に存在する伝説を元にしたわ。天帝の子、だから天子。天帝は伝説でその権力から、あらゆることに対する権力を持っていたと聞くわ。その内の一つに、一人の天才的な詩人の死の為に天帝が作った楼閣があるの』
私知ってる、と言わんばかりにそれまで黙り込んでいた天子が言う。そして衣玖も天子に続いた。
『嘗て文の才に恵まれた文人達が逝く先に有るという、白玉の楼閣………その名を由来とした同名の建築物がこの世界の冥界に存在します』
『そうだな、それが紫の指した場所だ。つまり、私らの向かう場所はただ一つだ』
冥界に聳えるという、“白玉楼”。そこが八雲紫が指す場所というのならば、例え罠でも進む。レイはそのつもりで、他の三人も考えを曲げなかった。自分達はそこへ行く必要があるのだから。
そこへ向かうには、冥界に向かう必要がある。冥界への入り口は目の前の扉“幽明結界”以外にも存在するのだが、白玉楼への近道はここが一番だとは魔理沙の言葉だ。しかし、当の扉は人間が通れるほどの隙間がかろうじて開いてはいるものの、“レジェンド”が通れるほどではない。機体抜きで奥に進む考えも閃くが、それでは万が一紫の罠があったとして、自分の存在は足手まとい以外の何物でもなかった。
「まあ、その機体で来てみたはものの、このままじゃこの奥には入れそうにないよなぁ…どうしても行きたいってんなら、多少遠回りになるルートもあるけど、今からじゃ時間もかかるし、どうしたものかね」
魔理沙が箒に乗りながら首を傾げて「うーん」と唸っている。その間に天子が衣玖に「私達で扉を無理やり破るってのはダメなの?」と聞くが、「そんなことをすれば現世が幽霊で埋め尽くされてしまいます」と答えた。
数秒考えた挙句、レイの出した答えは単純なものだった。
「魔理沙、前から離れていろ。天子と衣玖は衝撃に備えろ」
「な、何をするつもりなの?レイ?」
「決まっている、“レジェンド”の兵装を使うまでもない。扉は開けるものだ」
目元のコンソールを操作し、“レジェンド”の出力を戦闘機動同等にまで引き上げる。“デスティニー”から継いだハイブリッドエンジン、“ハイパーデュートリオン”から生み出されるパワーが、機体の隅々まで行き渡り、“レジェンド”の目に当たるデュアルセンサーが眩く輝く。そのままレイは操縦桿を握り、機体を幽明結界に接近させると、扉の取っ手をマニピュレーターで掴ませた。
「お、おいまさか!?」
魔理沙の予感は直ちに的中した。レイはただ無言で、“レジェンド”に扉を開け広げさせようと操縦桿のレバーを押し込んだ。
スラスターからの凄まじい熱風を吹き出しながら、宙に浮く“レジェンド”は力づくで扉を開けようと奮闘している。フレーム無いから響き渡る駆動音が、機体の中にいるレイらを包み、マニピュレーターで掴まれた霊感したたかな妖怪樹で出来た幽明結界の扉は、摩擦でマニピュレーターの手先から黒ずみながらも、徐々に固く閉じていた扉を許しつつあった。
重苦しい音鳴りが辺りに響き渡り、幽明結界の扉が開放される。隙間から見えていた向こう側の空間は、陽の光が薄い、霧の強い世界だ。あれが冥界。死者が現世から消え入る先に行き着く、もうひとつの世界だ。その奥へと“レジェンド”が進み、離れていた魔理沙は圧巻されながらも、すぐに機体の隣へと併行する。
「ったく、レイ!お前は無茶やってくれるなあ、全く!下手をして結界が完全に壊れでもしたら、現世と冥界の仕切りがなくなって大変なことになってたんだぜ!?」
「丁度モビルスーツと同等の大きさだ。俺の見立てでは、あれをモビルスーツ専用の手動の扉と考えれば、通れると判断しただけだ」
「お前…顔に似合わず無茶なことをするんだな……」
「友からの譲りだ。問題ない」
隣並んで飛ぶ魔理沙からの評価を受けつつ、レイはすみれ色から更に濃い紫色の空間を進んでいく。高度を下げていくと次第に地面が見え、出力を抑えて“レジェンド”が巨体を下ろす。モニターを使って辺りをスキャンして危険の存在が無いことを知ると、“レジェンド”は灰色の地面を歩く。何しろ、上空は霧やモヤが酷くて、方角さえ満足に知り得ないのだ。鉄の塊を無理やり飛ばすモビルスーツが途中、山にでもぶつかりさえすれば、いくら機体が丈夫でも中身は溜まったものではない。一旦地面に降りて高度、方角、行き先への地理を再確認した上で、レイは進もうとした。
重い金属が地面を鳴らしながらしばらく魔理沙を頼りに後ろを続くと、紫色のモヤの向こうで光り輝く炎が二つ並行して連なっているのが見える。その間にモニターのズームアップをさせると、巨大な階段が天井へ続いているのがわかる。ここへ来ることが少ないのだろう、天子もその階段を目で追いながら小さな感嘆をあげていた。
「この先が白玉楼へ続く階段だ。これを伝って飛べば、“レジェンド”も冥界の空を飛べるだろ。さ、いくぜ」
「ああ」
返事をして、レイはスラスターを巡らせて再び宙に機体を浮かせる。今度は魔理沙の先導も必要ない。彼女は機体の隣を飛び、天子と衣玖は息を呑みながらレイの背中越しに外を眺める。直後、機体のレーダーに一つの反応が示されたと同時にレイの中で電流が走った。
「来るぞ!!」
レイの一括と同時に、“レジェンド”の装甲に何かが打ち込まれることがわかった。恐らくは先ほどの反応が放ったビーム。この世界の言葉で言うならば、“弾幕”と呼ばれるものだろう。霊力の生むエネルギーはVPS装甲を貫通できないが、攻撃を受けてなにもしない訳ではない。“レジェンド”は何者かの攻撃から防ぐべく、手甲部に取り付けられた防御兵装“ソリドゥス・フルゴール”を起動させ、ビームシールドを貼って難なく防ぐ。
打ち込まれた矢じり型のビームは、シールドに触れた途端、煙を散らして辺りに舞った。霊力のエネルギー変換による形態変化だ。煙幕型の弾幕を打たれて、モニターは白一面に染まる。すかさず遠赤外線対応モードに切り替えて前を見ると、空へ続く階段の奥から、小さい人型の熱源がこちらに向かっていることが分かった。
「レイ、私を出して!」
「天子!?」
「いいから出して!」
反撃しようにも、モビルスーツの力では強すぎる。襲来者を殺してしまっては、この奇襲の理由を問うことが叶わない。また、ここへ来たのは人を殺すためではない。レイは天子に従い即座にコックピットを開放して、彼女の空へ出る道を開いた。
「せやああああああっっ!」
勢い有る喝と共に、煙を払って緑衣の少女の姿が見えた。その手に握っているのは彼女の身長と同じくらい、もしくはそれ以上の大きさの刀で、外に出た天子がそれを“緋想の剣”で受け止めた。甲高い金属音が一発響き、天子が刀を受け流して横薙ぎを入れると、その身体は大きく後ろに飛び退き、階段の上段に降り立った。
霧の中、目を凝らしてみると小柄な少女だった。モヤに混じった銀髪のショートヘアは自身の着地とともに小さく揺れ、切り揃えられた前髪の奥にあるのは刀の切っ先のように鋭い視線と、明確な敵意。腰に控えているのは、既に抜き去った刀の鞘と、未だ抜いていない脇差が添えられている。彼女は、抜き身の刀をこちらへと携え、意気揚々と宣言した。
「私は白玉楼の主に仕える、魂魄妖夢!この度は主の盟友、八雲紫様からの予見により貴方達の襲撃に迎え撃てとの命を賜りました!!」
「………やっぱ、ここで来ると思ってたぜ妖夢。前にも似たようなこと、あったよな私ら。お前が話も聞かず、いきなり斬りかかってくるの」
