PHASE- 51 同じ空、違う空


差し込む光でじんわりと肌を焼かれる感触に苛まれながら永江衣玖は目を覚ました。
眼に入るのは己の白い肌。そうだ。自分は寝ていたのだ。愛するものと熱い夜を過ごした後で。
目をこすりつつ快楽の残滓を表す布団の乱れを見にし、徐々に記憶が鮮明になる。それと同時に身体の節々が痛く感じるようになった。普段使わない部位と筋肉を行使したせいで悲鳴を上げているのだろう。自分自身も、思わず声を上げてしまうほどの代物だっただけに。
いけない。と、衣玖は思った。あの一時のことを思い出した途端眠気が覚め、顔が熱くなる。無意識に両手を頬に当ててしまうほどだ。頭が沸騰するような錯覚に襲われ、誰に見られているわけでもないのにも関わらず布団の中に顔をうずめてしまう。最も、今の衣玖は身につけているものは布切れ一枚だけだ。仮に誰かに見られたものなら冷静を取り繕う暇もなく、雷鳴の一撃で消し炭に変えてしまうだろう。
とりあえず、立ち上がって衣服のある箪笥へと向かおうとした。が、下半身が痛い。この特有の痛みのおかげでまともに歩くことすら難しい。疲れが出てくることから、屋内では極力霊力を使わない気でいたが仕方ない。痛みを避けるために浮遊して身体を進ませ、恥ずかしさから直ぐに着替え終えた。
服を着替えてしまうと、他に何もすることは無くなった。
彼の姿はない。大方、自分に知られない内にここを離れて、作業場の方に向かってしまったのだろう。最中に話していたことだが、今日、シンとともに紫の前へと赴くと聞いている。
「………レイ………」
彼の名前を呼んで、彼の姿があった場所を眺め、彼の言葉を反芻する。
戦いとは別の生き方をしてみたい―――
そのためには、新しい帰る家が必要だ。空の彼方から必ず帰ってきてくれる、彼を優しく迎え入れてくれるだけの新しい世界が。
そして、衣玖はその彼の世界の中心で在り続けていたいと願っていた。
「貴方の帰ってくる場所を、私は守ります」
胸に小さく両手を合わせ、祈りをレイへ込める。
それが、彼女にとって唯一出来る彼への手助けであった。


「よし!準備はいいぜ!」
外のにとりからOKのサインを受けて、シンは“デスティニー”のコックピットから外部スピーカーを介してレイに言う。レイが作業場に戻った明朝より、シンは愛機の最終調整を施していた。
機体のコンディションは良好。にとりを始めとする河童たちの賢明な整備作業は、予備のパーツが分解されたシンの“デスティニー”1機のみで考えると、奇跡的なまで見事に仕上げてくれた。パーツを一つ一つ磨き上げ、時間を惜しまないオーバーホールにより、唯一性のある部品の殆どを再び戦いに耐えうるようにしてくれたのは、河童の存在なくしては有り得ない。
“レジェンド”も、“デスティニー”と同じく整備性を困難としている機体だ。その作業は決して容易ではなく、本来ならばこの世界にとってオーバーテクノロジーの塊ではあるのだが、シンの“デスティニー”に関する知識が河童に広まっていたのが功を奏し、こちらも問題なく出撃が可能なレベルにまで落ち着いている。
しかし、それらの努力はあくまで機体を“比較的”に良好な状態にまで引き上げてくれた事でしかない。
もちろん、河童は天才的だったが、本場のエンジニア、そして設備、何よりモビルスーツに関するノウハウが何年も積み重なっているザフトのモビルスーツメカニックには足元には及ばないというのがシンとレイの共通の認識であった。シンがすごいと称したのはこの世界でモビルスーツを運用できる事という全くもって想定外の現実を目にしたからだ。これはレイも同様で、修復の程度が低いとはいえ、機体が再び満足に動かせることに平然とはいられなかった。
「すごいな………“プロヴィデンス”の頃からあったレスポンスの遅れが無い。この“レジェンドプラス”ならば、以前と同じ戦いが満足にできる。大したものじゃないか」
「ああ。予備のパーツは俺の奪われた“デスティニー”だけど、もともといくつかのパーツはサードステージに使われる予定だった共通の規格だからな。けどそれをここまで上手くやってくれるなんて………ほんと、にとり達にはいつも助けてもらってるよ」
「当然だぞ、シン。レイ。お前らの機体、私達が触ればいくらでもどうにか出来る。レイが持ってきてくれたシンの“デスティニー”が遠慮無く分解できるおかげで、新造は出来なくても共食い整備なら何とか出来た。………ただ、それでも“デスティニープラス”でどうにか出来ないことは多かったけどな」
「わかってるよ。“デスティニー”の分割装甲を始めとする、整備性の劣悪性からくる問題………だろ?」
“ZGMF-X42S デスティニー”。“    ZGMF-X666S レジェンド”。本来ならこの2機は、ザフトのモビルスーツの次代を担う、“サードステージシリーズ”に分類されるモビルスーツだ。大戦時の政治的な圧力と、核動力機であることを始めとする諸々の問題や非難を避けるためにシンの以前の機体“インパルス”と同様“セカンドステージシリーズ”の最新鋭機として世に生まれた。
そして生産分類は試作機であり、ユニウス大戦に終止符を打つ決戦兵器として数々の独自性を持つ兵装、火器が詰め込まれているモビルスーツである。当然、整備性は独自のマニュアルの塊から構成されており、メカニックからも不平の声は絶えなかった。何かしらの部品に不具合が起きても、前渡しで蓄えている換えのパーツが他機体との互換性が皆無であるため、所謂急ごしらえの整備は不可能同然であった。
それをにとりが可能にしたのは、人間、とりわけ“コーディネイター”の優れた能力を軽く超えるほどの器用さ、習熟の早さを兼ね備えている河童という種族の異常さが、シンをこれまで幻想郷の空へ送り出していたということだ。
「どんなにがんばっても、“フルウェポン・コンビネーション”に耐えうる部品はもう私達にもどうしようもなかった。素材もないし、限界もあった。シンの持つ力を100%、いやそれ以上に伝えるには、どうしても新しい部品が無いとダメだ」
「そしてその部品は前の“デスティニー”から作り出すことは出来なかった……当然だよな、分割装甲に使われているのは、“フェイズシフト”だ。霊夢さんが神様の力で作ってくれた“フェイズシフト”は、表面装甲の修繕で手一杯だし、フレームに使われているのはとりわけ高純度の代物だ。しかも、本来“フェイズシフト”はコロニー等の低重力環境下で長い年月をかけて作られる………霊夢さんが、まだいてくれたら………なんて、いうのは簡単だけどな」
「無いものをねだるなんて、らしくないなシン。俺はその女のことを詳しくは知らないが………会って、話がしたいのだろう?」
「そうさ。お前とまた話し合えたように………俺が、もう一度霊夢さんに会う。きっと、何も理由なしで敵になるような馬鹿な人じゃない。だからといって、戦うような……敵になるような人でもないはずなんだ。だって俺は、あの人のこと…優しいと思ったから」
にとりと共に初めて博麗神社に行った時から、彼女の優しさに何度も助けられた。無縁塚の時も、シンを助けてくれたのだ。きっと、理解り合えるはずだと、シンは信じている。
「だからこそだ、シン」
「レイ………」
「お前は優しすぎる。エクステンデッドの少女に涙を流せたのは、お前が誰かの代わりに心を痛めることが出来るからだ。だからこそ、お前は強い」
「…うん、ありがとう、レイ。お前からそんなこと言われるなんて、なんかびっくりだな」
「言わなきゃ伝わらない気持ちもある。それは、お前が今から向かおうとしている事にも当てはまる」
「ああ。俺が行かなきゃいけないんだ。霊夢さんを………紫を……全てに決着を着けるために」
パイロットスーツに包まれた拳を硬くして、決意に溢れるシン。レイもモニターの向こう側で頷き、戦いへの覚悟は出来た。
「当然!私を忘れてもらっては困るわね、レイ、シン!」
「天子か…!お前も、レイと行くんだな」
レイの横から空色の髪を揺らして威勢を放つ比那名居天子が映り込む。彼女はレイの戦いについていくと言い、コックピットシートの傍で無理やり座り込む形でいる。以前にもシンが誰かを乗せるときに使った手段だ。紫との対峙、そこに彼女の剣はこちらにとってアドバンテージとなる。妖怪同士の争いに、緋想の剣は身を守る手段として最大の手段だからだ。
「そうよ。私は、レイと行く。衣玖は来ていないし、紫にはレイと出会う前からの借りがあるんだけれど………私は、レイの主人なのよ。従者を守るのは、私の役目なの。じゃないと、一人で勝手に戦っていくなんて許さないんだから……だから、お願い。レイ、私にも付いていかせて欲しいから、このワガママは、言わせてちょうだい」
「………言っても聞かないお前に、言うだけ無駄だって。わかってて聞いているだろう?だったら、俺からも一つ言わせてもらう。お前は危なっかしい。それでいて、過激だ。だからお前に歯止めを効かせるのも、俺の役目だ。………俺の傍から、離れるな」
しかしそれ以上についてくる理由は、レイに対する想いからだと、シンも分かっていた。
「………うん。必ず、アンタのこと、信じるからね」
レイに応える時の眼差し。そこにはいつもの不遜な態度はない。あるのはレイと過ごしてきた、思い出からの信頼。シンの知らない所で、レイもこの世界の住人と接し、絆を深めていた人物がいる。本当に、自分達はこの世界で過ごせた事がとても大切な時間なのだと、実感させられる。そしてまたシンにも。自らの危険を顧みず、付いてきてくれる少女がいてくれた。
「早苗も、準備はいいか?」
振り向き、シンは共に命を預ける相手の姿を確認する。
青と白、霊夢とは対照的な二色の巫女服。流れる長髪を軽く縛り、コックピットの邪魔を防ぐように配慮した髪型は、戦いへ望む少女の意思。もう逃げない。もう負けない。シンと共に戦うことを進言した東風谷早苗は、“フリーダム”に取り付けるために作っていたメンテナンス用のサブシートの予備を本格的に改造し、この“デスティニープラス”のサブパイロットとしてそこにいた。
運用における問題に、サブパイロットは本来必要なかった。何も、武器もスペックも別段変わったわけではない。それは“レジェンド”も同様だ。しかし、早苗はもう見ているだけなのは嫌だと。私も、ガンダムで一緒に飛びたいのだと。急造ではあるが、にとり達の渾身の出来が形となったのが、早苗専用のサブシートなのだ。
にとりは早苗よりモビルスーツの知識はあるが、戦いに向いてはいない。“フリーダムリペア”の時は操縦こそ出来たものの、結局シンが乗り込んでからは敵の行動を口頭で伝えるか、失った機能のカバーしか出来なかったのだ。
“デスティニープラス”は違う。シンへの想いを足されたこの機体は、全ての機能が実質的に元通りとなった。そこにメカニックであり、操縦において素人のにとりがシートにいた所で助けられるものはない。
それが、シンと早苗が共に飛ぶ最大限の理由。にとりは機体の万が一を考えその存在そのものが無くてはならない。だから早苗が、今まで幻想郷で共に飛んできた早苗が、シンの戦いを一番に理解できているから。“デスティニー”とシンの力に加わることが出来るのは早苗だけなのだと、にとりは言った。シンから、レイから、抵抗はあった、しかしその覚悟はある。モビルスーツの知識を最低限で詰め込み、それでもシンの世界のどの兵士にも遠く及ばないものの、シンと“デスティニープラス”の専属サブパイロットになれるよう、今日まで知識と能力を出来る限り身につけた。命を掛ける戦士としては及ばないであろうが、仲間としての彼女は信用できるまでに、シンも早苗を乗せる程に認めることが出来た。
「………はい。システムオールグリーン、パワーセル良好。各種兵装システムオンライン。ハイパーデュートリオン、アイドルからアクティブへ移行………シン。全部、言えました」
「ああ。こちらでも確認したよ。………早苗。気持ちだけじゃ、ないんだよな」
「はい。死ぬかもしれないって…モビルスーツで戦う為に乗ることは、そういうことだって……覚えてます、その言葉。決して死んでもいいからシンと“デスティニー”に乗るんじゃない。私が、シンと一緒にいきたいから………シンと、運命を切り拓くために、私はここにいることを選びました」
「分かった。決意を固めたなら、俺はもう降りてなんて言わない。………一緒に戦うぞ。俺と早苗で」
「はい………空高く、どこまでも貴方と一緒に翔びましょう………この夢の様な世界の中で、貴方と」
操縦桿を握りしめる。この高揚感、何度も味わってきたものだ。運命の名を冠し、研ぎ澄まされた最後の力。“デスティニーガンダムプラス”の翼が今、紅く燃え上がり、双眸を見開く。“レジェンドガンダムプラス”も暗灰色の装甲に問題はない。相互に頷き、シンとレイは出撃のサインをにとりに送る。
「よし………!行って来い!お前ら!ちゃんと、必ず………!ここに戻ってこいよなぁっ!!」
ハンガーからにとりのあらん限りの叫びが、二機の中へ届けられる。シンはコックピットを開いた。そして、にとりから自分の姿を目視出来るようにした上で、サムズアップからの敬礼の動作を送った。シンがミネルバで発進準備をした際にしていた、メカニックへの感謝と敬意を表したものだ。無論、にとりにはその動きの的確な意味は知らない。それでも、想いは伝わっていたのだろう、彼女も、心配そうだった面持ちから和らぎ、サムズアップを突き出した。それだけで、シンは迷いなく空を見上げる事が出来た。
―――さあ、行こう。紫の所へ………霊夢さんの所へ!
「シン・アスカ、行きます!」
「レイ・ザ・バレル、出撃する!」
光の翼が、蒼穹に舞う。河童達の声援から瞬く間に距離を離し、地面すら霞む高き空を、朝日輝く朝焼けを、二つの巨人が切り裂いていく。四人の決意を秘めて、“デスティニー”と“レジェンド”は、八雲紫が待つ冥界へと、飛び立った。



「彼らがここに来るわ。霊夢」
そう言われることが近々来るであろうと思えたのは、やはり勘か。
冥界に来てからいつものように、白玉楼から離れにある空と同じ色をした湖の傍で、霊夢は自分自身の姿を眺めていた。そして時々紫はいつの間にか背後に立って、一方的に言葉を投げかけてくるのだ。
ついに、この時が来たのか。霊夢は敵に回る立場となってしまった少年の姿を思い浮かべ、けれども無感情のまま紫の方へ向く。大方、紫は式とよばれる自身の使いなり、“境界を操る程度の能力”なりでシンの動向は全て把握済みなのだろう。
「………シン達の行動、ずいぶんと見ているのね。よっぽど、紫にとって彼はそんなに気に入るものなのかしら。紫が考えている未来を実現させるために」
しかしそれでも真の意味での万能の力ではなかった。紫の成し得る世界のためにはどうしても新たなる概念を招き入れる必要があった。その白羽の矢が立ったのがシンであることも霊夢は聞かされていた。
無から有は作り出せない。紫は知らないのだ、シンの持つ聖輦船や紅魔館での時に発現した“種”の力を。新しい概念というものを紫が知覚し、理解しない限りは新しい世界の在り方を実現することは出来ない。紫の目的はこの幻想郷の変革。そう霊夢は本人から聞かされていたが何をどういったやり方でそうするのかを霊夢は知りようがなかった。紫の考えていることはおよそ常人が考えても考えつかない領域であるためだ。だからこそ、その“境界を操る能力”の行使するに相応しい柔軟で無限大とされる知力の持ち主である。
紫がシンの力を自身のものとするためには、紫がシンの力を直接支配下に置かなければいけない。そう考えたからこそ、紫は霊夢をシンと接触させたのだ。直前にシンの存在を何も知らなかった霊夢に告げて。あの初めて博麗神社でシンと出会った時から、裏で糸を引いていたのはこの女だったのだ。
「この世界に迷い込んだ時より、ありとあらゆる彼の行動は全て私の頭に流れ込んでくる。そういうふうに、私が彼の境界を敷いたのよ。幻想郷の博麗大結界に迷い込まれた瞬間から、この世界での出来事は全て私が把握することができる。体内に入り込んだ異物の存在に気付くようにね。彼が何も知らない世界で人間、妖怪たちと絆を育み、死んでいたはずの親友と再会することが出来、本来彼の存在なくしては互いに互いを理解することもなかった種族同士の架け橋となったり………シン・アスカの存在はこの世界にとって明らかにイレギュラーであり、また未来に波紋を起こす希望の石となる。その石を掴み、手に入れることができるのは………博麗の巫女であり、私の娘、博麗霊夢だけ」
「………紫はずっと前から未来がこうなると分かっていて、私を滅んだ人里から助け出し、育てたとでも言うの?私がシンを戦わせたくないという想いも、全て知り得た上で私をけしかけたというの?紫の考えうる限りのお話の中で、私やシンは、線路の上を歩かされていたって事というの?」
その全てを見透かしたような言葉を聞き続けて、堪らず霊夢は振り向いて紫を見据える。正面から見るその紫の大きな眼差しは、どこまでも澄んでいて、どこまでも底の見えない深淵を含んでいた。普段から何を考えているかもわからない紫の目は、そのまま闇と繋がっていそうなほど、得体のしれないものだった。
「私は、あくまで霊夢にとっても幸せな道を考えて、私のなすべきことをしているまでよ。この世界にとっても、シンの世界にとっても………全てが全て、最良の結果に終わることを考えての事。その中には霊夢、貴方がシンのことを想っていることも私は知った上で―――」
「言うなっ!!」
紫の言葉の紡ぎを絶叫にて止める。震える空気の後に訪れる静寂が二人の間に漂った中で、霊夢は必死に紫を睨みつけて怒りを露わにする。その感情の裏には、とてつもない屈辱を秘めていた。
「私はっ!シンがこの世界で幸せに過ごせるならそれでいいっ!私はシンの事をどうかではなくて、私が、シンにいつでも逢えるような世界であればそれでいいっ!それ以上の事、くだらない考えを私に押し付けないでッ!」
その言葉を皮切りに紫の側を荒い足取りで過ぎ去っていく。紫が目だけでこちらを追い、霊夢は前だけを睨みつけて一切の視線を揺らさずにその場から離れ去る。横を過ぎた紫がこちらを振り向いているのかは知らない。例え目を向けなくとも、シンのように自分の行動など全て理解しているのかも霊夢には分からない。
けれども、霊夢は自分の全てが紫に支配されるような感覚に苛まれるのが嫌だった。悲鳴を上げた口が歪み、激しい憤りを秘めた霊夢の顔は、屈辱と憤怒が混ざり合った表情で満ち溢れていた。


