PLUS 阿求編


幻想郷の里は、絶えず人が行き交う。

人と妖怪が共存するこの世界を、最も顕著に表しているのがこの“人間の里”だ。

あちらこちらから来た妖怪と人間は、分け隔てなくこの場で売買や取引などをして行き交う。

今日も里では活気が満ち溢れていて、辺りからは人々の歓声が沸き上がっていた。

そこに、二人の姿も加わる。

シン・アスカと河城にとり。にとりが生業としている作業の材料を集める為に、二人は山の麓から徒歩で人間の里までやってきていた。

「なんか、久々な感じがするな…二人で里に来るなんて」

「そうだな…じゃあ、材料いろいろ買って作業場に戻ろうよ、シン」

「ああ、行くか」

別段、購入する物に希少なものは一切無い。今回の買い物は減った食糧の補充と、金属加工に必要な工具や原料の調達だ。今の幻想郷ではある程度技術が進歩している為、里に行けば大体の事は済ます事が出来る。シンがこの世界に来てから幾度も繰り返された、新しい日常の一つだった。

「さて…大体のものはそろったな」

にとりから渡された直筆の購入メモを片手にしながら、ざっと店を一回り。

店を回るのに特に必要な技術は無い、地理さえ知れば誰にでも可能な事だ。シンは頼まれていた通りの商品を買って袋に下げながら、にとりと合流する為に里の外に続く道路を歩いてゆく。

一応、人里の外縁部には不測の事態に備えて門が存在する。幻想郷の妖怪が全く無害な存在ばかりと言う訳ではないと表している門だが、基本的に平和が蔓延【はびこ】っている幻想郷なのだからか、門番の目は取り立てて殺気立っていない。

しかし、里の子供が間違えて外に出ない様にしているのか、時々視線を向けると面白半分で門を走り抜けようとする子供を、門番の大人が追いかけて止めている様子が目に入る。目にする分には微笑ましいが、当事者である彼らにはいい迷惑なことであろう。しかし、子供を危険に合わさない為にとなれば、門番の働きも称賛に値する。

今回も、シンは買い物帰りに門の様子を一目見ようと顔を向けた。

やはり今までと同じ様に、門の前で子供と門番が揉めている様子が目に入る。

「子供か…」

若さゆえの衝動と言うものか。子供の頃はシンも両親の言う事を尻目にして様々な無茶を試みたものだ。家族でキャンプに行った際に妹のマユと一緒に川で遊んだり、親から離れてかくれんぼをしたり。大人の目線で見ると危なっかしくて仕方が無いのだが、当の自分達は楽しくて楽しくて笑顔が絶えなかった。

「そこを通して下さい、私はやりたいことがあるんです」

「まいったな、お嬢ちゃん…せめて家族の人かそれなりの歳の人が一緒じゃなきゃここは通せないよ」

「私はこう見えても妖怪の対処ぐらい知っています。門番さん、いい加減どいて下さらないでしょうか」

しかし、今回は一味違う様子だった。

シンの視線の先で緑の和服を着た、年端のいかない女の子が門番に不服を申し立てている。

いつもシンと行動を共にしているにとりも小柄ではあるが、目の前の子供は彼女よりもあどけなくて小さい身体だった。彼女の持ち前の童顔も幼く見える要因の一つだ。

ただ一般的な子供と異なるのは、外見に見合わない程の物腰の柔らかさと、門番に対して向けている瞳だ。あそこまで真剣な表情は、ただの幼い子供には無理だ。ただ外に出たいだけならば、普通の子供があれだけ真剣な眼で門番を睨みつけるなどあり得ない。

そして、シンは彼女に見覚えがあった。

買い物袋をもったまま、シンは駆け足で少女に近づく。

「おーい!」

「あっ…!アスカさん!」

最早シンにとってはなじみ深い、名字での呼称。普段名前で呼ばれる事が常なシンにとって、『アスカ』と呼んでくる人物は数える程度しかいない。

目の前の少女、稗田阿求もその内の一人だった。

「あきゅ―――」

「わわっ!ダメですダメです!」

シンが彼女の名前を呼ぼうとする。しかしその瞬間、阿求は血相を変えてシンのもとへ突進して、彼の口を両手で塞いだ。

何すんだよ!とシンが反射的に阿求へ叫ぼうとしたが、肝心の彼女は焦った表情で人差し指を縦に口へ添えて来た。喋るな、という意思表示だろう。

「門番さん!ちょっと待ってて下さいね―!」

作り笑いを浮かべて門番に言い放った後、阿求はシンの腕を引っ張って里の路地へと駆けだす。突然の事態に思考は混乱しているものの、シンも彼女の後ろを駆けだした。

 

 

「一体全体、どうしたんだ?阿求」

人通りが少ない路地へと場所を移した直後、シンは阿求に問う。

勿論理由は、先程の阿求の行動についてだ。

「なんで一人で門に?家の人もいない様だし、一人で何処に行こうとしてたの?」

以前にも里で阿求を目にしたが、一人で里の外に出ようとするほど無謀な行動を取る様な性格じゃない事は既に承知済みだ。だからこそ、彼女の行動が不可解に思えてしまう。

「アスカさんには以前お話ししましたっけ……私のお仕事、私が書いているアレの事を」

「阿求が書いてるもの…確か、幻想郷の歴史書だったっけ」

「そう、“幻想郷縁起”です」

阿求は常日頃から、邸で幻想郷に関する情報をまとめた歴史書を執筆している。だからこそ外で彼女を見かけること事態が珍しい。尚且つ、単独で里の外へと行動する姿など想像の範疇には皆無だ。

「それで困ってる事があるのか?」

「ええ、確かに困っているのは困っているのですが……」

阿求は沈んだ顔で、路地の角から先程まで口論していた門番の方を眺める。

「……アスカさん、ちょっとお願いがあるのですが」

「なに?俺で良かったら力になるけど…」

「実はですね……」

「………ええっ!?」

阿求はシンを自分の身丈まで屈【かが】ませて、そっと耳打ちをする。

彼女の小さい口から吹き込む息がこそばゆいが、シンが聞いた彼女の提案は思わず効き直してしまうほどの内容だった。

「って、いくらなんでもそれは…」

「ごめんなさい…でも、あの人は私を知らない様ですのでアスカさんに一芝居打って欲しいのです」

阿求は申し訳なく思ってるのか、落ち着かない様子でシンの機嫌を窺う。阿求は普段から人々の目の前に姿を見せない。阿求の存在に対して無知であっても何ら不思議では無かった。それを利用すればもっと効率のいい出し抜き方も存在するだろう。

だからといって、阿求の頼みごとを無下にする訳にもいかない。シンは阿求に了承を伝えた後で、共に門の方へと歩み始めた。

 

 