「以外ですね、霧雨魔理沙。貴方も来ていたとは。お聞きした話の中には、貴方の存在など一つも聞かされていなかったのですが。まあいいでしょう、気ままな貴方らしい」
「こちとら居候生活から脱却したんでね、わけあって水先案内人を絶賛営業中だ。今回は特別にタダでな」
「貴方がいたところで、私の受けた命【めい】に代わりはありません。貴方がそちらへつくのなら、場合によっては貴方も斬る」
魔理沙は彼女と顔見知りのようだった。妖夢の険しい表情と殺気立った雰囲気に対して陽気な口調で返しているが、モニターのズームを魔理沙に合わせると背後に回した左手は明らかに八卦炉を忍ばせているのが見える。ああ言いながら、いつ相手が来てもいいように反撃の準備を怠っていないのだ。つまり、彼女は戦う準備をしていた。
―――やはり、八雲紫は俺達をここへ招き寄せたのだ。
たった今、確信した。彼女、魂魄妖夢の言葉によって。ご丁寧なことに、女一人けしかけてまで出迎えの準備までこしらえているとは、自分達もなかなか相応の扱いを受けたものだと、レイは自嘲するように鼻を鳴らした。
「紫様の名により、貴方達の力量を確かめさせて頂きます。お覚悟を!」
細腕に見合わない軽々とした動作で、長い刀を正眼に身構える妖夢。
「どうします?このままじゃ楽に通してはもらえないようですよ」
「だな、脇を抜けて前に行こうにも、妖夢なら死んでも追いかけてきそうだぜ。あいつは半人半霊だから、半分死んでるようなものだけどな」
コックピットに残った衣玖と外の魔理沙が、隣からスピーカーを介して皆に尋ねる。その問いに天子が剣を構えながら、
「決まってるじゃない、道は切って開くまでよ。永遠亭でゴロゴロしてたりさっきまで“レジェンド”の中に篭ってばかりで、鬱憤を晴らしたいと思っていたのよね、こっちは!」
天子は迎える気満々のようだ。彼女のあの力と自信から、恐らく妖夢は人間ではないのだろうが、モビルスーツに対して小娘を単独でけしかけるとは自分達も馬鹿にされたものだとレイは思う。多分、この戦いには別の意図が含まれているのだ。もしかすれば、天子といい、魔理沙といい、喧嘩っ早い女の間で流行っているのか幻想郷なりの挨拶の一つなのかもしれない。
―――ここまで近づかれては仕方がない…
なら、応えてみせるのが筋なのか。
「頼む、天子」
「その言葉を待ってたわ、レイ。私一人で、あいつを押し退けてやるんだから!」
天子から寄せられた信頼に賭けて、レイが頷く。しかし天子の自信たっぷりの行為に、妖夢はとても心外そうに顔を不愉快に染めた。
「拍子抜けです。その機械人形と共に一対多数を予想していたのですが、たった一人で、しかもその緋想の剣の力を過信した貴方ではまるで、私に倒されたいって言っているみたいですね」
「幻想郷での決闘のルールは敗者が勝者に従う。あんたを従わせるには、どうせ勝つしか無い。前に天界で言ったわよね、『地上で人間と妖怪が戦うように……私はあのやりとりに憧れている』って!今はレイの為に戦うけど…あんた見たいに刀剣の使い手を戦えるなんて、滅多に無い機会だからね。とことん楽しませてもらって、勝たせてもらうわ!」
「その唯我独尊な物の言い方…やはり私と貴方の相性は最悪のようです。本気で腹が立ってきます」
「なんとでも言いなさい、精神攻撃も戦術の一つよ!」
「ったく、天子の奴。私らは急いでいるんだが…ま、これも幻想郷の日常茶飯事か」
緋想の剣の炎のように揺らめく刀身と同じくして、天子の瞳も燃えている。幻想郷での決め事は、時に互いの力をぶつかり合わせて主張を通すということが行われていると聞いた。今がその時なのだ。俺と“レジェンド”はこの世界の部外者なのだから、二人の戦いに水を差す訳にはいかない。それが例え、俺にとってはどれだけ下らないものでも。
不思議と天子の言葉に頷く気があったのは、俺がこの世界に住み着いてこの世界の勝手を知ってしまったことと、これが生死に関わる戦争とは違うことだろう。俺が紫に対して殺意を持っているが、ここを塞ぐ妖夢と、道を開ける事を要求する天子との争いは、幻想郷の当人達の問題なのだ。“レジェンド”で力づくで通るのはたやすいが、こちらの主張を通すためには戦って、勝つしか無い。
大丈夫だと思った、レイには。これは命にかかわらないスポーツと同義ならば、好きな様にやらせたほうがいいと。今ばかりは、紫に対して心の奥底に抱いていた怒りも、憎しみも、不思議と消えていた。
「どんどん腹を立てて魂魄妖夢! 貴方が私を懲らしめないと、私達は止められない!」
「幽々子様の友、紫様から受けたこの戦い。この楼観剣で、貴方も!私の弱さも!全て断ち切る!」
前口上が終わると同時に、天に跳んだ少女の影二つが交錯する。銀と真紅の刀身が火花を散らし合い熾烈を極める少女たちの戦いが、始まった。


―――また、この場所に足を運ぶなんて。
シンはアリス、にとりと共に再思の道を抜けて再びあの灰色の世界へと向かう。にとりに捕まる形で身体を浮かし、アリスの人形でシンの体を乗せる絨毯を作り、彼女達とともに空を駆ける。にとり一人の力ではシンを満足に運べないからだ。実のところはアリスの人形を数揃えればアリス一人だけでシンを飛ばすことは出来たのだが、にとりはシンを「私が連れて行く!」と言って聞かないから、アリスはにとりの意思を助ける形で人形を飛行の補助にあてがったのだ。前回は霖之助の情報から魔理沙に連れられる形で今はなき“デスティニー”でこの世界に流された“フリーダム”を回収するために向かったのだった。
『忘れ去られた物、不要となった物が流れ着く場所』とはアリス、霖之助の言葉だが、その場所へ流れ着かなかった自分は一体どういった要因でこの世界に迷い込んでしまったのだろうかと、シンは二人に吊らされる形で飛びながら無言で考え続けていた。
また、アリスはこうとも言っていた。『幻想郷は全てを受け入れるけど、この世界は常に均衡を保っている』『力が現れたのなら、必ず同じだけの存在も幻想郷は引き入れる。信じられないかもしれないけど、これが幻想郷』だと。
仮にだが―――
無縁塚ではなく、幻想郷の空に現れた自分と“デスティニー”は例外だとして、キラが使っていた“フリーダム”が“ストライクフリーダム”という新しい力の存在により、不要と判断されて『忘れられた存在』になってしまった事は代えようのない事実だろう。そして、“フリーダム”がこちらへと来てしまったことで、『同じだけの存在』として引き寄せられたのが、あの“レジェンド”の原型と思わしき、灰色のモビルスーツならば、“デスティニー”が失われた今、湖に現れた“レジェンド”と同等の存在を幻想郷は引き寄せたのか。もしそうだとすれば、“レジェンド”と同クラススペックのモビルスーツは非常に限られることとなる。
ここでシンは頭の中で数々の機体に関しての情報を整理する。“レジェンド”と同時期に開発された最新鋭機は自分の愛機である“デスティニー”であり、これ以上の能力を有するハイエンド機は、全大戦終戦後、物資と急変した政治的事情から未だ開発どころか確固としたプランも確立されていない。