菫【すみれ】色が広がる静寂の世界。幽明結界を超えて死者が広がる世界の中で、二つの巨体は空を切り裂いてゆく。
レイにとって二度目となるここは、嘗て紫を目指して辿り着いた場所でもある。死者が集う世界と、初めて聞いた時にはそんな冗談の塊の世界に行くのかと、不安に思わない訳がなかった。事実、先行するレイの案内で冥界に入ったシンは、結界を超えると同時に体中を得体のしれない悪寒に苛まれることに、ひどく混乱した。
「………!?なんだ、これ…?」
「シン…!?」
身体を締め付けられるような痛さと苦しさ。力を込めた四肢が痺れてゆくような倦怠感と脱力感。ありとあらゆる不快な感覚が一瞬にして湧き上がり、意識を保っていられなくなるような。そう自身の異変をかろうじて言葉にした途端に機体のバランスを崩しかけ、彼女の言葉ですぐに立て直す。機体が少々揺れるだけでも、コクピットへの影響は大きい。早苗の呼びかけに応じて大丈夫だと伝えると、レイが呼びかけた。
「やはり、おまえもそうか」
「えっ…」
「以前、この冥界に入った時、俺もお前のように不調を感じた。………どうやら、この冥界は霊力を持たない人間にあまり優しくない世界だということらしい。二度目からお情けを貰えるのがせめてもの救いだな。時間が経てばそれも収まる。それまで我慢しろ」
言うなり、“レジェンド”を“デスティニー”に寄せて機体バランスの補助を行なう。両腕で支えられる形となり、シンも不快感を懸命にこらえて操縦桿を握りこむ。
「まかせてください、シン。こういう時の私達です。機体制御のバランサーをこちらに渡してください」
背後の早苗もシンから一部の機体操作権を受け取り、姿勢制御に取り組む。この程度であればシンの教えている程度の技術でなんとかなるのか、早苗自身も僅かな笑みを浮かべているのが見えた。
すまない、みんな―――
内心で謝りつつ、深呼吸して楽になれるように祈る。時間が経てばというがこの状況での戦闘は些か不利だろう。願わくばこのまま無事に目的地である白玉楼まで飛べればいいのだが。
そうは問屋が、卸してくれない。
「シン!レーダーに!」
接近警報と早苗の叫びが耳に入るのは全くの同時。気迫で不調を吹き飛ばし、反射的な回避運動を瞬間的に行なう。
先程まで機体の存在していた箇所に一つの光条が通り過ぎる。―――あれは、ビームか!?
「シン、敵だ!」
「わかってる!」
レイの発破に返し、巡航機動から戦闘機動へと操縦系統を切り替える。早苗に渡していたコントロールも一度、自分の元へと集約させる。
レーダーに反応があった九時の方向にズームをかけ、モニターに表示する。そこに構えているのはモビルスーツだ。機種はこれまでも幾度と無く交戦経験のある“ムラサメ”を始め、“M1アストレイ”、“M1アストレイ・シュライク”の姿が前方に広がっていた。………いずれの機体も、シンの祖国である“オーブ連合首長国”が保有するものだ。
「そんな……!?」
シンの慟哭を遮るように、一斉にビームの雨が襲いかかってきた。ビームシールドを掲げ、二体は交代しながら炎の矢を凌ぐ。汗だくになり、煮え滾る怒りを募らせながらシンはレーダーの反応を注視した。
「霊力…?」
それは、青い点滅で敵機の相対位置を表している。雲山の時や妖精、妖怪達と敵対するときにレーダーに示す唯一の青い反応。それは、人間以外が持つ霊力を感知する反応だ。途端、シンはあの戦争という悪夢を模しているだけの模造品に、怒れる瞳を向ける。
「シン、奴らもテロリストの仲間か!?」
正体を悟ったシンにレイが問う。“レジェンド”には今の“デスティニー”のように人妖を見分けるセンサーは搭載されていない。それも当然であり、元々この機能はにとりが便宜を図ってくれた代物だ。にとりが修理にあまり関わっていない“レジェンド”にはあの敵機の正体をつかむことは出来ない。奇しくも、外見だけは見紛うことのない、あまりにも本物同然のものなのだから。
「違う……!あれは偽物だ。誰かが、俺達を惑わそうとして用意したダミーだ!」
“デスティニー”は撃ち込んでくるビームを振り払い、光の翼を広げる。“ヴォワチュール・リュミエール”の効果による急加速を活かし、瞬く間に“ムラサメ”に肉薄し、長刀を振り下ろす。本来、発泡金属に包まれている堅牢な“ムラサメ”の装甲は、それこそ紙を引き裂くかのように容易に切断され、空中で爆散し破片を地面に散らしてゆく。
機体自体は思った以上に本物に忠実だ。“アロンダイト”の手応えも、本物となんらかわりはない。前大戦時、人を簡単に殺した時の感覚と何も変わりはない。それがさらにシンを怒りで震わせた。
「なんでこんな事………!また………また戦争をさせたいのか!アンタ達はッ!」
「シン!」
身を投げ出すように叫び、早苗の声がシンをあくまで冷静な操縦がこなせるよう引き止める。ビームシールドの出力を早苗が調整し、適切な回避で一度距離を置く。後方の“レジェンド”も背部“突撃ビーム機動砲”で並み居る“ムラサメ”達を墜としてゆく。
「シン、突っ込み過ぎだ」
「全く、言い出したらキリがないほどアンタって熱いのね!」
レイと天子に言われ、興奮しきっていた感情に冷や水をかけられる。確かに、自分の愛する国の兵器を悪用される形で突き付けられて冷静さを書いていたことは事実だ。反論できない。―――だが、ああまでさせた者を、許すつもりもない。
「あれは、妖怪と同じ反応だ。多分、俺達の世界のモビルスーツじゃない」
「となると、あれはもしかして八雲紫さんの…差し金?」
「ありえない話じゃないな。奴は俺の前で、妙な力を幾つも見せつけてきた。あれもその一つだというのなら………」
「上等じゃない。売られた喧嘩は買うのがこの私比那名居天子の主義よ。だったらさ……とことんやりあってやろうじゃない!!」
意見は、皆同じのようだ。早苗に視線を送ると、確かな勇気を秘めてこちらに返してくる。ならば、答えは一つ。この機体に傷をつけるにも値しない紛い物など、一刀の下に退けるのみ。
「一気にカタを付けてやる!」
「遊んでいる暇はない。決めさせてもらう!」
シンとレイ、二人の戦士が剣を携え、敵中に飛翔する。熟練のテロリストでさえも退ける彼らにとって、偽物のモビルスーツなど恐れるに値しない。ましてや、攻撃の意思さえ感じ取れない命なき力に、屈することなど有り得ない。
翼を広げ。悠然と、そして果敢にも、銃を撃つ“レジェンド”。高い機動力による撹乱で翻弄し、すれ違いざまに敵を塵芥へと変える“デスティニー”。紫が如何なるトリックを用いようとも、この二体の強さは負けない。
「よし、準備は整った!!」
「シン、行きます!にとりさんが調整してくれた、この“エクストリームブラストモード”ならッ!」
サブディスプレイに表示された出力系の上昇を確認。スラスターを全開と同時に迫り来るGにシンも早苗もシートに押し付けられ、視界も一瞬歪む。それは、この“デスティニー”から迸る力の顕れだ。その一端だけで、中に乗る自分達でさえもこうまで怯んでしまうとは。
だが、この力を使いこなしてこその、皆からの思いを足された“デスティニープラス”。“エクストリームブラストモード”、それは、この生まれ変わったこの機体に備わり、シンの運命をどこまでも切り拓いてゆく新たなる可能性であり、最後の力。
これまでの“デスティニー”の最大稼働状態は、シンの得意とする強襲やクロスレンジ上における格闘戦の戦闘技量の高さがダイレクトに現れることにより、対大型モビルアーマーや、基地制圧戦において多大な戦果をこれまでにもたらしている。
しかし、同時期に開発された“レジェンド”、または総合的なスペックにおいて同等とされるハイエンドモビルスーツ、“ストライクフリーダム”、“インフィニットジャスティス”と比較すると、対複数機における同時対応手段の乏しさが、“デスティニー”の弱点であり、長所でもある。
“デスティニー”はデュランダル議長がシンのためだけに生み出したモビルスーツだ。当然、仮想敵とされたのはオーブ軍所属のキラ・ヤマトとその愛機、“フリーダム”。
デュランダルはシンの高い潜在能力をユニウス戦役開戦直後の戦果があがる以前より、独自の研究で見出している。それはアカデミー時代におけるナイフ戦の成績や、モビルスーツの高い適性にも数値として現れていた。さらには、デュランダルが望んだシンに眠る“SEED”の発現は同じく“SEED”を持つキラに唯一対抗が可能である存在の証明であり、正確無比な射撃を得意とするキラが十二分の力を発揮出来ず、逆にシンが存分に自身の力を発揮できる場面……即ち、白兵戦における高い対応力を機体設計の段階で判断されたのだ。
「はああああッ!」
“デスティニー”に携えられた長刀“アロンダイト”を振り抜き、眼前にいた祖国のモビルスーツの贋作を斬り伏せる。シンの怒りが、“デスティニー”の怒りが燃え上がる。その一撃は、全てを薙ぎ払う。
“デスティニー”は一対一における状況で如何にアドバンテージを持てるかどうかが重視された。全領域対応の武器を装備しているのは、シンが“インパルス”におけるあらゆる戦闘において機体性能を遺憾なく発揮できることからも裏付けされているが、やはりシンが確実に敵機に一撃を叩き込む格闘戦が、“デスティニー”の理想とされた。
当然、機体のペイロードと重量などのバランスを加味すれば対複数機との状況をある程度考慮から外すという判断は当然であり、そのカバーとされるのが“レジェンド”の存在だ。さらには、成長したシンの技量を考慮すれば、この“デスティニー”の設計をわざわざコンセプト以外の方向にシフトさせることはかえって機体性能の低下に繋がる恐れもあった。
“エクストリームブラストモード”は、その“デスティニー”の憂慮された多数の敵機との交戦を懸念し、にとり達によって新しく付加された戦闘形態だ。“フルウェポン・コンビネーション”のように早苗が考案したものではなく、数多もの戦場を経たシン自身が自分の戦闘スタイルを元ににとりに提案した“デスティニー”のポテンシャルを最大限に活かせるスタイル。上がった技量と万全の機体の状態から生まれるその力は、まさに波濤の勢い。
「この間合いなら、“デスティニー”が上だっ!」
接敵と同時に閃光が敵機“ムラサメ”を貫く。
“パルマフィオキーナ”を死角から撃ち込み、更にサマーソルトで別の“ムラサメ”、“アストレイ”の方向に吹き飛ばし、巻き添えにする。その一瞬に“パルマフィオキーナ”の奔流をさらに浴びせた。
「すごい………纏めて一気にならこの数でも!」
「油断するなよ早苗!次が来るぞ!」
右腕のライフル、左腕の“パルマフィオキーナ”を連射しながら、敵機を撹乱し、一定の距離を保ちながら確実に数を減らしてゆく。少数で真っ向から向かった所で、消耗戦になるだけだ。ならば、一撃一殺で無駄な動きを出さないことが生存力に繋がる。
光の翼の光圧推進を活かした高速移動のまま、十分な火力を確保する。それがどれだけこの場では有効か。背後から目にする彼の勇姿に圧倒されつつも、シンの指示に従って銃口の誤差修正、出力系のマネージメント等を全うする。
元より“デスティニー”には“フリーダム”の背部ウィングの発展、後継である、真紅の高推力ウィングスラスターが装備されており、“ヴォワチュール・リュミエール”由来の高圧推進システムと合わせて従来のモビルスーツとは一線を画す運動性、大気県内外における飛行の絶対的なアドバンテージを有している。
技術の一部がクライン派に盗用されたことで、限りなく“デスティニー”に匹敵する性能を持つ“ストライクフリーダム”や“インフィニットジャスティス”も同程度の性能を有するが、破格の投資によって建造され、デュランダル議長自らが『信頼性に優れる』と評する程“デスティニー”の完成度は間違いなく数あるモビルスーツの中でも極致の域といえるだろう。その集約された技術に、シンのポテンシャルと合わさることで、真の技術が発揮される。
しかし、シンの戦闘スタイルに限りなくマッチさせてしまったことと、機体と戦闘コンセプトの違いが、奇しくもメサイア攻防戦で“レジェンド”と共に敗北を喫する条件となった。
“デスティニー”は外付けの専用携帯火器を柔軟に扱い、従来のモビルスーツでは不可能とされた動きで敵機を駆逐する全領域モビルスーツであることに対し、“インフィニットジャスティス”は無数の内蔵格闘兵装によるインファイトで“デスティニー”を封殺し、“レジェンド”には同じく宙間戦闘に秀でている“ストライクフリーダム”をあてがうことで持久戦に持ち込み、最終的に“フリーダム”が勝利を収めた。
性能上では殆ど僅差であるにもかかわらず、“フリーダム”ら二機共が勝利をおさめることが出来たのは、兵器としての完成度を犠牲にした上で、より複雑な火器管制、ペイロードの限界まで詰め込んだ武装とそれらを扱うことの出来る唯一のパイロットに頼りきった極端な設計コンセプトによるものだ。
“デスティニー”も“レジェンド”も、最高傑作の機体であっても、たった一人の人間に対して造られた代物ではない。ましてや、他の人間が搭乗出来ない兵器など、欠陥品同然だ。故に、キラとアスランの為に完璧にまで突き詰められたワンオフ機が有するレスポンス、パイロットを選ぶ特殊兵装等の優位性が、勝利を生んだのだ。
“デスティニープラス”はザフトに所属している機体ではない。あくまでこの世界に迷い込んだシンの剣であり、またその機体がさらなる向上をもたらすには、“フリーダム”と同様にシンだけが自在に扱える調整を施す必要があった。
シン自身が何度も改良を加えて作り上げたOSを元に、機体各部分割装甲のさらなる最適化で急制動、急加速により生まれる機体への反動の相殺が可能となったことにより、限界以上の速度の実現が可能になり、その際背部ウィングの全開稼働により顕れる“光の翼”から散布されるコロイド粒子も動力源の許容値限界まで変換効率を上げて圧縮し、残像と粒子の乱反射による撹乱性がより期待出来る性能と化した。
その影響で、翼から放たれるコロイド粒子の乱反射により“デスティニー”は白く光り輝きながら天を駆ける。早苗達は提案したのだ。機体のテストで目にした“デスティニー”の力に、誇るべき名前をつけようと。単なる高機動形態から、必殺のマニューバが実現できる新しいシンの力に。
それが、“エクストリームブラストモード”。相手がどれだけいようと、どれだけ強くとも、この集った想いが形となった力があれば。恐れるものなど何もない!
「そこを、どけえええええッ!!!!」
機体の出力系を最大にし、新たに増設されたコンソールに備えられたリミッター解除の為のシフトレバーを押し込む。
“エクストリームブラストモード”は機体が耐えられる限界寸前の機動を可能とする。故に、時間制限が設けられておりその後は再びハイパーデュートリオンの全開稼働が出来るまで暫くの時間を必要とする。後続の敵機も確認していないこの状況、使うなら今だとシンは判断した。
直後、シンは天を切り裂いた。携える“アロンダイト”は“デスティニー”の通り過ぎた軌跡に存在した“ムラサメ”を残らず両断し、跡形もなく爆散させた。そして研ぎ澄まされたシンの反応にノータイムで機体が動く。カタパルトよりも疾い爆発的な急加速は“ヴォワチュール・リュミエール”の生み出す高圧推進が“デスティニー”を次の敵機へと押し出す。
「数ばかりゴチャゴチャと!」
再び、超加速の最中に突入するシン。瞬く間にモニターの中にいた敵機の間を抜けて、空中で四散させる。そしてさらなる敵の懐へと加速を繰り返す。その一連の動きは空中に鋭角を何度も刻み、“アロンダイト”の一閃が敵機を次々と薙ぎ払う。
“デスティニー”に近づいた敵が抵抗も出来ずに切り払われるその刹那の一撃は、まさに鎧袖一触。亜光速の域へと達した“デスティニー”の一撃に抵抗すら困難な動きに、モビルスーツを模した敵は翻弄されるしかない。
「くらええええええッ!!」
接敵した“アストレイ”を斬り裂き、追いすがろうと動きを見せた“ムラサメ”に背転し、ライフルで直撃させる。刹那、徒党を組んで撃ち込んでくる敵機の攻撃を瞬間的な加速の連続で躱し、その反動に歯を食いしばりながらも長距離射程ビーム砲の連射を浴びせ、さらに攻撃を仕掛けてくる次に対して、息をつく暇もなく急速離脱。分身を撃ち抜いた“アストレイ”が盾を構え終えた時には、既にパルマフィオキーナの掌底が盾ごと腹部を撃ち貫き、また一つシンの前から脅威が消えてゆく。
その瞬く間に敵機を蹴散らす“デスティニー”は一瞬のレスポンスの遅れが致命的となる為、人間に備わる両の腕【かいな】での操縦は不可能だ。“エクストリームブラストモード”の制御は、パイロットと機体を神経接続で直接繋ぐ量子インターフェースを介した、パイロットの意思を脳波として直接反映させる他にない。
ドラグーン・システムの制御にも使われるこの量子インターフェースは、“レジェンド”に搭載されているそれの改良型を河童たちと共同で作り上げたものであり、“エクストリームブラストモード”の操作系統に不可欠の代物であった。シンの意思が神経接続で機体に反映されることは、常識を覆した高速戦闘において多大な恩恵はもたらしたものの、その代償として神経接続のフィードバック、つまり脳に襲いかかる負担もそれまでとは比べ物にならない。
“エクストリームブラストモード”は、シン自身にしても限界を超えた戦いを強いらせるのだ。
「シ………ン…!活動限界まで残り時間100を切りました……!」
口を開くのもやっとな早苗がか細く状況報告をシンに送った。
早苗も、霊力による応用で重力軽減が可能でなければシンのサポートなど到底無理だ。
早苗に出来るのは、シンのメディカルチェックと周囲の敵の索敵、捕捉だ。シンの負担を少しでも軽減することが、最善であり、最大のサポートであった。身体に襲いかかるGを必死で抑えながら、それでも彼のためにと早苗も戦う。
早苗の目にするモニタリングでは、ハイパーデュートリオンエンジンから各部のコンデンサにプールされていた電力が底を尽きようとしていた。核動力とデュートリオン電力送電システムの相互補完による無尽蔵のエネルギーでさえも、一定量を下回れば機体の機能不全に陥る。そのリミッターとして活動制限時間が設けられており、それを超えると強制的に通常稼働へと引き下げられる。
その際、再びコンデンサへの再充電に電力を割かれる。よってハイパーデュートリオンエンジンによる高効率発電能力を必須とする“デスティニー”の性能低下を招くことはどんなにシンの技術があったとしても、消耗しきったパイロット、機体共に敵の前で無防備である事を晒すに等しい。
それまでにこの場を切り抜けてみせる。瞳の奥にある闘志は降りかかる痛みに、苦しみに負けはしない。燃え上がる戦士は、幾度と無く敵を断ち切り、運命を切り拓いてきた。この程度の脅威なんて、死の淵に立ち続けてきたあの戦争の日々を思い起こせば、比べるのも値しないのだから―――!
「レイ!シンにまだまだ敵が来るわよ、援護してっ!」
「俺の役目は、あくまで牽制だ……!」
“レジェンド”も、シンの全力を出し切れるように、背部機動砲塔を用いた狙撃でモビルスーツを撃ち落とし続けてゆく。“エクストリームブラストモード”には“従来の機体の中でも高機動性を確保できている“レジェンド”だろうと追いつけない。里の時のように“デストロイ”相手に行なったコンビネーションも、今の“デスティニー”の速度に追随できないのでは無理だ。
だからこそ、レイの支援は性能低下を免れない“デスティニー”に最善で最良の行動であった。レイの攻撃がシンの撃墜を保証させ、シンの撃ち漏らしが、レイの援護によって確実となる。レイの射撃は正確無比で、冷徹だ。捉えた獲物を逃さず、確かな撃破を可能としていた。
敵の数も数える程となり、荒い息を吐きながらも“デスティニー”の操縦に集中力を切らせまいとするシン。想像を絶する衝撃が身体に迸り続ける。ともすれば、このGで締め付けられる体中が骨折してしまいそうなほど。パイロットスーツ無しで、ましてや生身でこれを受けたら間違いなく失神するだろう。
シンとシンへの想い、そしてハイネの遺した遺志で成り立つ“デスティニープラス”だけが出来るこの極限の領域は、正しく彼のみが扱える唯一無二の力だ。
あれで最後か―――!
残る一機、スラスターのペダルを押し込む。迫る敵機、掌に携える閃光を蓄え、“デスティニー”は腕を伸ばす。それは自らの運命を勝ち取らんとするシンの生き様を体現したかのように。光の翼から迸る光粒子が機体を包み、眩く輝く一つの光と化した“デスティニー”はその勢いのままに最後の“ムラサメ”の胸に“パルマフィオキーナ”を押し当てる!
「トドメだ!砕けろッ!!」
煌めく閃光が胸部を貫通し、力なく空中に四肢を投げ出した“ムラサメ”は爆発の炎に飲み込まれて、消え去ってゆく。レーダーに残る反応がない事を確認し、同時に迫っていた制限時間に達した“デスティニー”は“エクストリームブラストモード”を強制解除し、通常稼働域へと出力を下げてゆく。同時に広げていた“光の翼”とコロイド粒子も消え去り、機体を包んでいた光も輝きを失う。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」
途端、猛烈な疲れがのしかかって来た。脱力感から機体の制御さえできなくなりそうなぐらいに。肩で息をし、溢れ出る汗を拭うためにヘルメットを外す。これまで経験したこともない動きに身体が振り回され、シンは意識を保っていたのが自分でも不思議なくらいだった。
“デスティニー”も、疲れきった身体から大きく息を吐きだすように、胸部大型ルーバーから光子と共に熱を勢い良く放出する。戦闘機動からアイドリングへと移行した事により、内部の破損を防ぐ為の強制冷却だ。フレーム内の温度が下がることを確認した早苗は、疲れきったように見えたシンを案じ、問いかけた。
「シン、お身体の方は……」
「くっ……!大丈夫さ、早苗。こんなぐらいで、俺は立ち止まったりはしない………先を急がなきゃ、いけないから」
気丈に返し、操縦桿に加える力をシンは緩めない。そうだ、たとえどれだけ苦しくとも辛くとも、この道が自分の選んだ道。険しくともこの固い意志を妨げるものなど、ありはしないのだ。だから、シンは立ち止まって入られない。すぐに“レジェンド”へと通信を入れ、状況の確認を行う。
「レイ、そっちはどうだ?」
「各部正常、異常無しだ。被弾の心配もない。………よくやったな、シン」
「それはお互い様さ………俺とお前のコンビなら、誰が相手だって負けない。…そうだろ、レイ」
モニター越しの笑みをお互いに向け、大きく深呼吸する。息を整えたシンは早苗に道筋の確認を仰いで、“デスティニー”を目的の進路へと向けた。
「行こう。紫が俺達を待っている」
前に進もう―――
そう言い、シンとレイは機体を巡らせて菫色の空を再び飛び続ける。紫が待つ、白玉楼に続く冥界の奥へと。


