PLUS にとり編


「暑いな……」

「暑いね……」

妖怪の山の麓。

シンとにとりは川の木陰で照りつける日光と暑さをしのいでいた。

この世界に来てから数カ月。

季節は巡り、夏が訪れ幻想郷も例外なく暑さに苛まれる日々が訪れた。

シンは半袖の私服に着替え、にとりは薄手の作業着を着ている。

だがそれでも、この炎天下の環境にいる事が楽になったとは言い難い。

現に二人は汗を流し、動く気力も起ころうとはしなかった。

「シン……熱いだろ?これ、村で購入した奴なんだけど、いるか?」

唐突ににとりが、手にある袋をこちらに差し出してきた。

先程、作業場の奥にある冷蔵庫―――にとりの自家製らしい―――から持ち出してきたものだ。

「へぇ、どんなのなんだ?」

それを受け取り、袋の中に手を入れる。

すると間もなく手の先が冷たいものに触れた。

「感謝しろよシン、里で売ってたアイスキャンディーだ!」

自慢げに、にとりが言う。

取り出し、冷たい包みを開けてみると、中から赤、青、黄色の三つのアイスキャンディーが現れた。

「え!?食べてもいいの!」

「うん!っていうか、そのために買ってきたんだぞ。だから、一緒に……食べよ?」

表情を明るくして彼女に同意を求めると、すんなり返事がきた。

喉もかなり渇いてる。さっさと頂こう。

シンは赤色、にとりは青色のアイスを取って口に頬張る。

「美味しい…!」

思わずそんな言葉が出るほど、熱い身体に甘いアイスは効果覿面だった。

「あははっ。もう、シンったらそんなにがっつかないでよ」

にとりはシンの方に向き、微笑ましそうにしている。

しかし、喉がカラカラな彼にとっては仕方の無い事だ。暑くて暑くて敵わないのだから。

「あ、溶けたアイスが口についてる」

「ん?」

そう指摘され、シンは空いた方の左手で口元をぬぐおうとした。

「待って、拭いてあげるから」

作業着のポケットから水色のハンカチを取り出す。

そのままにとりはシンの顔に手を寄せて、口元を優しく拭いた。

「あ…サンキュ」

急に迫った彼女に対し、妙にとぎまぎしてしまう。

思わず惚けてしまった後で、小さく礼を言った。

「別に、これぐらいいいよ。アイスをやったのは私なんだし」

「いや、正直ちょっと照れたけど……でもありがとな」

「バカ。なんども礼をいわないでよ、これぐらいで」

彼女の顔が紅潮する。

もともと高い気温でお互いの顔はほんのり赤みを帯びていたが、にとりはそれにも増して赤面した。

「でも、いつもにとりには助けてられてばかりだからな……俺はこの世界じゃ凄い事が出来る訳でもないし」

「能力が無いシンは仕方ないよ。でも、シンは私の作業場で手伝いをしてくれてるじゃないか。このアイスは……その、報酬だよ!報酬!」

まるで自分にアイスを渡す事に対して、態々言い訳を作ったかのような言葉だ。

きっとにとりは何気なく用意してくれたのだろう。

「ははっ。随分と照れてるな、にとり」

シンはそんなにとりをいじらしく思い、からかう様に苦笑しながら彼女に告げる。

「う、うるさいっ」

案の定、にとりは紅い顔を背けてそっぽを向いた。

彼女は照れるとこちらに眼を合わさなくなるのが常なのだ。

小柄な体躯に、子供じみた仕草は反則だ。

特別、意識をしなくても素直に彼女が可愛いと思えてしまうからだ。

その事実に彼自身も内心恥ずかしく思う。

「にとりにはお礼のしようも無いよ……ホントに」

何気なく感謝の言葉を吐露する。

シンは初めてこの世界に迷った頃からにとりに世話になっている。

食事から先立つもの等、あらゆる面でだ。常日頃から彼女に恩を返したいと思っているが、なかなか上手くはいかない。何時もにとりに見破られて止められるからだ。

「私の為にシンがしなくてもいいよ……こうして一緒にいられるのがその、とってもありがたいっていうか…」

徐々に小声になりつつ、にとりが呟く。

当然、内容を全部聞きとる事は出来なかった。

「一緒に…なんだっ―――」

聞き直してみると、即座に彼女は。

「う、うるさい!私の独り言だから!それより、あと一つアイス残ってるよ!」

大声で遮られ、思わず口を止めた。

にとりは袋から残った一本のアイスを取り出し、目の前に突き付けてきた。

「いいよ、俺はもう食ったし。買ってきた君が食べなよ」

「私だってもう十分!これはシンの為に買ってきたんだから!」

「俺はいいって!」

「いいから受け取ってよ!」

遠慮するとにとりがアイスを差し出してくる。

シンとしては彼女に譲りたい所ではあったが、一歩も譲りそうな気はなさそうだ。

―――仕方ないな、もう。

根負けして、シンがそのアイスを手に取ろうとした時。