ならば、これから目に入るのはザフト以外のモビルスーツの可能性があるのか?これもハッキリ言って考えにくかった。何故ならばハイパーデュートリオンを装備したハイエンド機はキラの“ストライクフリーダム”、アスランの“インフィニットジャスティス”以外には存在しないのだ。これは、現オーブ・ザフトのフラグシップマシンであり、また莫大な予算と技術の塊であることからスペックそのままの量産は現状では不可能とされていて、さらにはその機体の常識はずれな性能と火器管制システムの複雑化から、キラとアスラン以外には戦闘機動不可とまで判断されている。
“ストライクフリーダム”に次ぐザフトのプロパガンダの象徴である“デスティニー”も、改良を重ねられハード面ではヴォワチュール・リュミエールの改良型等、ソフト面では更に処理能力が向上したOSを搭載し、パイロットであるシンも数々の経験と鍛錬からキラ、アスランに勝るとも劣らない実力と精神の強さを身につけた。その機体を失った今、シンに心からの信頼を預けられる機体など有りはしないはずなのだ。仮にあったとしても、シンには“デスティニー”程の愛着と熟知した機体の癖から、以前と同じ様に扱えるかどうかもわからない。そしてにとり達河童も、機体が違えば整備性も当然異なるのだから運用法にも支障が出る。
最後の綱に不安を隠せず、冴えない顔のままでいるシン。その事を飛ぶ間にとりに聞いてみたりすると、彼女は何の憂いも無く、ただこう言った。
「大丈夫。お前の機体は絶対、私が守るから。どんな機体だって私の前には朝飯前だ」
その言葉を聞いてシンの心は幾分か軽くなったような気がした。そうだ、機体の心配は無い。それよりも早苗。彼女が今どうしているか、これが終わった後で明らかにしなければと、彼の中で新たな決意が生まれる。


だが無縁塚に着いた直後、降りたシンの眼の前に広がったのは信じられない光景だった。
「そんな…!なんだよこれ…!?」
絶句の後に、シンは目を見開いて言った。三途の川の傍で早苗と誰かが戦っている。地に伏せる傷だらけの早苗の前に、嘲るかのように天から見下ろす人影がいる。
あれは誰だと思い、直ぐにわかった。あれほどの華美な姿と凛々しき顔つきをを見間違う筈がない。紅と白の神秘的な二色を纏った少女の姿は他のだれでもない。自分がこの世界にきていの一番に信頼を寄せ、優しい表情と親身に尽くしてくれた態度から自分にはいない姉の姿をも重ねたその人は、自分にとって大切な人の一人。
「霊………夢……さん?」
この世界に来てから、信頼を寄せた女性【ひと】。自身の進むべき道を授け、時にはその優しさで無力なシンの力となり、時には厳しく自分達を律する頼れる人。その人が、シンの前で浮かべていた柔らかく、暖かな顔を捨てて無常にも早苗へと両手に持った真紅の針を突き出している。
今見ている景色にシンは圧倒される。只々何も言わず、霊夢は針の一本を早苗の肩口へと突き刺した。早苗の口から嬌声にも似た悲鳴が聞こえた者達の耳を刺激する。肩に打たれた針から一筋の血が流れ出るのを押さえながら、早苗は赤く染まった瞳で霊夢を睨みつけ、御札を投げつける。
その全てが無意味だった。対妖怪用御札の使い手は、霊夢でもある。当然対処法も熟知していた。自らの身体に命中するよりも先に霊夢は両手の退魔針で札を絡めとり、早苗へと返す。瞬く間に早苗の周りの石畳で爆発が起きた。早苗の衣服は痛み、爆発の衝撃で飛んできた小石が早苗の身体を叩きつける。痣や傷を見せながら、早苗はその華奢な体を吹き飛ばされ、無縁塚に流れ着いている機体の横にまで吹き飛ばされ、力なく横たわる。
その機体の影を凝視して、シンはさらに驚いた。
消えたと思ったはずのそれが、そこにいる。失った自らの力が、ここにある。蒼穹の空を駆ける雄大な翼が、三途の川の無機質な灰色の水面に身体を半ばまで沈めてそこに佇んでいる。
「あれは……“デスティニー”!?」
傍にいたにとりが誰よりも先に驚嘆の声を上げた。シンも同じ気持ちだ、そこにあるそれはシンの心を揺さぶる。だが、今はそんなことすらも二の次だ。
だから、もう見ていられなかった。シンは衝動的ににとりの手を離し、人形の上から地面へと跳び下りる。幸い、無縁塚に近づくに連れて高度を下げていたのが幸いだった。瓦の地面に叩きつけられたシンは、地面を転がり、小石に全身を刺されながらもなんとか立ち上がり、必死に走る。
「あの人が………そんな、なんで!?」
「シン君!落ち着いて!」
「こんなことがっ…落ち着いてられるかって!」
背後からアリスの呼ぶ声が聞こえるが、構わなかった。確かに、目の前では霊夢と早苗が戦っている。いや、もはやこれは戦いではない。幻想郷の決闘でもない。蹂躙だ。今までに見せたこともない霊夢の圧倒的な力が早苗の身体を、心を支配し、絶望という色に染め上げる。早苗の顔は霊夢をにらみ、その瞳は死んでこそいない。だが、その目には涙を潤ませ、血まみれの身体で機体の傍に這い寄る彼女の姿は、見ているだけでも心を締め付けられる。
だから、シンは叫んだ。
「ちっくしょおおおおおおおっ!」
―――俺の仲間を…傷つけるなっ―――!


「シン……っ!」
ああ、これは幻なのだろうか。けれども、全身の痛みが。耳から入ってくる響きの心地よさが。自らの彼を思う気持ちが。『これは現実だ』と強く訴えてくる。
痛む左肩に差し込まれた針を血で滑る手で押さえつつ、怒れる瞳を霊夢に向けていた早苗は、少年の叫びを聞いて堪らず涙を流した。死んだと思っていた。だが生きていた。あの爆発の炎に消えたと思っていた少年が、確かにそこにいる。その後ろに目を向ければ、にとりもいた。この事に喜ばずにいられるものか。怒りと憎しみで動いていた全身が弛緩し、早苗は完全に地面に横たわる。戦いの最中には見せてはならない無防備な格好だ。安堵から、力が抜けてしまったのだ。
そこを逃さまいと霊夢が針の一本を突き出してきた。狙いは胸部の中心。霊夢からすれば外しようがなかった。
それを駆けつけたシンが受け止める。霊夢の細腕をシンがしっかりと引き込み、霊夢の意識をシンへと無理やり変える。シンは霊夢を引き込み、針を持つ両腕を押さえつけた上で、霊夢へと叫んだ。
「やめてくださいっ!霊夢さん!」
その時、初めて霊夢がシンの方を向いた。しかし、その優しさのこもっていない瞳で。
「貴方ともあろう人がどうして……何でこんな事になるんだよ!」
シンの悲痛な叫びが早苗の耳朶を打つ。その声の一語一句が聞こえる度、早苗は泣きそうになった。もう戦える力と意志をなくした早苗は、ただの女でしか無い。奇跡を操る巫女である以前に、早苗は恋する女だった。
だから、シンのせいで戦えなくなってしまっていても、「それでいい」と早苗は思った。


「シン…!」
霊夢が初めてシンに唇を開いた。血色の良いその端正な顔も、柔らかそうな唇から発せられる声も、同じのようで全く異なっていた。
シンの知る彼女は、こんなものじゃない。こんな冷徹な目をシンは見たことがなかった。シンの知る霊夢は、少し大人げで、頼れる雰囲気があって。でも時々女の子らしい部分が見えるところもあって………それらを含めてシンの知る霊夢だった。イメージでしか考えたことのない姉のような存在が、霊夢だったのだ。この世界に来て、にとりに連れられて出会った時から、仄かな行為をシンは霊夢へ抱いていた。まるで、新しい家族が出来たかのような温かな思い。いや、実際に家族だったかもしれない。一緒に暮らすにとりも、早苗達も、小傘も。共に生きていくことを分かち合った時点で、それはもう家族と変わりないのではないのか?