「さて、そろそろなのかしらね―――」
現界で死に絶えた生者の命の糧にして、貪欲なまでに花を付け続ける冥界の妖怪桜に囲まれながら西行寺幽々子は白玉楼の中庭に佇む。側には八雲紫の姿もあり、二人はこの場に参じる外の世界の住人の到着を心待ちにしていたところだ。
この幻想郷の住人ですらも滅多に足を踏み入れない冥界に、外側の世界の人間が来るなんて何十年ぶりのことだろうか。紫の神隠しや極めて偶発的な出来事で過去に幻想郷以外の人間が迷い込んだことはあれど、どれも幽々子からすれば一瞬の内に元の世界に戻っていった。生まれた世界に居場所がある人間には、誰もを拒まず、受け入れる幻想郷など必要ないのだから。
幽々子が視てきた幻想郷は、古き時より余りにも変わりすぎてしまった。人妖の闘争は無くなり、現界、冥界、天界、地底界、魔界………ありとあらゆる世界と自由に行き来が可能になってしまった幻想郷は、その生命の数を爆発的に増やしている。
人間は死ぬまでに子を産み、育て、そして死ぬ。世代を幾度と無く変えながらも人間の数は増え続けていき、人里の規模も年々増している。少しづつ外の世界の技術が河童によって解析されているのもあり、基本的な暮らしの流れに幻想郷と外の世界の差も縮まりつつあった。前時代的な“和”を残し続けていた幻想郷も、後数百年もすれば外の世界と同等の暮らしになるのだろうか。
これらは、紫が放った言葉だった。幽々子は待っているそれを思い出し、更に思案に耽ける。
だが、妖怪の総数は増えはしてもなかなか減りはしない。ありとあらゆる世界に突如として人間と大差ない姿で生まれた妖怪達は、親から命を授かり、人間の何倍もの寿命を有し、霊力で構成された強靭な体によって病気で命を落とすこともまず無い。
それでありながら知識も人間並みの機能を持ち、中でも河童に至っては非常に高度な技術力を種族間で高め合っていたりもする。弓や刀等、原始的な武器を原始的な使い方で用いるものも殆どいなくなり、弾幕と呼ばれる霊力を飛び道具として使う遊びをあちこちで重ねる毎日。
幻想郷の中で飽和していく妖怪の命は、減ることも無しに堕落していく一方だ。
「………紫は、今のこの世界。嫌いなんでしょ」
「そうね」
即答―――
目の前で紫は遠くを見つめ続けていた。中庭から靄がかかっている菫色の空を。………いや、違った。紫が見ているものは箱庭だった。それも特大級の箱庭で、自分達で作り上げた楽園の果てを瞳に映し続けている。
この幻想郷の、限りある果てを。
「死に怯えることもなく、争いの間でしか無い平和が崩れる様をもう来るはずもないと思い込み、毎日を楽しく生きてゆく………きっと、それはとても幸せなことでしょうね」
自分がこんなこと言うのも変なのだろうけど、と付け足した幽々子はくすり、と笑った。幽々子はとうの昔に命を落としたから、自分が未だに幽霊として地に足をつけている存在であるのが滑稽で仕方がなかった。最も、生前の友人とこうして会えるのならば成仏せずに縛られるのも悪く無いと想っているからではあるが。
「けれど、それは最悪の滅びの始まり。そうでしょ幽々子。どんなに幸せの世界を得た所でそれが本当に永遠に続くわけがないのだから」
「ええ、わかってる。…だから紫、貴方は―――」
紫の未来に見えている事実。その年数を重ね続けた余りにも聡明な頭脳の中で生み出された幻想郷の最期。それを回避するには、シン・アスカとレイ・ザ・バレルの存在が紫には必要だった。
だからこそ彼らをこの場に招くのだ。この世界の為に。紫自身が出来る事の為に。
「この幻想郷【せかい】を、壊すのね」
問いかける幽々子の瞳には、見上げる紫の背姿しか見えず。見えないその顔にどんな想いが満ちているのか、分からなかった。


「白玉楼まであと少しだ」
レイからの通信が聞こえ、いつまでも永遠に続きそうな長い階段の上を“デスティニー”と“レジェンド”は飛び続ける。地図も方位計も意味を成さないこの異界は、少なくともモビルスーツの運用には支障がないようだ。シンが抱えていた不調も幾分か安らぎ、戦う分には問題ない。
この先で何が待ち構えているのか。元の世界に帰れる確証は無い。それでも前に進むしか無いのだ。それはこの世界に来た時から貫いてきたこと。立ち止まるなんてありえない。この階段の先に、僅かでも可能性があるのなら。
先導するレイの記憶を頼りにして、冥界の楼閣へと向かう。死者が集う世界に近づいたことはあるが、まさか死者が生きる世界そのものに足を踏み入れてしまうのはさすがのシンも予想できなかった。自分は死者を沢山作り出している。いずれ、自分が行き着く先もこの世界のような靄だらけの不鮮明な世界なのだろうか。元の世界にこのような認識できる死人の世界があるとは思えないが。
―――ステラ………あの戦争で死んでいった人達………
この世界に、彼女はいない。それでも今まで見てしまった死者達を思い出してしまうのがシンだった。自分は彼女達兵士の骸の上に立っている命だ。
だから自分の戦いを無駄にする訳にはいかない。必ず戻って、必ず元の平和を取り戻してみせる。
それが彼女を殺してしまった戦争を、無くす自分の生き方なのだから。
「………!シン、妙だと思いませんか?」
背後から急に早苗が言う。振り向くと、彼女は極めて険しい顔で、モニターを睨みつけていた。
「どうした?」
「冥界は広いです。しかし、私も以前ここには来たことがあるのである程度地理の方は心得ています。………けれど、おかしい」
早苗は手元のコンソールを操作して、“レジェンド”の方にも通信を入れる。呼びかけたのは天子だった。
「天子さん。貴方とレイさんもここに来たことがあるんですよね。白玉楼までの道のりにここまで時間がかかりましたか?」
「………長すぎるわね。あの時は“レジェンド”に白玉楼の半霊が襲いかかってきたことに夢中で時間はあまり気にしていなかったけれど、いくらなんでも度が過ぎてるわ。ということはもしかしたら………」
「紫の仕業か………?」
「だとしたら妙だ、レイ。あいつは俺たちを呼ぶためにここに招いているんじゃないのか?」
無限の階段の途中で二機は立ち止まり、いつでも迎撃できるようにライフルを構える。先程のようにまたモビルスーツの偽物が来るのならば容赦なく退けるのみだ。“デスティニー”の“エクストリームブラスト”の使用にはまだ余剰エネルギーが足りないが、元のモビルスーツよりも劣る相手に通常機動でも問題はない。レイの方も戦闘に支障はないだろう。
「………ふっ、どうやら動きを止めたってことは私達の策に気づいたようだね………橙」
「なら、隠れていても仕方がありませんよね。ここで会ったが百年目。いざ!」
しかし、そこに現れたのは意外な人物だった。
妖怪の生体反応が突如レーダーに反応し、こちらへと急接近を仕掛ける。回避運動も間に合わず、コックピットの正面に大きな衝撃が起こり、“デスティニー”が僅かに仰け反った。
「くっ…!」
すぐに姿勢制御を保ち、ノイズが消えた前を睨む。“デスティニー”に仕掛けてきたのは二人の女の妖怪だった。一方は九つの黄金色の尻尾の持ち主であり、金髪のショートボブが目立つ頭には獣耳の形をしたナイトキャップを被っている。体躯は大きく、背筋を伸ばして空中に立っているその様は、隣に並び立つもう一方の少女が小柄であることもあり、威圧的な印象を絶えずこちらに与える。
そして小柄な少女は、不遜にも腕を組んで自信げに笑みを浮かべてこちらに仁王立ちをしている。人間で言えば7、8歳といったところか、未成熟な少女は金髪の妖怪と同じショートボブだが、赤毛が菫色の冥界の世界でひときわ目立つ。頭も形こそ丸く異なるものだが同じようにナイトキャップを被り、揃いの中国の民族衣装を身につけている。それはまるで、親子のように。
「八雲紫の差し金か……!」
レイが苦い表情で呟く。“レジェンド”もシンに並び立ち、共に妖怪二人と対峙する。
「我が主人、八雲紫様の招きに応じていただきありがとうございます。私は紫様の“式”、八雲藍。主人に仕える者として、以後お見知り置きを」
金髪の女、八雲藍は敬々しく頭を垂れて自己紹介をする。口調こそ丁寧だ。しかし、その言葉から察することの出来る妙な含みが、シンとレイの構えを解かせなかった。敵対の意思はある。二人は直感的に判断し、モニター越しの目配せでも同様だった。
「そして、私。八雲紫様に使える八雲藍様の“式”!化け猫達の間では誰もしらない者はいない、妖怪の橙【ちぇん】だよ!!今日は藍様のお手伝いで、ここにいるんだから!」
「………橙、忘れたのか?紫様から聞いたことを。彼らは外の世界の人間。お前が迷い家に住み着いた猫達の中で有名であろうが、彼らがお前のことを知るはずがないだろう」
「はっ、そうか!?うう………、私ったら勘違いして………ごめんなさい、藍様」
「………なに?この場違いな親子漫才。悪いけど、私達は先を急いでいるの。そういうのはよそでやってくれないかしら!」
敵対するものを前にしてあまりにも不相応なやりとりを目にし、天子が苛立たしげに怒鳴りつけた。ここで足止めを食らっている暇はない。すぐに通して貰おうと、“デスティニー”を再び前へ巡らせようとする。その時。
「あーらら、私達を無視出来ると思っているの…?」
「それはまったくもって心外だな、橙」
立ちふさがる橙と藍が一瞬にして接敵し、“デスティニー”に蹴りを浴びせてきた。信じられないことに人間大の蹴りでしか無いそれが、“デスティニー”を先程より数段大きな衝撃を受けて、コックピットのシンと早苗は悲鳴を上げる。
「きゃあああッ!」
「早苗!」
彼女を案じながらも直ぐにダメージチェック。フェイズシフトに問題はない。だが、あの衝撃は紛れも無く確かなものだ。機体の内部にも少々の被害が出ているが、許容範囲だ。やはり、只の妖怪ではなかったということ。自分達の敵だ。
「紫様から言われてるんだ。貴方達を通してもいいけど、その前にどれだけ力があるかってね。びっくりしたでしょ?私達“式”は式神って呼ばれる力の塊を身体に憑依させることで普通の妖怪が到底持てない力を自由に操ることが出来る。いまのはね、地底界では知らない者はいないとされる、伝説の青鬼赤鬼の豪腕の力を叩きつけたんだよ?凄いでしょ!」
「はしゃぐな、橙。そして、私達の秘密を自慢気に晒すんじゃない………ともあれ、貴方達も分かったことでしょう。私達二人を通りすぎようとすれば、容赦なくその背中に一撃を見舞います。ここを通り、無限の階段を抜けたくば私達に力を示してもらいましょうか。紫様にも届かない力ともなれば、この場で墜とすことも厭いません」
「シン……!あの二人は、おそらく本気です…!」
「こんなところで………!」
足止めを食らっている場合じゃないのに!内心で憤慨し、“デスティニー”を二人に相対させる。単なる一妖怪だと思って侮っていたが藍と橙がこの場に現れるに足るだけの要素はあるということか。しかしこの場で、しかも十分な脅威である妖怪相手に殺さずして退ける芸当が可能なほど、シンもレイも異常ではない。幾ら相手が自身があってもこちらはモビルスーツだ。勝つことは出来るだろう。だがその末は藍と橙の殺害になることは目に見えていた。
「だったら、私達が相手をしないとな」
この声は………!
聞き覚えのある声が聞こえると同時に、両者を分かつように間に弾幕が張り巡らされる。藍は橙の首根を掴みその場から飛び退いた。
「あの水弾は!」
息を呑む早苗が目にしたのは水の塊を霊力で固めた水弾幕。それが出来る存在は極めてよく知っている。なぜならその少女は、いつも自分達と側にいた親しい存在。この機体をいつも世話していた、自らと同じく彼を想う者。
「にとりか!!」
見上げるシンの目に、頭上からこちらへと飛ぶ河城にとりの姿が映る。彼女は得意の水弾を撃ち込み、橙と藍の距離を遠ざけると、“デスティニー”の側に降り立った。
「にとりだけじゃないぜッ!!」
次いで、閃光の束が橙と藍を分断させる。その光条はいつか無縁塚で見た、モビルスーツのビームライフルに匹敵するほどの激しい一撃。“マスタースパーク”と名付けられた必殺の光線は、藍側の体制を崩し忌々しい表情を浮かべさせる。
「参りますっ!」
「わっ、わわっ!」
さらに鋭い弧を描く閃きが橙の目の前で踊り、橙を焦りで埋め尽くす。里で“デストロイ”を牛耳ていたフォックストロット相手にも披露した神速の一振りは、いくら橙でも見切れないのか、慌てて飛び退く。その手に携える“楼観剣”と呼ばれる長刀の持ち主。それは、翠の服を纏い里でレイと共にシンを助けてくれた半霊半人の少女の姿。
「橙!?貴様、よくも私の橙を!!」
「アスカ君から離れてよっ!」
藍が橙の安否に気を取られた、その一瞬が命取りだった。藍の頭上に水のベールに包まれた巨大な錨が振り下ろされ、直撃とは行かずとも出遅れた藍の身体を掠めるようにアンカーを触れた。それに藍は血相を変えて自身の体に纏わりつく水を両手で払い除ける。
「くっ………!こうも式除けの水が多いとなれば………!」
「私特製のアンカーと霊水、お気に召したかしら?お水が苦手な式神さん?」
「貴方達は…!」
投擲したアンカーを軽々しく操り、手元に収めるそのセーラー服の少女とは早苗も紅魔館までの間、同行していた覚えがある。そしてシンの命の恩人でもあり、聖輦船異変において彼女の手引きがなければ解決まで成し得なかった存在。
「にとり、魔理沙さん、妖夢、村紗船長!!」
「皆さん、どうしてここへ…!?」
四人の人妖が両者に割って入り、“デスティニー”と“レジェンド”の前に並び立つ。彼女らはシンとレイがこの世界に迷い込んでから、多くの事を助けてくれた恩人だ。
今この場で再び助けられたことを嬉しく思うも、どうして彼女達がここにいるのか。その事実にシンは混乱した。
「大丈夫だったか!?シン、早苗!全く、お前達は妖怪だからって油断し過ぎなんだ………まったく!」
「香霖堂以来ですね。お久しぶりです、アスカ君。つい先日まで、私達は里の復旧作業を手伝っていたんですけど、やること済ませた後はじっとしていられなくって………アスカ君がこっちの方に行ったって聞いたから私、君を追ってここまで飛んできたんだよ?」
「よく言うぜ。元々、にとりが時々里に買い出しとか来た時に、私らに言っていたんだよ。『シンが心配だ』って。んで、にとりが今朝大慌てで『シンに会いたい、追っかけて行きたい』って泣きついてきたから、里に一緒にいた妖夢も連れ出してこっちに来たんだよ」
「なっ!?私は泣いてなんかいないぞ!!私一人で冥界までは不安だから、偶々里で霖之助と一緒にいたお前を呼んだだけだ!」
「一緒にいたとか言うなっ!?私は、あいつが里の助けになりたいとか言うから付いて行っただけだ。あいつが無理して倒れると、居候としての私が気分悪いからな………」
「それぞれの事情は察しますが………私は、本来ならば白玉楼の守り人としてそこの八雲藍と共闘すべきなのでしょうが……生憎今回の件に私は不干渉であり、幽々子様からも何も言われておりません。だから、私は私の意思でこの場に立ちます。八雲紫様が成そうとしている真意を確かめるために………!」
「お前達………!」
それぞれの理由で、手を貸してくれるにとり達。それにシンもレイも圧倒され、助けられることがとても嬉しかった。
そうだ、自分達はいつだって誰かに助けられてきた。いつだって、一人で居続けることはなかった。彼女達との絆があるから、自分達はここまでこれたのだ。
「いけっ、シン!」
「にとり………」
「こんな所で、私達の“デスティニープラス”を傷つけさせるわけにいくか!お前は、お前の行きたい所へ!」
「そうだ、シン!」
「魔理沙さん!」
「へっ、私は前にこいつらと一度やりあったんだ。こっちへ気を引けば、階段に掛けられたトリックも維持できない!私らが相手してやっから、さっさといっちまえ!」
「大丈夫?怪我はない、アスカ君」
「村紗船長………!」
「ふふっ、相変わらずなのねその呼び名。私とにとりの霊力の水ならば、式の憑依を弱めることが出来るの。私は、貴方が元の世界に帰るっていうのを応援するけど………ううん、やめた。今は、アスカ君を送ることだけに専念する。それが私の決めた………覚悟だからね」
「だが、モビルスーツを怯ませるほどの一撃だ。お前達が受けたらひとたまりも…!」
「貴方が不安な声を出すのは、極めて珍しいことですね。レイさん」
「妖夢…しかし、下手を打てば死ぬ」
「生憎。妖怪とか幽霊とか、簡単に死ぬようなものではありません」
「なら、魔理沙はどうだ。あいつが攻撃を受ければ、それこそ簡単に身体が吹き飛ぶぞ」
「それなら心配ありません。魔理沙は、そんな簡単に死ぬような人間じゃありませんから」
「そうだぞレイ。こちとら、ナイフで刺されかけたり刀で斬り付けられそうになったり、炎で燃やされかけたり、凍りづけにされかけたこともあるんだ。いまさらこの程度、問題以前の代物なんだよ」
彼女達に対する心配はもはや不要だった。彼女達は幻想郷でそれぞれ送ってきた生活ではこのような事も茶飯事なのだ。この世の理を知らないシン達の不安など逆に迷惑なだけ。
ならば、進むべき道は唯一。
「レイ!早苗!天子!」
「はい、シン!」
「ああ、突破する!」
「当然よ!」
「………よし、行くぞ!」
“デスティニー”から煌めく光の翼。光圧推進で瞬く間に加速する“デスティニー”と“レジェンド”は、その場から藍の脇を抜けて離脱する。
「行かせるか!…っ!」
「逃すか!シンの邪魔はさせない!」
藍が“デスティニー”を追おうとするが、にとりが水弾幕を撃って立ち止まらせる。藍の忌々しげな表情が向けられるがにとりは臆することはない。例え自身が戦いが苦手でも。河童が持つ水の性質の弾幕は式にとって大きな弱点。つまり、優位性はこちらにあると分かり切っているからだ。
「一妖怪の河童風情にこの九尾の私が………!」
「そんなこと知るか、お前は私達の相手をしてもらうんだ!もうシンには………元の世界に帰るしか無いんだからぁっ!」
悲痛な叫びを響かせながら、にとりは心の奥底で泣いていた。今から戦う相手には弱い自分を見せないよう涙を流さずに。
シンを元の世界に返すことが嫌なのに。彼の想いの邪魔は出来ない。
だから、どんなに辛くても彼の背中を押すしか無いのだ。
他に何ができよう?
―――お前を止めるなんてこと、私には出来ないよ。シン………
果敢に二人の式へと突撃するにとり。
その心にあるのは、辛くとも思いを馳せる彼を送り出す決意だけ。
この先の永遠の別れを、もう恐れない。
にとりは共に来てくれた彼女達と一緒に、藍と橙へ向かった。


「着いたぞ。目標ポイント………白玉楼はここだ」
藍の幻覚を抜けてシンとレイは白玉楼の上空に着く。眼下に広がるのは長い階段の果てにある、山の上に陣取った広大な敷地の上に建てられた和風建築の屋敷だ。中庭が屋敷のいたるところに存在し、枯山水が広がっている。しかしこれだけ大きな屋敷だというのに、使用人らしき人の影はなく。代わりに早苗曰く死者の魂の成れの果て、“幽霊”と呼ばれる白い煙状の塊が静かに浮かんでいた。
―――ここは冥界。まともに生きている人間がいない世界ですからね。
背後で早苗がそう言う。シン自身、自分が死んだ所であのような存在になることはないだろうが、この世界にきて生きている死者や亡霊を直接目にする機会があるとは思わなかった。早苗の言葉通り、常識は通用しない。
そして、中庭の中でも一際大きいそこに、巨大な木が聳えているのを捉える。
「シン、あそこだ。あの“西行妖”と呼ぶ妖怪桜………あそこに並び立つ二人の内、和服の女はここの主の西行寺幽々子。その隣に立つドレスの女が―――」
「………えっ、あの人は………!」
シンが彼女を目にするのは二度目だった。香霖堂ですれ違った、紫のドレスを纏う奇妙な雰囲気の女性。艶やかな金髪を靡かせ、洋傘を片手に佇む優雅な貴婦人。彼女との香霖堂で自分に一方的に語りかけてきた時のことを思い出す。訝しむに十分過ぎるほどの存在だとは感じていたが、まさか彼女が。
「ああ、八雲紫だ。俺達をここに招き、俺達同士で戦わせた………張本人だ」
「レイを、シンを弄んだ、奴とのご対面ね…!」
「幻想郷の賢者にして、今回の全ての黒幕……!」
「あいつが、紫………!」
天子が、早苗が、シンが、紫の姿を目にして面々に呟く。
ズームした彼女の浮かべている顔はこちらへとまっすぐ見上げていて。ただ、不敵に笑っていた。