「門番さーん!」

阿求が率先して、門番に再び声をかける。

彼女の右手は門番に向けて手を振っていて、対する左手は背後にいたシンの右手を掴んでいた。

「さっきの娘じゃないか。ダメだよ、一人で外に出ようとしちゃ。最近は手当たり次第に襲ってくる怖い妖怪も出てるんだよ?」

「ええ!だから私、人を連れてきました!」

阿求の声は先程より、子供っぽくて快活だった。これも先程打ち合わせた演技の一環なのだろうかと、シンは察する。

「人?もしかして、後ろの兄さん?」

門番の注意がシンに向けられる。阿求は満面の笑みをシンに向けて、予定通りの台詞を口にした。

「ええ、そうですよ。ねえ、“兄さん”?」

「えっ!?ええ…この娘の兄…です」

阿求が柔らかく手を繋いできて、柔和な笑みを向けてくる。可愛らしさの裏にある彼女の訴えから眼が泳いでしまい、しどろもどろになりながらシンは答えた。

先程の阿求の提案。それは二人で兄妹を偽って里の外へ出ようとする作戦だったのだ。

幾ら門番が阿求を知らなくても、稗田の名を盾にする事は出来ない。稗田の名は里の住民に浸透していて、もし阿求が“御阿礼の子”と知られれば、稗田家の者が追ってきて全力で阿求を戻そうとするだろう。今の阿求はお忍びで里の外に出ようとしているのだから。

「それにしては…似てないねぇ、お二人さん」

(ギクッ!)阿求・シン

確信を突かれて、二人は一瞬ひきつった顔になる。

兄妹と言うものは普通、外見が何処か似通るものだからだ。

「お兄さん、この娘の名前なんていうんだい?」

阿求が横目で注意を促してくる。稗田の名を使う訳には行かない、ならばどうすればいいのか?即興で適当な名前が思い浮かぶが、どれも大和撫子然とした阿求のイメージには似合わないものばかりだった。それもその筈、シンが知る和風の名前など数える程度も知らないからだ。

迷いに迷った挙句シンの頭に一つの名前が浮かび、阿求へ呼んだ。

「ええっと……繭【マユ】って、いいます」

「まゆ……ですか…」

辛うじて呼ばれた名前に、阿求はうっとりとした表情を浮かべる。どうやら、お気に召したようだ。

「ほう…見た目通り、可愛い名前じゃないか」

門番の注意も誤魔化せたようで、阿求―――繭と言う名の響きに感嘆している。通り抜けるなら今しかない。

「じゃ、じゃあ、俺達はこれで」

「それでは。門番さん」

「おう、気を付けて行っておくれ」

中年の門番は、気前のいい笑顔で二人の背中を見送る。しばらく二人が歩いた後、後ろから足音が追ってきた。

ハッとして振り返ってみると、にとりが肩を軽く上下させていた。

「おいシン!ちょっと戻りが遅いから気になって門に行ってみたら…何やってたんだお前ら?」

阿求とのくだりで、すっかりにとりとの待ち合わせを放棄してしまっていた。シンが戸惑う最中に、未だに彼の手を繋いでいる阿求が応じた。

「実はですね……」

阿求の口から一連の出来事が告げられる。里を出る為にシンと兄妹を装った事、稗田家には黙って外に出ている事。

そして―――

「私が外に出た一番の理由は、幻想郷縁起の為の調査をしたいからなんです」

「縁起って……妖怪を調べるのか?」

「ええ、そうですよにとりさん。今の縁起はまだまだ資料不足ですし、私の主観が多分に入っています。だからもっと信憑性を高める為にも手伝ってもらいたいのです。ね?アスカ兄さん?」

からかう様に阿求はシンに向かって兄と呼ぶ。先程の演技がよほど気に入ったのだろうか、それとも単純に面白がっているだけなのか。

「それにしても驚きました…アスカさんって結構可愛らしい名前を思いつくのですね。私、ついつい喜んでしまいました」

「まあ、ね」

先程呼称した呼び名―――それはシンの実妹の名前にちなんだものだった。もうこの世には存在しない、最愛の妹。

「繭ですか……可愛らしい響きが素敵ですね…」

「それはそうと、阿求。お前これからどうするんだ?外に出たのはいいけど、どうやって幻想郷の妖怪を調べるんだ?」

にとりの疑問の矛先はそこにあった。

阿求の体力は同年代の子供以下だ。単独では妖怪に襲われる危険だってあるし、そもそも長い距離を移動する事も難しい。

「それについても、お願いがあります」

阿求は繋いでいた手を離して、二人の前に軽快に躍り出る。

そして、穿いている深紅の袴の裾をそっとたくし上げてシンとにとりに会釈した。

「アスカさん、にとりさん。貴方達が有しているあの機体、“デスティニー”で私を色んな場所へ連れて行って下さいませんか?」

「一体どうしたんだ?妖怪の事を調べるのなら稗田の所にいっぱい資料があるじゃないか」

「それでも、事実は小説よりも奇なりです。私の縁起には不確定情報がまだまだ多い出すからね、よりよい読み物とする為にも私自らが見て回らないと気が済まないのです!」

シンの力である、深紅の翼。阿求の頼みは始めからそこにあったのだ。

その一図な彼女の頼みに、シンは考え込む。

ここはコズミック・イラでは無く、幻想郷。そして阿求は今までにもシンを助けてくれている。

ならば、彼女の想いに応えてもいいだろう。

“デスティニー”で飛ぶならば、妖怪達に襲われる危険性も無い。

シンは了承して、にとりにも同様の許可を得る。その事実を知った途端、阿求は輝くような笑顔を露にして作業場へと共に歩んでいった。

 

 

「シン・アスカ!“デスティニー”、行きます!」

機体が莫大な推力で勢いよく飛び立って、舞台をハンガーから大空へと移す。

翼状のバインダーが全開して、その勢いはさらに加速する。

今シンは、阿求の希望する場所へ届ける為に彼女をコクピットへ乗せて“デスティニー”を操縦している。にとりは作業場で留守番だ。

「わぁ……綺麗!私も空を飛んでます!」

阿求はにとり達とは違って、身体に霊力を宿していない。よって彼女達の様に“飛翔”する事は叶わないし、弾幕を行使する事も出来ない。

加えて日ごろから稗田邸に籠りきりでいる分、“デスティニー”から眺める外の景色が新鮮なのだろう。今日は、やたらと阿求の笑顔を目にする機会が多い。それは好ましい事であり、釣られてシンも笑みを浮かべる。

「皆さん…こんな景色をいつも見ているのですね…いいなぁ…」

うっとりとした表情で、コクピットのモニターを眺める。モビルスーツで飛ぶのと生身で飛ぶ事はかなりの違いがあるが、彼女にとっては些細な違いでしかないのだろう。事実、喜んでくれる事はシンにも嬉しい。このまま二人で空のドライブに洒落込もうかと考えるほどに。