普段は多忙そうな霊夢から、一緒に過ごした時間はにとりたちに比べれば少ないが―――この世界に来てから出来た絆は、シンと霊夢をも強く繋いだに違いない。それなのに。
「こんな事、もう許しては置けません!」
シンの握る手が強くなる。もっと力を込めれば、その細い霊夢の腕は折れてしまいそうにも見える。けれども、霊夢はシンに対してもその瞳を変えなかった。表情を露わにしなかった。その代わり、
「どきなさい、シン」
早苗にも向けた無情な声を、シンにも浴びせた。
「どかない、絶対!」
「貴方の霊夢が言っているのよ!」
しかしシンは真っ向から感情を言葉にして拒絶を表す。
違【たが】える道にいる霊夢を止めんとするために。
「大体!何でこんな事になったんだ!霊夢さんが早苗を襲うなんてこと、あってはいけない事なのに!」
「それはシンがそう思っていただけよ。私は確かに、“ここ”にいてこれをしている。それは現実でしょう、シン!」
「だったらなんで……貴方は、霊夢さんは“そこ”にいるんだ!なんでそんな虚しいことをしているんだ!」
「そんなこと、決まっているからよ!」
その瞬間、霊夢の身体の像がブレた。目の前から消えたと思った瞬間、文字通り僅かに透けた霊夢が不意にシンの足を払い、掴む手を退けて転倒したシンの目の前に針を携え、透けた霊夢の姿が元に戻る。全く反応できなかった。霊夢の持つ天部の才とその身体に宿した力、“夢想天生”が鍛えたシンの反射神経を持ってしても、微塵も捉えきれなかったのだ。
これが、幻想郷の巫女。只の人間とは違う、妖怪にも匹敵する力を有した者。見た目は何も変わらないはずなのに、その身体能力は明らかに軍人であるはずのシンを上回っている。霊力による超常を無視してもだ。例えシンがナイフ戦に持ち込んでも、今のような捉えきれない動きをされたら勝てる見込みは、万に一つもない。これほどの彼女を、シンは見たことがなかった。
「私は幻想郷の巫女。誰の味方である以前にいつだって幻想郷の味方なのよ。そして、幻想郷の行く先は賢者が決める。私はそれに従うだけよ!」
「そんなの、霊夢さんの意思とは関係ないじゃないか!貴方には、貴方の意思があるんじゃないのか!?」
「子供が生意気に、知ったような口を!」
「やりたくないこと、子供でも、分かることだろ!?」
やりたくもないことを、誰がしたがるものか。嫌がることを、子供でも大人でも進んで行うものか。この行為に霊夢の意思が無いのなら、誰かの手引きが介在していることとなる。だが、それは誰だ?誰が霊夢を裏で操っている?
『今回の異変は早苗の方に任せちゃって、私は休暇をもらう事にするわ。“あいつ”に怒られるかもしれないけどね…』
不意に脳裏をよぎった言葉が蘇る。あれは初めて二度目の“フリーダム”の出撃で、これから天子の元へ向かおうとしていた時か。霊夢が“デスティニー”の装甲となる金属を生成しようとにとりの作業場に残った時だ。
あの時零した“あいつ”とは一体誰を指していた?霊夢をそそのかしたのは一体何のために?考えても考えてもその先の真意は読めない。それよりも、今は霊夢を止めることが先だ。
「シン君!霊夢、これは一体どういうつもり!?」
「そこで動かないでアリス。久しぶりね、随分と。でも、今は再開を喜ぶだけの余裕はないの。私も、貴方も」
「シン!霊夢、お前!」
「貴方も一緒よにとり。動けば討つわ、シンを」
後から駆けつけたアリスが戦闘用の人形を取り出そうとした瞬間に霊夢が静止させる。
その横にいるにとりも叫ぶが、双方ともに動きを封じられたシンのために手出しをすることは出来なかった。
なにか手はないのか。
喉元に突き立てられた針に対し、必死に考えを巡らせるシン。近場にある適当な石を投げてみるか?いや、さっきの動きを使うまでもなく霊夢なら躱せる筈だ。ならば、なんとかして早苗を連れて逃げるか?それでは霊夢を止めるという根底から外れているし、霊夢の飛翔ではアリスのサポートがあってもけが人を連れるのは難しい。
八方塞がりの状況にシンは息を飲み込む。霊夢のその手が何時自分へと突き出されるかもしれない事に、シンは焦りを感じた。その時だった。
無縁塚の彼方から、爆音が起こった。無機質な静かな世界に、戦いの色が灯る。今この瞬間がすべてだった。シンは必死に霊夢の手にある針を蹴り弾き、虚を突かれた霊夢の隙に早苗を連れ出し、触れた身体が早苗の血で濡れることに構わず、シンは霊夢から離れた。
「シン!」
バランスを崩しその場に伏せかけるも、霊夢は一本の針をシンへと投げた。早苗を庇うようにして反射的に抱きしめると、地面に勢い良く横たわりながらその凶弾を避ける。そして、シンと早苗へ向かう霊夢に立ち塞がるようにしてにとりとアリスが身構える。
二対一の状況だ。しかし、霊夢個人の力は並み居る人妖を軽く超えるシロモノだ。全く安心できる材料にはならない。緊迫した状況に誰もが息を呑む中、シンは爆発の方向を見やる。そこにあったのは、信じられない光景だった。
「そんな……なんでこんな所に!?」
忘れたくても忘れられない、鋼鉄の巨人。ビームと言う名の死を撒き散らすその機体の群は、思い足音を周りに響かせながら自然に包まれたこの世界を闊歩してゆく。
“ストライクダガー”を筆頭にしたモビルスーツ群。そのどれもの胸部にあしらわれているのは、赤と黒の鋭角的なステッカーマーキング。制式採用機に見覚えのないあのマークは間違いない、あれは正規の機体ではない。シンがこの世界より来る直前に戦っていた勢力、つまりテロリストの機体だ。眼の前にいるのは、その残党か。一瞬で、戦争から離れていた頭が引き戻される感覚に襲われ、シンは目眩がした。
その足元で、爆風を避けながら地面を低く飛んでいる人影が有る。赤い髪、藍色の着物を翻して大鎌を持つその姿。小野塚小町だ。彼女はまっすぐにこちらへと向かいながら、その後ろをダガーが追う。彼女は小気味よい動きでダガーの75mm対空自動バルカン砲塔システム“イーゲルシュテルン”を躱すが、周りの着弾の衝撃に身体を傷つけられながら、徐々にその勢いを失わせている。
「あれは……!?“ガンダム”?いや、違う……あれが“ガンダム”で有るはずが…!」
腕の中にいた早苗がシンと同じ光景を見て目を見開いた。信じられないものを見ているのだ、彼女は。早苗にとって、ガンダムは希望の象徴であり、シン達異世界の住人の駆る唯一の力。それが妖怪一人に対して暴力の限りを尽くしていることに、何の失望も抱かないことなどありえない。生産性を重視されたその簡素なフォルムから吐き出される暴力は、一つだけではなかった。その数、およそ10機。どれもバラバラの機体だ。中にはモビルアーマーまである。そのどれもが本気で小町を殺しにかかっていない。なかには攻撃をせずせせら笑うかのように見物している機体まで有る。元気な獲物を追いかけまわし、弱らせた後でじっくりと狙っていく四足獣の肉食動物のように狡猾に、わざとターゲットサイトをずらして小町を追い詰めているのがシンには分かる。奴らは遊んでいるのだ。見つけたばかりの玩具、すなわち空を飛ぶという超常の力を宿した人型に対し、テロリスト共は愉快にも機体を使ってまで彼女をなぶっているのだ。
今直ぐ彼女のもとへ行かないと。しかし、にとりとアリスの目の前には霊夢がいる。この場を動こうにも、狙う彼女の針を避けて、川の“デスティニー”にまでたどり着くには難しい。
「霊夢、一時休戦だ!まずはあいつらをどうにかしないと、幻想郷の他のところにも被害が!」
にとりが悲痛に叫ぶ。その判断は最もだ。モビルスーツに対抗できるのは、この場にある“デスティニー”だけ。それを操れるのはシンのみだ。今この場を争っていても、あの機体によって更なる死が撒き散らされるのはあってはならない!