PHASE- 52  運命の赤い瞳


「あいつが、紫………!」
やっと見えた。そして、お前だったのかと。二つの思いを同時に抱くしか無いシン。冥界の奥で、菫色の景色の果てに立つ紫色のドレスは、嘗て香霖堂の外で目にしたものと同じだ。
それを纏う彼女もまた、あの妖しさを秘めた瞳を上げてこちらを捉えている。一方通行な初対面だ。この“デスティニー”が彼女を見下ろすさまはまるで、童話の小人と巨人のようだ。だが、彼女の存在は只の人間の一人でしか無い自分と早苗とに比べると、遥かに大きく、重いものであることをこれまでの彼女の話題で思い起こされる。
神に等しき力を有する者、八雲紫。彼女が、これほどまでに直に目にすることができてかつ、手が届く場所にいるということ自体が、これまで宛のなかった旅路の果てにある事がシン自身、信じられなかった。
“デスティニー”がその足を地につける。続く“レジェンド”も並んで重厚な金属音を震わせたあと、再び生物の気配が一切しない無機質な静寂が辺りを埋め尽くす。シンはコックピットを解放、外部スピーカーを用いず、ヘルメットを外し敢えて肉声で彼女に問うた。サブシートの早苗も市イートベルトを外して背後に立った。
「紫、だな」
「そうね」
あっけない答だった。「お前が八雲紫か?」などと、馬鹿丁寧さはもはや不要。その一言でシンは紫を理解し、紫はシンを理解したのだろう。戦慄しシンは顔をしかめ、紫はあの時と変わらない小さな笑みで口元を歪めた。その艶のある唇の曲線が、とても歪に見える。その顔は美しいが、とても醜悪に見えた。
「八雲紫………俺達をこの幻想郷に迷い込ませ、これまでの戦いを作り上げた元凶か…」
レイが極めて短く簡潔に彼女の歪みを口にした。シンとレイ、そして兵器ごとテロリストの残党をこの世界に巻き込んでしまったのは、手段はどうあれレイはこの女だと言う。レイが妖怪の樹海で目にした時の含んだ口ぶり、それはもはや自分の所業を自供しているようなものだった。だからこそレイは彼女に怒りを抱き、再び出会えたシンと彼女に指された冥界の楼閣へと辿り着いてきたのだ。
早苗も、天子も、彼女とは面識がある。シンがこの世界に迷いこむよりも前に、以前の異変で二人は彼女と相見え、そして弾幕という名の言葉を交わしている。それはあくまでコミュニケーションの一種だが、それでも彼女を把握するには余りにも材料が足りなすぎた。
全てが謎で、その真意さえも分からない。深淵が形そのものとなった存在のだと、形容するのに相応しい存在が彼女であった。
「貴方が私の前に来てくれるのを、ずっと待っていたわ」
「………」
「シン・アスカ」
その唇からの紡ぎが、シンの身体を戒めた。背筋が一瞬硬直すると同時に、心のなかを見透かされるような錯覚を感じる。
「なんで、貴方が」
真っ直ぐにシンは言う。この世界で得たありとあらゆる体験の根源に対する問い。彼女の瞳から一瞬でもブラさず、視線を固める。その大きな瞳の闇の向こうに在る答えを、シンは知りたくてたまらなかった。
「愚問などとは言わないわ。自分の世界を変えてしまった途方も無い問いを、やっと投げかけられる存在を目にしたんだもの。“それ”が、人間の当たり前でしょう?」
そう、それ以外の言葉など浮かばないし、意味が無い。
「そうだな。今更、お前から知らなければいけないことがこちらとしても納得できるものとは思っていない」
レイが“レジェンド”から自分と同じようにコックピットから出て言った。その手には灰色の拳銃が携えられていて、その先は紫の額で。レイが彼女に抱いているのは、敵意以外の何物でもなかった。
「―――レイ・ザ・バレルね」
「質問しているのは、こちらだ。紫。お前の煽動に、俺達は乗った。だが、いつまでもお前の掌の駒じゃない。俺達を、この世界の外へ出る手段を掴むために、お前を追ってきた」
「そうよ、紫!いつぞやのムカつきも結構だったけど、レイやシンを弄ぶようなことまでして!!私は、アンタを軽蔑するわ!」
レイに続いて天子も激昂する。
レイのそれが脅しに足るものだとはシンもレイも、ましてや早苗も天子も思ってはいない。妖怪に通常兵器が聞く散弾など無いが、人の形を持った者に対する敵意はこれで表すのが明瞭であるだけだ。
紫の思惑に、乗せられるつもりはない。
「紫さん………!シンを、レイさんをここまで苦しめた理由は何ですか…!?なんで貴方は、本来この世界にも、外の世界にも在るはずのない存在であるシン達を、この世界にいざなったのですか?」
自分達の問いは投げかけられた。が、先に応じたのは紫のその隣に佇んでいた少女。この白玉楼の主、西行寺幽々子だった。
「ふっ………ふふっ…!『迷わせた』から、この世界に『いざなった』ねぇ……、随分と気に入られているじゃない、貴方のその力。ねえ、紫」
「ええ………そうね…真実とは別に塗り固められてしまった意識は、やがて便利な言葉を用いて自己解決へと導かれる……まさに、『進まない世界の住民』が口にする言葉ね」
「そうね、紫………私はもう死んでしまったから、生者の土俵には上がれなくなってしまったけれど、せめて貴方の望みが叶うさまを拝見させてもらうわ」
「ええ、幽々子。貴方の手は煩わせない。永い時を共に過ごせた親友である貴方は、そこで見ているだけでいい」
幽々子はその言葉を受けて数歩下がる。紫の不遜な口ぶりが僅かな怒りが滾り、シンの頭を刺激する。何が言いたい?と、聞こうとして続く紫の言葉にシンは意識を磔にされる。
「そうね、そうよね。貴方達はここまで来ることができたんですもの。だから、私は貴方と対等で分かり合えなければいけない。この場で交わす問いでは、相互理解には程遠い」
そう言うと紫は、その身体を静かに浮かせた。華奢で、高い背が重力を無視する様は幻想郷の常識の一つだ。だが、その佇まいと存在感が、それは本来異常である認識なのだと本能に強く訴えてきた。
「戦いましょう、貴方と私で」
「…!シン、接近感知、距離2000!」
早苗が急遽気づいた情報に反射で叫んだ。けたたましく鳴る警報音にシンは操縦桿とハッチ閉鎖を同時に行なった。直ぐにビームシールドを構え危険方向に掲げると、鋭き光条が目の前で霧散し荷電粒子の炎を退かせた。
「そ、んな……!」
モニターズーム。黒い点であった敵の姿を鮮明にさせるよう操作し、そこにあった巨体に息を呑んだ。真紅の機体色こそ、記憶の中のそれとは異なるものの、間違いない。その機体は、運命を定めようとしたデュランダルの剣であった自分の前に立ちはだかった最後の剣。無限の正義を名に冠し、互いに全力以上の戦いを繰り広げたモビルスーツ。
「“ジャスティス”………!?」
“インフィニットジャスティスガンダム”だった。
「シン!」
「レイ………!」
2人の少女が呼びかけてくる。裡【うち】に湧き上がった感情のままに、シンとレイは目の前の真紅の異形を睨みつけた。なぜこんなものをぶつけてくるのか!紫の考え、そして紫の未知なる力に翻弄されるばかりだ。しかしそれに臆することは許されない。
来るべき時は来てしまった。準備はできている。あとは……戦うしか無いのだ。この戦いに、負けることは許されない!
機体を巡らせ、“デスティニープラス”と“レジェンドプラス”の勇姿が並ぶ。皆の想いを足されてこの場に立てるこの昂ぶりを、遮れると思うな―――!
「シン・アスカ、“デスティニー”、出る!!!!」シンボイス


「あら、人間が一人」
全てが黒に染まりゆこうとしている茜色の空の下で、あの時の私はふと、誰かの声を耳にした。
目の前に映るのは全て、総て、死。大好きなお父さん、お母さん、弟、隣のおじいちゃん、おばあちゃん。元気な自分と同じぐらいの子供の皆。その全てが、無力に地面へ身体を預けている。
それらが誰かとわかる材料を、私は持っていた。皆、この山奥に隠れた名無しの里に住んでいた人達。人数もそう多くなくて、けれども誰もが仲良しに過ごしていたことが、私が皆の顔を知っている事。そして、それらが無残にも身体を引き裂かれていたり、元の身体が解らなくなるくらいめちゃくちゃでも、私は遠くからでもなんとなく、それが知っている人の一人なんだなと、納得できてしまった。
それが私に芽生えた、初めての、勘。
そんな骸が広がる地の上に、私はいた。そしてまたもう一人。声の持ち主が私を捉える。
紫のドレスに、長く靡く金髪の女性が、私を前に立っている。自分以外の、唯一の生。しかし、それに対して私の心には湧き上がるものがなかった。
悲しさ?怒り?絶望?希望?そのどれもが、私には生まれない。全て、この景色を目にした時から一緒に殺されてしまったかのように。私の心も死んでいた。素直に泣けれたらいいのに。嗚咽を吐き出せればいいのに。ひとしきり泣いても、死体は蘇らない。だけど、悲しさがあるならば私はこの人達を本当に大切に思っている筈なんだ。
それが、出来ない。
いろんな想いが振り切れて、私はどんな顔にもなれなかった。それが喪失感だと気付くのには、私は子供でいる間この光景を思い出すことは出来なかった。
「運がいいわね。遊びか何かでたまたま里に隠れていた子かしら。この里にいた人間は、類まれな霊力を妖怪以上に純粋に扱える人達ね。それに惹かれて凶暴な妖怪の群れが、里にいた彼らを全部喰らい尽くしてしまった………そんなところかしら、ここの惨状から分かるのは」
お見通しのようだった。理屈も仕組みもわからないが、女はここで起きたこと全てを簡潔に口にした。私は、子供達とかくれんぼをしていた。私はちょっとだけズルをして、家の床下に寝そべって隠れていたのだ。いつまでたっても私を見つけてくれないから、外に出てみれば、この景色だけ。和気藹々としていた彼らの瞳に、もう光はない。
「………………」
私はただ、黙って。聞こえてくる言葉の紡ぎを耳にしていた。
「先人達が作り上げた、妖怪避けの結界に包まれていた隠れ里ね。まさか、境界を弄ってこの世界の全てを見通せる私が見逃してしまうものが、幻想郷に在っただなんて。けれど、これではもうお終いね。原因となった妖怪達は私を喰らおうとしたけれど、そのどれもも殺してしまったし。どんなに祈っても、誰にも死人を蘇らせることは出来ない。この私の力でさえも」
生き残ったのは、貴方だけよ。女からそう言われても、何も嬉しくはなかった。むしろ、これらの仲間入りが出来ていたのなら。死んだ皆でまた遊べるのだろうかと、私は思っていた。
「だけど、貴方をどの妖怪にも殺せない存在に、仕立てることは出来る」
ドレスの女は手を伸ばした。細く、白い指がこちらへと差し出される。
この手を掴めば、この里の外に出れば、私は生きて行けるのだろうか。大好きを全て失った私に、生きる道標をこの手がくれるというのだろうか。
私は、その手を掴んだ。
「貴方、名前は?」
「――――――」
「そう。何者にも縛られなさそうな、真っ直ぐな名前ね。けれど、妖怪達を律する女にしては、余りにも可愛らしすぎる。貴方には、貴方を貴方たらしめるに相応しい記号がある。それを、私が付けてあげる」
“私”が生まれたその理由。ひとりぼっちになってしまった私に与えられた、新しい“私”。それを、彼女は―――八雲紫は私に与えた。
「博麗霊夢。貴方は、全ての妖怪を退ける、この世界の巫女として生きるのよ」
私の運命が生まれた日。私は、里の皆と同じように持っていた力が、とても特別なものであることなのだと、紫から教わった。
それは、空を自由に飛べ、想いを針や札に乗せて放つと妖怪を弱らせることの出来る退魔の血。
紫から霊力と名付けられたこの力は、他の生物が持つそれとはかなり異なっているようで。妖怪の力を根本から消滅させることの出来る代物なのだと紫と行動を共にしている内に分かってしまった。その力を抑えるだけでも、妖怪を弱らせて無力に出来る事も。
私は、沢山の事を紫から言われた。妖怪も、人も、全て紫の唱える世界の為に。私の札と針で殺し続けてきた。今の私の母と呼べる存在、彼女の為に。
だから私は、“こんなところ”にいる。紫は、これをさせるために私を育てたのだろうか。紫が望むものの実現のために、最初からこうなる未来を識っていて私を育てていたのだろうか。
………いや、そんなことすらもうどうでもいい。
今の私は、もう何も失えない。失いたくない。死んでしまうと聞かされていて、それを止める手段が私にあるのなら。私は“こんなところ”にいることだって出来る。
私は、シンを愛しているのだから。
たとえそれが、私の身勝手だとしても。私の、願いの為に。
だから、あいつの言葉に私は従うしか無い。こういう事をさせるために、あいつが私を育てたのだとしても。


白玉楼から飛び立ち、菫色の空の中を二対の翼は斬り裂いていた。薄い色で覆われた世界を、三つの人型が破壊し、蹂躙し、それぞれの想いを光に乗せて空を撃ち貫いていく。
シンの“デスティニープラス”、レイの“レジェンドプラス”が、紫の“真紅のジャスティス”と今、戦いを繰り広げていた。
「はああああッ!」シンボイス
鋭い煌き同士がぶつかり合い、交錯する。シンの“デスティニー”と紫の“ジャスティス”のビームサーベル同士が正面から接触し、激しいスパークを起こす。
出力は互角だった。反応は冥界上空に出現したオーブ軍モビルスーツの贋作と同じ、妖怪の反応。しかし、このモビルスーツ越しに伝わる相手の殺気、機体の出力、反応速度。そのどれもがあの形だけの偽物とは違う。
「なんでだ!なんで、アンタが、俺達のモビルスーツを!」
シンの怒りが紫に向けて響き渡る。それはアスランの機体だ。俺と戦った、彼の機体だ。なぜ、それを紫が。さも自分のものであるかのように、自分に向けて戦わせているのか。シンにはそれが許せなかった。
「別にもはや驚くものでもないでしょう。古明地さとりが“フリーダム”を貴方の記憶から呼んだように、私も私の“境界を操る程度の力”で虚と実、夢と現を操作しただけのこと。もっとも、貴方達にけしかけた機械人形達は、その試しとして呼んだだけのものにすぎないわ。その結果が、貴方の前にある“インフィニットジャスティス・ナイト”」
「“インフィニットジャスティス・ナイト”!?アスランの剣を踏みにじっておいて………!そんなことをしてまで、俺達の世界を弄ぶのかよ、お前はッ!」
モビルスーツ同士の近接戦闘は、これまでシンを阻んだモビルスーツ、またはそれらを模した物全てが成し得なかった、極致の状況だ。唯一可能にしたレイでさえも白兵戦はシンに劣る。“デスティニー”の刃を、退けられる機体はこの世界に存在しないはずだった。今この時までは。
「この動き―――!?」
紫の生み出した真紅のジャスティスの元となる“インフィニットジャスティスガンダム”は、“デスティニーガンダム”と同程度の技術で固められたアスラン・ザラの機体だ。シンの“デスティニー”と渡り合える程の格闘戦を繰り広げたその機体は、それを駆るアスランの卓越した技量と反応速度の賜物だ。
それと寸分違いない動きで、紫のそれはフレームからの鈍い光を迸らせながら全身の刃を振り下ろし、斬りかかってくる。
『過去に囚われたまま戦うのはやめろ!』
アスランの声が頭の中で呼び起こされる。過去に決着を着けるために戦うシン、今ある現実を未来へと繋げるために戦うアスラン。その激闘の末、シンはアスランの信念に屈した。
だが、今眼の前に立つのはその信念すら無い唯の木偶人形だ!
すかさず応じた。シンの“アロンダイト”が紫のビームブレイド“グリフォン”を受け止めた。が、それだけでは終わらない。直後に腰から抜き放ったアンビデクスフォームの“シュペールラケルタ・ビームサーベル”を分割させてその二振りが“デスティニー”を狙った。
―――させるかッ!
一瞬で判断、そして実行。迷いなき選択は“フラッシュエッジ2”に向けられ、ビームサーベルモードで切り払う。シンの反応速度に呼応する“デスティニープラス”は、やはり完璧な整備だった。シンの動きに淀みなくついてくる。これが、にとりや早苗の、皆の想いを足された機体なのだ。負けることなど許されない。ましてや、一度受けた攻撃の数々に、シンが臆することも屈することももはやない。
迷いを振りきったシンの剣は、“ジャスティス”の動き―――メサイア攻防戦におけるアスラン・ザラの動きを極めて忠実にトレースした動きだ―――を見切り、サマーソルトキックを見舞い相手をひるませた。辛酸を舐めさせられた機体に対し、優勢でいることに慢心はない。この流れは、シンがこの世界で積み重ねた旅路で得たものの塊だ。
元の世界へ変えるためへと、シンを後押しする固い決心が、シンを勇気づける。その力は、もはやユニウス戦役が始まった頃の彼と比べものにならない。数々の悪夢を乗り越えて研ぎ澄まされていった彼の力は、“ジャスティス・ナイト”というまやかしに対して何の揺らぎもない。
「シン!」
「レイさん、援護を!」
背後の早苗が叫んだ。“デスティニー”の反撃に動きを止めた“ジャスティス”に合図を送ったのだ。即座にレイがビームライフルを掃射、硬い紅の装甲に光の矢が突き刺さる。直撃ではない。ビームキャリーシールドで辛うじて受け止めた“ジャスティス”だが、その体勢を僅かに崩す。
その機会を逃さない。
「亡霊ですらない、幻を俺達にぶつけたお前を、俺は絶対に許さない……!」
「カナメファンネルと同じ要領よ!思い切ってぶつけちゃえ!レイ!!」
天子の威勢と共に、“レジェンド”の背部ドラグーンの一斉射撃。光の矢は雨となり、ジャスティスの全身を包む。オーロラのように輝く光条は、“ジャスティス”の光の壁を何度も叩きつけた。防御姿勢しか取れない相手に対し、更にシンが長射程ビーム砲を重ねる。
確かにアスランは強かった。オーブ侵攻戦でも彼の存在によって、倒せたはずの“ストライクフリーダム”も、傷だらけの“アカツキ”も、生き残ることが出来た。それどころか手負いであるはずのアスランでさえも、心情の揺れもあったとはいえシンは倒すことが出来なかった。
シンが認めた、本当の強さを秘めた戦士。それを猿真似で目の前に出された程度で、シンも、レイも、倒せるのだと紫がわずかでも想っているのならば、そう思っている事自体が間違いなのだとシンはコックピットの操縦桿を握りしめた。
「紫!お前は、一体何を目的で、俺達をここで戦わせているんだ!」
シンがずっと問い正したかったこと。この世界へ招いたのが彼女だというのなら、あの女が、全ての元凶なのだというのなら。なぜ、こんなことをする?なぜ、こんなことを考える?シンの理解の範疇にない、彼女の読めなさがシンの奥に引っかかる。
「俺は元の世界に帰りたいだけなんだ!お前は、何のつもりでこんなことをするっていうんだっ!」
「そうです、紫さん!貴方は、シンの世界がどうなってもいいというのですか!」
早苗の悲痛な言葉がシンと重なった。シンの願いは平和を望む純粋な想いだ。それを誰にも邪魔されるものではない。こんな所で、躓いていては自分が、何のために戦いの生き方を選んだのか。
あの時、妹が、家族が。全てが、オノゴロに墜ちたたった一つの流れ弾によって失ったシン。戦争という悲劇の種によって、どれだけの人間が苦しんでいるか。この世界の人間には到底思いつかないものなのかもしれない。
だけど、その想いに心を通わせてくれた皆が、シンをここまで送り出してくれたのだ。早苗や、にとりや、霊夢が。あと一歩というところまで背中を押してくれている。
あと、すこしなのだ。紫が、元の世界への道標を示すだけ。
「俺を………元の世界に返せよッ!」
シンの渾身の一振り、“フラッシュエッジ2”を振り下ろす。紫の“ジャスティス”はそれを受け止めたが、“デスティニー”の驚異的な光圧推進と機体出力が“ジャスティス”の動きを阻害する。紫は地上からシンに返した。
「それは出来ないわ」
「何!?」
「貴方は、この世界にとって必要な波紋を呼び起こせる投石よ。それをみすみす逃してしまうことは、私には考えられない」
「お前の身勝手で、俺達の世界の人達を見捨てろっていうのかよっ!」
「それも辞さないわ。この世界に捕われてしまった貴方にとって、元の世界から切り離された貴方にとって。もう関係のないことなのですもの」
「見逃せるわけないだろっ!」シンボイス
「私と貴方の想いがすれ違っていたとしても、いずれ貴方は私に賛同してくれる。今はその時がちょっと早いだけ。貴方と私の境界線は、いずれ一つに集約するのだから」
「お前はッ!」CCC_J069シンボイス
関係ない!?なんでこの女はそう平然と吐き捨てることが出来る!確かに、彼女からすれば別の世界での出来事など正しく他人事だろう。この世界を救おうとしているのなら、最善の行動を取ることも理解できる。しかし、その為にシンの意思を無視して、救えるはずの命を見捨てるのだというのなら、シンにはそれが許せない。この女は、退けるべき敵だ。シンとは分かり合えない、絶対なる敵なのだ。
全てを賭けてでも、この女の思い通りにはさせないッ!
「お前は……!ふざけるなぁっ!!!!」CCC_J070シンボイス
「神を気取るおつもりですか、八雲紫さん!貴方には、シンが必要でもシンには貴女の思いなど少しも伝わっていない!貴方が、頑なに私達を阻むというのなら………私達は、切り拓くのみです!」
「そうだ、早苗!お前達のような奴が、いつだって自分達のエゴで世界を傷つける!そんな考え、ロゴスと同じだっ!俺は、こんな所で終われない…!立ち止まれないんだ!こんな所で!」
心が剥がされそうでも、この想いは、願いは、譲れない。平和へと歩む人の心を信じるシンに、妖怪である紫がわからないのだというのであれば、それを分からせてやる!分からせてみせる!それが、この戦いでシンが成すべき事だ。
「神様か何か知らないけど!皆の明日を壊させはしない!その下らない野望は、俺が叩き潰してやるッ!」シンボイス8秒
「人々を煽動するだけのお前に…!お前達は邪魔者でしか無い!」レイボイス
自身の力で、全てを自分のものに出来ると思うのなら大間違いだ、そのエゴは、絶対に許せない!
“デスティニー”が“アロンダイト”を振り抜き、“ジャスティス”に飛びかかる。その背後にいる“レジェンド”がライフルを構え、シンに呼びかけてきた。
「連携でやるぞ、シン!」
「ああ、里の時みたいに!行くぞ、レイ!」
この戦い、すぐに決着を付ける。“デストロイMk-II”を墜とした自分達の連携攻撃、それを今一度。“デスティニー”と“レジェンド”の連続波状攻撃“コンビネーション・アサルト”が“ジャスティス”に降り注いだ。
「はあああっ!」レイボイス
レイの気勢が、ドラグーンのビームとなって襲いかかる。1G下を飛行する突撃ビーム機動端末が“真紅のジャスティス”に集中砲火を浴びせる。尚も“ジャスティス”は盾を構えてはいたが、ビームの過負荷が“ジャスティス”の体勢を崩し失速させた。
「今だ、いけっ!」レイボイス
「いけえっ、シン!!」
レイと天使の声が高らかに重なった。それに応じたシンの“デスティニー”が、その手に携えた長刀を大きく天上へと伸ばしていた。天の光を受けて輝く“アロンダイト”。その一閃が振りぬかれ、“ジャスティス”を捉えた。
「俺の前に立ち塞がるのならッ!」シンボイスCCC_J054
光刃の一閃が“ジャスティス”の左腕を奪い、宙に舞った。“アロンダイト”の一撃が“ジャスティス”を捉え、先端の実剣で盾ごと貫き、断ち切ったのだ。
「はあああああっ!」シンボイスCCC_J039
続く斬撃が、ジャスティスを吹き飛ばす。装甲によって刃は貫くに至らなかったが、傷だらけの“ジャスティス”にシンは飛びかかる。煌めく右手。“パルマフィオキーナ”の奔流が、“ジャスティス”の腹部に当てられた。
「これで終わりにしてやる…!」AF1_H485シンボイス
紫の企みも、何もかも。この一撃のもとに砕いてみせる!
嘗て苦戦した敵と同じ動きだろうと、その全てを凌駕している今のシンの激情の前に、“ジャスティス”はかなりの損傷を重ねていた。この一発で、最後の敵も終わる。そう確信し、シンは指をかけた操縦桿のトリガーを握りこむ。その直前だった。
「いいのかしら?貴方をこの世界に留めようとしているのは、何も私だけの考えでは無いわよ?」
「何だと…!?」
「あの娘もこの世界に貴方を必要としているのよ。私の娘………霊夢もね」
「シン、赤い機体が!!」
紫の言葉に逡巡したシンが我に返る頃には、傷だらけの“ジャスティス”がサーベルを抜ききっていた。反射的にビームシールドで防御したが、“デスティニー”は姿勢を崩し、激しい衝撃が二人を襲う。
「くうっ…!」
姿勢制御を何とか取ると、“ジャスティス”の猛攻がシンの前で踊る。薙刀のように振り下ろされる光刃が、“デスティニー”の防御を誘わせた。そこから攻撃に転ずることが出来ない。両腕のビームシールドで受けきるが、続く“ジャスティス”肩部の“ハイパーフォルティスビーム砲”を正面から食らい、“デスティニー”は地面へと吹き飛ばされた。
「シン!!」
そして“ジャスティス”はレイへと襲いかかる。シンの勝ちを確信していたのが仇だった。不意を突かれたレイは防御が遅れた。僅かに装甲に傷を許してしまい、その遅れが“レジェンド”も防戦を強いらせる。
「見てレイ!アイツの傷が!」
「修復した、だと!?」
シールドの向こうで天子が見たものは、シンによって与えられた損傷が、一瞬にして無傷へとうつりゆく所だった。装甲だけではなく、失ったはずの左腕も取り戻していて、ビームキャリーシールドに内蔵されたビームソードで“レジェンド”を追い込んでゆく。
「どういうことだ、これは!?」
「貴方も言ったでしょう、レイ・ザ・バレル。それは実にして幻の存在。私の思うがままに、幻はその姿を取り戻し、形としていく。それが唯の偽物と嘲るのなら、貴方達は私には勝てないわ」
「ええい…!」
苦しげにうめくレイ。本物と同等の戦闘力でありながら、フェイズシフトの防御力に規格外の回復力。極めて厄介な存在であることに、汗がにじむ。
「くっ………!」
ダメージコントロール、まだ行ける。大した損傷はない。“デスティニー”は立ち上がり、地上からビームライフルを構える。狙いを定めて、レイの援護を。しかし、その瞬間紫の直前の言葉が再びシンの中で反芻された。
私の娘?霊夢さんが…!?
霊夢が自身の敵となったのは無縁塚での時。しかし、霊夢は今この場にいない。紫の元へと向かったきりで、この場に彼女の姿はない。
「どういうことです?霊夢さんは人間で、紫さんは妖怪…!いや、そんな当たり前なこと、今はどうだって…!」
早苗すら動揺するその言葉に、シンは僅かに機体の巡りを鈍らせた。周囲に降り注ぐ“ジャスティス”の近接防御機関砲の雨に、シンと早苗は苦しめられた。
いや、………見えないのは姿であって、既にこの場にいるのではないのか…?
その直感の誘いが、シンの周囲を見渡した。目視、どこにもいない。レーダー。生体反応はない。けれども、彼女は冥界に、紫の元へと無かったはずなのだ。皆の言葉を信じるのなら。しかし、なぜ紫は目の前にいるのに霊夢はどこにも―――!
「まさか………」
「やっと気づいたようね、シン」
シンの思惑を汲み取ってか、紫の唇が歪められる。初めて浮かべた彼女の笑みは、とても醜悪で美しい。その瞳の輝きに、シンは確かな恐れを抱いた。
「そんな…!」シンボイス
シンの慟哭に、通信シグナルが届いた。国際救難チャンネルでなら、どの機体にもアクセスが可能だ。シンはそれを許可し、サブディスプレイに通信内容を表示させた。
そこに、写っていたのは。
「また、会えたわね。シン」
「霊夢さん………!貴方が、そんなっ…!そんなものに…っ!」
表情を失った霊夢の、虚ろな響きがシンに届く。戦争の道具を、彼女がが操っているという事実、現実。あってほしくない最悪の事態に、シンは悲痛な声を上げて打ちひしがれるしかなかった。