「あーらら、どこまでイチャイチャしているのですか…貴方達は」

頭上から声が聞こえた。

黒い翼を羽ばたかせ、白いシャツ。手に収まっているのは手帳と細い筆。

切り揃えた短い髪を靡かせて、眩しい笑顔を浮かべた表情は真っ直ぐにこちらを見てくる。

間違いない。

以前にも会った“天狗”の妖怪。射命丸文だ。

文はゆったりと地に足を着け、相変わらずの笑顔を振りまいてこちらに近づいてきた。

「お元気そうですね、二人とも。用があってこちらに来てみれば…随分と熱そうな雰囲気で」

「どこがそう見えるんだよっ」

「アイスの押し付け合いをしてる様が特に」

文の明らかな挑発に、呆れた顔でにとりが応じる。

「やめろよ、もう」

「にとりさん、もしかして……照れてますか?」

「うるさいっ。ただでさえ熱いんだからこれ以上疲れさせないでくれよ」

手で追い払う仕草を見て、文は肩をすくめて挑発をやめた。

素直に従うとは珍しい。

「シンさんも隅に置けませんね、こんな可愛い子を一人占め出来て!」

「あんまり、そうやってにとりをからかうなよ。文」

「はいはーい!あ、そう言えば私、お二人に話があってきたのでした」

この暑さの中で、高いテンションを維持したまま文は勝手に話を進める。

話とは何なのだろうか。

「この知らせを持ってきたのですよ」

提げている配達袋から、文は一つのチラシを取りだした。

にとりが手に取り、紙面に大きく書かれた文字を読み上げる。

「納涼ミスコンテスト?」

「なんだよ、これ。優勝賞品は賞金らしいけど…」

「読んで字のごとくですよ、お二人方。明日、里でちょっとした行事がありまして……あらかた参加者は決まってるのですけど、審査員の一人である私がにとりさんを推薦しようと思って!」

「ええっ!?」

その発言を耳にした途端に、大きく動揺するにとり。

「何で私が出なきゃいけないんだよ!」

「だってにとりさんは可愛いですから、ホント。ああ、もうエントリーしたので断りはナシで」

「どんだけ勝手なんだよ、お前は!」

「何のつもりだよ、一体」

「ああ、シンさんにも審査員として出てもらいますから。これも決定事項ですので」

「嘘ぉ!?」

文は次々と彼らを驚かせる発言を投下してゆく。

そのあまりの唐突さに、思わずシンもにとりもは頭を抱える。

「にとりさん、にとりさん」

シンから少し離れ、にとりを連れ出して文が小声で囁く。

「なんだよ」

「チャンスですよ、にとりさん。水着を着てシンさんのハートを射止めるチャンスです!」

「はあッ!?」

「沢山の参加者の中で河童の少女が一際輝く……!これをシンさんがみたらきっと今まで以上ににとりさんのことを好きになってくれますよ」

「もしかして、お前の差し金なのか?このコンテスト」

「まさか。今回の大会は偶々です。私が審査員なのも偶然ですし。あ、あからさまな贔屓は致しませんよ?」

「コンテストか…そもそも私…水着とかもってないんだけど」

「構いませんよ、ちゃんと私が用意していますから」

「…ホント?」

「お、その気になりましたね?」

「う、うるさいっ」

「大丈夫、あなたの可愛さは冗談抜きで保証しますから」

「むむ…」

「シンさんの事が好きなのでしょう?彼だって貴方の姿を見たら惚れちゃいますって!」

文の巧言に頭を悩ませる。

自分は彼が好きだ。でも正直シンが自分に好意を持っているかを考えると不安になる。

自分はこうまで好きなのに、シンが私の事を“女の子”として捉えてくれているのかはかなりの疑問だ。

ならばいっそのこと、文のお膳立てを利用してでも彼に自分をアピールしてみるのもいいのではないのか?

人前に肌を晒すのに抵抗はあるが……このコンテストの間だけ我慢すれば、シンと。

「……わかったよ」

「その言葉を待っていました!さっそく準備に取り掛かりましょう、そうしましょう。シンさんにはあとで伝えますので!」

同意した途端に、文はにとりの手を引いて空中に浮く。

「おい、なにやってんだ?」

様子に気付いたシンが文へ問う。

「すいません、明日のコンテストの準備をするので!シンさんはあとで開催地の里の方へ向かっててください!スタッフの人が待っててくれてますから!」

そう言い残し、文は空へ飛翔し川から離れた。

「さ、用意している物を取りに行きますよ、にとりさん」

前を向いたまま文が言い、スピードを加速させる。

―――シンが私を見てくれる。

にとりは振り向いて下にいるシンを一瞥する。

彼に振り向いて欲しい。自らを好きになってほしい。

その想いがにとりを動かした。故に文の誘いに乗ったのだ。

にとりは文と共に飛び立ち、広がる空へ身体を預けた。

 

 