「さて、何処に行く?阿求」

「そうですね……」

問われた阿求は、予め持ち込んで来た幻想郷の地図に目を通す。シンは作業場周辺と里の地理は生活上知ってはいるものの、それ以外は皆無に等しい。出撃した所で今更ではあるが、彼女が地図をもっている事は非常にありがたい。

「まずは霧の湖の妖精を調べに、その後は近くの廃村経由で妖怪の山に向かおうと思います。廃村には猫の妖怪がいて、山には天狗や守矢神社がありますからね…その後はアスカさんがいるなら何処にでも行ける気がします」

手持ちの地図を指で押さえながら、シンに道筋を教える阿求。徒歩なら何時間もかかる経路も“デスティニー”ならあっという間だ。しかし、

「でも阿求。いつまで家を空けられるんだ?さすがに長く出ていたら家の人達が心配するだろ?」

「大丈夫ですよ。今日はたまたま家の人達が少ない日でしたし、私の行動には余計な詮索を入れない様に言いつけています。これでも立場上、稗田の主ですからね、私は」

「そうなのか…」

シンが知る限りでは、阿求は特別な立場を有している少女としか認識していない。幻想郷縁起を執筆する傍らで彼女が何をしているか知らなかったし、敢えて踏み込もうともしなかったからだ。

「さあ、いきましょう!」

その一声と共に、シンはスロットルの出力を上げる。光の翼を輝かせて、“デスティニー”は大空を駆け抜ける。阿求とシン、二人による幻想郷の調査が幕を切った。

 

「妖精のサニーミルクさん。貴方の能力はどんなものなのですか?」

「私の能力は光を屈折させる程度の能力!太陽の光だろうが、光線だろうが、何だって私の手にはイチコロよ!」

「じゃあ、光以外は曲げられないのか?」

「所詮、妖精ですから」

「失礼ね!そこいっちゃダメ!」

 

 

「スターさんは料理に盆栽と、非常に他趣味と聞きました」

「ええ、料理はサニーとルナによくふるまっているし、キノコ盆栽は大好きよ。ただ、この前ツチノコに食べられてちょっとショック何だけどね……あはは」

「それ、何読んでるんだ?」

「ちょっとした読み物よ。こうやって木陰の下で本を読むと落ち着くから、たまにやっているの。貴方もどう?」

「えっと…また今度にしてみるよ」

 

 

「ルナチャイルドさんはスターさんとサニーさんと仲がいいのですね」

「まあ、付き合いも長いからね」

「眼が悪いのですか?眼鏡をかけてますけど」

「そんなことないわ、ほら」

「ルナか……あいつは元気かな」

「貴方の知り合いの名前?」

「ああ、共に闘った戦友だよ。君と同じ愛称なんだ」

「へえ……一度会ってみたいわね」

 

 

「湖の妖精と言えば、貴方ですね」

「そうですよ。何か用でも?」

「いえ、妖精の生態をちょっと調べておりまして…最近の妖精は多様ですから資料だけじゃ記述が足りないのです」

「妖精って色んな娘がいるんだ……羽がなきゃ人間の子供と大差無いみたいだな」

「私達は面白半分でよく子供達に捕まえられるんですけどね……」

「そうなのか……」

 

 

「最近、氷で剣を作れると聞きました」

「うん、そうだよ!氷符、ソードフリーザー!」

「うわあ!すげぇ、それホントに切れるのか?」

「あったりまえじゃん!この葉っぱを……それそれそれぇ!」

「すごいです……妖精なのに」

「これであたいったら最強ね!」

 

 

「春を告げる妖精ですね、今この時期に見かけるとは珍しい」

「阿求、この娘はどんな妖精なんだ?」

「別名、春告精と呼ばれるようにこの妖精は春の始まりを告げてくるんです」

「春を告げるって…いったいどんな風に告げるんだよ?」

「わが世の春ですよー」

「絶好調であああああるッ!!!!」※リリーの同族らしきイカツイ妖精

 

 

「廃村によってみたら…橙さんがいましたか」

「阿求、あの娘は?まるで猫みたいな耳と尻尾があるけど……仮装じゃないよな?」

「彼女は橙、化け猫の妖怪ですね……時々廃村にきては野良猫の面倒を見ていると聞いたので、アスカさんに寄ってもらいました」

「へぇ…面倒見がいいんだな」

「子猫ちゃんの親猫代わりになっているのでしょうかね…」

 

 

「あやややや、これはこれは。シンさんと阿求さんではありませんか。随分と珍しいコンビですね」

「いろいろとありましてね。射命丸さんはここで何を?」

「いやまあ、先程まで記事の為に飛びまわっていた所です。でもたった今、新しいネタを見つけました!」

「……というと?」

「それは勿論、シンさんと阿求さんの逢瀬の様子を取材させてもらおうかと―――」

「やめろよこの馬鹿!」

 

「山を降りたら…なんか不気味な所に来ちゃったな…」

「ここは妖怪の樹海ですね…いつも夜の様に暗くて、幻想郷中の厄が集まる場所とも言われています」

「あら、こんなところに人が来るなんて。ここにいちゃ私の厄が伝染るわよ?」

「彼女は厄神の鍵山雛様ですね。彼女の存在があるからこそ、この世界の厄は蔓延らずに済むのです」

「神様の一人なのか…神奈子さん達以外にも色々いるんだな」

「私みたいな役目を負う神様がいるから人は平和に暮らせるのよ。さ、あまり長居せずに帰りなさい?」

「思ったより強気なんだな……神様だからか?」

 

 

「麓【ふもと】まで抜けてみたら…椛さんを見かけましたね」

「そういや、ここに来た当初はあの娘に眼を付けられてたっけ……今にしたらずっと昔に感じるものなんだな」

「ん、誰です?そこにいるのは」

「えっと…久しぶりだな、椛」

「貴方は…シン・アスカ!貴方の方から私の元へ来たのですか!?」

「いえいえ、今日は私の付き人代理で彼は隣にいてもらってます」

「貴方は稗田の……」

「ということなんだ。今日は戦う気ないし、阿求の質問に付き合ってくれないか?」

「…いいでしょう。しかし、貴方を打ち負かすのはこの私です。そこはお忘れなきよう」

「…アスカさんって、いろんな女の子達と交友があるのですね……いわゆるモテモテって奴ですか?」

「も、モテるわけ無いだろ?俺なんか…」

 

 

「この娘も神様なんだっけ」

「ダメですよアスカさん?幾ら見慣れた存在に見えても神様は神様なんです。此処におられる秋穣子様も、豊穣の神として立派なお方なのですから」

「人間の方から私の下に来るとは珍しいわ……一体何の用?」

「いえ、今年の収穫祭も是非いらして欲しく、私の方から参らせて頂きました」

(というのは建前なのですけどね)