そうよ、霊夢。貴方はいまこの瞬間のために生まれてきたのよ。
紫が垣間見る無数の世界の中から導き出された結果。自身が生まれた時から、永い時を不老の妖怪であるがゆえに一瞬の感覚で過ごしてきた彼女が選び、創りだしていった今、この瞬間の総て。
先代“霊夢”の死から今代の“霊夢”に相応しい才をもった少女を育て、幻想郷で起こる数々の異変を時に関与、時に傍観し、運命を少しずつ望みの結果に手繰り寄せて、極めつけに“コズミック・イラ”という第3の世界から紫の描く新世界、“セカンドステージ”に必要なそれぞれの因子―――“S.E.E.D”と“フラガの血”を持つ二人の召喚。
総て、紫の思い通りのシナリオだ。
「どうして…!どうして、霊夢さんがモビルスーツのなかにいるのですかっ!?彼女は私のように教えも、技術も無いはずです!」
“デスティニー”から早苗の叫びがこだまする。外部スピーカーから響き渡る焦りを含んだその声は紫にとってとても心地良かった。
紫の能力は、極めて全能であり、神の持つ力と形容される程のものだ。“境界を操る程度の能力”―――すなわち、あらゆる物質、現象、存在の有無に知覚できるに関わらない、ありとあらゆる概念に干渉できるこの異質ともされる能力は、紫をただの一妖怪の存在に留めない万能の能力である。
幻想郷の住人が持つ特異な力に数の限りはないが、中でも名前をつけ、秀でている代表的な力は数えるほどしかなくそれが能力の全てだ。霊夢であれば“空を飛べる程度の能力”であり、魔理沙なら“魔法を使う程度の能力”である。いずれも聞けば理解できるシンプルなものであり、能力もその名に違【たが】わず、またそれ以上のことも出来ない。
だが紫の境界を操るというのは、それらとはあまりにも規模が違いすぎるものであり、途方も無いものだ。境界を敷くということ。つまり対象に線を引き、分けるということが余りにも多彩で、全能なものか。例えば物体に境界を引き、分ければ物質の硬さ、柔らかさ、強度を根本的に無視して二つに切断することができる。それは空間ごと容易く切り裂いているもので、切断面はどんなに鍛えられた刃物が正確に、適切に用いても足元に及ばないほどの見事なものであり、また生物がそれを受けた際の治癒は不可能だ。紫に仇なす有象無象の妖怪がもの言わぬ骸に変わるとき、幼き霊夢の前で紫が息をするようにこの能力を用いて肉塊に変えたことは今でも覚えている。しかしそれはあくまでこの能力の一片にすぎない。
「単純よ―――彼女はその機械人形を『操縦』しているわけじゃない。所詮この仮初の巨体は私の霊力の塊。霊力は個々の意思によって如何様に形を変え、従ってゆく。あくまで私の創りだした“ジャスティス”を、霊夢が自身の霊力で『支配』し、霊夢の五体の動きそのままをスケールアップさせているだけに過ぎない。その過程に、技術も、技量も、ましてや戦の経験など必要ない。相手を倒すという想いと身体さえあれば、誰であろうと私の力としてなることができる」
「だとしても変だ…八雲紫、お前の“ジャスティス”は明らかにアスラン・ザラ………その機体の真の持ち主の動きを完璧なくらいにトレースしていた。それが博麗霊夢の五体の動きに追随するというのなら、お前の言葉は矛盾している」
「そんなものは決まっているじゃない」
レイの訝しむ言葉に、紫は尚も笑みを崩さずにして言う。その唇は、言葉を放つたびに両端が美しく歪む。
「霊夢の存在は、ここぞという場面で秘匿しておく必要があったのは、貴方達がたった今証明したでしょう?」
「なにをっ…!」
「機体に刻まれた動きの数々…シンの心に境界を敷いて抜き取ることなど容易い事だわ。霊夢といえども、自分の身体とは勝手が違う巨体を十全に動かせる保証はない。ならば、慣らしを含めても最良の動きを再現するのはあまりに最善なだけのこと。もっとも、こうなった以上はシンに過去の敵の動きが通用しないことも証明されたわね」
「馬鹿にして………!」
天子が腹立たしそうに呻いた。
そうだ。これはあまりにもベストタイミング過ぎた紫の巧妙な種明かし。シンらは、今たしかに“ジャスティス”を撃墜しようとしていた所だった。そこに、シンの知る助け出したい博麗霊夢がいるということがシン達にとってどれだけ不利なことか。
紫の思惑の上で、シンが踊ってゆく様。これに紫が笑みを浮かべない訳がなかった。
紫の能力の本質は、物質にではなく、概念に境界を敷くことが可能であることだからだ。空間と亜空間、現実と虚実、過去と未来、およそ言葉にされ知覚できる概念全てに干渉し、また紫の聡明な知識が想像・知覚しうる限りの何通りもの行使を可能とするその力が、他者が紫を神に近い者へと表することのできる唯一無二、究極の能力なのである。
距離と空間の境界を歪めれば霊夢の背後に立った時の如く、知る限りの場所に一秒とかからず転移することができ、物体の現と虚に境界を敷けば、自らの姿を消すことも、はたまた何もない所から何かを取り出すことも可能である。単純な活用にしても絶大な優位性を誇り、一度紫が空間を操作して、目の前に聳える壁の概念を決めてしまえば、その空間の先にはありとあらゆる物質は一切合切その先に通ることは許されなくなる。結界とよばれる絶対的な守護領域の完成だ。霊夢の持つ結界を張る力は、紫から直々に教わったものであるが紫と比べてお粗末なもので、直接森羅万象の概念に干渉することは出来ない等、制約はあるがそれでも博麗の巫女と名乗れるだけの圧倒的な実力はここから生まれている。
紫の娘として模倣とも言える力を有する霊夢が、その力を恐れない訳が無い。故に、紫の力が露となるところを霊夢は目にしたくなかった。普段から紫と離れた場所にいる理由はこれに尽きた。
そして、霊夢の霊力も紫の薫陶によって彼女自身とほぼ同等の霊力操作を可能としている。それは、紫の創りだした霊力の塊である“ジャスティス・ナイト”と苦もなく同調できることからも証明していた。
霊夢がシンと対峙しているのもこの瞬間を遥か前から未来の境界を綻ばせて覗いてきた紫の狙い通り。
もう、シンは霊夢を攻撃できない筈だ。ならば、彼は自分の言う事に従うしかなくなる。シンはそういう人間なのだと、紫は知り尽くしていた。彼がこの世界にきてから絶えず視てきたのだから。
紫は、世界の全てに勝ちを確信した。