そして、コンテストの当日。

里には人間、妖怪が他方から集まり、会場が活気に包まれる。

シンはチラシの地図を辿って、文の言葉通りに会場に足を近づけた。

辺りからは観客のざわめきがたち、道路は人通りが激しく、楽に通り抜けできる状況ではない。

「ここら辺に文の言ってたスタッフがいるらしいけど…」

文の言う審査員が自分を待っててくれるらしいが、辺りにはそれらしき人物は見当たらない。

それどころか人が多すぎてどの人物が、自分を待ってくれる人かどうかを判別するのもかなわない。

不意に、肩を軽く叩かれた。

振り向くと、背後に緑のシャツを着た長髪の男性が立っていた。

「はいはい、失礼。君が射命丸の言っていた、シン・アスカか?」

飄々とした態度で彼は自分の名を呼ぶ。射命丸の名を出した事と、自分の名を知っているという事は、彼が審査員の一人なのだろう。

「えーと、貴方がコンテストの―――」

「そうだ、俺は今回のコンテストで司会者を務める司会だ」

司会と名乗る男性は、明るい笑みを浮かべてこちらに手を差し出してくる。

「宜しくたのむぜ」

「ええ、宜しくお願いします」

シンは遅れて自らも手を伸ばし、彼の手を取った。

「それじゃ、早速裏手の控室に行くか。他の奴らは後でくるだろうが早く用意しておいて損は無いだろう、審査の説明もしないといけないからな」

司会はそう言うと手で、付いてこい、という仕草をして人ごみの中を歩きだす。

すぐさま返事をし、人を掻き分けてシンは彼の後を追った。

「にとりさん、準備は出来たようですね♪」

スタッフの控室とは別の一端に設けられた広場。そこに今回のコンテストの参加者は集まっていた。

文は手を引いて、にとりを参加者の控室へと連れてゆく。

今のにとりは文の用意した水着の上に、薄いタオルを羽織っている格好だ。

辺りには同様に、様々な衣装を着た少女達が待機している。

恐らく、彼女達は自分と同様にコンテストに出る参加者なのだろう。

文は水着を推して来たが、実の所このコンテストに出るうえで衣装の種類は決まっていない。

夏に見合った涼しげな格好をしているのなら何でもいいのだ。

「なんていうか、こんな服着るのは初めてなんだけどな…」

正直、にとり本人の意としては乗り気ではない。

あくまで自分の目的は“彼”に自分を見て欲しいだけなのだがその一環の行動で、大多数の人間に自らの肌を見せるというのは気が引ける。

人間とは仲がいいと言われる“河童”でも、恥じらいを全くもっていないという訳ではないのだ。

「大丈夫ですよ!ちょっと小さい胸でも、それを補う程のあまりある可愛さであっという間に優勝できますからっ!」

「さらっとヤなこというなっ!」

まったく、こいつはいつも他人をバカにして。

シンと自分を付きあわせると言いながら、本当は単に文は自分達をからかっているだけじゃないのかと、にとりは勘ぐる。

―――そう。いつもいつも、私の気持ちを。

「そんなことは無いですって!」

「え…?」

「私はただ一人の女として、私の友人を助けているだけですから」

自分の手を両手でしっかりと握り、文は屈託なく告げた。

その紅く鋭い瞳を、真っ直ぐにこちらへと向けて。

友人……か。

確かに自分と文は天狗との一件以降、よく話を交わす仲になった。

実際の所は、文がわざと怒らせる事を言って、自分が恥ずかしさや怒りで追い払う事が大半なのだが。

―――よくもまあ、こいつは平然とそんな事が言える。

こいつが心の底から憎く、嫌いな存在か。と問われたら、簡単には首を縦に振れない。

いつも腹が立つような事を言うが、文は親切心から自分を振り回しているのだ。だったら自分は―――

「まあ、にとりさんが優勝してくれたら、私の新聞のネタも色々出来ますからね~」

「やっぱりそれが目的か!?」

―――少しでも文の事を考えた自分がバカみたいだ!

にとりは先程までの自らの心境を否定して、怒気を込めた視線を文にぶつける。

だが当の彼女はそれを気にしている様子も無く。

「それじゃ、私はそろそろ審査員の打ち合わせに戻りますね!あ、もしかしなくてもあからさまな点数の贔屓は致しませんので!全力で頑張って下さい!」

「ちょ、ちょっと!文!」

一方的にそう言い捨てて、文は外に出て飛び立つ。

追いかける様にも、控えスペースの外は大勢の人間で賑わい、自らの飛行能力では文のスピードには追いつけない。

諦めて、部屋の一端に座る。

「シン…」

彼の名を呟く。

この行事の審査員―――自分を見てくれる人の中に、“彼”がいる。

自分が好きな少年が、自分を見てくれるのだ。

それが無理矢理作られた形式でも。

それは、自分にとって。自分の想いにとってとても喜ばしい事ではないのか?