「……私は貴方達と袂を分かったのよ。私が貴方達の言葉を聞く道理なんて、無い」
「霊夢、お前!」
「だけれど、いくら私でもアレをそのままにしておくことなんて出来ないわ。私は小町の方へ行く。貴方達は好きにしなさい」
霊夢はそう言い残し、地面を蹴ってその場を後にする。無謀とも取れる行為ににとりが必死に呼びかけるが、霊夢が止まる素振りどころか、耳を貸している様子もない。霊夢自身も危険にさらされるというのに。
「シン君。あの機械人形、動かせるんでしょう?だったら早く!」
「そんなことわかってます!」
アリスの言葉を勢いで跳ね返して、早苗の身体をゆっくりと地面に下ろす。そして、機体の下へ駆け寄ろうとした瞬間、何かに弱々しく足を掴まれた。それは地面に倒れ、霊夢からの痛みに耐えながら苦悶の表情を浮かべる早苗だった。
「シン」
振り向くと、早苗の顔は悲しみで覆われていた。傷だらけになり、血で塗【まみ】れ、ボロボロの身体と疲労で弱くなった力で縋るようにしてシンを掴む。
いや、事実縋っているのだ。早苗は一度、全てを失った。あの時、湖の前でシンを失ったと思った時から。そして、失ったはずの彼が再び目の前に現れた。その事に平然としていられない。早苗の中身は、嬉しさもあり戸惑いもあり、そしてやっぱり自分はシンの事を思っているのだと感じれる。だから涙が止まらない。愛しきこの少年が戦場へ向かおうとする姿を眺めているのは、辛い。
「早苗………」
シンは、悲しい表情になった。それを見ただけでそうなったのだ。彼女はいつだって自分の事を思っていることは分かっている。だから、早苗がその表情を浮かべているのも自分のせいだということに気付き、いたたまれなくなる。
これから戦場に向かう。残された者はそれを送り出すことに対してどれほどの悔しさと悲しさを持つだろうか。考えるだけでシンは切ない。
けれども、早苗は。
「行ってください……今の私には、何故貴方がここにいるのかも、何故あのモビルスーツ達が暴れているのかも、分かりません」
息も荒げに震える細い手でシンを捉え、早苗は己の情念を言葉にする。
「けど、あれは貴方にしか止められません」
早苗はほんの一瞬だけ、シンよりその背後に聳える灰色の“デスティニー”へと目を移した。蘇りし戦神、機械人形。その翼は少年の確かな力となり、未来を、運命を切り拓く鍵。それは、この眼の前の悪夢の光景を変える大いなる力であり、早苗にとっての唯一の希望。
「だから、今の私は貴方にこう言うことしか出来ません」
視線を戻し、早苗の顔が緊張と痛みから解放されたように、柔らかく微笑む。それは慈愛を包んだ、愛する者への送辞だった。
「たたかって。シン……!みんなのために!」
純粋な思いを形にした言葉。シンは託された思いを噛み締めるように拳を強く握りしめる。今は戦うとき。失ったはずの愛機“デスティニー”で今一度飛び立つ時。運命を切り拓く時。
「早苗だけじゃない、私からもお願いするわ。シン君」
「アリスさん…」
「私からもだ。私にとっても、今幻想郷で何が起こっているのか予想もつかない。けど、戦いを止めることができるのは…お前だけなんだ!」
「にとり…」
アリスもにとりも早苗に続く。今この時、楽園は終わったのだ。このままダガーを逃しさえすれば、幻想郷の住民は今まで経験したことのない戦いの炎に襲われることとなる。だから、シンは早苗の、彼女達の言葉に応える。
「ああ、分かった!」
雄々しく返し、シンは“デスティニー”の元へと駆ける。その背中を早苗は見つめ、一筋の涙を流した頬が煌めいた。


コックピットハッチを開放し、中の操縦席へと滑りこむ。機体が同じならば内装も全く同じだった。操作性に支障は無かった。目の前で小町が襲われているのだから、パイロットスーツに着替える余裕も時間もない。このまま行く。
OS起動。[Gunnery United Nuclear-Deuterion Advanced Maneuver System]、G,U,N,D,A,Mの名称が縦並びに浮かび上がり、同時にコックピット全体から聞こえる駆動音、機体の産声にシンは包まれ、これまでの戦いで培った経験と腕の自信が相まり、燃え上がるような高揚感に満たされていくのが分かる。
しかし、機体をすぐには動かせなかった。新しく機体を手にしたのなら、必ずパイロットが行う通過儀礼がある。OSの再調整だ。モビルスーツは、鋼鉄の身体というハードウェアと、OSによるソフトウェアが合わさって初めて一つの戦士として戦える。ハードそのものはマスプロダクションで製造されても、乗る人間は一人一人全てが別物だ。その人間に合わせた設定をしておかないと、モビルスーツは戦えない。そして、この新品同様の機体は内装も傷み一つもないことから察したとおり、OSもシンの設定とはまるで異なっていた。
―――やっぱり、これは俺の機体じゃない…!