「全部、全部、お前の玩具扱いか………!」
紫の口振りに怒りが湧き上がる。いや、ずっと込み上げてきたものがいよいよ爆発しそうになっていた。霊夢を、人を、世界を、何だと思っている。全て思い通りになる力があるから、好き勝手に行使するというのか。誰かの気持ちなど全て無視して。
シンは、そんな紫が最低に思えた。
「どうして、俺達をこの世界に!?」
ずっと問い正したかった言葉をぶつけた。自分達がこの世界にきてしまった真意を。全てが定められていたという出会いを、思い出を。紫が手繰り寄せていたというのなら、その是非を問いたかった。
「そうね。ついに話すべき時が来たみたいね。貴方達が、どうしてこの世界に来たのか。なぜ、貴方達でなければならないのか」
「俺達でなければ、ならないだと…!?」
レイの疑問はシンも持っていた。
シンの力も、レイの力も。確かに特異であることはおぼろげにだが分かる。シンは自身の戦闘センスを超えた戦いを自分が繰り広げていたことに疑問を抱いていたし、レイの持つ卓越した空間認識能力もラウやムウの存在も示す通り、異質なまでの力に違いない。
レイと出会ってから改めて聞いた、シン自身が宿す“S.E.E.D”について。
嘗て提唱された新人類の先駆となる可能性――――――『Superior Evolutionary Element Destined-factor』、即ち優れた種への進化の要素であることを運命付けられた因子と名付けられたこの概念は、C.E.71時に発表された。
ファースト・コーディネイターであるジョージ・グレンが提唱した“調整者”の存在意義は、新たに生まれるであろう新人類と人類の架け橋となること。その新人類となるべき因子を持つのが、SEEDを宿す人間。シンや、キラ達のことだ。
シンはそれをレイから明かされた時、にわかには信じられなかった。戦闘中に頭が妙にクリアになって、冴え渡った判断と極限まで研ぎ澄まされた身体動作が、まさか新しき人類の可能性だなんて。冗談にしか思えなかった。戦いにしか役に立たないあの力が。
ギルバート・デュランダルがシンの遺伝子からその因子を発見して“インパルス”のパイロットに推薦したこと。その通りにユニウス戦役の数々の場面で驚異的な戦果を上げるくらいにシンの力が飛躍的な成長を見せたこと。最高のコーディネイターとされるキラ・ヤマトに唯一対抗できる可能性を秘めた絶対的な存在であること。シンが全てを聞き終える時には、自分の歩み全てが正しく筋書き通り過ぎたことに戸惑わずに入られなかった。
『いいか、シン俺達の任務は議長を守ることだ…ミネルバのことは忘れろ!』
『忘れろって、レイ…!』
『お前は、“デスティニープラン”の象徴なんだぞ!それを自覚しろ!』
デュランダルが提唱した“デスティニープラン”。人々が持つ因子、才能に適した『最良の人生』を提供し、恒久的な平和を維持する政策………その象徴とされたのがシンであることも、デュランダルの思い描いた通りの働きをしたシンに相応しいと判断したのだろう。ザフトの最強の戦士であり、最高のコーディネイターを討った英雄が生まれたのならば、どの人間だろうとデュランダルの言葉に従うのが正しいと思うに十分だ。既にコズミック・イラに住む人間の心は、泥沼の戦を繰り広げる世界そのものに疲れきっていたのだから。
そしてシンも、議長に提供された『最良の道』を過ごしてきた人間だ。軍に入ったのは自らの意志とはいえ戦いの才能を見出され、最新鋭機を短期間の内に二機も与えられて、増長すら自身の実力でねじ伏せれたあの時。議長はシンをそうするべきと判断し、アスランの言った『都合のいい駒』としてシンを直属の部下に仕立て上げてザフト総本山“メサイア”に招いたのだ。
『闇雲に力を求めても、心は永遠に救われはしない!だからシン、お前ももう、過去に囚われたまま戦うのはやめろッ!』
戦い続ける日々に疑問はあった。敵となったアスランと戦うことに関しても迷いがあった。だから負けたのだ。本当の正義を、シンは叩きつけられて―――!
「シン・アスカの持つ“S.E.E.D”。レイ・ザ・バレルの持つ“フラガの血”から成る空間認識能力と予知能力………これらが新たなる人類への力だということは、既に貴方達も知っているわね」
「そうだ、ギルはそれを知っていたからこそ、俺達を力としていた。全ては、戦争のない未来を創るために………!」
「ええ、ギルバート・デュランダルとやらは正しいわ。確かに、貴方達の存在は人類を含んだ、全ての生物を救うことが出来るもの。人間にしては、余りにも賢しくて、正しい判断をした人間だと思うもの」
「………俺達の知るギルの存在を能力で知ったか…!」
レイが煮える思いで拳を握った。知らないはずの存在を全て知っている紫の奥が見えない。いつ、どのタイミングでこちらの事情を知っている紫が余りにも理解の範疇を超えていることが、まともに理解り合える存在には思えないからだ。
シンがさとりのを相手にした時も思ったが、相手の何もかもを全てを知り尽くしている存在には会話が成り立たない。こちらが何を言っても、何も通じないからだ。
だが、それでも対話は試みる。シンもレイも、退くわけにはいかないのだ。
「だけど、彼に限らず、あの世界の住人には足りない考えがある。それは言葉にせずとも誰しもが求めているもの。生物が戦いを続けていてる限り、絶望を免れることが出来るという考えが」
「何だって…!」
シンにとってその言葉は余りにも唐突で、許せないものだった。
「ふざけるなッ、紫!!お前はあのまま、俺達の世界が殺し合いを続けていればいいと思っているのか!もう一度言ってみろ!!」
戦争によって一度、全てを失ったシンにとって紫の今の言葉は絶対に許すべきものではない。命という花を散らせないための戦い。それを紫は、全否定したのだ。許せない訳がない。
植えるべき花に、散ったものはない。だからシンは、キラの言葉にすら賛同できなかったのに。
「乗せられるな、シン…!」
“レジェンド”が隣に並んでシンを制した。気づかない内にシンは両手の“パルマフィオキーナ”を重ねて高出力で撃ち放とうとしていたのだ。両手を合わせて溜められていた高エネルギーを途中でカットし、“デスティニー”は再び紫を向いて佇む。額に滲んだ汗が、うっとおしくてたまらなかった。
「俺も、お前の言葉は許せない。ギルを侮蔑したお前を、許すものか…!」
レイの鋭い目もモニター越しに紫に向けられていた。隣に座る天子が絶句するほどのものだ。底冷えするような憤怒はいつ光弾となって相手に放たれるかどうか。シンはレイの言葉を耳にして、急に頭が冷えた。一番大切な事を無視してしまう所だった。
「ギルバート・デュランダルの痴情から生まれた計画はさして問題じゃないわ。問題は、平和を求めいざ平和が実現してしまった生物の行く末を、貴方達は知らないがゆえに滅びの道を進んでいるということ。そして、人間はそれを本能で知っているからいつまでも醜い争いを続けるということよ」
「どういうことです…!?八雲紫さん、知っているなら全部今個々で話してくださいっ!その言葉の意味、私達が知れば…!」
「レイやシンが戦う理由に、大きく関わるもの…!もしかしたら、戦わなくて良い世界だってことかもしれない!」
「東風谷早苗に、比那名居天子………貴方達も、平和の世界を甘受したもの達………いいでしょう。このまたとない機会だわ。霊夢、今は刃を納めなさい」
「…分かったわ」
“ジャスティス”のサーベルが霧散し、両腰のマウントポイントに収められた。
「………レイ、俺達も」
「だがシン…!」
「俺達は、ここまできた。だけど、あいつらの考えを何も知らない。すれ違いで殺しあうことより、別のことが出来るのなら………俺はそれに賭けたい。俺は、霊夢さんを殺したくなんか、ないんだ」
“デスティニー”と“レジェンド”がライフルを下ろし、紫の方へと集中する。全て、知らなければならない。紫の目的の真意を。自分達の運命のめぐり合わせを。
迷いながらも辿り着いた場所。それが、八雲紫が求めたものなのだから。
「………『人は本当に戦うのが好きだ』」
「っ…!」
「レイ?」
通信越しに聞こえた僅かな喉の震え。それにシンが気付く。
「『私はいつだって、勝ちたい。だが戦いたいわけではない。なのに、世界はどうしてこうも残酷で、無残な事を平然と人に突きつけるものなのか』」
「そっ………そ、れっ……その言葉は…」
紫のまるで台本でも読むかのような口振りに対してシンが感じたのは疑問以上のものでない。しかし、レイは違っていた。明らかに彼女の言葉に動揺しているのが分かる。目を見開き、汗がにじむ彼の顔には。
「『それが………“運命”。そして、レイ。これが………君の“運命”なんだよ』」
「あの時の………ギルの言葉…!」
「議長の…!?」
どうしたのよ、レイ!?―――と、レイの横から天子の叱責が入る。だが、レイは息を荒げ、必死に苦しそうに喘いでいた。規則正しいはずの呼吸の動きが、不規則なリズムを刻み込んだ。
「レイ!レイ…!紫を前にして、一体何がどうしたっていうのよ!こんな時に、隙を晒している場合じゃ…!」
シンはそんなレイの様子に、酷い既視感を覚えた。ステラが駆る“ガイア”を倒したあの時―――ロドニアのラボでの彼の様子と同じだ。血のように朱い夕日に染められた時の中、先導してシンとレイがラボの探索を行なっていた。
「うっ……!く…!っあああっ!」
「これは…まさか、あの時と同じ…!?」
既に廃墟となっていたラボには、地球軍の非道を裏付ける証拠が次々と見つかった。観察したラボの内部には、精密機械、コンピュータの数々。円柱のガラスケースにはホルマリン漬けの子供の死体。光源のない部屋を手元のライトで照らしてみると次々と見つかった、腐乱し瞳に光を失った研究者と、反乱したと思われる実験体の子供の死体。
手術台の上にも、死体があった。メスやシリンダーが放置されてなかに蛆が巣食っていたナニカ。無影灯が点かないことが幸いしたが、漂う死臭に気付く頃、シンの隣でレイはうずくまっていたのだ。
急病か、それとも生物兵器か。後の身体検査でその危険性は否定されたが、あの時の異常はよく覚えていた。だから、シンはレイの様子に胸を締め付けられた。
「ラボの時と同じだ…!でもっ、レイが………なんで?」
ここはラボじゃない。あの時のような衝撃的な光景もない。紫の言葉の意味は、レイにとってあの時と同じにさせるほどの何かを含んでいたのか。だとすれば、紫が口にした議長の言葉は、おそらく―――!
「レイの………クローンのことか」
クローン。ヒトの遺伝子を培養させ、同一遺伝子をもつ別個体となる人間を人工的に生み出す禁忌。レイはそれを嘗てシンに明かした。ヒトから生まれた、ヒトの出来損ないだと。短い命を運命付けられたのだと。
「そうよ。今のはギルバート・デュランダルが嘗てレイに下した呪い。アル・ダ・フラガ。ラウ・ラ・フラガ。………そして、レイ・ザ・バレルという遺伝子の連なり。それを、逆らえない運命と評した男の言葉よ」
「逆らえない運命、なんて………」
早苗が、両手を顔に当てて震えていた。彼女は、クローンが何を意味するか知っていたようだ。早苗は何気ない学生としての日常の中、教師が口にしていた言葉を早苗は覚えていた。
だから、それが人間相手に平気で行われていた事に驚きを画すことが出来ない。シンも、レイに初めて明かされた時はきっと早苗と同じ顔をしていたのだろうと思った。
「人は必ず死ぬ。妖怪も必ず死ぬ。その中でも、人でも妖怪でも無い彼は何者か。人の出来損ないである自分は、何なのか―――これが、レイと、レイの元となる人物ラウ・ル・クルーゼの問いよ。他のだれでもない、自分に向けた問い。東風谷早苗、貴方も感じたはずよ。自らの運命を呪うことを。貴方の両親が交通事故で命を落とした日を」
「私が、私の運命を呪った……?父さん、母さんが死んだあの時……うっ、くああっ…!」
早苗がそう確認するように紫の言葉を繰り返すと。早苗は急に頭を抱え始めた。苦しそうな呻き声が伝わってきたことにシンはとっさに名前を呼ぶ。だが、聞こえてくる言葉に返事はなく。彼女はそれまで手をおいていた操作コンソールからも意識を離し、涙を流しながら苦しみ続けた。
「早苗!!……くそっ、レイに続いて、早苗まで…!どういうことだよ、これは!紫、お前は何をしたんだ!!」
「シン・アスカ………貴方もまた、運命に翻弄され続けた男……知れば誰もが嘆くでしょう。貴方のようになりたくないと」
次たる紫の紡ぎは、シンに向けられた。その言葉を耳にした時、シンの中で留められていた記憶が一気に破裂するような錯覚に陥り、シンは思わず頭を抱えた。
―――何だよ、これ…!?
悲しみが、怒りが、止めどなく沸き上がってくる。オノゴロで転がる死、死、死。自分を遺した家族の遺体がフラッシュバックする。亡くした妹の腕を目にしてしまった自分。流れ弾の炎に焼かれた嫌な匂いがシンの鼻孔を刺したあの悪夢の一時。
「私の言う“セカンドステージ”………人や妖怪はこれからもこの幻想郷で生き続けるわ。争いを失くした………生きるための闘争本能を欠き続けてね。それはやがて、永劫とも言えるこれからの時を生き続ける内に、人も妖かしもやがて生きようとする意思を失くし、堕落して種としての存続が出来なくなっていくでしょう」
「人や妖怪が、生きていくのをやめる…!?」
「中でも妖怪が特にそうでしょう。彼らは人間とは異なり、寿命が長く、世代の変遷が薄い。だから尚更、永く生きれば生きる程、流れ行く時が一瞬と感じるほど短くなり、退屈に溺れやすい。それを防ぐために考案したのが、スペルカードルール」
「何だと…!」
―――霊夢や早苗が遊びとして行なっているしきたりが、紫の目論見だって!?
シンは紫の意図が見えない。ずっと前からこの世界は、彼女の手中だったのかという事実に、驚いているしか無い。
「スペルカードルールは………幻想郷内での揉め事や紛争を解決するための手段。しかしそれは建前に過ぎない」
「教えてあげるわ、シン」
「霊夢さん…!」
「スペルカードルールを初め、紫の真の目的は『争い』をなくさない世界を作ることだった。闘争本能を生物から奪わず、留めておけば全ての生き物は生きる本能を持っていられる。人も妖怪も、生きるのに困らなければ頭も身体も使わずに済む。それが進めば逃れられない絶滅に直撃するの。それを紫は防ごうとしているのよ」
「けれどそんなこと…人間だって妖怪だって黙っちゃいないはずだ!未来の人だって、自分達が死なないように努力するはず…!」
“ジャスティス”から告げる霊夢の言葉に反論するシン。その未来に生きる人々が暮らせる世界。その世界を創り出すのがシンとレイ、自分達のような悲しさを知った戦士のはずだ。
「その努力そのものが出来ないのよ、シン」
「なっ………!」
「たゆまぬ努力の結晶は、技術へと消化してゆく。しかし時代の変遷とともにそれらは失われてゆき、やがて世界は逆行する。争いがこの世から一切なくなってしまえばね。けれど、人が生き続けることのできる、いつまでも生きるために必死になれる道がこの世界にはある………シンなら、それが何かとっくにわかっているでしょう?」
「人が、生き続けることのできる世界……!」
信じられない言葉を、認めたくない。だが彼女から告げられた言葉が実はそれが最も正しい答えなんかじゃないのかと。思いを巡らせた時、口が自然と霊夢の言葉をなぞっていた。
「争いを………永遠に続ける世界…!?」
あの悪夢のような世界を、いつまでも続けろというのか。
シンの身体に湧き上がる怒りが、絶望的な未来を告げられた瞬間凍りついていくような感覚に襲われる。
「ええ、その通りよシン。それが霊夢の言った通りの私の考え。この世界に住む生き物を永遠に存続させる唯一の活路となる『次なるステージ』………貴方達は、それに必要なファクターよ」
「だとしたら、なんで…!」
「貴方の“SEED”、レイの“血”が、争いを加速させ、より生物としての価値を、高みを目指せるための要素だからよ」
シンは自分が、自分達がここまで来たのは偶然が発端だと思っていた。だが、全ては紫が手繰り寄せ、この場に束ねた可能性の末路なのだと、認めるしかなかった。
「“SEED”は、人が本来持つべきではない様々な力爆発的に発揮し、五感、神経、身体能力全てを人ならざる者に変える未知の能力。それは即ち、人間性の喪失に繋がる。因子を持つものがその感情を爆発させた時、“種”は初めて目覚め、以後持ち主の力として覚醒を進めてゆく。キラ・ヤマトのように完全に御することのできる人間は、己の感情に左右されること無く、人ならざる力を自由に行使することが出来るのは、シンも目の前にして痛いくらいに分かってたことでしょう?」
「キラさんのあの力が…!?」
「それを可能にしようと彼の父、ユーレン・ヒビキは様々な命をその手で弄んだわ。その末がスーパーコーディネイターと呼ばれた、キラ・ヤマトの存在。彼は、彼の父の夢と栄光のために生み出された、人ならざる怪物なのよ」
スーパーコーディネイターが、“SEED”の真の覚醒のために生み出された存在。それを耳にしてシンは普段は物静かで優しい彼が、戦闘の際に信じられない程の力を発揮することに合点がいった。そしてレイも、額に汗をにじませながらも紫の言葉を聞いてデュランダルとクルーゼがキラの存在を疎ましく思っていたことを思い出す。
デュランダルにとって、キラは最大の障害で。クルーゼにとっては憎むべき対象だ。その理由が彼らを亡くした今、紫によって明かされるとは思いもしなかった。そしてシン、キラ、アスラン、ラクス、カガリに眠る“SEED”の正体が、コズミック・イラでも解明に至っていない真相までもが、紫の口から語られたことに唖然としているしかなかった。
「ギルバート・デュランダルがシン、貴方をザフトのエースに選んだのは、貴方の中に眠る“SEED”が度重なる戦闘、極度の緊張状態の連続、数々の死を目の当たりにしてキラと同じく真の覚醒が望めそうだったからよ。現に貴方は、この世界にきて完全に“SEED”を制御することが可能となっている。頭の中が澄み切ったような感覚に覚えがあるでしょう?それが“SEED”よ。貴方は九天の滝、地底界、法界、有頂天、紅魔館、数々の死闘を経ていく内に怒りに頼りきっていた覚醒から、自らの意志で自発的に“SEED”を行使している」
この幻想郷に存在した、異変の数々。シンは、その異変にとらわれていた彼女達を救い出したいと思っていたからこそ、以前から感じていた力が、応えてくれたのだと思っていた。その力が、“SEED”。キラや、アスランと同じ力であり、“ヒト”と言う殻を破る能力なのだ。
「そして、その力はこの世界に満ち溢れている“霊力”が、“S.E.E.D”と根源を同じとする人の持つ意志の力が別の進化を遂げた結果」
―――“霊力”が“S.E.E.D”と同じだって!?
もはや紫の一語一句全てに疑いを隠し切れないシンは、ただ絶句するしか無い。
「“霊力”は意志の力。その身に宿る感情に応え、地面を這いずり回る生き物に新たなる舞台を与えてくれた力。それが目覚めなかったコズミック・イラでは、別の概念が生まれたのよ。絶対なる運命が、欠けた欠片を埋めたのよ。貴方達の世界は、その結果として“SEED”を生んだ。“SEED”もまた、始まりは人の意志…感情から生まれた未知なる力よ」
“霊力”と“SEED”が類する能力だったなどとは。もはや想像の範疇を明らかに超えていた。
「“霊力”のほうが、今よりはるか昔に目覚めが早かっただけのこと。だからこの世界では既に浸透しきっているのよ。だけど、シン、レイ。貴方達がこの世界にとどまればあらたなる可能性もやがてこの世界で芽吹いていくことでしょう。遊びであった争いは加速し、永遠に生物が生きるための本能を忘れない世界。それこそが、真の世界の存続に繋がるのだから」
「狂ってるわ………!アンタの理屈!」
紫の陶酔した口振りに天子が怒りを露わに吐き捨てた。そうだ、そんな世界はあってはならない。争いは絶対にあってはならない。だからシンは元の世界に帰ろうとしているのだ。
しかし、争いを失くした世界がやがて滅びてしまうのなら、自らの行ないも無駄ではないのか…?
「そうよ、シン。貴方の考えは絶対に避けられない未来から目を背けているようなもの」
紫がこちらの考えを覗いたのだろう。口にしていない考えを当てられ、拳を握るシン。
「貴方達の世界の人間は本当に愚かしくて、懸命だわ。自らの私腹を肥やすために画策した戦争の行く末が、結果的に技術の向上となり、より多くを殺そうと、より愉悦の渦中にいられる世界を望もうと、コズミック・イラを火の海にしてきたのですものね。それが続いている限り、貴方達の世界は永遠に人が明日を望もうと生き続けられる。隣人の死を糧にし、終わりのない闘いを続ける事こそが、あの世界の真実なのよ」
「それがもし本当なら…」
シンにはもう、操縦桿を握っていられなかった。少しずつ沸き上がってきた絶望に、体の力が奪われる。無限とも言えた怒りが、徐々に消え失せ、代わりに仄暗い悲しさが心に沸き上がってくる。そして、決して認めてはならない言葉がシンの口から出てしまった。
「俺が、これ以上戦ったって…また戦争が起こる…!?」
視界が暗くなってゆく。満たされる絶望に身体の震えが止まらない。寒いようで、けれども熱く身を焦がされそうな怒りが制御できない。その時、目の前に見えたのは失った家族の影だった。シンとともに過ごしてきた思い出が一瞬にして火に焼かれた瞬間。その光景が、シンの網膜に焼き付いていた。
その悪夢が、今一度シンを苦しめた。自らの戦いが無駄だと突き付けられた彼に、全ての始まりとなったあの日のことが思い起こされたのだ。
「父さん…!母さん…!マユ…!?そんな、これっ、はっ…!」
目の前には振り払えない思い出が広がり、幼きシンは無力にも慟哭していた。その光景がよぎった時、気付けば涙があふれていた。視界が歪み嗚咽が漏れ続ける。
「うっ……!うっあああああああ!!!!」
「シン!!ちょっと、早苗!シンに何がっ…!早苗!?」
天子は急なシンの様子に戸惑いながら早苗を呼ぶ。しかし、天子は絶句した。早苗もまたシンと同じくその様子に異常をきたしていたからだ。
「そうだ………私は、ずっと…!お父さんとお母さんが事故で死んで一人で…!でも、なんであの時の悲しさがっ……またっ……!」
「早苗も!しっかりしなさいよ!なんなのこれ…どういうことっ!?」
レジャンドからの通信で天子が割って入る。天子はシンや早苗のようには自分と同じ未だ体調の変化を露わにしていない。
「シンも、レイも、早苗も…一体全体なんでおかしくなっちゃってるのよ!!」
「分からない…!けど、紫が俺たちの過去に関することを喋ったと思ったら、いきなり…!くううっ…!」
まともに喋るのも一苦労だった。シンが疑問に思ったレイと早苗のうずくまりの正体に気づいてしまった。この身体の悪寒と異常は、冥界に始めてきた時の感覚に似ている。いや、今まで慣れたと思っていたものがまるで思い起こされたような………このこみ上げていた悲しみとともに。
「冥界は、死に親【ちか】しい者に牙を向く………」
「西行寺幽々子………!」
紫の隣で口を閉じていた白玉楼の主、幽々子の呟きに天子が食らいつく。
「冥界は、生者の命を引きこもうとする世界。その苦しみは、死を想えば想うほど、生者を締め付ける。慣れたと思っているのは、生者が自分の生を苦しみによって実感し、より強く生きようとする本能だから」
「けれど、そこに死を思い起こす記憶があるならば再び、無類の苦しみが己を襲う。…紫は境界を弄って彼らの恐怖心をこじ開けたのよ。僅かな恐れを膨れ上がらせ、冥界の影響が最大限に受ける状態にまで」
「………そんな…!」
天子は戦慄し、全身を震わせながらうずくまるレイを必死に抱きとめる。だがレイの震えは止まらない。その顔はヘルメットに隠れて見えながったが、苦悶の表情に覆われているのが分かるのが辛かった。その幽々子の言葉に、紫が無情にも続けた。
「そこの彼らは全員幻想郷の外で“死”を刻み込まれた人物。レイは絶対的な己の死を。シンは戦争に奪われた家族の死を。早苗は平和な世界から一変するとなった、両親の死を。貴方のように、天界の果実によって死を遠ざけ、天界で自堕落な生き方をした妖怪には到底味わえない苦しみよ」
「け、けれど…早苗は霊力を持っているのよ!私みたいな妖怪はともかく、人間でも霊力さえあれば冥界の影響をゼロに出来るはずよ!」
「霊力とは意思の力………意思無き者には霊力の加護も消え失せる。今の早苗は、シンやレイと同じ心の弱さを露呈した、ただの丸裸の人間よ。命の危機に怯えきった人間に、まともでいさせないのが、死というもの」
亡霊の言葉に、天子は歯噛みする。シンは荒い息を吐きながら紫に対して絞りだすように口を動かした。それが、唯一の苦しみに対抗できるものとして。
「勝負あったわね」
幽々子がさもつまらなそうに、手に持っていた扇を顔に当てて冷ややかな視線を投げかけた。“デスティニー”も“レジェンド”も微動だにせず、少年達の慟哭の叫びが辺りに漂う。天子が必死に彼らへ叫び続けるが、悲しみの牢獄に囚われた彼らを引き戻すには余りにも無力だ。
死というものを前にして、どうすることも出来ない。それは、死を目の当たりにしてしまった彼らには余りにも分かり切った常識だからだ。天子だけが、それを知らない。だからシン達に叫び続けた。
「………霊夢、“デスティニー”と“レジェンド”を撃ちなさい」
「紫…」
紫から告げられたその言葉に、霊夢が紫の名を呼ぶ。
「あれらさえ壊してしまえば、シンとレイは元の世界に帰れはしない。両機に備わる“ヴォワチュール・リュミエール”。それさえこの世界から消えればコズミック・イラ幻想郷を繋ぐ物はなくなるわ」
シンは苦しみながらも聞こえてきた紫の言葉を聞き漏らさなかった。
―――やっぱり、元の世界に帰れる方法はあったんだ!
やっと確信できた。この“デスティニー”で戦い続けている限り、答えにたどり着けると思っていた。そして今、その望みが消えようとしていることにシンは拳を握っていることしか出来なかった。
この苦しみさえなければ、霊夢を退けられるのに。
涙で視界が歪み、息も絶え絶えの中モニターの奥で“ジャスティス”がライフルをこちらに向けていたのがわかった。ダメだ、躱せない。早苗も同じくして苦しんでいる中、なんとか片手だけでも操縦桿に付ける。闇雲に動かして、地面に立つ“デスティニー”を動かそうとする。だが、応えてくれない。自分がどういうふうに動かしているのかもわからないこの状況で、紫から逃れることが出来ない。
もう、ダメなのか…!
霊夢に自分の声も届かず、ここでやられてしまうのか。シンが全てを諦めかけたその時。モニターに大きな影が“デスティニー”と“ジャスティス”の間を塞いだ。
その時。
モニターの外から。自分とジャスティスを遮る何かが、シンの視界を覆った。
その暗灰色の巨体は、“レジェンド”だった。
「馬鹿な…ッ!?」
その行動に紫でさえもが、想像することが出来なかったのだ。
紫の能力で、確かにシンとレイの心は折り砕いたはずだった。無限の苦しみの中で、モビルスーツを操縦することも出来ないくらいに傷めつけたのだから、まともに動かせることも出来ない。そんな中でまともな防御姿勢すら取れないのだからまさか、シールドすら構えずにモビルスーツのボディで盾となる行動に出るとは思えなかったのだ。
だがレイは動いた。動いてみせた。一瞬に意識を集中させて、機体をシンの前に動かした。天子はそんなレイの動きを涙ながらに見ていた。そして何も言わず彼を固く抱きしめた。モニターに映るレイは天子の顔を一瞥し、静かな笑みを宿す。
そして、レイは背後の“デスティニー”に向けて静かに口にした。
「シン………死ぬなよ………!」VO005060
言葉を言い終える頃には、“ジャスティス”からの光の矢が“レジェンド”の動力部である胸部を貫いていた。
両腕のビームシールドを起動させることも出来ず、“レジェンド”は身を挺して“デスティニー”の盾となった。
「レイイイッ!!!!」
通信から聞こえた彼の言葉が、最期だった。
貫かれた孔から、赤熱化した断面の熱が拡大したかと思えば。次の瞬間には内部の核分裂炉が暴走し、火の玉に包まれていた。その時辺りにすさまじい衝撃が奔った。何が起きたのかも分からないくらいの衝撃にさらされて、殆ど距離のない“デスティニー”は吹き飛ばされ、背後の岩壁に叩きつけられる。“ジャスティス”も逃れられなかったのか、白玉楼に激突し、瓦礫の中にその姿を横たわらせていた。
あの時とは、違っていた。
アスランから告げられたレイとの別れ。それは、シンが直接目にすることのなかった光景だ。
「っ…!?何、今の衝撃…!?ハッ………“レジェンドガンダムプラス”、シグナルロスト…!」
溢れる悲しさに囚われていた早苗が異常に気付き、サブディスプレイに表示された“レジェンド”の反応途絶を目にして嗚咽を交えながら呼称する。
今。目の前で、レイは命を懸けてシンを守った結果。炎の中に散ってしまった。こんなあっけないものなのかと。こんな悲しいことが起きてしまったのかと。シンはレイの背姿があったはずのそこへあらん限りの叫びを上げた。
「うああああああアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!」V12_422E
それまで心と身体を覆っていた恐怖は、完全に消え失せていた。
燃え上がる情念のままに、シンの中で“S.E.E.D”が覚醒した。
その輝く双眸を秘めた“デスティニー”が両肩の“フラッシュエッジ”を鋏のように交差させて“ジャスティス”に迫った。霊夢の“ジャスティス”はシールドを構えた。構わなかった。シンはシールドで防いだ“ジャスティス”を挟んで捉え、“デスティニー”の光圧推進を全開にした。そのまま“デスティニー”は“ジャスティス”を離さず、上空へと巨体を離した。
「うおおおおおおおおおッ!!!!」
シンは吠えた。親友の死に。この世界で再び会えた最愛の親友の最期に。怒りと、悲しみで“デスティニー”を駆った。“S.E.E.D”の発現は、迸る感情を爆発させ、それ以外の余計な異物である迷い、悲しみを全て遮断した。紫もシンの様子の豹変にはさすがに動揺を隠しきれなかったのか、戦慄の色が顔に露となる。
“ジャスティス”は抵抗した。開いた右腕にサーベルが握られている。シンはそれを咄嗟に見切り、駄目押しにと“パルマフィオキーナ”で粉砕した。直ぐにまた修復されるだろうが、問題ではなかった。今のシンには、霊夢の反撃は何も通らなかった。澄み切った最大の判断力が、世界を酷くスローへと変える。霊夢の足掻きなど、赤子の抵抗にすら等しかった。
廃墟となった白玉楼から瞬く間にはなれる。紫の姿が爆発の時から見えなかったが“ジャスティス”が健在であるかぎり、また彼女の存在もあるのだろう。紫のことを考えたのはそこまでだった。冥界の霞色の空を、“デスティニー”は黄昏の彗星となって“ジャスティス”を押し続ける。一筋の光跡が、薄暗い空を斬り裂いてゆく。
その先に有るのは、この冥界に渡る際に潜った幽明結界――――――幻想郷の現界に繋がる門だった。