「河城にとりさん。控え番号ができたですっ!」

控室の奥から、明るい表情で自分の名前を呼ぶツインテールの少女がいる。

おそらく、このコンテストのスタッフの一人なのだろう。

―――今は考えたってしょうがないから。

―――どうせなら精一杯、このコンテストを楽しもう。

自嘲気味に口元を上げ、声のかかった方へ歩みを向ける。

余計な事を頭から追い出して、にとりは少女から控えの番号が記された紙を受け取った。

「送れちゃいましたー!」

「遅いぞ。推薦は別にかまわないが、だからと言って皆の行動を妨げるのなら話は別だ。少しばっか、スケジュールの修正が必要だな」

「大丈夫ですよ、司会さん!私の疾さなら、少しの遅れだって気になりません筈ですから!」

「そゆことじゃないっての」

外から文が笑顔を振りまきながら部屋に入り、司会が遅れた行動を取った文を咎める。

…なのだが、文はあまり司会の言葉を気にしている様子では無さそうだ。

「あ、シンさんも来てますね!」

「お陰さまでな。にとりの準備は出来ているのか?」

「ええ、時間を取らせてもらったおかげでいい感じに可愛くなりましたよっ。シンさんに見せたそうにはりきってました!」

「本当かよ……アンタの事だから無理矢理にとりにやらせてるんじゃないのか?」

「お言葉ですねぇ。まあ、にとりさんのお披露目はステージの上で、という事で」

文はそう言い、部屋の奥へ進んでいく。

恐らく審査に使う書類を取りに行ったのだろう。

司会から聞いたコンテストの進行は割と単純だ。

コンテストの司会、実況は司会が務め、シンや文を含む審査員達が参加者の評価を付ける、といった分担だ。

審査は、審査員五人が一人最高十点分を持ち、参加者の評価に応じて個別の判断で点数をつけてゆく。

その合計点でコンテストの優勝者を決めるのだ。

審査の基準は外見やプロポーションも入るが、要となるのは参加者が行なう“パフォーマンス”だ。

パフォーマンスの内容は特に決められていない。参加者其々が考えたパフォーマンスを観客と審査員に披露し、そこから総合的な評価が行われるのだ。

「そういや、審査員の紹介がまだだったよな」

司会は思い出したようにそう言い、手に持っている書類の内から一枚の紙をシンに渡す。

「俺達の…名前ですか?」

そこには、自分を含んだ名前の欄が五つ並んでいた。シンの欄は文が登録時に(勝手に)書いたのだろう。丸みを帯びた筆跡が同じだ。

後の名前の欄に目を通す。そこには。

「霊夢さんも…審査員?」

「お前と、射命丸と、ミス博麗。あとの二人は適当に声を掛けた奴らだ。心配すんな。ちゃんと公平に審査はするだろうさ」

そう言われ、あとの欄も眼に通す。

「あとの二人は…グラハムさんと、ヒイロさんって言うのですね」

「ちょっと見た感じ、一癖ありそうだが……まあ点数ぐらいならつけてくれるだろ。……正直、この企画のプランも、お偉いさんから急に伝えられたもんだからな。人選はあまり問わない方針だ」

やれやれ、といった様子で肩をすくめながら司会が応える。

「はあ…」

「まさにそれなり!って感じだな。かまわないさ。このメンツが集まってるってことは、いよいよ始まるってわけだな」

司会がしみじみと告げた直後。

そのとき、会場に設けられたスピーカーの音声が鳴り始めた。

とても明るい声色の、少女の声だ。

『御来場の皆さまっ!まもなくコンテストが始まるです!係の皆も至急ステージに集まってくださいです!』

「おお。お呼びがかかったな。それじゃ、そろそろステージに上がるとしますか」

「わかりました!」

返事をして控えの部屋から出る。

会場の周りは、これまで以上にざわめきが響いていた。

「さあ!皆さんお待ちかね、納涼ミス水着コンテストの始まりだ!参加者は全員で三十名!一体だれが優勝になるのか!」

司会のその一声で、観客が熱狂に包まれる。

ざわめきが大きな歓声へと変貌し、会場の裏手までそれは伝わっているだろう。

シン達審査員は既にステージへと上がり、指定の席へと待機している。会場の控えでは、今頃参加者の少女達が今か今かと待ち望んでいる事だろう。

「いよいよ始まりましたね!シンさん!」

隣の席の文がこちらへ話し掛けてくる。

「ああ、そうだな」

里は降り注ぐ日光で暑い気温を保っているというのに、これ程の人達が一堂に会するとは。

これにはシンはど肝を抜かれた。もっとも、古めかしい姿を持つ人里だからこそ余計に驚く一因になったのもあるのだが。

「暑すぎてまいっちゃいそうだけどな」

「そこらあたりは裏手の人達がしっかりしてるので大丈夫ですよ。まあ、それに…」

文は横目で控室の方を一瞥した後に、ニヤリとした顔を浮かべた。

「にとりさんの御姿をみたら、暑さも吹き飛ぶと思いますよ?」

「……変な事だけは、させるなよな」

「やっぱり、彼女の事は心配ですか?シンさんは何だかんだ言いながら、あの娘の事気にかけてるのですねぇ~」

「よ、余計な御世話だよ!」

文のその言葉に気恥しくなる。

俺はただ、文が変な事をしていないかを。と、口に出そうとしてやめた。

言った事を口実にして、更にからかわれると思ったからだ。

「まさか私まで呼ばれるなんてね…」

その奥の席の霊夢が、汗を流しながら一言呟く。

「霊夢さんも、射命丸に呼ばれたのですか?」

「そうなのですよ!人員を埋める為に司会さんに提案したらあっさりとおっちゃいました!」

暑さで疲れを見せている霊夢の代わりに、文が応えた。

「全く、いい迷惑よ…」

「それじゃ、そろそろ始めるとしますか!一体優勝を狙い撃つのは、どこの娘なのか!」

司会が宣言をした後に、最初の参加者が出囃子と共にステージに姿を現した。

桃色のショートヘアの少女だ。背中に翼を見せている事から、恐らく妖怪の娘だろう。

「それでは、一番のお嬢ちゃん。どうぞ!」

「はい。ミスティア・ローレライです」

ミスティアと名乗る少女は、着物を身に付け丁寧にお辞儀をした。

頭には割烹着を付け、その姿はさながら旅館の女将の様だ。

体躯は割と小柄なのに、和装のお淑やかな雰囲気がそれを感じさせない。

「ミスティアっていうのか~。普段はどんな事をやっているのかな?」

フランクな態度で司会者司会が問いかける。彼は誰にも分け隔てなく、あのように接する様だ。

「いつもは人里のはずれで屋台を営んでいます。私が焼いた八目鰻は眼に良いと評判なんですよ!」

『ミスティアちゃんの料理はいつも美味しいよ!』

「ありがと~!」

観客の方から彼女の料理の腕前を褒める言葉が飛び込んできた。恐らくは、彼女のファンであり屋台の常連の客なのだろう。

(ここだけの話、ミスティアさんには人の視力を一時的に弱める力を持っているのですよ)

文が小声でこちらに耳打ちをしてきた。

(そうなのか?)