「稗田の人がそんな事を言いに来るなんて…妙な事もあるものね。いいわよ、今年の秋も皆で盛大に盛り上げましょう」

「豊穣の神か……コズミック・イラだったら植物だって化学で操作出来るもんな……」

 

 

「里での休憩ついでに命蓮寺を調べましょう。以前の調査の時にはまだここの情報はありませんでしたからね……」

「あ、お久しぶりです!アスカ君に……新しいお客さん?」

「初めまして、里の稗田阿求と申します」

「船長、お久しぶりです。今日は時間が空いているのですか?」

「ううん。先程まで寺の掃除とか聖の手伝いとかしてたから、やっと休憩って感じです」

「むっ…やっぱりアスカさん、女の子達に顔が広いですね」

「な、なんだよ突然…阿求ったら」

「いーえっ、何でもありません………手早めに寺の中を調べますよ」

「二人とも、見学でもするつもり?」

「え、ええ。そんな所です」

「じゃあ折角ですし、私が寺を案内してあげますね」

「サンキュ、船長。助かるよ」

「…もう、私は既に船長じゃないんですよ?船が無いのに船長っておかしいじゃないですか」

「あっはは……それもそうかも」

「アスカさんって……実は天然の女たらしなのでしょうか…?」

 

 

「これが宝塔ですか……」

「あの時にもみたけど、相変わらず綺麗だな……」

「ホントはこんな風に見せびらかすものじゃないのですがね……特別ですよ」

「でも、星がこんな貴重な物を失くしたりするから、法界の結界を解くのがややこしくなったのですよ?巫女達がこなければどうなっていたか……」

「痛い所を突かないでください!私だって、自分の非は反省しているのですから…」

「もしかして、星さんっておっちょこちょい…?」

 

 

「お疲れ様です、聖」

「お疲れ様です、白蓮さん!今さっき務めが終わったんですか?」

「こんばんは、シン。ええ、今日の命蓮寺はこれでお終い。今から休憩しようと思った所です。……そちらの小さいお客様は?」

「こんにちは、聖白蓮さん。私は稗田阿求です。幻想郷縁起の執筆の為に、先程までこちらで寺の調査をさせていただいてました」

「稗田の……ということは里の方なのですね?ええ、構いませんよ。私も取材に応じますとも」

「ありがとうございます。それでは早速この寺について………いつ頃から白蓮さんは……他にもこの里ではどんな……」

「……大分暮れて来たな…」

 

 

日が傾き、もはやシンにとって馴染みとなった幻想郷の夕暮れ。

一通りの調査が終わった二人は、阿求の意向で“デスティニー”を里の裏手の森に降ろして地面へ降りる。

流石に阿求が小さいとはいえ、彼女をだき抱えながらでは少々手を焼く。早苗やにとりだったら空を飛べる分その様な苦労はしないのだが、霊力を行使できない阿求には無理な話だ。しかしその事を不満に思った所で仕方がない。彼女の頼みを引き受けた以上、最後まで面倒をみるのが責任というものだ。

「ん…しょっ。よし、もう大丈夫」

シンがしっかりと地面に足を降ろして、胸元でしがみつく阿求に言う。一方の阿求は、眼を瞑って怯えた様子だった。達観した精神の持ち主でもやはり、高所に対する恐怖はあるという事か。無理も無い。

機体の中から高所の様子を眺めるのと、外の風を浴びながら高所にいるのでは訳が違う。今まで阿求は他の妖怪達の様に自由に空を飛んだ事は無い筈なのだから、この等身大の反応が人間として当たり前だ。

「…大丈夫?」

心配して、あらん限りの力で自らの服を握り締めている阿求に声をかける。

阿求はハッとした様子で、密着していた身体を急に離した。その顔には、仄かな朱が彩っている。

「えっ?あ、ありがとうございます…」

「もしかして、降りるのが怖かった?」

「そ、そんなことありません。私、決して怖いから貴方にしがみ付いていた訳では…」

彼女は否定しているつもりでも、本音が垣間見える。当たり前の反応なのだから恥ずかしがる事は無いのに。シンはそう思いつつも、彼女の心象を傷つけない様に口にするのをやめた。阿求の意地を否定した所で、彼女の機嫌を悪くするだけだ。

「誰だって怖いのは当たり前だよ。俺だって、訓練生の頃は苦労したしね」

「…アスカさんは、いつ頃からこの様な機械に乗っていらしたのですか?」

阿求の心境を落ち着かせる為に放った過去に関して質問される。シンだって、始めからモビルスーツを完璧に行使出来ていた訳ではない。機体の乗り降りから始まって、飛行、戦闘、戦術など様々な必須技術を努力の末に習得できたのだ。

その最中には、事故を起こしかけたこともゼロでは無い。当然、恐怖した事もあるし技術の習得から歓喜した事もある。それらは全て、コズミック・イラの戦争を無くすという願望からの大成だ。

「……結構前。色々あったから、色々やって俺は軍に入ったんだ。だから俺はモビルスーツを使えるんだよ」

幾ら阿求が子供離れした子供とはいえ、彼女の記憶に自分の辛い過去は必要無い。こういう時、“色々”という言葉は大変便利だ。詳細を離さず、兎にも角にも相手の矛先を逸らす事が出来る。

「いろいろ…ですか…?」

静かにそう口にして、阿求がこちらを覗き込む。やはり、阿求は相手の思惑を汲み取ることが得意なようだ。シンの言葉のぼかしに対して、彼女の興味と言う名の矛先はまだ逸れていない。

だからなのか、阿求は突然このような事を言いだした。

「アスカさん…私、行きたい所があるんです」

「えっ、でももう里に戻るんじゃ―――」

「確かにここに降ろして欲しいと言ったのは私ですけど………ちょっと、散歩したいなと思いまして」

阿求はシンの手を取って、その場から離れさせようとする。

離している時はまるで大人と接している様な感覚なのに、時折見せる彼女の無邪気な振る舞いは、子供そのものだ。その姿にシンはいささか混乱してしまう。

「ちょっと……お話しながら歩きません?」

 

 

「そうなのですか……貴方は、そのように苦しい出来事を…」

結局、喋ってしまった。

喋りたくもない、思いだしたくも無い、シンの凄惨な過去。

だからこそ、戦争に関して無知でいて欲しい彼女には離したくなかったのだが、道中阿求に質問され続けている内に話した方がずっと楽に感じてしまう様になった。

これが、彼女の仕掛けた心理戦であるならば彼女の勝ちだろう。

今彼らは、里から徒歩で離れて夕暮れの草原にいる。

辺りは見晴らしのいい、草木が生い茂る場所だ。その上を踏む微かな音を立てながら、阿求の横をシンは歩いていた。

「ゴメン……聞きたくも無いよな、こんな事。家族を亡くしたからって、子供が銃の持ち方なんかホントは知っちゃいけないのにな……」

子供達には銃とは無関係でいて欲しい。だからこそ戦争はあってはいけない。

その為に、自分は軍人になった。自分もまた、子供の一人だというのに。

いくらコーディネイターがプラントでは15歳で成人と認められるとはいえ、その実態は成熟しきっていない中途半端な子供達だ。当然、その点で言えばナチュラル達に精神面で劣る事も数多い。