思うより先に、手が動く。メンテナンス用キーボードを取り出し、完璧に覚えている最低限の必須項目だけを全て塗り替える。OSの情報量は膨大だ。腕一つ動かすだけでも、沢山のプログラムが合わさって初めて稼働するのだ。中でもこの“デスティニー”は機体の各所に分割装甲機構を取り入れており、OS側でそれらの制御も行う。取り分け、整備側からも「これほど複雑化した機体の整備には音を上げる」と、シンは友人のヨウランやヴィーノからも聞かされていた。
「アイドリング解除。運動パラメータ更新、戦闘機動は大気圏内及び1G下のマニューバに最適化。っ、川に沈んだ下半身の動きが鈍い?なら、足部の接地圧を合わせ、スラスターの方向と出力で対処。ハイパーデュートリオン正常稼働確認及び、エネルギーネットワーク機構再構築」
項目を復唱しつつ、流れるように両手を巡らせる。見慣れた操縦桿と各ボタン、レバーを何度も触り、感触を確かめる。同じなようで、やはり違和感を感じるのはまだコックピットが作られたばかりなのかシンの癖でこなれていないのだ。僅かな差異が戦場では命取りなのだがこればかりはどうしようもない。手早く設定を終わらせるようコンソールを叩く。
その途中、シンは明らかな違和感に手を止めた。機体のパイロットネーム登録欄だ。自分が最初に乗り込んだ時には、この欄は空白だった。それだけなら手を止める理由にはならない。しかし、この機体に登録された名前がシンの記憶の片隅に引っかかり、それが手を止めるという行為にまで発展したのだ。
「ハイネ・ヴェステンフルス……?ハイネだって!?」
嘗ての上司であり、あの青天井な明るさと大人特有の落ち着きを併せ持った彼を思い出す。当時アスランと同じ特務隊FAITH所属のエースパイロットで、ディオキアで“ミネルバ”に配属された青年だ。
『息を合わせてバッチリ行こうぜ!』
『ザクとは違うんだぜ……ザクとはな!』
まだ量産化に至る前の試作機、“グフイグナイテッド”を駆り、圧倒的な力で並みいる地球軍の機体をねじ伏せる姿が今も焼き付いている。しかし、ダーダネルス海峡の戦中“フリーダム”の介入で混乱した戦場の中、危うくガイアに討たれそうになったシンをハイネが庇ったのだ。武装も盾も失い、既に戦闘不能の機体で。
『ヴェ………!ヴェステンフルス隊長!』
『ふっ…、だーかーら、ハイネだって…』
『ハイネ!!』
ハイネがいなければ、自分の命はなかった。だから、シンはハイネから命じられた命令を戦闘後、忠実にこなした。
ミネルバの便所掃除三回。ブリーフィングに遅刻した罰だ。アスランに叱りつけられた最中、ハイネがとっさに提案した命令事項だ。掃除をしている最中、シンの頭の中では何度もハイネの最期がフラッシュバックしていた。そして今も、あの光景が目に浮かぶ。
そう、これはハイネの機体。ZGMF-X42S-2、“デスティニー”試作二号機、コンクルーダーズ隊長ハイネ・ヴェステンフルス仕様。それが、このもう一つの“デスティニー”の正体だったのだ。
シンは込み上げてくる想いに身を震わせた。一度ならず、二度もハイネの存在に助けられてしまうことに涙した。抑えきれない嬉しさと悲しさが心を包む。霞む視界を必死に拭いながら、残りの項目に手を付ける。フェイズシフトの設定まで手が回らないが、仕方がない。元より複雑なのだから、この場は後回しだ。
接近警報。照準用赤外線レーザーサイトを“デスティニー”が受けたのだ。シンは反射的にレーダーとディスプレイと照らしあわせて敵機をデータベースと称号させる。“ストライクダガー”二機、“M1アストレイ”一機、“ムラサメ”三機、“ウィンダム”二機、“ユークリッド”一機、“ゲルズゲー”一機。ロクな資金もなかったはずのテロリストが、これだけの戦力を持っていたとは。機体そのものはバラバラでも運用に関する動力や殆どの重要な部品の企画は統一されているため、整備用品さえ確保できていればこういった異色な組み合わせも然程難しいものではない。むしろ、企画が統一されていることが裏目に出たのが、ヘリオポリス強奪事件とアーモリーワン強奪事件だ。事実双方の軍でも強奪、鹵獲した機体を積極的に投入している辺り、敵から奪うという行為そのものが戦術の一つとして受け入れられている節は有る。シンは好めない最低のやり口だと思っているが。
シンは手順を早め、“デスティニー”を目覚めさせる。運命の名を冠した、守護神を。
「機体機構安全チェック全スキップ、各桿の感度を再調整、システムオンライン、核分裂炉臨界。パワーフロー正常。全システムオールグリーン。“デスティニー”、システム起動!」
戦う。俺を信じてくれる皆の為に。消えていった者達が遂げられなかった、戦争のない未来の為に!
シンの瞳に、闘志の炎が宿る。
戦いの炎、力の炎。それに応えるように、鉄灰色の“デスティニー”も燃え上がるようなオレンジ色へと姿を変える。ハイネに想定されていた接近戦用の高出力ヴァリアブルフェイズシフトだ。
―――これ以上、なくしたくない!俺達の絆を!
「シン・アスカ、“デスティニー”出ます!」
ハイネの“デスティニー”が重々しい駆動音を唸らせて立ち上がる。人間で言う目に位置するツインアイがシンの昂ぶる感情に応じるかのように眩く輝き、その翼で空を駆けた。


その“ストライクダガー”を操るパイロットは、敵らしい敵もいないこの場所に味方共々迷い込んでから退屈な事に不満を抱いていた。中東生まれで傭兵上がりだった彼は物心ついた時から戦いとは切り離せない場所で育ち、子供の時から生きるために人を殺し続けてきた。地球育ちのナチュラルで戦車に乗り込んでいた時から戦っていた彼はモビルスーツに乗り換えてからも一定の戦果を挙げてはいるが、その経歴からまともな軍に入ることは難しく、各地の紛争や僻地での戦闘に参加して金銭を手にしてきた男だ。
今いる組織も、元々はそれまで手にしたことのない大量の金につられて籍を置いているだけの事だった。旧式は多いが、小規模の軍の基地と比べれば十分すぎるほどのモビルスーツを保有し、さらにはザフトが秘密裏に製造していた機体の奪取任務に参加すれば前金で莫大な手取り金を受け取ることが出来た。自分の為ならばどんなことでもやる。それが、汚泥にまみれた生き方をしてきた者の道理だった。
彼は、ここに来る直前まで一機のモビルスーツと戦っていた。正確には戦場にいただけなのだが、次々とやられる味方機の姿に彼は戦慄していた。
その機体は、強奪した機体と同じ形をした翼の巨人。“デスティニー”。赤い翼を持つ鬼神のような姿は、長刀を振りかざし、次々と塞がるダガーを飲み込んでゆく。死ぬのはゴメンだと判断した彼は密かに撤退し、距離が開いていたことも幸いして気づかれずに母艦へと生き延びることが出来た。しかし、その直後だった。
周りの空間が歪み、内臓機器が異常な値を示し始めた頃、母艦から通信が入ってきた。モニターの向こう側のブリッジも相当パニックになっていたらしく、騒ぐ野郎どもの声で耳が煩わしい。そのなかでオペレーターから聞こえてきた言葉は「何が起こっているんだ」だった。そんなもの、こっちが聞きたかった。
莫大な振動とともに意識を失い、次に目覚めたのはこの灰色の世界だった。陽の光さえ霞んで見えそうな、瘴気に包まれたこの世界に、自分と母艦は飛ばされてしまったのだ。宙間座標も衛星通信も使えないこの場所に飛ばされてから途方に暮れる人間も多かったが、自分は絶望視することもなく艦に構えていた。食料は十分に確保できていたから飢餓に困ることはなく、人工物がこの場には散見されていたから人間が存在する場所であることが分かったから死に恐怖することはなかったのだ。