(自分の力で顧客まで掴んでしまうのですから、末恐ろしい方ですよ、ホントに)

「かなり人気の様だな。嫌いなものは何かあるのかい?」

「私が嫌いなものは焼き鳥です!同類を焼かれて喜ぶ人なんていやしないわ。だから私はこれで優勝して、鳥の大切さを説くのと、里でもっと私の屋台を大きくしたいの」

司会のその言葉は彼女の琴線に触れたようだ。ミスティアはお淑やかな態度を崩し、ムキになって応える。恐らくはあれが彼女の素なのかもしれない。

「気合入ってるねぇ~」

「当然よ!」

「じゃあ何か、特技はあるかい?」

司会が特技を聞くという事は、そろそろパフォーマンスに持ち込もうとしているという事だ。

「強いて言えば歌を歌う事です!こう見えても私、人間にも妖怪にも人気なんですよ!」

「エントリーの際には若者に人気だと書いてあったな……それじゃ一曲ミスティアに歌ってもらうとするか!」

『『『うおおおおっーーーー!』』』

司会の声で観客が盛り上がる。

それほどまでに人気なのならば、シンとしても是非聞いてみたくなった。

「わかったわ。みんな!あたしの歌を聞けーーーっ!」

そして、彼女の歌が終了した後。

ミスティアの歌は着ている和装とは不釣り合いの激しい曲調だった。

たしかに会場は盛り上がったが、衣装と出始めの態度とはあまりにもアンマッチだった事から結果は中の下といった点数になった。

「まあ、あらかた予想は出来てたんですけどね」

これは文の談である。

「さぁ…続きと行こうか?」

ミスティアは既に退場し、今は次の参加者を心待ちにしている状況だ。

「それじゃ、次の方!いってみようか!」

彼の合図で次の参加者が姿を表す。

「ええっ!?」

しかし、次の参加者は見覚えがある少女だった。

「妹の!こいしと!」

「あ、姉の……さとり…」

「二人合わせて、古明地姉妹です!」

出て来たのは古明地さとりと古明地こいし。

以前、地底に核動力を取りに行った際に知り合った娘達だ。

一応、ルール上ではコンビの参加は一グループとして認められてはいるので、問題はない。

二人は其々、桃色と緑色のビキニを着てステージに出て来た。

しなやかで、陶器の様な肌に、水着の格好はこの季節に飛びきり似合っている。夏のビーチにでも行けばその綺麗な姿に見とれる人が続出するだろう。幻想郷に海が無いのが非常に悔やまれるのが残念。