「だから言いたくなかったんだ、ホントはこんな事…阿求には辛いことなんか聞いて欲しくないから」

「……私の問いが、貴方を傷つけてしまったのなら謝ります。ですが、私も貴方に聞いて欲しい事があるのです」

「聞いて欲しい事…?」

急に何を言い出すのか。

自分の事を語りたいから、シンの過去を聞きたかったと阿求は言う。

もしや、彼女も辛い過去を有しているのだろうか。

シンの中で彼女に対する認識が変わる程の。

「ええ…実は私は―――きゃっ!」

 

 

シンの横から、阿求の小さい頭が消えた。

いや、実際に消えたわけではない。彼女の淡い色の髪が急に地面に伏してしまった為に消えたと誤認したのだ。

阿求は草の上で転倒していた。

どうやら草原の小石に躓【つまづ】いてしまったらしく、ゆったりとした和服を草に擦りつけて横になっていた。

その様子は擬音で表すとしたら“コテン。”といった感じだ。

小柄で、体重も羽毛の様に軽い阿求は、横になった顔を真っ赤にしてシンを上目で眺めている。自分の失態を酷く恥じている様子だった。

その様子は、こう言っては彼女に失礼かもしれないが―――可愛らしく映っていた。

「あいたたた……」

「大丈夫か、阿求?」

歩みを止め、踵を返して阿求の横にしゃがみ寄る。

「ごめんなさい、アスカさん……足元が不注意だったみたいです…」

「そんなことはいいから、どっか怪我してない?」

「いえ、貴方の手をわずわらせ無くても……いたっ!」

阿求が羞恥から無理矢理立ちあがろうとした途端、急に苦悶の表情を浮かべて再び横になる。

「やっぱり、どこか怪我してる」

「あいたた……」

阿求が手で押さえた場所は、右脚の膝だった。恐らくは転倒した際、体重がそこにかかって痛みが響いてしまってるのだろう。

「膝が痛いのか……ちょっと診ていい?」

シンの問いかけに阿求は無言で首を縦に振る。

恐らくは袴の布下で腫れているのかもしれない。流石に彼女の袴をまくってまで怪我を診る訳にはいかないので、上から軽く手で触れる。

恐らく血は出ていない。痛がっているが、骨が折れた訳でもないようだ。普段から外出しない阿求は歩き慣れていない為、痛みに対して敏感なのだろう。直で目にしていないので推測になるが、恐らく膝を地面に擦ってしまったのだろう。

「歩ける?」

「ええ、少し痛みが退けば。でも、今は夕方ですから急がないと……」

そこまでしてこの草原の奥に向かいたいのか。

とはいっても、里から離れて暫く経つ。今から戻るにしても次の外出までに二度手間になる。

「阿求、少しだけ立てる?」

シンはそう言った後に近寄って、両腕で阿求の細い身体を起こすのを手伝う。

身体は紛れも無く幼い。彼女を見ていると、自分が子供だった頃に同じ怪我をして泣いた記憶が呼び起こされる。

「しっかり、つかまっててよ」

「えっ…きゃぁ!」

 

 

小さい悲鳴と共に、阿求の身体を背中で抱える。

やはり軽い。本当に羽毛を抱えている様な―――そんな形容が彼女には当てはまる。赤子でも抱えている様な重さだった。

「アスカさん!やめてください!……恥ずかしいですよ」

「でも、歩けないまま待つよりはいいだろ?夜になって妖怪が出ても困るし」

「それはそうですけど……近くの妖怪にみられて笑い物にされたらと思うと…それに、なんだか貴方にも御迷惑が…」

「誰も見てないよ。誰も笑いやしないから……ゆっくり行こう」

そういうと、阿求は観念したのか顔をシンの背中にうずめて身体を預ける。

誰にも今の様子を見られたくないという事だろう、そして彼女もまた自らの恥を彼に見せたくないのだろう。

阿求の身体を背負って、シンは阿求が指示する草原の奥へ歩き続ける。一歩を踏み出すごとに阿求の身体が徐々に沈み込み、何歩か置きに阿求の身体を再び背負い直す。

時が経つと夕焼けはさらに陰りを増し、空には白い月が姿を表していた。

 

 

「着きました……」

阿求がシンの背中から到着を告げる。

足を踏み入れた草むらには、月に反射した白い光が多数揺れている。

「こんな所があるなんて…」

遠目から眺めればまるで雪にすら見えるその白色は、近づいてやっと正体が分かった。緑の絨毯の上で夥【おびただ】しい数の花が地面を覆い尽くしている。それはまるで蛍の群生にも例えられる。

夜空には、白い月に花の数に劣らない輝きが満面を描いている。

雲間に見える輝きは絶えず地面を照らしつくし、花はそれを受けて輝く。地面と空が同時に光っている様だ。

「なんていう花だっけ……これは」

「これは鈴蘭。葉の影に隠れて花が咲く事から、別名“君影草”ともいいます。資料でこの場所は知っていたけど、一度も来た事は無かった……だから私はここへ来たかったのです」

白い花―――鈴蘭は比較的地味な花だ。薔薇やチューリップの様に目立つ色でなければ、贈り物として採用される事も少ない。道端に咲いている景色に溶け込んだ花、それほど目に付く事が殆ど無い花だ。

そんな花でも、これだけの数が集まれば豪華な彩りを地面に添える。鈴蘭は、同じく太陽の影に隠れた月の光を受けて自らの存在を主張していた。コズミック・イラでも、これだけの花を揃えた場所が一体幾つ存在するだろうか。

「ここは、なんていう所なんだ?」

「昔読んだ資料ですと、ここは“無名の丘”。この鈴蘭の群にちなんで、昔とある人物が名付けたと言われています」

「無名……か」

地味な花に名も無き丘。

阿求の話ではここに妖怪も、人間も滅多に来る事も無いとされているらしい。それだけこの地は、人々の認知から外れた場所だという事だ。

「私は一度見てみたかったんです、里の外のお花を……この咲き誇った花々を」

阿求は地面に咲いている鈴蘭の内一つを、そっと摘む。草に覆われた鈴は重そうに揺れ、静かに地面から彼女の手に収まった。ここへ来た記念に一つを持ち帰るのだろう。

「私、押し花も好きなんです。でも、皆さんはここが危ないからって私を連れてくれる事はありませんでした」

「代わりに花を取って貰えなかったのか?」

「…ダメです。みんなここには寄りたがりませんでしたから……ここは昔、子の間引きに使われていた場所ですからね……」

食いぶちを減らす為に、我が子を殺す。鈴蘭は純白な花の色と裏腹に強い毒を含んでいる。遠い昔はこの地に咲き誇る鈴蘭を利用して、望まない子供を毒殺していた記録が資料には残っているらしい。