それよりも、己に足りないのは戦いだった。この地に来てから三日。艦にいた乗組員の幾名かは探索だの何だの言って機体を持ちだしてこの場から離れたが、自分はこの場を離れないほうが安全だと判断した。人が減って食料も当分あるからだ。自分の後ろに控えている九機は、艦に残っていた残りの機体だ。いずれも、関わりの薄い金だけで雇われた有象無象だ。協調性も何もない。だが、数揃えていれば少々腕の立つ相手でも生き延びる確率は上がる。互いにそれだけの理由で艦周辺の警戒にあたっているのだ。
しかし、自分もそうなのだが戦いに晒されすぎた反動で、平穏に耐えられない。彼は九名のパイロットに話を持ちかけ、食料を携帯して艦から離れるよう提案した。中には安全を確認してから離れたほうがいいと懇願する臆病な者もいたが、冷静でいられなくなった一人がその男を射殺した。
艦の中が死体で溢れて、異臭に溢れることを良しとしなかった乗組員の非戦闘員は恐怖から武器も持たずこの場から逃走し、後に残ったのは自分達雇われた傭兵だけだった。
味方の一人は「あんな臆病者なんかどうだっていい」と罵り、得意げに語ってはいたが、食料がなくなればいずれ自分達もどうしようもないことを告げると途端に血相を変えて喚き散らしていた。
そこで、どうにかしてこの場から離れようと自分達はそれぞれの機体に乗り込み、艦から離れたのだ。機体のバッテリーはアイドリング稼働だけならば相当な時間を確保でき、乗り物としては程々に悪くない。乗り心地はよろしくなかったが。
進んでいる最中、自分達は灰色の森から灰色の河原にでた。そこで偶然にも、脳天気にも川の傍で寝息を立てている赤髪の女の姿を見つけたのだ。味方の一人が、女だということに喜びを示し、下卑た声を上げながら機体を降りて近寄ろうとすると、危険を察知したのか女は跳ね起きて、懐から穴あきの硬貨を取り出し、男にぶつけた。
怒り狂った男は機体に乗り、バルカン砲を女に浴びせかける。さすがの気丈な女もこれには抵抗の術がないのか、河原を走りそれを躱す。業を煮やした男はついにビームサーベルを持ちだして振り下ろすが、そこで信じられない光景を見た。
なんと、赤髪の女が文字通り飛んだのだ。身体を宙に浮かせ、重力の柵から抜けたのだ。その光景に自分以外の9にんも通信で驚きを示す。
そんなことも構わずに怒る男は弾薬も構わず浪費する。しかし、これに興味を惹かれた。ずっと退屈だった彼は戦いたくて仕方がない。逃げる的を狙い撃ちたくて仕方がない。女は必死だった。怒る男の方は女の体が目的のようだが、自分は違う。この退屈を晴らしたかった。
乗機のバルカンを唸らせ、女を追い詰める。自分は奴とは違う。弱らせたところをじっくりと追い詰めたいのだ。飛び回る蝶を一瞬で散らしても、面白くない。だから、照準はわざとずらす。怒る男の方はついにバルカンを切らして地団駄を踏んでいるが、自分は少量ずつ、時には地面に伏せさせて追い回した。
奴ほど表立って声にはしないがそれなりに女にも飢えている。脚でも撃って自由を奪った上で犯してもいい。死と隣り合わせの生き方をしていると血が纏わり付く。それを女の体液で洗い流したくなる。そんな下賎な考えを浮かばせながら、男は赤髪を追う。その時だった。
レーダーに感知。カメラを向けると、灰色の機体が川に沈んでいた。その姿を見て自分を含めたパイロット達が驚きの声を上げる。
その機体は、自分達が軍から奪取した機体だった。男は味方が艦に詰め込む際に一瞬しか見ることができなかったが、それは自分達を襲ったザフトの最新鋭機と同型の機体だ。情報によると、エースパイロット用に建造された特別仕様の試作機らしいが、そんなことはどうでもいい。問題なのはその機体から熱源反応が出ていることだ。既に誰かが乗り込んでいる、つまり敵だ。
女は後回しだ。男は口元を曲げダガーのビームライフルを灰色の機体に向ける。が、その瞬間機体に衝撃が奔った。女だった。不意を付かれ、赤髪の女を庇うように新しく現れた紅白の民族衣装に包んだ女が、その手に掴んだ針を用いて頭部メインカメラを的確に貫き、潰したのだ。そこに片方の怒った男が自機もろとも突進し、ヘルメット越しに頭をぶつけてしまう。
気がつけば翼の機体は立ち上がり、色を灯らせていた。炎を連想させるオレンジ色が灰色の世界へ降り立つ。まるで炎が姿を象ったみたいだった。味方の幾人かがそれに怯え、たじろぐが己はもはや生死に頓着していない。望むところだと男はサーベルを抜き、翼の機体へ振り下ろした。
しかし、サーベルの先に敵は既にいなかった。気づけば頭上からの接近警報がけたたましく鳴り、モニターの向こう側で敵機が抜いた長刀がコックピットを突き破った瞬間、男の意識は無くなった。


「よしっ!次!」
ダガーの一機を貫き、残る敵機へと視線を振る。モビルスーツには狼狽えるというモーションはないが、中のパイロットは怯えているのだろうか。シンの撃墜した機体を見て、最前線に立っているもう片方の“ストライクダガー”―――先程まで小町を追い回していた機体だ―――の動きが止まる。シンはそれを見逃しなどしない。
“デスティニー”の頭部に備えられている近接防御機関砲、“17.5mmCIWS”が火を吹いた。技術洗練による威力は旧式のモビルスーツの装甲程度、いとも容易く貫いてしまう。コックピットハッチを的確に狙い、爆散するのを確認した上でシンは外部広域スピーカーをオンラインにして爆発の衝撃で地面に倒れていた小町に呼びかけた。そこに霊夢の姿はどこにもない。おそらく、爆風よりも先に離脱したのか。
「小町!大丈夫か!?」
「そのオレンジの機械人形……色は違うけどシン、シンなんだね!?」
「詳しいことは後だ!小町は早苗たちの方へ下がってて!後は俺が薙ぎ払ってやる!」
小町が頷き、転倒した際に切ったのか衣服の下に見える足から血を流しつつ、再び飛んで後退する。後に残されたのはオレンジの“デスティニー”と、残り八機の敵機。シンはスラスター出力調整に用いるペダルを勢い良く踏み込み、一喝と共に飛翔する。
「俺はあんたを倒す!仲間を守るために!」
最大出力、“デスティニー”の背後からオーロラのように煌【きらび】やかな光の翼が舞い散る。核分裂エンジンとデュートリオンエネルギー伝達システムから生まれるその圧倒的な大出力は、従来のモビルスーツを軽く上回り、嘗て最強と謳われた同じ核動力の“フリーダム”をも凌駕する。
一瞬で、“デスティニー”は接敵した。対艦ビームソード“アロンダイト”を引き抜き、勢いを殺さず振り下ろす。狙うは“ムラサメ”と呼ばれる白い機体だった。祖国の国力を奪い、挙句戦争の火種として使うとは。許せない。怒りと悲しみを持った長刀の切っ先が“ムラサメ”を頭部から縦一文字に引き裂く。
「よしっ!次!」
内部のパイプが露出し、ビームの火に引火して爆発し、その発泡金属の破片が辺りにばら撒かれる。三機撃墜。
直ぐ様、敵討ちか残る“ムラサメ”の二機がこちらへと変形して仕掛けてきた。シンはライフルを打ち込むが敵機は躱そうともせず、ボロボロになってまで進むことをやめない。特攻のつもりか―――!
 「ええい!」
 ―――どうしてそんなにも命を粗末にする!戦場ではしゃぐ!?