…なのだが、堂々としているこいしに比べ、さとりは気恥しそうに身体を抱いて縮こまっていた。

『『『オオオオーーッッ!』』』

「こいつは可愛らしいお嬢ちゃんだ。さて、このコンテストに出て来た動機でも教えてもらおうかな?」

こいしが手を上げて元気に応じた。

「えーとね!お姉ちゃんが自分の姿を見せたい人がいるらしくって―――」

「ちょ、ちょっと!こいし!」

こいしの背後に回り、顔を真っ赤にしながら慌てて口を塞ぐさとり。

「ほう。そいつは彼氏さんってことかい?」

司会が飄々とした態度を変えずに問う。

「ち!ちがいますっ!」

さとりはそれを全力で否定をする。“見せたい人”が誰なのか、正直、シンにとってもきになる所ではあるのだが。

「そ、そうか。そんなに必死じゃ、仕方なさそうだ」

流石の態度に、司会も戸惑いを隠せない様だ。

「それじゃ、早速パフォーマンスにでも移ってもらおうかな?」

後が推しているから、次に移らせようとする魂胆だろう。

声を掛けられたさとりとこいしは、背後から小さい包みを取り出した。

「そいつはなんだい?」

「急に何やらしろというのも考えものですので…私とこいしで料理の方を作ってみました」

「ほう、そいつは楽しみだ」

「審査員の方たちにも、ご用意はさせてもらってますので」

「みんなー!召し上がれ!」

いつの間にかこいしが司会と審査員五人に配り終えている。

以前聞いた“無意識を操る能力”を行使したのだろう。

料理の彩りはそれなりに華やかな和食だ。見た目だけなら及第点。

だが、料理の主役はいつだって味だ。

「それじゃ、頂くとしようか」

その司会者の一声で、司会と審査員達が一斉に用意された箸を持つ。

しかしその中で、文だけが箸の先を震わせ、冷や汗を流している。

どうしたんだ?と聞こうとしたがさして問題はないと思い、敢えてシンはそれを無視した。

そして、彼らはさとり達の料理を口にした。

「くっ!指先の感覚が!」

司会が苦い表情を露にして汗を垂らす。

悪夢だった。

お世辞にも、さとりとこいしの料理は美味しいとは言えなかった。

あとから聞いた話だが、さとり達は今回のコンテストまでロクに料理に手をつけていないことが分かった。

料理はいつもは飼っている“ペット”が作っている―――というのはこいし談だ。

まともに試食もせずに作ったため、味付けがお座なりになるのは避けれなかったらしい。

文は取材の一環でそれを知っていたからこそ、あまり料理を口にしなかったようだ。

以下、審査員達のコメント。

「ちょっと、キツいものがあるかも…」

「以前、取材した通りのお味でした」

「うう、なんでこんな目に…」

「お前を殺す」

「私は我慢弱い……」

評価は、外見は非常に良かったが、パフォーマンスが悪かったという点で、これまた中の下といった結果に収まった。

「ったく、次から次へと。気合の入れすぎだ…」

司会もさすがに堪えたらしく、顔を多少青ざめながらマイクを手に取る。

「世界が広いってのは本当だな」

あからさまな皮肉だ。だが、弁護の使用はない。

シン自身にもかなりの効果をもたらしたのだから。

―――こんど、料理の仕方でも教えてみようかな?

シンは密かに、彼女達に料理の仕方を教えようと考えた。

「お次もそれなりの戦果を期待してるぜ!」

数分後。司会の調子も戻ってきたらしく、審査の続きが行われることになった。

「次の方!どうぞこちらへ」

「「はーい!」」

次の参加者は、これまた見知った少女達の姿。

「自己紹介、頼めるかい?」

「私の名は封獣ぬえ!」

「私は聖白蓮と申します」

船の異変の際に、知り合った二人。

白蓮とぬえは共に、黒色のビキニに見を包んで観客の前に勢い良く姿を表した。

『『『ヒューーーッ!』』』

「惚れ惚れするねぇ~」

観客の方から口笛や大声が聞こえる。

恐らく、今までの中で最高の盛り上がり具合だ。

―――綺麗だな…

白蓮の身体は、ドレスを脱いだことによりその豊満な曲線美があらわになり、観客のリピドーを絶えず刺激し続けている。

水着のチョイスもよく、白と黒の配色は彼女の魅力をより一層引き立たせていた。

ぬえも負けてはいない。白蓮に比べたら些か控えめなところは拭えないが、異形の翼を持っていても女としての魅力は十分に放っていた。

もとより、ぬえは可愛らしい女の子であることにかわりは無いのだ。それは聖輦船で見た時の印象から変わっていない。

「「「聖ー!ぬえー!がんばってくださーいっ!」」」

観客の後ろ側には、彼女達以外の聖輦船のメンバーが声援を送っている。

その声は、観客の盛り上がりに負けないほどよく通る声だ。

「こりゃまた、セクシーな女性陣だ。二人は確か里の外れに寺を営んでいるんだったよな」

ミスティアの時と同じくエントリーシートに目を通して司会が言う。

「はい。今日はぬえの一押しで私も参加することになったのです」

よく響く澄んだ声で、白蓮が司会に答える。

「私が白蓮を出そうとしたからね」

ぬえが白蓮をこのコンテストに連れ出したようだ。

「でも、どうやら私が出ただけで観客がすごいのですけど…大丈夫なのでしょうか?」

「大丈夫ですよ、ミス白蓮。皆貴方に惚れ惚れしているだけですから」

そういう司会も先程までの必死だった表情から一転して、笑みを浮かべている。彼も彼女たちの姿に見とれているのだろう。

「ふふっ。お世辞が上手なのですね」

白蓮もその言葉に気を悪くはしていないようで、微笑を浮かべた。

「それじゃ、今回のコンテストに出場しようとした動機を教えてもらおうかな?」

「それは私が答えるわ!」

白蓮の横にいたぬえが手を上げて言う。

「もちろん、私たちの寺の認知を深めてもらう為なんだから!」

ぬえが元気よく言い放つ。

その表情は自信に満ち溢れている。

「ほら、まだ私達の寺って新参だからさ?こういうイベントでみんなに私達の存在をしってもらおうと思って出てきたんだよ」

「私たちは、存在することに意義がある…でしたね、ぬえ」

「その言葉、嫌いじゃないな。個人的にかなり気に入るね」

その言葉に司会も上機嫌のようだ。

「それに、私達はとある人に助けられましたから…その人に私達を見て欲しいという、想いもあってここまで足を運びました」

「誰かは答えられないけどね。迷惑になったら困るし」

(白蓮さん、ぬえ…)

その言葉に秘められた人物の対象が誰かであるのは、シンにはすぐに分かった。

「なんとも一途だねぇ~。だが、好感は持てるぜ」

そしてパフォーマンスを終え、点数が表示される。

彼女たちが行なったパフォーマンスは、寺の宣伝だ。至ってシンプルだが、彼女たちの人気が上場だったために効果は絶大だっただろう。

点数はもちろん満点に限りなく近い。

シン自信も迷いなく満点を出し、他の審査員も上機嫌で点数を掲げた。

中には『その気持ち!まさしく愛だ!』という審査員もいた。

そして数々の参加者と出囃子が流れる中、ついに文の推薦した“彼女”の順番が来た。

(シンさん、シンさん)

(なんだよ、射命丸?)