「でも鈴蘭は悪くありません。花は自らを守る為に毒を持ったというのに、人間がそれを利用するから……このように美しい場所でも皆さんは気味悪がって誰も来ない…事実ここはあまり安全な場所とは言えませんけどね」

「………」

「そうよ、スーさんは悪く無いの。毒は自分を守るためのもの。花の毒を使っていいのは花だけなのよ」メディ

「ええ、人間は自分勝手で臆病者で……なのに花を自分の価値で他者に押し付けるんだもの、いい迷惑よね」幽香

自分達とは違う、新たな声。

それに反応して、シンと阿求は視線を投げる。

丘の上に、二つの大きな影がある。一人は赤いリボンを付けた金髪の少女の姿。深い赤のドレスに身を包んだその姿は、人間ならば十にも満たない歳の外見か。彼女の隣には鈴蘭を摘む妖精の姿があり、幼い笑顔を絶えず少女に向けている。

もう一人は、緑髪で日傘を差した女性。深紅のチェックをあしらったベストとスカート、首元に巻いた風に揺れるスカーフは、気品溢れる風格を辺りに漂わせている。名家の嬢に見られるような手の届かなさ、それをこの女性は持っている。まるで触れる事も憚られそうな―――薔薇の棘の様だ。

とりわけ女性で目立つのは服装や外見より、足元だった。傘の女性の周りを注視すると、鈴蘭に混じって様々な花が咲き誇っている。認知が低いこの地に突如現れたと言う事は、彼女達が人間の類である可能性は非常に低い。恐らくは二人共妖怪だ。

「あんた達は一体?」

シンは警戒の念を露にして、二人へ問う。もし危害を加える妖怪だとすれば、全力でこの場から阿求を守らなければいけない。

「あら、稗田の使用人にしては若すぎるわね……花にたとえるなら“ライラック”ってところかしら。友情、無邪気、若さ。いずれも無知な貴方にはうってつけの花言葉ね」

さらりと笑顔で小馬鹿にした発言を放ってきた。傘の奥にある彼女の顔は、悪寒を覚えるほどの笑顔。

「なんだと!」

「アスカさん、あれが彼女なりの挨拶なんです。怒ったりしては手玉に取られますよ」

「っ…分かった」

警戒から敵意に変わった瞬間を阿求に指摘されて、グッと堪える。

見え透いた挑発に乗ってしまった事をシンは詫びた。

「ね、無知には違いないでしょ?相手の力量も見分けないで警戒心を隠さないなんて愚かとしか言いようがないわ、力の無いものが花の上をウロウロしないでよ」

「まあ、あんたも当たり構わず花を咲かしてるだけ大概だと思うけどね~。お陰で私のスーさん達の栄養が奪われてるじゃない」

「今日はたまたまここに寄りたい気分なのよ。これだけあるのだから、私の花に比べたらどうってことないわね。鈴蘭は生命力も高いし、その程度じゃあ枯れないわ。私がその気になれば、咲かせてやってもいいのよ?」

どうやら、傘の女性は誰に対しても態度は変わらないらしい。鈴蘭を皮肉の的にされた少女は、ムキになって反論している。単に鈴蘭が好きというより、鈴蘭を至上としている様にも見受けられる。

「彼女達は…?」

「傘の方【かた】が風見幽香、幼い方がメディスン・メランコリー。両方とも、花と関わりの深い妖怪です」

「スーさんってのは?」

「メディスンさんの鈴蘭に対する愛称です。彼女は資料によれば鈴蘭の毒を自らの活動源として生きているらしいですから、彼女にとって鈴蘭は特別な想いがあるのでしょうね」

「そうよ、スーさんを馬鹿にしたらゆるさないわ。鈴蘭の毒がいかに怖いかっていうのを今すぐ教えてあげてもいいわよ!」

そう言い放って、メディスンは呪文の様な不思議な詩を唱え始めた。

「コンパロ、コンパロ。毒よ、集まれ!」

宣言と共にメディスンが右腕を一振りすると、辺りの鈴蘭から禍々しい紫の煙が辺りに舞い散る。恐らくは視覚化されるほどまで濃縮した毒の気体なのだろう。

鈴蘭に限らず、野草の毒は決して弱くは無い。一つ一つは軽くても、それが何十倍にもなれば簡単に人を殺す事も出来るのだ。

「やめなさい、メディスン。加減も出来ずにむやみやたら人間を襲った所で、貴方の悲願である人形解放は果たせないわ。それに…そこの男はともかく片方は稗田の人間よ?殺したら幻想郷中の人間と妖怪が貴方を討ちに来るでしょうね」

メディスンの軽率な行動に、幽香が鋭い視線と共に釘を差す。

いや、実際の幽香は相変わらずの柔和な笑顔だった。ただ僅かに沈んだ声色と、笑顔の奥にある威圧感が彼女への認識を歪ませたのだ。

この女は、只者ではない。

彼女の隠さない尊大な態度と、常にある笑顔が彼女の秘めた力を静かに表している。彼女の言葉通り、幽香と戦う事は命知らずのすることかもしれない。

ならば、幽香の言葉に従っておいた方がいいのだろう。メディスンはつまらなそうに掲げていた腕を下げて、行使していた毒を散らす。いつの間にか身体の全身に走っていた痺れもすっと退いていく。あのままだと知らずの内に、鈴蘭の毒に体中を侵されていたということか。

身体の自由が戻った途端、慌ててシンは阿求の方へ振り向く。やはり彼女にも毒の影響はあったようだ。顔を青くして、両膝を地面について立ちすくんでいる。毒が足の方に回ったのか、彼女はまともに動けない様子だった。

「大丈夫か、阿求!」

「ええ…ですが、帰る時はまた迷惑をかけそうです……」

「そんなことはいいから!」

毒が痛覚を刺激しない事が幸いか。阿求は動けなくなっているだけで、大して危険な状態では無さそうだ。むしろ、そうでなければ何時までもここにいる筈がない。

「ただ……私は……」

阿求は毒の回っていない両腕を地面に伸ばして、一輪の白い鈴を小さな手で掴む。

既に一つを手にしている事から、二つ目を採取しようとしているのだろう。

「幽香さん…メディスンさん……二つ目の鈴蘭、頂いて良いですか?」

阿求は息も切れ切れに二人へ問う。毒が回った気付いた事だが、痛みの代わりに疲れにも似た倦怠感が身体を激しく襲う。それと戦ってまで二つ目の鈴蘭が欲しいという事なのか?シンは阿求の行動に疑問を持った。