「待っていたわ、この時を………」
境界の能力を利用して、一瞬にして“レジェンド”の爆風から逃れ得た紫は、“ジャスティス”を捉えて冥界から飛び去ってゆく“デスティニー”の背を目にしながら、恍惚とした表情で眺めていた。
シンのSEED発現は、まさに待ち望んでいた結果そのもの。その力の発端がどれだけのヒトならざぬ力を魅せつけてくれるのか。紫はそれが楽しみで、それと同時に恐れを抱いていた。
自らが知らない、未知の領域にある能力、SEED。それがどんな未来をもたらすか、どんな世界を創りだしてゆくのか。どんな生物の頭脳よりも遥かに高い知能を持つ紫でも想像出来ないモノが、今目の前に現れたのだ。
それが自らの手に余る物か?そんな筈はない。人の感情がキーであるなら、境界を敷いて感情を操作すればいい。その気になれば、無理やりシンの感情を操作して、発現にまでいざなうことは可能だった。だが紫は、それを敢えてしなかった。
境界の能力でどんな結果でも現実にしてしまうということは、本来あった可能性まで潰しかねない。紫の求めていたことが、紫の『想像内』の結果で終わってしまう。それではいけない。
紫の欲しいのは、『想像以上の結果』なのだ。それには、考えもつかない未来を能力で導き出すことは出来ない。シンの持つ感情のままにSEEDを目覚めさせなければいけないのだ。だからこそ紫はシンが迷い込んだ時から霊夢を通じて今、この戦いとなる未来に導くことしたが、シンそのものに能力の一片すら施してはいなかった。
此処から先は、先の見えない一方通行。シンの能力を境界で覗き見た時に見えた“種”のイメージ。それが幻想郷の未来を存続につなげていけるのならば。紫は誰の想いだって支配下に置く。それが、最終的に多勢の平和に繋がるのならば―――
「いいの?危ないわよ、霊夢」
幽々子が、横で紫を見やりながら静かに佇む。
「動きが変わったわ。今までとは明らかに違う………このままじゃ、貴方の機械人形、墜ちるわよ」
「百も承知よ」
紫は平然と幽々子に返す。
その態度は、常から漂わせている不遜で、自信に満ちあふれているものだ。普段と何も変わりはない。内心で抱えている僅かな不安と恐怖など、欠片も表情に含んでいなかった。
「だから私の子供…霊夢を乗せているのよ。あの娘がいる限り、シンはあの娘を殺せない………手出しできない。あの子を救うには、シンは私のもとへ来るしか無いのよ。そして、霊夢もまたシンを欲している」
そして、紫は幽々子へと両手を広げて高まった笑みを向けた。
「とても素晴らしい、“愛”の成せることだと思わない?」
互いに望んでいたものが、最高の形で実現する。シンは戦争のない世界へと身を降ろし、霊夢は望んでいた家族をついに手に入れる。そして、紫の望むSEEDの因子を秘めた新人類の躍進―――人が戦いのない世界に堕落することの無く、妖怪との末永き闘争による進化の極みの果てへ向かう未来。これこそが太古の人妖の戦争から解放され、永遠の時を約束された幻想郷に最適な解なのだ。それを導くことが出来たのが、まさに自分。八雲紫なのだ。
「“愛”………ね。貴方が霊夢を愛した結果が、シンと呼ばれる子を手中に収めることなの?」
「ええ。だれしも、世界に与えられた運命はいつだって残酷なものよ。それは、彼の元の世界でも同じ。けれど、私がその絶望の運命を変えてみせる。私の力なら、それが可能なのだから。そして救ってみせるのよ、世界で生まれる沢山の命を………」
「それこそ、貴方の忌み嫌う力への驕りではなくて?貴方の力は、万能で、貴方の頭脳は全知であるがゆえに普段、幻想郷に干渉の少ない生き方をしていた筈よ。これは、親友である私が言うのだから違いない」
幽々子は手に携えた扇をパッ、と開いて顔を埋める。そこに描かれた華やかな模様に包まれているのは半蔀車【はじとみぐるま】。その幽々子を象徴する彼女の扇は、記憶のない幽々子の数少ない自らを知る材料だった。妖夢の祖父の妖忌からの知識によれば、この半蔀に相応しき高貴な生まれであることぐらいしか自らの身分については分からなかったが。
そこから見やる妖しい視線が紫を捉える。幽々子からすれば、結果を求めるだけに自らの力に溺れることをすることなど、愚かしいにも程があると想うだろう。だが、紫はこうまで愚かしいことをしてみせたのだ。それは何故か?
紫は、境界の能力で視てしまったのだ。“スキマ”と呼ばれる幽々子の無数の目が、偶然にも世界を超えた先にある、人類の救済方法を。
その名を、“デスティニープラン”と。


「おい、何だ今の爆発のような音は!?みんな、生きているよな!」
「霧雨さん、ここは冥界ですよ。大半の人は既に死んでいます…って、そんなボケと突っ込みなんてどうでもいいの…!」
「んな漫才披露している場合か!!!!」
「幽々子様、紫様!!」
騒々しい雑音が一斉に白玉楼の庭に満ちる。紫が思案を巡らせていると、白玉楼の門の方向から四つの人影が地面に降り立つ。紫はその全員と既に面識があった。河童の河城にとり、人間の霧雨魔理沙、船幽霊の村沙水蜜、そして親友である紫に仕える半霊の魂魄妖夢だ。いずれも、シン・アスカ、レイ・ザ・バレルと知り合い、影響された人物だ。
こうして、この場にそれぞれ立場の異なる四人が集まることも、彼らなくしてこのような運命には結びつかなかっただろう。
言い換えれば、本来彼女達が同一のサイドで並び立つ可能性などゼロだということだ。そのゼロを破壊したのが彼らイレギュラーである二人なのだ。
「あら、意外ね。曲がりなりにも藍は伝説の妖狐、九尾の存在であって、あの娘から力を分け与えてもらった橙も数多の妖怪と比べてもかなりの力を秘めているはずなのに……突破されるのは万に一つでも、こうまで早くここにたどり着くとは思わなかったわ。………二人はどうしたの?」
「水ぶっかけてやったさ、この性悪女」
紫の問いに対して啖呵を切るにとり。紫の知りうる限り、藍の実力は正面切っての戦いならどの妖怪よりも強いと確信している。普段は弾幕ごっこという遊びの範疇なのだから、勝負に負ける事こそあるが今回は異変とも違う、正真正銘の幻想郷の行く末を左右する八雲紫の敷いた儀式なのだ。
当然、あのガンダム二機を相手にする以上紫は二人に「殺す気でいけ」と命じてある。それが、相手が変わろうが命じたものに変わりはない筈だ。
だからこそ、魔理沙たちも手段を選ばなかったのだろう。
式に水をかけるというものは、妖怪の大元である、動物の生体に戻すということなのだ。妖獣、または強い霊力を宿す動物に“式”と呼ばれる人格・頭脳を司る強い術式を入れ込む、というのが幻想郷におけるオーソドックスな“式神”と呼ばれる存在だ。
しかし、共通の弱点とするものは式神を司る“式”が、身体に水をかけられるとその“式”が剥がれてしまい、“式神”が元の獣から剥がれ落ちる性質が有るのだ。
水の質は問わない。それの根源が山の水でも、海の水でも、はたまた霊力によるものでも“式”は水に弱い。それを人間で喩えるならば、全身に濃硫酸を頭から浴びせられるようなものだ。幸い、使役する人物が健在ならば主が再び“式”を入れ込めば八雲藍と橙という存在が無くなることはない。水をかけられた時から暫くの間意識は飛んでしまうが、人妖の死と比べると遥かに安いものだ。大元の獣が在れば何度でも、主がいる限り死ぬことはないのだから。
「つっ…!これは…!」
にとりは白玉楼の惨状を見て驚愕していた。辺りに散らばる金属片が何か、河童たちと共に毎日その元の姿を見てきたものだから分かる。その残骸は“レジェンド”のものだと。
その光景に僅かに目を伏せてこみ上げる怒りと悲しみに歯を食いしばる。とても悲しいのだ。だが、絶対に紫の前で弱気にならまいと彼女は目を赤くしたまま紫に対して顔を上げた。
「答えろ、八雲紫!こっちにシンがきたはずだ!どこに行ったか教えろ!」
にとりが紫に対して怒りを込めて叫び放つ。紫が只の人間だったとしたらとっくの前ににとりに首を掴み上げられたことだろう。しかし、にとりが紫の恐ろしさが理解している分、そういった生の感情のままの行動には移さなかったのだ。
「一足遅かったわね。シンなら、霊夢と一緒に冥界の外に出たわ。行き先は………そうね、今察しが継いたわ。このままじゃ、里の上空あたりでぶつかり合うようね」
「霊夢…!?けど、アイツはここ最近私らのもとに姿を見せなかった…!やっぱり、アンタが一枚噛んでたんだな…!」
「そうよ、魔理沙。霊夢は私のガンダムで今シンと対峙している。この世で最も誇り高い、生死をかけた戦いに」
「やっぱ、さっきの爆音の後遠くへ何かが離れて行く音が“デスティニー”だったのか…けれど、里の上だって…!?」
それを聞いて魔理沙が血相を変えた。
「どうしたの?魔理沙?」
その豹変に対し、妖夢が怪訝に想ったのか問う。
「あそこには、今香霖が行っているんだ!もし今のボロボロな里で再びドンパチでも起これば…香霖だけじゃない、里の皆だって巻き込まれる!」
「まずい…今の里は聖達が必死になって復旧作業を続けてる…里路もめちゃくちゃで避難経路も確保されてない今、里で巨体が取っ組み合ったらおじゃんだわ…!アスカ君の所へいかないと!」
魔理沙と水蜜が汗をにじませながら訴える。にとりと妖夢は事の一大事に目を見開いていた。紫は、その彼女達の様子を、ただ眺めていた。
自らが起こしたシナリオ。そのシナリオの通りだ。シンが来るよりも前、この顛末を既に思い描いていた八雲紫の筋書き通りに事が進んでいた。
「にとり、ムラサ!私の箒に乗れ!ここで道草食ってる場合じゃない、里に戻って香霖達を里から離さないと……!ほら、妖夢!お前も早く私に掴ま―――」
「残念ですが、私はここでお別れです」
魔理沙が手に持つ箒に跨がり、その長い柄ににとりと水蜜を乗せて妖夢に手をのばそうとした。妖夢は首を横に振って拒否する。
「私が魔理沙の側についたのはこの騒動に手を化した、幽々子様の真意を知ること。幽々子様の目の前に来た以上、事と次第によっては再びあなた方に刃を向けなければいけません」
妖夢は静かに幽々子の隣へと歩み、魔理沙の方に振り向いて言う。目的を達成した以上、共同戦線は終わり。元より、紫の命令を幽々子に通して妖夢に命じたからこそ、最初にレイが白玉楼に来た時、妖夢が出たのだ。
せめて、この場で刃を向けないのは妖夢の持つ優しさゆえか。しかし、紫からすればすでに妖夢の成すべきことは全て済んでいた。紫はあの場でスキマを用いて、レイという人間がどういったものかをじっくりと判断する機会でしかなかったのだから。
「………ほっとくぞ、にとり、ムラサ…!里まで全速前進だ!」
魔理沙が箒を強く握りこむと、跨った背後に有る穂先から激しい閃光がいきよいよく吹き出した。可視化した霊力の奔流だ。モビルスーツのバーニアと遜色ない爆発的な加速で進んだ箒は、まばたきをする間に紫の前から空へ消えた。余程の焦りだったのか、捨て台詞一つなく去る魔理沙に、紫はただ無言でいた。
全ては、ムダでしか無いのに。
モビルスーツの戦いに人妖が介入など出来はしない。観客が増えるだけだ。
だが、それもこの世界の未来が変わる場に彼女達が立ち会えるのだとしたら、別に止める理由もなかっただけのこと。
自らも、そろそろ里に転移するか。
そう想い、紫が手を鋭く眼前にかざし、スキマによる移動を始めようとした時。妖夢が幽々子に対し、真剣な眼差しで問いを向けていた。
「なぜ、紫様に手を貸したのですか…!?」
彼女らしい、単刀直入で簡潔な問いだ。妖夢が欲している答えは、単に幽々子と紫が親友の間柄である事から来るものではないであることだろう。妖夢からすれば、このような二つの世界を巻き込んだ「馬鹿げたこと」に、幽々子がなぜ関わったかということだ。
「妖夢は、この幻想郷の未来を考えたこと有るかしら」
「は………」
妖夢は首を横に振った。彼女のことだ、大方自分のような行動と思考が直結している者よりも、より賢しい存在が未来を想うべきだとでも考えているのだろうと、紫は推測した。
「私は、今の亡霊としての私が消えてしまった後の世界を知らないわ。最も、亡霊になる前の私のことも、私は知らないのだけれど」
幽々子には生前の記憶が無い。その理由を紫は知っていた。
西行妖の下には彼女の本体、つまり幽々子の死体が埋まっている。だがその亡骸は完全に朽ちてはいない。涅槃の闇に覆われかけている彼女の死体は、西行妖の下で永遠に目覚めない眠り姫として強い霊力で封印されている。
ある日幽々子は西行妖の満開を見たいといい、その封印の鍵となる樹の下の少女を蘇らせようと妖夢に命じた。
幽々子は西行妖の満開が見たいがために興味本位で幻想郷中の春を集め、その封印を解こうとしたのだ。
いや、正確には単なる興味本位とは違う。幽々子は試したかったのだ。能力によって死を振りまくだけの自分が、桜の木の下に眠っている『誰か』を蘇らせることが出来るのかどうかを。
しかし、封印が説かれることは幽々子の身体がおよそ1000年にも渡る再び時の呪縛に引き戻される事を意味し、そこから導かれる結果は急激な身体老化による幽々子の本当の死。そして、亡霊“西行寺幽々子”の消滅を意味する。
霊夢、魔理沙、咲夜の阻止によってその封印は防がれたが、それも紫の手引きだったのだ。霊夢に二人とともに幽々子の企みを止めろと、導くことによって紫が幽々子を止めたのだ。最も、その真意は彼女本人には伏せてあるが。
その事を知れば、幽々子は生前の自分を前よりも強く求めようとするだろう。
自らの“人を死に誘う能力”を憂いたばかりに命を絶った自らの、本当の死を。
「私は幽霊の統治者。輪廻を巡る命の半分側を管理する存在にして、この冥界の亡霊姫。私には、次に生まれ変わる命にはより愉しく生きてほしいと願っているわ。この紫色の彼岸を後にする、愛する幽霊たちには」
「幽々子様…」
「そこには、私や………紫や妖夢がいなくなってしまった後でも、愉快な世界で在り続けてほしいわ。幽霊の先を心配するのは、冥界の姫として当然でしょう?」
「しかし幽々子様!かといって、余りにも紫様の提案は乱暴で、性急過ぎます!ましてや、外の世界の住民を道具みたいに扱う紫様の想いは、私には到底理解仕様にございません!!」
また、だな。紫の考えはいつも突飛すぎるとはよく言われている。当然だ。自らに匹敵する頭脳の処理能力、演算能力にこの世界の生物全てが敵わないことは自明の理だ。外の世界やコズミック・イラで喩えるなら、電卓と量子コンピュータを比べるようなものだ。
「私達は理解できなくてもいいの。けれど、紫はきっと今よりもっと面白そうな世界にしてくれる。例え、それが彼らに阻止されたとしても、紫が動いたことから紡ぎだされる未来は、いつだって明るいものよ。だって、今までもそうだったでしょ…?」
「幽々子様は………まさか、シンさんやレイさんが、紫様を止めれると…」
敢えて紫様の隣にいたのですか?と、妖夢は問う。しかし幽々子は答えなかった。静かに目を伏せ、菫色の空に僅かな笑みを浮かべている。
紫の視えた未来に、シンの勝利はない。だが、もし?それが起こりえるのだとしたら。この世界はどうなる?未来はどうなる?自らの識った最善を覆す世界を、シンは見せてくれるのだというのか?
紫は、頭の中であらゆる思考を巡らせる。だがその先には「シンは勝てない」という結果だけだ。これ以外の結果は、完全に未知の領域だった。
―――いいでしょう、見せてもらうわよ。種の芽吹きを。
紫は、声にせずそう呟いて目の前の空間に切れ目を入れて亜空間を翔ぶ。スキマを閉める際に耳に入ってきたのは、白玉楼に横たわる、残骸と化した“レジェンド”の鉄塊が、崩れる音だった。


戦闘はまだ続いている。シンは怒りに焦がれ、ただ情念のままに“デスティニー”を動かしている。モニターの外は菫色から澄んだ蒼へと変わりながらも、シンの中の怒りが変わることはない。“デスティニー”のマニピュレーターが紛い物の“ジャスティス”の装甲を抉り、逃さまいと掴みあげたまま空の中を押し続けている。
背部にあるウィングワインダーにから放たれる光圧推進は二体分の重量をものともしなかった。空気抵抗の影響を明らかに逸脱したレベルで受けているのにもかかわらず、“エクストリームブラストモード・デスティニー”は黄昏色の怒りを纏いながら、白昼の彗星と化していた。
「シン………!シン!」
冥界から離れたことで、ようやく我に返った早苗が、必死にシンを呼び続ける。されど届かない。今のシンの双眸が見ているのは、早苗も、霊夢にも向けられていないのが早苗には分かる。親友を殺した、紫の虚像。ただ一つに向けられていた。
このままではいけない。そう感じた早苗は、手元のサブコントロールでシンを止めようとする。しかし無駄だった。一度操作権の全てをシンに譲渡してしまった以上、シンの意図がなければ早苗の元へと帰らない。正しく、シンの怒りに介入することが出来ない状態なのだ。
このままでは、シンは霊夢を殺してしまう―――
早苗の考える限りの最悪のケースが浮かび上がってしまう。元よりシンに霊夢を殺す意志など存在しなかった。だが、親友の死が今のシンを暴走たらしめている。それでも、怒りの中であっても他人の声は響くはずだ。だがそれも、一向に敵わない。
もしや、それこそ紫の言っていた“S.E.E.D”の影響なのだろうか。早苗には、シンの持つ能力の正体などわからない。唯一つ言えるのは、その力によってモビルスーツにおける戦闘能力が類まれなものであることだけだ。
声が届かないのなら、どうやってシンを止めればいいのか。焦りが押し寄せてくる今の早苗には、何を考えていても答えが見つからない。そうしている内に、機体は瞬く間に幻想郷現界の上空、人間の里上空へと場を写していた。
サブディスプレイで眼科の景色をズーム。まずい、遥か上空にいるこちら側に、住民たちは気づいていない。見渡すと、そこにはアリス、小町や、命蓮寺の皆、地底界の住民が復興作業に励んでいる所だった。
「でやああああああっ!」
シンの昂ぶりと共に、“デスティニー”のパルマフィオキーナが煌めいた。抵抗していた“ジャスティス”の両腕が爆発、四散して瓦礫が墜ちる。それが里の広場に墜落すると、いよいよ早苗の恐れていたことが始まってしまった。
シンの怒りは収まらない。“S.E.E.D”によって増幅された紅蓮の怒りは、吹き上がる火山のようにその勢いを増していた。もろくなった“ジャスティス”の関節部を破壊して、無理やり引きちぎる。それでもと“ジャスティス”は抵抗の素振りを見せた。それも直ぐにシンが本能的な察知で、瞬時にアロンダイトで断ち切ってしまった。
そしてついに、“デスティニー”の右手が、“ジャスティス”の胸部に伸ばされた。本物のフェイズシフトではない為、“デスティニー”の驚異的な力に、“ジャスティス”の胸部装甲は簡単にえぐり取られてしまう。そこには、風に晒される霊夢が。シンの暴走を受けて衝撃で意識を失ったのか、こうべを垂れて目を閉じていた博麗霊夢の姿があった。
「………!」
シンは唸るように息を吐いて、一瞬の逡巡の後にビームライフルを霊夢へと向けた。今だ。この瞬間を逃す手はなかった。殆ど反射的に早苗はシンを後ろから抱きしめた。
「もうやめてシン!貴方シンは確かに今まで、沢山こうやって人を殺し続けてきたかもしれない!いっぱい傷ついて生きていたかもしれない!……けれど、シンが誰かを殺してしまうことが正しいなんて、私は絶対想いはしないっ!!」
声が届かないならせめて私の思いを届かせてみせる。そう早苗は想って、固くシンを包み込んだ。
唸り声とともに振りほどこうとシンの身体が暴れる。構うものかと、早苗は強く抱きしめ続けた。シンはエクストリームブラストモードにおいて神経接続を介して機体を操っている。それに介入するには、シンの意識をこちらへ完全に剥ける必要があるから故の行動だ。
無意識に放った言葉はずっと早苗が感じていたことばかりだ。シンは望んで自らの手を血に染めてきたわけじゃない。だから軍人でありながら、最後まで戦いに躊躇いを持ち続けてきた。この幻想郷での彼の戦いは何時だって自衛と、誰かを守るための戦いだ。だからこそ、さとりも、白蓮も、小町も、レミリアとフランも。シンは助けてあげることが出来た。
それだけじゃない。里の人達や、一時期は敵となっていたレイでさえもシンの諦めない想いで手を伸ばせたから救うことが出来た。そのシン自身が、自らの力に呑まれてしまって悲しみを生むことはあってはならない。シン自身も、絶対に後悔する。
その為にも。シンの手で、親しい誰かを殺すようなことなど、絶対に有り得てはいけないのだ。
「さ…な、え………?」
胸の中からシンの声が届いた。
気付けば、抵抗を止めるのに必死だった両腕に既に圧力はなく。口から溢れていた荒い息を抑えつつ肩で息をしているシンがこちらへと見やりながら早苗を呼んだ。その瞳には、先程ま宿されていた怒りの色が薄らぎ、モニターの光に反射する瞳は早苗に向けられていた。
先程まではこちらに全く意に介していなかった異常な集中力。それが“S.E.E.D”の力の一端なのだと早苗はこれまでの経験で確信していた。だからシンがこちらに意識を向けてくれたことで、“S.E.E.D”の呪縛からシンが解放されたことに早苗は喜びを隠せず自然と涙が溢れそうになった。
そして直後にコックピットに響き渡る電子音。“デスティニー”のエクストリームブラストモードの限界時間を知らせる警告音だ。それと同時に、機体に纏っていた黄昏色のヴェールが消失し、通常操縦へとシステムが移行する。シンはそれに気付き、即座に操縦桿へと腕を戻した。ディスプレイに表示される“デスティニー”の出力は60%以下。リチャージの為に明らかに機体性能がダウンしていることが明白だった。
「俺は………怒りで、霊夢さんを殺そうとしていたのか…!」
“レジェンド”の撃墜の光景が今シンの中でフラッシュバックしたのだろう。シンは僅かに、けれどもモニターから目を離さず顔を伏せた。親友の死。それはシンの怒りを引き起こすには余りにも十分すぎた。レイはシンを救おうとあの行動に出た。それを見て、シンは思った筈のだ。殺してやる―――と。
こんな下らないことが紫の狙いなのかと、早苗すら焼けるような憤怒を抱く。普段怒りという感情に駆られることのない彼女でさえも焚き付けられる紫の策略に対して、最早感情を抑えるほうが難しい。こんなこと、許せるわけがない。
だが、自分でさえ怒りに呑まれれば誰がシンを止めるのだ?
その皮一枚の理性が、早苗をあくまでも冷静でいさせてくれた。
だから、こんな突発的の様なな閃きを、早苗はその先に有る確信を持って口にすることが出来た。
「今ですシン!コックピットを開きます!!」
何だって!?と、言わんばかりにシンが驚きの表情を早苗に向けた。
「“ジャスティス”の動きも止まってて、霊夢さんは剥き出しです!今なら、私が!」
エクストリームブラストモード解除時に渡ったいくつかの操作権の内、共通操作権の一つであるコックピットハッチ解放を行い、シートベルトを解いて即座に天空へと身を躍らせる。暴走した“デスティニー”によって意識を失った霊夢に届くと、その座席から引っ張りあげて早苗は直ぐに神風で二人分の身体を空中へと移した。
「やった…!」
早苗は上空で抱える霊夢の身体にバランスを崩しそうになりながらも、なんとか姿勢維持を保つ。霊夢が起きる様子はない。ここは、自らがこの場から離れるしか無い。
「シン…!私は霊夢さんを連れて、里の方へ通ります!シンは“ジャスティス”を、里の上から話してください!」
「早苗、お前は大丈夫なのか!?霊夢さんだって、起きたらまた…!」
ついさっきまで我を忘れて力にとらわれていたシンにそう言われるなんて。早苗はそんな思いにかられたが、直ぐに考えなおして穏やかにシンに告げる。悪いのはシンじゃ無い。“S.E.E.D”なんてヒトから逸脱した力を持っているからばかりから来たものだ。それを責めるなんてあまりにも見当違いだ。
早苗だって、自分の持っている力で気味悪がられたり、迫害された過去がある。彼を分かることが出来るのは、同じ痛みを知る私だけなのだから。
「大丈夫ですよ、シン……!」
だから、いつもの様に早苗は明るく、優しくシンに言った。
「私は巫女です。霊夢さんに絶対負けられない、守谷の風の巫女。何があったって、私は負けないし、私は負けないシンを応援しています」
「早苗…!」
「だから、シンは行って!霊夢さんは、私が何とかしてみせますから…!」
早苗はそう言い切って、霊夢を抱えて行動を落とし始めた。頭上に有る“デスティニー”との距離が開く。それがまるで、段々とシンが届かない世界に行ってしまうようで怖かった。だが、彼の戦いに自分達二人がいてはならない。シンが付けるべきは紫との決着だ。
「シン………!」
霊夢と共に天から遠ざかる中、早苗は彼の名を呼ぶ。だがその声が今のシンに、届くことはなかった。