(次はにとりさんの出番ですよ。精一杯見守ってあげてくださいね!)

(ああ、わかった!)

再び小声で囁かれ、いよいよにとりの番が回ってきた。

「それじゃお次は……人間と中がいいと評判の“河童”からの参加、河城にとりだ!」

軽快なメロディが流れ、にとりがステージの袖から出てくる。

選曲は私が選ばせてもらいました―――

曰く、出囃子は射命丸がチョイスしたらしい。

やや遅れて、にとりはステージの袖から出てきた―――のだが。

にとりはタオルを羽織ったまま、ステージに出てきた。

(にとりさん!タオルっ!脱いで脱いで!)

文が横で小声を発しながら、身振り手振りで彼女に伝えようとする。

にとりはハッとそれに気づき、大慌てでタオルを脱いだ。

薄手の布の下は、案の定水着だった。

コンテストで上位に食い込んでいる参加者は、殆ど水着。そこからの予想だ。

シンプルな緑色の生地に、デフォルメされた河童の顔をあしらった水着。

白磁のような肌が晒されたその姿はとても愛くるしい。

だが、会場の盛り上がりは今一といったところ。

それまでに魅力的な女性が何度も現れた上、出だしでつまずいてしまったのが痛手だったのだ。

「それじゃ、今回出た動機を聞かせてもらおうか?」

問われるが、にとりはいつものハキハキとした喋りではなく、顔を赤くして恥ずかしそうに小声で答えた。

「わ、私は……友人に頼まれて出場することにしたんだ」

文の推薦を、友人から頼まれた。ということにしたらしい。

「そうか。じゃ、趣味はなにかな?」

「趣味は機械いじり…」

「じゃあ、そうだな。このコンテストに参加する上で特に気にかけたことは?」

「特に…ないような…」

「ふむ…なら、その水着はどこで選んだんだい?」

「友人が……」

にとりの歯切れの悪さと少ない口数に、会場がだんだん暗い雰囲気に支配される。

(ああ、なんでそこでカワイさをアピールしないのですか!?)

文は嘆くが如く、小声でぼやき続けている。

(私の指示通りなら、今頃もりあがり真っ最中なのに!)

(まさか、何から何まであの子に指示してたのか?あらかじめ?)

(私の予定では、とっくに可愛さをアピールしまくっている、にとりさんが披露されている筈なのですが…その為に昨日教え込んだのに…)

今のにとりは、文に教えられた演技も観客の前で笑顔を作るという事も出来そうにない。すでに観客側からも野次が飛び始めているし、司会も困り顔だ。このままでは笑い物同然だろう。

『おい!なにもできないのならひっこめーっ!』

『司会、次の娘に早く変えなよ!』

―――なんで、にとりがそんな風に言われなきゃならないんだ!?

にとりが戸惑い、皆に追い詰められている姿を見ていると身体の内側から熱いものが込み上がって来る。

自分が非難されている訳ではないのに、まるで彼女の怒りと悲しみが伝わるかのように。

「もう…いいよ」

野次が飛ぶ中にとりは、俯いてか細い一言を発した後、静かにステージを降りた。

前代未聞の行動にそこにいる皆が驚きを隠せない。

そのときの彼女の瞳から、一筋の光が―――零れおちたように見えた。

「あちゃあ、やっちまったなぁ・・・」

司会は苦悶の表情を浮かべ、進行の障害に悩まされている。にとりの行動はコンテストに影響を与えたようだ。周りからはブーイングも飛び交っている。

これが収まるには少し時間が必要だろう。

「シンさん」

「え?」

唐突に文は静かに語り出した。

一体、何をいいだすのか。シンは不意を突かれて戸惑いを見せる。

「にとりさん。本当は、シンさんに見て欲しかっただけなんですよ…自分を」

「…どういう意味だよ」

その言葉だけでは、まるで真意が掴めない。

「にとりさんは、いつも苦しんでいました。シンさんが自分を見てくれているかどうか。自分を気に掛けているかを」

「にとりならいつも見る事はあるし、心配だってした事あるぞ?」

文の言葉の文面通りの意味なら、この返答は正しい筈だ。

しかし、実際の意図とは異なる様で。

「ちがうんです。にとりさんがこのコンテストに出たのは―――」

文の口から出た言葉。

それは分かりそうで分からない、極めて単純なこと。

「―――貴方に見てもらいたかったのですよ」

―――にとりが、俺に?