「私の花じゃないから何とも言えないけど……メディスン、貴方はどう思うのかしら?」

「スーさんを粗末にする奴はすぐにでもヤるけど……大切にするんだったら構わないわよ?人間だろうとスーさんを大切にするなら嫌いになれないからね」

「ありがとう…ございます」

プチッ、と鈴蘭の茎が折れ、二輪の花が阿求の手元で白い輝きを放つ。

それはまるで溶けない雪の様だ。

「さあ、そろそろお帰りになったら?私達は貴方達に興味無いけど、辺りの有象無象の妖怪共が目をつけ出したら危なくなるでしょうね。残念だろうけど、貴方達の面倒をみるつもりはさらさらないの」

「わかってるよ…!」

阿求をもう一度抱き抱えて、シンは丘から離れる。

多く吸ってはいない為気体の毒で死にはしないだろうが、不健康な事は間違いなしだ。足早に前進しようと、シンは痺れの残る身体を酷使する。

阿求は恥ずかしがる余裕も無いらしく、小さい身体を力なく預けている。しかし摘み取った鈴蘭を持つ右手だけは、花を離さないよう強く力を込められていた。

 

 

「……んっ…」

「気が付いた?」

阿求は伏せていた顔を上げて、辺りの暗闇を見渡す。

鈴蘭を手にした最後、阿求は今まで気を失っていたのだ。

阿求が動けない間、シンは夜の草原を必死で歩いていた。

流石に夜番の門番に咎められはしたが、再び阿求との関係を偽って難なく里に入る事は出来た。

今いる場所は、稗田邸の裏手だ。すでに民家の光があちこちに光る中、シンは殆ど休まずに動いて来たため、息切れが続いている。幾ら阿求が軽いと言っても、単独で走るのとは大違いだからだ。

「良かった、なんともなさそうで……夜だからちょっとだけ苦労したけど、ここまで来れたよ」

「あ…アスカさん…」

心配を駆けさせない為に全力で笑顔を作る。対する阿求は自らとシンの状況から概ねを察したらしく、顔はたちまち沈んでいった。

「お怪我は…」

「大丈夫だって、なんとか“デスティニー”まで行けるさ。ここからは一人でもいいだろ?それじゃ、俺はこれで…」

シンは阿求を背中から地面に降ろし、背を向けようと振り向こうとした。しかし。

「まってください!」

阿求の訴えが鼓膜を叩き、進めていた足を止める。

彼女の方へ向くと、両腕で鈴蘭を握る阿求の姿が目に移った。

「私の所で休んでください……私、貴方に何も出来てない」

阿求の大きな瞳が、月の光に反射してシンに向けられる。

今日は阿求の頼みの為に奔走した。それに対して彼女は何もお礼が出来ていないと感じているのだろう。さっきだって、シンがいなければ危ない状況になっていたかもしれない。

稗田の者の言う通り、外は彼女にとって危険だったのだ。

しかし、全ての危険から守ったのはシンだ。阿求は、その彼にお礼がしたかった。

シンにもそれが分からない訳じゃない。

だからこそ、人の好意は素直に受け取るべきだという事も知っている。

今日はもう遅い。今から作業場に帰ろうとした所で、余計に疲労が増すだけだろう。

ならば、もうすこし彼女に付き合うのもいいのかもしれない。

シンは、その誘いを肯定する事にした。

 

 

阿求の手前のおかげでシンは稗田邸の中に入る。

使用人達が阿求と、客人であるシンの為の夕飯の支度を提案するが、既に疲れ切っていた阿求はシンの許しを得た後でそれら全てを断って、二人で阿求の自室へ入ろうとした。

「お父さん!そんなふしだらな真似許しませんよ!!」

「だいじょうぶですッ!!彼は変なことなんか絶対しません!」

しかし使用人も流石に同じ部屋に男女を入れるのは抵抗があったのだろう。

緑のシャツを着た長髪の男性は、シンの来訪に対して反対を示していたが、阿求は無理矢理押さえつけていた。

阿求もシンを部屋に招いた事に何の考えも抱いていない訳は無い。いざ机を挟んで正対するとお互いは照れ、視線をそらし、顔を赤面させてしまう。自分から招いておいて、阿求は自分の行ないを恥じてしまった。

「ここが、私の部屋です」

シンプルな和室だった。押入れがあって、出入りの引き戸があって、畳が敷かれている。ただしそれだけだ。光源となる行燈が辺りを照らすだけで、文明の利器などは一切ない。

「どうぞごゆっくり……とはいっても、私の部屋には面白いものはありませんし、今お腹に何か詰め込むのも大変でしょう?」

「いや、そんなこと…別に気にしなくても」

激しく動いた後に食べ物は喉を通らない。机の上には紅茶を淹れた湯呑が二つ置かれており、落ち着いた頃に阿求は夕飯を頼むつもりなのだろうか。少なくとも、今は紅茶が貰えるだけでも大変ありがたい。

「でも、私は伝えたい事があるのです……今日と言う日を手伝ってくれた貴方に」

朱に染まった彼女の顔は、真っ直ぐにシンへ向けられていた。

「貴方になら、私の事を語ってもいい…そんな気がしたんです」

「君の?」

確かに阿求は何処にでもいる子供達とは訳が違う。家の者を従わせるほどの発言力、外見とは不釣り合いの落ち着いた物腰、そして縁起の執筆を担う重すぎる責務。どれも年端の行かない女の子には似合わない。

「アスカさん……貴方は“運命”ってどう思っています?」

「運命……」

運命。一人一人に既に決められていて、決して死ぬまで逃れる事の出来ないもの。

何故その様な事を突然聞いてくるのか。

「な…何で…そんなこと」

「私はきっと、生まれた時からこの運命から逃げられないんですよ……“御阿礼の子”という立場と責務に」

「御阿礼…の子?」

聞き慣れない―――いや、聞いた事の無い単語が彼女の口から零れた。途端、彼女の顔はどこか悲しげに俯いてしまう。運命、御阿礼の子、阿求は何を伝えたいのか。

「アスカさんは、私の能力について御存知でしたか?」

「いや、頭はいいなって思ってたけど…」

阿求の歳であれだけの事を果たせるのだ。普通の子供より格段に頭がいい、そうシンは勝手に思っていた。

「違う、違うんです」

小さい頭を横に振り、シンの言葉を否定する。

「私の……御阿礼の子の能力は、“一度見た物を忘れない程度の能力”。そして……次世への“転生”です」

前者は文面から何とか理解できる。一度見たものを忘れない、それはシンの世界でも幾つかケースがあった。シンには名称程度の知識しかないが、記憶症候群と呼ばれるものだった筈だ。コーディネイターの科学者たちの研究の一つであり、それが阿求の家系には慢性的に起こっているという事なのか。