「後は…!」
シンは早苗が遠ざかるのを見送った後、正面の操縦手を失った真紅の“ジャスティス”へ再び意識を向ける。
胸を抉られた巨体はシンによって関節が幾つか出鱈目な方向に折れ、項垂れたように空で佇んでいる。動力も浮力も本来のモビルスーツとはかけ離れているのか、バーニアを吹かしているわけでもないのに空中で静止しているのは霊夢や早苗と同じように霊力による超常的な飛行の成せる業か。
「コイツに決着を着けるだけだ………」
これでやっと終わる。この機体との因縁が始まってから、シンはこの機体とアスランに囚われていた。本当の悲しみを理解していた彼の強さ。それに追いつきたくて戦い続けたその後の日々。その最中にこの世界へと迷い込み、今こうして自分の奥底に眠るこの機体への恐れが、こうして形を成している。
―――俺はパイロットになって強くなった……もう何も出来なかった無力な俺とは違う!
今度は、誰だって失わせない!シンはそう固い想いを秘めて“デスティニー”を“ジャスティス”に近づけようとした。後は、この機体を里より遥か遠くで爆散させるだけ。
その為に、右腕のマニピュレーターで“ジャスティス”を掴み上げようとした。直後、
『いいえ、まだよ。まだ、終わらせないわ』
「ぐッ!?」
頭の中に響く女の声。同時に、“ジャスティス”の弛緩したフレームが急に稼働した。予測できない行動だった。
シンはすんでの所でビームシールドを起動させた。剣閃を振り払うことには成功したが、後コンマ一秒遅れていたら間違いなく眩い灼熱がシンを包み込んでいたことだろう。“ジャスティス”は動けないはずのダメージを完全に無視して、霊夢もいないのに再起動し“デスティニー”にビームサーベルを振り払ってきたのだ。
「何だと、こいつ!?」
正真正銘のバケモノかよ!?
シンは目の前の“ジャスティス”の形をした何かに本能的な悪寒を覚えた。真紅の色を宿していた“ジャスティス”の色が急激に変化したのだ。血のような真紅から、菫色よりも深い、闇のような紫へと。そして、瞬く間に白玉楼の時と同じように損傷が消えてゆく“ジャスティス”の自己再生に、自分が相手にしているのはモビルスーツではなく、紫が差し向けたシンを、シンだけを倒すだけ為に生み出されたマシンであることを痛感させられた。
紫の心に、敗北など一切無いのだ。
「やめろよ、この馬鹿!あんたってホント、何も分かってないよな!」
ここまで来ると紫の執念に対し、心底から怒りが生まれる。最初から紫が霊夢を戦いの場に引き出すことなど必要なかったのだ。全て紫が操り、紫は霊夢を盾にしていただけ。用意していた椅子に、座らせていただけなのだ。自身の願いを叶えるために。
「あんたみたいな奴がいるから、世界は変わる事が出来ない!」
シンの憤りは止まらないどころか、急激に増してゆく。今度は、早苗に助けられたように自らの力に溺れたりなどしない。指先に力がこもるも、もう二度と、怒りと憎しみだけで敵を討ちはしないとシンは誓っていた。でなければ、レイに向ける顔がない。
早苗が向けてくれた、あの優しさを無駄には出来ない。
『世界は変わるわ。私が変える。その為には、私が貴方を手に入れなければならない。霊夢はそのピースの一つであって、霊夢もまた貴方を欲していた』
「霊夢さんが…!?」
『私はただ、あの娘の背中を押してあげたに過ぎない』
「ふざけんな…あの娘はお前のもんじゃないだろ!」
シンの中の怒りが爆発する。この女は、未だに自分が悪くないとでも言い出すのか?そんな事許せるわけがない。
「だから、自分は悪くありませんとか、そんなふざけたことでも言うってのかよ!?」
『いいえ。親の務めよ。私は霊夢の母親として霊夢の願いを聞き入れた。そして、それが私の願いの一つでも有る。私が霊夢をたぶらかしたと思ったら大間違いよ。霊夢としては、貴方を引き止める方法を探していて、私がそれの手を引いてあげただけのこと』
「違う!お前は自分の為にずっと霊夢さんを利用していたんだ!アンタは自分のエゴに忠実なだけなんだ!いい加減、隠れてないで俺の前にでてこい、八雲紫!!」
響く紫の声に、“デスティニー”は吠えた。全ての空間に響き渡らせるように、シンの声は機体から最大音量で全方向へと放射される。その声は地面にも反響し里にも響くほどだ。眼科には、こちらへと目を細める幻想郷中の住人の姿が見えた。
『………いいでしょう』
紫はそう返した時、レーダーに反応が起きた。妖怪の生体反応が新たに一つ。それは、紫色の“ジャスティス”のすぐ横だった。
モニターへと目を移す。そこには傘を掲げ、開かれた紫色の双眸が“デスティニー”の中にいるシンを捉えていた。紫の姿が、やっとシンの前に現れたのだ。
「今度は…絶対に逃がさない。もう俺は、貴方の思い通りには動かないッ!」


「…ここは………」
霊夢が目を覚ましたのは、瓦礫に囲まれた広場の中だった。
朧気な視界が鮮明さを取り戻す。目を軽くこすり、辺りを見回す。ここは人里の広場だ。里がこうまで荒れていることの理由を霊夢は紫から知らされていた。だからこの事態には何の感慨もない。
問題は何故自分がここにいる、か。
「目を覚ましましたね」
「早苗………」
声を耳にして上半身を起こし、視線を声に見やる。
曇り無い意思で、霊夢を捉える凛とした双眸。長い黒髪が広場に通る風に靡き、固く結ばれた唇が彼女の顔に強さを現している。
東風谷早苗の姿がそこにあった。
―――早苗…!
霊夢は彼女を前にして思わず拳を握らせた。
ずっとシンと一緒にいた少女。ずっと、シンの為にこの世界で力を貸していた少女。
彼を、元の世界へと戻そうとする為に。
「答えてください、霊夢さん。貴方は何故、紫さんとシンの前に立ったのです?貴方は、私達と一緒に飛んできたじゃありませんか…!それを何で―――」
「愚問ね」
早苗の問いは何時だって直情的だ。霊夢は、そんな早苗をいつだって快く思わなかった。
「私は初めから紫とともにいたわ。だから、尚更彼のこれから向かおうとする世界についても話は聞いていた。………あの子は決して勝てない戦いにこれから行こうとしている。そんな分かり切った未来だったら、それを止めようとするのが、シンの事を想う人の役目じゃないかしら」
そうだ。紫から聞いた言葉にあるシンの未来は―――死。
戦いの世界に飲み込まれ、運命に屈する彼の未来は、避けなければならない。それが彼を救いたいと想う霊夢の願いだ。
それを妨げようとしているのは、早苗。何時だって彼女だ。彼が語る戦争の世界。外の世界の住民であった早苗なら、自分よりそれがどんなに悲惨か理解しているはずだ。何故それがわからない?
「私には、親がいない。全て妖怪に殺されたわ。彼だって、元の世界で全てを失ったのよ。だったら、二度と何も失わない世界で過ごしたほうが、本当の幸せのはずよ」
天涯孤独。それを霊夢は知ってしまった。彼をもう、自分を独りぼっちにさせてしまった世界に帰すわけには行かないのだ。その悲しみを、知っているから。
「シンは死なない」
早苗はその霊夢の考えに対して、正面から否定してきた。
頭を叩かれたかのような衝撃が霊夢の中を駆け巡り、隠し切れない想いが驚きとなって顔に現れた。
なぜ、そう簡単に否定できる………!?
「貴方の諦めは、否定出ません。私だって両親を事故によって失った。私達は、孤独を知ってしまったんです」
霊夢の孤独。早苗の孤独。シンの孤独。望みもしない運命の悪戯によって、人の死というものに出会ってしまった三人。
それを回避できる力を持つ、それが紫だ。霊夢は、彼女の言葉に従ったからこの世界の均衡を保ってきた。彼女の望む世界は、この世界の未来だ。
だから、彼女が初めてシンの死を避けようと聞いた時は、霊夢は何も迷わずに耳を貸した。
紫には紫の望むだけの未来を創るためにシンが必要だと言った。だがそんなものはどうでもいい。霊夢は、シンがずっと生きていてくれるならそれでいい。いつかきっと、自分のことを分かってくれるのだと、霊夢は確信していた。
ずっと、彼がそばに居てくれる世界があるのなら………霊夢にはそれを叶えてくれる紫がいた。
その為には、紫に利用される形でも紫に協力しようと思ったのだ。
家族が、欲しかったから。
「でもシンは諦めていない!いつも、いつもシンは笑顔で言ってくれるんです。『戦争を終わらせる』って。その為に彼の背中を押してあげることが、本当に彼を想う人の役目なんじゃないですか!」
霊夢が居ることの出来なかったシンの隣。早苗は、いつだってそこからシンを見守っていた。
彼に出会って苦楽を共にする内に芽生えた想いを、霊夢は明かすことが出来なかった。早苗の存在があったからだ。
早苗がシンと一緒にいる時、彼女が眩しくて仕方がなかった。早苗に比べて、自分は余りにも汚れすぎていた。早苗の持っている歳相応の明るさを、霊夢は失っていたのだ。人や妖怪を紫に言われるがままに消し続けてきた自分は、早苗のように幸せになれる人間ではなかったのだ。
それでも、シンを諦めることが出来なかったから霊夢は紫の言葉に乗った。
「それでも、私はもうあんた達とは………」
「遅くなんかありません」
早苗は真っ直ぐ手を差し出してきた。俯く霊夢の眼の前に差し出された手は、目の前にまで迫っていた。早苗が近くまで歩み寄ってきていたのだ。
「貴方のしたことが紫さんに乗せられていたのでも、貴方自身の目的の為なんかだなんて、今はどうでもいい。それよりも、貴方はこれからどうしたいのか。それを私は知りたい」
真剣に、早苗が霊夢に問う。早苗が外の世界から来た時、こんな迷いも曇りも一切無い表情が出来る少女ではなかったことを霊夢は知っていた。
自分の力に悩み、同じ巫女である彼女が、自分とは違った世界を生きていることに霊夢は驚くことしか出来なかった。
―――これが、あの子の力なのかしら。
シンは早苗の運命を切り拓いてみせたのだ。その諦めない意思で、この世界を少しづつ変えていったのだ。
それに対して、自分は変わることを。変革を受け入れることを恐れていたのかもしれない。
自分も変われるだろうか?
彼女のように、自分の過去に囚われること無く。誰かの意思に囚われること無く、生きていてもいいのだろうか?
「この手に、私はシンから奇跡を受け取りました。この世界で共に過ごせた、大切な時間と言う奇跡を………今度は、私達がシンに奇跡を与える番です。世界を超えるという、奇跡を…!」
「………!」
「貴方はどうしたいのですか?博麗の巫女としてではなく、貴方自身の気持ちはッ!」
頭の中にあった霞が消える。一歩踏み出し、早苗の手を取る霊夢の中で抱えていたものが晴れた。
ずっと、見えなかったもの。シンの傍にいた早苗を目にして生まれた感情で、霊夢はシンの傍に居ることが出来なかった。
紫は、それを知っていて協力させたのかもしれない。だが、そんなことはもうどうでもいい。
自分の想いに正直になる。ここに誰かの意思なんて関係ない。
紫が与えてくれた“博麗霊夢”としての行動に、苦しむ必要なんて無いのだ。
「そうね………もう逃げることなんて、やめにするわ」
「霊夢さん………!」
「他のだれでもない………“霊夢”じゃなくて、“私自身”として、私は動く。自由に空を飛べる私が………誰かの意思に縛られる必要なんかないものね…!」
その手をとり、霊夢が立ち上がる。
今再び、シンとともに翔ぶことを決めたのだ。己の意思で。紫の代弁者ではなく、一人の人間として。
その為には―――あの紛い物の機械人形を討ち倒さなければならない。
「やれやれ、ようやく素直になったかよ。この、聞かん坊め!」
そこに加わる新たな声。広場に最大全速で突っ込んでくる霊力を感じて、霊夢が空に振り向いた時には、すぐ近くに箒にまたがった三人の少女が見えた。
霧雨魔理沙と河城にとりだ。
「やっと霊夢に辿り着いたぜ、ここにくるまでどんだけ苦労したと思ってんだ!」
「早苗お前こんな所で何を…!霊夢、まだやる気だというのなら、私だってお前と戦うぞ!」
箒を降りた彼女らが口々に言う。たった今終わった霊夢との対峙を知らない彼女達は霊夢に対する警戒を緩めない。直ぐに弁解しようと早苗が霊夢を庇うように前に出た。
「ちょっと待って下さい、霊夢さんは敵じゃありません!!霊夢さんはもう一度、私達と一緒に戦いますっ!」
ここで詳しい事情を話している暇はない。今直ぐにでもシンの元へ駆けつけなければいけないのだ。
シンを、元の世界へ帰すために。
「何か詳しいことは知らないが、とりあえずその様子だと霊夢は敵じゃないみたいだな」
そういったのは魔理沙だった。彼女は、長年霊夢と共に異変解決に勤しんでいた。
早苗の言葉に理解が早いのは、考えを通じ合わせなくとも動ける故のものか。霊夢の直感には及ばないが、魔理沙もまた、他人の意思に敏感だ。
「魔理沙さん、妖夢さんや村紗さんもこちらに?」
早苗が、冥界にいた彼女達について問う。
霊夢も“ジャスティス”から見えていたので、冥界に駆けつけた者の中にあの二人がいたのは知っていた。
「妖夢は幽々子の元へ戻って、村紗は途中で降りて命蓮寺に行ったぞ。何か考えがあるのかもしれないが、そんな事よりを気にしている暇はなかった」
そう、今は何よりも大切なことが有る。
「さて、行くか?」
魔理沙が人差し指を頭上へ建てた。それに対する答えは、一つしか無い。
その場にいた皆が、首を縦に振った。


「くっ………!」
紛い物。しかし命を刈り取ると言う本質では何ら変わりない光刃が、シンに襲いかかっていた。
真紅から紫へと色を変えた“ジャスティス・ナイト”その機体に、こちらの攻撃が通じない。“デスティニー”がライフルを向けて何度も発砲しながら後退する。が、光条は相手の装甲を貫くことがかなわない。ビームが完全に通用しないのだ。
ビームを弾く、などといった言葉は最早出てこなかった。似たようなケースはオーブ海上でカガリの駆る“アカツキ”と対峙したことからも熟知している。幸いなのが、ヤタノカガミとは異なってビームが着弾した瞬間に雲散霧消している事か。こちらに反射されるよりは余程マシだ。
「貴方の威勢も、蓋を開けてみると大したことないわね」
紫の挑発。『乗せられるな』。アスランの言葉を反芻する。分かってはいた。紫の力の恐ろしさはありとあらゆる事象を現実に出来る事だ。境界を自在に操れる彼女なら、その気になれば自分を直接手にかけずとも殺すことが出来るだろう。
だがそれをしないのは、シンも分かり切っている。紫がシンを欲しているからだ。
この戦いは儀式なのだ。どちらかの意思を、どちらかに押し通すための。
弾幕ごっこで取り仕切られる決闘と何ら変わりがない。しかし、この戦いで違うのは人間が古来より妖怪と戦ってきた時と同じように、命のやりとりが在る点だ。
だから、この戦いは避けられないし譲れない。
しかし、今のシンは相手にペースを握られている。
攻撃を封じられている今、シールドを張って防戦に追い込まれていたシンはチャンスを伺っていた。
「貴方の力は、その程度よ。貴方の思いあがりでは、世界は動かない。その力も、ただ無駄に費やして消えてしまうだけよ」
「例えそうだとしても、世界がアンタの見えるものだけとは限らない!俺は知ったんだ………どんなに苦しくても、未来を変えれるってことを!」
「それは只の希望的観測よ、未来は……運命は最初から決まっているの。貴方が、家族をなくして軍人となったように、世界には相応しい運命が定められている。こうして私が貴方を止めるのも、決まりきった結論から成せるものよ」
「その為に霊夢さんを“ジャスティス”に乗せたというのなら、俺はお前を許しはしない!未来を決めるのは………運命なんて言葉じゃないッ!!」
シンがこの世界で知った真実。
生きている限り、明日はやってくる。アスランに負けた月の地上で見えたステラの幻。シンは、それを信じて戦い続けて生きてきた。
そしてこの世界で元の世界に戻ろうと、必死にもがいてきた。その過程で、この世界に存在していた数々の歪み。持ってしまった力への苦しみ。異変に纏わる人妖の苦しみ。異形の存在などと言われて抑鬱された少女の苦しみ。その全てをシンは切り拓いてきた。
だからこそ紫へと言える。運命は、切り開けるのだと。与えられる運命なんて、存在しないのだと。
「自分の筋書き通りに、事が動くと思うな!運命は一人一人が切り拓くものだ!」
紫がどんなに邪魔をしようと、絶対に帰ってみせる。
そして取り戻す。戦争のない世界を。ステラや、マユみたいな子を生み出させない、世界を!
「もう俺は、貴方の思い通りには動かない!俺は俺のやり方で、戦争のない世界を創ってみせるッ!そして………!」

 


「終わらせるんだ………悲しみの連鎖を!」帰還ルートへ
「必ず帰るんだ………あいつの元へ…!早苗の傍に!」早苗ルートへ