「私の身勝手なお節介でしたが…彼女はいつも貴方のことばかり気にかけていたのですよ」

「……」

あの娘が、俺の事を気にしていたなんて。

その事実に耳を疑う。いや、もしかしたらとっくに自分は気付いていたのかもしれない。

いつも自分の傍にいてくれたのは、あの娘が自分の事を―――

シンは文の言葉を聞いて押し黙る。

心の中にあった彼女への想いが、“心配”という形となって大きくなる。

―――さがさなきゃ。

「司会さん」

シンは腰を上げ、席から立つ。

「おい?どうした、シン」

「無理を承知でお願いしますけど…俺の席、代理の人にお願いできませんか?」

シンの突然の申し出に、司会は面を喰らった顔をする。

「無茶言いなさんな!」

当然の反応だ。

シンにも全く予想できなかった訳ではない。

だが、それでも。

「俺、行かなきゃならないんです」

彼女をこの舞台に上げた遠因は、自分自身だ。

なら、自分の手で彼女を。傷ついたにとりを助けてあげなきゃという使命感に駆られる。

「本気か?俺が言うのもなんだが、仕事ほっぽり出して勝手な行動をするのは許されないぞ?」

司会はいつに無く真剣な眼差しでこちらを凝視する。

構うものか。シンはその双眸から眼を逸らさない。

「どうしても、やらなきゃいけない事があるんです!」

語気が荒くなるほどの強い思いを、目の前の彼にぶつけた。

今すぐにでも彼女の後を駆けてゆきたい。だが、かれらの迷惑にはならない為にも、こうして容認を申しでている。

「あの娘を、追いかけるのか?」

無言で頷く。

すると司会は、いつもの飄々とした態度に戻って、シンに告げた。

「なら、早くいってやりな。お前の席はナレーターの娘に任せるとするか」

「…はい!」

返事と同時に舞台の袖に走り出す。

そのまま一直線に、会場の裏手へと出た。

『それじゃ、盛り上がり中悪いが……審査の続きと行こうか!』

背後にある会場から、マイクを通した司会の一声が聞こえてくる。

それを気にもとめず、ただシンは足を動かした。何時も彼女と共にいた場所へと。

 

 

「バカ……」

その罵倒の対象はだれに向いているのか。

他でもない、自分自身だ。

会場を抜け出し。着替える暇も無いまま、夕焼けで一人佇む。

裸足で走った際に石や葉で至る所を切っていたが、今のにとりには気にもならなかった。

―――シンに自分を見て欲しかった。

―――だから恥ずかしくても、文の提案にのった。

無様だ。

気に入らなくても、文も自分の為に協力してくれた。

自分は、こんな最悪な結果しか生み出せない。

他の女に勝てなくても、精一杯の自分を見せたかっただけ。

―――結局あの場から逃げたから、あいつにも軽蔑される。

にとりの中に渦巻く後悔の連鎖。

知らずの内に彼女は、涙を流し続けていた。

「……り」

ふと気付くと、静寂の中から声が聞こえた―――気がした。

この空間で発せられているのは、自分の声だけだと思っていたのに。

「…にとり!」

今度はハッキリと聞きとれた。

この凛とした少年の声は聞き間違う事は無い。この声は自分が想いを寄せる“彼”の声―――

「ハアッ…ハァッ…」

シンがこちらに走ってきた。

汗で顔を濡らし、息も絶え絶えになりながら。

「やっと、見つけた…!」

「お前…ッ」

なんで自分なんかを見つけに来たのか。

失態を晒した自分を。

だが、屈辱の裏に込み上がる温かい気持ちも、にとりのなかで大きくなる。

涙をぬぐい、シンを睨みつける。自身の戸惑いを悟られない為に。

「なんで、私なんか探しにきたんだよ!私は!」

「理由なんか、なくてもいいだろ」

シンは息を整える事もせずに言う。

「俺は、ただ君に言いたい事があるだけなんだ」

「え―――」

「えっと、その……可愛かった」

なんてことを言い出すのか。

柄にも無く赤面し、顔を両手で塞ぐ。

「綺麗だったよ、にとり」

彼の一語一句を耳に入れる度、目頭が熱くなる。

そんな事を言われたら、自分は見せたくも無い顔を晒してしまうではないか。

―――シンは、それを分かっているのか?

いや、きっと想いのままをただ告げているだけなのだろう。と、勝手な推測をする。

声にならない嗚咽を漏らし、その場にくず折れる。

もう立っていられない。どこか身体を預ける場所が欲しい。

いや。

あるではないか、目の前に。

心も、身体も、預けることのできる“それ”が―――

彼の名を呟き、そのまま前のめりになる。

夕焼けの光に出来た二つの影が、一つになった。

「結局、コンテストで優勝したのは、私も良く知らないお方でしたね~」

「あの眼鏡を掛けた女の人だろ?一体だれなんだか…」

翌日。

いつものように作業場に入り浸る文が、コンテストの結果が記されてある紙面を見て、一言呟く。

「お前が私を推薦しようと考えるからいけないんだ、文」

にとりはきゅうりを片手に頬張りながら彼女に対し、言い放った。

「おかげで私は恥をかいちゃったじゃないか」

―――そもそも文が話を言いださなければ、こんな目に遭わずに済んだんだ。

不機嫌を隠さずにそっぽを向く。

こちらの気を知ってか知らず、文は腹が立つほどの笑顔を振りまいて―――

「でも、よかったじゃないですか」

「は?」

「彼のコト」

そうだ。

シンはあの時自分を、自分だけを真っ直ぐと見てくれた。

それを思い出すだけで、昨日の不機嫌が吹き飛びそうになる。

きっと、自分は嬉しいのだ。

「ああ……」

シンが作業をしているハンガーの方を一瞥する。

今も、自らの愛機の整備に勤しんでいる事だろう。

「あいつは、ちゃんと私を見てくれたよ」

 

想いを馳せる人に自分だけを見てくれたことに加えあの時、しっかりと傍にいて抱き締めてくれた。

にとりには、それで十分だった。