「記憶を忘れない……それと転生って?」

「前者は想像通り。私は物心がついて以来全ての記憶を頭に入れています。そして、私はそれを意識的に使う事で、縁起の執筆の為に使っています」

「じゃあそれって…」

現実離れした単語の意味を、彼女に問う。

「私は既に……あまり長く生きる事を許されていません」

「!」

「御阿礼の子はその行き過ぎた力を無理矢理直系の人間の身に宿す為に……転生の儀を繰りかえして来た。その代償として……御阿礼の子は代々短命なのです」

耳を疑った。信じたくない言葉だった。

阿求の時間が、生まれながらに少ないなんて。

「おかしいですよね、急にこんな事喋っちゃうなんて……私、今まで必要以外の事なんか外部の人に喋らないのに」

苦笑して、阿求は場の空気を誤魔化そうとする。しかしそんな些細な動作では聞かされた者の心境を覆せない。

「なっ…なに言ってるんだよ!」

「御阿礼の子はその責務故に…まともな生活を送れないといいます。ですが、ここ最近はそれなりの資料の数と皆さんの助けのおかげで、“今の段階”ではそれなりの余裕を持ててます」

「今の段階?」

「ですが、死ぬ間際になるとそうはいきません。転生の儀の為に何年もかかる準備に身を投げ、外の人達とまともに会話できる時間さえ無い……貴方とも、いつ会えなくなるか解らない」

「そんな事……」

「代々の私……阿礼、阿一、阿爾、阿未、阿余、阿悟、阿夢、阿七、阿弥。“私達”は例外なく、ほぼ同様の人生を送ったといいます。違うのは人間関係と性別だけ…」

「性別って、阿求は女の子だろ?」

「いえ。代々の私は男の身にも女の身にもなった事があるそうです。残念ながら転生の時に記憶の大半を失う為、精神の形成に異常は来【きた】しませんし、想い人の性を間違う事もありません」

精神の性は身体の性と一致しているのだろう。前の“阿求”が想いを寄せた相手もその時の“阿求”と添い遂げれる人だったという事なのか。男は女を好きになり、女は男を好きになるのだから。

「もう遠くない内に。あっというまの時が過ぎて、私は早すぎる人生を送る事になるでしょう。転生に裂く時間が多大な為に、普通の女の子の様に望む人を見つける時間さえ無い」

阿求は好きな人を探す……選ぶ余裕も無いと言う。しかし、好意を抱ける人間は選ぶものでも探すものでもない。その人と出遭って、互いに惹かれて。その先に恋があり人生を共にする為に結婚という選択肢がある。

決して、個人の人生は決められるものでは無い。自らの力で切り拓くものだ。だが阿求の双肩には荷が勝ち過ぎている。切り拓く事も出来ない現実が彼女を襲っている。

それを肩代わりする事は、シンには出来ない。

シンは“阿求”ではないからだ。

「けれども……既に想い人を決めていたら話は別です」

阿求は俯いていた視線を重く上げて、シンの視線と合わせる。

そして、無名の丘で摘んだ鈴蘭を両手で差し出して来た。

「シン・アスカさん……貴方が元の世界に戻るまでの間、私と一緒にいてくれませんか?」

突然の告白。そして突然の願い出。行燈の炎に照らされた白い花が、彼の目の前にある。

「私は、貴方が好きです」

ハッキリと言葉にして、阿求は真摯な想いを乗せてくる。

自分は、これに応えられるのか?シンの中で迷いが生じる。異世界の人間であり、彼女の一生を共に出来るのか。自問するが、答えは己の中でしか見つけられない。

「貴方とにとりさんに頼んだ“デスティニー”での調査も……貴方と一緒に居たい時間が欲しかったから……アスカさんと二人で過ごしたい気持ちもあったから……」

「俺は」

あの妖怪の調査も、二人きりで過ごしたい時間を作る為だったというのか。

彼女は言葉で明確な好意を伝えて来た。ならばこの花の意味するものは何なのか。

シンは花の知識は殆ど持っていない。何故鈴蘭を渡してくるのか、見当がつかない。

「資料だと、鈴蘭の花言葉は……」

阿求が静かに語り出す。

「“幸福の再来”、“純粋”…だったと思います」

彼女は静かに微笑む。

「貴方の辛い過去がもうこれからは無い様に…私は、これを送ります。私の純粋な想いと共に」

阿求は、シンの過去を聞いて来た。その上で丘の花を摘み取っていたのだ。

そして、自らの想いもその花に乗せている。

これは無知な人間には不可能な芸だ。事実、シンの頭にこの様な告白の方法は思いつかなかったし、博識な彼女だからこそ出来る事である。

「選択肢は貴方です…断られても決して私は貴方を恨んだりしません」

そうは言うが、阿求も大分堪【こた】えている様だった。

悲恋に恐怖を抱く事は、少女らしい普通の反応なのだから。

「駄目ですか…?」

その確認の直後に、彼は腕を伸ばしていた。

但し腕に抱くのは鈴蘭では無く、鈴蘭を手にした彼女そのものだった。

「いいに決まってるだろ?俺だって、すごく幸せだよ」

御阿礼の子の悲しい運命を、自分の手で少しでも幸せに染める事が出来るのなら。

阿求の想いに、自分が応えられるのなら。

この腕に抱く“花”を、無碍【むげ】に散らさない。

自らも、彼女が好きなのだから。

彼の答えに、彼女も無言で抱き返す事で応じる。

その歓喜のあまりに閉じている両目からは、一筋の涙が零れおちていた。

 

 

「アスカさん、桜が綺麗ですね」

「ああ、そうだね…」

桜並木を、少年と少女が歩いている。

季節が過ぎ、再び春色が世界を染める。

「あっ…またアスカサンって呼んでしまいました。どうも呼び慣れているといざ名前で呼ぼうとしても難しいものですね……」

阿求に残された時間は決して多くは無い。だからこうして何かしら彼女に余裕が出来たら、必ずシンは彼女の要望に応えようと努力している。

今回は、二人きりの花見だった。

「あと何回、この美しい景色を“私”は観る事が出来るのでしょうか……」

「それじゃドラマの死んでく親父みたいだぞ」

「“どらま”とは、劇の事ですか?そうですね…私達はお話の人物じゃないのですから」

今だって、一時間に満たないほどの余裕しかない。

もう少ししたら彼女は再び部屋で、縁起の執筆を再開するだろう。

「ねえ、アス………シンさん」

呼び慣れない呼称で、シンを呼ぶ。

彼の前を率先して歩いていた阿求は振り向いて、柔和な笑顔をこちらに向けた。

「私、いま物凄く幸せです。こうして、貴方と共にいられるのですから」

「俺だって、今この時間がとっても好きだよ。阿求」

どんな運命だろうと、彼女には笑顔のままでいて欲しい。

シンもまた、彼女の助けとなる為に全力で支えるつもりだ。

二人で紡ぐ新たな運命が、この先に広がる。

 

困難だって二人でなら、きっとずっと乗り越えて行ける―――シンはそう確信した。