 シンは相手の姿勢にさらなる怒りを覚え、そしてあくまで操縦を冷静に行った。“アロンダイト”をマウントし、“デスティニー”は両手を構えて戦闘機形態に変形した“ムラサメ”の機首を掴みこむ。空中で質量を抱え込み、若干機体バランスを崩しかけるが各所の姿勢制御スラスターが青い火花を散らし、それを防ぐ。
 「邪魔だ!」
 そして、抱え込んだ“ムラサメ”が爆発した。“デスティニー”の掌に暗器のように装備されている“パルマフィオキーナ”掌部ビーム砲がほんの一瞬だけ眩く光り、敵機を貫いたのだ。その背後からもう一機迫る“ムラサメ”。“デスティニー”に備えられた最新鋭のショックアブソーバーによって爆発の衝撃などもろともしないシンは、反応が遅れることもなく続く“ムラサメ”に意識を向ける。近づく敵機が変形し、モビルスーツ形態を取りビームライフルを撃ち込んできた。しかし、“デスティニー”は手甲部にあるビームシールド“ソリドゥス・フルゴール”を起動させ、対応する。荷電粒子を前面に展開した堅固な光の壁は、まるで魔法のように迫る炎の矢を退ける。
 「くらええっ!」
 そのまま更に発生出力を上げ、“ソリドゥス・フルゴール”を“ムラサメ”に押し当て、ビームシールドの熱で機体を抉る。相手が怯んだ隙に直ぐ様“デスティニー”は勢い良くサマーソルトを浴びせ、相手を浮かせた隙にビームシールドをビームガンへと転用させ―――大出力のエネルギーを持つ“デスティニー”だからこそなせる芸当だ―――敵機を貫く。これで、五機。
 「左!」
向かって左方からの接近警報。迫るのは“ウィンダム”と呼ばれるダガーの後継機二機と“ムラサメ”の前行機となる“M1アストレイ”一機。スペックの違いから“ウィンダム”二機が先行して向かう事に対し、“デスティニー”は既に五機も落としたというのに対処の遅れすら表さず、直ぐに跳躍する。
“ウィンダム”の一機が、クナイのような形をした投擲貫入弾、“スティレット”を投げつける。ビームではないため、“フェイズシフト”を持つ“デスティニー”には決定打とはならない武器だが、その爆発は携帯する武器を確実に破壊する。やむを得ず、シンは回避動作に入った。が、動くと同時に控えていたもう一機がビームライフルを発射した。
急静動、並びに急旋回。背部にあるウイングワインダーが開き、機体を空中で捻らせ躱す。そのまま、“デスティニー”は相手の背後にまわり、物干し竿のような高エネルギー長射程ビーム砲を腰溜めに構える。相手がこちらに振り向こうとしている時には、もう遅い。
照準、発砲。赤い炎が“ウィンダム”の腹部を貫き、炎に飲み込まれる。そのまま“デスティニー”はビームを鞭のように振り回し、反応に遅れるM1を吹き飛ばす。七機。
相方を失った“ウィンダム”が来る。テロリストといえど、血も涙もないわけではない。もしかすれば、同じ組織同士仲間意識があるものもいるのかもしれない。シンが奴らがどんな思いで自分の前に立つのかはある程度想像ができるが、しかしそれ以上にこの世界を汚す存在を許すことは出来なかった。シンの思いに、“デスティニー”が力を以って応える。
ビームサーベルを掴み、二度三度“ウィンダム”が振り下ろす。その全てを、“デスティニー”は肩にマウントされている“フラッシュエッジ2”ビームブーメランを用いて切り払う。“アロンダイト”が一撃必殺の長刀なら、“フラッシュエッジ”は“デスティニー”に装備された小剣だ。その取り回しの良好さで、素早い動きを殺さないまま、敵機をいなす。
そして、“デスティニー”は敵に回し蹴りを浴びせて隙を作り、“フラッシュエッジ”のビームサーベルモードで焼き切った。
「これで……八機!、お前ら、もうやめろよ!」
復唱し、敵モビルスーツの全撃墜を確認したシンは残るモビルアーマー二機に対して機体を向けて呼びかける。だが返答もなしに武装解除していないことから、降参の様子は無いようだった。それどころか、無謀にもビームを乱射しながら突撃してくる“ユークリッド”の姿が、コズミック・イラでどれだけの人々を焼き殺してきたのかと考えると、操縦桿を握る拳が震えた。
「お前達みたいに!戦争を望む奴がいるから!」
楕円のような流線型のフォルムを持つ“ユークリッド”は、前面に装備された高エネルギービーム砲“デグチャレフ”を碌な照準も付けずに発砲する。パイロットが錯乱しているのだ。あの様子では唯でさえ傷ついているこの無縁塚だけでなく、下手をすれば被害が拡大しかねない。
直ぐに討つ。
「真っ二つにしてやる!」
翼をはためかせ、銀の粒子と共に“デスティニー”が分身した。不規則なアルゴリズム回避運動と、ミラージュコロイドによる光学残像を形成したのだ。この動きに、敵は傷一つ付けることは出来ない。肉眼でも高い幻惑効果を持っているに加え、レーダー及びモニター上も、翼の内部にある惑星間航行システム“ヴォワチュール・リュミエール”の発展スラスターが持つ、空間干渉と光圧推進力によって命中はおろか、ロックオンすらままならない。機体に傷一つ付けることなく“デスティニー”は敵機とすれ違いざまにバレルロールで相手を切り裂く。これで九機。残るは一機。“ゲルズゲー”のみ。
「お前で最後か!」
シンの感情が燃え上がり、その熱さは敵機の爆発をも吹き飛ばす。爆炎を切り裂き翼の戦士は翔ぶ。
最高速に達した“デスティニー”は大量に散布されたコロイド粒子によって白く輝く。いや、ハイネ用に調整された粒子は仄かに黄昏の色を含んでおり、機体のオレンジ色を更に燃え上がらせる。まるで機体そのものが炎と化したようだった。
蜘蛛のような脚の上にダガーの上半身を乗っけたような奇怪な姿な“ゲルズゲー”が、川へと交代しながら両腕に抱えるビームライフルをばら撒く。“デスティニー”は低空飛行で、水面へと打ち込まれる灼熱を躱し続け、距離を次第に詰めてゆく。その手には先程“ユークリッド”を切り裂いた、“アロンダイト”を携えて。
「“デスティニー”を甘く見るな!」
反撃に、空いた左手の方で“高エネルギービームライフル”を構えて撃つ。が、これまでの敵に比べれば腕が立つのか、“ゲルズゲー”は咄嗟に陽電子リフレクタービームバリアを起動させ機体全面に膜を貼った。規模は違うが、“デスティニー”のビームシールドと原理が同じ武装だ。ライフル程度じゃ破れはしない。
ならば―――
シンはビームライフルをフルオートで連射し、相手に防御の体制を取らせ続けた。その間“ゲルズゲー”は防御に専念して何も出来ない。反撃をしようにも、リフレクターを解除しなければいけないのだから、まさしく奴は八方塞がりに陥ったのだ。
今ならできる。“フリーダム”でな機体性能の限界から成し得なかった、あの連撃が。自身の反応速度に遅れることなく、流れるようなあの必殺のコンビネーションが。
「“デスティニー”なら!こういう戦い方も出来る!」
シンは大きくなる敵の姿を見据えて、勇猛果敢に気迫を含んだ叫びを轟かせる。空を疾走し、空気の抵抗を切り裂き、その手に光る剣を携えて。
一瞬で、ゼロ距離になった。相手と自分の時が止まったかのような一瞬―――先に動いたのはシンだった。正確には、動けたのは戦える意志をもっているシンだけだった。テロリストのパイロットには、もはや反撃を行えるだけの士気はなかったのだ。
「うううおおおおおっ!」
すかさず叩きこむ。“デスティニー”のCIWSがメインカメラを潰す。二振りの“フラッシュエッジ”が、ライフルを持つ両腕を断つ。背部の超射程ビーム砲が、蜘蛛状のレッグパーツを潰す。丸裸の達磨となった“ゲルズゲー”に“アロンダイト”が振り下ろされ、その上半身を切断し、“デスティニー”は宙に舞う。
浮いた相手のコックピットに向けて、“デスティニー”の右手が煌めく。全力、全開の青白い閃光を付きだして光となったシンが、満身創痍の相手へと最後の一撃を繰り出す。東風谷早苗の思いとシン・アスカの力が重なった、“デスティニー”の必殺の連撃。“フル・ウェポン・コンビネーション”が炸裂する!
「これが!デスティニーの力だ!」
一筋の光が異形の機体を貫き、次の瞬間には炎に消え去る。勝利を収めたシンの“デスティニー”は、戦闘機動を停止させ、光の翼も霧の彼方に消え去る。
戦いを終えたシンの顔には玉のような汗が筋を残して流れると共に、人の命を奪う戦いに身を投じたことを戒める険しい表情が浮かび上がっていた。


遠くから、早苗は小町を介抱するにとり達と共にそれを眺めていた。
―――シン………!
早苗の涙は止まらなかった。シンが助かって嬉しい気持ちもある。だがそれだけでは涙の理由にはならない。
早苗の知る戦争の炎が、幻想郷を包もうとしている。霊夢ではないが、そういう直感がよぎった。そして、愛する彼が戦いに身を投じようとしている。この幻想郷で、離れたはずの戦いに帰ろうとしている。
シンが人を殺める度に、早苗の心は傷んだ。“デスティニー”はこちらへと機体を返し、無傷の身体を河原へと下ろす。シンの顔に、笑顔はない。
早苗はこの傷ついた身体さえ動けたのなら、血に汚れるシンの身体を目一杯抱きしめたい衝動に駆られているしかなかった。